「morocco」タグアーカイブ

Cinema Discussion-31 テリー・ギリアムの見果てぬ夢『ドン・キホーテ』

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2020年第1回目で、トータル31回目となる今回は、英国の鬼才テリー・ギリアム監督が、苦節28年かけて完成させた『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』です。
このシネマ・ディスカッションにテリー・ギリアムが登場するのは、前作『ゼロの未来』以来2回目です。
テリー・ギリアムは、英国的な笑いで知られるコメディ・グループ モンティ・パイソン唯一のアメリカ人メンバーであり、アニメーターとしても活躍。
映画監督としては『未来世紀ブラジル』『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』と独自の世界観を描いて来たギリアムの新作に、期待は高まります。
ディスカッションメンバーはいつものように川野正雄、名古屋靖、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名。

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

★28年がかりで完成をみた”呪われた”映画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』ですが、何がギリアムをそこまで執着させたと思いますか?

川野正雄(以下M):当初$2000万とギリアムが言っていた予算が、$3000万まで集まりスタートしたのが、いきなり頓挫で、脚本の権利は保険会社とか。ありえない展開で、挽回する気持ちがすごくあったのではないでしょうか。
それから『ドン・キホーテ』は、意外に映画化されていなく、1972年のアーサー・ヒラー版『ラ・マンチャの男』くらいなんですよね。そういう意味でも映画化の価値を、ギリアムは随分と見出していたのではないでしょうか。
誰も知っているネタだけど、映画化はあまりされておらず、独自のアイデアがどんどん湧いてくる〜そんな状態だと、何とか実現したいと永年執着しても不思議ではないですね。

川口哲生(以下T):ギリアム自身のメッセージ「『ドン・キホーテ』の問題は、一度でもドン・キホーテと彼が象徴するものに夢中になると、その人自身がドン・キホーテになってします。」に尽きると思います。
「ドン・キホーテは夢想家で理想主義、ロマンティックかつ断固として現実の限界を受け入れようとしません。」と言っているけれど、これはギリアムの28年間のこの映画を成就するための執着に重なるのではないでしょうか?

名古屋靖(以下N):川口さんのおっしゃる通り、パンフレットにある監督のメッセージがそれを語っていると思います。「〜そして、狂気の領域に入り込み、自分が想像した世界を作ろうと決心します。」とあるように何十年掛かろうがゴールすることを強く心に決めたんでしょう、狂気の沙汰と言われても。

川口敦子(以下A):みなさん仰る通り、監督のメッセージにあるミイラ取りがミイラならぬキホーテ撮りがキホーテに――の、結果の狂ったような執着だったのだろうなと思いますね。ただ同時に、というか逆にというのかな、この企画に関わる前から「夢想家で理想主義者」「断固として現実の限界を」受け入れず「挫折をものともせずに進んでいく」ギリアムがいて、だからこそドン・キホーテに惹かれ映画化に突き進んでいったともいえる気がします。英オブザーヴァー紙のインタビューでは真っ当な人たちには「テリー、前に進め。この企画にいつまでもこだわるのは君のためにも、君のキャリアのためにもならないと忠告された、でも真っ当な人間や道理に適ったことっていうのが僕は嫌いなんでね、だからこの映画への道を進み続けた」と答えてます。いずれにしても一生に一度というような磁力を感じ、取り憑かれていったんでしょうね。
 ちなみにスタジオとの闘いという点で通じる異才オーソン・ウェルズもドン・キホーテの映画化に憑かれて結局、幻の一作になった。ギリアムがその二の舞とならず、こうして完成作を見られてほんとによかったです!

★邦題に“ギリアムの”とついているように、セルバンテスの「ドン・キホーテ」の単なる映画化ではないですね。ギリアム印を特にどのあたりに感じましたか?

N:構想30年、企画頓挫9回、幾多の困難と紆余曲折を経たからか、脚本も当初聞いていた「現代の主人公が17世紀にタイムスリップしドン・キホーテと出会い冒険の旅に出る〜」という内容とはかなり違ったものでした。しかし観始めれば、オープニングから導入部の落差のあるコミカルな演出や、夢と現実の境い目がどんどん曖昧になって訳がわからなくなったり、現代リアリズムと中世美意識のシニカルな対比、振り出しに戻るようなエンディングまで、まさにギリアム的な映画でした。

M:ギリアムを表現する唯一無二そのものの映画ですね。ギリアムでしか、撮りえない映画。アーサー・ヒラー版『ラ・マンチャの男』は、ピーター・オトゥールがセルバンテスと、ドン・キホーテの2役で、よく出来た映画でしたが、もちろん全く違います。
日本だと『ラ・マンチャの男』は、松本幸四郎さんのミュージカルが一番馴染みが深いと思いますが、この映画に同じものは、当然ながらひとかけらもありません。
まCF撮影現場と、トビーの学生映画や、ドン・キホーテを巡る旅とのハイブリッド構造は、ギリアムらしいと思いました。
また序盤のプロデューサーの妻にトビーが誘惑される場面は、何となくモンティ・パイソン的に感じました。

T:原作のプロットを借りながら、トビーというキャラクターを絡ませることで、夢や理想や純粋さとすごく現代的な権力や金や名声等々の現実との綱引きを、ユーモアと圧倒的なギリアム的美意識や混沌さの中で描いている。見終わった後のみんなからの反応が、良くも悪くもやっぱりギリアム!と異口同音だったのが笑えますよね。

★想像の力、夢見ること、現実と夢の境界というテーマは一貫してギリアム界を支配していると思いますが『未来世紀ブラジル』はじめ前作とのつながりをどう見ましたか。

M:『ゼロの未来』が、どうも意図が理解出来ず、個人的には距離感を感じてしまったので、この作品とのつながりは、あまり感じませんでした。
『未来世紀ブラジル』とは、カオスな中からのも計算された演出がすごく効いているという部分で、共通項を感じました。
正に現実と夢の境界が、常に根底に流れるテーマだと思います。
ただ自分は、そんなに多くギリアム作品を見ているわけではないので、つながりは何とも言えないです。

T:悪夢から覚めてもまた夢だったみたいな,どこが覚めていて現実かわからないような、
いいかえれば劇中の現実を主人公が夢であってほしいと思いながら生きるみたいな。笑
そんな感じってやっぱりギリアム作品にずっと流れていますよね。
その夢のシーンの色彩や、カーナバル的混沌や、一種の宗教性や、時空を超えた造形力みたいなところが、私のギリアムが大好きなところです。『ゼロの未来』はちょっと残念だったけれど。

A:夢見る力対夢を殺す現実というテーマと、それを語るための重層的な構造、その混沌ゆえの魅力という点ももちろんですが、モンティ・パイソン時代のアニメーションにも見て取れたグロテスクで不完全でだからおかしく忘れ難いビジュアル、童話のような残酷さに満ちた世界を創りあげていくあたりの爆発的な想像と創造の力の融合ぶりには相変わらず惹き込まれます。テイストとしては必ずしもピタリと来るものだけじゃない部分も実はあるのですが。CM撮影現場にある巨大なはりぼての顔とか掌とか、終盤に出てくる3巨人とか、パイソン時代に撮った映画や『ジャバウォッキー』『バンデットQ』等の初期監督作、はたまた『バロン』にもあるお伽が梨的な世界、スケール感を狂わせることへの密かな愉しみ的志向というのかな、変わらないなあ、でもそこがいいなあと、若干苦笑いしつつ思ったりもしました(笑)

★撮影、美術、音楽についてはどんな印象を?

N:個人的にギリアム作品の好きなポイントとして、どの映画もどこかに一瞬だけでも感動的な映像美があることです。それは『未来世紀ブラジル』のドーム型の部屋だったり、『フィッシャー・キング』のセントラルステーションだったり、『12モンキーズ』の空港のスローモションだったり。。。たとえそれがストーリー上必然でなくとも観る者をあっと言わせる圧倒的なカタルシスだったりダイナミズムを感じさせてくれていました。今回は細かな装飾や美術が行き届いていた、古城や火祭りがそれにあたるものだったかもしれませんが、そんなに深くはヨーロッパ文化に慣れ親しんでいない自分には今ひとつその美しさや貴重性にはピンと来ませんでした。ただ、多くのシーンで見られる様々な自然のランドスケープはさりげない扱いですが、実は素晴らしく美しい風景の連続でした。これは今までは作り込まれた凝った映像の印象が強かったギリアム作品とは違う潔さを感じました。

A:トビ―の学生映画、情熱の産物というモノクロ映画の部分、そのモノクロというのがギリアム映画としてちょっと新鮮でしたね。もちろんメキシコ時代を含めたブニュエルとか、思い切り思い込んでいえばロッセリーニ『イタリア旅行』の聖なる祭との遭遇部分とか、学生ならではのオマージュをちょっとからかってはいるんでしょうが、案外、まじめなギリアムの”好き”がそこに感じ取れたりするようで、素朴でシンプルなその質感、モノトーン、仄明るさとどす黒いような音調が混じった音楽も効いてましたね。
 あと、ラマンチャの荒涼とした景観というのもなかなかいいですよね。作り込まれたセットの映画という印象が強いギリアムの映画でこんなふうに素の自然、普通にロケした場面がいい味出してるのも面白かったです。

M:特に美術なんですが、フェリーニ的なセンスを強く感じました。フェリーニ後期の『カサノバ』や、『魂のジュリエッタ』などのカラー作品の寓話的な演出です。『ボッカチオ70』のフェリーニ編に登場する巨大看板と、コマーシャル撮影の巨人も、イメージがつながります。特に終盤の展開が、より寓話的な見え方や神話の世界感が漂い、フェリーニの描くカオスな世界へのリスペクトを、感じました。今時こんな演出が出来る監督は、ギリアムしかいないのではないでしょうか。敦子さんの言うギリアムの“好き”が、ここにも感じました。

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

★スペインはもちろんドン:キホーテの国ですから舞台なのは当然ですが、イスラム、ユダヤ、キリスト教と宗教的背景のミッシュマッシュな部分にギリアム的なもの、はたまた今の世界に通じるものがないでしょうか?

T:日西観光協会の案内によれば、カステージャ・ラ・マンチャ地方はスペイン内陸部のカステージャ高原南部を占め、北は中央山脈、南はシエラ・モエナ山系に沿ってアンダルシアと接し、タホ川とグアディアナ川の二つの大きな川は大西洋へ、フカール川は地中海に流れ込んでいる、とあります。
「この地ではスペインを通過した通過した様々な文化の後を見ることができる。最も深くその跡をとどめているのは、中世を通じて平和と調和を保ちながら共存したイスラム教、ユダヤ教、キリスト教である。そしてこれらの人種、宗教、民族が融合した地がトレドである。」だそうです。
もともと原作が生まれる地の背景にこれらが共存していたわけでしょう。
『ラ・マンチャの男』ではセルバンテスがカトリックを冒涜して投獄されたところから話が始まるけれど、そうした平和な融合が崩れた部分を現代に置き換えてギリアムは描きたかったのでは。
美術的には火祭りの聖カタルティカの像とか、川野くんと行ったニース・カンヌのレモン祭のときにも感じた『新しいものに再生させる』カーナバル的な極めてカトリック的な表現は映画のテーマと重なって利いていたと思います。
ゴヤとどれからヴィジュアルインスピレーションを得たと言うのもすごいね。

M:モロッコで撮影したのかと思いましたが、モロッコでは撮影していませんでした。スペインやポルトガルでかなり撮影したのですね。
神話的な見え方をする演出に、宗教的な背景を少し感じました。

A:自分の発言なのにすっかり忘れていたのですが、シネマ・ディスカッションで『ゼロの未来』をとりあげた時にもこんなことをいってました。以下、長いけど引用します。
「縞模様の灰色のパジャマがナチ収容所の制服に通じると、意図したわけではないが結果的にそうなったとプレスブックでギリアムは発言していますが、意図してないのかなあ、というのも(主人公の)コーエンという名前のユダヤ性を強調するように名前の言い直しが繰り返され、ビーチのボールをふわふわと突く、それが最後は太陽になるけれど、やはりチャップリン『独裁者』のヒットラーの地球もてあそびが思い出される、暴力的管理社会の寓話的モチーフのひとつとして興味深かった。もちろん、キリストを思わせるボブとマネージャーの父子関係もいっぽうにはあり、カオスにすいこまれる部分なんてふと丹波哲郎みているのだろうかと思わなくもないなんて、そこはいいすぎでしょうか宗教的言及も意外とまじめにやっている。というかひとつのテーマとして無と神といったものもあるのでしょうね。そのあたりがリドリー・スコットのきんとした美学に対して、やはりミネソタ出身の(コーエン兄弟もミネソタですが)洗練され過ぎないものを残している感覚、まじめさ、捨てきれないアメリカ中西部性として見逃せない気もします」
 と、ギリアムの映画の意外に根深い宗教的テーマ、人類、歴史、そのつながりとしての現代への風刺的スタンス。案外、一貫したこのテーマはやはり過激に宗教をからかいながら真面目に考え、でもそこは英国流のユーモアで辛辣に包んだモンティ・パイソン以来のこだわりでもあるのかなあ。

N:先ほども言いましたが、自分はキリスト教徒でもなく、ヨーロッパ史=宗教史も不勉強な方だったので、その辺については盛り込みすぎな印象もありましたし、正直上っ面しか楽しめなかったのも事実です。

★キャストについては? ジョニー・デップ、ユアン・マクレガーでなくアダム・ドライヴァーでよかったなと思いましたか? それはなぜ?
N:この脚本とアダム・ドライバーはとてもよかったですね。様子がどんどんおかしくなっていく過程も違和感なく自然に観られました。多分ジョニー・デップだと過剰になりすぎ、ユアン・マクレガーでは世界観が違ったような気がします。

A:“宗教問題”にこだわるわけではないのですが(笑)、アダム・ドライヴァーになってユダヤ系って要素も使えましたね。ドライヴァーはオスカー候補の『マリッジ・ストーリー』でも積極的に自身の出自を活かしてユダヤ系ということを主張というのではないけれど盛り込んでいたと思います。と、大騒ぎすることではないけど、興味深いです。ついでにいっちゃうとオスカーとらせたいなあ。
 ジョニー・デップにしろユアン・マクレガーにしろこの独特の間の抜け方、というのかそこはかとないおかしさは出せなかったでしょうね。カンヌの記者会見の録画をみると、キホーテ役のジョナサン・プライスが英国俳優として「less is more」が褒められるべき演技と信じてきたが、ギリアムの映画では「more is more」が正しい演じ方といったことをコメントしていて、さもありなんと思ったのですが、アダムのはmoreもできるけれど、lessも捨ててない、それが好い加減なんですね。

M:2008年ならジョニー・デップ、2011年ならユアン・マクレガーがベストなキャスティングで、今のタイミングでは、アダム・ドライバーが旬な役者ですので、一番良かったと思います。
アダム・ドライバーはユダヤ系なんですね。ノア・アームバックの『マリッジ・ストーリー』は、彼本来の個性が出ていてすごく良かったですが、このトビーも、目一杯の芝居だと思いますが、素晴らしいです。

T:アダム・ドライバーはすごくよかった。登場時間の半分以上顔が汚れているし、フォーレターワーズ叫びっぱなし。笑
現在の夢を売った軽薄な感じから、夢や情熱を取り返していく過程の行きつ戻りつが自然だったと思います。

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

★映画作りの現場、あるいは学生映画時代の創ることへの情熱を失わせるような映画業界へのパロディとしての面もありますね?

N:この映画自体の製作過程も包括しつつ「お金」についての皮肉はたっぷり盛り込まれていましたね。

T:金に関わる人々、CM撮影現場での日本人代理店みたいな人たち?やBOSSやスポンサーの大富豪とかすごく象徴的でパロディですよね。
もう一方映画が人の人生を狂わせる、みたいなもう一つの自分に矛先が向くるような
テーマも取り上げていましたね。

M:哲生君のいう日本人広告代理店的な人が気になりました(笑)。映画監督目指して、CM監督とか、日本でもよくあるシチュエーションですが、作り手としての想いは普遍的だというメッセージとして受けとりました。

A:アメリカ時代にはコマーシャル・アートに身をおいていたギリアムなので、譲歩を知らないわけではきっとない、そういう背景ゆえに、バトル・オブ・ブラジルの時の爆発みたいに管理統制されることへの反発もあるんでしょうね。もちろんその後の映画作りの中でもいやというほど煮え湯をのまされてきたのでしょう。ロシアン・マフィアみたいなスポンサーはじめ、昨今の(ちょっと前のかな?)ハリウッドへの皮肉もたっぷりですね。
 いっぽうの学生映画に出たことで人生を狂わされたヒロイン、靴職人の部分は、やはりインタビューを読むと、パイソン時代の映画でスコットランドの寒村の人々を出演させて彼らの人生を狂わせた苦い記憶――なんてモチーフもあったようです。といった部分も含めて多分に自伝的要素が盛り込まれた映画といってよさそうですね。

★今後、どんなものを撮って欲しいですか?

M:年齢も年齢なんで、後何本かと思いますが、ハムレットのような古典やってみて欲しいです。

N:僕も『ゼロの未来』は消化不良でもやもやして正直好きになれませんでした。でもやっぱりテリー・ギリアムは僕らが見たことがない世界を見せてくれる監督だと思っていますので、懲りずにまた独自の解釈で未来的な映画も撮って欲しいです。

A:いつも一作を撮り終えると寂しい気持ちに襲われるけれど、今回はとびきりもぬけの殻状態とギリアムはコメントしていますね。
“The Detective Unknown”(絵本のような幻想世界に迷い込んだ少女を探す探偵)、20年代の全米を巡業した「空飛ぶ少年」の「飛翔と落下の半生」を描くポール・オースター原作の”Mr.Vertigo“とライターとしてクレジットされている新作企画はあるようですが具体化はいずれもされてないようですね。いずれにしてもファンタジー系からの脱出はなさそうですが、あの学生映画みたいなタッチの一作も見てみたい、と言いつつそれはないだろうなと半ば、諦めている自分もいたりします(笑)

『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』
公開日:1 月 24日(金)より、TOHO シネマズ シャンテほか全国ロードショー公開中
配給:ショウゲート

モロッコ紀行-3/サンローランミュージアム@マラケシュ

[/caption]

サンローランミュージアムエントランス

時間が空いてしまいましたが、モロッコ紀行第3回は、モロッコ最大の観光都市マラケシュに昨年10月にオープンしたイヴ・サンローランミュージアムを紹介致します。
サンローランが亡くなったのは2008年。そこから10年近い歳月を経て、彼の公私共にパートナーであったピエール・ベルジェが、昨年10月パリとマラケシュに、膨大なアーカイブを展示するミュージアムを建立したのだ。
イヴ・サンローランはアルジェリア生まれ。アフリカ生まれという事でモロッコには親和感があったのか、60年代にはタンジェにも家があったというが、1966年にはマラケシュに別荘を購入している。その前年1965年にはサンローランの代表的な作品であるモンドリアンのドレスを発表しており、サンローランがデザイナーとして大きく飛躍していく時代と、マラケシュなどモロッコでの生活は、大きくリンクしているのだ。

サンローラン

イヴ・サンローラン財団の代表でもあったピエール・ベルジェは、残念ながらオープンの1ヶ月までに他界している。
庭園内にはサンローランとベルジェの、日本で言う供養塔のようなメモリアルなモニュメントがある。
余談だが30年近く前、サンローランが来日してアーカイブ展とコレクションを開催するイベントがあり、私はピエール・ベルジェとミーティングをした事がある。その時のベルジェは、サンローランの本質を理解していない日本人にいらつき、怒りを何度も顕にしていた。当時の私が初めて浴びたパリのメゾンの洗礼であったが、今回改めてこのミュージアムを訪れ、サンローランの持つ感性やコンセプトに直接触れ、当時の自分の無知さとベルジェの怒りを理解することが出来、ベルジェのメモリアルモニュメントの前で、お詫びをしてきた。

サンローランとピエール・ベルジェのメモリアル

マラケシュにはサンローランの別荘として有名なマジョレル庭園が、観光地としても有名である。このミュージアムは、マジョレル庭園と隣接しており、サンローラン通りというストリート沿いにある。大変混みあうという情報で、開館時間に訪れ、共通チケットを買い、まずはミュージアムに入館した。ミュージアムの外観は、マラケシュを象徴する色である赤を基調にしているように感じた。サンローラン通りに入ると忽然と現れるミュージアムは、モロッコらしいオーガニックな感覚の素材とミステリアスな雰囲気、そしてグラマラスな存在感を魅せており、いやがおうにも期待感は高まる。

ミュージアムサイン
サンローランストリート

私が訪れた時期は、まだ開館から2ヶ月足らず。真新しい空気を感じるミュージアム内展示スペースは、当然のことながら写真撮影は許されない。モンドリアンのドレスから始まるコレクションの美しさと、存在感に圧倒されるばかりだ。
幾つかのコレクションは、30年近く前日本で開催されたアーカイブのコレクション時にも見ている筈だが、受ける感動は全く違う。サンローランの伝記映画にも出てきたスモーキングジャケットやサファリジャケット、トレンチコートなどメンズアイテムをアレンジしたルックは、表現のしようがない格好良さだ。
展示はカラーであったり、世界の民族であったり、コンセプトごとに構成されている。ここで思い出したのは、実はサンローランが旅嫌いだというエピソードである。モロッコをテーマにしたコレクションは、フィジカルな感覚も含めてデザインされているが、大抵の国は、本人が訪れる事無く、ピエール・ベルジェが持ってきた写真や資料を元に、サンローランがイメージを膨らませてデザインをしたという。
黒を貴重にしたモノトーンのシックな装いから、アフリカ的なカラフルな色使いのファブリックを使ったアーシーなコレクション、ロシアや中国をイメージしたエスニックなドレスが並ぶ展示には、圧倒されてしまう。
特にモロッコに居を構えてからのサンローランのコレクションは、色使いが大きく変わったと言われているが、その原泉となるマテリアルも展示されており、マラケシュのミュージアムならではの空間が構成されているのだ。

バレエのデッサン
映画用デッサン

異次元空間であった一連のコレクションコーナーを抜けると、大量のサンローランのデッサンが展示されている。ここは撮影も許可されているが、バレエ、ステージ、映画などの衣装のサンローランによるデッサンを堪能することが出来る。
もちろんデッサンと対比して、完成品の写真も展示されてる。
サンローランが手がけた映画衣装というと。私の中ではフランソワ・トリュフォー監督、カトリーヌ・ドヌーヴ&ジャン・ポール・ベルモンド主演の『暗くなるまでこの恋を』が代表的なイメージなのだが、しっかりそのデッサンもあった。

ドヌーヴ『暗くなるまでこの恋を』

更に進むと、カトリーヌ・ドヌーヴの美しい写真が並んでいるコーナーに出会う。
多くの写真は、ここマラケシュにドヌーヴが来て撮影されたらしいが、写真を見て頂ければわかるように、ドヌーヴの美しさは、サンローランが考える美の象徴のような輝きを持っている。

カトリーヌ・ドヌーヴ
更にドヌーヴ
ドヌーヴ、ドヌーヴ

展示室を出ると、イベントホールに立ち寄ることができる。この日はサンローランのバイオをショートフィルムにまとめた映像が上映されていた。これを見るだけでも、サンローランの特殊な偉大さが短時間で理解できる。
中国コレクションの映像のBGMが、『戦場のメリークリスマス』のテーマであった事だけが残念であった。

ミュージアムのカタログ、リーフレット、ブックストアでもらったモンドリアンスケッチのしおり

[caption id="attachment_4732" align="aligncenter" width="474"] book storeで買ったポストカード集

更に館内には、ブックストアやカフェレストランが現われる。
ブックストアでは、サンローランにまつわる様々な本や、ポストカードなどが販売されており、見ているだけでも楽しい。
とりあえずミュージアムのカタログと、土産にポストカード集を買い求めた。
今回食事は、マジョレル庭園の方のガーデンカフェでとったので、館内のレストランはメニューを眺める程度だったが、都会的にアレンジされたモロッコ料理のメニューが揃っているので、ここでランチをするのはお勧めである。

サンローラン1975年年賀状

マジョレル庭園に移ると、サンローランが可愛がっていたミュージックと代々名付けられたフレンチブルをモチーフにした年賀状などが展示してある。
この庭園については、数多く語られているので説明は省くが、ガーデンカフェのランチは、庭園の周囲の環境と合わせて、リラックスできる素晴らしい時間となった。

マジョレー庭園の猫
庭園はブルーが基調

とてもこのページだけで、サンローランミュージアムの全貌を語ることは出来ません。
ほんの少しだけ障りだけとなりますが、少しでもサンローランのアーカイブを、マラケシュという超異国で観る感動が伝わっていれば、幸いです。

サンローランの年賀状