Cinema Discussion-31 テリー・ギリアムの見果てぬ夢『ドン・キホーテ』

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2020年第1回目で、トータル31回目となる今回は、英国の鬼才テリー・ギリアム監督が、苦節28年かけて完成させた『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』です。
このシネマ・ディスカッションにテリー・ギリアムが登場するのは、前作『ゼロの未来』以来2回目です。
テリー・ギリアムは、英国的な笑いで知られるコメディ・グループ モンティ・パイソン唯一のアメリカ人メンバーであり、アニメーターとしても活躍。
映画監督としては『未来世紀ブラジル』『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』と独自の世界観を描いて来たギリアムの新作に、期待は高まります。
ディスカッションメンバーはいつものように川野正雄、名古屋靖、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名。

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★28年がかりで完成をみた”呪われた”映画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』ですが、何がギリアムをそこまで執着させたと思いますか?

川野正雄(以下M):当初$2000万とギリアムが言っていた予算が、$3000万まで集まりスタートしたのが、いきなり頓挫で、脚本の権利は保険会社とか。ありえない展開で、挽回する気持ちがすごくあったのではないでしょうか。
それから『ドン・キホーテ』は、意外に映画化されていなく、1972年のアーサー・ヒラー版『ラ・マンチャの男』くらいなんですよね。そういう意味でも映画化の価値を、ギリアムは随分と見出していたのではないでしょうか。
誰も知っているネタだけど、映画化はあまりされておらず、独自のアイデアがどんどん湧いてくる〜そんな状態だと、何とか実現したいと永年執着しても不思議ではないですね。

川口哲生(以下T):ギリアム自身のメッセージ「『ドン・キホーテ』の問題は、一度でもドン・キホーテと彼が象徴するものに夢中になると、その人自身がドン・キホーテになってします。」に尽きると思います。
「ドン・キホーテは夢想家で理想主義、ロマンティックかつ断固として現実の限界を受け入れようとしません。」と言っているけれど、これはギリアムの28年間のこの映画を成就するための執着に重なるのではないでしょうか?

名古屋靖(以下N):川口さんのおっしゃる通り、パンフレットにある監督のメッセージがそれを語っていると思います。「〜そして、狂気の領域に入り込み、自分が想像した世界を作ろうと決心します。」とあるように何十年掛かろうがゴールすることを強く心に決めたんでしょう、狂気の沙汰と言われても。

川口敦子(以下A):みなさん仰る通り、監督のメッセージにあるミイラ取りがミイラならぬキホーテ撮りがキホーテに――の、結果の狂ったような執着だったのだろうなと思いますね。ただ同時に、というか逆にというのかな、この企画に関わる前から「夢想家で理想主義者」「断固として現実の限界を」受け入れず「挫折をものともせずに進んでいく」ギリアムがいて、だからこそドン・キホーテに惹かれ映画化に突き進んでいったともいえる気がします。英オブザーヴァー紙のインタビューでは真っ当な人たちには「テリー、前に進め。この企画にいつまでもこだわるのは君のためにも、君のキャリアのためにもならないと忠告された、でも真っ当な人間や道理に適ったことっていうのが僕は嫌いなんでね、だからこの映画への道を進み続けた」と答えてます。いずれにしても一生に一度というような磁力を感じ、取り憑かれていったんでしょうね。
 ちなみにスタジオとの闘いという点で通じる異才オーソン・ウェルズもドン・キホーテの映画化に憑かれて結局、幻の一作になった。ギリアムがその二の舞とならず、こうして完成作を見られてほんとによかったです!

★邦題に“ギリアムの”とついているように、セルバンテスの「ドン・キホーテ」の単なる映画化ではないですね。ギリアム印を特にどのあたりに感じましたか?

N:構想30年、企画頓挫9回、幾多の困難と紆余曲折を経たからか、脚本も当初聞いていた「現代の主人公が17世紀にタイムスリップしドン・キホーテと出会い冒険の旅に出る〜」という内容とはかなり違ったものでした。しかし観始めれば、オープニングから導入部の落差のあるコミカルな演出や、夢と現実の境い目がどんどん曖昧になって訳がわからなくなったり、現代リアリズムと中世美意識のシニカルな対比、振り出しに戻るようなエンディングまで、まさにギリアム的な映画でした。

M:ギリアムを表現する唯一無二そのものの映画ですね。ギリアムでしか、撮りえない映画。アーサー・ヒラー版『ラ・マンチャの男』は、ピーター・オトゥールがセルバンテスと、ドン・キホーテの2役で、よく出来た映画でしたが、もちろん全く違います。
日本だと『ラ・マンチャの男』は、松本幸四郎さんのミュージカルが一番馴染みが深いと思いますが、この映画に同じものは、当然ながらひとかけらもありません。
まCF撮影現場と、トビーの学生映画や、ドン・キホーテを巡る旅とのハイブリッド構造は、ギリアムらしいと思いました。
また序盤のプロデューサーの妻にトビーが誘惑される場面は、何となくモンティ・パイソン的に感じました。

T:原作のプロットを借りながら、トビーというキャラクターを絡ませることで、夢や理想や純粋さとすごく現代的な権力や金や名声等々の現実との綱引きを、ユーモアと圧倒的なギリアム的美意識や混沌さの中で描いている。見終わった後のみんなからの反応が、良くも悪くもやっぱりギリアム!と異口同音だったのが笑えますよね。

★想像の力、夢見ること、現実と夢の境界というテーマは一貫してギリアム界を支配していると思いますが『未来世紀ブラジル』はじめ前作とのつながりをどう見ましたか。

M:『ゼロの未来』が、どうも意図が理解出来ず、個人的には距離感を感じてしまったので、この作品とのつながりは、あまり感じませんでした。
『未来世紀ブラジル』とは、カオスな中からのも計算された演出がすごく効いているという部分で、共通項を感じました。
正に現実と夢の境界が、常に根底に流れるテーマだと思います。
ただ自分は、そんなに多くギリアム作品を見ているわけではないので、つながりは何とも言えないです。

T:悪夢から覚めてもまた夢だったみたいな,どこが覚めていて現実かわからないような、
いいかえれば劇中の現実を主人公が夢であってほしいと思いながら生きるみたいな。笑
そんな感じってやっぱりギリアム作品にずっと流れていますよね。
その夢のシーンの色彩や、カーナバル的混沌や、一種の宗教性や、時空を超えた造形力みたいなところが、私のギリアムが大好きなところです。『ゼロの未来』はちょっと残念だったけれど。

A:夢見る力対夢を殺す現実というテーマと、それを語るための重層的な構造、その混沌ゆえの魅力という点ももちろんですが、モンティ・パイソン時代のアニメーションにも見て取れたグロテスクで不完全でだからおかしく忘れ難いビジュアル、童話のような残酷さに満ちた世界を創りあげていくあたりの爆発的な想像と創造の力の融合ぶりには相変わらず惹き込まれます。テイストとしては必ずしもピタリと来るものだけじゃない部分も実はあるのですが。CM撮影現場にある巨大なはりぼての顔とか掌とか、終盤に出てくる3巨人とか、パイソン時代に撮った映画や『ジャバウォッキー』『バンデットQ』等の初期監督作、はたまた『バロン』にもあるお伽が梨的な世界、スケール感を狂わせることへの密かな愉しみ的志向というのかな、変わらないなあ、でもそこがいいなあと、若干苦笑いしつつ思ったりもしました(笑)

★撮影、美術、音楽についてはどんな印象を?

N:個人的にギリアム作品の好きなポイントとして、どの映画もどこかに一瞬だけでも感動的な映像美があることです。それは『未来世紀ブラジル』のドーム型の部屋だったり、『フィッシャー・キング』のセントラルステーションだったり、『12モンキーズ』の空港のスローモションだったり。。。たとえそれがストーリー上必然でなくとも観る者をあっと言わせる圧倒的なカタルシスだったりダイナミズムを感じさせてくれていました。今回は細かな装飾や美術が行き届いていた、古城や火祭りがそれにあたるものだったかもしれませんが、そんなに深くはヨーロッパ文化に慣れ親しんでいない自分には今ひとつその美しさや貴重性にはピンと来ませんでした。ただ、多くのシーンで見られる様々な自然のランドスケープはさりげない扱いですが、実は素晴らしく美しい風景の連続でした。これは今までは作り込まれた凝った映像の印象が強かったギリアム作品とは違う潔さを感じました。

A:トビ―の学生映画、情熱の産物というモノクロ映画の部分、そのモノクロというのがギリアム映画としてちょっと新鮮でしたね。もちろんメキシコ時代を含めたブニュエルとか、思い切り思い込んでいえばロッセリーニ『イタリア旅行』の聖なる祭との遭遇部分とか、学生ならではのオマージュをちょっとからかってはいるんでしょうが、案外、まじめなギリアムの”好き”がそこに感じ取れたりするようで、素朴でシンプルなその質感、モノトーン、仄明るさとどす黒いような音調が混じった音楽も効いてましたね。
 あと、ラマンチャの荒涼とした景観というのもなかなかいいですよね。作り込まれたセットの映画という印象が強いギリアムの映画でこんなふうに素の自然、普通にロケした場面がいい味出してるのも面白かったです。

M:特に美術なんですが、フェリーニ的なセンスを強く感じました。フェリーニ後期の『カサノバ』や、『魂のジュリエッタ』などのカラー作品の寓話的な演出です。『ボッカチオ70』のフェリーニ編に登場する巨大看板と、コマーシャル撮影の巨人も、イメージがつながります。特に終盤の展開が、より寓話的な見え方や神話の世界感が漂い、フェリーニの描くカオスな世界へのリスペクトを、感じました。今時こんな演出が出来る監督は、ギリアムしかいないのではないでしょうか。敦子さんの言うギリアムの“好き”が、ここにも感じました。

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★スペインはもちろんドン:キホーテの国ですから舞台なのは当然ですが、イスラム、ユダヤ、キリスト教と宗教的背景のミッシュマッシュな部分にギリアム的なもの、はたまた今の世界に通じるものがないでしょうか?

T:日西観光協会の案内によれば、カステージャ・ラ・マンチャ地方はスペイン内陸部のカステージャ高原南部を占め、北は中央山脈、南はシエラ・モエナ山系に沿ってアンダルシアと接し、タホ川とグアディアナ川の二つの大きな川は大西洋へ、フカール川は地中海に流れ込んでいる、とあります。
「この地ではスペインを通過した通過した様々な文化の後を見ることができる。最も深くその跡をとどめているのは、中世を通じて平和と調和を保ちながら共存したイスラム教、ユダヤ教、キリスト教である。そしてこれらの人種、宗教、民族が融合した地がトレドである。」だそうです。
もともと原作が生まれる地の背景にこれらが共存していたわけでしょう。
『ラ・マンチャの男』ではセルバンテスがカトリックを冒涜して投獄されたところから話が始まるけれど、そうした平和な融合が崩れた部分を現代に置き換えてギリアムは描きたかったのでは。
美術的には火祭りの聖カタルティカの像とか、川野くんと行ったニース・カンヌのレモン祭のときにも感じた『新しいものに再生させる』カーナバル的な極めてカトリック的な表現は映画のテーマと重なって利いていたと思います。
ゴヤとどれからヴィジュアルインスピレーションを得たと言うのもすごいね。

M:モロッコで撮影したのかと思いましたが、モロッコでは撮影していませんでした。スペインやポルトガルでかなり撮影したのですね。
神話的な見え方をする演出に、宗教的な背景を少し感じました。

A:自分の発言なのにすっかり忘れていたのですが、シネマ・ディスカッションで『ゼロの未来』をとりあげた時にもこんなことをいってました。以下、長いけど引用します。
「縞模様の灰色のパジャマがナチ収容所の制服に通じると、意図したわけではないが結果的にそうなったとプレスブックでギリアムは発言していますが、意図してないのかなあ、というのも(主人公の)コーエンという名前のユダヤ性を強調するように名前の言い直しが繰り返され、ビーチのボールをふわふわと突く、それが最後は太陽になるけれど、やはりチャップリン『独裁者』のヒットラーの地球もてあそびが思い出される、暴力的管理社会の寓話的モチーフのひとつとして興味深かった。もちろん、キリストを思わせるボブとマネージャーの父子関係もいっぽうにはあり、カオスにすいこまれる部分なんてふと丹波哲郎みているのだろうかと思わなくもないなんて、そこはいいすぎでしょうか宗教的言及も意外とまじめにやっている。というかひとつのテーマとして無と神といったものもあるのでしょうね。そのあたりがリドリー・スコットのきんとした美学に対して、やはりミネソタ出身の(コーエン兄弟もミネソタですが)洗練され過ぎないものを残している感覚、まじめさ、捨てきれないアメリカ中西部性として見逃せない気もします」
 と、ギリアムの映画の意外に根深い宗教的テーマ、人類、歴史、そのつながりとしての現代への風刺的スタンス。案外、一貫したこのテーマはやはり過激に宗教をからかいながら真面目に考え、でもそこは英国流のユーモアで辛辣に包んだモンティ・パイソン以来のこだわりでもあるのかなあ。

N:先ほども言いましたが、自分はキリスト教徒でもなく、ヨーロッパ史=宗教史も不勉強な方だったので、その辺については盛り込みすぎな印象もありましたし、正直上っ面しか楽しめなかったのも事実です。

★キャストについては? ジョニー・デップ、ユアン・マクレガーでなくアダム・ドライヴァーでよかったなと思いましたか? それはなぜ?
N:この脚本とアダム・ドライバーはとてもよかったですね。様子がどんどんおかしくなっていく過程も違和感なく自然に観られました。多分ジョニー・デップだと過剰になりすぎ、ユアン・マクレガーでは世界観が違ったような気がします。

A:“宗教問題”にこだわるわけではないのですが(笑)、アダム・ドライヴァーになってユダヤ系って要素も使えましたね。ドライヴァーはオスカー候補の『マリッジ・ストーリー』でも積極的に自身の出自を活かしてユダヤ系ということを主張というのではないけれど盛り込んでいたと思います。と、大騒ぎすることではないけど、興味深いです。ついでにいっちゃうとオスカーとらせたいなあ。
 ジョニー・デップにしろユアン・マクレガーにしろこの独特の間の抜け方、というのかそこはかとないおかしさは出せなかったでしょうね。カンヌの記者会見の録画をみると、キホーテ役のジョナサン・プライスが英国俳優として「less is more」が褒められるべき演技と信じてきたが、ギリアムの映画では「more is more」が正しい演じ方といったことをコメントしていて、さもありなんと思ったのですが、アダムのはmoreもできるけれど、lessも捨ててない、それが好い加減なんですね。

M:2008年ならジョニー・デップ、2011年ならユアン・マクレガーがベストなキャスティングで、今のタイミングでは、アダム・ドライバーが旬な役者ですので、一番良かったと思います。
アダム・ドライバーはユダヤ系なんですね。ノア・アームバックの『マリッジ・ストーリー』は、彼本来の個性が出ていてすごく良かったですが、このトビーも、目一杯の芝居だと思いますが、素晴らしいです。

T:アダム・ドライバーはすごくよかった。登場時間の半分以上顔が汚れているし、フォーレターワーズ叫びっぱなし。笑
現在の夢を売った軽薄な感じから、夢や情熱を取り返していく過程の行きつ戻りつが自然だったと思います。

© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

★映画作りの現場、あるいは学生映画時代の創ることへの情熱を失わせるような映画業界へのパロディとしての面もありますね?

N:この映画自体の製作過程も包括しつつ「お金」についての皮肉はたっぷり盛り込まれていましたね。

T:金に関わる人々、CM撮影現場での日本人代理店みたいな人たち?やBOSSやスポンサーの大富豪とかすごく象徴的でパロディですよね。
もう一方映画が人の人生を狂わせる、みたいなもう一つの自分に矛先が向くるような
テーマも取り上げていましたね。

M:哲生君のいう日本人広告代理店的な人が気になりました(笑)。映画監督目指して、CM監督とか、日本でもよくあるシチュエーションですが、作り手としての想いは普遍的だというメッセージとして受けとりました。

A:アメリカ時代にはコマーシャル・アートに身をおいていたギリアムなので、譲歩を知らないわけではきっとない、そういう背景ゆえに、バトル・オブ・ブラジルの時の爆発みたいに管理統制されることへの反発もあるんでしょうね。もちろんその後の映画作りの中でもいやというほど煮え湯をのまされてきたのでしょう。ロシアン・マフィアみたいなスポンサーはじめ、昨今の(ちょっと前のかな?)ハリウッドへの皮肉もたっぷりですね。
 いっぽうの学生映画に出たことで人生を狂わされたヒロイン、靴職人の部分は、やはりインタビューを読むと、パイソン時代の映画でスコットランドの寒村の人々を出演させて彼らの人生を狂わせた苦い記憶――なんてモチーフもあったようです。といった部分も含めて多分に自伝的要素が盛り込まれた映画といってよさそうですね。

★今後、どんなものを撮って欲しいですか?

M:年齢も年齢なんで、後何本かと思いますが、ハムレットのような古典やってみて欲しいです。

N:僕も『ゼロの未来』は消化不良でもやもやして正直好きになれませんでした。でもやっぱりテリー・ギリアムは僕らが見たことがない世界を見せてくれる監督だと思っていますので、懲りずにまた独自の解釈で未来的な映画も撮って欲しいです。

A:いつも一作を撮り終えると寂しい気持ちに襲われるけれど、今回はとびきりもぬけの殻状態とギリアムはコメントしていますね。
“The Detective Unknown”(絵本のような幻想世界に迷い込んだ少女を探す探偵)、20年代の全米を巡業した「空飛ぶ少年」の「飛翔と落下の半生」を描くポール・オースター原作の”Mr.Vertigo“とライターとしてクレジットされている新作企画はあるようですが具体化はいずれもされてないようですね。いずれにしてもファンタジー系からの脱出はなさそうですが、あの学生映画みたいなタッチの一作も見てみたい、と言いつつそれはないだろうなと半ば、諦めている自分もいたりします(笑)

『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』
公開日:1 月 24日(金)より、TOHO シネマズ シャンテほか全国ロードショー公開中
配給:ショウゲート

CINEMA DISCUSSION-30/キューブリックを巡る二つの人生

(C)2017True Studio Media

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクルルージュのシネマ・ディスカッション。
第30回となった今回は、巨匠スタンリー・キューブリック没後20年を記念して公開される2本のドキュメンタリー『キューブリックに愛された男』と、『キューブリックに魅せられた男』です。
『キューブリックに愛された男』は、キューブリックのイタリア人ドライバー、『キューブリックに魅せられた男』は、俳優から制作スタッフに変わった元役者という二人の側近を描いたドキュメンタリーです。
いわば巨匠キューブリックの私設秘書と、政策秘書のような対照的な二人を描く事で、2本を通して見ると、今まで知らなかったキューブリックという偉大なる映画監督の実像が見えてきます。
ディスカッションメンバーは、映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

★恒例の質問になってきましたが、まずみなさんのキューブリック体験は?

名古屋靖(以下N):たしか『時計じかけのオレンジ』が最初だったと思います。自分が何歳だったか忘れましたが、話題先行、興味津々で観たものの、その過激すぎる内容に戸惑い、正直よく解らず観終わった後に混乱していた事は覚えています。
前後しますが『2001年宇宙の旅』を1978年の再ロードショウで地元の遊び仲間達と渋谷まで観に行ったのは覚えています。
その時代にオールナイトで映画を見に行くのは、いくつかある楽しい週末遊びの一つでした。
『バリー・リンドン』は歴史劇に興味が湧かなかったのもあり見逃したまま。照明は蝋燭のみで高感度カメラを使用して撮影した事位しか知りません。
その後の『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』は個人的に気に入りましたが、『アイズ ワイズ シャット』は好きになれずキューブリック最後の作品になって残念な想いがありました。

川野正雄(以下M):小学生の時、銀座のテアトル東京に『2001年宇宙の旅』を観に行きましたが、満席で入れず、東劇で『猿の惑星』を観ました。
最初に観たのは中学生の時の『時計じかけのオレンジ』ですが、内容が過激すぎて、親にパンフレットを捨てられてしまいました。
その後の作品は、長尺で公開当時評判が悪くて回避した『バリー・リンドン』以外は見ています。
好きなのはむしろそれより前の作品で、『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』や、『レザボア・ドッグス』の元ネタ『現金に体を張れ』、『突撃』などですね。1950年代後半の作品としては、アイデアや構成、ストーリーがすごいと思います。
後年の『アイズ ワイズ シャット』も、『フルメタル・ジャケット』も、強烈なメッセージと、圧倒的な演出力ですごいと思いました。
逆に後年リバイバルで見た『2001年宇宙の旅』は、怒られてしまいそうですが、映像へ特化しすぎていて、あまり好きにはなれませんでした。

川口哲生(以下T):いつものように1950年代後半の生まれのレイト・カミングな私としては後追いで『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』を観ています。恥ずかしい言い方だけど、そのころのアートやファッションや音楽に興味がある人間にとってはmust-seeな通過儀礼みたいな感じだったと思います。
個人的には好きだったディヴィド・ボウイの興味の先にあるものとしてたどり着いているような気がします。ボウイが『2001年宇宙の旅』にインスパイアされて「スペースオディティ」を書いたことや「サフラジェット・シティ」の歌詞に『時計じかけのオレンジ』のナッドサッド語の友人という言葉を使っていることからは、ボウイのキューブリックへの心酔ぶりが伺えます。ボウイの息子の映画監督のダンカン・ジョーンズもインタヴューで、ボウイと子どものころ『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』を観たことをよく覚えていると語っているし、ボウイにとって重要な位置を占める作品だったのだと思います。
リアルな年代で観たキューブリックは『シャイニング』。ジャック・ニコルソンへの興味もあってみたように思います。
その後の作品は観れていません。『ロリータ』はパリにいたときに観たかな。

川口敦子(以下A): 最初は確かテレビの洋画劇場で『博士の異常な愛情~』を見たんだったと思います。中学生の頃かな。調べたら1971年8月8日『日曜洋画劇場』ですね。ってことは高1だったんですね。キューブリックがすごいというのは映画ファン雑誌で読んでいたので、かなり身構えて見たようにも思いますが普通に面白いというか、スタンリー・クレイマーとか、ジョン・フランケンマーとかシドニー・ルメットとか、前後してやはりtv放映された社会派、政治危機ものの流れで愉しんだように記憶しています。キューブリックよりピーター・セラーズすごいというのが正直な感想でした(笑)。
大学の時には文芸坐で立ち見で『時計じかけのオレンジ』を見ましたが、最初の方だけの印象でもひとつ、同時代に封切り作として見た最初のキューブリックが『バリー・リンドン』でした。これは今野雄二さんの影響下にもろにいたおしゃれものミーハー・ファンとして観に行って、話題の蝋燭の灯だけの照明、そこにぼんやり浮かんでいるお化粧した男たちの白い顔にはなかなか惹きこまれました。そのあたりでリバイバルの『2001年宇宙の旅』も見たはずですが、この凄さはむしろ後年、タイレル社時代に中野裕之さんがオフィスでたまにLDでご覧になっているのを横から見て、パンナム機内の赤と白のかっこよさとか、なるほどねと映画としてよりそういうデザイン性の部分で確かに凄いと思いました。
という感じで大好きな監督だったことは一度もないのですが、さらに後年、『レザボア・ドッグス』でタランティーノに取材して『現金に体を張れ』がヒントのひとつと口角泡をとばして勧められ見ましたが、確かに面白い! と、巨匠になる前のモノクロ時代のキューブリックに熱狂的なファンが少なくないのもなるほどねと思いました。

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★その体験から抱いていたキューブリック映画、またキューブックという監督、人間へのイメージはどんなものですか?

M:人間キューブリックについては、今回初めて垣間見たので、これまでのイメージはありません。
映像作家としては、映像的テクニックと、強烈な演出力、そしてセンスの良さを兼ね備えた類稀なる存在だと思っています。
作品数は多くないですが、そのどれもがまったく違うカテゴリー。フィルムノワール、歴史、SF、フェティズム、ホラー、戦争と、全く違うカテゴリーの作品を、それぞれ完璧に生み出すキューブリックの仕事は、すごいの一言です。

A:意匠の人っていったらいいでしょうか。完璧主義というのもだからすべてデザインというところで出てくるように思います。
人間キューブリックという点では植草甚一「ぼくは散歩と雑学がすき」で“グリニッチ・ヴィレッジのコンクリート将棋盤でチェス・ゲームをやって食っていた”人というのは印象強烈でしたね。「クブリック」が「変わりダネの映画作家」にすぎず、きちんと紹介されてない頃のプロフィール記事、面白かったなあ。

T:一つには「完璧主義」。映画の1シーン1シーンが一枚の絵画のような完成度で作りこまれているように感じていました。
そしてもう一つは「人間の狂気」の表現者です。ここの表現のエスカレーションが個人的に受け入れられなさもであったのも事実です。
的外れかもしれないけれど、ボウイから到達した自分だから感じるのか、ロンドン的シニカルさ、ブラックなユーモアみたいなところもすごく感じますが。アメリカ出身なんでしょうが。。。

N:すべての作品を見たわけではありませんが勝手に、反ハリウッド的な芸術家肌の映画監督で、私生活は謎に包むのを好む印象だったので、厳しく難しそうという以外に人としてのイメージは湧いてきませんでした。

(C)2017True Studio Media

★そのイメージはこの2本の映画を見ることでどう変わりましたか?

A:完璧主義の具体性が2本をみることで公私両面から見えてきたと思います。という意味でこの2本は二本立てで見るのが正解みたいにも思いました。映画が描くふたりの生身の経験を通してキューブリックの完璧さが人間レベルで感知できたというのかしら。また意外に自主映画っぽい、全部自分でしないと気が済まない、その意味での手作り感覚というような所にいるキューブリック像と結ばれていくようにもみえてきて、もっとひんやりとしたイメージしかもっていなかったので興味深かったです。

T:内容こそ異なれ、キューブリックからのエミリオに対するスペシフィックすぎるメモやきりのない電話、そしてレオンのメモ魔みたいになってあらゆる仕事に巻き込まれていく様から,キューブリックの終わりのない「more&more」を求める様を見た気がします。こういった病的ともいえる気性がキューブリック映画から感じていた「完璧主義」を醸し出させているのだと妙に納得しました。

N:悪意のない無邪気な子供みたいです。 相手の人生や生活から精神までもを蝕むほどの執拗な要求やオーダーをしていることを、本人はほとんど気づいていない。それだけでなく子供じみた無垢なわがままも、恥ずかしげもなく言えるキューブリックは計算のない純粋な人だったんじゃないかと思います。

M:映像作家としては、皆さんの指摘する完璧さの追球と、結果生まれる高いクオリティ、その印象は観賞後も変わりません。
人としては、この作品2本を見て、優しい面と、作家として狂気なほど頑固な面、両方が感じられ、理解が深まりました。
以前黒澤明監督のドキュメンタリーTVを見ましたが、同じような印象があります。
スタッフへの気配りや優しさと、作家としての拘りとか狂気、そういう部分は共通でした。
突出した監督には、狂気に近い完璧主義があり、それと人としての安らぎ、そのような部分の両立が必要なのかなと感じました。

(C)2016 Kinetica-Lock and Valentine

★”愛された男”エミリオ・ダレッサンドロと”魅せられた男”レオン・ヴィターリ、キューブリックに人生を捧げた(奪われた?)という点では共通するけれど、親密な前者、戦場を裏から統括しているような切れ者の後者とその人間性がドキュメンタリーの感触ともなっていますが、そのあたりどう見ましたか? 愚問ですがなるならどちらになりたい?

N:エミリオとレオン、キューブリックは2人を完全に使い分けていましたね。 エミリオは何度か作品について意見や感想を求められた際、毎回キューブリックをがっかりさせています。彼にクリエイティヴ面で期待はしていなかったのでしょう。その分プライベートな方面については恥ずかしくて人には頼めないような事まで依頼。エミリオなしでは生活できないほどの親密さを感じます。その点ではエミリオとキューブリックの関係は常に平等に見えます。
その反面レオンのことは、映画制作者として自分ほど完璧ではないにしろ分身のように感じていたからこそ、厳しく深く作品についてあらゆる要求をしていたのではないでしょうか?ただこっちの関係は神と仕えし者の歴然とした格差を感じます。
自分がなるとしたら、正直どちらにもなりたくありません。彼らのように一度キューブリックに気に入られてしまったら、最後まで食べ尽くされてしまうだろうから。

A:エミリオはちょっとだけジョナサン・デミの『メルビン&ハワード』の、砂漠で拾ったハワード・ヒューズを彼とは知らずにラス・ベガスに送り届けて遺産相続リストにのってしまうトラック運転手メルビンを思い出させますね。メルビンみたいにだめだめ男ではないと思いますが、エミリオは。でもF!レーサーとしていいとこまでいっていて、その夢を息子に託していくあたり、やんちゃな部分もあったのかな。朴訥な英語の口調と老人ぶりで今のエミリオからほんとにほっこりとしたいい人の印象がまず植えつけられますが、いい人なりに、でも若い頃にはいろいろあったのかななんて想像してしまいます笑 小津の名キャメラマンとしてやはり滅私奉公的な関係を築いたかにみえる厚田雄春のこともちょっと思い出す、ベンダースのドキュメンタリーにいる彼の感じ。厚田さんは映画に関してプロですからその点では違いますが、小津との関係はレオンじゃなくエミリオかなと。なにいってるかちょっと不明になっていますね。すみません(笑)。
エミリオの話に戻すとキューブリックが何者かなんて関係なく、その映画もいっさいみたことない、そういうエミリオの前では自分が無名のひとりとしていられる心地よさがキューブリックの彼に対する愛着、執着となっていたのではないかしら。
かたやレオンはミニ・キューブリックみたいに自らも映画作りの鬼として戦場にのめりこんでいく。才能という点で自身への見極めのつけ方も面白いですね。キューブリック映画のもうひとつのメイキングみたいに愉しむこともできると思います。
私も自分の好きに生きたいから笑 どちらにもなりたくはないですけど、物欲的にはエミリオのあのガレージは欲しいかも。

M:エミリオから感じるのは、キューブリックには心地よい存在が常に必要で、それがエミリオで、彼には甘えたかったのでしょうね。
エミリオを見ていて、先日やはりテレビで見たチャップリンの日本人マネージャーの話を思い出しました。人種差別されていた日本人を、チャップリンは信頼して長期間雇っていたのです。イタリア人のエミリオへの愛情は、そのチャップリンの愛情に近いものがありました。
レオンには、役者の姿を見ながら、彼の別の才能を、キューブリックが見つけたのではないかと思います。
どちらになりたいかと言えば、やはりクリエイティブに関わるレオンの方かな。キューブリックは日本語字幕までチェックしていたという伝説がありますが、それはレオンの仕事だったのではないかと推察します。
10年位前に、ハリウッドのアカデミー協会と一緒に、黒澤明監督の『羅生門』の4Kデジタル修復をやったのですが、そのチームはキューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のデジタル修復チームでした。
理由はモノクロで、オリジナル素材の状態が良くないという似たような条件だったからなのですが、プロジェクトにはチェック役としてレオンも関わっていたのではないかと思います。

T:両方の映画を観て、キューブリックの人を巻き込んでいく様が面白いなと感じました。
キャリアもない、深い関係でもない人間に仕事を任せ、そしていつしか底なし沼のようなずぶずぶな「slave to Stanley」状態に巻き込んでいく。人たらし?
ちょっと共依存関係みたいで、ゲーっと思うところもあるけれど、どんどん任せられ、信頼されることにこたえるべく「selfless」に「no own life」に生きる二人。
そしてどんどん要求がエスカレートしていくキューブリック。。。
そうした共通点はあっても、たしかにエミリオとレオンのキューブリックとの関係性はちょっと違いますね。
エミリオははじめからキューブリックを知っていたわけではなく仕事としての運をつかんだところからの関係だったけれど、レオンははじめからキューブリック=神だったからね。
私は自分的にはレオンの方が近いと思いました、Mぽっくて(笑)。
なりたいとは思わないけど。

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★印象的なエピソードは? 家族のコメントも印象的ですね?

M:エミリオが引き戻されるエピソードは印象的です。
キューブリックが亡くなった日の話が、それぞれの立場から語られていたのも、印象に残っています。
エピソードではないですが、エミリオが着ていたミリタリージャケット、多分『フルメタル・ジャケット』のスタッフユニフォームと思いますが、欲しいなと思いました。

T:エミリオの『シャイニング』撮影時のジャック・ニコルソンのドラッグ話もファンとしては興味深いですが、イタリアに帰る決心をした彼を2週間だけといいつつ2年間になったエピソードとかエミリオの奥さんの微妙な感情との狭間でのエミリオのことを慮ります。
レオンは上映フィルムチェックやその他の気が遠くなるような作業や罵倒され続けるキューブリックとの胃の痛くなるような消耗戦、放り出してしまう方が圧倒的に楽なのに、そこにとどまり続ける創造への執着みたいなところでしょうか。親を誰かに横取りされているような子どもたちのインタビューでの思いも感じるところがありました。

A:エミリオに関してはやっぱり一本もキューブリック見てませんというところ、それから見てみたら天才とわかった、で、どれが一番気に入ったとキューブリックにきかれて、監督としては「御用監督に徹した」「一切自分を抑えて作った映画」と不満いっぱいのあの一作(見てのお楽しみですね)をあげちゃうところが、たくまずしてキュート!
レオンのほうは『バリー・リンドン』での俳優ぶり、ちょっとあのころの顔していて、ブラッド・ダリフとかみたいで、続けていたらエキセントリック系でかなりいい線いったのではと思わせるのにすっぱりやめて裏方に回っていくところがやはり興味深かったです。
あとキャスティングに関してレオンがかなりアイディア源で、キューブリックが素直にそれにしたがっている点も、そうなんだという感じで意外でしたね。

N:みなさんがおっしゃる通り、エミリオが引き戻されるエピソードは面白かったです。キューブリックも悪気があってやったことではないと思うし、エミリオ本人も本当はちょっと嬉しかったんじゃないでしょうか?
レオンの息子達のコメントも印象的でした。父親がキューブリックのために全身全霊を傾ける姿に幼い頃は戸惑いながら、その後は援助も。。。 またレオンの活動が映画会社にあまり承認されず、しかし本人は名誉や評価など眼中になく、キューブリック作品に携わっていられる事に心から喜びを感じている姿にグッときました。

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★『~魅せられた男』の監督トニー・ジエラはニューヨーク大やUCLAで学びハリウッドでの成功を夢見る4人の俳優を追ったドキュメンタリーCarving Out Our Nameでデビュー、かたや『~愛された男』の監督アレックス・インファセッリはローマ生まれのイタリア人、LAでいくつかのバンドを転々とした後、帰国して人気MV監督になったそうです。どちらもホラー映画で劇映画デビューを飾っているようですが(笑)、ふたりの監督、またその作品の持ち味に関しては?

N: キューブリックに仕えた2人のドキュメンタリーですが、まったく違う趣の映画ですね。『~愛された男』の方は、プライベートを中心に数々の思い出をエミリオ自身が語るほっこりとした感じで、キューブリックの魅力的な人間性を垣間見せてくれました。二人の絆も感じるキュートな印象です。 『~魅せられた男』の方は原題の『Filmworker』が語っているように、シリアスで鬼気迫るドキュメンタリーでした。未見の撮影時のオフショットや映画出演者のコメントなど、レオンとキューブリック作品の両方を語った見ごたえのある映画です。

T: 描かれているキャラクターとの相似性がやはりあるように感じます。

A:ホラー映画でデビューのふたりが怪物監督にちなんだドキュメンタリーを共に撮っているという点は、ちょっと個人的に受けました。
作品の感触はやはり描く対象のエミリオ、レオンの人柄を映すようでそこも面白いですね。
『~愛された男』は監督とエミリオが最後にキューブリック邸の閉ざされた門にいきつくまでの親密なロードムーヴィーみたいでもあり、ヨーロッパの小さな映画ぽさが魅力でもありますね。その朴訥とした肌触りにちょっと退屈しちゃうという観客ならば、コメントも華やかな顔ぶれ、そして映画の世界のスリル、スピードが映画の歩調にもなっているような『~魅せられた男』がおすすめでしょうか。

M: これは結構差がありますね。
『~魅せられた男』は、」使用しているフッテージ含めて、予算も多く、映画としてのクオリティも高いと感じました。
ドキュメンタリー映画として、キッチリ作られています。
『~愛された男』は、プライベートフィルムのようなゆったり感があります。

★『〜愛された男』の原題はS is for Stanley、『〜魅せられた男』の原題が『Filmworker』です。それぞれ味わい深いものがありますが?

A:手書きのサイン Sの肌触り、パーソナルな映画としての『〜愛された男』にふさわしいタイトルですね。
『魅せられた男』の方のfilmworkerというのは映画を支える労働への讃歌、エンディングのクレジットにある名前の全部にというコメントもありましたが、裏方の力を讃えてその代表としてのレオンをフィーチャーするという、その意味でこれもこの映画にぴたりのタイトルですよね。

T:確かにレオンのアシスタントじゃないんだ「Filmworker」だという矜持を強く感じました。
レオンの最後の一人語り、ぐっと来ました。

M: S is for Stanleyは、そのものの原題ですね。
レオンの仕事は、本当に大変だったろうなと思います。二人ともキューブリックからの信頼が、全てのモチベーションになっていたと思います。それを感じさせる原題ではないでしょうか。

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★今、改めて見直してみたいキューブリック映画はありますか?

T: 昔よりクラシックかをストレートに受け入れられている今、楽曲の選択の意図を考えつつ
冒頭挙げた2作品は見直してみたいと思います。
観ていない『アイズ ワイド シャット』もレオンの出演箇所確認しながら観たいと思いました。

M: 映画よりも、展覧会「Stanley Kubrick: The Exhibition」を見たいですね。
『〜魅せられた男』を見て、未見の『バリー・リンドン』は見なくてはと思いました。
それと今の時代に『博士の異常な愛情〜』は再見したいです。
デジタル修復版のフッテージは、サンプルとして見せてもらいましたが。

N:好きなキューブリック作品はこれからも何度でも見たいと思っています。 でも、個人的にはあまり印象が良くなかった『アイズ ワイズ シャット』はもう一度ちゃんと見てみようかな?

A:ちょっと反則的コメントになりますが、亡くなるまで準備していたという未完の大作『ナポレオン』は見てみたかったと思います。

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「キューブリックに愛された男」
2019年11月1日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国カップリング上映
配給:オープンセサミ
(C)2016 Kinetica-Lock and Valentine
2016年/イタリア/カラー/82分/ビスタサイズ/5.1ch
原題:S is for Stanley
監督:アレックス・インファセッリ
出演:エミリオ・ダレッサンドロ/ジャネット・ウールモア/クライヴ・リシュ

「キューブリックに魅せられた男」
2019年11月1日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国カップリング上映
配給:オープンセサミ
(C)2017True Studio Media
2017年/アメリカ/カラー/94分/ビスタサイズ/5.1ch
原題:FILMWORKER
監督・撮影・編集:トニー・ジエラ
出演:レオン・ヴィターリ/ライアン・オニール/マシュー・モディーン/R・リー・アーメイ/ステラン・スカルスガルド/ダニー・ロイド

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人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)