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A24版『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』を見る/CINEMA DISCUSSION-50

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2023年は、我々のスケジュール的な都合で、1本しかご紹介出来ませんでした。
久々になる第50回は、トーキング・ヘッズのライブドキュメンタリーが4Kレストアで蘇った『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』です。
今回は今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄、川口哲生の対談形式でご紹介します。

★まずは4Kレストア版IMAX上映で見た『ストップ・メイキング・センス』、いかがでしたか? 大画面で見るスリルは?

川口哲生(以下T)
大画面で高解像度、サウンドシステムも含め、映画館で見る意味をすごく感じましたね。
はじめのサイコキラーのラジカセをplayにする流れから足元のパンツからジャケットにカメラが動いていくところからもう、こんな色味や素材感を感じて無かったなぁ、と思ったし。
ライトショーのパートも白黒っぽくて暗いイメージだったけど、また違って見えた。
ギターのカッティングも輪郭はっきりしていたし。
歴史的コンサートに立ち会っているという臨場感、スリルは格段に増したと思います。

1985年の暑い夜に、六本木のシネヴィヴァンでの試写で小さな画面で初めて見た時は、セントマーチンに行ってるイギリス人の女の子と一緒で、映画の前にモティでカレー食べてたらポール・ウェーラーが入ってきたり、前の席で山本耀司さんが観てたり、それはそれであの頃の東京のなんでも起こりうるような別のスリルもあったけれど。笑

川口敦子(以下A)
残念ながらIMAXでの試写は日程が合わず、試写室の試写で見たんですが、それでも久々に自宅の残念なモニターで再生したのでは味わえない大きさの魅力を音にも映像にも感じました。哲生君のコメントにもあるようにファーストカットから今まで見たのとは別の色味にふれてレストア版なんだなと、新たな出会いへのトキメキを感じましたね。大げさでなく笑 試写室でこれなんだから映画館で観たらもっと素敵な体験なんだろうとちょっと悔しいような気持ちもしました。ぜひ映画館でまた見たいと思ってます。

川野正雄(以下M)
オープニングのシーン、ラジカセ置いて、トップサイダー(かな?)の白いデッキシューズで、ああこれが『ストップ・メイキング・センス』だと、改めて感じました。
どこか劇場の記憶もありませんが、スクリーンで見て、その後ビデオでも見ていて、
馴染みのある作品ですが、随分と記憶喪失になっていました。
演奏される曲目もほとんど覚えておらず、その分、とても新鮮な気持ちで観ました。
トム・トム・クラブの出演も、全く記憶にはありませんでした。
今見ると、ニューヨークのアンダーグラウンドから出てきたアーチストのパフォーマンスという根っこの部分を強く感じました。

★トロント映画祭での上映時のトーキング・ヘッズ4人が顔をそろえたQAで、司会のスパイク・リーは映画オタクの目から見ても「史上最高のコンサート映画だ」と宣言断していますが、賛成ですか? 最高のコンサート映画にしている理由は?

M:難しいですね。コンサート映画には、そのアーチストへの共感や楽曲の好き嫌い、そこに映画的な要素が加わりますので、これを史上最高と言うのは悩みますね。
『ストップ・メイキング・センス』の素晴らしさは、トーキング・ヘッズという唯一無二のグループのアート的なパフォーマンスと、超個性的な音楽を、映画的に絶妙のバランスでブレンドしている点だと思います。
皆で見に行った1982年の日本公演とも、パフォーマンスはかなり違いますが、視覚的にとてもうまく構成されたライブで、映像的にも音楽的にも、圧巻としか言いようがありません。
史上最高と断言は出来ませんが、素晴らしく魅力的なコンサート映画である事は間違いありません。

A:コンサート全体がひとつの流れ、ストーリーと言いたくなるような流れに乗っていく、観客もその流れに身を浸していく、それだけでいいってシンプルな快感を追求している点、往時のデヴィッド・バーンのほとんど自閉症的求心性がその流れを加速させて、一切の余剰物をそぎ落していく、そんな流れの感覚が最高のコンサート映画って評価につながっているように感じます。いっぽうで〝映画オタク″スパイク・リーはミュージカルも好きで初期に『スクール・デイズ』も撮ってるけど、そこでは意外にハリウッド的ジャンル映画としてのミュージカルをやっていましたよね。で、その意味で彼の好みはこのジョナサン・デミの映画の非ジャンル的な、コンサートというその場のグルーブを掬い上げる、演出に見えない演出と対極にあるようで、でもだからこそ面白い、最高と賛辞を贈りたくなってるのかもしれない、なんて意地悪な言い方かな。

T: 元々のコンサートの構成が映画向きなんだと思う。
サイコキラーのラジカセとギターというミニマルから、ティナが加わり、黒子のようにドラムやエフェクターやキーボードやとセットされ、ステージの空間的密度も高まり、音も厚みを出していくライフ・ドゥアリング・ウォータイムまでのセットはかっこいいですね。ディビッドも走る走る。ここまでの疾走感はすごいし、すごいエネルギーを感じます。メンバーの若さも。
そしてメイキング・フリッピー・フラッピーからのライトショーのセット。これもすごく映画的。今のコンピュータ制御の照明やステージングとはまた違うアナログ的なディス・マスト・ビー・ザ・プレイスでのアステアみたいなランプ・ダンスもあるし。
もちろん楽曲的に素晴らしいワンス・イン・ア・ライフタイムはキラーですね。
そしてトム・トム・クラブのセット。日本公演の時は前座でやったけど、レイドバックしますよね。ここはクリスも頑張ってる。
そしてガールフレンド・イズ・ベターからのディビッドのビッグスーツのセット。タイトルにもなったストップ・メイキング・センスを象徴するようなアイコニックなスーツ。笑
アル・グリーンのテイク・ミー・トゥ・ザ・リバーは同年代にブライアン・フェリーもカバーしてましたよね。映画の中ではバンド感が強く出たライブぽい感じがしました。

これらって、映画のために企画したんじゃなく、コンサートとしてやってたっていうのがトーキング・ヘッズの凄さで、すごくアーティスティックだと思います。音楽性もファンカデリックとかフェラ・クティとかからの単に文化的剽窃論争を超えて、歌詞の世界観やこのステージの在り方も含めて時代を切り拓いた感を持ちます。

★『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』IMAX版ポスター

★他に最高といえるコンサート映画、ありますか?

A:ジャームッシュの『イヤー・オブ・ザ・ホース』は、インタビューや舞台裏等、コンサート映画にありがちなフォーマットを使いつつ、でもモノクロを印象づける彼ならではの視覚を差し出して、やっぱり好きだなあと思います。以前、シネマ・ディスカッションでとりあげたアレサ・フランクリンのものや、『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』もいいですよね。でも、『ストップ・メイキング・センス』の独特な時空は他にないようにも思いますね。

T: 『ラスト・ワルツ』とか?演奏パートとは別に、インタビューありますよね。アーティストへの理解、人脈や時代への理解度を深掘りする感じ。ストップ・メイキング・センスの方はコンサート自体が強烈なメッセージ。

M: 自分的にはマーティン・スコセッシのボブ・ディランの2本『ローリング・サンダーレビュー』と、『ノー・ディレクション・ホーム』は、かなり自分の中では高い位置にいます。
『ラスト・ワルツ』もスコセッシなので、スコセッシの得点高いですね。
ジョナサン・デミも含めて、ジム・ジャームッシュ、マーティン・スコセッシ、アレサ・フランクリンのドキュメンタリー撮ったシドニー・ポラックなど、音楽畑の作家ではなくて、すごいコンサート映画作るな〜と思います。

★監督ジョナサン・デミとトーキング・ヘッズという組み合わせについてはどんなふうにみていますか? 観客席を映さない、メンバーへのインタビュー場面はなし、というのがデミのポリシーだったようですが、その点については?

T: 監督のデミについてはこの映画後の作品しかあまり知らないので、実際のコンサート観て、映画として撮りたいとという話になった頃のデミには興味があります。観客が映らない、インタビュー等のインサートもない、コンサートを観に行っている観客視点に徹しているのが潔いですよね。一曲終わる毎に思わず拍手したくなるし、『バーニング・ダウン・ザ・ハウス』なんか立ち上がっちゃいそうです。

A:70年代末から80年代にかけてのニューヨーク・インディの非主流な精神というのがトーキング・ヘッズとジョナサン・デミを結ぶ要だったと改めて感じます。デミはその後、『羊たちの沈黙』のヒットでメジャーな存在になりかけますが、でも、亡くなるまでハリウッドにオフのスタンスを守り続けていたようにも思って、そこが面白さだった。そんな彼のある意味では魂のエッセンス的な一作がここにあるんじゃないでしょうか。

M:ジョナサン・デミについては、『羊たちの沈黙』くらいしか見ておらず、パーソナリティも知らないので、あまりトーキング・ヘッズとの接点のイメージが湧きません。
ドラマ畑の監督が音楽ドキュメンタリーを作るという、スコセッシやスパイク・リーと同じパターンですが、細部まで非常に細かく設計されいている感があります。
3回のコンサート映像を編集したとありますが、段々と盛り上がる構成はさすがだなと思います。

Credit_ By Jordan Cronenweth. Courtesy of A24.

★デヴィッド・バーンとスパイク・リーの『アメリカン・ユートピア』と比べてみるといかがでしょう?

A:やはりネイキッドなそぎ落としの魅力が『ストップ・メイキング・センス』、デヴィッド・バーンとジョナサン・デミの世界の美点、とりわけデビッドの言葉は悪いけれど独り舞台的なエネルギーをどうしても感じさせるのに対し、これも言葉にすると陳腐なんだけど、『アメリカン・ユートピア』は成熟の魅力、マスゲーム的な動きにしても人と共にあることを祝福している、それをリーのキャメラも踏まえて撮っていますよね。どちらがいいってことじゃなく、年月を隔てたふたつの姿として興味深いものがありますよね。

M:敦子さんのコメントに近いですが、デヴィッド・バーンの変化というか進化が、2本の作品にはそのまま現れているように感じました。それは映画的な進化というよりも、ミュージシャンとしての進化で、ジョナサン・デミも、スパイク・リーもデヴィッド・バーンの表現に忠実に映像化しているように思います。
改めて昨年ジェリー・ハリスンによりミックスされたサントラ盤を聞いてみました。
『アメリカン・ユートピア』ではハイライトだった『IZIMBARA』が、バーンのソロアルバム『キャサリン・ホイール』の収録曲『BIG BUSINESS』からの流れで、サントラ盤には収録されています。
この辺は映画でも入れて欲しかったなと思いました。
音的には非常にクリス・フランツのドラムパートがクリアに強くなっています。
このドラムのリズムが、トーキング・ヘッズには非常に重要なエッセンスなのだと感じましたし、『アメリカン・ユートピア』との音的な違いにもつながってきているのではないでしょうか。

T: 以前にやった『アメリカン・ユートピア』のシネマディスカッションの時にも言っているけど『ストップ・メイキング・センス』はドラムセットがセットされ、ラインにつながれた楽器での自由度なので、デイヴィッドは走り回り踊りまくりますが、フォーマットはコンサートですよね。 『アメリカン・ユートピア』はミュージシャンとして音楽的パートを担うとともにグループダンスとしてそれぞれの意味を担っています。その自由度の違いがコンサートとは違うショーを生んでいるし、それを理解してリーもマルチアングルで撮っている。そして観客に語りかけやりとりもする防御するものがないミュージシャンが観客とともに作るステージ、インタヴューでスタンダップコメディの観客に対する防御のなさを、ミュージカルショーとしてやってみたかったといっていますが、その感じをリーも撮ろうとしていると思います。

★コンサートそのものの演出ともいえるかもしれませんが、ステージの作り方、照明、衣装等々に関しては?

M:そうですね。自分はこの前のツアー1982年の来日公演は見ているのですが、その前の1979年、1981年のライブは未見です。1979年公演が一番良かったという人もいます。自分も一番好きなアルバムが『フェア・オブ・ミュージック』なので、その当時のライブを見たかった気持ちが強いです。今1979年頃のライブをYouTubeを見ると、シンプルですが、より彼らの音楽の個性が前面に出てきて、素晴らしいです。
また当時は『リメイン・イン・ライト』は良かったのですが、今聞くと、自分には音の情報量が多すぎて、あまり好きではありません。
この映画撮影前に出た『スピーキング・イン・タングス』の方が好きですし、その後に出る『リトル・クリーチャーズ』の方が更に好きです。
『ストップ・メイキング・センス』の音は、その中間地にあり、ダイレクトにトーキング・ヘッズのサウンドが押し寄せてきます。
このステージはロックバンドのライブというよりは、より演劇的です。
80年代は、ローリー・アンダーソンなどのアートパフォーマスが脚光を浴びましたが、そこに近いものを感じます。
ビッグスーツは、バレエや演劇的な要素の重要なアイコンではないでしょうか。
そして映像化は必然で、より高い価値が提供されていると思います。
トーキング・ヘッズとしての完成形の一つの頂点だったと、改めて感じました。

T: さっきも言ったけど、今のコンピュータ制御の完全シンクロの照明やきらびやかな衣装と比べると、プリミティブだけどそれを上回るコンセプチュアルな完成度があるよね。ディビッドがわざわざ選んだっていうコーラスの女の子のダサいコスチュームやクリスのターコイズみたいなポロシャツや全くファッショナブルではないしバンドとしての統一感は無いけど、ステージトータルのアーティスティック感が。NYぽいっちゃぽい。

A:哲生くんが送ってくれた4K版の予告、ビッグ・スーツをめぐる小さな物語のような一篇を見ると、ステージでの、それでなくても印象深いスーツがさらに微笑ましく迫ってきます。インタビュー記事にあった、ダンス&コーラスの3人組がデビッドの選んだ衣装をヨガみたいで冴えないとくさっていたっていうのもいいなあ。

Credit_ By Jordan Cronenweth. Courtesy of A24.

★今、40年を経て『ストップ・メイキング・センス』を見る、懐かしさ? 古びなさ?新たな発見?  トーキング・ヘッズ、デヴィッド・バーンを今、改めて見る、聞く、体験することは?

A:40年、自分がその歳月を通過してきたと思うとさすがに感慨深いものがあるけれど、懐かしさで見るというのとは負け惜しみでいうんじゃなく、ちょっと違う感覚ですね。
クラシックってそういうことかとも思うけどいい映画はいつだってやっぱりいいなって。

M:このレストア版の最大の価値は、今や世界で最も勢いのある映画制作A24が、デジタル修復したという点だと思います。
私も『羅生門』4K修復をオリジナルネガ無しでやり、大変苦労しましたが、制作プロセスの中でオリジナルネガが発見されたという劇的な展開含めて、『ストップ・メイキング・センス』は、甦るべくして、蘇ったと思います。
オリジナルネガの有無は、作品の修復のプロセスに非常に大きな影響を与えますので。それと実際のプレイヤーであるジェリー・ハリスンが修復に関わった事も大きいですね。そういったプロセスから、完璧な修復版が完成したのではないでしょうか。

T: これも前のシネマディスカッションで触れた
ことだけど、“Years ago,I am an angry young man(”Nothing but flowers”) “でも、だれにも居心地の悪さを強いる”I am tense & nervous , and I can’t relax (“Psycho killer”)”でも、そして“Does anybody have any questions?”と投げかけるだけで足早に去っていく(”Stop making sense”)でも無い、Reasons to be cheerfulを観客と一緒に実現しようとする大人な、というと安直ですが、マチュアなデイヴィッドの在り様の変化を感じます。
先ほども出たティザー映像が、がまさにその二つの間を埋めているように見える。

試写のプレス資料の最後に書かれているようにデイビッド自身が4Kレストア版を観て、「40年前の自分を見つめるのは、本当に奇妙な体験だった。『この男はすごく奇妙だ』と思ったね。彼が楽しんでいるかどうかはわからない。映画の後半で、笑顔で楽しんでいる場面もあったけれど、多くの場合、僕はとても、くそシリアスに見えるんだ。『力を抜け、デイブ。リラックスして。』なんてね。でもランプとのダンスは楽しい時間だった。」と笑ったとのこと。

だけど逆に、試写を見にIMAXに集まった多くの私と同年代の人たちの反応と共に感じるのは、あの80年代初頭の尖ってヒリヒリした感じも悪いもんじゃ無い。そういう想いでした。

Credit_ By Jordan Cronenweth. Courtesy of A24.

2024 年2 月2 日よりTOHO シネマズ 日比谷他全国ロードショー中。
『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』
原題:Stop Making Sense/1984 年/アメリカ/ビスタ/4K/5.1ch デジタル/89 分/字幕翻訳:桜庭理絵/<G>
配給:ギャガ
© 1984 TALKING HEADS FILMS
gaga.ne.jp/stopmakingsense

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アメリカ版オリジナルポスターは売り切れとなりましたが、ドイツ版オリジナルポスターを1点のみ販売中です。

偉大なる反逆児ポール・ニューマンの軌跡/Cinema Discussion-48

© 1961 Twentieth Century Fox Film Corporation.

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第48回は、ハリウッドの名優ポール・ニューマンの特集上映≪テアトル・クラシックス ACT.2 名優ポール・ニューマン特集 ~碧い瞳の反逆児~≫です。
ポール・ニューマン50〜60年代の主演作品4本が劇場で公開されます。
『明日に向って撃て!』 
『熱いトタン屋根の猫』  
『ハスラー』  
『暴力脱獄』 
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

© 1958 WBEI『熱いトタン屋根の猫』

★フランスのベルモンドに続いてアメリカのビッグスター、ポール・ニューマンを銀幕で見られる特集上映です! 4本それぞれの感想からいってみましょう。制作年代順にまずは1958年の『熱いトタン屋根の猫』、テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した一作でニューマンは初のオスカー主演男優賞候補となっていますが、このニューマンどう見ましたか?

川口敦子(以下A):今回の4本のうち、リアルタイムで映画館で見たのは『明日に向かって撃て』だけで、他の3本は公開時まだ子供で後追いしたものばかり、ニューマンってそういう時代から長くクールにキャリアを歩んでいたんだなあなんて少しまぬけな感慨に浸ったりもしました(笑) 
実際、青い瞳のハンサム・スター、その美しいルックスで輝いた5-60年代の代表作はテレビ洋画劇場全盛期に見て、それからビデオでもと。いっぽうで成熟の域、渋みを全開にしていく70年代以降の公開作でリアルにいい感じに歳をとってく姿を愉しみつつ、若き日の美貌を振り返りああっと惹き込まれる、といった形でポール・ニューマンってスターとは出会ってきたんですね。その意味で大きなスクリーンで美しいニューマンに見惚れるチャンス、改めて貴重な機会に胸躍ります。
 で、テレビ放映で見たニューマン作品の中でも個人的にいちばん好きだったのがこの『熱いトタン屋根の猫』なんです。原作のテネシー・ウィリアムズの戯曲はニューマンにうっとりした後で急いで読んだんですが、そこでは死んだ親友との関係がもっとホモセクシャルの色濃く描かれていて、それはそれでヘッセの「知と愛」とか三島とかが好きだったミーハー女子中学生にとってはなかなかに魅力的だった、でもだからといってその要素が無難にカモフラージュされた映画版に不満だったわけでもなく、松葉づえで不自由な体をもてあましつつ、酔っ払い、ふてくされ、美貌の絶頂期のエリザベス・テイラーにすげなく冷たく接するニューマンの硬質のセクシーさにじわじわ惹き込まれていたなあと、懐かしく思い出しました。
 今回、見直してみると十代の頃にはあまり感じなかったんですが父と息子の関係の部分、地下室での長い対話の部分のニューマンの演技がメソッド俳優の誇りみたいなものを底に秘めて頑張りすぎすれすれ手前で惹き込まれる、ついつい『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンのことを思い出し、そういえばその代役として『傷だらけの栄光』でブレイクしたんだったなあ、なんてしみじみしたりもしたんですが、後に自身の息子を不幸な形で失くすことになるニューマンなのだなあなんてことまで思い、そこは、時を経て観ることのよさというか強みのひとつでもあるんでしょうね。

川野正雄(以下M):今回の上映で、唯一初見がこの『熱いトタン屋根の猫』です。
見始めて最初は、やっぱり古いなあ〜なんて印象でした。エリザベス・テーラーの映画というのが大体保守的なハリウッド映画というイメージがあり、またテネシー・ウイリアムの舞台劇を映画化したという舞台的な台詞の詰め込みを感じて、他の3作品に比べると今ひとつかな〜と感じていました。
ところが中盤前あたりから、徐々に隠されている謎みたいなエピソードが明らかになってきて、一気に作品に引き込まれました。
非常に入念に台詞は組み込まれ、ポール・ニューマンの演技もどんどんギアが入っていく感じで、作品全体のテンションも高くなってきました。
ポール・ニューマンの私のイメージは、ハリウッドの良心というか、優等生のようなものなのですが、クールな外見とは裏腹の心の闇という部分を、アクターズスタジオ出身俳優らしくこの作品では見事に表現していると思います。
今回この作品を一番最後に見ましたが、面白かったのは、『ハスラー』『暴力脱獄』と『熱いトタン屋根の猫』がいずれも酔っ払いシーンから始まる点でした。
アル中キャラという些か似合わないキャラクターが共通項になったのは、偶然でしょうか。

『ハスラー』© 1961 Twentieth Century Fox Film Corporation.

★続いては『ハスラー』。スコセッシ監督、トム・クルーズ主演の続編『ハスラー2』(86)にもその後のエディ役で登場、ついにアカデミー賞主演男優賞に輝くことになるわけですが、ニューマン36歳、飛躍の60年代を牽引した快作『ハスラー』(61)の魅力、語ってください。

M:『ハスラー』は3回目くらいかなぁ。最初見たのは随分前で、テレビかもしれません。
『ハスラー2』がヒットした後も、何かで見る機会があって、やはり『ハスラー2』よりも断然クルーでいいなという印象でした。
こういうギャンブラー物の映画はドキドキしますし、映画としても面白いジャンルだと思うのですが、スティーブ・マックイーンの『シンシナティ・キッド』と並んで、60年代アメリカ映画では双璧ではないでしょうか。
で、特に感じるのは敗者のカタルシスですね。常に人生何事も勝てる訳ではなく、負けた時の美学みたいな部分に惹かれるわけです。
特に支えてきた恋人の末路は非情であり、この段階で人生は負けのような状況になってしまいます。
そしてどん底からの巻き返しになっていきますが、その屈しないメンタルは『暴力脱獄』にも繋がっていると思います。
ここで生み出されたポール・ニューマンのキャラクターは、この後の多くの作品にリンケージしているように思います。
そしてニューマンのシンプルなファッションも格好いいですが、正装でビリヤードに臨むミネソタ・ファッツも実に格好いいです。自分の年齢はファッツに近いわけで、見ながらミネソタ・ファッツにも思いを重ねていきました。

A: いやあやっぱりかっこいい! でも暗い。
ハリウッド映画離れしたというのかな、時代の先をいってるような酷薄さにうなりました。
うぬぼれた生意気盛りの小僧、でも才能はあるってエディのやな奴ぶりを容赦なく演じているのに憎めない、ニューマンならではの役作り、いいですよね。
もちろんそこが一番の見所ではあるんですが、周りの面々も見逃せない。とりわけ非情のマネージャー役ジョージ・C・スコットと翳りを独特の魅力にしてもいるような恋人役パイパー・ローリー、しびれます。
脇を固める俳優の深さが映画を輝かせるって今更ながらに実感せずにいられなくなりますよね。
監督ロバート・ロッセンのこともきちんと見直したいと思いました。赤狩りの犠牲者としての不幸についてもですが、最晩年の『リリス』、あとハーレムにキャメラを持ち込んでシャーリー・クラークがドキュメンタリー・タッチで撮った快作『クール・ワールド』のもとになった戯曲を手掛けていたりと気になる存在なんですが、今回、『ハスラー』をまたみてこれまで以上にこの監督の底力に惹き込まれました。

© 1967 WBEI
『暴力脱獄』

★公式ページに寄せられたコメントでピーター・バラカン氏が「困った邦題にまどわされないで」と仰ってますが、原題は「Cool Hand Luke」、67年のこの必見作でのクールでホットな”偉大な反逆児″ぶりはいかがでしょう?

A:まさに懲りないへこたれない反逆魂を体現して、心底みてよかったなと思わせてくれる、そういう快作、そういう快演ですね。
笑顔の美しさ、不敵さ、もう百万遍語られてきたとは思いますがそれだけの価値があるニューマンの間違いなく代表作といっていいしょうね。
記憶が定かでないのでおそるおそるいいますが、昔、テレビで見た時はパーキングメーターを壊す冒頭のシーンがカットされていていきなりあの囚人たちが道路で作業をしている風景で始まったような気がするんですが、勝手な記憶かな。その後もその道の労役の風景は繰り返し出てきて印象的なんですが、これって、監視人のミラー・サングラスへの映り込みと共にコーエン兄弟映画にまさに映り込んでいませんか?
それとルークがテーブルの上に運び込まれてのびてる姿を俯瞰した場面は十字架の貼り付けのキリストにつながっていくようで、その後、神よと天を仰ぐことが幾度かある、そこにも「わが神わが神なんで私を見捨てたのですか」ってキリストが父なる神にささげるいのりの遠いこだまのようなものが感じられて、このルークって打たれ強いキャラクターの根底に犠牲の子羊としてのキリスト像があるのでは――なーんて勝手な妄想をふくらませても楽しめるように思いました。
あ、ニューマンのことに戻ると囚人服のブルーがよく似合う、そこもいいなあ。
この映画も脇役の良さが光りますが、ジョージ・ケネディはいうまでもなく、ハリー・ディーン・スタントンにデニス・ホッパーまでいてうれしくなります(笑)

M:デニス・ホッパーいたのですか?気がつきませんでした。囚人の1人でしょうか?
初めて全作品を観る方は、この『暴力脱獄』を一番好きになる方、多いのではないかと思います。
以前アメリカ人と話した際に、その時代のアメリカ人は誰でも知っている映画で、日本の我々の想像以上にアメリカでは超メジャーな映画だという事を知りました。
バラカンさんのいう邦題の残念さが、日本ではマイナーな存在の作品に追いやっていると思います。
『Cool Hand Luke』の原題も素晴らしく、ラロ・シフリンの音楽も素晴らしい。私が見たのは多分ビデオか、テレビの深夜放映だと思います。その時も作品の魅力に圧倒されましたが、改めて見ても、やっぱりいいです。
先ほども言った敗者の美学、不屈の精神、反逆の哲学が見事にメッセージとして提示されている上に、囚人の作業や食事のシーンなど細かな部分まで演出が行き渡っているので、映画的な魅力が満載の作品になっています。
ポール・ニューマンの出演作品では、トップにくる作品ですね。
後忘れてはいけないのが、刑務所のボス役のジョージ・ケネディですね。角川映画『人間の証明』にも出ていて、親日な俳優というイメージもありますが、ここではルークの良き理解者となるボス役を見事に演じています。
ボクシング、卵、最後の脱獄と、重要な場面で常にルークと関わってくるキャラクターですが、作品の中での存在感も高いですし、受けの芝居が素晴らしいと思いました。

『明日に向って撃て!』© 1969 Twentieth Century Fox Film Corporation

★アメリカン・ニューシネマの代表作にして西部劇の新たな地平を開いたヒット作『明日に向かって撃て』(69)もニューマンの代表作の一本ですが?

A:この頃から反逆児イメージにお茶目な二枚目半要素も積極的に取り入れ始めていましたね。レッドフォードも口ひげでちょっと美貌に汚しをかけてますが、ニューマンもおっさん要素でヨゴシ対決してる。その肩の力の抜け加減が相棒の恋人キャサリン・ロスの心をそわそわさせる、大人の男の磁力(笑)うまく老けていくニューマンの軌跡の第一歩がこのあたりにありそうですね。
監督ジョージ・ロイ・ヒル、そしてレッドフォードと『明日に向かって撃て』のトリオがまた組んだ『スティング』もそういう意味でナイスな方向を探り当てた一作だったと思います。
 アメリカン・ニューシネマ期にはもっとはげしくヨゴシをかけた「ロイ・ビーン」もあって好きでした。
アルトマンとの『ビッグ・アメリカン』『クィンテッド』もありますが、このふたり、アメリカン・ニューシネマの中心世代からいえばちょっと年上の兄貴世代に当たるのに反抗の精神で次世代の新しい映画の波と同調してみせましたよね。

M:この作品は、公開時には間に合っていないのですが、名画座三鷹文化まで、わざわざ観に行きました。今回のラインアップの中で唯一劇場で観ている作品です。
当時は自分の中のベスト1的な存在でした。
改めて観ると、音楽の使い方、写真の使い方など、ニューシネマらしい斬新な演出が際立っていると思いました。
大好きな作品という印象はもちろん変わりませんが、自分の中ではどちらかというとロバート・レッドフォードの作品という気持ちもあります。
レッドフォードも最大の当たり役ですから、当たり前ですが、『ハスラー』『暴力脱獄』とは逆にここではポール・ニューマンが受け役ですね。
この少し前にはフランス映画で『冒険者たち』がありましたが、バディ物や男2人に女性1人の関係性という設定のロールモデルになった作品でもあるのではないかと思います。
写真やストップモーションの使い方含めて、『明日に向かって撃て』に影響を受けている映画は世界中に数えきれない程あるのではないでしょうか。
そういう意味で、映画好きの方には必見の作品です。
音楽やビジュアルの見せ方も素晴らしく、アメリカンニューシネマという時代性もあり、60年代までの映画作りと、70年代以降の映画作りのブリッジになった作品とも思います。
ゴダールの『勝手にしやがれ』が、50年代と60年代のブリッジになったのと似た存在です。

『暴力脱獄』© 1967 WBEI

★4本まとめ見てみてポール・ニューマンの魅力、今、改めてどんなふうに総括したいですか? あるいはまたニューマンはトラッド系の着こなしでも注目されたり、ドレッシング等のビジネスでも知られてますね。監督作もある。今回の上映作以外でもニューマンをどんな存在として体験してきましたか?

A:着こなし面では『動く標的』あたりのスーツ姿やコートのスマートな纏いっぷりが印象に残っています。今回、『ハスラー』でかもを求めて場末のバーに行くときに来ているジャンパー、重ね着的な着こなしが今も使えそうなんて新鮮に見直しました。
スティーブ・マックィーンと共演した『タワーリング・インフェルノ』も話題になりましたが、マックィーン同様、ニューマンもカー・レースに熱中していた、主演作『レーサー』ではスタンド・インなしでレース場面の撮影に挑み、共演した妻のジョアン・ウッドワードのご機嫌を損ねたって、昔翻訳した評伝にあったのを思い出しました。
79年にはル・マンにも挑戦して第二位で完走したそうです。マックィーンと言いベルモンドといいこの時代のスターたちは体を張って挑戦すること好きですよね。
監督ニューマンについては去年、セルクルルージュでも取り上げた『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』(72)が予想以上に面白くて、きちんと振り返ってみたいと思ったまままだ果たせてないんですが、きちんと見ようと思います。
ニューマンの存在は同時代で体験した成熟期と初めにもいったような若き日の後追い体験、若き日の方に好みとしては重きを置いてしまう所があるんですね。
それは今回の特集のコピーにもなってる”偉大なる反逆児″の部分にやっぱり惹かれてしまうからなのかもしれませんが、『ハッド』とかふっとみせるやわらかな表情もいいんですよね。
ニクソンのブラックリストにものった活動家としての顔とかもあって、一筋縄ではいかない存在ですがどこをとっても好感度が頭をもたげてくる。クールハンド・ルークじゃないけどそういういい奴としての記憶が刻まれていますね。

M:本当に好きな俳優で、映画を見に行き始めた時期に、『スティング』『我が緑の大地』『デッドヒート』『ロイビーン』など、公開作品を追いかけていました。
敦子さんの言う『動く標的』シリーズの私立探偵リュー・ハーパー(原作はアーチャー)や、『マッキントッシュの男』『引き裂かれたカーテン』のスパイサスペンスも好きでした。
ファッションはブルックス・ブラザーズのモデルみたいなトラッドスタイルが実に似合っていましたね。
活動時期が長く後年の『ノーバディーズ・フール』や『評決』も好きでした。
サンダンス映画祭でプレミア公開されたコーエン兄弟の『未来は今』は、あまりうまくいかなかった所感です。
カタルシスを常に持った俳優というのが、トータルの印象でしょうか。
政治的な活動、エコ的な活動、作品の選び方、全てにおいてです。

『熱いトタン屋根の猫』© 1958 WBEI

★今回の特集は新旧ファンそれぞれに往年の名画を体験する機会をという「テアトル・クラシックス」の第二弾となりますが、今後、こんなジャンルをとか、この人をとか、希望があればぜひ!

A:最初にもふれたようにテレビやビデオの画面でしか見る機会のなかった古典と銀幕で出会えるという機会は今後もぜひ続けていって欲しいと思います。ジャンルとしてはメロドラマ、ベティ・デイヴィスとか大きな画面で見てみたい。あるいは優等生的映画ばかりじゃなくスザンヌ・プレシェトとトロイ・ドナヒューが共演した観光ロマンス『恋愛専科』みたいなものもたまに見てみたいななんて思います。

M:今日本では忘れられている存在のポール・ニューマンにフォーカスしたのは、とても素晴らしいです。
次は当たり前な順番ですが、ロバート・レッドフォードやアル・パチーノに行って欲しいです。或いは監督ですね。アメリカの名監督だけど、日本では今あまり話題にならない監督特集。アーサー・ペンとか、ロバート・ワイズとか、久々エリア・カザンとかでしょうか。
それと一番は、ポール・ニューマン第2弾。話題にもでた『ハッド』『動く標的』『傷だらけの栄光』『我が緑の大地』そして『スティング』、改めて見たいですね。

© 1961 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ハスラー』

≪テアトル・クラシックスACT.2 名優ポール・ニューマン特集~碧い瞳の反逆児~≫ 
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