「Style」カテゴリーアーカイブ

Cinema Discussion-32 今この時代に、ファッションを描いたフレンチドキュメンタリー2本

『ライフ・イズ・カラフル!』

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2020年に入ってからは、2月の『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』以来8か月ぶりとなります。
皆様ご存じのように、コロナウイルスの影響で、映画業界も大きな影響を受けました。
ここにきてようやく映画館によっては、100%の客席を開放していますが、まだまだ昨年の状況に戻るには時間がかかりそうです。ただ皆様への映画の紹介は再開してもよいかと考え、第32回のシネマ・ディスカッションを開催する事に致しました。
今年に入り、ファッションシーンも、コロナの影響が過大で、ヨーロッパ、特にフランスは最近コロナの状況が悪化しているというニュースを聞きます。
そんな環境下ですが、今回はあえてファッションを題材にしたフランスのドキュメンタリー2本を取り上げる事にしました。
1本はフレンチデザイナーの巨人ピエール・カルダンのドキュメンタリー『ライフ・イズ・カラフル!未来をデザインする男 ピエール・カルダン』です。日本では、すっかりライセンス商品の雑貨のイメージが強いカルダンですが、98歳になる今も健在です。このドキュメンタリーで明かされる彼のファッション・イノベーションは、私たちのイメージを覆すものでした。
もう1本は、2017年末に閉店したパリ、『コレット』の最後の日々を追ったドキュメンタリー『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』です。パリのNO1セレクトショップですが、2017年惜しまれて閉店しました。この伝説的なショップの閉店は、世界中のファンに衝撃を与えました。
ディスカッションメンバーはいつものように川野正雄、名古屋靖、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名。

(C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★まず『ライフ・イズ・カラフル!』ですが、ピエール・カルダンのドキュメンタリー、
どんな発見がありましたか?

川口哲生(以下T)
私たちの年代の日本人の大半は、ピエール・カルダンというとタオルからスリッパからについたPマークをイメージするのではないかな。ちょっと節操のないネガティブなイメージとして。笑
この映画を見て、「全てはデザイナーの仕事」として取り組むモダニストとしてのカルダン像をポジティブに捉え直しました。本人も若い時に男女ともにモテたのもわかる感じだったし、Aラインドレスももっと宇宙的なテロテロな素材感のイメージだったけれど質感があってかっこよく見えたし、だいぶ見直しました。カルダン。というかちゃんと生き様やヴィジョンを理解していなかったと反省しました。

川口敦子(以下A)
多分、子供の頃、というのはまあ60年代の初めになりますがフランスのデザイナーとして最初に名前を覚えたひとりが、カルダン。あとはシャネルとサンローランだったと思うのですが、哲生くんもいってるように、それがだんだんPマークのちょっとはずかしい名前になっていく過程を中学、高校と進む成長期と共に経験していたんですね。そんなイメージがこのドキュメンタリーを見てみると知らない事ばかりだったんだなと、矯正といったらいいのかしら、「へえ~」の連発みたいに覆されていく、そんな感じでした。そもそもイタリア生まれということにも驚いたんですが、そのくらいきちんと知ろうとしたこともなかった人なんだ、と改めて気づいたりもしました。若い頃の本人はなかなか素敵でふーんと驚きましたね。ジャンヌ・モローとの恋愛関係というのは映画ファン雑誌で読んで
まあ、それなりに知っていたし彼女が映画でカルダンを着ているというのも知ってた、でもジャン・コクトーやジャン・マレーにももててたというのは不勉強で恥かしいですが初めて知りました。

川野正雄(以下M)
ピエール・カルダンについて、全く知らなかったのだなと思いました。皆さんと同じでやはり雑貨などのライセンス商品の、ちょっとネガティブなイメージがあり、ピエール・カルダンの本質的な理解は出来ていませんでした。この映画を見て、ライセンスも戦略があっての事で、売上を上げて、カルダンがやりたかった事も見えたので、「大変失礼しました」と謝りたい気分です。
映画は、ともかく発見の連続でした。敦子さんと同様、イタリア人であった事も知りませんでした。現代のファッション業界の基本戦略、プレタポルテ=百貨店の汎用モデル、メンズデザイン、グローバル展開、ライセンス事業などは、全てカルダンが創造したと言っても過言ではないと思います。またそれを教えてくれたこの『ライフ・イズ・カラフル』に感謝です。

名古屋靖(以下N)
みなさんがおっしゃっている通り、僕らの世代ではお中元やお歳暮でいただくリネン商品についたPマークが最初で、これさえ付いていればある程度安心。でもこだわりがあっておしゃれな人には逆効果的なデザイナーでした、ごめんなさい。しかし、このドキュメンタリーを観た事で、作品や仕事だけでなくご本人の人柄も含めとても魅力的で、知らなかった事の発見だらけでした。

(C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★デザイナーとしての彼の面白さはどこにあると思いましたか?

A:ディオールのメゾンにいた頃、三羽烏といわれていたというサンローランとの関係、確か映画の中で短く「決裂した」みたいに言われていたと思うのですが、もう少しそこは詳しく知りたいなと思いました笑 ライセンス・ビジネスとか、重なりもあってどうしても同時代のライバルとして比べてしまいますから。
で、カルダンのデザイナーとしての面白さに関しても、最初の頃のモンドリアンしていた頃のサンローランとはモダンというテイストでその前の大御所たちと別の新しさを共に提示して、好敵手みたいな感じがありますよね。
でもその後、サンローランがエスニックをデザインのモチーフにして創造の部分で世界をまたにかけ変化を旺盛に取り入れていったのに対し、まあ、ずっと追いかけていたわけではないので間違っているかもしれませんがカルダンのルックというと同じひとつのモダン、未来的な形で勝負し続けているようで、そのカルダン的未来をグローバルに布教していったみたいにも見えます。あるいはデザインのモチーフとしてエスニック採り入れることはしない、あくまで自分の世界なのに、商売は世界でという、それも強さですよ
ね。

N:それまでの様々な常識からの解放を成し遂げた革命家。プレタポルテの先駆けでモードの民主化に成功。男性ファッションの開拓、人種にこだわらないモデルの起用。戦略的な考えもあったのでしょうが、日本人モデルをミューズにしていたとは全く知りませんでした。あと、かのマキシム・ド・パリが彼の持ち物で、それを手に入れるまでのストーリーはそれだけで一本の映画が作れそうない魅力的です。(笑)
服飾デザインではAラインやフューチュアリスティックなものは有名ですね。メゾン・マルジェラとノースフェイスのコラボ2020年秋冬コレクションで、両手を横に広げると真円になるマウンテンパーカーがあります。そのコレクションを見た時「なんじゃコリャ?」な奇抜極まりないデザインだと思ったのですが、このドキュメンタリーを観ている途中、すでにカルダンが60年代にほぼ同じデザインを発表していたことに驚き、カルダンの才能を再認識しました。

M:60年代のデザインは、すごくポップで、華があり、面白いと思います。メンズへの取り組みなど含めて、すごく先端的な人だった(ビジネス面含めて)と、改めて認識しました。
日本人モデル松本弘子の起用とか、黒人モデルなど、人種を超えた展開、メンズにモードの概念を持ち込んだ点など、やはりすごくイノーベーションを起こす部分が、一番面白いですね。
僕はジャンヌ・モローとの関係も知りませんでした。個人的な話ですが、オリジナルポスターは持っているのですが、見た事のない『バナナの皮』のフッテージが出てきて、嬉しかったです。
マキシム買収したり、シアター作ったり、ある意味やりたい放題ですが、全部きちんと戦略と想いがあるのがわかり、非常に納得出来ました。
優秀なデザイナーでもありながら、素晴らしいプロデューサーでもあったのだなと思います。そこの差は、イヴ・サンローランとの違いではないでしょうか。

T:やっぱり独特の構築的なモダンさですね。これってやっぱり時代感があって、VIVAやサッスーンのスインギングロンドンやatomicとかとも呼応する感じがありますよね。今年の年初に行ったNYのエーロ・サーリネンのTWAホテルとか。成長期の今日より明るい明日みたいな気分とともに近未来的なモダンな感じ。

C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★時代との関係については?

N:良くも悪くも60年代の人。豊かで夢に溢れた時代にあらゆる不可能を可能にしてきたのはデザイナーとしての才能もさることながら、時代の波にうまく乗れたクレバーな人だったんでしょう。
他に類を見ない、大手資本グループに参加吸収されなかったことで自由を手に入れられたのは素晴らしい事ですし、その戦略のためにライセンス事業に邁進したことを知って正直敬服しました。

A:白人のマヌカンが当り前の時代に有色人種を起用したということや、メンズや子供服にもいち早く進出したとか、その進取の精神というのかな、60年代という時代が世界のそこここで破壊と新しさの構築に向けたパワーに満ちていた時代だったと思いますが、まさにそういう時代の力をパワフルな戦略として活かし、基本的にはその60年代的な強さの中にとどまり続けた存在なのかなあ、なんて映画を見ながら思いました。
変わらなさは、時代の方が変わるとまた新鮮に見えてくるというのはありますね。あと、コングロマリットに吸収されるのが当り前の時代の中で今もカルダンで看板をしょって立つという往き方、意地悪くいえばこの先どう生き延びていくのだろうと余計なお世話ですが興味深いですね。

M:イヴ・サンローランと、時代性では共通しますね。グランメゾンにいた事含めて、似たような印象です。実際二人はうまくいかなかったようですが。60年代のトップデザイナーで、今も現役はカルダンくらいではないでしょうか。
ジャン=ポール・ゴルチェや、フィリップ・スタルクが、カルダン出身とは知りませんでしたが、才能のあるデザイナーを排出しているのは、ファッションの歴史において、やはり貴重な存在だったのだなと認識しました。
それから私が生まれた年でもあるのですが、1959年に初来日しているというのは、すごいと思いました。
その頃はヨーロッパで、戦後日本に視点を向けるデザイナーや、実業家はほとんどいなかったのではないでしょうか。
中国やロシアというファッション後進国へのチャレンジもすごいですね。単にテーマや風土をデザインに取り入れたり、販売するのではなく、各国でファッション革命を起こして、国民のファッションに対する意識を変革させてきたというのは、世界的に見ても貢献度がものすごく高いと思います。

C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★より開かれたファッション、服だけでないデザインへの眼という点で、『コレット・モン・アムール』が閉店までを追った伝説的なコンセプトストアのストリートとカルチャーとモードのミックスという部分とつながっていかなくもない存在なのでは?

A:民主化、開くということの先に閉じる、排除する(誰もと一緒じゃつまらない)ということがないとおしゃれ心は満足できないというのがあるんじゃないかと感じるんですが、コレットが2017年末に店を閉じたというのも開く/閉じるという点から見て興味深いですよね。なんだかうまく説明できてないんですが。

N:カルダンとコレットでは、その方法やゴールは違いますが、両方とも「解放」や「自由」が重要なテーマになっているのではないかと。今風に言えば、前向きな「多様性」とか。それまでの価値観やルールなど関係ない、仕切りを取っ払った、見たことがない新しい提案に心踊るのは時代が違ってもおしゃれな人々を魅了します。

T:カルダンの「モードの民主化(オートクチュールからプレタポルテへ)」とコレットのキュレーション力での「特別なものの民主化(カテゴリーや価格帯も取り混ぜ16歳のhiphop少年からブルジョア女性までにとって特別なものを感じさせる)」というキーワードの重なりが面白いですね。

M:僕は一度だけコレットに行った事があります。それが1997年だったので、映画を見て、オープンした年だと知りました。
その時はコレットの存在は知らず、何か他の用事があり、フォーブル・サントノーレから歩いていて、偶然発見して、入りました。まだ飲食もなく、コンパクトな印象でした。
ただコム・デ・ギャルソンやBEAMSの商品があり、日本の商品が多いなと。BEAMSと似ているなあという印象でした。何故かニナ・リッチの商品が多くあり、それが映画で言っていたハイブランドとのコラボレーションか、共存だったのかな。
そこでギャップも感じたのすが、モードとストリートカルチャーのミックスというコンセプトは、表現されていたのですね。
ただ何か買ったかというと、何も買いませんでした。
またフューチュラ2000が出ていましたが、映画『ワイルドスタイル』や、ザ・クラッシュのアルバムにも参加していて、ヒップホップカルチャーの最初期の重要人物である彼が連携しているのは、とてもカッコいいなと思いました。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★今も現役とはいえカルダンの時代というのはやはりあったと思うのですが、その時代、とコレットが代表した今への流れ、私たちもくぐり抜けてきた変化だと思いますが、2本の映画を通してみてそのあたりどんなふうに感じましたか?

T:カルダンの時代は一人がそのテイストを持って生活に関わる全てのものをデザインして一つのブランドで串刺しようという時代だと思います。
一方コレットはスタイル、デザイン、アート、食について独特の視点を持ってキュレーションする。カニエやファレルみたいな層、昔のブラックストリート系だったら関心示さなかっただろうパリに反応するこうしたファッションコンシャス層の出現とファッションそのものがやはりブラックカルチャーやストリートの影響無しでは語れなくなっている両方向からの歩み寄りが面白い。

それがNYでなくパリでというところも。RADIO NOVAからDAFT PUNKへの音楽的地下水脈とも呼応しそうですよね。パリの意味。

A:シネマ・ディスカッションでも取り上げたミア・ハンセン=ラヴの『エデン』も思い出してみたくなりますね。

デザイナーが作るモードからスタイリスト、あるいは哲生君のいうキュレイターの世界へという流れは70年代から80年代へという時代の中でパルコが果たした役割のことも想起させますね。
『コレット・モン・アムール』が新生パルコで上映されているのもその意味でちょっと感慨深い、なんて。

N:カルダンの全盛期は自分が物心つく前のお話ですが、知らなかったことばかりで楽しく観ることができました。特にレトロモダン好きな人には是非お勧めしたい。
その逆で、自分がコレットに影響受けていることは否定できません。コレットの存在がなければこんなにスニーカー買ってませんから!(笑)コレットの20年は今ある新しいモードを提案・定着させた歴史そのものです。そしてそれがパリのサントノーレ通りにあったということが、ハイファッションとストリートを融合させる説得材料になっていたのは重要なポイントだと思います。

M:コレットの店舗が、ハイブランドが並ぶサントノーレ通りにあるというのが、象徴的だと思います。セレクトショップなら、レアル、サンジェルマン、バスティーユなどに出店してもよかったと思いますが、あえてサントノーレというのが、カルダンからの流れ~モードを意識していたからではないかと思います。
そしてコレットがサントノーレ213番地、カルダンの初店舗が、サントノーレ118番地と、同じ通りに最初に出店したというのも、縁というか、ストーリーを感じます。
カルダンからコレットへの流れのは、そのままサントノーレ通りの変遷でもあったのではないかと思います。それはファションビジネスの主流が、生産中心から仕入れ中心に変化していった時代の変化を象徴しているのではないかと思います。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★コレット・ルスローとサラ・アンデルマン母娘については? 映画はこのふたりへのリスペクトを背骨にして成立しているように思いますが。

N:親子であり信頼しあうパートナーという理想的な二人。アンデルマンがいなかったら、あそまでの世界的評価を得るような店にはなれなかったでしょうが、それでも母親のコレットさんが愛すべきボスなのは映画を通して伝わってきます。『ライフ・イズ・カラフル!』でも制作者2人のカルダンへの愛を感じますが、『コレット・モン・アムール』はその業績より2人を中心とした「コレットの人々」を愛情たっぷりに見せてくれました。

M:コレットの芯の強さと、親子ならではの信頼関係を感じました。お互いもリスペクトしていますね。コレットが店頭の在庫補充に関して、スタッフにクレームを言っているシーンがありましたが、コレットが小売り業の基本を大事にしている姿を、象徴的に描いていると感じました。
そういう姿勢が、お店が長く続いた理由の一つではないかと思います。それと、当然ですが、コレットの着ている服は、独特でとても素敵だと思いました。サラはあまりそうは思いませんでした(笑)。

T:似ているけれど違うパートを背負っているのが興味深いですね。ああやって毎日普通に店にいるのが素敵。

A:彼女たちにとっての日本というのがインスピレーション源としてどのくらい大きいのかななんて映画を見つつぼんやり思っていました。コレットさんの目立たず、厳しく、自分の好きを貫く感じ、さらりとお店にいる感じもちょっと違うのかもしれないけれど、20世紀末、成田空港にふらりと紀ノ国屋のエコバッグを提げて現われ機内に入っていったという川久保玲の佇まいと通じてるような、昨日今日でてきた俄かじゃない重みを軽やかに身につけているのが見て取れて面白かったです。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★ドキュメンタリー映画としての作り方、2本のそれぞれの魅力はどこにあると思われましたか?

M:割とどちらもオーソドックスなドキュメンタリーと感じました。オーソドックスというのは、いい意味で、見やすく、伝わりやすいという事でもあります。
『コレット・モン・アムール』は、アニメーションの使い方が可愛かったですね。

A:『ライフ・イズ・カラフル!』はドキュメンタリー映画の作り方として何かとりたてて目新しい部分はないけれどカルダンについて彼のデザイン+ビジネス・センスの力強さをこの映画を通じてみせつけられた気がします。その意味で98歳でいまも現役という帝国の支配者が自ら指揮したプロモーション映画としても成功しているんじゃないかな。『コレット・モン・アムール』は閉店までの刻々を追うというカウントダウンの要素が通奏低音的にあって、それがサスペンスというとやや大仰で、映画のテイストとは離れちゃいますがでもある種のスリルを付加しているなと感じました。お店のテーマカラーの涙やハートのアニメーションを実写にのせる使い方もさらりとかわいくていいですね。それぞれの映画のコメンテイターを見比べるとそれぞれの世界がみえてくる、そこも面白いですね。

N:『ライフ・イズ・カラフル!』のPOPで軽快なタッチは、以前観た『イヴ・サンローラン』の威厳的で重厚な見せ方とは真逆でした。「お仕事」を軸にそれを積み重ねることでその人間性まで魅力的に描いているのは監督兼プロデューサー2人の個性のおかげだと思います。
『コレット・モン・アムール』ですが、自分は一度もコレットに行ったこともないくせに、影響を受けていたからか勝手に親近感やリアリティを感じてしまい、カウントダウンという手法も相まって、エンドロールでは「ありがとう!」とともに少々感傷的になるくらい気持ちが入り込んでしまいました。最近のハイストリート系のファッションに少しでも興味があったり、好きだったりする人は観に行くべきドキュメンタリーだと思います。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★コロナの時代ということも含めて服に対する姿勢は今、どんな感じですか?

M:コレットが終盤、今日の世界状況を予言するような発言をしていて、2017年閉店という選択は、正しかったのだなと、最後に思いました。
自分自身でいえば、コロナは関係なく、この1年位は、トレンド的なもの、モード的な服への欲求は、殆ど無くなりました。去年は2回ほど海外に行く機会もありましたが、セレクトショップなどに行っても、心が動かされる事はありませんでした。
今良いと思うの服は、ベーシックで、カンファタブルな服。同じアイテムの色違いや、同じ色の似たアイテムで、いつもあまり変わらない装いになるようにだけ、考えています。
コロナの影響によって、見せる服を着ていく場が消失したのは、やはり大きいと思っています。ブルックス・ブラザースが倒産するなど、少し前は想像出来なかったと思います。レナウンも倒産し、セレクトショップのアウトレットショップが銀座に出来るなど、ファッション業界の先行きは、厳しいと言わざるおえません。
ただコロナの影響で、服だけではなく、仕事や生活においても、取捨選択がなされ、見つめ直す事によって、本当に必要なものだけが残っていくという状況は、良かったかなと思っています。苦境の中、この先に生まれてくるカルチャーに期待したいですね。

A:朝日新聞のインタビュー(20年9月14日)で無難さ、同調、安心を突き「着るものも含めて他人と違いたいという欲求がますます弱くなってきたのは、特に女の人たちだと思います」と、川久保玲氏が答えていたのが興味深かったです。

N:川久保玲氏のインタビュー、敦子さんがおっしゃてた部分は僕も胸に突き刺さった発言でした。みんながそうならないようコレット亡き後、Dover Street Marketには頑張っていただきたい。

T:コレットの1997から2017年は一方では男性ファッションにおいてはイタリアンクラシコから始まったイタリアンな時代でもあったように思います。その中でクラシックから過剰なカジュアル化が進みそのカウンターパートとしてのクラシックなスーツの極まりがちょうど自分の中では2017年ごろでピークアウトした感があります。そこから教条的になったファッションをもっと着る楽しみに戻そうという感じがあります。自分では着なくてもミケーレとかの精神に時代が呼応しているように思います。もっと自由な着方、というスピリットでフレンチや古着やちょっとモードっぽい感じや、何か自分の中では1970年代から1980年代中頃のものが新鮮な気がします。着飾って出かけていくところがないからこそ、単調な毎日だからこそハイブリッドな組み合わせや着る楽しみで自分自身を鼓舞する日々です。泣

Pharrell-Williams-Colette-Mon-Amour_H.Lawson-Body

座談会を編集中に飛び込んできた高田賢三さんが、コロナで亡くなったというニュース。『ライフ・イズ・カラフル!』にも、元気に出演されており、残念極まりませんが、高田さんの元気なお姿を、是非この作品で見て頂きたいと思います。

『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』
Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開中!
配給:アルバトロス・フィルム
公式サイト:colorful-cardin.com 

C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』2020年9月26日(土)〜2020年10月8日(木) 19:00-
渋谷シネクイントにて、2週間限定公開
https://www.cinequinto.com/white/

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

CINEMA DISCUSSION-25/My Generation~マイケル・ケインがガイドする60’s LONDON

Michael Caine
© Raymi Hero Productions 2017

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2019年1回目の作品になる第25回は、60年代のロンドンを、英国を代表する俳優マイケル・ケインがガイドするドキュメンタリー『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ』です。
前回のシネマ・ディスカッションは、70年代末のニューヨークの夜明け前的な熱気とバスキアをとらえたドキュメンタリー『バスキア、10代最後のとき』でしたが、時計の針を更に10年以上巻き戻して、舞台がニューヨークからロンドンに変わります。
監督はドキュメンタリーのテレビを多数撮っているディヴィット・バッティ。
プロデユーサーの一人でもあるマイケル・ケインはプレゼンターとして、時空を超えて60年代全般をガイドします。
ロジャー・ドールトリー(THE WHO)、ポール・マッカートニー(THE BEATLES)といったメジャーなミュージシャンも登場しますが、カメラマンデヴィッド・ベイリーや、デザイナーメアリー・クアントなど、名前は知っていても実像はよく知らないカルトアーチストが当時を語るのが、見ものです。
字幕監修は、去年そして今年のMODS MAYDAYにもDJとして出演頂くピーター・バラカンさん。
ディスカッションメンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

UNITED KINGDOM – JULY 11: THANK YOUR LUCKY STARS Photo of BEATLES and Paul McCARTNEY, with The Beatles, tuning up Hofner 500/1 violin bass guitar on set at Teddington Studios (Photo by David Redfern/Redferns)

★前回のシネマ・ディスカッションでは『バスキア、10代最後のとき』が描いた70年代末ニューヨーク ダウンタウンを取りあげましたが、今回の『マイ・ジェネレーション』の60年代”スィンギング・ロンドン“と比べてどうですか?

川口敦子(以下A): サラ・ドライバーの資質のせいも大きいと思いますが、親密に閉じた世界としてのニューヨーク ダウンタウン70年代が『バスキア、10代最後のとき』という映画の美点ともなっているのに対して、60年代ロンドンはみなさんも指摘されているように、より広範にコマーシャル化された印象がありますね。
『マイ・ジェネレーション』もそのお墨付きのおしゃれな時代をおしゃれに、妙にひねらず描いている点がすんなり入りやすく、好感がもてました。

川野正雄(以下M):『バスキア、10代最後のとき』は、対象がバスキア個人であり、しかもブレイク直前の短い期間にフォーカスしていて、非常にピンポイントに深く抉っていっている印象があります。
『マイ・ジェネレーション』は、60年代ロンドンという割と広い範囲で、マイケル・ケインがガイドとして紹介をしていますが、今までイメージで感じていたいう印象です。
バスキアのNYは、正にHIP HOP誕生前夜のような新しいカルチャーがグツグツと煮えたぎっているような熱さを感じました。
60年代ロンドンの少ないアーカイブ映像でしか表現出来ないビジュアルを、うまくコメントで補完していたと思います。
よりコンサバであった当事の英国で、ユースカルチャーが市民権を得るようになるプロセスを、かなりダイレクトに感じることが出来ました。
映画には出てこないのですが、60年代初期のワーキングクラスの若者を描いた英国文学『長距離ランナーの孤独』とか『土曜の夜と日曜の朝』。いずれもトニー・リチャードスンが映画化していますが、その辺の小説や映画からも、若者たちの閉塞感と、新たな時代を作っていくエナジーが沸いてきていたように思います。
先日NHK BSで放映された『1968』というドキュメンタリー番組には、ブライトンのMODS vs TEDSの抗争や、ロンドンで開催されたベトナム戦争反対のポエティック・リーディングのイベントが取り上げられていました。
そこではこの映画と同様に、それまでの時代は政治的に支配されていて、若者は高等教育を受けることで、親の世代を凌駕し、60年代に英国独自のカルチャーを作っていたと解説していましたが、抑圧されていた若者のパワーが、様々な文化的側面で一気に爆発していった過程が、マイケル・ケインのナビゲートにより、明らかになる面白さが、この作品にはあると思いました。

川口哲生(以下T):前回のCD『バスキア、10代最後のとき』はバスキアというシンボリックなメディアのしかも当時の映像を通じて切り取った70年代末NYだったのに対して、こちらはマイケル・ケインが連れて行くタイムトリップ的な感じだったし、よりマスカルチャーやコマーシャリズムまで巻き込んだヤングカルチャーという感じでした。

名古屋靖(以下N):”スィンギング・ロンドン“や”シックスティーズ“などキーワードは後で知ってもそれらは、ファッション史の事柄でしかありませんでした。前のめり気味で観た『バスキア、10代最後のとき』の同時代感と比べてしまうと、最初は歴史のお勉強といった感じで観始めたのですが、おしゃれなだけでないユース・カルチャーの逆襲というか、エネルギーの爆発ぶりにいつの間にか引き込まれていきました。

★60年代東京と通じるものはありますか? ”マイ・ジェネレーション”というよりは憧れたり、仰ぎ見たのが60年代だったように思いますが?

M:僕が60年代カルチャーを肌身で感じたのは、リアルタイムだと67年以降のGSや、モンキーズですね。GSと一緒に、ビージーズ、ストーンズなどザ・タイガースやザ・テンプターズがカバーしていた洋楽にも馴染んでいきましたし、彼らのファッションは子供ながら気になっていました。
ザ・タイガースはスウィンギング・ロンドン真っ盛りの68年に撮影に行ったりしていましたから、彼らを通じて、当時の若者はロンドンを感じたのかなと、改めて思いました。
今予告編観ると、SWINGING LONDONなんて、キャッチが入っていますね。
ただ日本のシーンは、この60年代後半までは、GSがロックをカバーしたりしていましたが、そこまでは歌謡曲の延長線上というか、渡辺プロが音楽シーンを作っていた時代だったと思います。70年くらいになって、日本独自のロックやフォークが生まれて、そこからようやく日本のロック文化は生まれてきたと思います。
必死に海外の情報を集めて、演奏に取り入れていて輸入文化のアレンジしたGS時代の日本と、60年代前半に大きく音楽文化が進化した英国は、割と近い状況だったのではないでしょうか。

T:私の年代では『マイジェネレーション』というには乗り遅れている感がありますね。
当時の私はまだ小学校ですからビートポップスやレコードジャケットやからいろいろなファッションや音楽の情報を得るにとどまっていたような気がします。
それでもミニスカートやサッスーンカット(後から知っているのかね?)やBIBAのロゴやと憧れだったし、日本のマスカルチャーの購買にも影響与えていると思います。
この時代はインターネットもSNSもないから情報格差が多く、本当に判った人とコマーシャルに乗せられる人の構図はより明快でしょうね。

N:60年代というと、自分は産まれる前かその直後だったので、その頃の東京についてカルチャー的な記憶はまだありません。白黒で放映されていた頃のTV番組も、ほとんどが米国からのもので英国の番組を観た覚えがありません。環境の違いもあるでしょうが60年代中期でもまだ洋楽には触れておらず、年の離れた親戚のお兄さんにギター弾きながら加山雄三の歌を聴かされた思い出くらいしかないのです。

A: このメンバーの中では一番年上の私でも60年代はやはりまだ子供過ぎて、それでも後半は中学生だったりしたのですからもう少しおませだったら同時代の情報として受け取っていたかもしれませんが、そうでもなかったので、東京が、それもかなりメインストリームな受け口が公認したものを仰ぎ見ていた感じかな。学校の帰りにこっそり寄り道した渋谷西武の中二階のうす暗いロンドン・ポップもどきのファッションフロアとか思い出します。
60年代東京はオリンピックや植木等の映画みたいな上昇期のイメージで想起され、その中でビートルズとかツイッギーとか明るく消費されていたようにも思います。

English fashion model Twiggy with a poster bearing her name and image, 1967. (Photo by Paul Popper/Popperfoto/Getty Images)

★マイケル・ケインが進行役でフィーチャーされていますが、この構成については?

A: 映画ファンとしてはそこがこの映画一番の見どころですね。現在のケインが『アルフィー』の頃の彼と対話するような構成、いまや英国的、あるいは老人のいぶし銀的重厚さをその配役に求められ、それに充分、応えもしている名優の若き日のちょっと下品すれすれの艶っぽさを改めて鑑賞できて面白かったです。

M:マイケル・ケインは、英国にとって重要なアイコンなのだなと改めて思いました。
60年代はハリー・パーマーシリーズや『アルフィー』がやはり印象的ですし、70年代の『探偵(スルース)』や『鷲は舞いおりた』の英国将校も良かったです。
キャスティングとしては、マイケル・ケインか、テレンス・スタンプしか考えられないのではないでしょうか。

T:イギリスにおけるマイケルケインの位置づけ、例えばデイヴィッド・ベイリーやミュージシャンと同様に、スウィンギングロンドンのFACEなんだなと改めて感じました。

★記録映像の選び方、編集に関しては?

M:音楽は馴染みのある映像もあったりしましたが、ファッション系は初見が多く新鮮でした。
カーナビーストリートだと思いますが、スモール・フェイセスのスティーブ・マリオットが買い物して出てくるシーンなど、何もクレジットもされませんが、ちょっとした所にまで、見るべき映像が配置されているなと思いました。相当な数のフッテージから、厳選して使っているのではないでしょうか。

N:BIBAの店舗など見た事がない映像ばかりで、ファッションについてはとても勉強になりました。 洋服好きなら一見の価値ありかと。
あと、学生時代のデイヴィッド・ホックニーには驚かされました。彼がまだ米国に渡る前に参加していたポップ・アート運動など、当時のグラフィックやアート・シーンについてもっと掘り下げてくれたら、さらに興味深く観れたかと思います。

T:多くの見たことのない映像があり面白いですね。

A:そのケインのTVトークショーでの応対ぶりもそうですが、よく知られたものばかりでない記録映像をいい所で挿入する構成力、映像資料考証の仕事もしていたという監督デイヴィッド・バティが英国のテレビのお家芸ともいえるドキュメンタリーの底力を結集したようにも見えますね。

★英国的階級社会に揺さぶりをかけたユース・カルチャーとして”映画、音楽、写真、ファッションを代表する面々がコメントしていますが、特に印象的なコメントは?
人選に関しては?

N:マイケル・ケインが有名な役者だという事も知らなかったのですが、当時コックニィー訛りで苦労した話や階級制度についてはとても興味深く観れました。自分が英国に深く興味を持ったきっかけは、TVで見ていた『モンティパイソン』が最初なので、すでにその頃は上流階級は馬鹿にされる対象に成り下がった時代です。その原点がここにあったのは繰り返しになりますがとても勉強になりました。

T:クラス闘争としてのスウィンギングロンドンという切り口が日本人にはあまりなかったけれど、マイケル・ケイン初めコックニィーアクセントのクラスのムーブメントというコメントは印象的でした。昔コックニィーレヴェルというバンドもいたよね?
昔セントマーチンに言っていたベイリー姓の友達がいて、若かったからデビッド・ベイリー知っている?と聞いたら親戚だと言われたのを思い出した。彼の写真はたくさん見ていたけど、彼自身の映像をこんなに見たことはなかったので印象的だったし、彼の切り取る女性像が、どちらかというと音楽中心として意識していたスウィンギングロンドンのもう一面を見せてくれていた。彼の笑い顔が友達の女の子によく似ているのにびっくりしました。

A: 俳優、あるいは音楽やモデルの世界にしても“コックニーで喋る”層の進出がそんなにも衝撃的なことだったのかという点が私も興味深かったです。ちょっと外れるかもしれませんが『マイ・フェア・レディ』のイライザの訛り矯正の挿話の積み重ねを京都に移して翻案した『舞妓はレディ』、かなり楽しく見たのですがオリジナルの背景、年代はずっと遡ることになるのでしょうが、もともとそこにあった真の衝撃や笑いは理解できてなかったかもしれないですね。

M:マイケル・ケイン以外は、今の映像が出ないのは、監督の演出でしょうか。
マリアンヌ・フェイスフルは、10年位前ベルリン映画祭で見かけましたが、当然ですが年輪が刻まれ、当時のオーラは薄れていました。彼女のコメントは率直で面白かったです。
2018年のMODS MAYDAYでは、今回字幕監修をしているピーター・バラカンさんに、当事の英国シーンのリアルなシーンについて、語って頂きました。
その中で、MODSはワーキングクラスだけど、仕事しているから若い割にはお金持っていて、洋服やレコード、スクーターにお金を使っていたという話を聞きました。
その辺の話と、この映画はすごく繋がってきますね。
自分として興味深かったのは、音楽よりもファッション系の部分です。メアリー・クワントや、BIBAの映像などは、今まで見た事もなく、60年代後半のスウィンギング・ロンドンの生の空気でしたね。

A:川野さんも挙げられた英国映画のワーキングクラスもの、それを代表するアルバート・フィニーとかトム・コーテネーとか、ケインがメインになっているせいで監督が気を使ったのかな――なんて思ったりもするのですが、意外とあっさりしか触れられていないのがちょっと残念でした。そういえば先日、ニコラス・ローグが亡くなってしまいましたが彼とドナルド・キャメル共同監督でミック・ジャガーが主演した『パフォーマンス』とか、アントニオーニ監督の『欲望』とか、あとリチャード・レスターもの、ポランスキーのロンドンものとか映画に絞った60年代の記録も見たいなんて勝手に思ってしまいました。素敵な俳優がたくさんいましたよね。
さらにそういえば、マリアンヌ・フェイスフルって確かワーキング・クラス出身じゃなくて、だからなのか、そんな先入観のせいか、ともかく彼女のコメントの置き場所が微妙にふわりと落ち着かない感じがあってそれも興味深かった。

★音楽の使い方はどうでしょう?

M:ここはまあ一般的というか、楽しめる選曲だなあと。
ただ60年代前半、特にMODSカルチャーではブルーズやスカなど、ブラックミュージックの影響が大きかったはずなので、その辺も少し紹介して欲しかったなあと、個人的には思います。
バラカンさんの話ですと、MODSがスーツを着るのは、当事のジャマイカン/スカの影響だそうです。
結局英国のポップミュージックは、50年代はロニー・ドネガンなどのスキッフルしかなく、皆米国の音楽、ブルーズだったり、ロカビリーを聞いていて、英国オリジナルの音楽が生まれたのがこの60年代前半だったと思います。
プレスリーが出てきたのは面白かったです。それとドノヴァンが意外とフューチャーされていましたね。
ドノヴァンって、フォーク歌手という分類から何となくアメリカ人と思ってましたが、スコットランド人なんですよね。英国の代表的な監督ケン・ローチのデビュー作『夜空に星があるように』は、正にこの時代に、マイケル・ケインのライバルとも言えるテレンス・スタンプを使って撮られていますが、やはりドノヴァンがフューチャーされています事を思い出しました。
ドノヴァンについての認識が、ちょっと変わりました。

T:キンクスとかハイナンバーズとかスモールフェイセスとか象徴的ですね。
ジョンバリーとかあるアルファーのテーマとかはアナザーサイドという感じで好きです。
その後ドラッグインフルエンスな曲調になって70sへ。

★見どころは?

A:やっぱりマイケル・ケインかな。

T:音楽がムーブメントの核にあること、ジェネレーションの熱量!

M:時代的に60年代全般を映画の中では通過していますが、60年代前半のMODSの時代と、後半のスウィンギング・ロンドンでは、実はカルチャーは全く違っていて、その時代にはMODSは終わり、新たなスタイルへと変化しています。
一見同じ60年代ロンドンですが、その辺の違いみたいなものを、この映画を見て感じ取って欲しいです。
MODSの好むものは、音楽ではブルーズやジャズ、スカなどで、スーツはジャズメンやジャマイカンのスタイル。カジュアルだとリーバイスにミリタリーのパーカーなど、基本は米国文化の輸入でした。
モッズシーンは、その時代にアメリカや他のヨーロッパのカルチャーを取り入れる事で、英国独自の若者のアイデンティティーを生んだ部分に価値があったと思います。
そこから一気に音楽も洋服も、英国オリジナルのカルチャーが生まれてきて、ファッションはモード化し、英国人が世界的な音楽シーンの主役に登りつめ、スウィンギング・ロンドンに進化していきます。
英国独自のカルチャーが生まれていくプロセスを、映画を通して実感して頂ければと思います。

Cockney actor Michael Caine, who starred in such classic British films as ‘Alfie’ and ‘Get Carter’. (Photo by Stephan C Archetti/Getty Images)

『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』
2019 年 1 月 5 日(土)より Bunkamura ル・シネマ他全国順次ロードショー
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
© Raymi Hero Productions 2017