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モロッコ紀行-3/サンローランミュージアム@マラケシュ

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サンローランミュージアムエントランス

時間が空いてしまいましたが、モロッコ紀行第3回は、モロッコ最大の観光都市マラケシュに昨年10月にオープンしたイヴ・サンローランミュージアムを紹介致します。
サンローランが亡くなったのは2008年。そこから10年近い歳月を経て、彼の公私共にパートナーであったピエール・ベルジェが、昨年10月パリとマラケシュに、膨大なアーカイブを展示するミュージアムを建立したのだ。
イヴ・サンローランはアルジェリア生まれ。アフリカ生まれという事でモロッコには親和感があったのか、60年代にはタンジェにも家があったというが、1966年にはマラケシュに別荘を購入している。その前年1965年にはサンローランの代表的な作品であるモンドリアンのドレスを発表しており、サンローランがデザイナーとして大きく飛躍していく時代と、マラケシュなどモロッコでの生活は、大きくリンクしているのだ。

サンローラン

イヴ・サンローラン財団の代表でもあったピエール・ベルジェは、残念ながらオープンの1ヶ月までに他界している。
庭園内にはサンローランとベルジェの、日本で言う供養塔のようなメモリアルなモニュメントがある。
余談だが30年近く前、サンローランが来日してアーカイブ展とコレクションを開催するイベントがあり、私はピエール・ベルジェとミーティングをした事がある。その時のベルジェは、サンローランの本質を理解していない日本人にいらつき、怒りを何度も顕にしていた。当時の私が初めて浴びたパリのメゾンの洗礼であったが、今回改めてこのミュージアムを訪れ、サンローランの持つ感性やコンセプトに直接触れ、当時の自分の無知さとベルジェの怒りを理解することが出来、ベルジェのメモリアルモニュメントの前で、お詫びをしてきた。

サンローランとピエール・ベルジェのメモリアル

マラケシュにはサンローランの別荘として有名なマジョレル庭園が、観光地としても有名である。このミュージアムは、マジョレル庭園と隣接しており、サンローラン通りというストリート沿いにある。大変混みあうという情報で、開館時間に訪れ、共通チケットを買い、まずはミュージアムに入館した。ミュージアムの外観は、マラケシュを象徴する色である赤を基調にしているように感じた。サンローラン通りに入ると忽然と現れるミュージアムは、モロッコらしいオーガニックな感覚の素材とミステリアスな雰囲気、そしてグラマラスな存在感を魅せており、いやがおうにも期待感は高まる。

ミュージアムサイン
サンローランストリート

私が訪れた時期は、まだ開館から2ヶ月足らず。真新しい空気を感じるミュージアム内展示スペースは、当然のことながら写真撮影は許されない。モンドリアンのドレスから始まるコレクションの美しさと、存在感に圧倒されるばかりだ。
幾つかのコレクションは、30年近く前日本で開催されたアーカイブのコレクション時にも見ている筈だが、受ける感動は全く違う。サンローランの伝記映画にも出てきたスモーキングジャケットやサファリジャケット、トレンチコートなどメンズアイテムをアレンジしたルックは、表現のしようがない格好良さだ。
展示はカラーであったり、世界の民族であったり、コンセプトごとに構成されている。ここで思い出したのは、実はサンローランが旅嫌いだというエピソードである。モロッコをテーマにしたコレクションは、フィジカルな感覚も含めてデザインされているが、大抵の国は、本人が訪れる事無く、ピエール・ベルジェが持ってきた写真や資料を元に、サンローランがイメージを膨らませてデザインをしたという。
黒を貴重にしたモノトーンのシックな装いから、アフリカ的なカラフルな色使いのファブリックを使ったアーシーなコレクション、ロシアや中国をイメージしたエスニックなドレスが並ぶ展示には、圧倒されてしまう。
特にモロッコに居を構えてからのサンローランのコレクションは、色使いが大きく変わったと言われているが、その原泉となるマテリアルも展示されており、マラケシュのミュージアムならではの空間が構成されているのだ。

バレエのデッサン
映画用デッサン

異次元空間であった一連のコレクションコーナーを抜けると、大量のサンローランのデッサンが展示されている。ここは撮影も許可されているが、バレエ、ステージ、映画などの衣装のサンローランによるデッサンを堪能することが出来る。
もちろんデッサンと対比して、完成品の写真も展示されてる。
サンローランが手がけた映画衣装というと。私の中ではフランソワ・トリュフォー監督、カトリーヌ・ドヌーヴ&ジャン・ポール・ベルモンド主演の『暗くなるまでこの恋を』が代表的なイメージなのだが、しっかりそのデッサンもあった。

ドヌーヴ『暗くなるまでこの恋を』

更に進むと、カトリーヌ・ドヌーヴの美しい写真が並んでいるコーナーに出会う。
多くの写真は、ここマラケシュにドヌーヴが来て撮影されたらしいが、写真を見て頂ければわかるように、ドヌーヴの美しさは、サンローランが考える美の象徴のような輝きを持っている。

カトリーヌ・ドヌーヴ
更にドヌーヴ
ドヌーヴ、ドヌーヴ

展示室を出ると、イベントホールに立ち寄ることができる。この日はサンローランのバイオをショートフィルムにまとめた映像が上映されていた。これを見るだけでも、サンローランの特殊な偉大さが短時間で理解できる。
中国コレクションの映像のBGMが、『戦場のメリークリスマス』のテーマであった事だけが残念であった。

ミュージアムのカタログ、リーフレット、ブックストアでもらったモンドリアンスケッチのしおり

[caption id="attachment_4732" align="aligncenter" width="474"] book storeで買ったポストカード集

更に館内には、ブックストアやカフェレストランが現われる。
ブックストアでは、サンローランにまつわる様々な本や、ポストカードなどが販売されており、見ているだけでも楽しい。
とりあえずミュージアムのカタログと、土産にポストカード集を買い求めた。
今回食事は、マジョレル庭園の方のガーデンカフェでとったので、館内のレストランはメニューを眺める程度だったが、都会的にアレンジされたモロッコ料理のメニューが揃っているので、ここでランチをするのはお勧めである。

サンローラン1975年年賀状

マジョレル庭園に移ると、サンローランが可愛がっていたミュージックと代々名付けられたフレンチブルをモチーフにした年賀状などが展示してある。
この庭園については、数多く語られているので説明は省くが、ガーデンカフェのランチは、庭園の周囲の環境と合わせて、リラックスできる素晴らしい時間となった。

マジョレー庭園の猫
庭園はブルーが基調

とてもこのページだけで、サンローランミュージアムの全貌を語ることは出来ません。
ほんの少しだけ障りだけとなりますが、少しでもサンローランのアーカイブを、マラケシュという超異国で観る感動が伝わっていれば、幸いです。

サンローランの年賀状

モロッコ紀行−2/シェルタリング・スカイを生んだ街〜タンジェ編#2

CAFE DE PARIS

モロッコ紀行の第2回。初回はローリング・ストーンズに絡めて、港町タンジェを紹介したが、今回はもう少し幅を拡げて、タンジェを紹介致します。

フェズ駅

今回私はフェズからタンジェまで、モロッコの国営鉄道ONCFを使って移動した。所要時間6時間あまりと、かなりの長旅である。列車は1等を買えば、8名がけのコンパートメントで、快適であり、全く問題ない。
但し帰りの汽車では、指定席を買ったのに、自分の席は座られており、他のコンパートメントに同じ状況になっていたモロッコ人に誘導され、移動をする羽目になった。

モロッコの鉄道ONCF

モロッコの鉄道の時間は、よく止まるから読めないと言われていた。また運行も気まぐれなイメージがあった。今回も乗り換えがあると思っていたら、タンジェまでダイレクトであった。長旅だったが、車内で買ったサンドイッチは約120円と安価で、味も悪くない。
しかしある駅で、列車は止まってしまい、乗客はどんどん外に出て、線路に出たりしている。サンドイッチのゴミを捨てたく、売り子に聞いたら、線路に捨てろという。線路をみると、ゴミだらけで、やむ終えず、指示通りに捨てた。

皆線路に出たりする

ようやくタンジェ駅に着くと、工事中なのか、線路を歩いて外に出る。改札はもちろんない。一旦出ると、タクシーの客引きの大群が押寄せてくる。
そこを抜け出し、通りでタクシーを拾おうとしたが、全く拾えない。ガイドブックには大型のグランタクシーは相乗り、小型のプチタクシーは単独乗車と書いてあったが、どうやらそれはタンジェでは当てはまらない模様であった。
日本では見なくなったFIAT TIPOや、プジョー205、輸入されていないダチアなどのプチタクシーも、相乗りをしている。さらに最初に乗る人間は助手席に乗らなくていけないようだ。
30分くらい苦戦した後、ようやくダチア・ロガンというルノーグループのプチタクシーに乗り、宿のエル・ミンザ・ホテルに向かった。
運転手からはスペイン人かと聞かれたので、日本人だと答えたら、日本人を乗せるのは初めてだと驚いていた。
翌日乗ったタクシーでは、日本人は北朝鮮の脅威をどのように感じているのかと、いきなり政治的な質問をされた。北朝鮮問題は、遠く離れたモロッコでも話題になる程の深刻な国際問題なのである事を、改めて認識した。

タンジェ駅の待合カフェ

前回タンジェは欧米の公使館が集まるコスモポリタンな港町と紹介したが、エル・ミンザ・ホテルの近くにはフランス公使館がある。その向かいにあるカフェが、CAFE DE PARISだ。ここはエル・ミンザ・ホテルと同じく、戦時中はスパイの諜報活動の舞台となっていたタンジェの臍のような存在のカフェである。最近はタンジェをカルト的な存在にしたポール・ボウルズの小説『シェルリング・スカイ』を、ベルトナル・ベルトリッチが映画化した作品や、マット・デイモンの『ボーン・アルティメイタム』にも登場する。店内は非常に落ち着いた雰囲気で、ゆっくりと話をするのに適している。驚くべきは価格で、カフェオレ1杯が未だ120円程度である。
余談だがモロッコの街中でカフェはよくあるが、現地の人は男性しか殆ど見かけない。イスラムでは女性は家庭に入り、カフェでミントティーを楽しむような事は、生活習慣的にないようである。

CAFE DE PARIS 店内。

タンジェの中には、2件くらい映画館がある。ここCINEMATEQUE DES TANGERは、市内中心部グラン・ソッコにある名画座。カフェと小さな物販コーナーが併設されているが、アニエスbがデザインしたこの劇場のTシャツも販売されていた。ロビーには『ぼくの伯父さん』のポスターがディスプレイされるなど、フランス映画の香りが漂う。劇場スタッフからは、「今夜はエリア・カザンの『革命児サパタ』を上映するから見に来れば」と誘われたが、残念ながら映画を見る時間はなかった。ちらっと見せてもらった劇場内の雰囲気は、クラシックな海外の映画館そのもの。ユタで開催されるサンダンス映画祭のメイン会場の一つにエジプシャンなる劇場があるのだが、何となく似たような雰囲気がある。映画館発行の今月のプログラムをもらったが、何とジャン・ピエール・メルヴィル特集が組まれてるではないか。このサイト名の由来でもある『LE CERCLE ROUGE』(邦題『仁義』)も、上映される。やはりフランス文化が根付いているのだ。

CINEMATHEQUE DE TANGER
CINEMATHEQUEロビー
CINEMATHEQUEのスケジュール紙

タンジェを撮影に使った映画は多い。最近ではクリストファー・ノーランの『インセプション』や、『007スペクター』などが、メジャーな作品である。街のどこを切り取っても、いい絵になる、タンジェはそんな場所なのだ(モロッコ全般にも言えるが)。
グラン・ソッコから海寄りに歩いていくと現れるレストランDar Lidamは、『007 スペクター』の撮影で使われた洒落たレストランである。最上階のベランダからは海を一望しながら、食事を楽しむことが出来る。伝統的なモロッコ料理の店だが、都会的な雰囲気を持った店である。
モロッコはどの土地に言っても、良いモロッコ料理の店はある。マラケシュにいけば、モロッコ料理をフュージョンしたヨーロッパ的な雰囲気のレストランもある。短期間の滞在ではあるが、タンジェにあるレストランは、トラディショナルな料理を洗練された雰囲気で提供する魅力を持っていると感じた。

レストランDar Lidam。「007 スペクター」に登場
ハリラスープ

タンジェ/モロッコ出身の偉人というか、歴史的な人物として有名なのは、イブン・バトゥータである。イブン・バトゥータは、14世紀に、世界を周遊した偉大な旅行家で、アフリカ~ヨーロッパー~中東~アジア(中国まで)をその時代に回り、三大陸周遊記は、日本でも出版されている。タンジェ出身の彼の名前は、タンジェ空港の名前にも使われ、イブン・バトゥータ国際空港と名付けられている。そのバトゥータの墓と廟所が、タンジェの細い路地の一角に存在する。
今の時代でも彼と同じ軌跡を旅するのは相当に大変だと考えられる。日本では南北朝時代で、足利尊氏や後醍醐天皇が活躍した時代に、イブン・バトゥータは、モロッコから中国の広州や抗州まで旅をしていたのだ。
墓と言われるプレートの近くの狭い部屋に、廟所もあった。通常では発見も出来ない場所だが、特別に中に入れてもらった。狭い廟所はモザイクタイルで覆われ、全盲の墓守のような男性が管理をしていた。
残念ながらバトゥータについての知識が浅い為、深い理解をする事は出来なかったが、世界史にも名を刻むモロッコという国を代表する人物の廟所があまりにもひっそりとしていたのは、小さな驚きだった。
大げさな史跡にしていない事が、モロッコらしいといえば、らしい。

イヴン・バトゥータの墓
イヴン・バトゥータの廟所。

ローリング・ストーンズや、ポール・ボウルズと並び、タンジェに滞在したアーチストとして著名なのは、ウイリアム・バロウズだ。バロウズがタンジェに移住したのは、1953年で、当然当時住んでいたボウルズとも交流があったし、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックも一緒にタンジェで過ごした時期もあったようだ。彼らがいた50年代のタンジェの様子を想像するだけでも楽しくなるが、当時バロウズが滞在していたホテルが、コンチネンタルホテルである。ここはエル・ミンザホテルよりも海沿いにあるホテルで、カンヌの海岸にあるホテルのような佇まいである。しかしここはバロウズが滞在していた時期はトップクラスのホテルであったが、今は老朽化が進行しており、比較的リーズナブルに泊まる事が出来る。
一般的なリアドに泊まるようなプライスで、ビートニクスな気分に浸れるコンチネンタルホテルはお勧めである。

コンチネンタルホテル。
コンチネンタルホテル全景。海の前。

タンジェの街中にある店は、他のモロッコの街に比べると少しだけ雰囲気が洗練されている。モロッコのスークに行くと、スカーフを売っている店が数多くある。中にはその場で生産をしている家内制手工業のショップもある。

スカーフの工房

タンジェでも1件ハンドメイドでスカーフを生産販売しているショップに案内された。価格も安く、デザインも洗練されており、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。
生地はコットンかパシュミナになり、使い心地も良い。
60年代末期にキース・リチャードが大量に購入したような雰囲気のスカーフも見つけることが出来る。
セルクルルージュでは、今後このようなモロッコのスカーフをダイレクトに輸入して、オンラインで販売をする予定である。モロッコの生の感触を味わえるので、是非楽しみにして頂きたい。

ハンドメイドのスカーフ工房

ジム・ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』でとても魅力的に撮影しているが、どこを歩いてもタンジェの街はフィトジェニックである。
港町の空気感、コスモポリタンな人種に合わせて、文化的な香りを持つタンジェの魅力は、奥が深い。カフェで出会った人に教えてもらったのだが、スティングも自分のクルーザーで来て、かなり長期間滞在していたらしい。もっと長く滞在することが出来れば、さらに深くタンジェの魅力を理解出来ただろう。

タンジェにはこのような門と坂道が多い。
夜のタンジェ。かすかにスペインの灯が見える。

次回はマラケシュに昨年10月オープンしたサンローランミュージアムを紹介する予定なので、是非ご期待ください。