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THE MAN meets DJ Scratchy

『THE MAN × DJ SCRATCHY Japan Tour 2015』Kyoto
『THE MAN × DJ SCRATCHY Japan Tour 2015』Kyoto

今年のクリスマスイヴ、元東京スカパラダイスオーケストラの冷牟田竜之さん率いるTHE MANから、素晴らしいクリスマスプレゼントが届くことになった。
1978年以降クラッシュのツアーDJとして活躍し、スカやレゲエとパンクの融合を実現させたDJ SCRATCHYことBarry “Scratchy” Myers とのジョイントLiveが、東京と京都で実現することになったのだ。
昨年のクリスマスイヴには、同じ会場になる渋谷LA MAMAで、野宮真貴さんとのクリスマスらしい素敵なコラボレーションをファンにプレゼントしてくれたTHE MANだが、今年は彼らのルーツともいえる80年前後のロンドンのクラブシーンを彷彿させてくれるようなLIVEを期待したい。
DJ SCRATCHYは、ドン・レッツと共にロンドンのパンクシーンに大きな影響を与えた英国ロックシーンのインフルエンサーというべき人物でもあり、クラッシュのツアーDJや、LIVE前に会場に流れるクラッシュ独自のBGMを選曲したDJのパイオニアである。
多分DJ SCRATCHYやドン・レッツ以前には、DJが音楽シーンに影響を与えるという存在になる事はなかったのではないかと思う。
DJ SCRATCHYにとっては、今回が4回目の日本ツアーだと聞いた。フジロックフェスティバルにも参加しているが、これまで僕は残念ながら彼のDJを生で聴いてことはないので、今回は非常に楽しみにしている。

DJ SCRATCHYが、DJをスタートしたのは1976年ロンドンのカムデンロックにあるクラブDINGWALLSである。
DINGWALLSは、後年ジャイルズ・ピーターソンの ‘Talkin Loud and Saying Something’でアシッドジャズムーヴメントの聖地となるクラブだが、当時はアメリカから来たラモーンズが初ライブを行ったり、パブロックのグループが演奏をしていた。
その流れなのか、DJ SCRATCHYは、パブロックの雄ドクター・フィールグッドのステージにも参加していた。
ドクター・フィールグッドは、パンク前夜の英国のムーヴメントであったパブロックの中心的存在で、日本でも御馴染みのウイルコ・ジョンソンが、ギタリストとして参加していたグループである。
音楽的にはグラムロックからパンクへの過渡期のような時代であり、R&Bをリスペクトしながら、ソリッドでエネルギッシュなロックを産み出していた。

そのドクター・フィールグッドのDJをDJ SCRATCHYがしていたことと、クラッシュのDJをした事は無関係ではないと思う。
同じくパブロックの人気グループだったグラハム・パーカー&ザ・ルーモアのホーンセクションは、クラッシュの『LONDON CALLING』のホーンセクションと同じチームであり、THE MANのホーンセクションにもつながってくる演奏スタイルだった。

https://youtu.be/zzxzHA3zliw

当時ジョー・ストラマーが結成していたいたバンド101ERSも、パブロックと呼んでも良いようなグループだった。
この音源ではニューオリンズの名曲『JUNCO PARTNER』を演奏している。
数年後同じカバー曲がレゲエバージョンに生まれ変わって、クラッシュの4枚目のアルバム『サンディニスタ!』に収録されており、日本公演でも演奏された。
ニューオリンズのルーツ的なR&Bは、DJ SCRATCHYのレパートリーの一つであり、ドクター・フィールグッドもカバーで取り上げていた。
ジョー・ストラマーの『JUNCO PARTNERS』へのこだわりも含めて、当時のシーンでリスペクトされていた事がよくわかる。
同じころコヴェントガーデンのニールストリートにあったクラブROXYでは、ドン・レッツがレゲエをかけながらDJを始めており、パンクミュージックとレゲエの橋渡しをしていた。
クラッシュの曲で『1977』というタイトルがあるが、何かが起き始めていた1976年に、DJ SCRATCHYは、DJとしてのキャリアをスタートしていたのである。

DJ SCRATCHYがクラッシュのライブDJを始めたのは、1978年の仮釈放ツアーのファイナルになったロンドンミュージックセンターでのコンサートのようだ。きっかけはDINGWALLSでの彼のプレイを聴いたジョー・ストラマーが気に入り、声をかけた事だったらしい。
その後クラッシュ初の北米ツアーとなったパールハーバーツアーや、翌年のSIXTEEN TONS TOURに参加するようになり、レギュラーのクラッシュファミリーの一員となっていった。
パールハーバーツアーのハイライトとなったニューヨークのパラディアム公演には、アンディ・ウォホール、ニコ、デボラ・ハリー、ジョン・ケージなど、当時のNYセレブが集結した。また伝説のクラブスタジオ54には、メンバー全員で繰り出し、彼らの曲作りへのヒントを得る事が出来たのではないかと思う。
そういう環境でのDJプレイは、DJ SCRATCHYにとっても、重要な経験だったのではないだろうか。
DJ SCRATCHYがプレイしていた訳ではないので、多分カセットテープだと思うが、彼の選曲を初めて聴いた日の事は鮮烈に覚えている。
1982年1月24日の渋谷公会堂、クラッシュの日本公演初日である。会場に一歩足を踏み入れると、聴こえてきたのはそれまで聴いたことのないオリジナルスカ、レゲエDJ、そしてダブだった。
多分その時代に知っていたのはスカならスペシャルズ、レゲエならボブ・マーリーにピーター・トッシュに、ジミー・クリフ位。ダブはクラッシュの『サンディニスタ!』で初体験だったかもしれない。
当時はそれが誰の選曲かも知らなかったが、ライブ前に聞いたレゲエDJやダブの格好良さがともかく衝撃的だった。
ポール・シムノンがいつもツアー中は、デカいラジカセでセレクトされたレゲエを聴いているというエピソードにも影響され、その時味わった刺激を求めて、後年自分はDJをやるようになったような気がする。

日本公演にも同行したペニー・スミスの写真集からポールお気に入りの一枚を選んでもらった。
日本公演にも同行したペニー・スミスの写真集からポールお気に入りの一枚を選んでもらった。

後日見た追加公演やTV放映公演のわかりやすいセットリストとは違い、初日のクラッシュはその前にツアーしていた北米でのLIVEに近い構成だったと思う。
『夕陽のガンマン』のテーマで登場し、1曲目は当時は新曲で馴染みのなかった『SHOULD I STAY OR SHOULD GO』。
知らない曲で戸惑う中2曲目から『ONE MORE TIME』で早くもレゲエ/DUBが炸裂。ジョー・ストラマーは二日酔いなのか、ステージに嘔吐用バケツを持ち込んでの激しいパフォーマンスで、初めて相対する日本の観客との間合いを計りながらの展開。終盤のアンコールも『ARMAGIDEON TIME』に『BANKROBBER』と、レゲエチューンが並ぶ日本初上陸のステージだったが、個人的には一生忘れられない一夜になった。

その日のBGMに受けた感動が、28年を経過して蘇った日があった。2010年香港で見たゴリラズのLIVE会場である。ゴリラズはブラーのデーモン・アルバーンのユニットだが、このツアーにはギターでミック・ジョーンズ、ベースにポール・シムノンというクラッシュのメンバー二人が参加し、クラッシュ以来という二人揃ってのワールドツアー(ステージでも右サイドにポール・シムノン、左サイドにミック・ジョーンズというクラッシュのステージと同じ布陣)だった。
LIVE前の会場では、30年近く前のクラッシュの時と同じオリジナルスカや、レゲエDJにダブが、独特のリズムで流れていたのだ。DJ SCRATCHYのセレクトかどうかは不明だが、デーモン・アルバーンが、クラッシュやDJ SCRATCHYの世界観を深くリスペクトしている事がダイレクトに伝わってきた。今や英国を代表するミュージシャンのデーモン・アルバーンも、DJ SCRATCHYチルドレンというべき存在なのだ。
因みにライブ自体は、デ・ラ・ソウルら複数のヒップホップアーチストがフロントアクトを務めていた。
このスタイルは、僕がロンドンのレスタースクエアで観たビッグ・オーディオ・ダイナマイトのデビューアルバムツアーと同じ構成である。

https://youtu.be/rTul7hEfxKY

DJ SCRATCHYはクラッシュ以外にも、イギー・ポップ、クランプス、ポーグス、ブラック・ウフルーなどのツアーDJも務めているが、後年ジョー・ストラマーのソロ活動のツアーDJもしていた。
DJ SCRATCHYの音楽性は、ジョー・ストラマーに最も近いのではないかと思う。
クラッシュ解散後、ヒップホップなど新しモノ好きのミック・ジョーンズは、前述のドン・レッツとビッグ・オーディオ・ダイナマイトを結成。
レゲエが好きなポール・シムノンは、中南米の香りがするようなロックバンドハバナ3AMを結成。
トッパー・ヒードンは、グルーヴィなソロアルバムを発売と、個々の音楽的個性が表面に出るようになってきた。
ジョー・ストラマーは、ラティーノ・ロカビリー・ウォーやメスカレロスなど、彼自身のユニットを結成し、よりグローバルな肌触りの音楽を生み出していた。
レゲエ、スカは当然だが、ニューオリンズ、ラテン、チカーノ、ジプシーサウンドなど、グローバルな音楽へのDJ SCRATCHYの幅広い守備範囲は、ジョー・ストラマーとの共感性が高かったと思う。
そういう意味では同じようにレゲエとパンクを繋いだ存在だが、よりクラブサウンド的なエッセンスが強いドン・レッツよりも、ルーツミュージック色が強いという意味では、ギャズ・メイオールに近い存在かもしれない。
余談だが縁あってロンドンのポートベローにあるジョー・ストラマーの家を訪問した際、レコード棚にはギャズ・メイオールの作ったGAZ ROCKIN’BLUESのカセットが並んでいた。

ポールと同じくペニー・スミスの写真集から、一番ジョーお気に入りのショットを選んでもらった。
ポールと同じくペニー・スミスの写真集から、一番ジョーお気に入りのショットを選んでもらった。

最近のDJ SCRATCHYのセレクトは、彼自身のHPや、セルクルルージュでも参加しているMIX CLOUDに、の中に、SCRATCHY SOUNDSというページがあるので、是非とも聞いてみて頂きたい。
クラッシュのライブ前BGMの雰囲気は、トロージャンから出ている彼の選曲したレゲエコンピレーション『SCRATCHY SOUNDS』から味わうことが出来る。

DJ SCRATCHYのレゲエコンピレーションアルバム。
DJ SCRATCHYのレゲエコンピレーションアルバム。

前述したドン・レッツの最近の選曲は、BBCのRADIO 6チャンネルで、ネットでも聞くことが出来るので、聞き比べて頂くと面白いだろう。

そしてTHE MANである。THE MANについては、一度ご紹介しているが、7月にルパン三世をテーマにした『TABOO 皆殺しの唄』を、チャーリー・コーセイさんとの共演でリリース。
その後開催されたBILLBOARD TOKYOのライブでは、チャーリー・コーセイさんとのユニットの集大成ともいえる素晴らしいステージを見せてくれた。
いつものライブハウスとは違う都会的な会場であったが、一段とアップグレードしたパフォーマンスで、バンドとしての成長や成熟を強く感じる事が出来た。

多分今は次なる展開をリーダーの冷牟田さん中心に練っているタイミングだと思う。
冷牟田さんのDJを聴いていると、常にクラッシュの音楽はイメージ出来るし、彼の音楽的な根底に与えた影響を感じる。
この時期でのDJ SCRATCHYとの共演によって、1970年代末期のロンドンのように、バンドとDJの間の緊張感から新たな化学反応が生まれ、大きな爆発がある事を期待したい。
DJ SCRATCHYは、THE MANのファンの為にどのようなセットを用意するのか、そしてTHE MANはどのようなステージを用意して、英国ロックシーンのレジェンドであるDJ SCRATCHYと対峙するのか。
今年のクリスマスイヴ、日本のスカ/ロックシーンに新たな伝説が生まれることは間違いない。

THE MANのLIVE 桜井有里/藤巻鈴奈 (SAKURAI YURI/FUJIMAKI REINA)
THE MANのLIVE
桜井有里/藤巻鈴奈
(SAKURAI YURI/FUJIMAKI REINA)

THE MANのメンバーである冷牟田竜之さん、青木ケイタさん、中村和輝さんからも、セルクルルージュを読んで頂いた皆様に向けて、このライブにかける熱い気持ちのメッセージを頂いていますので、是非ご一読下さい。

2013年のFUJI ROCK FESTIVAL
深夜にも関わらず、異常な熱気が渦巻くテントの中でDJ SCRATCHYのプレイを目の当たりにしました。
一緒にやれて本当に光栄です!
THE MANとDJ SCRATCHYで作りあげる、熱気渦巻く空間をぜひ皆さんにも体感していただきたい。

青木ケイタ Keita Aoki(THE MAN baritone sax / flute)

ライブ直前、ステージ袖でDJのプレイとオーディエンスの歓声を聴き、会場の熱気を感じながら心を集中させていく
いつもやってる事です
名だたるバンドと共に世界を股にかけてきたLEGENDのプレイを全身で感じ、大きなプレッシャーと共にステージへ駆け上がりたいと思います
DJ SCRATCHY × THE MAN
どんな夜になるか、想像しただけで興奮しています
皆さんも是非体感しに来て下さい
会場で待ってます

中村和輝 Kazuteru Nakamura(THE MAN guitar)

十代の頃
THE CLASHのライブを体験するには
VIDEO TAPEしかなかった。
必死で手に入れた
ハマースミスオデオンでの
ライブ。
ライブスタートのSEは
ジョニー・キャッシュのSixteen Tons

それをレコードでかけてたのが
DJ SCRACHYだ。
彼のプレイでジョニーキャッシュを知った。
彼のRUDE STYLEを象徴する曲だと思う。

CLASH TOUR オフィシャルDJ
所謂 ROCKでDJするオリジネーターだ。

今回光栄な事に彼とライブする事になって興奮している。

真のPUNKROCK LEGENDのプレイと
THE MANの演奏、
その激突の現場を
見逃さないで欲しい。

冷牟田竜之 Tatsuyuki Hiyamuta(THE MAN alto sax / agitate-man)

『THE MAN × DJ SCRATCHY Japan Tour 2015』TOKYO
『THE MAN × DJ SCRATCHY Japan Tour 2015』TOKYO

■12月21日(月) 京都 METRO
「THE MAN × DJ SCRATCHY Japan Tour 2015 in KYOTO」OPEN 18:30 / LIVE START 19:30
前売¥3,500 /当日¥4,000 (ドリンク代別途)
■12月24日(木) 東京 渋谷La.mama
「THE MAN × DJ SCRATCHY Japan Tour 2015 in TOKYO X’mas SP」OPEN19:00 /START19:30
前売¥4,000 /当日¥4,400 (共にドリンク代別途)

SKAシーンを駆け抜けるスピードスター/THE MAN

Ready Steady Go! TシャツのTHE MAN
Ready Steady Go! TシャツのTHE MAN

READY STEADY GO!のTシャツを全員が着込んだクールな男達。
ルードボーイ集団と言ってもいいような危険な香りと、全員の男ぶりの良さ。
元東京スカパラダイスオーケストラの冷牟田竜之さん率いるTHE MANである。
スカをベースにした疾走感のある曲から、ダブを効果的に使った奥行きのある曲まで、我々が忘れかけていたハイテンション(彼らは爆発と表現している)で、観客を圧倒するTHE MANは、昨年デビューアルバムをリリースし、全国をツアーで駆け抜けたばかりである。

メンバーは以下の8名。

冷牟田 竜之:alto sax / agitate-man Tatsuyuki Hiyamuta
青木 ケイタ:baritone sax / flute Keita Aoki
飯川 賢:trumpet Ken Iikawa
寺谷 光:trombone Hikaru Teraya
中村 和輝:guitar Kazuteru Nakamura
加藤 洋平:keyboard Yohei Kato
二本木 潤:bass Jun Nihongi
伊藤 隆郎:drums Takao Ito

セルクルルージュのコンセプトには、音楽=映画=スタイルが、緊張感を持った関係でいた時代を再現するという事がある。
THE MANは、近年では少なくなったその3つのエッセンスを兼ね備えたグループだ。
ここではTHE MANを我々なりの視点で紹介する事で、彼らの活動の応援をしていく予定なので、是非ご一緒に今後のTHE MANに注目をして頂ければ、幸いである。

THE MANを紹介する前に、彼らの音楽の根底に流れるエッセンスを知る為に、少しだけスカの話しを。
スカはご存知のように、1960年代中期に、ジャマイカで生まれた音楽である。
今ではオーセンティック・スカと呼ばれているが、コクソン・ドッドがプロデュースしたSTUDIO ONEなどのレーベルから、スカタライツを中心にしたアーティストによるスカの名曲が続々と生まれていた。
同じ頃ジャマイカの移民が多いロンドンでは、BLUE BEATレーベルから、プリンス・バスターやリコ・ロドリゲスなどが登場し、いわゆるルードボーイ達=モッズやスキンヘッズが、好んでスカを聴くようになっていた。

白人アーティストでも、アシッドジャズオルガンのルーツとも言えるジョージ・フェイムは、いち早くスカをレコーディングしていた。
スモール・フェイセスやフーなどのモッズ系ロックバンドではなく、JAZZやR&Bからシーンに入ってきたジョージ・フェイムが、スカを何曲も取り上げた事は非常に興味深い。
今聞いてもスカの持つグルーヴ感が、見事に再現されており、ジャマイカ人以外がプレイするスカのルーツと言えるのではないかと思う。

当時の日本にはスカの存在を知る人は、殆どいなかったと思われる。70年代に入ると、加藤和彦さんはロンドン滞在時にレゲエ(加藤さんは当時レギと呼んでいた)を知り、サディスティック・ミカバンドでは、『恋のミルキーウェイ』(NMB48のような今時のタイトル!)などの曲で、いち早くレゲエを取り入れているのはさすがという他ない。

そしてスカに世界的に知らしめたのは、70年代終盤英国で沸き上がった2TONEブームである。改めて説明する事でもないが、スペシャルズは、2 TONE(トレードマークの市松模様だけではなく、当時はいなかった白人黒人混成グループの意味もある)レーベルのエースとして、ブルービートのアーティスト達をリスペクトしながら、パンクシーンとオーバラップする時代性をミックスしたので、非常に強力だった。
当時自分は、スペシャルズの曲は殆どがオリジナルではないかと誤解していたのだが、デビューアルバムでは、プリンス・バスター、ダンディ・リビングストンなど60年代の名曲をカバーし、音楽シーンの隙間に埋もれていたオリジナルスカに、スポットライトを当てたのは、大きな功績であろう。
また同時代に、クラッシュをはじめとするロンドンのパンク系の若者に、スカや古いレゲエをDJとして紹介したのは、ドン・レッツ(DJ、ミュージシャン、映像作家/BIG AUDIO DYNAMITE)だと言われている。
スカという隙間に生まれた音楽が、一気にロンドンでムーヴメントになった事がうかがい知れる。
スペシャルズはたった2枚のアルバムで解散してしまったが、音楽シーンに与えたその影響は計り知れないものがあり、多くのフォロワーを生んでいる。
亡くなってしまったが、エイミー・ワインハウスなど、スペシャルズチルドレンの最たる存在だろう。

*長いLIVE映像だが、中盤リコ・ロドリゲスが登場し演奏される『GUNS OF NAVALONE』は、圧巻である。

スカを日本のバンドで最初に本格的に演奏したのはミュートビートだと思う。それまでスカビートを織り込んだグループは幾つかあったが、あくまでもリズムの導入であった。
前身であるニュールードフラワー時代から僕はLIVEを見ているが、正面から本格的にスカ、レゲエ、ダブに挑んだグループを、西麻布レッドシューズの狭いスペースで初めて見た時の衝撃は大きかった。
何枚か残されたミュートビートのアルバムは、今でも色あせない素晴らしいものである。
THE MANには、そのミュートビートのエッセンスが、しっかりと継承されているように感じる。初期のメンバーには、ミュートビートのトロンボーン奏者であった増井朗人さんが参加。
そしてLIVEやレコーディングのミキサーは、ミュートビートで日本人として卓越したミキシングをしていた宮崎泉さん(DUB MASTER X)である。
スカだけではなく、気持ちのいいダブも演奏するTHE MANの音楽性と、サウンドに対する冷牟田さんの拘りが強く感じられる宮崎さんの起用ではないかと思う。

80年代中盤になると、日本でもオーセンティック・スカや、ブルービートのアーティストのレコードが手に入るようになってきた。
下北沢ZOOの山下直樹さん紹介ページでも紹介したが、ギャズ・メイオールが、BLUE BEATのアーチストだったローレル・エイトキン&ポテト5と来日し、芝浦のインクスティックで、東京スカパラダイスオーケストラ(スカパラ)やスカフレームスと一緒にライブを行った。
当然冷牟田さんもスカパラとしてステージに立っていたが、今振り返ると、その日が日本のスカシーンでは、エポックメイキングな夜ではなかったかと思う。

僕と冷牟田さんが知り合ったのも、その時代である。出会いの時の記憶は殆ど無いが、ZOOやP-PICASOというクラブではなかったかと思う。
ご縁があったのか、一度僭越ながらスカパラの前座としてDJをやらして頂いたこともある。
DJとしても冷牟田さんは素晴らしいのだが、DJをやるように勧めたのは、ZOOの山下さんで、初めてプレイしたクラブがZOOだったという事も、最近聞いて知った。

REXでの冷牟田さんDJ
REXでの冷牟田さんDJ

個人的に知り合う前には、冷牟田さんがスカパラの前に所属していたBLUE TONIC& THE GARDENというグループのLIVEを、一度駒澤大学の学園祭で見た事があった。多分それは30年位前の事なのだが、一緒に見たルースターズのLIVEよりも、何故かBLUE TONICの演奏の記憶の方が深く残っている。
BLUE TONICは、ルースターズにいた井上富雄さんが結成したグループだが、同じ時代にポール・ウェラーが作ったスタイルカウンシルに近い、グルーヴィなテイストを持っていた。
冷牟田さんはそこではベースを弾いていたのだが、最近BLUE TONICは、再結成されており、今年の2月19日には、渋谷のREXでLIVEが予定されている。

日本の音楽シーンに、スカの市民権を与えたのは、間違いなく東京スカパラダイスオーケストラである。スカフレームスは、どちらかとうと、ジャマイカのオーセンティックスカの再現という部分に、主眼を置いていた為、なかなかスカファンの領域を超える事は難しかった。
スカパラは、オリジネーターをリスペクトしつつも、様々なジャンルの音楽=ファンク、ラテン、ジャイブ、ジャズ、昭和歌謡、クラブサウンドなどのエッセンスと、スカをコラボレーションさせる事で、より大きなマーケットを獲得していったように思える。
前置きが長くなったが、そのスカパラの中心メンバーだった冷牟田さんが、より選りのメンバーを集めて結成したのが、THE MANである。

TABOO15周年でのTHE MAN
TABOO15周年でのTHE MAN

自分が初めてTHE MANのLIVEを見た時の印象は、冷牟田さんのDJを、バンドで再現したような感触だった。 スカが当然ベースになっているが、冷牟田さんが好きな音楽のエッセンスが、それぞれの曲やスタイルに凝縮されているように感じたのだ。
ここまで長々と説明してきたスカのヒストリーと、ミュージシャンとしての冷牟田さんのキャリア、それに二回りくらい若いメンバー達のエネルギーが、熱い化学反応によって点火している…それがTHE MANの魅力ではないだろうか。

THE MANの1STアルバムのデザインからは、スペシャルズへのリスペクトが大きく感じられる。
冷牟田さん自身も、一番影響を受けたアーティストは、スペシャルズだという。東京にいながら僕は一緒に行く友人が見当たらないという理由で、スペシャルズの来日公演を日和ってしまったが、福岡の高校生だった冷牟田さんは、ものすごいパワーでスペシャルズを見に、一人で東京まで行っているのだ。
THE MANのサウンドは、スペシャルズをトレースしたようなものでは、決してない。ただスペシャルズがBLUE BEATのアーチスト達をリスペクトしながら、パンクムーヴメントにフィットしたサウンドを創り出していった姿と、THE MANのコンセプトは、オーバーラップしているように感じる。
THE MANは30年前に生まれたスペシャルズをリスペクトして、そのスピリッツは継承しながらも、今の時代にフィットした日本人のスカミュージックを創り出そうとしているのではないかと思うのである。

スカという音楽性もさることながら、セルクルルージュとして注目したいのが、THE MANの映画を中心にした映像との距離感の近さである。
THE MANのLIVEは、イタリアの巨匠ミケランジェニオ・アントニオーニ監督の『太陽がひとりぼっち』のテーマが流れて、スタートする。
セルクルルージュのアイコンにもなっているアラン・ドロンと、モニカ・ビッティというクールビューティカップル主演の、この不条理なラブストーリーは、異論のある方もいると思うが、アントニオーニの最高傑作だと思う。
アントニオーニには『欲望』というスウィンギング・ロンドンを象徴するような作品もあるが、あえて『太陽がひとりぼっち』を持ってくるセンスも憎い。
このオープニングの音を聞いただけで、毎回否が応でもその後に展開される熱いステージへの期待が高まってくる。

LIVEに突入すると、常にオリジナル曲だけでなく、カバー曲を交えて展開される。カバーされるのは『ゴジラ』『パルプ・フィクション』『007』など耳馴染みのある映画楽曲が中心で、さらに客席のテンションはあがってくる。
オリジナル曲でも、『Ghost Dog』という、セルクルルージュでも取り上げているジム・ジャームッシュが武士道をモチーフにした映画と同タイトルの曲がある。

昨年末恵比寿ガーデンホールで開催されたTABOO15周年(冷牟田さんプロデュースイベント)では、チャーリー・コーセイさんをゲストに『ルパン三世』をオマージュしたステージが、第二部として繰り広げられた。
LIVEの詳しい状況は、音楽ニュースサイトLIKE Disに、毎回詳細にレポートされているので、そちらを是非ご覧頂きたい。
この2月10日には、新宿RENYにて、同じくチャーリー・コーセーさんゲストの『ルパン三世』セットのLIVEが、再び予定されている。

恵比寿ガーデンホールでのルパンセットLIVE
恵比寿ガーデンホールでのルパンセットLIVE

THE MANの2015年最初のLIVEは、吉祥寺のライブハウスでの演奏だった。その1曲目は、聴き馴染みのあるオリジナル曲ではなく、ジャムセッションであった。最後にホーンセクションが、JB’Sのおなじみのフレーズを決めて終わったそのセッションは、更なるTHE MANの可能性を感じさせてくれるものだった。
冒頭の写真は、READY STEADY GO!のTシャツをメンバー揃いで着ているが、今年はREADY STEADY GO!とのコラボレーションも色々と計画をされているので、ここではその動きも紹介をしていきたい。
さらに個性豊かで魅力的なメンバー一人一人にもフォーカスをしていく予定なので、是非今年はTHE MANを体験しに、LIVE会場に足を運んで頂きたい。

THE MAN 最強のホーンセクション
THE MAN 最強のホーンセクション