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ローラ・アルバート~『作家、本当のJ.T.リロイ』に訊く

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ガス・ヴァン・サントがカンヌで大賞に輝いた『エレファント』(03年)。その脚本に協力したということでJ.T.リロイという早熟の作家の名を知った。調べると幼児期に誘拐、虐待をかいくぐり11歳で女装の男娼に、18歳で自らの経験を綴った自伝的小説「サラ、神に背いた少年」を発表し時代の寵児となった――と、米各誌が報じるプロフィールを難なく入手できて、注目度の高さを思い知らされた。続いて“彼の”次作「サラ、いつわりの祈り」はアーシア・アルジェントの監督・主演で映画化され05年、映画の公開に合わせてプラチナブロンドの長髪と顔の半分を覆うようなサングラスがトレードマークの美少年J.T.も来日、話題を集めていた。同年秋、ニューヨーク・マガジンがそんな“彼”をめぐる疑惑を報じ、翌年にはニューヨーク・タイムズにJ.T.リロイの小説を書いたのはサンフランシスコ在住の女性ローラ・アルバート40歳との暴露記事が掲載される。数々のセレブリティを魅了した寵児は一転、“捏造された作家”という醜聞の只中に投げ込まれた――。

フィクション/小説を書いた作家が作品以上に注目を集め、世間の目から隠れるために創出した“アバター”がひとり歩きを始めた末に巻き起こったスキャンダル。その先にぽっかりと浮上したひとり、ローラ・アルバート。ドキュメンタリー映画『作家、本当のJ.T.リロイ』は渦中の人ローラが残していた留守電のテープや手書きの草稿等々、膨大な記録の山に分け入って狂気と創作(才能)の交わる所を吟味する。映画は同時にその数奇な生の軌跡を自ら遡り、語りつくして有無を言わせぬストーリーテラーぶりを披露するローラという在り方を凝視してもみせる。キャメラに向かって語るうちに陶然と虚実の境界を無化していく存在の、奇妙に透明な熱さは、パンク大好き少女の頃を凍結したような出で立ちで敢然とこちらを睨み語り続ける目の前のローラとの取材の時間にもひたひたと染み渉っていった。

撮影荒牧耕司

――ル・セルクル・ルージュという私たちのサイトの名前はジャン・ピエール・メルヴィルの『仁義』の原題にちなんでいるんです。

ローラ・アルバート(以下RA)ああ、メルヴィルといえば、彼は稼ぎがないなら旅行作家に戻ればいいと周囲にいわれた時、自分のやり方以外では書けないといったのよね。私がJ.T.として書いた時に感じたこととも通じてる。人が何といおうと別のやり方でするって私にはできなかった。

――あ、作家のメルヴィルですね。「白鯨」の。サイトの名前は映画作家の方のメルヴィルなんですが、彼も自分のやり方でノワールの形を究めた、そこが好きなんです。

RA あ、映画作家のね。そうか、そうなのね(笑)

――『作家、本当のJ.T.リロイ』をとても興味深く見ましたが、あなたについて撮りたいという監督は山といたと思う、その中でなぜジェフ・フォイヤージークのオファーを受けようと思ったのでしょう?

RA セレブリティ信仰とかセンセーショナリズムに惑わされない人が私には必要だったのね。もっと深い物語を語れる人が。躁うつ病を抱えたミューシャン、ダニエル・ジョンストンをめぐる彼のドキュメンタリー『悪魔とダニエル・ジョンストン』を見て、ジェフの興味は狂気と何かを創り出す力、アートの交差する所にあるんだと確信した。誰かが頭の中で別の在り方をするようにアートが舵をとってくれるのではという、そういう部分に関心をもっているんだと。だから彼に託そうと思ったわけ。

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――あなた自身も裡にある一種の狂気を創作上の糧にしている?

RA うん、そうね。つい最近、ドキュメンタリー映画『Crazywise』を見たんだけど、チベットからアフリカまで土着の文化を持つ様々な国を旅した写真家が撮ったものなのね。で、私たちの西洋文明の中では精神病というとまずは専門の施設に収容させるでしょ。投薬されて治療される。だけどそうでない多くの文化圏もあってそこにはシャーマンがいてある種の狂気を活かすことを許されている。私たちの文化の中では多重人格だとか狂ってるとか言われるかもしれないけれど、例えばチベットで聖なる存在はいたこ状態になって降りてくる人の声を語ったりする、別の人格にチャネリングできる、そういう力があるのよね。でも私たちがアーティストとしてそれをしようとするとアメリカの、あるいは西洋の文化は許さないのよ。シャーマンのように狂気を活かすことを許そうとしないの。

――その意味で『悪魔とダニエル・ジョンストン』でも『作家、本当のJ.Y.リロイ』にしても監督はアメリカや西洋文明に蔓延る良識、シャーマンを締め出すような窮屈さを突こうとしている部分もありそうですね。ダニエル・ジョンストンの場合には両親が原理主義的クリスチャンですよね。その規範が息子のアート/狂気を抑えつけ結果として助長したように見えます。あなたの場合はどうでしょう?

RA 私がラッキーだったのは母が彼女自身も劇作家だったから、アーティストとしてむしろノーマルでない部分を伸ばすようにしてくれたってこと。確かに彼女が家に連れてきたボーイフレンドたちが私に対してしたこと(性的な虐待)からは守ってくれなかった。でも私の中にある何かが私の身体を通して語ろうとしているって点に関しては心の底から信じてくれた。私がそういう特別な存在であるということを信じてくれていた。霊的な存在の訪れを感じていたってこと。今、そのことを回想録に書いているんだけど、この世界になすべき重大な使命をもって存在していると明確なメッセージを受け取っていたのよ。自分の中に別の声を聴く、別の人格が訪れているということをうまく説明できないって恐怖はすごく大きなものだったけど。 興味深いのはジェフの2本の映画に対するアメリカの観客の反応の違い。ダニエルはマネージャーを殺そうとした、パイプで頭を殴りつけたり、飛行機を墜落させようとした。それって犯罪じゃないの――って危険なこともしている彼に観客は何の文句もいわなかった。なのにそういうことは一切していない私に対しては刑務所へ行けと罪人扱い。これっておかしくない!?

――なぜでしょう?

RA 私が思うのには私が女で、しかもあまりにも大きな情熱を抱いているからなのよ。情熱は感情的なもの、感情は否定されるべきものなの。女があまりに感情的に表現すると恐怖の対象とされてしまう。大人しく受け止めていいたくてもいわないでいることが求められる。だけど私という人間はそうじゃない、だから怖がられる(笑)ありゃ完璧に狂ってる、ビョーキだと、そんなふうにこの映画の私や映画自体を歪曲して見る人がいるのはとても辛いことだけれど、でも理解してくれる人もいる、十分にいると思う。時がたてばさらに理解されるだろうとも思ってる。

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――女だから理不尽に受け取られるって、それはどんな時に感じますか?

RA いつでもよ。だって私は実際、子供のときからずっと男の子になりたいと思っていたわけだから。男の子に許されることが女の子には許されてない。振る舞い一つにしてもね。あるいは虐待にしたってそうでしょ、男の子が犠牲になればより悲劇的なこととして受け止められる。アメリカでは女の子が性的に虐待を受けることはいっそ想定内のこと、殆んどあってしかるべき、驚くに値しないなんてひどい受け止め方さえもまかり通ってる。そのくせ男の子がそういう目に遭うとみんなが激怒する。

――この世界に積み重なってきた女性に対する差別が男の子のアバターをあなたの中に導き出したと?

RA 1970年代、性的虐待に人はまだまだ口をつぐんでいた。当時、漸くPBSの「アフタースクール・スペシャル」といったテレビ番組が作られるようになって問題を語る糸口ができた。とはいえそこでも問題に遭遇するのは金髪碧眼の少年だった。女の子の問題はほったらかし、あるいは描いたとしても見栄えのいい子たちの問題で、可愛くない女の子が性的に虐待されていたって問題にされなかった。キュートな少年の方が悲劇的に映るから。私自身の体験をいえば、私が辛い目に遭った時、それを口に出して言おうとしたけれど、でも私なんか誰も気にしてはくれないとまず思ったのね。でも、男の子の話にしたら、金髪で青い目のキュートな男の子として語ったら救いの手が差し伸べられるだろうと、そう思えた。うまく説明できないけど、そんな気持ちが私の中にJTという男の子が出てきたことと関係してると思う。

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――映画の中でも、書くことがあなたにとってある種のセラピーだったという件りがありますが、今回、映画の中でご自分のことをああいうふうに語ったこともさらなるセラピーになったと思われますか?

RA キャメラに向かって語る部分は8日間かけて撮ったけど、まさにそう。いえ映画の全プロセスがそうだった。監督のジェフが私の怒りを解き放つように背中を押してくれたのね。あの時、だれも私になぜということを訊かないまま”捏造”問題として突然、みんなが私を糾弾し始めた。責任をとれと。映画を見た一部の人はなんで彼女が”ストーリー”を語っているんだと、主観的な語りの手法を映画がとっている部分を突いてきた。だけど私がJ.T.を作り出した張本人なんだから私に語らせない手はないと思う。信じないならそれでもいい、とにかく私が点と点を自分で繋いでいく。それが合理的なんで他人がそれをしたのでは理屈が通らないのよ。

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――映画を見ているとあなた自身が話の流れに乗って活き活きとしてくる。ストーリー=嘘っぱちって意味ではなく、でも根っからのストーリーテラーぶりが面白かった。

RA そうね、そうだと思う。父も母もお話するのが上手だった。私の祖父母は辛い人生を送って、だからストーリーテラーだった。ユダヤ人でワルシャワから難を逃れて脱出してきた人たちだったから。彼らにはアーティストになる贅沢が許されなかったのでストーリーテラーとなったのね、その血は私に与えられたギフト、贈りものであり才能なんだと思う。物語を語りアーティストとなり得ること。物語を語るために生かされているんだと思うの

――ユダヤ人の家庭、食卓でのストーリーテリングの大切さをハーベイ・カイテルに取材した時に語ってくれたのを思い出しました。物語りすることがサバイバルの術だったと。

RA ほんとほんとにそうよ。ユダヤ人は最も古い部族として身に降りかかったすべての苦難に対処するためのしぶとい伝統を必要とした、それがストーリーテリングということでユーモアとパッションを備えた物語を語り継ぐ、同時に使命の意識をもち、それをも語り継ぐ、そのための物語の技をもつのだという自覚が育まれた。この世に在るのは世界を癒すためって自覚が私たちユダヤ人にはあるの。世界を癒すということ。私自身、この世の中にあるものすごく多くの見過ごしにされている犠牲、許されるなら自分の経験を物語ることでそうしたことに少しでも働きかけ、ヒントを与えられたらと思ってる。

――”捏造”騒動から10年を経て例えばガス・ヴァン・サントとは今、どんな関係なんでしょう? 彼が「エレファント」で来日した04年にJTのことを訊くと微笑むだけであまり話してくれなかったんですが。

RA そうなんだ なんて訊いたの?

――JTはどのくらいこの作品に関わったの?――とか

RA どのくらいも何もすべてによ。映画の実現のため力を尽くしたし、私がいなかったら映画にはなってなかったと思う。私の書いた脚本をすべて使ったわけではないけれど、ガスの望むようにしていいと、全部を脚本通りにしないでいいって許諾を与えることもした。背後ではあったけど精力的にあちこちに働きかけた。肩書きだけでなく本当にプロデュースしたと思う。まあ複雑ではあるからね。ガスとJTの関係は(アバター、あるいは影武者だったサバンナ・クヌープ/ローラの元夫の妹の存在がある)。私にしたって私じゃなかったりする。ああ、会ったよといっても、会ったのはローラじゃなくてJTのマネージャー、スピーディとしての私だったりもするわけでしょ。だから説明が難しくなるんだけどね。トム・クルーズと彼の演じた役とを監督が混同するなんてないと思うけど私に関してはそう簡単にはいかないわけよ。

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――05年『サラ、いつわりの祈り』の公開に合わせてJTとしてのサバンナが来日した時も、ずっと側にいらしたんですよね。どんな気持ちでそこに?

RA とても寂しかった。孤独だった。もちろんサバンナは私の経験をしてはいなかったから、単にイメージを反射、反映するしかなかった。庭師がひょんなことから名士になっていくピーター・セラーズの『チャンス』って映画知ってるでしょ。まさにあれ。彼/彼女が何かを口にするとまわりの人々が勝手に深遠な意味を見出していくの。今はあのことをきちんと説明する必要を感じてる。あの関係は単に偽とか本物とかっていうんじゃない、虚実に関わるメタな入れ子構造、ある意味でアートワークともいえるようなものがある。そのことを日本人は他のどの国より理解する素養があるみたい。創るために自分から逃げるって心理もアバターに関してもジャッジしないで受容してくれる。白黒つけるのでなくグレーの部分、余地を残すことができるのね。

――それは多分、私というものを確立させない、みんなと一緒が大事な日本人という点とも関わっているかもしれませんね。曖昧な自分でいる方が生き易いというような。

RA アメリカはミーイズム、まず確かな私が先にくる。そこでは正常じゃないから、ビョーキだから、いくつもの人格をもつみたいにいわれる。理解できないことなのね。自分の中にまた別の自分が現われるのを一歩引いて観察するって感覚。日本人はこの感覚を自動的に理解できるみたいで、驚いてる。

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――映画でも紹介されるようにあなた自身に関する膨大な記録を残していますが、自分の足跡を残したいという欲求があったのですか? それと最後に女の子の映像が出てくるホームムービーもあなた自身を写したものですか?

RA そう、あれは母が撮ったもの。すべては意識的に残したものだった。必要だったの。記録することが。健常な部分にすがるっていうのかな。子供には性の、肉体の、魂の聖域がある。そこを侵す大人たちがいると子供たちに備わっているコンパスのようなもの、どこまでがオーケーなのかその境界を自然に指し示す指針のようなものが働いて、だれにいわれなくてもここまでは大丈夫、でもここからは大丈夫じゃないという境界を感知している。子供時代に聖域を侵される中で、自然に働く危機感を抱えながら何がリアルで何が違うのか、何が現実に起こっているのかそれを記録しておかないと周りの大人が勝手に捻じ曲げてしまうと警戒していた。同時に自分の中のおかしな部分と正常な部分、そのどちら側にも足をかけた自分をみつめるためにも記録が必要だった。ワニみたいに水面にいて水上も水中も眺めている、そんな感じ。狂ってる、でも同時に狂ってない。その両方が自分にあるとわかっていた。自分の中に現れるJTはリアルだと思った、同時にそうじゃないってこともわかっていた。ただ自分の中で起きてること、それがどのくらいリアルに感じられるか、それをそのまま人にはいえなかった。いったらクレイジーだってことになるから。だから記録した。怖かった。自分が狂っているってことが。ノーマルな部分とリアルだけど狂ってる部分、ノーマルでなければと修正しようとする部分、自分の中の中のそのまた中――

――合わせ鏡の中の像のように互いを映してどこまでも連なっていく。

RA それそれその喩え、映画でも使ったけどまさにそれよ。

――自分を客観的に見る目もあるのは狂いっぱなしより辛いでしょうね。

RA そのことをみんなは私への反論として使った。今回の映画を見て私を完璧なクレイジーだといった人もいたけれど、もしその通りだったらあの騒ぎの時にもっと寛大に扱ってもらえたと思う。でも現実には私に説明する能力もあったから、そのことが私を”容疑者”としたのね。何かを操っているかのようにいわれた。クレア・デーンズが実在する自閉症の動物学者を演じた『テンプル・グランディン自閉症とともに』って映画、知ってる? テンプルはひどい自閉症だったけど彼女はそれを説明できた。で、自閉症であることについての本を書き、だけどだからといって自閉症でなくはなれなかった。私の状態も同様といえるわ。精神的な問題を抱えていると説明できる、でも判ってるなら打ち勝てばいいっていうように簡単なものじゃない。ともかくサングラスしたJTはこの世から姿を消したけれど、生き続けてはいる。びくともしない作品として。それを流行りものとして今の旬みたいに味わってさっっさと捨てるのでなく吟味してほしい。その意味でも「サラ、神に背いた少年」も「サラ、いつわりの祈り」も日本で再版されることを祈ってる。

作家、本当のJ.T.リロイ』
新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか公開中
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Cinema Discussion 16/ Say it Loud! ジェームス・ブラウンの真実

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第16回は、中野裕之監督にもレビューを書いていただいたジェームス・ブラウンのドキュメンタリー映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』です。
第15回はスティーブ・マックイーンのドキュメンタリー『スティーブ・マックイーン その男とル・マン』を取り上げましたので、スターを題材にしたドキュメンタリー映画が2本続きます。
様々な眠っていたアーカイブが発掘されて、多くのドキュメンタリー作品が作られている世界的な傾向を、我々なりに解釈をしていきたいという主旨で、2本続けてドキュメンタリー作品をピックアップしてみました。
昨年ジェームス・ブラウンを描いた映画『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』を、Cinema Discussionで取り上げましたので、こちらと比較しながら読んで頂くと、更に興味深くなるはずです。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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★セルクルルージュでも取り上げたテイト・テイラー監督の劇映画『ジェームズ・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』と共にミック・ジャガーが製作に加わった一作ですが、劇映画と比べながら見る感じになりましたか?

川野正雄(以下M)
当然そうなりました。JBに関しては、好きな割には音源しか知らず、詳しくヒストリーを把握していなかったので、この2本を見て、ある程度彼の全容を知ることが出来ました。
劇映画版は、ボビー・バードとの友情物語が1つの基軸になっていますが、こちらはそういったドラマ性よりも、ジェームス・ブラウンという稀有の黒人アーチストの毒々しいとも言える素顔や、ほとばしるミュージシャンとしての才能にフォーカスをしています。
JBのライブを武道館で見ていますが、かなり晩年で、この映画に出てくるJBとは、別人のようでした。
何といっても圧巻は、全盛期のJBのダンスが堪能できること。
マイケル・ジャクソンもJBのダンスの影響は顕著ですが、シンガーとして、ダンサーとして、そしてバンマスとしての圧倒的な全盛期のジェームス・ブラウンが見れるだけでも、この映画の価値はありますね。

川口哲生(以下T)
劇映画を見ていたので、重なりがあり既知感がありました。逆に劇映画のJBの人生の切り取り方が巧みだったな、ということを確認した感がありました。

名古屋靖(以下N)
ミック・ジャガーは『最高の魂を持つ男』とこの『ミスター・ダイナマイト』の2つの映画に制作参加することで彼の中で完成形としたかったのでは?ドラマとドキュメンタリーという相対する手法でそのどちらかだけでは語り尽くせない、良くも悪くも人間JBの魅力を多元的に見た印象です。

川口敦子(以下A)
ドキュメンタリーの監督アレックス・ギブニーのインタビューによれば2作は並行して進んだ企画ということですが、日本での公開が先になった劇映画版を見ていたことで、劇映画が詳しく描いていた晩年の銃撃闘争劇とか、子供時代の父母との関係、娼館での暮し、そして刑務所でのボビー・バードとの出会い、彼の家庭での団らとかとかを懐かしい記憶のように響かせながら、より冷静なアプローチの記録映画、それを通じたJBの真相と向きあうみたいになりました。この順番で見ることができてよかったとも思います。逆になっていると現実のJBの印象が強烈すぎてとてもうまく描けている劇映画なのに、きれいごと過ぎる感じがきっとしてもうひとつ乗れないといった部分も出て来たのではないかなあ、と。キング牧師暗殺後のステージでの対処の部分も劇映画で見た時にも強烈に惹き込まれましたが、今回、現実の記録としてのJBのみごとな人心掌握ぶりを見てしまうと、その迫力に圧倒されますね。

★ドキュメンタリーであることの面白さをどのあたりに感じましたか?

T:なんといっても見たこと無いような生JB、特にステージ外のインタヴューやトークショー、恐怖に抗する行進の後の集会での演奏、キング牧師の死直後の講演での客捌き等々は
強烈なキャラの再確認であり、それさえも超えた「やっぱりすごいなJB!」とうならされました。(笑) 時代の中での政治性での矛盾点等解せない点も含め、彼の中では子ども時代の絶望を乗り越える彼を突き進ませるsoulの一貫した表出だったのだなということ。
劇場映画であったタミーショーでのストーンズとのトリ争いやエド・サリバン・ショーといった勝負の時、それは多分に白人のミュージックビジネスに対する対抗心がメラメラ燃え上がっているのが正にみえるような感じの神がかったJBのパフォーマンスも、ドキュメンタリーとしてその特別な意味を理解できたように思います。
最もドレスアップしたバンドだったJBの服や髪型の変遷も、劇映画のデスカッションのときのも述べたけれど、ドキュメンタリー映像で見るとさらにリアルで面白かった。バリバリのスーツスタイルから“Say it’s loud, I!m black and I’m proud”への公民権運動を背景にした髪形や服の変化とかね。
たまたまプリンスが死んで、スーパーボウルでの彼の演奏映像見直したけれど、そのときのターバン巻いたみたいな髪型は、今回のドキュメンタリーのJB映像にもあったし、JBとつながりのあったリトル・リチャードでも見たように思う。そんな繋がりも感じながら見ました。

M:やはり彼の生のライブシーンですね。
80年代後半DJをやっていた時、彼のライブの映像を見たかったのですが、海賊版ビデオ位しか見る機会がありませんでした。YOU TUBEでは断片的に見れる時代になりましたが、まとめて全盛期の彼の生の姿を見るのは初めてで、見ていて鳥肌が立つシーンもありました。
アメリカ人は見慣れているかもしれませんが、日本人には貴重な映像ばかりです。
JBやバンド全体も含めたファッション、メンバー間の間合いの取り方も絶妙です。
伝説のキング牧師暗殺後のライブのリーダーシップぶりも初めて見ましたが、感動的です。
プリンスは1昨年の3RDEYEGIRLを率いた『FUNKNROLL』のパフォーマンスでは、JBのようなダンスを披露していて、改めてリスペクトを感じていたところでした。

A:前の答えとも通じますが、どんなに巧みに描いてもやはり真実の迫力には抗しきれないものがあるということでしょうか。でもそれは劇映画のバージョンを見ていたからでもあるので、2作を共に進めた製作ミック・ジャガーのお手柄ともいえるのかな。

N:関係者の肉声インタビューもそれまでのJBの逸話を証言していて面白いですが、やはり未公開を含むLiveシーンが秀逸です。

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★ミック・ジャガーは今回はコメンテイターとして登場もしていますが、彼の発言で面白かった点は? 彼が参画していること、しかも劇映画とドキュメンタリーを共に製作ということに関していかがですか?

M:ミック・ジャガーは元々ブルースやR&B好きのブルーアイドソウルの人ですが、そこまでJBへの思いが強いとは知りませんでした。
以前タミーショーのストーンズの映像見たときには、格好いいと思いましたが、今回JBの後で見ると、見劣りしてしまうのは、何となく気の毒でした。
ミックは次はプレスリーを取り上げるようですが、彼のような立場の人がリスペクトするアーチストをトリュビュートする事は素晴らしいと思います。
見る順番が、劇映画先で、何となくよかったです。

N:子供の頃、アポロ・シアターのバルコニーからJBを見た話を無邪気に語るミックジャガーの本当に嬉しそうな顔が微笑ましかったです。

T:タミーショーでのトリのミックのダンスはJBと比べるとんでもなく見劣りしていますね(笑)。ミックもそれを認め、JBから学んでいるのだなというのを改めて感じました。ミックのJBへのリスペクトを感じます。

A:やはりタミーショーの部分、世間でいわれているのとは違うんだと訂正コメントがあった上で、それにしてもとふたりのダンスを比べさせる映画の編集ぶりのお茶目な意地悪さ、それも許容される愛とリスペクトがミックのコメントにも表情に見えますね。
ちょっと外れるかもしれませんが最近、『地獄の黙示録』を見直して、川のぼりの中で、若き日のローレンス・フィッシュバーンが「サティスファクション」のミック・ジャガーのあて振りをして見せる所、黒人側からの答礼みたいでこのJBの映画を見たばかりだったのでさらに印象に残りました。

★劇映画のタイトルにもある”ソウル”と”ファンク”が音楽的にも公民権運動との関連や魂の面でもキーワードとなっているように思いますが、ジェームズ・ブラウンにとってのこのふたつの要素をどう考えますか? その点に関する映画の描き方については?

M:「FUNKY SOUL」というタイトルの曲もありますが、66~67年頃にSOULがFUNKY SOULになり、70年にはFUNKが生まれる。そのジャンルの変化のリーダーは間違いなくJBです。
その変化の生まれていく過程が、この映画では地下からマグマが噴火する前兆のような感じで、描かれていると思います。
60年代後半は、音楽が大きく変化した時代で、ジャマイカではスカがロックステディになり、レゲエになる。ラテンミュージックではブガルーが生まれ、サルサに変化していく。
そういった時代のアーチストの生き方はとても魅力的です。
特に1970年前後に生まれたファンク、レゲエ、サルサは、今日まで進化しながらも、ジャンルとして確立されました。
そういった現代のポップミュージックの基礎を作った時代と置き換えることも出来ますが、その中でブラックミュージック、ソウル、ファンクといった世界の中でのJBの存在感は非常に大きかったと思います。
JB’Sの面々から語られるファンク誕生秘話みたいなエピソードも面白かったです。
昨年スライ・ストーンのドキュメンタリーも見ましたが、その辺の音楽が進化していく部分に関しては、あまり究明されませんでした。

A:監督のギブニーはイーグルスやフランク・シナトラ、スコセージが製作総指揮を務めた『ザ・ブルース・ムーヴィー・プロジェクト』、さらに秋に日本でも公開される『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』と幅広く音楽ものの製作にも携わっていますが、いっぽうでオスカーに輝いた『「闇」へ』ではアフガニスタンのタクシー運転手を米兵が拷問死させた事件を扱い、同賞候補になった『エンロン 巨大企業はいかに崩壊したのか?』もある。というように政治的、社会的な視点の記録映画を撮ってもいる。スターの足跡を追うといったありがちなアプローチから一歩、踏み出したJBの時代の中での位置や在り方に迫っている点が面白い。その意味でふたつのキーワードも単なる音楽の用語を超えて迫ってきますね。

T:白人支配のミュージックビジネスでrace musicの域を脱するべく不可能を可能にするsoul(生きのびること)と富と名声を確保した後にブラックネスを極めるように公民権運動を背景として中で生まれるFUNK、正に60年代から70年代という時代と呼応しているように思います。

N:『最高の魂を持つ男』でも触れましたが、彼は人種の垣根を乗り越えたり、取り壊したりするのではなく、黒人として正々堂々とその場に踏み留まり、黒人である事を誇りとしながら、肌の色に関係なく自立・成功できる社会を作る活動に終始していました。それが彼にとっての“ソウル”だと思います。 “ファンク”は彼の発明した新たなダンスミュージックのスタイルで、彼の業績を讃える際に最も便利な単語です。明確な方程式はなく、人によっては曲の間奏部分を抜き出しただけの演奏(Vamp?)と同じと言われる“ファンク”ですが、このプリミティヴな音楽に多くの人々が虜になったおかげでJBのメッセージに説得力が増したのは事実でしょう。

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★”ショウビジネスで一番の働き者”というJBのキャッチフレーズについては? ビジネスの才覚についての描き方はどうですか?

T:面白かったのは「ショービジネス」でなく「ショー」と「ビジネス」だ、とJBがいっていたという話。劇映画のシネマディスカッションでも描いたけれど、彼のそれまでのビジネスを分析し、改革していく、そしてアポロシアターの自主公演みたいな勝負のときに賭けにいくそういうセルフプロデュースはすごいと思う。反面。ブラックキャピタリズムで手がけたレストランとかでは簡単に散財するし、メンバーに対する金払いも悪い。だからビジネスの才覚というより、金がパワーだという強い信念があったのでは。白人以上に稼ぎ税金納めてるんだ、見たいな事を対談の中で何回も言っていた。
一方「ショー」ではアポロ2時間6公演とか、一年362日休みなし,みたいな正にthe hardest working manですよね。そして彼の音楽はショーやリハ含めそうしたライブ性の中から生まれてくる音楽だったと思います。

M:これも『ジェームズ・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』とは重なってきますね。
数字に細かいのは有名です。以前「ベストヒットUSA」に出演した際、小林克也氏のインタビューに対して、多分適当だとは思いますが、ものすごく細かい数値を出して、理詰めな説明をしていた事を思い出しましたが、数字で語るビジネスマン的側面もあったのではないかと思います。
実際のビジネスは、本人の思い入れが強いだけで、未熟だった気がしますが、後に残った音楽的資産はすごいですね。
そもそもKINGとSMASHと一時期は二つの所属レーベルがあり、更にポリドールに移籍など、彼にまつわるビジネストラブルは数限りないように思います。

N:彼の人生はネゴシエーションの連続でした。売れないと言われていたLive音源を自腹で録音してリリースさせたり、プロモーターを通さずに自らイベントを企画・運営し、集客は地元DJと協力してツアーを成功させました。彼の名言の一つに「俺は75%がビジネス、残りの25%がエンターテナーだ!」というものがあります。何よりJB自身がアーティストでなくビジネスマンを目指していた事がよくわかります。彼の志や発想は目を見張るものがありますが、しかし十分な教育を受ける事が出来なかったJBのビジネスの才覚は疑わしいものがあります。長年払うべく税金を滞納するなど、彼の理想は理解しますが、あまりにも世間知らずと言うか、まともなブレーンや会計士を雇うべきだったでしょう。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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★凋落部分をすっぱり切った構成についてはいかがでしょう?

M:良かったですね。特に74年以降くらいは、音楽的にも低調になりますし、よいエピソードも少ないのではないでしょうか。一番旬な時期へのフォーカスは中途半端にならずに成功していると思います。
音楽的にもポリドール移籍以前のJBが好きです。

A:ここでも劇映画版の記憶、あの始まり、あの終わり方が響いてきて、フォローしてくれる。
補完関係を意図していたのかと思いこみたくなりますね。

N:ドキュメンタリーで人生の凋落期を描く場合、物語のオチとして最後は悲しい結末を期待する嫌な性格の自分がいます。 今回も、見た目は派手ですが印象の違う80年代のSOUL TRAIN出演時の彼はあまり見たくはありませんでしたし、個人的には『Living in America』が出てこなくて良かったと思っています。遺族の全面協力もありますし、彼の業績を讃える映画に問題多き後期は描く必要はないです。

T:潔くてよかったと思います。DRUG問題とかも在るし。

★前作もそうでしたがこの映画も白人アレックス・ギブニーが撮っていますが、この人選については? 白人だけど黒いものに引かれたミックの影響を感じますか?

N:ミック・ジャガーは身も心も黒人に憧れていた人だと思うんです。ROLLING STONESデビュー前の学生時代、アメリカから個人輸入でブルーズのシングル・レコードを買い漁っていたブルーズ・オタクでしたし、後のステージ上での彼の動きは良くも悪くも白人のそれとは一線を画したものでした。特に当時のUKホワイトたちは本場のアメリカ白人より黒人音楽をリスペクトしていたので、その辺のミック・ジャガーの意向は今回の白人監督にも十分に汲み取られているように感じます。

M:この監督に関して、よくは知りませんでした。先程も言いましたが、ストーンズの基本はブルーアイドソウルですから、同じような視点という意味では良い人選かと思います。黒人としての生き方、ミュージシャンとしての姿、パフォーマーとしての魅力を、フラットにうまく構成しています。同時に音楽への深い理解を感じますね。
たまにアーチストのドキュメンタリーでは、演出家の理解や解釈について、違和感を感じることがありますが、アレックス・ギブニーに関しては全く違和感はありませんでした。

T:監督をよく知らなかったけれど、経歴を見ると硬派なドキュメンタリーが多い人ですね。音楽に関してプロではなく、先入観なくJBを描く意味ではよかったのかなと思います。音楽シーンをどう変えたかに焦点を絞ったとインタヴューで言っているけれど、背景の彼のsoulや彼の音楽の変化と呼応する公民権運動や時代を丁寧に拾っていると思います。

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★”黒人的なもの“”ブラックパワー”の世界制覇の歩みとしての現代、という部分も映画は睨んでいるように感じますが、そのあたりに関してはいかがでしょう?

M:その視点は大きいですね。政治活動の場面も幾つかあり、連動するライブの観客の多さなどに驚きました。
黒人であることに正面から向き合う姿勢は、黒人のリーダーと言えますね。この映画が今後どのように拡散されていくのかはわかりませんが、世界中の黒人の子供たちには、いつか見せたい映画だと思います。
世界制覇という思想がJBにあるかどうかは疑問ですが、少なくともその場に立つ権利は持っているという主張にも思えました。

A:この部分のJB像が記録映像を伴ってきちんと位置付けられたのが興味深かったです。

T:音楽においては黒人的なものは、もはやrace musicの域をはるかに超えていますね。
その過程で「マイケル的なもの」になり、映画でたとえるなら『黒いジャガー』みたいなものではなくなっているのかもしれません。
一方白すぎるオスカー的なこともまだまだあります。

★アーカイヴの素材が全面的に提供されたそうですが、知らなかったJBをみつけましたか? 活動家としてのJBに関してどう見ましたか?

M:これは先ほども言いましたが、沢山あります。
バンド構成をルイ・ジョーダンなど JUMPIN’JIVE系のバンドから影響を受けていたなどは、初めて知った事実です。
まだバンドメンバーに対するスーツや身だしなみのルールなどは、ルールに基づく管理を徹底した最近のバンドみたいですが、彼が原型を作ったように思えます。
活動家としては、TVのワイドショーみたいな番組の政治的な議論で、相手の説明をきちんと聞かない態度は驚きました。

N:以前、モノクロ映像では見た事があったのですが、BOOTY兄弟が参加している頃のカラーのLive映像は初めてです。とにかくJB全盛期のキレキレの動きを見られるだけで価値はあります。

T:ドキュメンタリーの楽しさの中で既に述べたかな。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
©2014 Mr. Dynamite L.L.C.

★音楽の面ではどうですか? 新しいJB像をみつけましたか? 一緒に活動していた面々のコメントがありますが、印象に残るものは? コメンテイターの選び方に関してはいかがですか?

T:このドキュメンタリーが「音楽シーンをどう変えたか」を描く上で機能していたのは、コメンテイターの人選の良さだと思います。もちろんJBホーンズや“ファンキードラマー”のクライドの話はすごく面白いのだけれど、私的にはクリスチャン・マクブライドのvampの話やjazzの影響(マイルスの“So What?”のフレーズの繰り返し)、そして”クエストラブ“トンプソンのファンキー・ドラマーたたきながらの話等がすごく新鮮だった。
後は造反したメンバーの後釜で入ったブッチーの話もよかった。 The one(一拍めの強調)の話からsex machine とかね。若いブッチィが緊張してJBの動きを見逃さないようにしている映像もね。ファンカデリックやPファンクにつながっていくブッチィの源泉を見るような感じかな。

M:やはりブーチィ・コリンズ。それからTHE ONEや、『FUNKY DRUMMER』のエピソードや、独特のかけ声の話は面白かったです。制作秘話的なエピソードは、すごく興味深いです。

N:「ファンキー・ドラマーが大嫌い。」と言う、ドラマーCLYDE STUBBLEFIELDのインタビューは面白かったですね。

★JBの不可解さ、例えばいきなりニクソンと一緒になってしまうというような豹変ぶりに関してはどう見ますか? 時代を超えて生き延びていることとそういう面が関係していると思いますか? その局面ごとに象徴的な一曲を合わせる描き方については?

N:彼なりの考えがあっての事とは思います。それが正解か不正解かは別として、彼はニクソンが黒人達の意識を変えてくれると本気で信じていたのでしょう。彼の不可解さや突飛な行動ですが、時代や周りの状況を冷静に見極めて生き延びるために、緻密な計算の上に結論を出しているとは思えません。どちらかと言うと、抑えられない感情をむき出しに行動した自然な結果だと思います。

M:ドキュメンタリー映画の構成としては非常にいいと思います。歌詞含めて、1曲1曲が強い印象です。彼の中で、黒人のリーダーになりたいという部分、そしてその中には、アッパークラスな人たちと、対等に対峙したいという願望があったのではないでしょうか。
かたくなな自己主張も、そんな意識が根底に流れていると感じました。

T:Bigでありたい、敬意をもたれたいというMR.BROWN的ありかた。

★劇映画と記録映画を見た今、JB像はどう変わりましたか? 変わりませんか? 彼の魅力は?

M:変わりませんね。更に情報がアップデートされた感じで、JBの存在感は変わりません。
理解度はすごく深まりました。彼のやりたかった事も垣間見れた気がします。

N:変わりません。近くにいたらかなり面倒そうな人ですが、一度決めたらひたすらに突っ走るパワーは魅力的です。

『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』2016年6月18日(土)角川シネマ新宿、渋谷アップリンク、吉祥寺オデヲンほか全国順次ロードショー

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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