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CINEMA DISCUSSION-15/マックイーン栄光と挫折 THE MAN& LE MANS

photo by NIGEL SNOWDON
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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第15回はスティーブ・マックイーンのドキュメンタリー『スティーブ・マックイーン その男とル・マン』を取り上げます。
誰もが名前を聞くだけで胸がときめいてくるような憧れのスターの存在というのはあると思いますが、スティーヴ・マックイーンはその時代を共有した世代にとっては、多くの人にとって、そういう存在だったのではないかと思います。
このドキュメンタリーはそのマックイーンが心血を注いで作った作品『栄光のル・マン』(1971年)の真実に迫っていく作品になります。
日本では1971年7月17日に、京橋のテアトル東京を基幹劇場にして公開され、配収2.5億円をあげました。これはその年の洋画配収の第3位の数字となりました。
因みに1位は世界的に大ヒットした『ある愛の詩』、2位はなんと以前このサイトでもご紹介した『エルビス・オン・ステージ』でした。
マックイーン自身は、この作品が決定打となり当時の夫人と離婚、後年『ある愛の詩』の主演女優アリ・マッグローと再婚する事になります。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

川口敦子(以下A)
『栄光のル・マン』は71年7月に公開されその年の年間洋画配収第3位と、興行的に惨敗した他の国と対照的に日本ではヒット作となりました。映画のこと、当時のこと、覚えていますか?

川野正雄(以下M)
当時テアトル東京のロードショーを見に行きました。『荒野の七人』のリバイバルや『大脱走』のTV放映を見て、既に彼のファンになっていました。
作品自体は予想以上に渋かったですが、マックイーンの台詞や、車のエンジン音が入ったサントラを買い、ミッシェル・ルグランの楽曲とともに毎日のように聞いていました。
当時はこの作品でマックイーンが奈落の底に落ちたことなどは知りませんでした。

『栄光のル・マン』公開時のパンフレット
『栄光のル・マン』公開時のパンフレット
パンフレットには先日亡くなったレーサー式場壮吉氏が寄稿
パンフレットには先日亡くなったレーサー式場壮吉氏が寄稿

名古屋靖(以下N)
当時、母親に連れられて映画館まで実際に観に行きました。正直面白くなかった記憶しかありません。小学4年生には、ル・マンについて全く知識がなく、各スポーツカーの細かな違いなど分かるはずもなく、母親もそれまでの彼の派手なアクション映画とは違う地味な内容に、無理やり連れてきた僕に向かって「おもしくなかったね。」と言い訳していました。ただ日本ではモータースポーツ全般が盛り上がりだした時期でもありますし、マックィーンが日本では人気だったので、内容に関係なくヒットしたんでしょうね。

川口哲生(以下T)
当時この映画を観たわけではないが、このレーシングスーツに身を包んだマックイーンの姿は印象的だったし、はっきりと覚えています。自分もそういう腕にラインの入り胸にワッペンのついたナイロンのレーシングブルゾンを持っていた(夢だったかなあ)気もします(笑)。はやったのでしょうか?
1958年生まれの自分の中では小学校1年のクリスマスに、「もうおもちゃとか要らないから服が欲しいな」、と思ったはっきりした記憶以降、ジーンズだったりハイカットのキャンバススニーカーとかいわゆるアメカジの原体験があり、さらに4年生ごろからはVAN miniの登場で、そのクリスマスごろの赤と緑のラインのチルデンセーターやコーデュロイでトグルの変わりにメタルの金具のついたダッフルコートとか、夏のシアサッカーのジャケットとかトラッドよりの今につながるベースを築いた時期を経て、モンキーズや子どもながらのヒッピー的時代感やさらにはヤング720やビートポップスからのビートルズといった音楽に目覚める時期だったと思います。そのころのラジオの洋楽のトップ10番組のようにアメリカ、ヨーロッパごった混ぜの中で、どちらかというイギリスを中心としたヨーロッパに意識が行き始めた時代だと思います。
マックィーンはじめ映画の男優は、姉のスクリーンで観てはいたと思いますが、何か年代が上な感じで、音楽的なヒーローたちの親近感とは違っていました。

A:71年ということは私は高校1年生、人生で一番暗い人間だった頃ですが、毎月欠かさず読んでいた雑誌「スクリーン」を通じて映画の情報は得ていました。公開された新作が一本もなかったのにマックィーンは同誌のファン投票による人気スター男優篇の4位に入っていて、待望の『栄光のル・マン』が公開された暁には――みたいな期待感が特にファンというわけではないこちらにも伝わってきていました。でも、映画は見なかった(笑) テレビで放映されたのを見たままきちんと見たのはずっと後です。
ちなみに今回、公開当時の「スクリーン」を引っ張り出してみると双葉十三郎”ぼくの採点表”(71年10月号)で★4つ「ありふれたドラマ部分を最小限にとどめル・マン24時間レースをみごとに描き出し、ルルーシュの『白い恋人たち』と相通じる魅力を生み出した」と、ドキュメンタリー的なリアルの追究法が評価されてます。かたや淀川長治”さいならさいなら先生近況日誌”では「スティーヴ・マックィーンどうも感じがよくない。映画はすばらしい」。
『白い恋人たち』と比べられるところがさすが御大の評で素敵ですね。ルルーシュといえば『男と女』も隠れたレース映画ですよね。その前年に撮られた短篇『ランデヴー』は、10月に日本で初上映されるのですが、愛車にキャメラをくくりつけてパリの朝を疾走しまくるマックィーンの理想を実現したような究極の走りの映像を体感させるんですね。

A:このドキュメンタリーを見て往時の印象はどう変わりましたか?

T:足折ってでも本物のレースに出るような、自分のしたいことに子どものように純粋な人なんだろうなと感じました。
結構離婚したインタビューに登場するニール・アダムスとかの懐の広さの中で、やんちゃさせてもらってたんだろうなと思うし、映画を完成させるといったビジネスとしての感覚ではないのだろうと思いました。
『ダーティーハリー』とか『明日に向かって撃て』等々のオファーを断っているのもそこなのでは。

M:後年ソーラープロを倒産させた原因になったとか、色々なネガティヴなエピソードを知ったので、すごく興味深かったです。
当初はマックイーンがル・マンを走るということだけで、皆が成功を確信していたのに、歯車が狂い始める。
その過程が明らかになっていく部分は、興奮を覚えました。
最大の敗因は、やはり恩師ともいえるジョン・スタージェスの降板でしょうね。脚本が完成しない事に業を煮やしたようですが、プリプロでしっかり握れていれば、素晴らしい作品になった可能性があると思いました。
マックイーン自身は、彼の降板をプレッシャーによるものだと決めつけていますが、後年彼を責めてないとも話しています。
マックイーンはル・マンのカーニバル的な要素や、観客、レース独自の緊張感などは生で撮らないと表現出来ないと考え、ル・マン本番での撮影と、映画撮影のハイブリッドな構造になりましたが、それは間違っていないと、改めて感じました。
レース全体を再現するには、観客など費用もかかり過ぎるということも、あったようです。
エンツォ・フェラーリには、最後にはどちらが勝つのか?と聞かれ、ポルシェと言ったら、車輌提供を断られたそうです。その為フェラーリは車輌を買う羽目になり、更にコストが増加したようです。今なら考えにくい話です。
そういった色んな伝説は聞いていましたが、こうやって生の映像で当時の真相を見る事、知る事が出来たのは、すごく貴重な体験でした。

N:スピード狂のマックィーン自身のコントロール下で、どうしても撮りたかったテーマだとは知らなかったので、少しだけ見方が変わりました。 人気絶頂だった俳優が私財投下してまで形にしたかった映画のドキュメンタリーですが、正直マックィーン・ファンではない自分からすると最初は、こんな壮大なワガママがまかり通る時代性の方に興味が湧きました。

photo by NIGEL SNOWDON
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A:マックィーンがめざした「映画の壁を破る」ということについてどう思いますか?

N:自から制作する映画について、台本がない事など非常識という意見に抵抗する意味も込めて「映画の壁を破る」と発言したのでは?と勘ぐってしまいます。 このプロジェクトの最も深刻な問題は、リーダーのマックィーン自身が具体的な完成図を描けなかった事にあると思います。色々な意味で映画のセオリーを破りたかったのは理解しますが、今思えば無謀な挑戦だったのでしょう。

M:先に言ったハイブリッドな構成でしょうね。ル・マンの真実の姿を、ドラマとして伝える。役者ですから、ドキュメンタリーではダメだったのだと思いますし、生のル・マンがないと彼の望むものにはならなかった。
映画には事故のシーンがあり、撮影でも実際に事故があり、ドライバーが重傷を負いました。後年レースは安全なものではなく、過酷だということを伝えたかったと話しています。
それが彼の追求したリアリティでしょうね。
改めて『栄光のル・マン』のここで紹介する映像を見ると、心臓の鼓動でドライバーの緊張感を描き、スタートの興奮と激しいドライビングが、ミッシェル・ルグランの音楽と共に、見事に伝わってきます。
商業的な失敗はありましたが、マックイーンの狙い自体は、成功しているようにも思えます。
このドキュメンタリーを見た後、改めて『栄光のル・マン』を見直すと、きっと色んな部分が見えてくると思います。

A:好きが高じて作った究極のレース映画でドラマよりドキュメンタリー的なものをめざした、つまり”劇“映画の壁を破るということでもあったんですよね。本作で『栄光のル・マン』に関わった人々のいくつもの証言を聞いてみると、マックィーンがそこまで意図してはいなかったのかもしれないけれど振り返るとアメリカン・ニューシネマやヨーロッパにもあった映画の流れとも無意識のうちに共振してしまっていたんだなあと、そこにも感慨深いものがありました。その意味でもきちんと大きな画面で『栄光のル・マン』を見てみなければという気にもなってますね。で、参考までにもう一度、「スクリーン」誌を見てみると同じ年、ただただ走るその空しさが時代の気分といわれた『バニシング・ポイント』が執筆陣の選ぶベストテンの4位に入って評価されている。中途半端に思わせぶりなロマンス部分をなくしてマックィーンの思い通りの映画になっていたらと想像してしまいます。

T:脚本が無いまま取り始めるみたいな、無謀だけど「自分の体感している世界を見せる」を本気でしたかったのだろうな。きっと300kmを超える生死をかけた世界のひりひりするような感じをとか、走っているものの中でしか共有されない関係性を。
演じることとリアリティーの境界性とでも言うのでしょうか?
そういう意味でこのドキュメンタリーを観て、当初の脚本と違ってポルシェチームの首位キープのためにフェラーリ妨害のために走り二位になるマックイーンの役柄が、脚本が無いまま破綻しかける中、新しい監督と妥協しレース以外のストーリー性を譲歩した現実のマックィーンと二重写しになりました。自分の映画づくりでも1位ではなく、勝てなかった。

A:次回のシネマ・ディスカッションで取り上げるジェームス・ブラウンのドキュメンタリーともある意味で通じる、スターがキャリアの中でパワーを持った時をフォーカスしている作品ともいえますが、この一作に賭けて、この一作の後にはレースを二度としなかったというマックィーンについて、あるいはそんな彼についてのドキュメンタリーの視点をどう感じましたか?

T:挫折もあり、友人のドライバーの事故の重さもあったと思います。

M:この作品では語られていませんが、レースをやめた理由は、『ゲッタウェイ』で共演して結婚したアリ・マッグローです。彼女がレースを望まなかった為に、きっぱり止めました。
マックイーンのドキュメンタリーは以前NHKで見たのですが、それは彼の役者人生をオーバービューするもので、切り込みの深さは、今作の方がありました。
マックイーン自身もこの作品で、キャリア、お金、結婚、人生など全てを失ってしまったと言ってますが、彼のすごさは、その後の巻き返しですね。
サム・ペキンパーと組んだ『ジュニア・ボナー』『ゲッタウェイ』、ダスティン・ホフマンとの『パピヨン』、ポール・ニューマンとの『タワーリング・インフェルノ』と、彼の代表作になる作品に次々と出演し、役者としての格付けはさらに上がることになりました。
このドキュメンタリーからはそういう役者として、或いは人間としての過渡期にあったマックイーンがある種狂気ともいえる情熱で、ル・マンにはまっていった姿が、念密に描かれていると思います。
特に事前に出場したセブリングなどのレースから、どんどんレースに自らを突っ込んでいく姿は、リスクを顧みないマックイーンの人生を象徴していると思います。
それと根は優しい人間だったマックイーンの人柄も、最後には明らかになるので、感動しました。

A:もちろん人気絶頂期のスターのわがままということもできるけど、後先構わずのめりこめる少年ぽさが迫ってきますね。彼がその主演作で演じた役がらとも通じる魅力、反抗児でしかも結局、負けながら苦い笑いでまた自分の道を往くといったロマンチシズムを本人の行路にも感じさせる、記録映画があざとくはないドラマをつかみとってるというのかな。

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A:印象に残るコメントは? 元妻、息子、『栄光のル・マン』の元監督、脚本家、足をなくしたレーサーとドラマを排した映画の背後にあるドラマとその関係者については?

M:やはり妻のニールですね。シャロン・テート事件との関連は驚きました。当時のアメリカでのマックイーンの存在感も、よくわかりました。
マックイーンはニールとの夫婦仲を、ハリウッドでは珍しい下積み時代からの長期に渡る夫婦だったと言っています。
又その夫婦仲が決定的に破局したのも、『栄光のル・マン』だと、マックイーンも語っています。ニールは、ミュルサンヌをポルシエ917で200マイルの猛スピードで駆け抜けるマックイーンを見て、二度と撮影現場には行かなかったようです。
実際ニールは、ロスのレースで目の前でマックイーンがクラッシュするシーンを見ており、レースに参加する事に対する恐怖感を常に持っていたそうです。
ただ撮影時は家族でフランスのお城に泊まり、楽しい生活の時期もあったようです。当時の日本人の取材を読んだのですが、夫婦で50ccのバイクに乗って現れたりしていたようです。マックイーンは、『砲艦サンパブロ』の際に、20時間だけ日本に滞在しましたが、この記事を読むと、「食事が美味しかった。わざわざ日本から来てくれたのに、ゆっくり話せずすまない」と、フレンドリーな対応をしていたようです。
この時は車のシーンの撮影だったのですが、演出は殆どマックイーンがやっていて、監督は撮影監督的な仕事をしていたと、レポートされています。
共演女優の話も驚きました。ありがちな話ではありますが。
息子のチャドに関しては、あまり興味を持てませんでした。

A:『華麗なる賭け』『ブリット』の脚本家アラン・トラストマンのコメントも忘れ難い。もともとショーン・コネリーを想定して書いた『華麗なる賭け』だったのに監督ノーマン・ジュイソンとプロデューサーの一声でこれまでのイメージとは異なるこの役を希望していたマックィーン主演になって、彼のために彼の好みに合わせてトラストマンは渾身のリライト作業をして気に入られた。それが『栄光のル・マン』での対立で結局、その後、トラストマンのキャリアも失速し映画界を離れることになる。「その後、電話が鳴らなくなった」って淡々というだけに胸に響きます。

T:先にも言ったけれど、ミュージカルスターだからマスコミ向けに作っていたところもあるんだろうけれど、別れた妻のニール・アダムスの話とか面白かった。母性を持って見守ったというか。
足をなくしたレーサーの話もよい話でした。

N:正直上手くまとめている印象です。みなさん映画のために素晴らしいコメントを語っていますが、もっと本音で当時感じた本心を語ってもらいたかったと思うのは僕だけでしょうか? JBの『ミスター・ダイナマイト』のように、彼のダメなところももっと証言して欲しかったです。

A:71年はハリウッドにとっても広く世界の映画にとっても変わり目でしたが、そこにいたスターとしてのマックィーンの単なるスターでなく自分の興味を活かした製作への興味は、イーストウッド、レッドフォード、ウォーレン・ビーティ、それにポール・ニューマンと同時代のスターにも共有されたものですが、その中でマックィーンだけがつまずいた点、あるいは現代のビジネスに長けたスターたちの在り方と比べてどう感じますか?

T:マックイーンのモータースポーツへの興味は、趣味といったレベルではなかったのだろうし、ビジネスと折り合いをつけて実現することが許せなかったのだろうと思います。
自分がル・マンをレースで実際に走ろうと思った人なのだから。

M:実際にマックイーンは、多くのレースに、レーサーとして命がけで走っています。
妻のニールは、目の前でマックイーンがクラッシュするシーンを見て以降、レースに大しての恐怖感がぬぐえず、ル・マン後の離婚につながったとも言われています。
ポール・ニューマンは少し後に『デッドヒート』というレースのドキュメンタリーを作っていますね。本人がレポーターで、アメリカのインディ500やF-1を取材していましたが、明らかにマックイーンへの対抗心で制作したと思います。
ロバート・レッドフォードは、自分の興味のある題材を、監督したり出演したりしながら、バランス取ってうまく実現していると思います、マックイーンに関していえば、映画でも描かれていますが、監督よりも役者が上位に来ており、誰も制御できなかったのが問題だったと思います。
本人も後年失敗を認めていますが、スターならではのバランス感覚の悪さが、悪い方向になってしまったと思います。
最近もジョニー・デップ、ブラッド・ピット、などのスターが製作にも参入していますが、より製作者としてプロフェッショナルになっていると思います。まあシステム自体も、70年前後とは違いますから、一概に比較は出来ません。
マックイーンの場合は、王様でしかなく、有能なプロデューサーの側近がいなかったのも不幸でした。

A:現代のスターたち、イメージだけでいいますけどお利口な感じですよね。はみ出しそうではみ出さない。といいつつスターをめぐるシステムは変わらないのだろうなあという感じもあって、コーエン兄弟の『ヘイル、シーザー!』のエディ・マニックスみたいなスタジオ時代のスタア保護システムの用心棒みたいな存在は形を変えて今もないわけではないでしょう? この映画に見るマックィーンだって共演女優との事故は隠されるというシステム内にいた。いながらいられない部分を制御しなかった、というあたりをショウビジネスではなくスポーツ分野の記録映画を撮ってきた監督ふたりがみつめているというのも面白いと思いました。監督のひとりガブリエル・クラークは問題作『SCUM/スカム』『Made in Britain』『Elephant』等を撮りゲーリー・オールドマンやティム・ロスを発掘したことでも知られる英国の鬼才アラン・クラークの息子なんですね。

photo by NIGEL SNOWDON
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A:ところで今さらな質問ですが、マックィーンのファンでしたか? どの映画の彼に惹かれましたか? マックィーンの魅力とは?

T:はじめに述べたように、世代間も違うし当時ファンではなかったと思います。
後日写真集とかファッション目線でアイコン的な意味を再確認はしましたが。
『ブリット』とかタートルにジャケット、ムスタングみたいなところにマックイーンらしさを感じます。
大いなる子供性や、少年性が魅力でしょうか。

N:子どもの頃「この猿みたいなおじさんが何で人気あるの?」と思っていました。自分がある程度の年齢になってから、改めてその魅力に気がついた次第です。田中邦衛みたいにお猿顏なのになぜかカッコ良い。

A:田中邦衛!! そう聞くと頭の感じとか、先細のパンツの感じとかふたりがだぶってもう、切り離せなくなってきた(笑) 私もファンではなかったですね。でも当時、テレビでみた『ガールハント』とかあと『マンハッタン物語』とかちょっと気になりました。
アルトマンが『BIRD★SHT』でマイケル・マーフィーに『ブリット』のマックィーンのパロディをさせてますけど、そこまでするかというくらいにこってりとカッコよさを演じるマーフィを見ると“キング・オブ・クール”を真顔で全うしてもさらっとしている、その感触がマックィーンの魅力かなあと思えてきます。

M:最初にファンになったアメリカ人の俳優です。最初は『荒野の七人』と『大脱走』。監督降ろされたジョン・スタージェスの作品です。
その後は『シンシナティ・キッド』『ネバダ・スミス』『ブリット』『砲艦サンパブロ』
『華麗なる賭け』と旧作を、リバイバルや名画座で見まくりました。
特に『砲艦サンパブロ』のマックイーンの毅然とした海兵隊の姿は良かったです。
この辺の作品は甲乙つけがたい位に好きです。
『栄光のル・マン』以降は追いついて、リアルタイムで見ています。
後期ではサム・ペキンパーの2本は最高だと思います。
主演作品は、多分晩年の『民衆の敵』以外は全て見ています。
魅力は、アンチヒーローだったり、敗者の美学といった少し影のある部分でしょうか。
それと笑顔ですね。
ル・マンもそうですが、負ける役が多かったと思います。
彼の映画は、何度見ても飽きないんですよね。見る度に魅力が増してきます。
日本人で言ったら、石原裕次郎みたいな存在かな。
『栄光への5000キロ』というレース映画を自社プロで制作したのも、似ている気がします。

photo by NIGEL SNOWDON
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A:ちなみに彼でなかったら、当時、誰のファンでしたか?

M:ありきたりですが、アラン・ドロンとベルモンド。アメリカ人ではロバート・レッドフォードですかね。イギリス人だとピーター・オトゥールやテレンス・スタンプとか。

A:同時代の映画をコンスタントに映画館で見始めるのはもう少し後なのでむしろ洋画劇場でみた昔のスターたちに憧れていました。
あ、リバイバルで『アラビアのロレンス』を見てピーター・オトゥールに、『恋』(これは地元の国立スカラ座でみました)のアラン・ベーツにファンレターを出したのがこの頃かな。

A:スターというもののあり方の変化を振返るとマックィーンはどのように位置づけられますか? その意味でこのドキュメンタリーはスターへの見方を変えましたか?

M:我々には全く手の届かないところにいるハリウッドのスター。
最近のスターは、何となく距離感が短いのですが、マックイーンは違いますね。
因みに淀川長治さんは、嫌いな役者の筆頭にあげていました。
タイプキャストしか出来なくて、同じような役ばかりで、芝居に深みがないと思っていたようです。

N:昔と違い分業制が進んだ今なら、JBのミック・ジャガーのようにもっと違う参画の仕方があったように思いますが、当時誰も文句も言えないスターだった彼自身が感じたレースにおけるヒリヒリ感を表現するには、このやり方しかなかったんでしょう。

A:当時、女子校では彼をアイドルみたいに崇めている人はあまりいなかったのですが、またファン雑誌を読んでいても男の子のファンが多かったように思いますが、そのあたりどうでしょうか?

T:80年代のイギリスのアコースティックバンドがでてきた時期、プレファブ・スプラウトというバンドが『スティーブ・マックィーン』というアルバムでトライアンフ・ボンネヴィルのジャケットだったよね。やっぱり男の子にとって、マックィーンのそういう世界観てすごくあこがれとしてあるのだと思う。イタリアでもPittiでスナップの常連のAlessandro Squarziはじめアメカジ的なものに夢中になっている。きっとマックィ—ンとか好きだと思います。

M:『大脱走』がテレビ放映される度に、男子のファンは増えていました。女子学生には魅力はわかりにくいですね。
当時はレイモンド・ラブロックとかルノー・ベルレーみたいな役者が人気あったのではないでしょうか。アクション系だとジュリアーノ・ジェンマとかですね。
日本だけが『栄光のル・マン』がヒットしたというのも、当時の人気がわかる話ですね。

A:級友の透明下敷きの中にはさまれていたのはピーター・フォンダとかピーター・ストラウス、確かにレイモンド・ラブロックとかレナード・ホワイティングとかもいましたね。

photo by NIGEL SNOWDON
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T:原初的にはスポーツカー的なものにはすごく興味があったと思います。かっこよさに。小さいときジャグアE-typeの絵をよく描いてたのを覚えています。でも実際のスピードは苦手なのかも?

M:『栄光のル・マン』は、自分に車やモータースポーツへの扉を開いてくれた作品でもあります。
特に冒頭に出てくるナローポルシェことポルシェ911は、最高に素敵でした。
このドキュメンタリーでも同じ911で、同じ市街地を走っていて、感動しました。
実際に映画で走っていたル・マンのキングと呼ばれているジャッキー・イクスというベルギー人ドライバーがいるのですが、後年彼に会う機会があり、サインをもらってしまいました。
マックイーンは車のセンスも、アメリカ人には珍しく際立っていました。
スポーツカーだけでなく、日常の足にはミニを使ったり、ジャガーE typeを愛するなど、ヨーロッパ感覚も高かったです。
『華麗なる賭け』に出てくるショートボディにしたフォルクスワーゲンのバギーも、彼の好みのようですが、大変運転には苦労したようです。
『栄光のル・マン』で共演したエルガ・アンデルセンには、ポルシェ911をプレゼントしています。彼女は割と早く亡くなり、最近その車がマックイーンの写真と共にオークションに出され、高額で落札されたようです。

A:マックィーンのファッションに関しては?

T:当時理解できたものは少ないと思います。その後ニールとの結婚時代だと思うけれど、マックィーンの写真集を見て、海辺のピクニックとか、ノンチャランスな格好よさを理解できるようになりました。
マックジョージのアランセーターとかショールカラーのセ—ターとかでリラックした感じ。
裾幅や丈をいじったと思うパンツやトリッカーズのマッドガード、ペルソールとかね。おなじみのバラクータG9とかも。
今の時代のシャレ感に通じるベーシックなジャケットとかパンツとかコートとか,サイズ感・丈等に自分の価値観があったのかなと思います。

N:A2ジャケットくらいでしょうか?今回のドキュメンタリーを観るかぎり、このロケの時のマックィーンの私服はちょっと残念でしたね。

M:『華麗なる賭け』で着ていたダグラス・ヘイワードは、着こなし含めて素敵でした。当時のお洒落なスター、マイケル・ケイン、テレンス・スタンプ、ジェームス・コバーンなども御用達のロンドンのビスポークです。
ただ彼の本質は、アメリカ的なカジュアルですね。LEEのデニム、バラクーダー、サンダースのチャッカーブーツのシンプルな着こなしは好きです。
それからミリタリーアイテムを格好良く着るのも、マックイーンが代表選手のようなものですね。
実際に彼が着ていた英国のバブアーでは、今もマックイーンモデルがありますし、サングラスのペルソールにもあります。
タグ・ホイヤーもモナコというマックイーンのル・マンモデルを再発売しています。
本人の意識以上に高まっていますが、ファッションアイコンとしてのカリスマ性は高いと思います。

A:『ダーティーハリー』『フレンチ・コネクション』『明日に向って撃て』『地獄の黙示録』『ティファニーで朝食を』『カッコーの巣の上で』と、プレスにあるマックィーンが蹴った企画の中で彼主演でみたかったものはありますか?
N:どれも彼じゃなくて良かったと思います。笑 先日、久しぶりに『地獄の黙示録』を観ましたが、最初から最後まで目が離せないくらい面白く観ました。全てに完璧な映画、すばらしかったです。

A:『ティファニーで朝食を』は意外にいいのでは。

M:『ダーティハリー』は、サム・ペキンパーの師匠であるドン・シーゲルですから、面白くなったでしょうね。意外に刑事役は『ブリット』だけど少ないです。
初期の作品ですが、ドン・シーゲルと組んだ『突撃隊』は、良かったので、相性もいいでしょう。
『明日に向かって撃て!』は、サンダンス・キッド役だと思いますが、あれはロバート・レッドフォードで良かったです。
どの映画もマックイーンがやったら、違った映画になりましたが、一番見たいのは『ダーティハリー』ですね。
でも今回の作品で生のマックイーンを見ると、マックイーンはやはりマックイーンなので、彼が実際に出演した作品で十分だったと思います。

『スティーヴ・マックィーン/ その男とル・マン』
2015 年カンヌ映画祭・CANNES CLASSICS 部門正式出品
2015 年ドーヴィル映画祭・2015 年ニュージーランド国際映画祭正式出品
[2015 年/アメリカ=イギリス合作/112 分/原題:STEVE McQUEEN THE MAN & LE MANS] 提供:キングレコード 配給:ビーズインターナショナル
監督:ガブリエル・クラーク、ジョン・マッケンナ
5 月 21 日(土)より新宿シネマカリテにてモーニング&レイトショー 6 月 25 日(土)よりシネマート心斎橋にて、ほか全国順次公開

photo by NIGEL SNOWDON
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Cinema Discussion-14/光の魔術師アピチャッポンの奇妙な寓話『光りの墓』

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督 © Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第14回は初めてのアジア映画として、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の新作『光りの墓』を取り上げます。
アピチャッポンは、2010年には『ブンミおじさんの森』で、カンヌのパルムドールを獲得している世界的にも注目されている映像作家です。
今年は2006年に監督した『世紀の光』も日本公開され、福岡天神での映像制作ワークショップ「T.A.P(天神アピチャッポンプロジェクト)」や、東京都写真美術館での個展も予定されており、日本での大きなブレイクも予感されるので、今回は初めて彼の新作にフォーカスをする事にしました。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。
今回川口敦子以外のメンバーは、アピチャッポン初見参という事で、全員2006年作品『世紀の光』を予習して臨んだ座談会となりました。

© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

川口敦子(以下A)
『光りの墓』を要約するとしたらどのように? 何を見たと思いますか? あるいは何を見るように薦めますか?

川野正雄(以下M)
やはりアピチャッポン監督の作家性でしょうか。
タイというこれまではアート作品との出会いが無かった国から出てきたアートハウス系の映像作家。
彼の描く空気と時間と光の流れ。
根底に流れるタイの政情に対するアンチテーゼなテーマ。
光というテーマは一貫していますね。作家性のアイコンみたいな存在なのでしょうか。

川口哲生(以下T)
映画を見ている自分自身が、兵士たちと同じように、現実なのか夢なのか分からない、居心地の悪い状況を彷徨っている様な感じ。眠りに誘うような女性の語り口が、アジアのビーチで昼寝している時に周りから聞こえてく女性同士の会話のような感じで、そうした感を増幅させました。そんな中で事故した足を兵士に成り代わって癒す霊媒の女のシーンの様に、自分の深層にある何か、深い恐れや悲しみと共鳴するとても美しく涙が出るようなシーンがあったのが発見でした。

A:見ている、聞いている、感じている、触ってもいる、でも「何を」と説明しようとすると手の中をすりぬけていく砂のように言葉が抜け落ちていってしまう。そういう名づけられないものを感覚することがアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画を体験するということになるように思えます。「何か」についてではない物語り。

名古屋靖(以下N)
心の治癒までの軌跡。 今時とは思えないほど、私的な作家性に突出した新鮮で新しい映画。 A.タルコフスキー以来、心揺さぶられるほどの何かを見た感はあるのですが、それが何なのか今だに分かりません。 映像美で言えば、イットが眠るベッドのシーンは色も光りも平面構成も完璧といえるほどの美しい一枚の絵画です。

T:事前にみた『世紀の光』はより実験的で感情がむき出しに伝わってきた様に思うけれど、この映画はより暗喩的であり、ナラティヴな物語性の中での表現になっていた。自分としてはとても面白かったです。

N:幸運にも『世紀の光』からそんなに時間を空けずに『光りの墓』を観ることができたのは、作品を越えて病的と思えるほどの執着心や、それらモチーフを偏愛する結果、監督自身の映画そのものへの探究心が深まっていってるのがわかって面白かったです。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督に身を任せるか否か?で好き嫌いは分かれますが、自分はどっぷりと2時間、監督の夢の世界を気持ちよく漂う事ができました。

M:独特の長回し。光の使い方。
インスタレーションとも言えるような演出。
病室内で繰り広げられる現実的な描写と、魂との対話のような寓話的なエッセンスとの、アンバランスとも取れるような共存。
随所の会話にはユーモアも込められ、『世紀の光』からの進化というかプロフェッショナルな成長を感じました。
それら全てを包括したアピッチャッポン監督の私小説。
彼のこれまでの人生や、周囲の様々なエッセンスが、象徴的に随所にばら撒かれているのではないか。
映画としての奥行きの深さ。
病室内での光が変化していく映像が素晴らしかった。
行間を読み取る感覚がないと、単に厳しい映画になってしまう。
そのリスクとの背中合わせのような緊張感のある映画。

© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

A:醒めてみる夢、というか夢の中で見た映画というか。
眠りを拒もうとすると果てしない闘いに巻き込まれてしまう。名古屋さんがタルコフスキーの名をあげてらっしゃいましたが、私の場合、『ノスタルジア』を見た時のあの温泉地で歩みを進めていく、その場面での登場人物のたどりつけなさと、観る側の睡魔との闘いとが相まって襲ってくる何ともいえないせめぎあいの感覚、辛いけれど、ふと気持ちもいい、能を見ている時にも通じる感覚をしばしば味わうのがアピチャッポンの映画でもありますね。感想というのとはちょっと違いますか――。

A:「映画監督」とイージーにくくってしまうのがためらわれるようなアピチャッポンについては、どんなことを思いました?

T:とても興味深いですね。タイの政情など本当に理解しきれないところがありますが、何が彼に映画を作らせるのか、そうした興味が純粋に湧きました。
現代美術や実験的な映画というスタート地点もユニークですが、彼が表現として映画を作るということが興味深いですね。

N:変態ですね、きっと。勉強不足で今までまったく知らなかったのですが、久しぶりに興味深いアート系の映画監督と巡り合った感じです。前向きになれば実力は申し分ないと思いますが、今後も普通の商業映画の監督にはなりたくはないのでは?
監督の生まれ故郷で映画の舞台でもあるイサーン地方について、僕はタイ料理の一地方料理として認識している程度でした。自宅近所にイサーン料理の美味しいレストランがあるのですが、オーナー・シェフはラオス出身です。今回アピッチャッポン監督の映画を観るにあたり少しだけ学習したおかげで、国境・国籍、民族・種族、デモで話題になった「タイの南北戦争」など、タイでありながら純粋なタイではない複雑な問題を抱えた地方であることを知りました。

M:タイ映画というと『マッハ』シリーズのようなアクションのイメージがあったので、全く違いますね。そういった当たり障りの無いアクション映画へのアンチテーゼのような意識があったのかなとも思います。
アクション全盛期の香港映画界にウォン・カーウァイが現れたのと同じような印象でしょうか。
作家的にはアッパロ・キアロスタミやエドワード・ヤンが好きだったみたいですが、そういった作家と比べてもよりアヴァンギャルドな表現で独特の世界観を構築していると思います。
アンディ・ウォホールとかヨゼフ・ボイスは、アートを軸に映像作品も作りましたが、アピチャッポンは、映画を軸にアート作品も作っていく人だと思います。

A:ハリウッドの昔ながらの映画では、これを見なさいというのを観客に感じさせずに、でもみごとに誘導していく、その技を磨いてストーリーテリングの粋ともいうべき映画の方法を蓄積してきた、そういう意味での物語りの仕方とは別の方法を最初の長編『真昼の不思議な物体』から提示していますね。ここではシュルレアリストの手法”優美な死体“をヒントにお話を撮影クルーの訪れる所々の人びとが受け継いでいく。リレー形式で編まれる物語の意外性もさることながら、受け継がれる物語を受け継ぐ人、その人のいる場所、時間、光をすくい取る黒白の映像自体が物語となっていくような――。そんな映画にすでにこの作り手ならでは興味のありかが示されていたように思います。
フィクションとドキュメンタリーの背中合わせの在り方という部分を究めてもいて、それは21世紀へと向かう映画の作り手たちが様々に試みたひとつの傾向とも合致していた。その意味ではホン・サンスの反復とずれ、真ん中で折り返すような構成法とかとも比べてみると案外、面白いのかなあなどとも思えます。

© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

A:アピチャッポン・ウィーラセタクンに『ブンミおじさんの森』で大賞を与えた2010年カンヌ映画祭コンペ部門の審査員長はティム・バートンでしたが、彼やデヴィッド・リンチ、ガス・ヴァン・サントのようなアート・フィルムと物語性をもつ”普通の映画”の狭間で撮る人たち、あるいはデレク・ジャーマンやウォーホルのような実験映画、現代美術の領域も含んだ映画の撮り手たち、アピチャッポンは彼らと比べてもいっそうユニークな存在ですね。自身の世界を究め、長編映画と共に、短編、アートインスタレーションもコンスタントに発表している。そのあたりの創作のスタンス、その”越境的”な要素についてはいかがでしょう?

M:個人的にはガス・ヴァン・サントのような狭間で撮る監督の方が好きです。
アピチャッポンはやはり監督でもありますが、アーチストというか、映像作家という表現の方が相応しい人に思えます。
監督としては、『世紀の光』から『光りの墓』では、その間の監督としての大きな成長を感じました。
ただ本質は変わっておらず、それが彼のスタイルなのだなと改めて思っています。
作品的には小栗康平監督の『眠る男』との近似性を感じました。
魂との対話といったテーマ性や、睡魔とのギリギリの境界線に立脚した長回しの演出や、土着的な地域性をベースにした私小説的要素とか、そういう部分の共通項です。
多分こういった私小説的な世界から彼が脱却した時、真の監督としての力量が見えてくると思います。
アジアで評価されている他の監督のように、自国から出て、外国で撮影した時、どうなるのか、気になります。もっともっとグローバルに活動して欲しいですね。
余談ですが、タイの映画祭に一度行った際に、タイはポストプロダクションの技術やCGの技術が素晴らしいという事で、いくつもの会社を訪問しました。
その中でもカンタナという会社は、今では日テレや日活と日本にも合弁会社を持ったりしているのですが、非常に素晴らしい技術があるようでした。
僕が会ったマネージング・ディレクターは香港人で、同じ香港人のウォン・カーウァイからはかなり昔からポスプロを依頼されているという話を聞きました。
そういうタイの映像に於けるテクニカルな進化というものと、この作品の映像のクオリティの高さは無関係ではないと思います。

N:チャート表を作成すれば、彼は上記の誰よりもアート・フィルム寄りの人ですよね。普通の映画のジャンルには当てはまらないであろう『世紀の光』に対して『光りの墓』は、よりナラティヴな内容とオーガニックな映像美で、その狭間のほんの近くまで歩み寄った監督の意欲作だと思います。個人的にはこれ以上は普通になって欲しくないのですが、今後どこに向かうのか?とても興味があります。

T:実験性の高い映画やアートインスタレーションがナラティヴを排している故に、見る側の『何をみるか』の幅が格段に広い様に、彼の映画は、同じ映画に何を観るか、個人ごとのレイヤーがある。解釈「making sense」でなく何を感じ、何を観るか。

光りの墓_サブ5

A:80年代東京ではもっと当り前に見られた上記のような監督の映画が今、支持されると思いますか? 他のジャンルでも見やすい、聞きやすい、着やすいといったリアルなものが蔓延しているように思いますが、そういう傾向は変わっていくと思いますか?

N:この映画が変わるきっかけになってくれると嬉しいです。

M:デレク・ジャーマンなんかは、当時は人気がありましたね。
正直かなり苦手な監督です(笑)。
まだまだ日本人が他の世界の人からの影響を大きく受けていた時代でした。
今の東京でアートフィルムが大きく支持されるのは、段々難しくなってきたと思います。
ただ大きく支持はされなくても、常にそういった作品をきちんと評価したり、探し求めていく人は、存在し続けています。
ニューヨークやロスと比較しても、東京の方がより多くの世界中のアート系映画を劇場で見れる機会は、あるのではないでしょうか。

A:短編やインスタレーションを含めたひとつのアートワークの中に長編映画も組み込まれるというあり方。例えば『ブンミおじさんの森』にしても”プリミティブ”という複合的なプロジェクトに含まれているんですね。政治や歴史も深く呑み込んだ現代アートの一環としての映画作りを基本とする。というと観客を突き放すような印象も与えますが、そうではない。”私”の表現ではあっても、排他的ではないというか。うまく言葉にならないんですが、その辺りにもアピチャッポンの面白さがあると思う。

T:音楽や映画やファッションもですが、判りやすいもの、容易に楽しめるものになっています。先にも述べたこの人は何を考えているのだろう、といった次元の興味は今は難しくなっています。“stop making sense”という忍耐(?)がいるものには飛びつかなくなっています。

© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

A:記憶、夢、眠りという核になっているモチーフについては? 『世紀の光』と見比べていかがですか?

T:『世紀の光』も同じインタビューのシチュエーションの場所を換えての繰り返しみたいな同じ人の中での記憶なのか、あるいは覚めない夢なのかといった感じを持ちました。
今回は、厳しい表現に対する規制といった政権政情野中での作者の心情、さらには監督自らの出身地にまつわる自らの場所や人や自然に対する記憶等々がより重層的に『記憶』『夢』『眠り』といったモチーフとして描かれているように思いました。

N:それらのモチーフは、『世紀の光』がごく私的なアート・フィルムだったのに対し、『光りの墓』を普通の映画らしく作用させた重要な要素の一つだと思います。しかしその発想の原点は、当時のタイから現実逃避するために眠ることに魅了された監督が熱中した、自分の夢を書きとめていくという極めて内向きな芸術活動からで、そこにも彼の少しだけ病的な執着心を感じます。

A:『トロピカル・マラディ』で中島敦「山月記」の引用をしたこともありますが、自然と科学(医療)、霊魂、変容、輪廻転生といったモチーフが非現実的な幻想であるよりは、まざまざとした、あっけない現実として描かれる。この点に関しては?

N:精霊や憑依など、あっけらかんと描かれていてもまったく違和感ないのは、タイという土地や人々らの南国的お気楽気質がそうさせるのかもしれません。湖畔のお堂の姉妹霊のエピソードなどがスムースに入ってきたのも、イサーン地方という土着信仰も根強いスピリチャルな土地にプラスして、タイの南国気質が関係しているのでしょう。笑いまでは行かないけれど微笑ましい緩やかなユーモアが許されるのも、微笑みの国タイらしさを感じさせます。同じ内容で別の映像作家がヨーロッパで撮影していたらこうはならないでしょう。また勝手な解釈ですが、ラストシーンのサッカー少年たちは、病院の地下に眠る昔の王様たちじゃないかと個人的には思っています。

M:非常に寓話的なエピソードの使い方が面白いです。
それぞれの作品で、息抜き的に挿入されるエッセンスは、監督のセンスを感じます。
アート性だけではない作家だと思いますので、実験的だけど映画的な手法をうまく使っているように思えます。
例えば何故か象徴的にダンスやエアロビみたいな集団シーンが差し込まれる意図がよくわかりません。
幻想と現実の対比として描いているのかなとも思います。

T:汎アジア的なアニミズム的な物事は日本人としては受け入れやすいように思いますが、そのカジュアルさはpopであっけらかんとしていますね。

A:街頭の集団エアロビクスもそうですが”森”も繰り返し各作に登場してくる。動物と植物と人の境い目をみつめている気もしますが?

N:『世紀の光』オープニングの風に揺れる木々や田園、『光りの墓』の病室から見える森など、オーガニックでボタニカルな映像が印象に残る映像作家です。それらとは逆に時折差し込まれる工事現場やその雑音がとても人工的で、『世紀の光』の後半で使っていた不穏な音楽と同様にいい対比になっています。自分にはそれらが目に見えぬ神や王様たちの魂の声に聞こえていました。
森について、動物と植物と人の境い目について、監督がインタビューで語っている「だから私は木になりたいのです。」という彼自身の夢はまさに境い目を超えた「変容」です。『2001年宇宙の旅』でボーマン船長がスターチャイルドに生まれ変わるように、『光りの墓』は主人公のジェンが「癒し」もしくは「赦し」に到達したことによって、ケンのように夢を覗く力を身につける「変容」の物語とも言えるかもしれません。

T:輪廻転生を語るようなところがありましたが、動物や植物と人間は紙一重でつながっている感がありますね。そして『世紀の光』でのたびたび挿入される工事現場やトラクターみたいな建機が象徴する埃っぽい現実感、『光りの墓』ではケミカルな光の医療機器等のSFっぽい未来感,そういったものが森や植物とともに共存するところが面白いところですね。

光りの墓_サブ2

A:今回の映画は『世紀の光』のような真ん中でまた始まるといった不思議な構成が目につくわけではありませんが、物語り方はやはりちょっと独特ですね。その面白さについて具体的にどうでしょう? 自然とケミカルなものの共存、長回し、ほぼ素人の演技者たちといった部分で抵抗を感じましたか?

N:ほぼ引きのアングルのみで、独特のスピードで観るものを混乱と昏睡に誘う『世紀の光』と比較すると『光りの墓』は台詞にも一貫性が感じられ、至極まっとうな映画に見えてきます。先ほども触れましたが、窓の外の木々に露出を合わせたイットが眠るシーンと、夜の病室のケミカルな光の治療シーンは、忘れられない美しさです。

A:長回しの印象がありますが、『トロピカル・マラディ』の頃には案外、普通にカットを割っている所もあり、手持ちキャメラをつかったりもして、今、見直すとあっと意外な気もします。ただ、風や森の緑や、光、水といった自然への眼、時間への感覚は一貫しているので、目立った筋よりそうした時の中にこそ物語を見る方へとより積極的に向かってきたのかなあとは思います。反面、それだけではいられない政情、現実の切迫感もまたあるのでしょうが。

T:先にも言ったけれど、自然と共存するケミカルな色使い、とか不思議な集団ワークアウトとかはやはり監督のpopさや独特のユーモアを感じました。

A:独特の時の流れの感触については?

M:『世紀の光』からそのまま進化した形でしょうか。
常に病院が舞台になっている事については、監督の育った環境だということがわかりました。
『世紀の光』では、違う病院で同じドラマが進行するという極めて実験映画的なユニークな手法が印象的でした。
『光りの墓』に関しては、随所に差し込まれる静止画的な映像が、睡魔を呼び込みながらも、作品全体の余白として効果的に思えました。
ただ長回しに関しては、多用しすぎると感じました。
前述のトラン・アン・ユンも『ノルウェイの森』の雪のシーンで超長回しをやっていますが、時として長回しは、役者の緊張感を削ぎ、観客には単調さを与える結果になります。
長回しをすれば芸術的な作品になるみたいな風潮が、何処かに流れている気がして、そこに対して個人的には、常に反対側のスタンスでいたいと思っています。

T:同じアジアである日本人としてすごく『アジア的』と感じる要素はここになると思いますが。

N:油断すると寝落ちしそうになるくらいゆっくりとした時の流れと間ですが、タイ語のやさしい響きと相まって、慣れてくると心地よささえ感じられます。この柔らかい感触もアピチャッポン監督の特徴かと思います。
台詞も多い方ではないので自然に映像も凝視してしまいますが、極端なパースペクティヴなど、そこにも彼らしい病的な繰り返しが確認できます。

A:タイの現状も重要な背景になっていますが、その点に関してはどう見ましたか?

M:政情に関してですが、これはなかなか映画では訴えにくいテーマなのかもしれません。
間接話法的に今回は語っていると思います。
実際タイに行くと、街中で軍服を着た人間の多さに驚きます。
たまたま見た時期に近いタイミングで、NHK-BSで『ジョニーは戦場に行った』を見て、テーマの近似性を感じました。

N:タクシン派として赤いシャツを着てイサーン地方の人々も大勢参加していたバンコックでの大規模デモのニュースが今も印象に残っています。タイ中央に反抗する伝統も持つイサーンの人々が、如何に自分達のアイデンティティを失わないようにするか葛藤している監督の姿が、あからさまではないですが所々で見え隠れしています。

A:中国・台湾・香港、イラン等々、欧米以外の映画が注目を集める時、ある種の上から目線的エキゾチシズムをどこか払拭しきれない場合がありますよね。アピチャッポンの欧米での評価の高さにもそうした要素が関わっていると思いますか?

T:先の時間の流れの話ではないけれど、アジア人でありながらアジア的ということに関するエキゾチシズムを感じてしまうのも確か。でも監督にはそうしたアジア性を超えた興味を感じました。

A:トラン・アン・ユンの映画はベトナムで生まれたけれどパリで育ったフランス人の感覚ももった彼が、懐かしむベトナムに外からの目を感じさせずにはいない。そのエキゾチシズムはアピチャッポンの映画にはないと思える。

M:なるほどトラン・アン・ユンのベトナムを見る視点を、上から目線とすると、そうではないですね。もっと土着的な感じがします。
エキゾチシズムというものは、映画全体に覆われているようには思えますが、それは欧米人が意識するエキゾチシズムとは違う種類のものであるように思います。
トラン・アン・ユンのエキゾチシズムは、欧米人にわかりやすいエキゾチシズムで、アピチャッポンは、より内省的でプリミティブなのではないでしょうか。
観客にエキゾチシズムを感じさせるのではなく、内から湧いてくるエキゾチシズムという類かと思います。

A:ゲイであることを公表している監督ですが映画にそのことが関係していると思いましたか?

T:むしろ『世紀の光』のいくつかのシーンのほうにそういったことを感じました。

M:男性器を唐突に象徴的に描いているので、何故かと思いましたが、ゲイと聞き、納得しました。

© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

A:次はSFをと語っていますが、どんなものになると思いますか? 彼の世界はSF的なのでしょうか?

M:彼の作品は非常に寓話的なので、面白いと思います。
彼のこれまでの私小説的な世界観から脱却した作品を見たいですね。

N:僕は今のままで行って欲しいです。アピチャッポン監督の作品は新しい種類の映画体験だと思います。そんな彼が挑むSFは予測不可能です。今から楽しみにしています。

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の新作『光りの墓』は、3月26日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショーとなります。
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