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Cinema Review-3/ 広大なアメリカを描くアジアの新たな才能の発見『ノマドランド』

(C) 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

Cinema Review第3回は、ゴールデン・グローブ賞作品賞、監督賞を有色女性監督作品として、初めて受賞したクロエ・ジャオ監督の『ノマドランド』です。
既にアカデミー賞の候補にもなっており、ベネチア映画祭の金獅子賞も受賞している話題の作品です。
主演はコーエン兄弟の『ファーゴ』などに出演し、オスカーを2回受賞しているフランシス・マグドーマンド。彼女はプロデューサーも兼ねた存在です。
今回のレビューは、映画評論家川口敦子と、川野正雄、名古屋靖の3名で行いました。

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★名古屋靖
日本からアメリカに行き、好きなバンドのツアーを一つでも多く追いかけたい時、夜12時前にショウが終了、そのままクルマに乗り込んで次のライヴ会場の町まで何時間も徹夜でドライブしなければならない事がある。出来れば夜間移動は緊張するし退屈なんだけれど、移動中に迎える日の出の時間ほど感動的なご褒美はない。アメリカでしか味わえない見渡す限りの大空と大地が少しずつ赤く染まっていくその真っ直中にいると「ずいぶん遠くまで来たもんだ。今日も楽しい一日が始まる、アメリカすごいよ!」と、期待感と高揚感が最高潮にまで高まる。『ノマドランド』はそんな感動を追体験できる映画だ。とにかく映画館の大スクリーンに自分を埋没させることをお勧めしたい。

アメリカ人は意外と海外旅行経験者が少ない。「海外に出なくても国内でまだ見た事がない憧れの地がいっぱいあるから」だそうだ。僕らの海外旅行は、彼らにとっての遠方への国内旅行と同じスケール感だったりする。自分の言語とテリトリーである程度安心して冒険ができるアメリカは本当にでかくて羨ましい。劇中「あなたはどこへでも移動できるノマドね」という台詞のように、ノマドたちにとって部屋はクルマだけど庭はアメリカ全土という贅沢。そんなポジティブシンキングもアメリカ的で好感が持てる。以前アメリカの友人に「もう一度行くとしたらどこ行きたい?」と聞いたとき「アラスカ!」と即答だった。映画でもノマドたち憧れの地としてアラスカやハワイが出て来たのには笑った。

ただ、主人公ファーンがノマド生活を始めたきっかけは決して前向きな理由ではない。アメリカには民間企業1社だけで成り立つ町が数多く存在するが、そこが不採算事業に転じた瞬間から町自体が消滅する現実がある。長く暮らしていたホームタウンが消える不幸。自宅を始め友人・知人はもちろん、生活必需品や、電気・ガス・水道などのインフラ事業も撤退してしまう。日本ではちょっと考えづらい事だけれど、経済優先の資本主義アメリカではよくある事だそうだ。
そんな、夫とホームタウンを失った初老のファーンが、ノマドの先輩たちから様々なノウハウを享受され、慎ましくもたくましく成長していく姿は愛おしくとても美しい。そんな先輩の多くがリアルなノマド達だという事が最初は信じられなかった。素人とは思えないあまりにも自然な演技でその表情や発する言葉も滞りなく明快で分かりやすい。パンフレットのインタビューを読んでなるほどと思った。「私たちは他の人々の生活の中にただ存在していただけで、彼らの人生を混乱させようとはしていません。彼らの真の生活に入り込もうと努力しました。」この映画はフィクションとノンフィクションの境界を取っ払い、リアリティのその先へ新たなジャンルを確立している。

また自分の話になってしまうのだが、「じゃあ、またね。」とアメリカ人は別れ際に”さようなら”を言わない。絶対また再会できるのを信じているかのように。そしてこんなに広い国でこんなにたくさん人がいるのに、偶然にも再会出来た時には「また会えたね。」と言いハグをする。友情とか人とかが最も尊い財産だと実感できる瞬間だ。劇中でも何度かある再会シーンは静かだけれど好きだ。特にタバコをあげた若いヒッピーとのエピソードは自分にも似たような経験があって強く印象に残っている。ボブ・ウェルズの「この生き方が好きなのは、最後の”さようなら”がないんだ」という台詞にアメリカの魅力が詰まっているような気がする。この映画は一見すると社会問題を題材にした深刻なものに見えるかもしれないが、それを乗り越えた先にある自由や希望を描いたスケールの大きい作品になっている。

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★川野正雄

90年代クエンティン・タランティーノの排出をきっかけに、アメリカの若いフィルムメーカーのFrom Sundance to Cannes というシンデレラストーリーが生まれた。ロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭で注目されたインディペンデントの監督が、カンヌ映画祭にピックアップされ、世界的な評価を得るという流れである。
今や王道とも言えるそのシンデレラストーリーから生まれた新しい才能が、『ノマドランド』の監督クロエ・ジャオである。
既にアカデミー賞候補、アジア系女性監督として初めてのゴールデングローブ賞監督賞受賞、ベネチア映画祭金獅子賞、トロント映画祭観客賞など、多くの栄誉を獲得しているが、久々にすごい監督に出会えたというのが、率直な感想である。
あまりに『ノマドランド』が素晴らしいので、前作の『ザ・ライダー』を、早速アマゾンプライムで鑑賞した(すぐ見れる便利な時代である)。
川口敦子さんのレビューに詳しいが、実際のロデオライダーを役者として起用した見事なカウボーイ映画であり、『ノマドランド』に勝るとも劣らない傑作だった。
何より驚いたのは、サム・ペキンパーの『ジュニアボナー』で描かれているような男の中の男の世界のロデオライダーを、中国系女性監督が見事に描き切っている事である。
この作品はいかにもロバート・レッドフォードが好みそうな現代の西部劇であり、クロエ・ジャオはサンダンス映画祭での上映で注目を集め、カンヌを始めとする各国の映画祭で上映された。
そして本作品の主演兼プロデューサーであるフランシス・マクドーマンドと、トロント映画祭で出会い、本作品は生まれるきっかけが出来たのである。
前置きが長くなったが、本題である『ノマドランド』について。
作品には『ザ・ライダー』のロデオライダーと同様に多くの実際のノマドが登場する。
先日ご紹介したロシア映画『DAU ナターシャ』でも同様の手法が取られていたが、プロの役者ではなく、実際の体現者が演じる事で、映画のリアリティは格段に増し、一つ一つの言葉の重みも違ってくる。

ノマドという言葉には、二つの意味があると思う。一つは劇中でマグドーマンド演じるファーンの台詞にもあるハウスレス。車上生活者として移動をしながら暮らすノマドライフ。
もう一つは非正規雇用者として、定職がなく、スポット的な業務を渡り歩くノマドワーク。
どちらがきっかけなのか、ノマドになる理由として、それぞれが心の奥底に過去の何らかの重い感情を抱えていることは、想像にかたくない。
やむおえずノマドになった人もいれば、ノマドを自らの意志で選択をしている人もいるだろう。

映画の冒頭は、クリスマス需要などで繁忙期のAmazonの倉庫シーンが描かれる。
日本でもAmazonの倉庫業務はハードと言われているが、原作でも過酷な職場として描かれているという。
しかしクロエ・ジャオは、Amazonを貴重な安定した仕事の場として描いている。
定住地を持たないノマドが、Amazonのサービスを利用する事はほとんど無いだろう。
しかし彼らにとって、繁忙期のAmazonのスポット的な労働は、貴重な仕事の場である。
この相反する関係性が、現代のノマドの社会的な位置付けを象徴しているように思った。

移住者生活をする事で、多くの出会い、別れ、そして再会が、映画では描かれる。
ファーンも60歳の設定であり、登場人物の多くが高齢者であり、自分ないしは近しい人との死とも対峙している。
出会いと別れを繰り返しながら、ファーンや多くのノマドが目指す終着点はどこなのか?
ファーンが大事にしたいものは、何なのか?
些細な出来事が、ファーンの心を細かく切り刻んでいきながら、この終わりのない旅は続いていく。
観客は自らの人生観との相対をしながら、ファーンと共に旅を続けていく。

出会いと別れは、シンプルだが、人生の根底に流れるテーマである。
『ノマドランド』は、ノマドのリアルな視点を通じて、このテーマが語られる。
その語り口は、散文的であり、文学的でもある。
あたかも文学作品を読んだような感触で、この映画は観客の心を揺さぶっていく。
中国生まれのクロエ・ジャオが、何故ここまで深くノマドやカウボーイを描けるのか。
ハリウッドのエンターティメントな演出ではなく、フランス映画のような芸術性を目指す演出でもない。
客観的な事実や、日常の風景を積み重ねる事で、観客の心の奥底にテーマを伝える演出は、並大抵な才能では到達できない領域である。
もしかしたら、彼女は現代最高の女性映画監督ではないのか。
プロフィールやインタビューを読んだだけでは、その謎は解決しないので、是非一度川口敦子さんにインタビューして欲しいと思う。
また今回この映画をオンライン試写で見たのだが、アメリカの厳しく美しい風土を感じる為に、再度映画館で見てみたいと思っている。

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★川口敦子

クロエ・ジャオ。長編監督第三作『ノマドランド』で詩とリアルとをひらりと両立させる時空を切り取ったそのやわらかで強かな才能を前に、じっくりと追いかけてみたいと心底、思った。

この春、ゴールデン・グローブ作品賞と監督賞に輝きオスカー最有力候補と注目を浴びる中、”アジア系“”中国出身”“女性監督″と、おなじみのおせっかいなレッテル付けとも無縁ではいられないジャオはしかし、マイノリティであることを成功への切り札のように利用するつもりはない、でももう手遅れかな?――などと、不自由を軽やかにジョークで躱す知的スタンスもあっけらかんと身につけていて、そんな気鋭の軌跡、輝く今への道のりもまた、もっと知りたいとさらなる興味を掻き立てられる。

1982年3月31日北京生まれのジャオは、改革開放期、中国最大規模の鉄鋼会社の重役を経て不動産開発、投資に携わった実業家の父と病院勤務の母の離婚を中学生の頃に体験。父の再婚で「コスビー・ショー」を翻案したような中国初のTVホームコメディ・シリーズや映画『四十不惑』『LOVERS』でも知られる女優ソン・タンタンが新たな母となった。
放任主義の両親の下、学校の成績はもひとつのままマンガ(『ノマドランド』の折、リサーチのため愛用したヴァンはAKIRAと命名)や物語を書くことに熱中、マイケル・ジャクソン、そしてウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』にも心奪われた。スタイリッシュなウォンの映画の底に震えている途上の時を生きる人の覚束なさ、それでも微かに浮上する希望の欠片、世界の果てを睨みながらきっとまたどこかで会えると信じる路上の魂に満ちていく仄明るさ、その愛おしさを思えば『ノマドランド』とのこれみよがしではないけれど見過ごし難い結び目を思わずにはいられなくなる。中国本土への帰還を前にトランジットの感触に裏打ちされた20世紀末香港の今を鮮やかに感覚させもするウォンの快作はまた、08年リーマン・ショック以来の貧困、分断に苛まれるアメリカの今を新種のノマドを通して掬うジャオの映画をしぶとく貫く歴史的現在への眼、思いとも確かに共振してみせる。

いっぽうで90年代、北京で西側、なかでもアメリカのポップカルチャーを享受して成長したという新世代ジャオには、同じ頃、同じ北京で映画を学んでいたはずの中国映画第六世代の雄ジャ・ジャンク―の作品を見たことがあるかとぜひ訊いてみたい(ついでにいえば公開待たれるロウ・イエのノワール『シャドウプレイ』のバブル期の都市の家族の姿を見ると、その闇と結びつけるつもりはないけれど、ロウの映画は見ている?とさらなる好奇心も募る)。『山河ノスタルジア』『帰れない二人』と20世紀末中国のバブル前後の人と国の歩みに向けたジャの真摯な眼差しを少し遅れて生まれたジャオがどう受け止めるかを知りたいから。それにも増して監督ジャが虚実の狭間に果敢に挑む時空を耕し、市井の人とプロフェッショナルな俳優とを分け隔てなくそこで息づかせてみせたこと――ネオレアリズモもブレッソンもキアロスタミもペドロ・コスタも同様の作法を究め,21世紀の映画の世界のそこここで無視し難く同様の試みが試みられているとはいうものの、同じ中国を出自とし(とレッテルづけしてしまうのだが)世界の映画の今を牽引しつつある先達の作法をジャオがどう見るのかはいかにもスリリングな問いとして迫ってくるように思えるから。
ついつい比較に走る悪い癖を反省しつつもこの際だからジャオの映画、とりわけ『ノマドランド』に射し込む先達の影をもう少しだけ追ってみたい。となるとまずはマジックアワーの文字通り魔法のような光の情感、暮れなずむ空に映える詩情で結ばれたテレンス・マリックのことが想起される。とりわけマリック最初期の『地獄の逃避行』は原題“Badlands”からしてジャオの映画が切り取る西部の荒野、そこに美しく浮上するロマンチシズムと静かに響きあう。あるいは移動する季節労働者を物語の核心に置いた『天国の日々』にしても、ヴァンを駆る移動的季節労働者として21世紀を生き延びる新たな種族を追うジャオの映画に遠いこだまを響かせる。ちなみにヨルゴス・ランティモス、カルロス・レイガダス、ミランダ・ジュライにココナダとクセ者アーティストをクライアントとして多く抱えるイレーネ・フェルドマンを共にマネージャーとしていることもあり、ジャオは『ノマドランド』に関する意見のメモをもらったりと謎に満ちた隠者的存在として知られる先達マリックとカジュアルに(?)コンタクトがとれているらしい。
もっとも映画狂的目配せの部分に関しては、ニューヨーク大学院映画科(教授のひとりがスパイク・リーだった)で知り合った英国出身の撮影監督(にして年下の恋人でもある)ジョシュア・ジェームズ・リチャーズの選択に依る部分が大ともいえそうだ。

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いくつかのインタビューでリチャーズは、家/定住の地に背を向けて遠ざかる男を扉のこちら側/家/定住の地からとらえたジョン・フォード『捜索者』の名高いエンディングを『ノマドランド』の終幕で引いたと明かしている。ジャオの長編第二作『ザ・ライダー』のヴァラエティ紙による上映会後のQA(2018年4月)で、自分にはあまりなじみのなかったジャンル、西部劇を参照するようにとリチャーズに勧められたとジャオが首をすくめつつ告白する様が動画サイトで確認できる。あるいは21世紀のノマド・コミュニティを精神的に束ねるボブ・ウェルズの集会(RTR)に立ち寄ったファーン/フランセス・マクド―マンドの逍遥のペースに関してはハル・アシュビー監督、ハスケル・ウェクスラー撮影『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』を参考にした、マクドーマンドの刈り込まれた短髪はカール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』へのオマージュともリチャーズは述懐している。『アンモナイトの目覚め』の監督フランシス・リーの長編デビュー作『ゴッズ・オウン・カントリー』の撮影も務めた彼はジャオのデビュー長編から『ノマドランド』までの3作すべてで撮影監督を務め、のみならずプロダクション・デザイナーとしても腕を振るっている。公私共にのパートナー、ジャオの世界へのリチャーズの貢献度はクレジットされた役割にとどまらぬものがあるとみていいだろう。無論、彼の最大の貢献は映像そのものの力に他ならない。地平線、沈む夕陽、上る朝陽、薔薇色に染まる雲、砂漠にぽっかりと立つ恐竜、青く澄んだ夜、荒海、雨、風、そしてまた荒野を切り裂き続く道。掬い取られた圧倒的に美しいアメリカの景観、それが絵葉書みたいなきれいさに堕すことなく迫ってくるのは、人の心、その感情の真実がぬかりなく景観を裏打ちしているから、息をのませる映像と厳然と拮抗してそこにあるからだ。そうしてみると撮影監督リチャーズと監督ジャオの共闘、その結晶ともいうべきふたりの映画を輝かせる無二の磁力の核心もまた人と世界の真実への旺盛な興味なのだと改めて気づく。

ジャオの軌跡に戻ってみよう。14歳。世界は嘘に満ちている、この欺瞞でいっぱいの閉ざされた場所から絶対に脱出できないのではーーと、不安を胸に囲っていたとフィルムメイカー誌とのインタビュー(2013年8月14日)でジャオは振り返っている。両親にも体制にも反抗の心を尖らせていた少女は英語もできないままに英国の寄宿学校行きのチャンスに飛びついた。さらに憧れのアメリカへ。LAでハイスクールを終えた彼女は夢見ていた世界とアメリカの現実とのギャップをかみしめ、政治を学ぼうとマサチューセッツ州にある女子大マウント・ホーリーオーク・カレッジへと進む。が、そこでの4年を過ごすうちに政治にも、それを学ぶことにも倦みはてて、バーテンダーをはじめとするいくつもの仕事に就いて、「様々な人々と出会い、それぞれの歴史を知り。映画でならそうした出会いや経験、みつけた興味をひとつにできるのでは」とニューヨーク大学院映画科入りを決めた。

在学中にものした最初期の短編をめぐる資料(IMDb Pro)をみると様々な人との出会いをベースにしたジャオの映画の作法の基本がすでにそこに見て取れる。報われない結婚生活を送る主婦が一人過ごすクリスマスの夜にPC修理にやってきた移民の労働者とそれぞれの孤独を分かち合う『The Atlas Mountains』(09)、中国近郊都市に暮らす14歳の少女が見合い結婚を強いられて自由への危険な道を選ぶ『Daughters』(10)、春節の日にセネガル人の恋人を同伴した中国人一家の息子が家族に波紋を投げかける『Benachin』(11)――。いずれも『ノマドランド』とも通じるマージナルな環境に置かれた人への眼差を感知させて面白い。とりわけ中国に帰って撮ったという『Daughters』についてジャオは、チャン・イーモウ『紅夢』を大いに模倣したと率直に明かしつつ、映画科の制作課題は俳優と仕事することだったが、舞踊学校に通う少女をみつけ、そこから映画を紡いだ、すでに少女がいる世界にフォーカスしていくこと、非俳優と組むことをして自身の映画作りの術を見出したと、ヴァルチャー誌で述懐している。「暗い部屋にこもって自分ひとりで登場人物を生み出す、創造する、そういうタイプの監督でも脚本家でもないんだと気づいたの」
NYU卒業制作として撮られた長編デビュー作『Songs My Brothers Taught Me』(15)、続く『ザ・ライダー』(17)と、ノース・ダコタのラコタ族パインリッジ先住民居留地で出会った人々と時間をかけ、その世界に入り込むことで手にした物語を、当の人々が生きるーーそんな作法を徹底させ、磨きをかけてジャオの映画はサンダンス、カンヌと世界に羽ばたいていく。とりわけ『ザ・ライダー』! 頭部の負傷でロデオを諦めざるを得なくなるカウボーイの挫折と再生という、いってしまえばありふれた物語の型をとりながら、映画はそこに息づく真正の怒り、悲しみ、慈しみ、繰り返せば人の心の真実を切り取る。主人公の青年の知的障害をもつ妹、彼の親友で事故で四肢麻痺の障害を背負ったロデオ界のヒーローと、ともすれば偽善的描写に陥りがちな”素材″と向き合い、あるがままの在り方をあるがままに掬い上げて対峙する。そんな快作の公正で清潔な眼差し(またまた比較の悪癖を持ち出せばガス・ヴァン・サント『ドント・ウォーリー』とも通じるそれ)にもう一度深く、肯かずにはいられなくなる。
現実に向けた真にフェアな眼と耳、まっすぐに見る力、聴く力。ジャオという監督を、その映画『ノマドランド』をとびきり忘れ難くするのも実はそうしたシンプルな(だから得難い)力ではないか。ジェシカ・ブルーダーのルポルタージュをもとに、映画は独自の物語を抽出する。(フランシス・マクドーマンド)/ファーンを見る人、聴く人として、原作/現実にいる人々の物語を辿りながら、彼女自身の一年の旅、奪われるままに移動生活へと乗り出したひとりが、家もなく法もなく、けれども何物にも縛られない自由と自分を見出して新たに旅立つまでを親密な息づかいと共に見つめ切る。彼女の旅が円を描き振り出しからまた新たに始まる。”セルクル・ルージュ″赤い環の中で、人はどこかでまためぐりあうーー臆面もなくそんな手前味噌な感懐を呟かせるほどに、冴えたジャオの物語りの力に見惚れながら映画の、人の、世界のその先を懐かしく想った。

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『ノマドランド』
2021年3月26日(金)より 全国公開中
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

Cinema Discussion-34 蘇った伝説のカルトロードムービー『ヒッチャー』

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2021年が明けました。昨年からエンターティメントやファッションを取り巻く環境は大きく変わってきています。セルクルルージュのサイトの更新も昨年は滞りがちでしたが、今年は我々なりのnew normalを考えながら、新たな情報や価値観を皆様に伝えていきたいと考えておりますので、本年もお付き合いくださいますよう、よろしくお願い致します。
2021年のスタートは、映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッションです。
34回目になる2021年最初のCinema Discussionは、36年ぶりにニューマスター版で公開される伝説のカルト作品『ヒッチャー』(The Hitcher)です。
1986年製作された『ヒッチャー』は、『ブレードランナー』で注目されたルドガー・ハウアーが、恐怖のヒッチハイカーを演じたサイコ・サスペンス作品です。
私自身は公開当時ノーマークな作品でしたが、伝説になる事が納得のカルトムービーでした。
ディスカッションメンバーは、川野正雄、名古屋靖、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の3名になります。

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★まずはご覧になった感想を。怖かったですか? 余りの怖さに笑っちゃいましたか?

名古屋靖(以下N):僕は1986年公開時に劇場で観てました。当時は『ブレードランナー』で気になった役者が主役級の映画という理由で観に行った覚えがあります。当時もそうでしたが「怖い」とか「笑っちゃう」映画ではなかったです。シンプルなストーリーに、これでもかなの惨忍の繰り返しはまるで70年代アメリカン・ニューシネマを彷彿とさせてくれて、ぞくぞくするかっこよさがありました。今観直してみても「ルトガー・ハウアーいいなあ。」と思います。

川野正雄(以下M):全くこの作品の事は知らなかったので、驚きました。ヒッチコックではよくある巻き込まれ型のストーリーですが、逃げ場のない状況に追い詰められる心理的な圧迫が怖かったです。最初はどうかな~と思いながら見ましたが、直ぐに引き込まれました。

川口敦子(以下A):ひとつのジャンルに押しこめるのが難しい映画という気もするのですが、ホラー、サイコスリラー、その極限を超えてコメディの域に踏み込んでいく、というか踏み込ませることで逃げても逃げてもやってくる不条理な殺人鬼からの逃げ道にするというような見方をしているように思います。無理やり笑うしかないような、つまり理由も動機もないものに対する答えのなさの怖さを、しかめつらしく語るのでなくアクション活劇として成り立たせている点が、面白かったというんでしょうか。ちなみに今回、お休みした哲生くんにどこがダメだったのと訊いたら、もともと怖いもの、痛いもの苦手なので、もう目をつぶってないとダメみたいな感じになちゃったのだそうです。血のりぐちゃぐちゃみたいなホラーというんじゃないですが乗せたら最後なサイコを相手にじわじわと追いつめられる感じは確かにすごい。

★86年の公開当初はあまり高い評価を受けたわけではなかったのに、じわじわとカルト的人気を獲得していった一作です。どこが人気の秘密と思いますか?

N:しつこく冷酷な殺人鬼とは対照的な、観ているこっちがイラつくほど純朴な被害青年がどんどんワイルドに変貌して行き、後半クレージーな相手と意識を共感できるまでに成長していくところはこの映画の魅力のひとつですね。 カルト的には、答えや理由が語られることなく全然ハッピーエンドじゃないところ。

A:すみません! 公開当初、試写では見逃しました笑
私もルトガー・ハウアーが気になっていて、だから見たいという気持ちはあったのですが、つい後回しにするうちに公開も終わってしまって結局、ビデオでチェックということになりました。カルト化したのは感想の所でもいったことと重なりますけど、一見そうはみえない実存的恐怖をテーマにしながらBムービー的チープな雰囲気(爆発とか炎とか、パトカーのつぶし方とかけっこう派手に、湯水のような大金ではないにしても予算をかけてる部分もありそうですが)を前面に押し出していくセンスが、特にマイナーメジャーがより広範に受けていった80年代にマッチしていたからかしらなんて思います。

M:『激突』的な感じかなと思って見たのですが、よりエグいですよね。一度見たら忘れないというか、記憶に長く残る映画なのかなと思います。サイコホラー的な映画ですが、荒唐無稽ではなく、かと言ってリアルではないんですが、ダークファンタジー的な要素も感じました。いわゆるB MOVIEになるのかもしれませんが、タランティーノなど、その後の映画への影響もしっかり感じました。超低予算と思って見ていましたが、思ったより空撮やアクションなど、お金もかかっていて、エンタメ要素もしっかり高いなと思いました。製作費は600万ドルで、公開時の配給は松竹富士、製作はトライスターでしたから、超インディーズ作品という事でもなく、敦子さんのいうマイナーメジャー作品だったのですね。人気の秘密は、やはりルドガー・ハウアーのキャラクターの強烈さではないでしょうか。

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★86年というと『ターミネータ―』の2年後、リンチ『ワイルド・アットハート』は90年、タランティーノが出てくるのはもう少し後の92年ごろになります。暴力描写、サイコなキャラクター、ロードムーヴィーの要素等々、アメリカ映画の流れの中で今、見直すことの面白さはどのあたりにあると思いますが?

N:日本と違ってアメリカでは70~80年代恐怖映画は、映画館でポップコーン食べながら爆笑大騒ぎで観るのが本当の楽しみ方だと聞いた事があります。『ターミネーター』なんかも正直笑っちゃう要素はたくさんありました。90年の『ワイルド・アットハート』もそうですが、タランティーノ作品で残酷&爆笑のスタイルは日本でも確立された印象です。 この『ヒッチャー』はそれらとはちょっと違う路線な気がしていて、どちらかというと『激突!』や『バニシングポイント』に近いと勝手に思っています。

A:後出しみたいな答えになりますが笑 キャメロン『ターミネータ―』、リンチの『ワイルド・アット・ハート』そしてタランティーノという流れの中でこの映画を見ることができるというのが、今、見ることの面白さのひとつといえるんじゃないでしょうか。ぐっと洗練度は上がりますがトム・フォードが06年に撮った『ノクターナル・アニマルズ』――20年前に離婚した夫から唐突に送られてきた小説「ノクターナル・アニマルズ」、妻と娘を乗せて深夜のハイウェイを走る学者トニーがならず者たちとのいざこざの末、被った悲劇とその顛末をひもときながら、現実と小説と回想の世界を往還するヒロインをじわじわと包み込む恐怖――なんて快作のことも合わせて思い出してみるといっそう楽しめるように思います。
もちろん名古屋さんが挙げられたスピルバーグ『激突!』からの流れもありますね。あの映画との比較は公開当時、ニューヨーク・タイムズ紙始め、多くの評で指摘されていてなるほどと思います。

M:見終わって、すぐイメージしたのが、タランティーノへの影響です。『デス・プルーフ』なんかは、すごく影響を受けているのではないかと感じました。それこそカーアクション、ロードムーヴィーの要素、暴力的なキャラクター、男尊女卑的な視線など、まんま受け継がれていると感じました。
それからサム・ペキンパー的なホコリっぽいロードムービーの雰囲気もありますね。ハンバーガードライブインや、ガソリンスタンドの雰囲気がすごく良かったです。

★ジョン・ライダー役ルトガー・ハウアーの魅力も甚大ですが、彼については?

A:『ブレード・ランナー』の時にも感じさせることですが、非常に暴力的な悪役を演じているのにどこか高貴で超越した、言葉にすると陳腐になってしまいますが哲学者めいた生/死への想いのようなもので役に深みを与えてしまう。本人の文学的な、浪漫派的なものへの嗜好もあるようにも思うのですが、それが映画に寓話的ともいえる陰翳を付加しているんじゃないでしょうか。
その出で立ちも勤め帰りのサラリーマンみたいな、普通のよき家庭人みたいにみえなくもない。それが凶暴な殺しをしてきたらしいとあっけらかんと正体を明かしていく、その落差。薬指に結婚指輪があって、このままお家に帰ればよき夫、よき父ともなるのかもと一瞬思わせるけれど、その指輪が実は犠牲者のひとりの指にあったのかも、で、もしかしてあの……と想像させる怖さ笑 仔羊をいたぶるようにどこまでも凡庸なアメリカ青年を玩ぶ様も存在の格上感満載で素敵です。唐突ですが少し前、井口昇監督作『悪の華』で玉城ティナが見せたキレ方の魅力とも通じる紙一重の無邪気と狂喜と凶暴さの領域というんでしょうか。ファンなのでつい話があちゃこちゃとんでしまってすみません。

N:『ブレードランナー』の後なので、同じ路線で突っ走ってる感じ。痛そうな演技はもちろん、シリアルキラーの代名詞「俺を止めろ」のセリフなどクールでありながら悲哀も感じて、いい意味でハマり役かと。

M:とても怖いですし、見事なキャラクター作りだと思います。実は『ブレードランナー』にあまり魅力を感じていないので、1度遥か昔に見ただけで、ルトガー・ハウアーも、全く知らない役者でした。

★元々、ライダー役はテレンス・スタンプにオファーされていたそうです、また脚本のエリック・レッドはシリアル・キラーのヒッチハイカーを歌ったドアーズの”Riders on the Storm”にインスパイアされたそうで、また執筆中には骸骨めいたルックスの、ストーンズのキース・リチャーズみたいな奴を思い描いていたそうですが、スタンプ版やキース版だったらどうだったでしょうね?

N:テレンス・スタンプの作品をそんなに観ていないので何とも言えませんが、80年代はそんなに目覚ましい活躍はしていなかった印象ですし、もしそうだったとしたら少々地味で重すぎ? キース・リチャーズだったらもっと爆笑できたかも?ですがルトガー・ハウアーくらい演技力がないと冷酷な中にも哀愁滲み出る魅力的なキャラクターにはならなかったとは思います。

M:見た感じはテレンス・スタンプを彷彿させますね。彼が演じたら、ちょっとハマり過ぎですかね。車とテレンス・スタンプというと、『世にも怪奇な物語』のフェリーニ編『悪魔の首飾り』のトビー・ダミットを想像してしまいますが、彼が出ていたら見ていたと思います。
雰囲気的には『欲望』のデビット・ヘミングスでも良さそうですが、年齢的にルドガー・ハウアーが良かったと思います。
テレンス・スタンプは名古屋君も指摘しているように、80年代は目立った活躍が全くありませんでした。確か89年だったと思いますが、ある英国の国立美術館のメンバーと話していた時、英国俳優の話題になり、テレンス・スタンプが好きだと言ったら、あんなに最悪な人はいないと言われました。レセプションに来て、酔っ払っていなくなり、当日の役割も果たさなかったそうです。80年代のテレンス・スタンプは、そういう時期だったのかもしれません。90年代に入り、雑誌エスカイヤのインタビューで、堕落の日々について語っていたことを思い出しました。
キース・リチャーズはちょっといかにもで、怖さは半減しそうです。
ドアーズの「Riders on the storm」はいい曲ですので、劇中でも使って欲しかったですね。ヒッチハイカーを歌った曲とは知りませんでした。

A:テレンス・スタンプ、そうだったんですか……87年にチミノの『シシリアン』に出てましたが…。スタンプ版はまた別の映画になっていくでしょうが見てみたかった気はしますね。『テオレマ』の正体不明さ、『コレクター』のサイコ演技、その先にジョン・ライダーを思い描くとぞくりと興味が募ります。でも、監督はもっとアート系の人選を望みたくもなりますね。ハウアーの欧州出身という要素がヒッチハイクというアメリカンの典型みたいな部分に突き刺さる違和感、その絶妙な塩梅で成功している点を考えるとやはりヨーロッパ、あるいは英国を出自とするスタンプだったらと思い描くのもなかなか楽しい作業です。リチャーズ版はわりにありきたりかな笑
ドアーズとの、というかジム・モリソンとのかかわりでは彼が脚本・監督、ヒッチハイカー役で主演もした“HWY:An American Pastoral”(70)という50分強の短編映画との関係もスリリングです。70年にヴィレッジ・ヴォイスとのインタビューで明かした所に拠れば映画は50年代の連続殺人犯ビリー・クックをヒントにしているそうで、そのクックといえば女優で女性監督の先駆としても知られるアイダ・ルピノが撮った『ヒッチ・ハイカー』のモデルでもある、連続殺人犯と知らずにヒッチハイクする彼を乗せたふたりの釣り好きが人質状態でメキシコの荒野を逃走につきあわされるという、このルピノの映画、UCLA映画科でコッポラと同級だったモリソンならきっと見ていたと思われ、その彼が歌った歌とエリック・レッドの絆は『ヒッチャー』とルピノの映画のそれへと繋がっていくんですね。『ヒッチャー』が『ヒッチ・ハイカー』のリメイクとする説もあるようですが、見比べると実録的タイトな語り口のルピノ版、片目が閉じないシリアル・キラーの寝姿の不気味さに詩が漂う部分がなくもないけど、ハウアー演じる悪の化身的寓話性とはむしろ違いの方が感じられるようで、それがまた面白い。

★アメリカの景観、それを背景にした悪夢、あるいは独特の残酷さを備えたおとぎ話と見ることもできそうですが、いかがでしょう?

M:ジム・モリスンとそういう因果関係があったのですね。悪夢である事は間違いないですが、このストーリーも想像以上に練られていたのでしょうね。この残酷さや、ヒッチハイカーによる突然の恐怖は、アメリカ人には誰にでも起こりえる災難であったり、恐怖なのかもとも思います。重要な要素として、警官による恐怖も並行して描かれており、冤罪の恐怖を味わえるハイブリッドな恐怖感が、ファンタジーなんだけど、リアルに怖い映画になっている要因と思います。
むしろヒッチャーより、警官の方が恐ろしいと思える場面もありました。

N:今となっては少々テキサスをバカにしすぎなところもありますが、当時のアメリカ南部を誇張した表現や人物像なども含め、特に後半はおとぎ話的なノリもあるかもしれませんね。主人公達を追う警官隊を撃退するあたりは『ブルース・ブラザース』的で笑えたし面白かったです。そんな派手な追走シーンもあってか、シリアスとエンタメの両方いいとこ取りな印象もあり、結果どっちつかずなジャンルになっているのは良くも悪くも80年代的な映画だと思います。

A:ヒッチハイクといえばビート、ケルアックなんて単純な連想だけでなくアメリカ文学やアメリカ映画のひとつの景色ともいいたいモチーフですよね。ルート66でアメリカ大陸を横断してみたいとぼんやりとした憧れのようなものもあったりするわけですが、それはともかく、青年の大人へのイニシエーションをふまえた悪夢の物語――と、あからさまにお説教臭く作ってはいませんが、そう見ることもできますよね。あるいはジム・モリソンにこだわるわけじゃないですが、ハートならぬ煙草に火をつけて始まる映画はマッチを擦って灯ったあかりの束の間を照らすおとぎ話、ママの言いつけを破った男の子の受難の物語とも見えるのかな。こじつけめきますか??笑

★ジョン・シールの撮影に関してはいかがですか?

A:今回のリマスター版公開にあわせた特別映像でシールは「砂漠を美しく撮りたい、狂気が続く場所を」といっていますが、最近では『マッドマックス怒りのデスロード』も手がけた彼、監督のマーク・ハーモンは全くノーチェックだったが、脚本のエリック・レッドが推薦したと同じ映像でプロデューサーがいってますね。オーストラリア以来のピーター・ウィアー監督とのコンビ作、『ピクニックatハンギング・ロック』や『刑事ジョン・ブック 目撃者』のやわらかな色調もいいんですが、『ヒッチャー』でのそれとはまた別の派手派手しいアクションと自然の美しく大きな切り取り方、両者の並び立て方も要チェックじゃないでしょうか。

N:単純な背景の連続、砂漠の乾いた空気感などはそのままに、たまに登場するガソリンスタンドなど建物のデザインや撮影アングルなども何気にお洒落に撮られていて、80年代の新しいアメリカン・ニューシネマな映像に感じました。

M:空撮やいきなりの展開の恐怖、そしてカーアクションはうまく撮っていますね。600万ドルという予算の中で、、カーアクションの臨場感などは、見事だと思いました。名古屋君の指摘のように、ガソリンスタンドの空気感は、うまく撮っているなあと思いました。

★女嫌いの映画、ホモ・エロティシズム的描写といった評価もありますが、その点はどうですか?

N:ダイナーの娘の扱い方で「女嫌いの映画」と言われそうですが、逆にラストシーンで二人抱き合ってキスで終わるような映画だったら、カルト化はしなかったでしょう。

M:これはこの質問で初めて意識しました。女性への残酷さは感じましたが、ホモの要素は見ていてあまり感じませんでした。最後に両者がシンパシーを感じているのかどうかも、観客の判断に委ねる感じだと思いました。
根底に流れる精神は怒りなのか、悲しみなのか、愛なのか、難しいですね。

A: この点でもルトガー・ハウアーの資質がものをいってる気がします。吐きかけられた唾をなでくりまわす様とか怪しくも妖しい彼の美貌あっての見どころかも笑

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『ヒッチャー』 ニューマスター版
2021年1月8日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次公開
配給:アンプラグド
出演:C・トーマス・ハウエル、ルトガー・ハウアー、ジェニファー・ジェイソン・リー、ジェフリー・デマン
監督:ロバート・ハーモン(「ボディ・ターゲット」)
脚本:エリック・レッド(「ブルースチール」)
撮影:ジョン・シール(「マッドマックス 怒りのデス・ロード」)
音楽:マーク・アイシャム(「ザ・コンサルタント」)
1986年/アメリカ/97分/カラー/シネスコ/5.1ch/日本語字幕:落合寿和(2019年新訳版)