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京都でのアメリカ映画隠れた名作特集上映/Cinema Discussion-40

Husbands © 1970 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第40回は、旧作になりますが、1970~80年代のアメリカ映画の隠れた名作を特集上映する京都みなみ会館の特集上映にフォーカスしました。

マーティン・スコセッシ、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュが敬愛する
監督として名を挙げるジョン・カサヴェテス。
そして、現在ではアメリカ映画を代表する名監督であるポール・トーマス・アンダー
ソンやリチャード・リンクレーターが影響を強く受けていることを公言する、ジョナ
サン・デミや、ロバート・アルトマン。
現在までのアメリカ映画の系譜を担う監督等の作品であるにもかかわらず、日本では
視聴困難な作品も多い。そんな 70〜80 年代の埋もれたアメリカ映画の傑作を集めこ
の度、一挙上映。その他、近年再考が進むブラックムービーの始祖メルヴィン・ヴァ
ン・ピーブルズのアメリカデビュー作、監督として語られることの少ないポール・ニ
ューマン、そして今こそ改めて注目すべき才人、エレイン・メイのデビュー作ロマン
ティックコメディなどをラインナップしています。
『ハズバンズ』/ジョン・カサヴェテス
『ウォーターメロンマン』/メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ
『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』/ポール・ニューマン
『愛されちゃって、マフィア』/ジョナサン・デミ
『おかしな求婚』/エレイン・メイ
『ポパイ』/ロバート・アルトマン

ディスカッションは、映画評論家川口敦子に、川野正雄の2名で行いました。

ウォーターメロンマン_© 1970, renewed 1998 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

★70年代~80年代アメリカン・インディーズと銘打った特集上映、70年代初めの4本『ハズバンズ』(70)『ウォーターメロンマン』(70)『おかしな求婚』(71)『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』(72)はアメリカン・ニューシネマの時期とも重なりますが、一味違う感がありますね。そして『ポパイ』(80)、『愛されっちゃってマフィア』(88)となるとまた別の時代が始まっていた感もあります。まずはこの頃、どんな映画を見ていましたか? どんな映画に夢中になっていましたか?

川口敦子(以下A):世代的には同時代で体験できたはずのアメリカン・ニューシネマなんですが、深夜番組で淀川さんがニューシネマは映画の敵ですと発言された(と私はずっと思ってきたんですが、?マークの指摘をいただいたりもして不安になってます笑)のを真に受けて頑なに避けていたんですね。大学生になってさすがにそれでは未体験ゾーンが多すぎと反省し、慌てて二番館や名画座で後追いしたんです。といった変則的ニューシネマ体験なので、今回の70年代初めの4本が時期的には重なっていても一味違うといいつつ、そう言い切っていいのか、正直言えば自信がない。ただアメリカン・ニューシネマって反体制の時代の機運を背景にしたハリウッドの若者ねらいの勝算を背骨にした実はスタジオ仕掛けの動きに他ならなかったともいえますよね。その意味では今回の特集の70年代初めの4本も、はたまた80年代の2本もそれぞれスタジオ映画なので、大きな括りでいえば新しい時代のハリウッドという意味でのニューシネマに片足をかけつつでも、まさにその”でも″の部分にある作家性やフェミニズムや人種問題の取り込み方、主張の仕方、ジャンルの踏襲と解体の試み方に独自の面白味がある、そこにこれまたゆるい呼び方にはなりますが80年代後半から90年代にかけてのアメリカン・インディーズの流れを導くものがありそうですね。
で、あの頃、何を見て何に夢中だったかに関してはテレビの洋画劇場で見た往年のハリウッド映画、ニュー・シネマを避けつつスクリーンで見たベルトルッチ、ヴィスコンティ等々の退廃ムード溢れるヨーロッパ映画、あとそことも触れ合っていそうなニューシネマ後のハリウッドの回顧ブームにのったボグダノヴィッチやコッポラ、ポランスキーを繰り返し見てました。あ、アルトマンも『ギャンブラー』とか『ボウイ&キーチ』本人も言う通り時流に乗って回顧もの撮ってましたよね。

川野正雄(以下M):アメリカン・ニューシネマをWikipediaで調べると『ゴッドファーザー』なんかも入っていて、どうなのかな〜と思ってしまいました。
ちょうど映画を見出した時期と重なるので、思い出深い作品が多いです。
リアルタイムで見たものも後年見た作品もありますが、『スケアクロウ』、『ラストショー』、『バニシング・ポイント』などは好きな作品です。
60年代になりますが、『ジョンとメリー』なんかも好きですね。
『卒業』のマイク・ニコルズ監督のディープな恋愛映画『愛の狩人』や、『フレンチ・コネクション』のウイリアム・フリードキン監督のゲイ映画『真夜中のパーティ』なども、かなりアヴァンギャルドに当時は感じて、ニューシネマだと思っていました。
当時はメジャーとインディペンデントなんていう区分けも自分の中では出来なかったですが、テーマ的に自由とか反戦とか、メッセージがどこかにあるものをニューシネマと解釈していたと思います。
今回の作品もスタジオ作品ばかりなんですね。
サンダンス映画祭で、『俺たちに明日はない』のアーサー・ペン監督に会い、少し話をしたのですが、小柄な大学教授みたいな人で、何となく自分の中のアメリカン・ニューシネマはその時のアーサー・ペン監督になっています。
この頃の作品には、今の作品とは少し違う情緒のワクワク感がありました。

★その頃、作られながら日本で見ることができなかった、あるいは完全な形でスクリーンでみられなかった今回の6本の中でも、とりわけ期待して見たのはどの映画、監督?
感想は?

A:いずれもうれしい上映ですよね。その中でマイク・ニコルズとのコンビで知られるエレイン・メイの『おかしな求婚』は実のところ、もひとつ期待度が低かったんですが、見てよかった。すごく面白かった。このところ漸くハリウッドでも女性監督がふつうに活躍していますが、メイはまだまだ希少価値の時代にあって、”女性″であることを当たり前に受け容れていることで逆にフェミニズムを完遂しているというのかな。無闇な頑張りで差別撤廃を叫ぶような、劣等意識の裏返しともなりかねない主張を端から相手にしていないような超え方が素敵です。映画はハワード・ホークスのコメディとかも思い出させる、スクルリューボール・コメディとロマンチック・コメディのジャンルをふまえて、まさに”おかしな″ふたりの行路をおかしく追って飽きさせません。メイ自身が演じる生きにくそうかつ言動,心身ともに不器用の塊みたい、でもなんだかじわじわかわいいヒロインと、え、こんなにセクシーだった?!と目からウロコのウォルター・マッソー、どちらも俳優としてすごくいい。
『ウォーターメロンマン』は今年、亡くなったメルヴィン・ヴァン・ピーブルズ監督作で、黒人映画史を辿る上でも必ず名前があがってくる一作ですね。白人レイシストになりすましてKKKの捜査を試みる署内初の黒人警官をめぐるスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』とか、白人社会投げ込まれた黒人の恐怖を描いたジョーダン・ピールの『ゲット・アウト』とか肌の色ひとつで世界がかわることを風刺したこのピープルズの一作があってこそと思えてくる、見逃せない一作ですよね。
良くも悪くも80年代だなあと感慨深い『愛されちゃってマフィア』はジョナサン・デミがかるーく撮ったという脱力感がうれしいお愉しみ作ですが、やはり先ごろ亡くなったディーン・ストックゥエルがその後、盟友デニス・ホッパーとリンチ映画で見せた怪演へと連なるような芸域を披露していて懐かしかったです。ヒロインの強い味方となるヘアサロン経営者の不法移民役シスター・キャロル・イーストは『サムシング・ワイルド』や『レイチェルの結婚』にも顔をみせているデミのお気に入りのジャマイカ出身女優兼ミュージシャン、こちらも久々に映画を再見して懐かしかったな。音楽はデイビッド・バーンが担当しています。
で、そんなふうにいずれも期待大の6本だったわけですが、中でも特にポール・ニューマン監督作『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』は、ニューマンの評伝を翻訳した時に、まだ今のようにアマゾンすればってわけにもいかず、どんな映画なんだと訳しながら不安もいっぱいだったのを覚えています。それだけに日本初公開に期待が募りましたね。その評伝には『レーチェル、レーチェル』といいこの一作といい、直感型の女優で妻のジョアン・ウッドワードと対照的に「大脳型」の分析的な俳優である自分は最終的な目標は監督だと、『ハスラー』の頃に既に発言していたとの記述もあって、『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』で女性の抑圧された心理を繊細にみつめるその眼差しを目にしてみるとなるほどなっとくと監督ニューマンの興味深さ、確かな手ごたえとして感じられましたね。

M:時間的な事もあり、今回は残念ながら、ポール・ニューマン監督の『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』のみ見ました。
前半は一体何を描く映画なのか、よくわからず、ポール・ニューマン版『こわれゆく女』かと思いましたが、ラストまで見ると、ポール・ニューマンらしい社会的なメッセージが深い階層に込められているのが、よくわかりました。
自分の妻と娘を役者として起用しているわけですが、容赦無く厳しい芝居をさせているなとも感じました。

おかしな求婚_Images courtesy of Park Circus:Universal

★監督ニューマンに関しては? スターとしてのイメージと比べてどんな印象を?

A:奔放すぎる母と姉にふりまわされつつ耐え、耐えつつ自分の興味に向き合っていく少女の葛藤の健気さ、それを小芝居をよせつけない透明な顔に切り取るあたりも、演じるニューマンの実の娘ネル・ポッツの素晴らしさは無論ながら、監督ニューマンの腕の冴えも見逃せないと思いました。俳優ニューマンは極論すれば銀幕上、そこにいるだけでいい、輝いてしまう、文字通りのスター、ではあるけれど改めて振り返ると『ハスラー』とか『熱いトタン屋根の猫』とか『ハッド』とか、『動く標的』みたいなクールさももちろん捨てがたいけれど、好き!って夢中になったのはもの言いたげな上唇に上目遣いの、でもジェームズ・ディーンの亜流のそしりはきっぱりとはねつける硬質の美が全開の映画なんで、それは監督作の繊細な翳りとも実は通じていくのかもしれない。そういえば今回、呪われた快/怪作『ポパイ』が上映されるアルトマンとニューマンの関係もすごく気になっているんです。同い年の反骨の精神を分かち合うふたり、『ビッグ・アメリカン』『クィンテット』と組んでますが、どんな関係だったのか、訊いておくんだったと反省してます。

M:ポール・ニューマン監督の前作『わが緑の大地』はリアルタイムで劇場で観て、好きな作品でした。
本人やヘンリー・フォンダも出ているより娯楽作の香りが強い作品ですが、オレゴンの森林の環境問題もしっかり織り込むニューマンらしい映画でした。
俳優で見る彼の姿とは違いますね。監督デビュー作『レーチェル レーチェル』も、良い作品でした。
どのような基準でテーマを選んでいるかわかりませんが、今回の作品も巧妙にテーマが仕込まれていて、見事でした。
調べてみたらこの作品の後3本監督していて、ノーマークでした。
この時期のポール・ニューマンは、『スティング』、『ロイ・ビーン』、『マッキントッシュの男』など、役者としても充実していた時期で、ニューマン自身に勢いもあったのではないかと思います。

まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響_© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved

★ひとくちにアメリカン・インディーズといっても様々ですが今回の上映作ではどのあたりにインディ魂を感じましたか?

A:『ポパイ』は『ロンググッドバイ』や『ナッシュビル』と傑作を放った70年代アルトマンの転落の第一歩みたいにいわれた呪われた一作ですが、世の中で言われるほどひどい興行成績ではなかった。「スタジオはあの映画で金を失くしてはいない」「期待したほどのヒットにはならなかったというだけのこと」と涼しい顔していってのけるアルトマン、いいですよね! ビデオ化されて「驚異の子守映画」になった、我が子が2歳になると親は”『ポパイ』の部屋″に子供を送り込む、2時間は大人しくしてくれるから。映画の台詞をすべて暗唱できるって”『ポパイ』の子ども″にこのごろよく会うよ――って、めげてないアルトマン、我が道を往くインディ魂のひとつの見本じゃないでしょうか(笑) 実際、マンガをマンガのままに実写化するって試み、今きちんと見直してみたい、その意味でもインディな快作だと思います。ちなみに公開時、『ポパイ』の国外版ではスタジオに3曲カットされたそうで、カサヴェテスの『ハズバンズ』も131分版と今回の142分版がある。エレイン・メイも長さの問題でスタジオともめ裁判沙汰になり監督のクレジットを外すように要求したといいます。私は『ハズバンズ』の終わらない悲しみをだらだらとひきずる男たちの悲しさが、差別発言と非難されようがいっちゃいますが、女子供には立ち入れない男の世界、男の友情をみつめていて好きなんですね。だからこそ今回の長い方がさらに好き、歌合戦映画の列に加えたい朝方までのパブでの場面の、おばさんいじめみたいな場面も、まだまだ終われない、そのつらさが染みてくる。もちろんそこにカサヴェテスの、「演じる」ということに向けた姿勢も埋め込まれてはいるのでしょうけれど。
でもこれ川野さんは、苦手な方のカサヴェテスなんですね(笑) 得意な方はどのあたりなのか、訊いてみたいと思いました。

M:カサヴェテス作品では、『フェイシズ』」、『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』あたりが苦手です。敦子さんとは逆の感想になりますが、延々と続く会話の応酬が、作品によってはキツく感じます。こちらのコンディション次第なのかもしれませんが。
『ハズバンズ』では、おばさんいじめの場面など、正にそうです(笑)。
因みにすごく一般な考え方になりますが、ニューシネマを代表するスターロバート・レッドフォードが組成したのがサンダンス映画祭で、アメリカンインディーズの作家を育成するのが目的でした。
『明日に向かって撃て!』がなかったら、今のようなアメリカン・インディーズのシーンは形成されていなかったと思います。
映画では同僚のポール・ニューマンも多分同じような考え方をしていたのではないでしょうか。
そういった背景でニューマン作品は、そのメッセージの隠され方含めて、メジャースタジオとは違うアプローチしているように思います。
調べてみるとこの作品以降も制作本数は寡作ですが、インディペンデントの精神を忘れない作品を追い続けたのではないでしょうか。

A:スタジオと作家の葛藤のなかでも”完全版″か否か、最終編集権の問題がしばしば浮上してきますよね。単純化していってしまうと監督は長くても自分が撮った通りのものをと週着する。それに対してビジネス上の問題等々でスタジオはカットを要求してくる――永遠に歩み寄れない闘いの例は多々あるわけですが、川野さんが実作の部分で関わった中で、映画の長さに関してはどんなふうに考えますか?

M:FINAL CUT問題は、本にもなる程ハリウッドでは重要ですね。
上映時間は契約書に定められたしていますが、映画館の上映時間で1日に回せる回数にも影響して、それは当然興収にも影響するので、センシティブでもあります。
今後劇場映画からネットフリックスのような配信映画中心に変わってくると、作品の尺の概念も、変わってくると思います。
個人的には『ハズバンズ』が上映時間でもめるのは、皮膚感覚で理解できます。

★今後、見てみたい幻の一作、監督は?

A:変則的アメリカン・ニューシネマ体験のせいで、フランク・ペリー監督作をきちんとみていないんです。ポール・ニューマンと68年の大統領選で対ニクソン候補ユージン・マッカーシーのキャンペーンを記録した短篇を撮ったりもしているようで、ハリウッドで撮ってはいてもインディ魂の人だったのではないかなと。

M:先ほどのアーサー・ペン監督の未公開作品『MICKEY ONE』ですね。『俺たちに明日はない』の前、1965年にウォーレン・ビューティを起用した作品です。
サンダンス映画祭で見たのですが、スタン・ゲッツのジャズをバックに逃亡するサスペンス映画です。
モノクロのスタイリッシュな映像で、改めて日本語字幕入りで見たいと思います。

Images courtesy of Park Circus:Disney.jpg

<会場>京都みなみ会館 https://kyoto-minamikaikan.jp/
<会期>12/4,6-9,11-12 (12/5 と 12/10 は休映)

『スイート・シング』戻ってきたアレクサンダー・ロックウェル/Cinema Review-12

©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

セルクルルージュのシネマレビュー第12回は、アメリカン・インディペンデント映画界の奇才アレクサンダー・ロックウェルの新作『スイート・シング』です。ロックウェルの監督作品が、日本で公開されのは、オムニバス作品『フォー・ルーム』以来25年ぶりとなります。
日本でのブランクはありますが、さすがロックウェルと呟きたくなる作品に仕上がっています。
レビューは、映画評論家川口敦子と、川野 正雄です。

★川口敦子

『スウィート・シング』を前にして懐かしいな、とまず思った。監督・脚本のアレクサンダー・ロックウェル、その名前に久々に旧友と再会し、健在ぶりを確認し、よかったねと心の底で小さく呟きたくなるような親密な気持ち、自然に湧き上がる懐かしさを覚えたのだ。
日本で公開される新作は何年ぶりになるのだろう。昨今のプロフィールでは92年、サンダンス映画祭のグランプリ受賞作『イン・ザ・スープ』がまず紹介されている。確かにモノクロで描かれる監督志望の青年をめぐるささやかな奮闘の物語も、往時の愛妻ジェニファー・ビールスに敬愛するカサベテス組のシーモア・カッセル、ブレイク寸前のスティーブ・ブシェミと、商売よりは”好き″を優先のキャスティングにしても、新作『スウィート・シング』と響きあうインディならではのパーソナルな感触に包まれて、世知辛い世の中にふっと風穴を開けてくれる。その意味で『イン・ザ・スープ』が優しい気持ちに満ちたロックウェルのキャリアを代表する快作であることに意義なしではあるのだが、それ以前にもオフハリウッドの御大サミュエル・フラーをリスペクト全開でフィーチャーし、ヌーヴェル・ヴァ―グ愛もまた開示したささやかなロードムービー『父の恋人』があったこともこの際だからさらりと思い出し、そうしてそんなロックウェルがかいくぐったハリウッドとインディペンデント監督たちの束の間の蜜月時代、21世紀の今を去ることほぼ30年前の映画の置かれたスリリングな時空、その懐かしさの奥行もまた嚙みしめてみたいと思う。

振り返れば『イン・ザ・スープ』が大賞に輝いたのと同じ年、『レザボア・ドッグス』で注目の新鋭とサンダンスでも熱い視線を集めながら受賞を逃したタランティーノが皮肉にもカンヌを経て新たな時代の寵児となり、以来、彼が牽引したハリウッド90年代のインディ旋風の下、サンダンス発の新鋭4人が競作したオムニバス『フォー・ルームス』。その一編を撮ったロックウェルはスタジオの勝手な編集によって意にそまぬ結果を差し出す羽目となる。ミラマックスの庇護の下、ヒットがなによりのスタジオの商業ベースに与しながら究めたい自身の領域をしぶとく生かす柔軟さと器用さとを身につけて時流に乗ったタランティーノの成功をしり目に尻すぼみのキャリアを強いられたロックウェル、彼のその後の歩みは脚光を浴びる新時代のインディのまさに対極で、撮りたいものを撮りたいように撮る自由を死守してハリウッドと距離をとる懐かしくも頑固なインディのスタンスのことを改めて想起させもするだろう。

©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

久々の新作はしかし、そんな行路へのリベンジというような気負いの力こぶなどとは無縁、みごとにあっけらかんと我が道を往く。その軽やかな頑なさに惹き込まれる。
床上浸水の被害にあって手にした保険金、それをそっくり制作費にあてて、娘と息子と妻が主要キャストを務め、教鞭をとるNYU映画科の学生をスタッフに――と低予算のスタイルの懐かしさもさることながら、カラーフィルムで撮った白黒の粒子の粗い映像のざらりとした肌触り、そこに息づく生の涙ぐましさ、詩情、その時代を超えた普遍の美質にはもう一度、巻き込まれずにはいられなくなる。その名にちなんだビリー・ホリデイが守り神としてヒロイン ビリーのモノクロの世界に色鮮やかに侵入してきたりする、物語りの闊達さも見逃せない。とりわけ少年マリク(テレンス・マリックの影)と弟ニコ(ウォーホルの歌姫の影)とビリーが、大人になれない親たちの世界を逃れて解け出す冒険譚。『地獄の逃避行』と『スタンド・バイ・ミー』の出会う所と評されもしたそこに少しだけ『狩人の夜』の記憶もかすめるようなその時空でみつめられる無垢、イノセンスの領分、その真正の懐かしさ! 酒浸りの父(演じるウィル・パットンも懐かしのインディ系怪優。注目のケリー・ライカート監督作での健在ぶりも要チェック!)の弱さも突き放さないロックウェルのパーソナルな映画は、なけなしの小遣いをはたいてクリスマスにウクレレ(おもちゃまがいのそれではあっても)を娘に贈るだめ親父のだめなりの想いをそっと祝福する。そんなやわらかな記憶が胸に降り積もり、映画をいっそう懐かしいものとする。それは昔はよかった――なんて後ろ向きの感傷とは別の、人の心の核心を突くやさしい気持ちの懐かしさといっていいだろう。

©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

★川野 正雄

アレクサンダー・ロックウェル、懐かしい名前である。
彼の代表作『イン・ザ・スープ』は、僕がSundance Film Festival in Tokyoの仕事をしていた時に上映し、ゲストとして来日したシーモア・カッセルとは,
親しくなる事が出来た。
ユタのサンダンス映画祭で再会した時には、ジーナ・ローランズを紹介してもらい、憧れのカサベティスファミリーに接する最良の時間を提供してくれた恩もある。
そんな個人的な思い出もあるが、作品に出てくるスティーブ・ブシェミや、ジム・ジャームッシュの当時のフィルムメーカーぽさに随分と感化され、自分にとって『イン・ザ・スープ』は忘れられない作品となっている。
続いて見たロックウェルの作品は、クエンティン・タランティーノら当時のアメリカン・インディーズを代表する4人の監督で撮ったオムニバス『フォー・ルームス』である。
映画の舞台になったロスのホテル、シャトー・マーモントには、当時出張で行った際に宿泊した事もあった。

そんな感じで、90年代中期の僕はこの世界にどっぷりとハマっていた。
しかしその後ロックウェルの軌跡は、タランティーノとは陰と陽のように対照的であり、作品が日本で公開される事はなく、僕の中でも忘れていた存在になっていた。
資料を見ると「フォー・ルームス」から何と25年ぶりの日本劇場公開である。その間に6本の作品があるが、ロックウェルの監督生活は、同期のタランティーノとは随分と違った物になってしまった。

©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

この『スイート・シング』も、自分の子供たちを出演させているというパーソナルな一面から自己資金と、クラウドファンドで製作したという。
スタッフは自らが教鞭をとるニューヨーク大学大学院映画部の学生たちを起用している。
そして映像は16mmフィルム。カラーで撮影し、モノクロに転換させるという当時のサンダンス作品でよく見られた手法。
当時カメラマンのエレン・キュラスにモノクロームについて聞いたら、同じ事を言っていたのを思い出した。
『イン・ザ・スープ』や、先頃亡くなったシーモア・カッセルへのオマージュも、密かに込められている。
そんな感じでミラマックスが世界中の映画業界を席巻していた時代の匂いが強く漂い、ロックウェルのインディーズ監督的なこだわりが、徹底して貫かれている。
それはジョン・カサベティスの系譜を強く感じされるものであり、、90年代前半のアメリカン・インディペンデントのスピリッツをそのまま持続している事が、この作品からは強く伝わってくる。
しかしそれは決してオールドスクール的なものではなく、今の時代にロックウェルはきっちりと向き合っている。
忘れられた存在になっていたロックウェルだが、日本での長い空白期間の間に、映像作家として進化し、よりエッジが効いた作品を作るようになっていた。

©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

作品の中も、設定年代は提示されないが、いつの時代でも通用する普遍的なメッセージが込められている。
主人公の女の子の名前はビリー。絶妙のタイミングで、先頃ドキュメンタリー『BILLIEビリー』を見たが、ビリー・ホリディにちなんだ名前である。
映画は、ビリーを中心にしたダメな大人たちによって苦しめられる子供たち。その子供たちの自由への疾走が、子供たちの目線で描かれている。
『スタンド・バイ・ミー』的という意見も見かけるが、『スイート・シング』は、よりシニカルかつスリリングに、大人と子供を対比しながら見つめている。
父、母、母のパートナー、出てくる大人たちはロクでもない。
日本でもモラルが崩壊しているような事件も起きているが、境界線がわからなくなっている大人たちなのだ。
その大人たちと、ちょっと弾けた子供たちの関係を描くロックウェルの視線は暖かい。
中でも子供たちのリーダー役になるジャバリ・ワトキンスの存在感が素晴らしく、魅力的だ。
そして観客の心の中に長く生き続ける強いメッセージが込められている。

©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

途中でウイリー・ウイリアムスのレゲエクラシック『ARMAGIEDON TIME』が流れ、ロックウェルの音楽的センスの良さに驚いたが、最後に『スイート・シング』は、ヴァン・モリソンからの引用だと気づかされる。
ロックウェルの音楽的センスは、タランティーノよりもクールなのだ。
そしてこれからのインディーズ映画のお手本のような作品を作った、アレクサンダー・ロックウェルの健在ぶりに拍手を送りたい。

10月29日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺他全国順次公開中

原題:Sweet Thing|2020年|アメリカ映画|91分|DCP|モノクロ+パートカラー
監督・脚本:アレクサンダー・ロックウェル
出演:ラナ・ロックウェル、ニコ・ロックウェル、ウィル・パットン、カリン・パーソンズ
日本語字幕:高内朝子 配給:ムヴィオラ
公式サイト