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ジャン=ポール・ベルモンドワールド全開の傑作選3/Cinema Discussion-47

Jean-Paul BELMONDO (Gabriel Fouquet), Jean GABIN (Albert Quentin), Noël ROQUEVERT (Landru)
Réalisation: Henri VERNEUIL

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第47回は、今回が第3回開催となるジャン=ポール・ベルモンド傑作選3です。
この特集上映は、第1回第2回も、セルクルルージュでは大特集しているプログラムです。
セルクルルージュ・ヴィンテージストアでも、ベルモンド出演作品のレアなオリジナルポスターをアメリカとヨーロッパからコレクションし、発売しております。
上映作品は、『勝負をつけろ』、『冬の猿』、『華麗なる大泥棒』、『ラ・スクムーン』、『薔薇のスタビスキー』、『ベルモンドの怪盗20面相』、『パリ警視J』の7本です。
昨年ベルモンドは惜しくも昨年9月に逝去し、世界中から惜しまれ、フランスでは国葬級の葬儀が行われました。
そのベルモンドを偲びつつ、魅力を再発見したいと思います。
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

『パリ警視J』© 1983 STUDIOCANAL – Tous Droits Réservés.

★今回は第3弾となったベルモンド傑作選、お薦めベストをそれぞれにあげるという形でいってみたいと思います。昨年9月に亡くなってはや一年が過ぎたベルモンド、その追悼の意も含めた今回のセレクション、ベルモンドというスターの多彩・才さを証明するようにお愉しみの様々な色を差し出してくれますね。そんな中でベスト3を選ぶとしたら、まずはお勧め第3位の映画は? その理由は?

川野正雄(以下M)
今回の傑作選3も、見事なラインアップで、どれも捨て難いのですが、個人的な思い出も含めて、初めてスクリーンでベルモンドを見た『華麗なる大泥棒』を挙げます。
見に行った日の事はよく覚えていて、友人達と新宿で見た後、中野の友人宅に行き、感想を語り合いました。
ともかくベルモンドのアクションと、ハンチングにトレンチコートや、革のボマージャケットなどスタイルも格好良く、そこから今日まで私がベルモンドフリークになるきっかけになった作品です。
多分3回目の鑑賞ですが、新たに見直した点も多いです。スタントではないとわかるように撮影されている土砂の落下シーンなどアクションの数々、フィアットでのカーチェイスシーンなど、今なら撮影の難易度も理解出来ます。
そしてオマー・シャリフ、ロベール・オッセン、レナート・サルバドーリなど渋い共演陣。当時もオマー・シャリフのエポレットもベルトもないトレンチコートがすごく素敵に見えて、真似をして、似たようなタイプのコートを学校用に買った事を覚えています。
オマー・シャリフが馬に乗る遊園地のシーンは、『アラビアのロレンス』を思い出してしまいました(笑)。
エンニオ・モリコーネのテーマ曲もいいですね。
話自体はシンプルですし、ベルモンド演じるアザドの内面に深く入るわけではありませんが、ベルモンドらしい軽妙洒脱さに溢れる作品と思います。
更にベルモンドとシャリフの会食シーンの料理、キャバレーシーンの前衛的なステージなど、映画的なスパイスもよく効いています。
アンリ・ヴェルヌイユ監督は、さすがの安定演出と思いますし、娯楽エンタメ映画としては、今回のラインアップでもピカイチの存在ではないかと思います。
この映画では、最高の“動”のベルモンドを、見る事が出来ます。

THE BURGLARS © 1971, renewed 1999 Sony Pictures Television Distribution (France) SNC. All Rights Reserved.

川口敦子(以下A)
『薔薇のスタビスキー』とどちらにするか迷いましたが、この際、やはり『大盗賊』以来の名コンビ、フィリップ・ド・ブロカ監督と組んだ『ベルモンドの怪盗二十面相』を挙げたいと思います。
口八丁手八丁のプレイボーイで洒落者で、お調子者、だけど憎めないキャラクターをこれでもかの弾けっぷりで見せる、体現するベルモンド、やっぱり好きだなあ、と。とにかく動き続ける、しゃべり続ける、その活力に呆気にとられていくうちに、うーんどうなんだ⁈ってプロットも許せる気になってくる、まさにベルモンドあってこそ成り立つ一作じゃないでしょうか(笑) とはいえエンディングにかけてのモン・サンミッシェルを遠くに置いたアジトでのおちのつけ方にただよう不思議に朗らかな諦観みたいなもの、そこにたちのぼるリリシズム――と、監督ド・ブロカの美点もそっと押さえられている気がするんですね。で、そのド・ブロカの『まぼろしの市街戦』でのヒロインが忘れ難いジュヌヴィエーヴ・ビジョルト、同じ76年にはデパルマ史上最大の傑作と呼びたい『愛のメモリー』での快演もある彼女の小動物的キュートさも見逃せないし、ルルーシュ映画でもおなじみ、ベルモンドとは公私にわたって相棒的関係だったようにも見えるラウール役シャルル・ジェラールの存在も要チェック。とにかくしかめつらしく論じるばかりが映画じゃないと、改めて思い直したくなる一作なんですね。

「怪盗二十面相」
©1975 STUDIOCANAL – Nicolas LEBOVICI. Tous Droits Réservés.

★続いて二番目にお薦めの一作とその理由は?

A:ここは迷いなく『勝負をつけろ』ですね。原作のジョゼ・ジョヴァンニ自身が監督を務めてリメイクというか自分の思うように撮り直した『ラ・スクムーン』も今回、上映されるので、もちろん見比べてみる楽しみもあります。見比べると堂々、スターの貫禄で”死神″と呼ばれた男を演じる『ラ・スクムーン』のベルモンド39歳もいいんですが、『勝手にしやがれ』でブレイクした直後のひょろりとやせた、か細くで繊細で、それだけに逆に非情の殺し屋ぶりがぞくりと目を撃つ『勝負をつけろ』のベルモンド28歳にはおおっと惹き込まれずにはいられないものがある。後半の山場、地雷撤去のスリリングな場面、その後の農場での平和な暮らしを夢見るくだり、そのために――と男の友情のノワールならではのすれちがい、涙腺刺激なプロットとエンディングの乾いた苦み、親友の妹との恋というあたりに関しても若さがぐっと効いてきて、後のカルディナーレの余裕のヒロインぶりより清純派クリスティーネ・カウフマンとの密やかな想いの交換、その純情が青春映画としての魅力も付加しているように思います。
あとベルモンドからちょっと離れますが、アメリカ兵崩れのギャングとして登場してくるミシェル・コンスタンタンの面構え、歩行の不気味な色気もお見逃しなくですね。『ラ・スクムーン』では親友役に昇格(?)してますが、私は断然、『勝負~』の彼が好きですね。突飛な連想ですがなんだか『牯嶺街少年殺人事件』のラッパズボンの不良がパーラーに入ってくるときの歩行の異様さと重なってきて、エドワード・ヤン、意識してた、見てた?と勝手にうれしくなったりもしてしまいます。うれしくなるといえば、クレジットタイトルにジャン・ピエール・メルヴィルのスタジオが記されていて、そういえばこのモノクロの世界、通じてなくもないなとこれまた勝手な連想ゲームを愉しんだりもできるんですね(笑)

「勝負をつけろ」
© 1961 STUDIOCANAL – Da. Ma. Cinematografica

M:私も今回見て、一番良い方向に印象が変わったのが『勝負をつけろ』です。
最初に見たのは30年くらい前ですね。レンタルビデオです。確か最近のドラマ『拾われた男』の舞台になった新宿TSUTAYAで借りたと思います。『冬の猿』も、そこでレンタルしたはずです。
同じ原作の『ラ・スクムーン』も選びたい作品なのですが、敦子さんが言うように、こちらは乾いた感じを、改めて感じました。この時代のベルモンドは、次の上映でリクエストしたい『墓場なき野郎ども』『いぬ』などノワールの傑作が多いのですが、『勝負をつけろ』も、間違いなく60年代初期のフレンチフィルムノワールを代表する傑作だと思います。
改めて見ての発見は、メキシコぽさと、ミシェル・コンスタンタンの存在感です。『ラ・スクムーン』ではメインキャストになっていますが、この悪党面は、一度見たら忘れられませんし、ジョセ・ジョバンニ原作作品には欠かせない俳優だと思います。
脱線しますが、コンスタンタンと、元広島カープの衣笠祥雄さんがよく似ていて、雑誌の企画で衣笠さんがイタリアンファッションを着る企画があり、まさにミシェル・コンスタンタンでした。
1961年のベルモンドは、6本も出演作があり、前にも話したと思いますが、売り出し中の若手スターという感じでの大活躍の年でした。その中でこのクールなラ・ロッカ役は、はまり役で、“静”のベルモンドの代表作の一つではないかと思います。
傑作選1で上映された同年の『大盗賊』では、フィリップ・ド・ブロカ監督とのコンビでの、ユーモアとアクションという新境地が生まれ、この1961年は、ベルモンドがヌーベルヴァーグの落とし子から、スター俳優へと進化していった年だったと考えます。
話を『勝負をつけろ』に戻すと、是非『ラ・スクムーン』と見比べて頂きたいと思います。
ベルモンドの早撃ちや二丁拳銃など、クールなガンマンぶりは、どちらもすごく魅力的です。緊迫感のある地雷取り外しシーンも見所です。後半の刑務所内の描写は、「勝負をつけろ」は、妙にリアルで、実際も同様なのかと思ってしまいました。

「勝負をつけろ」
© 1961 STUDIOCANAL – Da. Ma. Cinematografica

★一本に縛り込むのは至難の業と思いつつ、今回のベルモンド映画、いちばんお薦めなのは? その理由は?

A: これももう迷うことなく『冬の猿』できまりですね。待ってました! と掛け声かけたくなるファンも多いのではないでしょうか。叱られるのを覚悟でまたいえばカサヴェテス『ハズバンズ』と同様に女子供にはつけ入る隙の無い男の世界が、女子供にも迫ってくるんです(笑) 悪友の死に酔っぱらってロンドンまで飛んでっちゃう男たちも泣けるけれど、この冬に向かうノルマンディのさびれた海辺の町にやってきたやけのやんぱちの青春末期の青年に、禁酒の誓いを破って共に酔う老人、ふたりが(もうひとりの変なおじさんも忘れてはいけませんが)つぎつぎにあげる花火が寒空を染めて、諦めきれない若き日の夢を葬るふたりを照らし――なんて、こう書くとなんだかおセンチな”男のロマン″おしつけ映画みたいに響いてしまいますが、そうじゃない、ぎりぎりのところで感傷を退けるその持ちこたえ方がいい! これでもかと見せてしまう、描いてしまう昨今の映画が忘れた美学ですね。
そんな美学を裏打ちしているのが乾いたユーモアの感覚でもあると思うんですが、酔いどれ演技として道路の真ん中で疾走してくる車を牛に見立ててベルモンドが闘牛士然とケープならぬジャケットさばきをみせる場面にしても、デスパレートな男の心とそれを裏切る身体の醸すユーモアのバランスにも注目したい。ベルモンドの演技のセンスのよさがそういう点にも光っているように感じます。ちなみにこの道路での闘牛は原作者で脚本にも参加しているアントワーヌ・ブロンダン、酔いどれ作家でもあった彼の実体験だったようです。
もちろんジャン・ギャバンとベルモンドの顔合わせも味わいどころですが、新旧スターの顔合わせとしてギャバンは同じ頃、ドロンとも組んでいたわけですが、見比べるとドロンとベルモンドのそれぞれの持ち味がギャバンの傍らでよりはっきりと見えてくるようで面白い。で、もうひとり、要チェックなのはギャバンの奥さん役シュザンヌ・フロン、長いキャリアをもつ名女優ですが、ここで男たちを見守る妻の取り残され感、これも沁みますね。

「冬の猿」
© 1961 GAUMONT – Tous Droits Réservés.

M:同じく『冬の猿』ですね。ベルモンド作品は、選びきれないくらい好きな作品が並びますが、『勝手にしやがれ』と『冬の猿』は別格です。
傑作選1は『オー!』、傑作選2は『カトマンズの男』が一番好きな作品でしたが、『冬の猿』は、傑作選シリーズを通じてのマイベスト作品です。
30年くらい前にビデオを見た際、何でこの素晴らしい映画が未公開だったのかと感じました。
泥棒でも殺し屋でもない、酔っ払いの広告クリエイターのベルモンドが、じつに魅力的です。そしてジャン・ギャバン。老けて見えますが、実は当時まだ56歳。
突っ込み役のベルモンドと、受けのギャバン。同じ時代アラン・ドロンと共演した『地下室のメロディ』でもジャン・ギャバンは見事な受けの芝居をしていますが、若手とのコンビネーションが実にうまい。三船敏郎か、勝新太郎のような酔っ払い演技にも、可笑しさを含めて、圧倒されます。
30年ぶりくらいに見直して、改めて感じたのは、冒頭の爆撃シーンのリアルさ。ドキュメンタリー映像とのコンビネーションだと思いますが、後半の映画のトーンとは大違いの過酷さで、一気に緊張感が走ります。
このリアリティは、アンリ・ヴェルヌイユ監督が後年ベルモンドと組んだ戦争映画『ダンケルク』の演出にも繋がっていったと思っています。
初めて見た時の印象は、こんなにも心を爽やかにしてくれる映画があったのだと言う喜びと驚きです。
街の鼻つまみ者達が、最後に街の人たちに幸せな気分を与える。そして禁酒という呪縛との内面の葛藤や、別れた妻や娘への思い。『テオレマ』のような、突然の訪問者によって、変わっていく一家の表情。
酒場やホテルで繰り広げられる会話や騒ぎが、最後にはエモーショナルな景色となって昇華するアンリ・ヴェルヌイユ監督の演出は、実に繊細で、細部まで行き届いています。
モノクロの映像もまたいいですね。ベルモンドがシトロエンDSのタクシーに乗って、街にやって来た雨の夜や、街の通りの標識を象徴的に描いた場面は、特に素晴らしいです。
仏版ポスターのモチーフにもなっているベルモンドのマフラーも素敵です。
『ラ・スクムーン』の白いストールや、『華麗なる大泥棒』のアスコットタイも合わせて、ベルモンドは巻物の使い方もとても洒落ています。
いやいや、『冬の猿』の好きな点を挙げたらキリがありませんね。

「冬の猿」フランス版ポスター

★さて、3本といいましたが、もちろん好きとは言えないけれど映画としてはすごい、とか映画としては?マークだけれどさすがベルモンドな映画とか、あげられなかった映画についてこの際いっておきたいということがあればぜひ!

A:『去年マリエンバードで』とか『プロビデンス』とか一筋縄ではいかない映画で知られる監督アラン・レネが撮った『薔薇のスタビスキー』の”わかりやすさ″、これはちょっと興味深いですよね。ベルモンドというスターのキャラクターを稀代の詐欺師のカリスマ性に託して描くことで相変わらずスタイリッシュではあるけれど、より平明な語り口を手に入れているというのでしょうか。フランソワ・ペリエもですがやはりシャルル・ボワイエの往年の二枚目演技の残り香が香るあたりの活かし方もいいですね。

「薔薇のスタビスキー」
© 1974 STUDIOCANAL – Nicolas LEBOVICI – EURO INTERNATIONAL FILMS (Italie). Tous Droits Réservés.

M:先ほども少し言いましたが、『ラ・スクムーン』ですね。
『薔薇のスタビスキー』も、もちろん好きですが。こちらはトロッキーが出てくるので、少し前に公開されたジョセフ・ロジー監督、アラン・ドロン主演のトロッキー暗殺を描いた『暗殺者のメロディ』を思い出しながら見ていました。
サンローランの衣装も見事です。この映画が作られた時代は、『華麗なるギャッツビー』など、1930年代のデカダンス的な作品が多かったように思います。
敦子さんご指摘のようにわかりやすく、アラン・レネ監督ぽくはないですよね。
『ラ・スクムーン』は『勝負をつけろ』とはエンディングも違いますし、洒落者など、登場するサブキャラの存在感も強くなってきています。
より味付けが濃くなり、クールさよりもエモーショナルさを打ち出した演出になっています。よりドラマチックになっています。ベルモンドも殺し屋的な存在感になっていて、より犯罪者の香りが強くなっています。
そして、ミシェル・コンスタンタンと、クラウディア・カルディナーレという濃い顔の役者が、ガッチリとベルモンドを受け止めているのも見所です。
因みにエンディングだけで言うと、私は『ラ・スクムーン』の方が、少しだけ好きです。
そして2丁拳銃の格好良さ。これはもう千両役者!と叫びたくなる位に、惚れ惚れとします。

「ラ・スクムーン」
© 1972 STUDIOCANAL / PRAESIDENS FILMS (Rome). Tous droits réservés.
ラ・スクムーン フランス版ポスター

★改めてベルモンドの魅力を嚙みしめると映画の今、はたまた未来に受け継ぎたい彼の遺産とは?

A:映画の今や未来なんて、深刻に構えないノンシャランとした演技とキャリアの究め方かな。『冬の猿』はじめ8本の映画でベルモンドと組んだ監督アンリ・ヴェルヌイユは「彼は事前に脚本を読んだりしなかった、役作りに悩むなんてこともなかった、「いまの場面の僕、どうだった」なんて聞くこともなかった。演出に対して提案したりもしなかった」と振り返っているそうです。でもこの発言を引いた英ガーディアン紙の追悼記事はメルヴィルのこんな発言も引いています。「あの世代でもっとも熟達した演技者だった。どんな場面でも20通りの演じ方を差し出すことができた。そのどれもが正解だった」
なるほどなと、あの屈託なくでも繊細な演技を懐かしく思い返しています。

M:パンフレットの日本での特集上映に向けたベルモンドのインタビューが出ています。その中で出演作品には優劣をつけない回答がありました。これはとてもベルモンドらしいなと思いました。
『シラノ・ド・ベルジュラック』で来日した際のエピソードも話していて、見に行ったファンとしては、とても嬉しかったです。
で、未来に向けてですが、ベルモンドは唯一無二の存在で超える人も変わる人も出てこないと思います。ジャン・ギャバンも結局替わる人も出ていないですし、ベルモンドもドロンもギャバンにはなれなかったです。
ベルモンドの場合は、変幻自在なキャラクター造形と、アクションから恋愛映画までこなす芸域の広さ、更にフランス俳優らしい洒落っ気が、大きな魅力と思います。
それとやはりベルモンドはヌーベルヴァーグに始まり、フィルムノワール〜アクション〜コメディと、時代のニーズに応えていた面が大きかったと思います。
70年代〜80年代になっても、時代や観客のニーズに応えてのベルモンドであり、その時代その時代のフランス映画を象徴する存在でした。
今後フランスに現れるスターも、その時代のニーズに合った象徴になり、ベルモンドとは違う存在感になる筈です。
替わりはいないという事で、我々に出来る事は、ベルモンドの素晴らしさを日本の中で次の世代の人たちに伝えていき、『ルパン3世』のように、ベルモンドフォロワーが新しい解釈で作品を作っていく環境を生み出すという事ではないかと思っています。
そういう意味でこの傑作選シリーズは、本当に素晴らしい試みで続いていって欲しいです。

「華麗なる大泥棒」
THE BURGLARS © 1971, renewed 1999 Sony Pictures Television Distribution (France) SNC. All Rights Reserved.

★傑作選、次回にお願いしたいベルモンド映画は?

M:ベルモンド作品まだまだ沢山あります。
個人的なリクエストとしては、未見の『バナナの皮』、『黄金の男』、『コニャックの男』です。
初期フィルムノワールの傑作、ジョセ・ジョバンニ原作作品の『墓場なき野郎ども』、メルヴィルの『いぬ』も、そろそろ見たいですね。
そして戦争映画2本。アンリ・ヴェルヌイユ監督の『ダンケルク』。これは連合軍讃歌になってしまったクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』をご覧になった方に是非見て頂きたいです。
米仏合作のオールスターキャストの大作ですが、『パリは燃えているか』。自分の第二次世界大戦に対する目線も変わり、改めて見たい作品です。ハリウッドスターのカーク・ダグラスは、ベルモンドの共演を実現したくこの作品に参加したと言われています。
ベルモンド作品とは言い難いかもしれませんが、是非スクリーンで観たいですね。

A:前にもいった気もしますが『雨のしのび逢い』『ふたりの女』『ビアンカ』『女は女である』『モラン神父』の頃の、ルパン3世的おとぼけキャラクターを輝かせる前のベルモンドの胸キュンな存在感もぜひフィーチャーしてみていただきたいと思います💛

「薔薇のスタビスキー」
© 1974 STUDIOCANAL – Nicolas LEBOVICI – EURO INTERNATIONAL FILMS (Italie). Tous Droits Réservés.

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選3

9月2日より新宿武蔵野館他全国絶賛公開中です。

Cinema Review-2 韓国期待の女性監督が描くほろ苦いサマータイム『夏時間』

(C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED

Cinema Review第2回は、韓国期待の新人女性監督ユン・ダンビの『夏時間』です。
監督は新人女性監督、若干30歳のユン・ダンビです。
奇しくも次回このコーナーで取り上げる予定の『ノマドランド』の中国系女性監督クロエ・ジャオが、有色系女性監督としては初めてゴールデングローブ賞の監督賞を受賞したというニュースが飛び込んできたところです。
侯孝賢やエドワード・ヤンなどの台湾人監督や、是枝裕和や小津安二郎など日本人監督の影響が感じられるユン・ダングが、アジア系女性監督として、次なる評価を高めていく日も近いのではないか。
『夏時間』は、そんな風な期待を抱かせる作品です。
レビューはセルクルルージュの川野正雄と、映画評論家川口敦子の二人から、お届けします。
こちらのレビューは、セルクルルージュのNOTEページにも掲載いたします。
また3月6日(土)21時より、クラブハウスにて、川野正雄と川口敦子が「韓国映画と映画『夏時間』を語る部屋」を、開催いたします。
お時間ある方は、是非ご参加ください。Masao Kawanoで検索すると、その時間部屋の案内が、出てくると思います。

以下はプレスシートからの抜粋です。

――注目の女性監督ユン・ダンビが描く、懐かしく繊細な夏の物語
誰もが記憶に残っている、夏休みの思い出。その懐かしくも記憶に刻まれる日々を、ひとりの少女 の視点から描く。それは、ただ楽しいだけのものではなかった。
監督は 1990 年生まれのユン・ダンビ。第 24 回釜山国際映画祭で 4 冠に輝いたのを筆頭に、ロッ テルダム国際映画祭など数多くの映画祭で、デビュー作である本作の繊細さと確かな演出力が絶 賛された。『はちどり』のキム・ボラや『わたしたち』のユン・ガウン、『82年生まれ、キム・ジヨン』の キム・ドヨンに並ぶ、新たな才能が韓国から登場した。

(C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED

★川野正雄

『パラサイト 半地下の家族』 が世界の映画賞を席巻するのを見て、何故韓国映画は、日本映画よりも海外で評価されるのか、よく友人と話題にしていた。
過去に韓国映画業界とは、少し仕事をした経験もあるので、実感を踏まえて導いた結論として、
① 韓国内のマーケットは小さく、グローバルセールスを成功させないと、資金回収が難しい。
② 韓国の映画制作者達は、日本よりもかなり若い。高齢者が多い日本の現場とは、空気も違う。
③ 韓国の映画人は、海外留学者が多い。留学先はアメリカもいれば、日本もいる。その為外国語も堪能な人が多い。
④ 万国共通で感じる感情表現の演出が、優れている。
『夏時間』は、この4つの要素を満たした作品に思える。監督のユン・ダンビは30歳。これが長編デビュー作の女性監督である。
釜山映画祭でワールド・プレミア上映をした後、ロッテルダム国際映画祭では、部門賞も受賞している。                            
因みにユン監督は東京芸大への留学経験もあるらしい。

ストーリーは、日本映画にもよくある設定〜夏休みの帰省ものである。
主人公は少女オクジェ。主な登場人物は、仕事がうまくいっていない感じの父、かなり年下の弟ドンジュ、亭主ともめている叔母、体調が悪くなってきた祖父、そして姿は見えないが、父と離婚した母。
しかしこの夏休みに、この一家には、結構色々なことが起きる。
そしてそれぞれの立場での痛みもあれば、思惑もある。
その内に秘めた感情を、ユン監督は、情報量を抑えながら、淡々とした語り口で観客の心の中に、共感性を積み上げていく。  
テンポよく情報量を詰め込む展開が多い韓国映画としては、かなり引いた演出の映画である。観客に与えられる情報量は多くない。
感情を押し出す演出が多い韓国映画としては、珍しい引き技で感情を見せる作品である。
口数は少ないが、感情表現は時にストレートであり、気持の揺れ幅が、微振動のように伝わってくるのだ。
同じ韓国映画でも、以前セルクルルージュのシネマ・ディスカッションで取り上げたホン・サンス監督のヌーベルヴァーグぽさとは違う。
余白を大切にした演出は、エドワード・ヤン監督や、是枝裕和監督や、小津安二郎監督などのアジアの監督の影響が感じられる。

特に食事のシーンが多く、盛り上がらない会話の中でも、それぞれの思惑が、食卓上で見えてくるのが、面白い。
そして主役のオクジュと、弟のドンジュ。この二人の姉弟の演技が素晴らしい。
時間の経過と共に、この二人の心の奥底が、徐々に垣間見えてくる。
韓国映画は人の痛みを描くのが上手い。
最たる作品が、母親の過ちと痛みを描いたイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』だ。
チョン・ドヨンが主演女優賞を受賞したカンヌ映画祭のプレミア上映に参加する機会に恵まれたのだが、上映終了後クエンティン・タランティーノが真っ先に立ち上がり、スタンディング・オベーションを送っていた。
『シークレット・サンシャイン』は、もっと強烈で激しい作品だが、心の痛みを描きながら、根底に流れるのは家族愛であるという部分では、『夏時間』と共通するテーマだ。

人間は誰しもが悔いを持っている。その悔いを埋めるのは、家族なのだ。
そんな人生を卓越したような世界感を、30歳の女性監督が作り上げた事が驚きである。
そして30歳の監督に大きなチャンスが与えられ、自由に創作できる韓国の映画環境も素晴らしいと思う。
多分ユン・ダンビは相当な映画マニアなのではないかと思う。
家族という世界観に切り込んでいったユン・ダンビが、次にどこに向かうのか。
次回作が待ち遠しい監督に出会えた。

(C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED

★川口敦子

開巻早々、思春期の厄介さの只中にいる少女オクジュは、住み慣れた部屋を引き払い父と弟ドンジュと共に新しい時空へと進んでいく。否、進まざるを得なくなる(母の不在の理由も、どうやら事業に行き詰まったらしい父の背景も、説明を退け潔く曖昧なまま語られない)。
 英題は”Moving On”。辞書で引くとmove on「どんどん進む」とあって、勝手な思い込みかもしれないが前進のイメージが強くあるのだけれど、映画は一家3人を乗せて進む車を捉えたキャメラの長い長いワンテイクの中で、いっそ後退の感触こそをゆっくりと醸し出す。その感触が一家の行き着く昔風の大きな家、懐かしい風の吹きぬける場所、そこに祖父と共に温存されている時代へとゆるゆるとタイムスリップしていくような時の旅の感覚をも滑らかに紡いで、ここでないどこかで改めて家族をみつめ直す少女の眼差しごしに失われゆく価値を、世界の今を、そうしてその先へと進む(move on)ことを想う映画の核心が射抜かれてく。
 そんなふうに力こぶのかけらもみせずに嚙み応えある主題を提示してしまえる新鋭ユン・ダンビ。脚本・監督を手がけたこの長編デビュー作で世界に羽ばたいた彼女は”韓国女性映画作家の新しい波”と話題を呼ぶ『はちどり』キム・ボラ、『わたしたち』ユン・ガウン等々と並べて紹介されることも少なくないようだ。
 確かに新しい環境でくたびれた象のぬいぐるみを引きづって寂しさを耐えつつ、幼さゆえの順応力で祖父と菜園の唐辛子をつみ、出て行った母ともこだわりなく会ってしまえる弟をしり目に、祖父にも遠慮がちな距離を保ち、母へのわだかまりを胸に燻らせ続けている10代半ばのオクジュの物語、それを過剰なドラマを排して語る快作は”女性監督”による”少女映画”としての磁力も見逃し難く備えているだろう。けれども、この新鋭とそのデビュー作の真の醍醐味はそれだけにとどまってはいない。多くを語らずじっと過ぎ行く季節に耐えているような少女の眼差しの向こうに映画はぬかりなく時代や世代や世界を浮上させる。懐かしい家族の姿を介して見えてくる普遍に手をかけ得る大きさを備えてもいる。『夏時間』とその監督ユンのスリルはまさにそこにある。
 その意味でささやかな物語を語りながらイタリアの歴史や伝統と対峙してもいたアリーチェ・ロルヴァケルの『夏をゆく人々』、少女映画と社会的視野を軽やかに両立させた快作の頼もしさを『夏時間』に重ねてみるのはどうだろう。

(C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED

 子供と大人の狭間、甘やかに息苦しい季節をかいくぐる少女とその家族のいた時空をパーソナルに切り取ったロルヴァケルの映画は、幕切れで誰もいなくなった家の裡の白い場所へと踏み入って、やわらかに吹き抜ける風を孕んだ時間を慈しみつつ凍結し観客にそっと手渡してみせた。そうやって確かに印象づけられた記憶/歴史と物語とが交わる時空。どこか牧歌的で神話のようでもある映画はそこで外界、現代社会の肌触りを観客に感知させることも忘れてはいなかった。続く『幸福なラザロ』でもまた、記憶/歴史と物語の交わる時空としての今への眼を、意識を、逞しく鍛えてロルヴァケルはふわりと奇蹟を成り立たせつつ寓話のはらんだ鋭い棘で現代社会を刺し貫いてみせた。
 同様に『夏時間』の新鋭もまた親密な語り口の底に移ろう(move on)人と世界への思いをしぶとくたくしこんでいる。
 蚊帳、扇風機、足踏みミシン、それを食卓代わりにして昼食を分ち合う姉弟。3世代の家族が同居して賑やかに祖父の誕生日を祝う様。おどけて踊った弟のダンスが通夜の場で反復され家長を欠いたおぼつかない家族のその先がやんわりと思いやられる。懐かしい家族の光景をそっと拾い上げるいっぽうで再開発の進む街、壊れた家庭をモチーフに食い込ませ過剰なドラマを避けつつもほろ苦い現実がプロットの片隅にしぶとく顔をのぞかせていく。だからこそ陳腐な感傷、ノスタルジーに堕さない懐かしさの重みが胸に響く。
 とりわけ興味深いのはオクジュの父と叔母の描かれ方だ。事業に失敗し、ばったもののスニーカーを路上で売りつつ成功の夢を捨てきれずにいるような父。夫に裏切られ友人の部屋に転がり込んでいた叔母。それぞれに挫折して実家に寄生するふたりは高度経済成長下、成功と富の夢に踊らされ美しい価値を見失った世代を象って、情けなくも涙ぐましい後悔を浮かべている。そんなふたりが思い出話をする夏の夜の屋台に吹く風はいっそうっすらと苦くしょっぱく、ついには微笑ましくさえあってだから、小津の『お早う』で映画に目覚めたと語っているユン監督がまたその後の挫折の世代を代表する相米慎二のことも好きだと述懐しているのを読んで、なるほどとしっくりうなずきたくなったのだった。あるいは侯孝賢『冬冬との夏休み』を想起させもする『夏時間』が現代の大人たちの揺れを繊細に掬い取っていたエドワード・ヤン『ヤンヤン夏の想い出』といっそう近く思えてくるのものまた不思議ではないはずだ。
『パラサイト』のようなブラック・コメディとして構想されていた一作を監督自身の感情的な体験をもとにシンプルに語る映画にと、方向転換を勧めたという撮影兼製作キム・ギヒョン、その大いなる助言に感謝しつつ、この静かでしぶとく懐かしいデビュー作を吟味したい。

(C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED

『夏時間』
第24回 釜山国際映画祭韓国映画監督協会賞/市民評論家賞 NETPAC(アジア映画振興機構)賞/KTH賞
第 49 回ロッテルダム国際映画祭 Bright Future 長編部門グランプリ 第 45 回ソウル独立映画祭新しい選択賞 第8回ムジュ山里映画祭 大賞(ニュービジョン賞)

出演:姉オクジュ:チェ・ジョンウン 弟ドンジュ:パク・スンジュン(『愛の不時着』)
父ビョンギ:ヤン・フンジュ(『ファッションキング』) 叔母ミジョン:パク・ヒョニョン(『私と猫のサランヘヨ』『カンウォンドの恋』) 祖父ヨンムク:キム・サンドン
スタッフ
監督・脚本:ユン・ダンビ 制作:ユン・ダンビ/キム・ギヒョン(『私たち』) 撮影:キム・ギヒョン(『私たち』)
2021 年 2 月 27 日(土)から渋谷ユーロスペースにてロードショー全国順次公開中。