「1960’S」タグアーカイブ

MODS MAYDAY JAPAN 2018

今年もMODS MAYDAY JAPANの開催が近づいてきました。
昨年に続き、セルクルルージュ及びREADY STEADY GO!で、全面協力をしています。
第38回目になる今年の開催は5月19日(土)。会場は3年連続になる新宿ロフトです。
今年のテーマは、「東京MODSシーンのルーツ」。
1960年代英国のMODSシーンをリアルに体現しているピーター・バラカン氏によるDJ&トークライブ。当時のMODSが愛したブラックミュージックなど、我々が体験することの出来なかった60年代ロンドンのシーンについての、リアルな証言をして頂きます。
先頃横浜で開催されたトークセッション「音と共に生きる」でも、ジャマイカンのスーツの話などMODSシーンの生々しいエピソードが満載だったので、MODS MAYDAYでは、更にコアなエピソードが語られるのではないかと、今から期待をしている。

ピーター・バラカン

そしてゴールデンカップスのオリジナルメンバーであるエディ藩氏のライブ。当時は自分が幼過ぎて、タイガースやテンプターズに比べて、わかりにくい格好よさだったのがカップスである。しかし今改めて聞くと、全く古びれてなく、60年代の日本のシーンとしては、限りなくブラックミュージックに接近しているその演奏には、改めて驚かされる。
特にエディ藩氏は、日本人が海外に行くことの少なかった60年代半ばに渡米し、本場のブルーズや、ヴァン・モリスンのTHEMのライブを体験しているという。多分日本人でTHEMのライブを生で見た人間は、他にはいないのではないだろうか。
個人的には70年代に、エディ藩氏のオリエント・エキスプレスというバンドのライブを、沢田研二の日比谷野音でのコンサートや、自分の学校の学園祭で、何回か体験している。当時としては珍しいホーンセクションの入ったグループで、一歩も二歩も進んだFUNKを演奏しており、これまた当時の高校生には理解のしにくい進み方であった。
今回はMODSシーンのアーチストとのセッションも予定されている。リアルな60年代を体現しているエディ藩氏と、MODSシーンのコラボレーションで、どのような化学反応が生まれるのか、非常にスリリングなステージが期待される。

エディ藩

今年は女性がフロントになるグループが多いのも、特徴である。
久々のスクーターズ、昨年末のMARCH OF THE MODSで復活したプラネッツ、今年は大きな飛躍が期待されているNATSUKO、CDデビューしたMotel’s Sofaや、dirty bucks feat. peteraccoなど、女性アーチストのステージに、是非注目して頂きたい。

スクーターズ
PLANETS
NATSUKO

そしてセルクルルージュでも何回か紹介しているTHE TOKYO LOCALSSoulcrap,先日CDをリリースしたTHE GENO LONDONなど常連のバンドや、次々に登場するDJの顔ぶれも、見逃せない。
今年は18時頃早い時間から次々に、MAYDAYの顔になるようなグループが登場する。オールナイトの長丁場になるが、是非早い時間から会場に足を運んで頂きたい。

THE TOKYO LOCALS
Soulcrap

昨年に続くReady Steady Go!とMODS MAYDAYのコラボレーションとして、今年はTシャツとトートバッグを制作致します。
Tシャツは、アッシュグレーとロイヤルブルーの2色で、Mods Mayday Japan 2018 Specialとネーミングしました。
キーカラーのロゴはMODSをイメージするトリコロールカラーです。
ボディフロントには、Ready Steady Go!の英国製タグが縫いつけられています。
GOLD/OLIVEの新色と合わせて、2018年限定生産になります。
Ready Steady Go! Official Online storeで先行発売もスタートしています。

RSG! GREY/TRICOROLE T
シャツ
RSG! BLUE/TRICOROLE T
シャツ

尚READY STEADY GO!の一部商品は、群馬県高崎市にあるセレクトショップMODERN TIMESでお買い求め出来るようになりました。
お近くの方は、是非一度足をお運び頂けますでしょうか。

昨年好評で完売したダブルネームのトートバッグも、今年はカラーを変えて登場します。アッシュグレーのTシャツと同じイメージになるグレイを基調にしたモデルです。
こちらはMODS MAYDAY JAPANの会場のみでの限定販売になります。
Tシャツ2色と合わせて、MODS MAYDAY会場で,是非ご覧になってみてください。

READY STEADY GO! MODS MAYDAY コラボレーショントートバッグ
READY STEADY GO! MODS MAYDAY コラボレーショントートバッグ

40周年に向けて、まだまだ進化し続けているMODS MAYDAY JAPAN。
是非足を運んで、体験してみて頂けますでしょうか。

MODS MAYDAY JAPAN 2018
2018/ 5/ 19 sat.
OPEN & START 16:00 (Allnight)
at SHINJUKU LOFT
TICKET : ¥5,000(D別)
DOOR : ¥5,500(D別)
*再入場可(要ドリンク代)
TICKET
ローソン0570-000-777(Lコード:75809)
http://l-tike.com/order/?gLcode=75809

イープラス
http://eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002253150P0050001P006001P0030001

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エディ藩(G,Vo/ゴールデンカップス)
The SCOOTERS
The 5678’s
THE GENO LONDON
THE FAVE RAVES
THE TOKYO LOCALS
BACKDOOR MEN
Soulcrap
Natsuko
PLANETS
THE MONKEY
THE RICOTTES
NERVOUS HEARTS
Motel’s Sofa
dirty bucks feat. peteracco
High Style
The Bloodest Saxophone

Special Talk Live>>
ピーター・バラカン

DJ
黒田マナブ
大貫憲章
稲葉達哉
Daddy-0-Nov (Back From The Grave,Radio Underground)
藤井悟(CARIBBEAN DANDY)
松岡徹
宮永桂 (THE SKA FLAMES)
関口弘(FRATHOP Records)
MORRIE MORISSETTE (FABULOUS PARADE)
中村智昭 (MUSICAÄNOSSA / Bar Music)
川野正雄 (Le Cercle Rouge/Ready Steady Go!)
堀井康
佐藤志朗(FACING FACTS)
井上丸(Modern Records)
寺島英知郎
加藤直樹
Jaga b
福田俊介
MA☆SA(FACING FACTS / 東京ロンドン化計画)
末續哲玄<s.t.g.>
Rei Ishii (The Numbers!)
uCjima(NIGHT FOX CLUB)
ヒラノツヨシ(BLAST JAMS!!)
MACHI(Mega Munch Oysters/BLAST JAMS!!)

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MOD. TOKYO

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モロッコ紀行−1/ストーンズの残り香が漂うエル・ミンザ・ホテル〜タンジェ編#1

EL MINZAH HOTEL

明けましておめでとうございます。
昨年12月にモロッコを回ってきたので、セルクルルージュ的な視点でのモロッコを、何回かに分けて紹介させて頂きます。
初回はスペインから海路でのモロッコの入り口になる港町タンジェで感じた、ローリング・ストーンズの軌跡についてのレポートです。
タンジェはジブラルタル海峡を挟んで、スペインから僅か40キロの港町。フェリーで約20分で到着する程、スペインからは近い。
私は迷宮都市フェズから電車で移動したが、これは6時間くらいかかる。
タンジェはモロッコ内では初めてアメリカの公使館が出来た町で、フランス、スペイン、アメリカ、イタリアの公使館が現在もあるコスモポリタンな地域だ。
戦時中は北アフリカ戦線もあり、各国のスパイが暗躍していた映画の中のような世界。戦後はモロッコ独立もありイスラム色が強まる中、トルーマン・カポーティ、ウイリアム・バロウズ、イヴ・サンローラン、アレン・ギンズバーグ、ジャン・ジュネ、ポール・ボウルズなど異端派の文化人に愛されたモロッコの中でも異色な町である。

タンジェの街並

1967年3月4日、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズと、ブライアン・ジョーンズは、当時ブライアンのパートナーだったアニタ・パレンバーグを連れ、スペインからベントレーをフェリーの乗せて、タンジェに上陸した。ミック・ジャガーは噂になっていたマリアンヌ・フェイスフルと共に、空路でタンジェのエル・ミンザ・ホテルで合流した。
エル・ミンザ・ホテルは、モロッコには珍しい英国調のホテルであり、戦時中には各国のスパイが滞在していたという。

エル・ミンザ・ホテルのロビー

2階にあるラウンジ。

コンシエルジュ・デスク

館内はモロッコ調のモザイクなどイスラム的造形と、英国的なクラシックな佇まいが同居し、他の国のホテルでは味わえない異次元の素晴らしい空間で構成されている。この空気感は、他の場所では味わえない感覚であり、多くの文化人に愛された香りが、足を踏み入れただけで体内にしみ込んでくる。
ストーンズ御一行様だけではなく、チャーチル、トルーマン・カポーティ、バロウズ、サンローランから、セルジオ・メンデスや高田賢三まで、ここに泊まった著名人は数え切れない。地下の素晴らしいパティオに行くと、噴水と共にここを訪れた著名人の写真に迎えられる。

パティオ。
オマーシャリフ。「アラビアのロレンス」撮影時だろうか。
イヴ・サンローラン。タンジェに家を持っていたという。サンローランは晩年の写真もあった。

英国内でドラッグによる警察事件を抱えていたストーンズ御一行は、当時のモロッコでは容易に手に入ったキフと呼ばれるドラッグと、ヨーロッパにはない呪術的な魔力を持つこの町の魅力に取り憑かれ、モロッコで過ごした2週間が、バンドの方向性を大きく変えていくきっかけとなった。
エル・ミンザ・ホテルでは10階を貸し切り、ストーンズならではのパーティが催された。その後モロッコ国内では、タンジェだけではなく、赤い町マラケシュまで足を伸ばしている(マラケシュについては、後日レポートします)。
ブライアン・ジョーンズはこの滞在中に、ブライアン・ガイシンに連れられて近郊のジャジューカ村を訪れ、翌年レコーディングするモロッコの土着的な音楽に、この時初めて出会った。
そのブライアンがジャジューカに行っている間に、ブライアンのパートナーだったアニタ・パレンバーグと、キース・リチャーズは、エルミンザホテルで決定的な関係に陥ってしまう。

エル・ミンザ・ホテルの客室
客室のバルコニー。港全域が見渡せる。
ベランダからの夜景。遠くにスペインの灯りも確認出来る。

その後もストーンズのメンバーは、繰り返しモロッコを取り憑かれたように訪れる事になる。
ブライアン・ジョーンズは、1968年7月エル・ミンザ・ホテルを基点にして、彼の死後にリリースされる「The Pipes Of Pan At Joujouka」を、ジャジューカ村でレコーディングした。
正確な回数は把握出来ていないが、ブライアンは何回もモロッコを訪れながら、心身を崩していき、ストーンズを離脱することになる。
モロッコに足を向けると、いつの間にかジンやジュヌーンといった魔物を体内に宿し持ち帰ってしまう事があるらしい(四方田犬彦氏「モロッコ流謫」)のだが、彼の残したジャジューカを改めて聴くと、ブライアンは明らかに魔物を英国に持ち帰ってしまったように思える。

キースもモロッコに取り憑かれた。同じ年の12月、キースはアニタと共に、大量のレコードに、レコードプレイヤー、多くの衣類にブーツを持って、エル・ミンザ・ホテルに長期滞在し、次なる方向性を産む為に、一人合宿をする。同年に出した「Their Satanic Majesties Request」がそこそこに売れて経済的には効果があったが、ビートルズの二番煎じのように評され、挽回を期していたのだろう。
そこにはマディ・ウォーターズのLIVE盤や、ロバート・ジョンソン全集など、大量のブルースが持ち込まれていた。改めてエル・ミンザ・ホテルで初心に帰り、ブルースを聞き込んだキースは、「Let it Bleed」で、ロバート・ジョンソンの「Love in Vain」を演奏するアイデアを思いつき、サイケデリックな世界から、ブルースへの回帰にシフトチェンジを行ったのだ。

長期滞在中のタンジェで、キースはスーク(モロッコの市場)で、様々なものを買い求めたらしい。それはラグであったり、アクセサリーであったりしたようだが、キースは値切らなかったと言う。モロッコのスークは値段を吹っかけられ、値切るのが当たり前になっているが、半面地元の人たちにとっては、貴重な生活源である。自分もケチな根性からついつい値切ってしまったが、経済的に余裕があったとしても、相手の言い値で買うキースの姿勢には、彼本来の男気のようなものを感じた。

Cafe Baba

ジム・ジャームッシュの映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』に、看板を変えて登場するCafe Babaというカフェがある。ここはお洒落なカフェというタイプの店ではなく、ハードルが高いので、日本人観光客が行くのには相応しくない店だが、ここでキースが撮った有名な写真がある。
店内は撮影禁止になっているが、特別に壁に飾ってあった写真の撮影許可をもらうことが出来た。多分キフを吸っているのだが、モロッコ的なアクセサリーを身につけているのが、わかる筈だ。

店内バルコニーで撮ったキースの写真。1967年12月滞在時と思われる。つけているアクセサリーもモロッコで入手した感じだ。
キースが撮影したバルコニーの外観

この店内での飲み物は、砂糖を入れたミントティーがメインだ。ミントティーの作り方を厨房で見せてもらったが、強力な強火で、ミントティーそのものを煮立てている。お湯を沸かしてミントティーを入れる日本とは作り方からして違うのだ。

もう1件キースや、ブライアン、バロウズが好んでいったという岸壁のカフェ、Cafe Hafaがある。
ここの飲み物は基本ミントティーのみ。夜はハリラスープを出したり、サンドイッチなどの軽食はあるが、当然アルコールはない。しかも海沿いアウトドアという環境で朝から午前2時くらいまで営業しているらしい。
寒かったが、海を眺めながらゆったりと飲むミントティーは格別の味わいだった。この場所でブライアンは何を考えて、海を見ていたのだろうか。
近年はストーンズも度々来日し、夢のような存在ではないが、ブライアン・ジョーンズだけは日本人では全くアクセス出来ないまま消えてしまい、理解もしにくい存在である。その彼が愛した幾つかの場所(多分少し孤独な気分で)を訪問出来たのは、非常に貴重な経験であった。

Cafe Hafa
Cafe Hafaから見る海。
猫はどこにでもいる。

最後にエル・ミンザ・ホテルについて。
写真でおわかりのように、とても素敵なホテルである。部屋も幸いなことに、海側にアップグレードしてくれたので、景色を楽しむことが出来た。
場所もスークに近く、大抵の場所は徒歩圏内である。何よりホテル内が快適だし、宿泊料金も驚く程リーズナブルで、都内のビジネスホテルに泊まるようなプライスで宿泊出来る。
宿泊した日、年老いたドアマンに、チェックアウト時間を訪ねたところ、「今夜はここがあなたの家です。だから明日はお好きなお時間までいてもいいんですよ」
という回答であった。多分ブライアンやキースが滞在した時にもいたのではないかという年齢のドアマンであったが、彼らがリピーターになり、長期滞在した理由が、ここにあるように思えた。

次回はもう少し詳しくタンジェの町全体を紹介する予定である。
是非ご期待下さい。

エレベーターとポスター