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Cinema Review-10『モロッコ、彼女たちの朝』/モロッコ長編映画が、日本デビュー!

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

Cinema Review第10回は、日本で初めて公開されるモロッコの長編劇映画『モロッコ、彼女たちの朝』です。
カサブランカに住む二人のシングルマザーの心の葛藤を描いた作品です。
8月13日の公開以降、大変好調な動員を記録していると聞いていますが、今後ますます注目されて欲しい作品です。
カンヌ映画祭「ある視点部門」に正式出品、アカデミー賞モロッコ代表に女性監督作として初選出と、世界的にも評価が高まってきています。
レビューは、映画評論家川口敦子と、川野正雄の2名でお届けします。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

★川口敦子
前回のレビューに続いてでまことに心苦しいのだが、『モロッコ、彼女たちの朝』に付したニューヨークタイムズ紙の見出しがあまりに素敵にぴたりとくるので、今回もやはり引いてしまおう。曰く「美しい友情の始まり」――そう、あの『カサブランカ』をしめくくった名台詞の引用だ。愛するヒロインとその夫のモロッコ脱出を手助けしたボギーことハンフリー・ボガートと警察署長クロード・レインズの男と男の気風にくらりと酔わされる名場面、名エンディング、そこで吐き出された台詞は多くのファンの脳裏に焼き付いていて、それだけに無闇やたらに引用すれば顰蹙を買うことにもなりかねない。そんな危険を承知の上で、でも、それでもとその一言を添え、讃えたくなるほどに、同じモロッコはカサブランカ、その旧市街に咲いた『モロッコ、彼女たちの朝』の女と女の友情の花はみごとに美しく、胸に迫る。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

これが初めての長編監督作というマリヤム・トゥザニが自ら子を宿した時、かつて両親が保護したひとりの未婚の妊婦のことを想起して書き、撮った物語。故郷の親族に内緒のまま都会に出て子を産み、養子に出して、秘密を胸に帰郷する。そうするしかないのだとヒロインの選択肢を端から奪うモロッコの社会の中には、やはり因襲に縛られて亡くした夫の埋葬に立ち会えなかった痛みを胸に疼かせたまま、寡婦として口さがない周囲の人の目をかわし、ひっそりと軒先で自家製のパンを商いながら娘を育てるもうひとりの物語も見出される。そんなふたりがそれぞれの頑なさを少しずつ融かしながら心の距離を縮めていく様を無駄口たたかず映画は掬い、アップとアップの顔が言葉以上にものをいう瞬間を積み重ねる。居候となったひとりがふとしたことからパン作りの腕を披露する。膨らんできたお腹をかばいつつ床にすわって粉をこねる。つるりと水をふくませた粉が麺状にのばされてぷるんとしなやかなその感触が、解き放てない彼女の母性を請け負うようにおおらかなやさしさをのみこんでいく。そんなやわらかさに染まるように、娘の教育もしつけも厳しく寸分の隙もみせない賢母であろうとしてぎすぎすといたもうひとりのそっけく色をなくした日々が仄かに艶めいていく。太い楊枝のようなもので漆黒のアイラインが施され母が女の顔を取り戻す。

http://lecerclerouge.jp/wp/houseinthefields/

と、こう書くと感動の下町人情美談といったふうにも響きかねないが、美しい友情の始まりを腐臭に塗れる一歩手前でメロドラマから救出する監督は、自らの記憶に刻まれているからこその終幕を用意する。アダムと名付けられる赤ん坊を前にしたヒロインの逡巡。その嘘のなさ。一部始終をみつめた先に映画が用意した幕切れに何をみるのか、望むのかーーそこに置かれた問を繰り返し嚙みしめている。

寡黙の雄弁でつづられる女ふたりの友情は、ニューヨークに中絶の旅に出る少女とその道連れとなるもうひとりをくっきりと説明を寄せ付けない顔ひとつで語り切る覚悟を光らせたエリザ・ヒットマン監督作『17歳の瞳に映る世界』(彼女の長編デビュー作『愛のように感じた』もシアター・イメージフォーラム他で上映中、必見!)と厳しく強靭なシスターフッド映画2本立てとして見てみたいとも思う。カラヴァッジョ、フェルメール、ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールを参照したという撮影監督ヴィルジニー・スルデージュの醸す陰影礼賛な室内の時空もお見逃しなく。

★川野正雄

モロッコ映画というと、Cinema-Review4として、アトラス山脈の麓に住む姉妹を描いたドキュメンタリー映画『ハウス・イン・ザ・フィールド』をご紹介したばかりであるが、今回ご紹介する『モロッコ、彼女たちの朝』は、日本で初めて公開されるモロッコの長編ドラマ映画である。
カンヌ映画祭「ある視点」に出品され、アカデミー外国語映画賞にも、モロッコ代表として参加した作品という事で、非常に期待をしていた作品である。
個人的にも2017年モロッコを訪問しているので、非常に親近感も持って接することが出来た。

舞台はカサブランカ。予備知識もなく見たのだが、いい意味で想像していたような映画ではなかった。
主人公は二人のシングルマザー(一人はこれからシングルマザー)。根底に流れているテーマは、SDGsの時代に相応しくない男女格差社会の理不尽さである。
資料にはモロッコは、ジェンダーギャップ指数が、156カ国中144位。女性の識字率は60%以下と、信じられない数値である。
私がモロッコを訪れた際、カフェが男性だらけで疑問に思い聞いてみたら、地元のモロッコ人女性はカフェには入れないという事だった。

http://lecerclerouge.jp/wp/houseinthefields/

この映画では、モスリムの宗教的なルールによるジェンダーギャップの大きな理不尽が描かれる。娘と二人で暮らし、パン屋を営むアブラ。彼女は事故で亡くなった夫の埋葬にも、宗教的な理由からか、立ち会えなかった。アブラの表情は常に暗く、生きる喜びは感じられない。
臨月の状態で仕事を解雇された妊婦のサミア。縁あってアブラの家に住み込みで、パン屋を手伝うようになる。
しかしモスリムでは、シングルマザーを社会的に受け入れてもらう事がむずかしい。
サミアは、生まれてくる我が子を育てられないジレンマに追い詰められている。
『モロッコ、彼女達たちの朝』は、アブラとサミアの精神的な葛藤を描いている。

私はカサブランカに滞在した事はないが、タンジェなど他の都市と風景はあまり変わらない。
サミアが作る伝統的なパンも、私は食べたことがないが、なかなか美味しそうである。
出会いでは反目し合っていたアブラとサミアの関係は、不器用ながらも徐々に邂逅していく。
一見歳上のアブラが二人の関係を引っ張っているように見えるが、実はサミアが意志を持って、距離感を縮めているのだ。その縮め方は、時には強引に見えるが、サミアはしっかりと真実に対峙しようとする。逆にアブラは、真実を理解しながら、顔を背けているように見える。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

アブラの娘や、アブラに好意を持つ男性の登場などにより、二人の関係性もほぐれていく。そういった繊細な心の動きが、あたかもヨーロッパの文芸作品のように描かれる。
重要なのは、モロッコで撮影された作品ではなく、モロッコ人によるモロッコを描いた作品である事だ。
ここに出て来る世界は、『シェルタリング・スカイ』や、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』で描かれるモロッコとは違う。
もっと地面に近く、土着的で、モロッコの人々の真の姿を、深く抉っているのだ。
カサブランカのような都市部でも、女性の立場が圧倒的に弱い社会であるという現実は、衝撃的で理解に苦しむ。
しかし全編が重く覆われているわけではない。
サミアとアブラ、二人の人間味に、いつの間にか引き込まれていくのだ。
ジェンダーギャップのしきたりの強い社会の中で、今後サミアはどのように生き抜いていくのか。
この二人に待ち受ける未来を、是非またマリヤム・トゥザニ監督には描いて欲しい。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

『モロッコ、彼女たちの朝』
監督・脚本:マリヤム・トゥザニ(長編初監督)
出演:ルブナ・アザバル『灼熱の魂』『テルアビブ・オン・ファイア』
ニスリン・エラディ
製作・共同脚本:ナビール・アユーシュ『アリ・ザウア』
2019年/モロッコ、フランス、ベルギー、カタール/アラビア語/101分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/英題:ADAM/日本語字幕:原田りえ
8月13日よりTOHOシネマズシャンティ他、全国順次公開中

Cinema Discussion-31 テリー・ギリアムの見果てぬ夢『ドン・キホーテ』

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2020年第1回目で、トータル31回目となる今回は、英国の鬼才テリー・ギリアム監督が、苦節28年かけて完成させた『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』です。
このシネマ・ディスカッションにテリー・ギリアムが登場するのは、前作『ゼロの未来』以来2回目です。
テリー・ギリアムは、英国的な笑いで知られるコメディ・グループ モンティ・パイソン唯一のアメリカ人メンバーであり、アニメーターとしても活躍。
映画監督としては『未来世紀ブラジル』『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』と独自の世界観を描いて来たギリアムの新作に、期待は高まります。
ディスカッションメンバーはいつものように川野正雄、名古屋靖、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名。

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

★28年がかりで完成をみた”呪われた”映画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』ですが、何がギリアムをそこまで執着させたと思いますか?

川野正雄(以下M):当初$2000万とギリアムが言っていた予算が、$3000万まで集まりスタートしたのが、いきなり頓挫で、脚本の権利は保険会社とか。ありえない展開で、挽回する気持ちがすごくあったのではないでしょうか。
それから『ドン・キホーテ』は、意外に映画化されていなく、1972年のアーサー・ヒラー版『ラ・マンチャの男』くらいなんですよね。そういう意味でも映画化の価値を、ギリアムは随分と見出していたのではないでしょうか。
誰も知っているネタだけど、映画化はあまりされておらず、独自のアイデアがどんどん湧いてくる〜そんな状態だと、何とか実現したいと永年執着しても不思議ではないですね。

川口哲生(以下T):ギリアム自身のメッセージ「『ドン・キホーテ』の問題は、一度でもドン・キホーテと彼が象徴するものに夢中になると、その人自身がドン・キホーテになってします。」に尽きると思います。
「ドン・キホーテは夢想家で理想主義、ロマンティックかつ断固として現実の限界を受け入れようとしません。」と言っているけれど、これはギリアムの28年間のこの映画を成就するための執着に重なるのではないでしょうか?

名古屋靖(以下N):川口さんのおっしゃる通り、パンフレットにある監督のメッセージがそれを語っていると思います。「〜そして、狂気の領域に入り込み、自分が想像した世界を作ろうと決心します。」とあるように何十年掛かろうがゴールすることを強く心に決めたんでしょう、狂気の沙汰と言われても。

川口敦子(以下A):みなさん仰る通り、監督のメッセージにあるミイラ取りがミイラならぬキホーテ撮りがキホーテに――の、結果の狂ったような執着だったのだろうなと思いますね。ただ同時に、というか逆にというのかな、この企画に関わる前から「夢想家で理想主義者」「断固として現実の限界を」受け入れず「挫折をものともせずに進んでいく」ギリアムがいて、だからこそドン・キホーテに惹かれ映画化に突き進んでいったともいえる気がします。英オブザーヴァー紙のインタビューでは真っ当な人たちには「テリー、前に進め。この企画にいつまでもこだわるのは君のためにも、君のキャリアのためにもならないと忠告された、でも真っ当な人間や道理に適ったことっていうのが僕は嫌いなんでね、だからこの映画への道を進み続けた」と答えてます。いずれにしても一生に一度というような磁力を感じ、取り憑かれていったんでしょうね。
 ちなみにスタジオとの闘いという点で通じる異才オーソン・ウェルズもドン・キホーテの映画化に憑かれて結局、幻の一作になった。ギリアムがその二の舞とならず、こうして完成作を見られてほんとによかったです!

★邦題に“ギリアムの”とついているように、セルバンテスの「ドン・キホーテ」の単なる映画化ではないですね。ギリアム印を特にどのあたりに感じましたか?

N:構想30年、企画頓挫9回、幾多の困難と紆余曲折を経たからか、脚本も当初聞いていた「現代の主人公が17世紀にタイムスリップしドン・キホーテと出会い冒険の旅に出る〜」という内容とはかなり違ったものでした。しかし観始めれば、オープニングから導入部の落差のあるコミカルな演出や、夢と現実の境い目がどんどん曖昧になって訳がわからなくなったり、現代リアリズムと中世美意識のシニカルな対比、振り出しに戻るようなエンディングまで、まさにギリアム的な映画でした。

M:ギリアムを表現する唯一無二そのものの映画ですね。ギリアムでしか、撮りえない映画。アーサー・ヒラー版『ラ・マンチャの男』は、ピーター・オトゥールがセルバンテスと、ドン・キホーテの2役で、よく出来た映画でしたが、もちろん全く違います。
日本だと『ラ・マンチャの男』は、松本幸四郎さんのミュージカルが一番馴染みが深いと思いますが、この映画に同じものは、当然ながらひとかけらもありません。
まCF撮影現場と、トビーの学生映画や、ドン・キホーテを巡る旅とのハイブリッド構造は、ギリアムらしいと思いました。
また序盤のプロデューサーの妻にトビーが誘惑される場面は、何となくモンティ・パイソン的に感じました。

T:原作のプロットを借りながら、トビーというキャラクターを絡ませることで、夢や理想や純粋さとすごく現代的な権力や金や名声等々の現実との綱引きを、ユーモアと圧倒的なギリアム的美意識や混沌さの中で描いている。見終わった後のみんなからの反応が、良くも悪くもやっぱりギリアム!と異口同音だったのが笑えますよね。

★想像の力、夢見ること、現実と夢の境界というテーマは一貫してギリアム界を支配していると思いますが『未来世紀ブラジル』はじめ前作とのつながりをどう見ましたか。

M:『ゼロの未来』が、どうも意図が理解出来ず、個人的には距離感を感じてしまったので、この作品とのつながりは、あまり感じませんでした。
『未来世紀ブラジル』とは、カオスな中からのも計算された演出がすごく効いているという部分で、共通項を感じました。
正に現実と夢の境界が、常に根底に流れるテーマだと思います。
ただ自分は、そんなに多くギリアム作品を見ているわけではないので、つながりは何とも言えないです。

T:悪夢から覚めてもまた夢だったみたいな,どこが覚めていて現実かわからないような、
いいかえれば劇中の現実を主人公が夢であってほしいと思いながら生きるみたいな。笑
そんな感じってやっぱりギリアム作品にずっと流れていますよね。
その夢のシーンの色彩や、カーナバル的混沌や、一種の宗教性や、時空を超えた造形力みたいなところが、私のギリアムが大好きなところです。『ゼロの未来』はちょっと残念だったけれど。

A:夢見る力対夢を殺す現実というテーマと、それを語るための重層的な構造、その混沌ゆえの魅力という点ももちろんですが、モンティ・パイソン時代のアニメーションにも見て取れたグロテスクで不完全でだからおかしく忘れ難いビジュアル、童話のような残酷さに満ちた世界を創りあげていくあたりの爆発的な想像と創造の力の融合ぶりには相変わらず惹き込まれます。テイストとしては必ずしもピタリと来るものだけじゃない部分も実はあるのですが。CM撮影現場にある巨大なはりぼての顔とか掌とか、終盤に出てくる3巨人とか、パイソン時代に撮った映画や『ジャバウォッキー』『バンデットQ』等の初期監督作、はたまた『バロン』にもあるお伽が梨的な世界、スケール感を狂わせることへの密かな愉しみ的志向というのかな、変わらないなあ、でもそこがいいなあと、若干苦笑いしつつ思ったりもしました(笑)

★撮影、美術、音楽についてはどんな印象を?

N:個人的にギリアム作品の好きなポイントとして、どの映画もどこかに一瞬だけでも感動的な映像美があることです。それは『未来世紀ブラジル』のドーム型の部屋だったり、『フィッシャー・キング』のセントラルステーションだったり、『12モンキーズ』の空港のスローモションだったり。。。たとえそれがストーリー上必然でなくとも観る者をあっと言わせる圧倒的なカタルシスだったりダイナミズムを感じさせてくれていました。今回は細かな装飾や美術が行き届いていた、古城や火祭りがそれにあたるものだったかもしれませんが、そんなに深くはヨーロッパ文化に慣れ親しんでいない自分には今ひとつその美しさや貴重性にはピンと来ませんでした。ただ、多くのシーンで見られる様々な自然のランドスケープはさりげない扱いですが、実は素晴らしく美しい風景の連続でした。これは今までは作り込まれた凝った映像の印象が強かったギリアム作品とは違う潔さを感じました。

A:トビ―の学生映画、情熱の産物というモノクロ映画の部分、そのモノクロというのがギリアム映画としてちょっと新鮮でしたね。もちろんメキシコ時代を含めたブニュエルとか、思い切り思い込んでいえばロッセリーニ『イタリア旅行』の聖なる祭との遭遇部分とか、学生ならではのオマージュをちょっとからかってはいるんでしょうが、案外、まじめなギリアムの”好き”がそこに感じ取れたりするようで、素朴でシンプルなその質感、モノトーン、仄明るさとどす黒いような音調が混じった音楽も効いてましたね。
 あと、ラマンチャの荒涼とした景観というのもなかなかいいですよね。作り込まれたセットの映画という印象が強いギリアムの映画でこんなふうに素の自然、普通にロケした場面がいい味出してるのも面白かったです。

M:特に美術なんですが、フェリーニ的なセンスを強く感じました。フェリーニ後期の『カサノバ』や、『魂のジュリエッタ』などのカラー作品の寓話的な演出です。『ボッカチオ70』のフェリーニ編に登場する巨大看板と、コマーシャル撮影の巨人も、イメージがつながります。特に終盤の展開が、より寓話的な見え方や神話の世界感が漂い、フェリーニの描くカオスな世界へのリスペクトを、感じました。今時こんな演出が出来る監督は、ギリアムしかいないのではないでしょうか。敦子さんの言うギリアムの“好き”が、ここにも感じました。

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

★スペインはもちろんドン:キホーテの国ですから舞台なのは当然ですが、イスラム、ユダヤ、キリスト教と宗教的背景のミッシュマッシュな部分にギリアム的なもの、はたまた今の世界に通じるものがないでしょうか?

T:日西観光協会の案内によれば、カステージャ・ラ・マンチャ地方はスペイン内陸部のカステージャ高原南部を占め、北は中央山脈、南はシエラ・モエナ山系に沿ってアンダルシアと接し、タホ川とグアディアナ川の二つの大きな川は大西洋へ、フカール川は地中海に流れ込んでいる、とあります。
「この地ではスペインを通過した通過した様々な文化の後を見ることができる。最も深くその跡をとどめているのは、中世を通じて平和と調和を保ちながら共存したイスラム教、ユダヤ教、キリスト教である。そしてこれらの人種、宗教、民族が融合した地がトレドである。」だそうです。
もともと原作が生まれる地の背景にこれらが共存していたわけでしょう。
『ラ・マンチャの男』ではセルバンテスがカトリックを冒涜して投獄されたところから話が始まるけれど、そうした平和な融合が崩れた部分を現代に置き換えてギリアムは描きたかったのでは。
美術的には火祭りの聖カタルティカの像とか、川野くんと行ったニース・カンヌのレモン祭のときにも感じた『新しいものに再生させる』カーナバル的な極めてカトリック的な表現は映画のテーマと重なって利いていたと思います。
ゴヤとどれからヴィジュアルインスピレーションを得たと言うのもすごいね。

M:モロッコで撮影したのかと思いましたが、モロッコでは撮影していませんでした。スペインやポルトガルでかなり撮影したのですね。
神話的な見え方をする演出に、宗教的な背景を少し感じました。

A:自分の発言なのにすっかり忘れていたのですが、シネマ・ディスカッションで『ゼロの未来』をとりあげた時にもこんなことをいってました。以下、長いけど引用します。
「縞模様の灰色のパジャマがナチ収容所の制服に通じると、意図したわけではないが結果的にそうなったとプレスブックでギリアムは発言していますが、意図してないのかなあ、というのも(主人公の)コーエンという名前のユダヤ性を強調するように名前の言い直しが繰り返され、ビーチのボールをふわふわと突く、それが最後は太陽になるけれど、やはりチャップリン『独裁者』のヒットラーの地球もてあそびが思い出される、暴力的管理社会の寓話的モチーフのひとつとして興味深かった。もちろん、キリストを思わせるボブとマネージャーの父子関係もいっぽうにはあり、カオスにすいこまれる部分なんてふと丹波哲郎みているのだろうかと思わなくもないなんて、そこはいいすぎでしょうか宗教的言及も意外とまじめにやっている。というかひとつのテーマとして無と神といったものもあるのでしょうね。そのあたりがリドリー・スコットのきんとした美学に対して、やはりミネソタ出身の(コーエン兄弟もミネソタですが)洗練され過ぎないものを残している感覚、まじめさ、捨てきれないアメリカ中西部性として見逃せない気もします」
 と、ギリアムの映画の意外に根深い宗教的テーマ、人類、歴史、そのつながりとしての現代への風刺的スタンス。案外、一貫したこのテーマはやはり過激に宗教をからかいながら真面目に考え、でもそこは英国流のユーモアで辛辣に包んだモンティ・パイソン以来のこだわりでもあるのかなあ。

N:先ほども言いましたが、自分はキリスト教徒でもなく、ヨーロッパ史=宗教史も不勉強な方だったので、その辺については盛り込みすぎな印象もありましたし、正直上っ面しか楽しめなかったのも事実です。

★キャストについては? ジョニー・デップ、ユアン・マクレガーでなくアダム・ドライヴァーでよかったなと思いましたか? それはなぜ?
N:この脚本とアダム・ドライバーはとてもよかったですね。様子がどんどんおかしくなっていく過程も違和感なく自然に観られました。多分ジョニー・デップだと過剰になりすぎ、ユアン・マクレガーでは世界観が違ったような気がします。

A:“宗教問題”にこだわるわけではないのですが(笑)、アダム・ドライヴァーになってユダヤ系って要素も使えましたね。ドライヴァーはオスカー候補の『マリッジ・ストーリー』でも積極的に自身の出自を活かしてユダヤ系ということを主張というのではないけれど盛り込んでいたと思います。と、大騒ぎすることではないけど、興味深いです。ついでにいっちゃうとオスカーとらせたいなあ。
 ジョニー・デップにしろユアン・マクレガーにしろこの独特の間の抜け方、というのかそこはかとないおかしさは出せなかったでしょうね。カンヌの記者会見の録画をみると、キホーテ役のジョナサン・プライスが英国俳優として「less is more」が褒められるべき演技と信じてきたが、ギリアムの映画では「more is more」が正しい演じ方といったことをコメントしていて、さもありなんと思ったのですが、アダムのはmoreもできるけれど、lessも捨ててない、それが好い加減なんですね。

M:2008年ならジョニー・デップ、2011年ならユアン・マクレガーがベストなキャスティングで、今のタイミングでは、アダム・ドライバーが旬な役者ですので、一番良かったと思います。
アダム・ドライバーはユダヤ系なんですね。ノア・アームバックの『マリッジ・ストーリー』は、彼本来の個性が出ていてすごく良かったですが、このトビーも、目一杯の芝居だと思いますが、素晴らしいです。

T:アダム・ドライバーはすごくよかった。登場時間の半分以上顔が汚れているし、フォーレターワーズ叫びっぱなし。笑
現在の夢を売った軽薄な感じから、夢や情熱を取り返していく過程の行きつ戻りつが自然だったと思います。

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

★映画作りの現場、あるいは学生映画時代の創ることへの情熱を失わせるような映画業界へのパロディとしての面もありますね?

N:この映画自体の製作過程も包括しつつ「お金」についての皮肉はたっぷり盛り込まれていましたね。

T:金に関わる人々、CM撮影現場での日本人代理店みたいな人たち?やBOSSやスポンサーの大富豪とかすごく象徴的でパロディですよね。
もう一方映画が人の人生を狂わせる、みたいなもう一つの自分に矛先が向くるような
テーマも取り上げていましたね。

M:哲生君のいう日本人広告代理店的な人が気になりました(笑)。映画監督目指して、CM監督とか、日本でもよくあるシチュエーションですが、作り手としての想いは普遍的だというメッセージとして受けとりました。

A:アメリカ時代にはコマーシャル・アートに身をおいていたギリアムなので、譲歩を知らないわけではきっとない、そういう背景ゆえに、バトル・オブ・ブラジルの時の爆発みたいに管理統制されることへの反発もあるんでしょうね。もちろんその後の映画作りの中でもいやというほど煮え湯をのまされてきたのでしょう。ロシアン・マフィアみたいなスポンサーはじめ、昨今の(ちょっと前のかな?)ハリウッドへの皮肉もたっぷりですね。
 いっぽうの学生映画に出たことで人生を狂わされたヒロイン、靴職人の部分は、やはりインタビューを読むと、パイソン時代の映画でスコットランドの寒村の人々を出演させて彼らの人生を狂わせた苦い記憶――なんてモチーフもあったようです。といった部分も含めて多分に自伝的要素が盛り込まれた映画といってよさそうですね。

★今後、どんなものを撮って欲しいですか?

M:年齢も年齢なんで、後何本かと思いますが、ハムレットのような古典やってみて欲しいです。

N:僕も『ゼロの未来』は消化不良でもやもやして正直好きになれませんでした。でもやっぱりテリー・ギリアムは僕らが見たことがない世界を見せてくれる監督だと思っていますので、懲りずにまた独自の解釈で未来的な映画も撮って欲しいです。

A:いつも一作を撮り終えると寂しい気持ちに襲われるけれど、今回はとびきりもぬけの殻状態とギリアムはコメントしていますね。
“The Detective Unknown”(絵本のような幻想世界に迷い込んだ少女を探す探偵)、20年代の全米を巡業した「空飛ぶ少年」の「飛翔と落下の半生」を描くポール・オースター原作の”Mr.Vertigo“とライターとしてクレジットされている新作企画はあるようですが具体化はいずれもされてないようですね。いずれにしてもファンタジー系からの脱出はなさそうですが、あの学生映画みたいなタッチの一作も見てみたい、と言いつつそれはないだろうなと半ば、諦めている自分もいたりします(笑)

『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』
公開日:1 月 24日(金)より、TOHO シネマズ シャンテほか全国ロードショー公開中
配給:ショウゲート