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A24版『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』を見る/CINEMA DISCUSSION-50

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2023年は、我々のスケジュール的な都合で、1本しかご紹介出来ませんでした。
久々になる第50回は、トーキング・ヘッズのライブドキュメンタリーが4Kレストアで蘇った『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』です。
今回は今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄、川口哲生の対談形式でご紹介します。

★まずは4Kレストア版IMAX上映で見た『ストップ・メイキング・センス』、いかがでしたか? 大画面で見るスリルは?

川口哲生(以下T)
大画面で高解像度、サウンドシステムも含め、映画館で見る意味をすごく感じましたね。
はじめのサイコキラーのラジカセをplayにする流れから足元のパンツからジャケットにカメラが動いていくところからもう、こんな色味や素材感を感じて無かったなぁ、と思ったし。
ライトショーのパートも白黒っぽくて暗いイメージだったけど、また違って見えた。
ギターのカッティングも輪郭はっきりしていたし。
歴史的コンサートに立ち会っているという臨場感、スリルは格段に増したと思います。

1985年の暑い夜に、六本木のシネヴィヴァンでの試写で小さな画面で初めて見た時は、セントマーチンに行ってるイギリス人の女の子と一緒で、映画の前にモティでカレー食べてたらポール・ウェーラーが入ってきたり、前の席で山本耀司さんが観てたり、それはそれであの頃の東京のなんでも起こりうるような別のスリルもあったけれど。笑

川口敦子(以下A)
残念ながらIMAXでの試写は日程が合わず、試写室の試写で見たんですが、それでも久々に自宅の残念なモニターで再生したのでは味わえない大きさの魅力を音にも映像にも感じました。哲生君のコメントにもあるようにファーストカットから今まで見たのとは別の色味にふれてレストア版なんだなと、新たな出会いへのトキメキを感じましたね。大げさでなく笑 試写室でこれなんだから映画館で観たらもっと素敵な体験なんだろうとちょっと悔しいような気持ちもしました。ぜひ映画館でまた見たいと思ってます。

川野正雄(以下M)
オープニングのシーン、ラジカセ置いて、トップサイダー(かな?)の白いデッキシューズで、ああこれが『ストップ・メイキング・センス』だと、改めて感じました。
どこか劇場の記憶もありませんが、スクリーンで見て、その後ビデオでも見ていて、
馴染みのある作品ですが、随分と記憶喪失になっていました。
演奏される曲目もほとんど覚えておらず、その分、とても新鮮な気持ちで観ました。
トム・トム・クラブの出演も、全く記憶にはありませんでした。
今見ると、ニューヨークのアンダーグラウンドから出てきたアーチストのパフォーマンスという根っこの部分を強く感じました。

★トロント映画祭での上映時のトーキング・ヘッズ4人が顔をそろえたQAで、司会のスパイク・リーは映画オタクの目から見ても「史上最高のコンサート映画だ」と宣言断していますが、賛成ですか? 最高のコンサート映画にしている理由は?

M:難しいですね。コンサート映画には、そのアーチストへの共感や楽曲の好き嫌い、そこに映画的な要素が加わりますので、これを史上最高と言うのは悩みますね。
『ストップ・メイキング・センス』の素晴らしさは、トーキング・ヘッズという唯一無二のグループのアート的なパフォーマンスと、超個性的な音楽を、映画的に絶妙のバランスでブレンドしている点だと思います。
皆で見に行った1982年の日本公演とも、パフォーマンスはかなり違いますが、視覚的にとてもうまく構成されたライブで、映像的にも音楽的にも、圧巻としか言いようがありません。
史上最高と断言は出来ませんが、素晴らしく魅力的なコンサート映画である事は間違いありません。

A:コンサート全体がひとつの流れ、ストーリーと言いたくなるような流れに乗っていく、観客もその流れに身を浸していく、それだけでいいってシンプルな快感を追求している点、往時のデヴィッド・バーンのほとんど自閉症的求心性がその流れを加速させて、一切の余剰物をそぎ落していく、そんな流れの感覚が最高のコンサート映画って評価につながっているように感じます。いっぽうで〝映画オタク″スパイク・リーはミュージカルも好きで初期に『スクール・デイズ』も撮ってるけど、そこでは意外にハリウッド的ジャンル映画としてのミュージカルをやっていましたよね。で、その意味で彼の好みはこのジョナサン・デミの映画の非ジャンル的な、コンサートというその場のグルーブを掬い上げる、演出に見えない演出と対極にあるようで、でもだからこそ面白い、最高と賛辞を贈りたくなってるのかもしれない、なんて意地悪な言い方かな。

T: 元々のコンサートの構成が映画向きなんだと思う。
サイコキラーのラジカセとギターというミニマルから、ティナが加わり、黒子のようにドラムやエフェクターやキーボードやとセットされ、ステージの空間的密度も高まり、音も厚みを出していくライフ・ドゥアリング・ウォータイムまでのセットはかっこいいですね。ディビッドも走る走る。ここまでの疾走感はすごいし、すごいエネルギーを感じます。メンバーの若さも。
そしてメイキング・フリッピー・フラッピーからのライトショーのセット。これもすごく映画的。今のコンピュータ制御の照明やステージングとはまた違うアナログ的なディス・マスト・ビー・ザ・プレイスでのアステアみたいなランプ・ダンスもあるし。
もちろん楽曲的に素晴らしいワンス・イン・ア・ライフタイムはキラーですね。
そしてトム・トム・クラブのセット。日本公演の時は前座でやったけど、レイドバックしますよね。ここはクリスも頑張ってる。
そしてガールフレンド・イズ・ベターからのディビッドのビッグスーツのセット。タイトルにもなったストップ・メイキング・センスを象徴するようなアイコニックなスーツ。笑
アル・グリーンのテイク・ミー・トゥ・ザ・リバーは同年代にブライアン・フェリーもカバーしてましたよね。映画の中ではバンド感が強く出たライブぽい感じがしました。

これらって、映画のために企画したんじゃなく、コンサートとしてやってたっていうのがトーキング・ヘッズの凄さで、すごくアーティスティックだと思います。音楽性もファンカデリックとかフェラ・クティとかからの単に文化的剽窃論争を超えて、歌詞の世界観やこのステージの在り方も含めて時代を切り拓いた感を持ちます。

★『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』IMAX版ポスター

★他に最高といえるコンサート映画、ありますか?

A:ジャームッシュの『イヤー・オブ・ザ・ホース』は、インタビューや舞台裏等、コンサート映画にありがちなフォーマットを使いつつ、でもモノクロを印象づける彼ならではの視覚を差し出して、やっぱり好きだなあと思います。以前、シネマ・ディスカッションでとりあげたアレサ・フランクリンのものや、『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』もいいですよね。でも、『ストップ・メイキング・センス』の独特な時空は他にないようにも思いますね。

T: 『ラスト・ワルツ』とか?演奏パートとは別に、インタビューありますよね。アーティストへの理解、人脈や時代への理解度を深掘りする感じ。ストップ・メイキング・センスの方はコンサート自体が強烈なメッセージ。

M: 自分的にはマーティン・スコセッシのボブ・ディランの2本『ローリング・サンダーレビュー』と、『ノー・ディレクション・ホーム』は、かなり自分の中では高い位置にいます。
『ラスト・ワルツ』もスコセッシなので、スコセッシの得点高いですね。
ジョナサン・デミも含めて、ジム・ジャームッシュ、マーティン・スコセッシ、アレサ・フランクリンのドキュメンタリー撮ったシドニー・ポラックなど、音楽畑の作家ではなくて、すごいコンサート映画作るな〜と思います。

★監督ジョナサン・デミとトーキング・ヘッズという組み合わせについてはどんなふうにみていますか? 観客席を映さない、メンバーへのインタビュー場面はなし、というのがデミのポリシーだったようですが、その点については?

T: 監督のデミについてはこの映画後の作品しかあまり知らないので、実際のコンサート観て、映画として撮りたいとという話になった頃のデミには興味があります。観客が映らない、インタビュー等のインサートもない、コンサートを観に行っている観客視点に徹しているのが潔いですよね。一曲終わる毎に思わず拍手したくなるし、『バーニング・ダウン・ザ・ハウス』なんか立ち上がっちゃいそうです。

A:70年代末から80年代にかけてのニューヨーク・インディの非主流な精神というのがトーキング・ヘッズとジョナサン・デミを結ぶ要だったと改めて感じます。デミはその後、『羊たちの沈黙』のヒットでメジャーな存在になりかけますが、でも、亡くなるまでハリウッドにオフのスタンスを守り続けていたようにも思って、そこが面白さだった。そんな彼のある意味では魂のエッセンス的な一作がここにあるんじゃないでしょうか。

M:ジョナサン・デミについては、『羊たちの沈黙』くらいしか見ておらず、パーソナリティも知らないので、あまりトーキング・ヘッズとの接点のイメージが湧きません。
ドラマ畑の監督が音楽ドキュメンタリーを作るという、スコセッシやスパイク・リーと同じパターンですが、細部まで非常に細かく設計されいている感があります。
3回のコンサート映像を編集したとありますが、段々と盛り上がる構成はさすがだなと思います。

Credit_ By Jordan Cronenweth. Courtesy of A24.

★デヴィッド・バーンとスパイク・リーの『アメリカン・ユートピア』と比べてみるといかがでしょう?

A:やはりネイキッドなそぎ落としの魅力が『ストップ・メイキング・センス』、デヴィッド・バーンとジョナサン・デミの世界の美点、とりわけデビッドの言葉は悪いけれど独り舞台的なエネルギーをどうしても感じさせるのに対し、これも言葉にすると陳腐なんだけど、『アメリカン・ユートピア』は成熟の魅力、マスゲーム的な動きにしても人と共にあることを祝福している、それをリーのキャメラも踏まえて撮っていますよね。どちらがいいってことじゃなく、年月を隔てたふたつの姿として興味深いものがありますよね。

M:敦子さんのコメントに近いですが、デヴィッド・バーンの変化というか進化が、2本の作品にはそのまま現れているように感じました。それは映画的な進化というよりも、ミュージシャンとしての進化で、ジョナサン・デミも、スパイク・リーもデヴィッド・バーンの表現に忠実に映像化しているように思います。
改めて昨年ジェリー・ハリスンによりミックスされたサントラ盤を聞いてみました。
『アメリカン・ユートピア』ではハイライトだった『IZIMBARA』が、バーンのソロアルバム『キャサリン・ホイール』の収録曲『BIG BUSINESS』からの流れで、サントラ盤には収録されています。
この辺は映画でも入れて欲しかったなと思いました。
音的には非常にクリス・フランツのドラムパートがクリアに強くなっています。
このドラムのリズムが、トーキング・ヘッズには非常に重要なエッセンスなのだと感じましたし、『アメリカン・ユートピア』との音的な違いにもつながってきているのではないでしょうか。

T: 以前にやった『アメリカン・ユートピア』のシネマディスカッションの時にも言っているけど『ストップ・メイキング・センス』はドラムセットがセットされ、ラインにつながれた楽器での自由度なので、デイヴィッドは走り回り踊りまくりますが、フォーマットはコンサートですよね。 『アメリカン・ユートピア』はミュージシャンとして音楽的パートを担うとともにグループダンスとしてそれぞれの意味を担っています。その自由度の違いがコンサートとは違うショーを生んでいるし、それを理解してリーもマルチアングルで撮っている。そして観客に語りかけやりとりもする防御するものがないミュージシャンが観客とともに作るステージ、インタヴューでスタンダップコメディの観客に対する防御のなさを、ミュージカルショーとしてやってみたかったといっていますが、その感じをリーも撮ろうとしていると思います。

★コンサートそのものの演出ともいえるかもしれませんが、ステージの作り方、照明、衣装等々に関しては?

M:そうですね。自分はこの前のツアー1982年の来日公演は見ているのですが、その前の1979年、1981年のライブは未見です。1979年公演が一番良かったという人もいます。自分も一番好きなアルバムが『フェア・オブ・ミュージック』なので、その当時のライブを見たかった気持ちが強いです。今1979年頃のライブをYouTubeを見ると、シンプルですが、より彼らの音楽の個性が前面に出てきて、素晴らしいです。
また当時は『リメイン・イン・ライト』は良かったのですが、今聞くと、自分には音の情報量が多すぎて、あまり好きではありません。
この映画撮影前に出た『スピーキング・イン・タングス』の方が好きですし、その後に出る『リトル・クリーチャーズ』の方が更に好きです。
『ストップ・メイキング・センス』の音は、その中間地にあり、ダイレクトにトーキング・ヘッズのサウンドが押し寄せてきます。
このステージはロックバンドのライブというよりは、より演劇的です。
80年代は、ローリー・アンダーソンなどのアートパフォーマスが脚光を浴びましたが、そこに近いものを感じます。
ビッグスーツは、バレエや演劇的な要素の重要なアイコンではないでしょうか。
そして映像化は必然で、より高い価値が提供されていると思います。
トーキング・ヘッズとしての完成形の一つの頂点だったと、改めて感じました。

T: さっきも言ったけど、今のコンピュータ制御の完全シンクロの照明やきらびやかな衣装と比べると、プリミティブだけどそれを上回るコンセプチュアルな完成度があるよね。ディビッドがわざわざ選んだっていうコーラスの女の子のダサいコスチュームやクリスのターコイズみたいなポロシャツや全くファッショナブルではないしバンドとしての統一感は無いけど、ステージトータルのアーティスティック感が。NYぽいっちゃぽい。

A:哲生くんが送ってくれた4K版の予告、ビッグ・スーツをめぐる小さな物語のような一篇を見ると、ステージでの、それでなくても印象深いスーツがさらに微笑ましく迫ってきます。インタビュー記事にあった、ダンス&コーラスの3人組がデビッドの選んだ衣装をヨガみたいで冴えないとくさっていたっていうのもいいなあ。

Credit_ By Jordan Cronenweth. Courtesy of A24.

★今、40年を経て『ストップ・メイキング・センス』を見る、懐かしさ? 古びなさ?新たな発見?  トーキング・ヘッズ、デヴィッド・バーンを今、改めて見る、聞く、体験することは?

A:40年、自分がその歳月を通過してきたと思うとさすがに感慨深いものがあるけれど、懐かしさで見るというのとは負け惜しみでいうんじゃなく、ちょっと違う感覚ですね。
クラシックってそういうことかとも思うけどいい映画はいつだってやっぱりいいなって。

M:このレストア版の最大の価値は、今や世界で最も勢いのある映画制作A24が、デジタル修復したという点だと思います。
私も『羅生門』4K修復をオリジナルネガ無しでやり、大変苦労しましたが、制作プロセスの中でオリジナルネガが発見されたという劇的な展開含めて、『ストップ・メイキング・センス』は、甦るべくして、蘇ったと思います。
オリジナルネガの有無は、作品の修復のプロセスに非常に大きな影響を与えますので。それと実際のプレイヤーであるジェリー・ハリスンが修復に関わった事も大きいですね。そういったプロセスから、完璧な修復版が完成したのではないでしょうか。

T: これも前のシネマディスカッションで触れた
ことだけど、“Years ago,I am an angry young man(”Nothing but flowers”) “でも、だれにも居心地の悪さを強いる”I am tense & nervous , and I can’t relax (“Psycho killer”)”でも、そして“Does anybody have any questions?”と投げかけるだけで足早に去っていく(”Stop making sense”)でも無い、Reasons to be cheerfulを観客と一緒に実現しようとする大人な、というと安直ですが、マチュアなデイヴィッドの在り様の変化を感じます。
先ほども出たティザー映像が、がまさにその二つの間を埋めているように見える。

試写のプレス資料の最後に書かれているようにデイビッド自身が4Kレストア版を観て、「40年前の自分を見つめるのは、本当に奇妙な体験だった。『この男はすごく奇妙だ』と思ったね。彼が楽しんでいるかどうかはわからない。映画の後半で、笑顔で楽しんでいる場面もあったけれど、多くの場合、僕はとても、くそシリアスに見えるんだ。『力を抜け、デイブ。リラックスして。』なんてね。でもランプとのダンスは楽しい時間だった。」と笑ったとのこと。

だけど逆に、試写を見にIMAXに集まった多くの私と同年代の人たちの反応と共に感じるのは、あの80年代初頭の尖ってヒリヒリした感じも悪いもんじゃ無い。そういう想いでした。

Credit_ By Jordan Cronenweth. Courtesy of A24.

2024 年2 月2 日よりTOHO シネマズ 日比谷他全国ロードショー中。
『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』
原題:Stop Making Sense/1984 年/アメリカ/ビスタ/4K/5.1ch デジタル/89 分/字幕翻訳:桜庭理絵/<G>
配給:ギャガ
© 1984 TALKING HEADS FILMS
gaga.ne.jp/stopmakingsense

セルクルルージュ・ヴィンテージストアでは、貴重な1984年公開当時のオリジナルポスターを販売中です。
アメリカ版オリジナルポスターは売り切れとなりましたが、ドイツ版オリジナルポスターを1点のみ販売中です。

『モリコーネ 映画が恋した音楽家』巨匠の創作の真実を見つめる/Cinema Discussion-49

©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2023年最初になる第49回は、イタリアが生んだ映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネのドキュメンタリー『モリコーネ 映画が恋した音楽家』です。
モリコーネはすでに亡くなっていますが、貴重なインタビューの数々で、今まで知らなかったモリコーネの素顔が浮き彫りになります。
監督は『ニューシネマパラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレです。『荒野の用心棒』に始まる彼の映画音楽の数々も聞けるエンターティンメントなドキュメンタリーです。

今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras

川口敦子(以下A)
モリコーネと言えばやはりセルジオ・レオーネとのコンビ作、マカロニ・ウエスタンのイメージがまず浮かんでいたんですが、あるいはまた国際的な活躍という面も印象に刻まれていましたが、この映画を観ているとイタリア映画史を音楽でその双肩に担ったといっても過言でないような、イタリア映画における存在の偉大さに改めて気づかされましたね。パゾリーニからコルブッチ、ベロッキオと一筋縄ではいかない面々に一筋縄ではいかない音楽を提供していたんだと。国外での活躍はもちろんですが、むしろ難しそうな自国内でのキャリアの充実ぶりに圧倒されました。才能の幅広さと同時に人と組むその、なんというか間口の広さというとちょっとネガティブな印象になってしまうかもしれませんが、そうではなくてうまく監督の才能を受け容れ活かす柔らかさもまたモリコーネというアーティストの才能だったんだなと、人間的な大きさのことも思いました。

川野正雄(以下M)
モリコーネは好きな映画音楽家で、何枚もサントラ盤を持っていますし、楽曲集も持っています。
フランシス・レイ、バート・バカラック、ミッシェル・ルグラン、ニーノ・ロータといった他の映画音楽の巨人に比べると、一番男性的なテイストを感じるのがモリコーネです。
ともかく作品数が多い印象で、この作品でも日本未公開作品が多く出てきましたが、作品集を聞いても、結構知らない作品も多かったです。
思いや評価という意味では、映画でも出てきた大好きな旋律、メロディを聴いただけで胸が高鳴る作品が、なんと多いのだろうと思いました。
『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『シシリアン』『アルジェの戦い』、いくらでもタイトルが挙がりますね。
それと楽器の繊細かつ念密な使い方。これは映画を観るまでは漠然と聴いていましたが、計算し尽くされているのだなと、改めて感嘆です。

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★映画はモリコーネという人間にも迫っていきますが、その部分で印象に残ったことは?

M:自分の知識的には、楽曲以外の情報はほぼ皆無という状態でしたので、驚きの連続でしたね。特にセルジオ・レオーネが偶然小学校の同級生だったというのは、人間の因縁というか、運命を強く感じました。
最初は彼の中では、映画音楽家になるのは、決して本意ではなかった。更にマカロニ・ウエスタンの作曲家としか見られない事も本望ではなかった。そんな中から、自分の歩むべき道をしっかりと確立していく。これは素晴らしいサクセスストーリーでもあるなと思います。意外とアカデミー賞をすごく気にしていて、そういう俗人的な一面も微笑ましかったです。

A:最初の答えとも通じるんですが少し懐かしいイタリア映画の家族を大事にし、父を尊敬する息子という典型像が重なってくるようで、父の病気で家族を支えるためにトランペットを吹く仕事を心ならずもすることになり――といった若き日の挿話はなんだかデシーカとかズルリーニ、ボロニーニとかの映画になりそうじゃないですか? そこに妙に感動してしまいました。
 そんな印象は何度か登場してくる手書きの楽譜、アナログな作業ぶりとも共振していくんですね。映画音楽の一方で常に師ペトラッシの存在を仰ぎ、古典的音楽世界をもにらみ、そこに身を置く努力を怠らない。そういう真面目さ、勤勉さ、けなげさみたいなものにもついつい目がいってしまいました。何度目かの候補になったオスカーを『ラウンド・ミッドナイト』のハービー・ハンコックや『ラスト・エンペラー』の坂本龍一等にさらわれての落胆ぶり、引退まで考える、そのあたりにも生真面目な性格が窺えて興味深かったですね。そのくせ臨機応変な閃きで型破りな発想もしてみせる。いままで知らなかった人間の部分に映画が光を当ててくれたおかげで、彼の参加した映画音楽の奥行が見えてくるような、そんな印象も持ちましたね。

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★映画音楽だけでない音楽家としてのモリコーネ、その音楽については?

A:正直いって映画音楽以外の彼の活動についてはこの映画で知った部分の方が多いのですが、キャリアの初期にアレンジの才能を発揮して、チェット・ベイカーに指名されたりもしたんですね。ただ個人的にはやはり映画あっての映画音楽、そこで輝くモリコーネ、その音楽という部分がある、そこはこの映画を観るとモリコーネにとっては不本意なのかもしれませんが、なかなかこちらも譲れないなあ、なんて(笑)

M:僕もほとんど映画以外の活動は知りませんでした。本格的にクラシック畑の人だったというのも、初めて知りました。映画の中でも出てきますが、モリコーネの曲自体が100年後とかにはクラシックに必ずなっていると思います。
そういう意味では、ショパンとかモーツァルトとか、現代におけるそういう領域の巨人だったのだという認識も改めて出来ました。
一昨年になりますが、ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀が国葬級で、モリコーネが作曲した『プロフェッショナル』のテーマが演奏されていました。日本では馴染みの薄い作品ですので、フランスでの作品の存在感の違いを知ると共に、モリコーネの素晴らしい旋律が焼きつきました。
アーチストとしての格が、私の想像を遥かに超えた位置にあるのだと実感もしました。そういう意味では大河ドラマ『MUSASHI』のテーマ曲をやった事は、NHKとしては、大チャレンジだったのだなと思います。
作品自体の出来も今ひとつで、黒澤作品盗用問題で、大河ドラマの歴史の中で闇に埋もれた作品になってしまったのが、残念です。この作品に参加した考えについて、モリコーネの感想も聞いてみたかったです。

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★スリリングなコメンテイターのスリリングな証言が目白押しですが特に誰のどんなコメントにぐっときましたか?

A:コメントそのものもなんですがモリコーネのこと、彼と組んだ自作について語る時のベルトルッチやタヴィアーニ兄弟の心の底からの笑顔、素敵でしたね。その顔をみると、その映画とその音楽の美しい伴走ぶりをもう一度、確かめたいと、実際、ここに登場してくる映画それぞれを、断片としてじゃなく全編を見直したいと何度もそわそわした、そこがこの映画の一番の魅力ともいえるんじゃないでしょうか。

M:個人的にはクラッシュのポール・シムノンです。クラッシュ日本公演は、『夕陽のガンマン』のテーマ曲をオープニングに使っていました。その選曲はドラムのトッパー・ヒードンだったと読んだ記憶がありますが、ポール・シムノンもモリコーネ好きだとは知りませんでした。同じくロック系ですが、ブルース・スプリングスティーンの登場も驚きました。ただスプリングスティーンの多くの楽曲は、情景が目に浮かびますので、そういう面で大きな影響があったのかなと推察します。タランティーノはわかりますが、ウォン・カーウァイも驚きました。
映画音楽界隈だけではなく、ロックや現代音楽にも影響が大きかったのだなと改めて思います。

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★えっと驚く裏話もたくさん登場しますよね?

A:不勉強で恥ずかしいですがレオーネとモリコーネが小学校の同級生だったって、なんだかうれしくなるような挿話でしたね。もちろんキューブリックの誘いを勝手にレオーネがことわったというのも面白い。でもそれ以上に印象的だったのはレオーネがホークスの『リオ・ブラボー』で使われた「皆殺しの歌」を意識していたってエピソード。あと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のジェニファー・コネリーのテーマのインスピレーションになったのがゼッフィレッリのというよりブルック・シールズの『エンドレス・ラブ』だったというのには思わずにやり、往年の美少女アイドルつながりだったんですね(笑)

M:セルジュ・レオーネの同級生は驚きました。レオーネは全く英語が出来ず、それで実は活動も狭まった感があると聞いた事がありますが、モリコーネは英語が多少出来た事で世界レベルに広がったのかなとも感じました。
『死刑台のメロディ』はとても好きなサントラでしたが、モリコーネだとは知りませんでした。そういう無知な部分も含めて、この作品もモリコーネなのかと思われる作品が、観客の皆さんにはそれぞれたくさんあったのではないでしょうか。
キューブリックの話も驚きですね。以前キューブリックをこの座談会で取り上げた時にも、彼の完璧主義について触れましたが、実現していたら完璧主義同士の素晴らしいコラボレーションになったと思います。
後当初は西部劇ばかりやっている事に抵抗感あったみたいですね。芸術家志向みたいな面も思ったより強くて、アニメは絶対に仕事では受けないような空気も垣間見えましたね。その辺は今の時代とはやはり感覚が違う世界で生きていたのだなと思いました。

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★改めてモリコーネの映画音楽の魅力、どのように? モリコーネ以外で好きな映画音楽家についてもできればちょっとコメントしてみてください。

A:あまりに当り前なんですが映画があって音楽があるという、繰り返しになりますがその伴走ぶり、それは監督との伴走ということにもなるんでしょうが、そこの関係を美しく貫いている点じゃないかしら。という意味ではちょっと例外というべきなのかもしれないですが久々に『死刑台のメロディ』のジョーン・バエズが歌った「勝利への讃歌」を聴けて懐かしかった。あのメロディは映画のサッコとヴァンゼッティだけじゃなくこちらへの応援歌みたいに映画を離れても当時、耳に残りふっと口を突いて出てくるメロディでしたね。好きな映画音楽家というのはたくさんいすぎですが、映画とのかかわり方、その進行を文字通り歩調を合わせるように支える『暗殺の森』のジョルジュ・ドルリューはすごいと映画を観る度に引き込まれます。トリュフォーとのコンビ作はいうまでもないですが、ゴダールの『軽蔑』もよかったなあ。モリコーネと彼とミシェル・ルグランの合同コンサートというのは聴いてみたかったです。

M:自分の好きな作品ですが、『シシリアン』のテーマに、こんなに深い意図があったのだと、初めて知りました。何気なく聞き流していましたが、『シシリアン』は、全く違う二つの旋律が見事にコンビネーションされて、一つの楽曲として成功しています。そういった細部までの旋律の検証に、楽器に対する拘りやアイデアもすごいですよね。
作曲家の一面とアレンジャーの一面が合わさって、エンリオ・モリコーネという巨人は形成されているのだと思いますし、魅力なのだと思います。ポップミュージックに対する造詣も深く、ロック的なアプローチやラテンミュージック的なアプローチの作品もあります。
この奥深さはとんでもないですね。
他のアーチストは、月並みですよ。ニーノ・ロータ、バート・バカラック、フランシス・レイなどは配信で今もよく聴きます。割と女性的な旋律を多用する作家がいる中で、モリコーネは力強く男性的なエッセセンスが濃く、そこがまた魅力なのだと思いますね。

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★モリコーネ自らの指名でこのドキュメンタリーを撮ったジュゼッペ・トルナトーレの作品としてはどんなふうに評価しますか?

A:必ずしもトルナトーレの熱心な観客とはいえないんですが、やはり『ニュー・シネマ・パラダイス』と通じるような人と人との関係を追う映画になっているように感じました。「私は映画のドキュメンタリーなのに、映像は使用できず写真ばかりに頼らざるを得ないような作品は好きではない。それは、私にとってはとても本質的なことだ。なぜなら、私は最初から実際の映画のシーンを使わずに、『ミッション』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、それに多くのマカロニ・ウエスタンの音楽の誕生を物語ることなどできないと考えていたからだ」とプレスに発言が引用されていますが、その思いを貫いてモリコーネが関わった映画のシーンをふんだんに映像としても見せてくれるのがいいですね。

M:トルナトーレも、数本の作品だけで、人柄の知識はないのですが、イタリアの監督の中では非常に落ち着いた演出をする監督というイメージがあります。『ニューシネマパラダイス』はもちろんいいですが、ドキュメンタリー『マルチェロ・マストロヤンニ甘い追憶』に仕事で関わったので、ドキュメンタリーも落ち着いた語り口で演出する人という印象があります。この作品もいわば割と自然にモリコーネを語っていて、それがいつの間にか真の姿を浮き彫りにしていますね。『記憶の扉』のような難解な作品もありますが、これはオーソドックスなトルナトーレらしい作品だと思います。

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『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ
ほか全国順次ロードショー中

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監督:ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』
原題:Ennio/157分/イタリア/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:松浦美奈 字幕監修:前島秀国
出演:エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノほか
公式HP