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CINEMA DISCUSSION-26/『NORTHERN SOUL』今蘇るノーザンソウルシーンの真実

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第26回は、60年代のロンドンを描いた『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ』に続いて、70年代英国北部の音楽シーンに熱狂する若者達を描いた『ノーザン・ソウル』です。
前回のシネマ・ディスカッションでは、60年代英国のモッズシーンからスウィンギング・ロンドンの流れをドキュメンタリーで辿りましたが、この『ノーザン・ソウル』は、『さらば青春の光』や、『トレイン・スポッティング』の系譜になる音楽+青春の英国らしいドラマ作品です。
製作年度は2014年。イベント上映はありましたが、5年越しの日本正式上映となります。
監督はエレイン・コンスタンティン。ノーザン・ソウルシーンには後追い世代ですが、細部まで凝った演出をしています。
今回のディスカッションメンバーは、映画評論家の川口敦子と、川野正雄の2名です。

© 2014 Stubborn Heart Films ( Heart Of Soul Productions) Limited All Rights Reserved.

敦子(以下A):『ノーザン・ソウル』はタイトルにも掲げられた英国60年代後半から70年代にかけてのユースカルチャーを軸にしてますが、モッズといえばの川野さんはこの北部イングランドのワーキングクラスの白人青少年が夢中になったアメリカのレアなソウル音楽探しとダンス、ファッションをからめたサブカルチャーとの繋がりとかにも興味をもってらしたの?

川野(以下K):英国では60年代後半になると、モッズの進化系でノーザンソウルのムーヴメントが起きたのですが、自分もモッズへの関心の延長線上にノーザンソウルがありました。初期のモータウンサウンドがモッズ的なソウルミュージックとすると、その辺の音楽がファンクへと変化していく過程のは境期にあたる1967~1974年くらいのファンキーソウル的なサウンドを、80年代後半DJをやっていた時代に、必死に探していました。
80年代後半は、英国でレアグルーヴブームが起き、ノーザンソウルをよりファンキーにした70年代中期のブラックミュージックが、一大ムーヴメントとなったのですが、自分もその影響がありました。
その時代はノーザンソウルというくくりで、レコードを探していたわけではないのですが、結果的に今見るとノーザンソウルのレコードが多く手元にあります。
またその頃READY STEADY GO!で輸入していた英国のDUFFER OF ST GEORGEは、映画『ノーザン・ソウル』に出てくるような70’sスタイルで、そちらも当時は必死に買っていました。
8つボタンのダブルのスーツ、ニットのレターカーディガン、スポーティなウインドブレーカー、ショート丈のレザージャケット、プレスの効いたフレアーのパンツなどですね。
でも当時の自分この映画に描かれているようなノーザンソウルの知識はなく、米国のサザンソウルに対峙する意味合いで、デトロイトやシカゴなど米国北部のソウルをノーザンソウルと解釈していました。
でもこの映画に描かれているノーザンソウル=原産地ではなく英国北部発祥のソウルムーヴメントが、真の姿なんですよね。

© 2014 Stubborn Heart Films ( Heart Of Soul Productions) Limited All Rights Reserved.

A:無知の強味でいっちゃいますがあのバギーパンツってボウイの「ヤング・アメリカンズ」の時のスタイルとも通じてるみたいに見えるけど、アメリカのソウルだし、影響関係があるのかなあ、なんて思ったりもしたのですが・・・。

K:時代的に「ヤング・アメリカンズ」と被りますよね。先生のファッションがまんまでしたね(笑)。ボウイも元々モッズですから、当時ノーザンソウルは聞いていたと思います。「ヤング・アメリカンズ」のソウルの世界感は異なりますが、「Knock on wood」のカバーレコーディングなどで、ヴィンテージソウルへのリスペクト感は強いですね。
モッズの時代から、英国の若者の米国ブラックミュージックへの憧憬は、奥が深く、それがノーザンソウルへとつながっていますね。
60年代にモッズだった人達は、そのままブラックミュージックの進化と共にノーザンソウル的なサウンドに流れて行ったと思うのですが、この映画の主人公のように、70年代になってノーザンソウルを入り口にして、音楽に入って行った人も少なからずいるのではないかと思います。
なので、この頃のシーンは、ハイブリッドなジェネレーションで構成されていたと推察しています。
映画の中に出てくる若い子達がレコードを買いにアメリカ行きたいというくだりは、単純なんだけど、その気持ちはよくわかります。実際当時からレアな7インチシングルは、すごく高額で取引されていたようです。少し上の世代の人達は、どんどんアメリカにレコードハンティングしに行っていたのではないでしょうか。

© 2014 Stubborn Heart Films ( Heart Of Soul Productions) Limited All Rights Reserved.

A:監督のエレイン・コンスタンティンは90年代の若い子たちをフィーチャーした写真で注目されフェイスやヴォーグで活躍、パルコのコマーシャルを撮ったりもしていたそうですが、ランカシャーで過ごした10代の頃にアメリカのソウルに夢中になりはしたものの、66年生まれ、ノーザン・ソウルをクラブで実際に体験するにはちょっと幼すぎたようですね。でもファッション写真を経験したことでルックの重要さを意識するようになった、髪型や服装、メーク、細部が疎かだったり間違っていたりする映画は見るに堪えないとインタビューでも発言してます。その意味でこの映画はオーセンティックに当時を伝えているんでしょうね。あのダンス、ちょびひげ、服装、髪型も今から見るとダサ可愛いみたいで微妙ですが(笑)

K:なるほど、監督は66年生まれですか。JAMなどのネオモッズや、先ほど言ったレアグルーヴブームが青春時代だったのではないでしょうか。
映画に出てくるダンスやファッションは、NYのブレイクダンスや、ジャージ系ファッションに相通じる部分がありますが、監督はその辺の再現性には、すごく気を使っているなと思いました。
クラブシーンの空気感の演出も、すごくうまいと思いました。最近の映画では、体感的にわかっていない表面的なクラブシーンが出てくる作品があるのですが、この作品のDJシーンは、すごく実際の現場の熱量が伝わってくるんですよね。
リアリティという意味では、当時の地方都市にはライブハウスやクラブもなかったでしょうから、映画に出てくる公民館や、ソーシャルクラブみたいな場所で、実際にパーティやライブをやっていたみたいで、そこの貸し借りのやりとりなども面白かったです。
80年代終わりにロンドンに行った際には、週末教会をクラブにしている場所に連れて行かれたのですが、そういうワンナイトクラブみたいなスタイルも、すごく英国的だと思います。
英国北部のそういった文化が、NYなどにどのように伝染していったのかも気になります。
ノーザンソウルダンスについては、こちらのショートムービーでよくわかると思います。

A:週末だけおしゃれして”フィーバー”するって意味では『サタデー・ナイト・フィーバー』と通じてなくもないし、DJコンビがアメリカをめざすって部分はセルクルのシネマディスカッションでも取り上げたミア・ハンセン=ラブの『エデン』フランスのサブカルチャーとも通じているようで英国だけではない繋がりも面白かった。もちろん英国の映画の流れの中でとらえても興味深いですよね。『土曜の夜と日曜の朝』とかに始まる”怒れる若者”たち、前回の「マイ・ジェネレーション」ともつながりますよね。

K: ファッションも70年代はグラマラスで…。前回『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ』で描かれたスウィンギング・ロンドンの華やかさが、更にメインストリームは派手になっていたと思います。サンローランに代表されるパンタロンが男性ファッションにも飛び火して、映画の中でもふんだんにフレアーパンツは出てきますね。
ネクタイも拳骨みたいに、結び目は太く、幅も太く、派手でした。
彼女の働いているお店が、BIBAというのもよかったです。
DJ映画として、ジャンルは違いますが、主人公の影響の受け方や、音楽へののめりこみ方は『エデン』にもつながりますね。
『エデン』とは時代も違いますが、フランスと英国のDJ文化の違いというか、お国柄の違いも見比べると、すごくわかるのではないかと思います。
ワーキングクラスの若者の怒りやエネルギーみたいな熱量は、英国映画独特ですよね。
アルバート・フィニーが亡くなってしまいましたが、『土曜の夜と日曜の朝』が、この手の英国映画のルーツですね。
80年代になりますが、敦子さんがおっしゃっていた『ヤング・ソウル・レベルス』にもつながりますね。

A:”ノーザン・ソウル”という要素を取り去るといかにも普通の青春映画。でもその普通さを細部がきっちり支えているのがいいと思います。川野さんはどのあたりが一番の見どころと思いましたか?

K: そうですね。70年代版『さらば青春の光』とも言えますね。
普通に青春映画と見ても、十分楽しめると思います。
大人しい男子が先輩や友達の影響受けて、シーンにのめりこみ、ドラッグや彼女問題が発生するなど、ある意味お決まりのパターンなんですが、バックボーンがノーザンソウルシーンですし、演出のテンポが良いので、楽しく一気に見れてしまいます。
その中に英国映画らしいエッセンスが溢れているのが魅力ですね。
1番の見所は、英国のDJ〜クラブシーンの様々なエッセンスのルーツが、この映画の中に込められているという事だと思います。
そして個人的に嬉しいのは、音楽とファッションの関係性が濃い映画だという事です。

© 2014 Stubborn Heart Films ( Heart Of Soul Productions) Limited All Rights Reserved.

A:『カメラを止めるな』じゃないですが、イギリスでこの映画はもともと穴埋め的な小規模公開になるはずだったのが、SNSで拡散され拡大公開、予想外の大ヒットとなったそうです。口コミで広がる要素、感じましたか? 

K:これはやはり英国の中に、ノーザンソウルのエッセンスが奥深く眠っていたのだと思います。マンチェスターのロックバンド、ストーンローゼスも、ファンデーションはノーザンソウルと言われています。以前こちらのサイトでも紹介しましたが、今やDJの大御所であるFATBOY SLIM/ノーマン・クックと下北沢のZOOで一緒にプレイした際、彼のダンスを見ましたが、この映画に出てくるノーザンソウルダンスのステップでした。
マーク・アーモンドやデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズなども、ノーザンソウルシーンに出入りしていたと言われています。
そういった土壌があってのヒットではないでしょうか。
名古屋君の好きなサル・ソウルや、90年代に流行ったフリーソウルは、日本でもファンが多いと思います。しかしノーザンソウルは非常にニッチな存在で、一つのカテゴリーとして、日本の中で認知されてきたのは、この20年くらいではないかと思います。
最近ではレコードガイドブックが発刊されたり、コンピレーションCD、インターネットなどで情報も取れますし、MODS MAYDAY JAPANなどのイヴェントではノーザンソウルをかけるDJや、独特のダンスを踊る人も多くなっています。
以前に比べてノーザンソウル入門の敷居は低くなっていますから、今回の公開はいいタイミングかと思います。

A:日本でも熱烈に公開を望む面々の働きかけで公開にこぎつけたんですね。
そういう公開方法が広がるとうれしいですね。

K:そうですね。
実際には“ノーザンソウル“って、すごく規定のしにくい音楽ジャンルというか、カテゴリーだと思います。自分もこの映画を見るまで、全く知らなかったことが多々ありましたから、見て目から鱗が落ちる感じでした。
元々好きな人達には伝説のWIGAN CASINOのシーンなどは、見ものの一つだと思います。
レコードのレーベルを隠すDJはいますが、その行為をカバーアップと言うのも知りませんでした。7インチのDJ文化、くるくるスピンするダンス、ノーザンソウル特有のテンポの速い楽曲など、細かい見所は随所にあります。
まずはこの映画を見て頂き、より多くの方にノーザンソウルの素晴らしさを、味わって頂きたいですね。

northernsoul-film.com
『ノーザン・ソウル』
2/9(土)より公開中:東京・新宿シネマカリテ、兵庫・神戸・元町映画館
2/16(土)公開:大阪・シネマート心斎橋
愛知・名古屋シネマテーク、京都・出町座など以降全国順次公開

CINEMA DISCUSSION-25/My Generation~マイケル・ケインがガイドする60’s LONDON

Michael Caine
© Raymi Hero Productions 2017

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2019年1回目の作品になる第25回は、60年代のロンドンを、英国を代表する俳優マイケル・ケインがガイドするドキュメンタリー『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ』です。
前回のシネマ・ディスカッションは、70年代末のニューヨークの夜明け前的な熱気とバスキアをとらえたドキュメンタリー『バスキア、10代最後のとき』でしたが、時計の針を更に10年以上巻き戻して、舞台がニューヨークからロンドンに変わります。
監督はドキュメンタリーのテレビを多数撮っているディヴィット・バッティ。
プロデユーサーの一人でもあるマイケル・ケインはプレゼンターとして、時空を超えて60年代全般をガイドします。
ロジャー・ドールトリー(THE WHO)、ポール・マッカートニー(THE BEATLES)といったメジャーなミュージシャンも登場しますが、カメラマンデヴィッド・ベイリーや、デザイナーメアリー・クアントなど、名前は知っていても実像はよく知らないカルトアーチストが当時を語るのが、見ものです。
字幕監修は、去年そして今年のMODS MAYDAYにもDJとして出演頂くピーター・バラカンさん。
ディスカッションメンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

UNITED KINGDOM – JULY 11: THANK YOUR LUCKY STARS Photo of BEATLES and Paul McCARTNEY, with The Beatles, tuning up Hofner 500/1 violin bass guitar on set at Teddington Studios (Photo by David Redfern/Redferns)

★前回のシネマ・ディスカッションでは『バスキア、10代最後のとき』が描いた70年代末ニューヨーク ダウンタウンを取りあげましたが、今回の『マイ・ジェネレーション』の60年代”スィンギング・ロンドン“と比べてどうですか?

川口敦子(以下A): サラ・ドライバーの資質のせいも大きいと思いますが、親密に閉じた世界としてのニューヨーク ダウンタウン70年代が『バスキア、10代最後のとき』という映画の美点ともなっているのに対して、60年代ロンドンはみなさんも指摘されているように、より広範にコマーシャル化された印象がありますね。
『マイ・ジェネレーション』もそのお墨付きのおしゃれな時代をおしゃれに、妙にひねらず描いている点がすんなり入りやすく、好感がもてました。

川野正雄(以下M):『バスキア、10代最後のとき』は、対象がバスキア個人であり、しかもブレイク直前の短い期間にフォーカスしていて、非常にピンポイントに深く抉っていっている印象があります。
『マイ・ジェネレーション』は、60年代ロンドンという割と広い範囲で、マイケル・ケインがガイドとして紹介をしていますが、今までイメージで感じていたいう印象です。
バスキアのNYは、正にHIP HOP誕生前夜のような新しいカルチャーがグツグツと煮えたぎっているような熱さを感じました。
60年代ロンドンの少ないアーカイブ映像でしか表現出来ないビジュアルを、うまくコメントで補完していたと思います。
よりコンサバであった当事の英国で、ユースカルチャーが市民権を得るようになるプロセスを、かなりダイレクトに感じることが出来ました。
映画には出てこないのですが、60年代初期のワーキングクラスの若者を描いた英国文学『長距離ランナーの孤独』とか『土曜の夜と日曜の朝』。いずれもトニー・リチャードスンが映画化していますが、その辺の小説や映画からも、若者たちの閉塞感と、新たな時代を作っていくエナジーが沸いてきていたように思います。
先日NHK BSで放映された『1968』というドキュメンタリー番組には、ブライトンのMODS vs TEDSの抗争や、ロンドンで開催されたベトナム戦争反対のポエティック・リーディングのイベントが取り上げられていました。
そこではこの映画と同様に、それまでの時代は政治的に支配されていて、若者は高等教育を受けることで、親の世代を凌駕し、60年代に英国独自のカルチャーを作っていたと解説していましたが、抑圧されていた若者のパワーが、様々な文化的側面で一気に爆発していった過程が、マイケル・ケインのナビゲートにより、明らかになる面白さが、この作品にはあると思いました。

川口哲生(以下T):前回のCD『バスキア、10代最後のとき』はバスキアというシンボリックなメディアのしかも当時の映像を通じて切り取った70年代末NYだったのに対して、こちらはマイケル・ケインが連れて行くタイムトリップ的な感じだったし、よりマスカルチャーやコマーシャリズムまで巻き込んだヤングカルチャーという感じでした。

名古屋靖(以下N):”スィンギング・ロンドン“や”シックスティーズ“などキーワードは後で知ってもそれらは、ファッション史の事柄でしかありませんでした。前のめり気味で観た『バスキア、10代最後のとき』の同時代感と比べてしまうと、最初は歴史のお勉強といった感じで観始めたのですが、おしゃれなだけでないユース・カルチャーの逆襲というか、エネルギーの爆発ぶりにいつの間にか引き込まれていきました。

★60年代東京と通じるものはありますか? ”マイ・ジェネレーション”というよりは憧れたり、仰ぎ見たのが60年代だったように思いますが?

M:僕が60年代カルチャーを肌身で感じたのは、リアルタイムだと67年以降のGSや、モンキーズですね。GSと一緒に、ビージーズ、ストーンズなどザ・タイガースやザ・テンプターズがカバーしていた洋楽にも馴染んでいきましたし、彼らのファッションは子供ながら気になっていました。
ザ・タイガースはスウィンギング・ロンドン真っ盛りの68年に撮影に行ったりしていましたから、彼らを通じて、当時の若者はロンドンを感じたのかなと、改めて思いました。
今予告編観ると、SWINGING LONDONなんて、キャッチが入っていますね。
ただ日本のシーンは、この60年代後半までは、GSがロックをカバーしたりしていましたが、そこまでは歌謡曲の延長線上というか、渡辺プロが音楽シーンを作っていた時代だったと思います。70年くらいになって、日本独自のロックやフォークが生まれて、そこからようやく日本のロック文化は生まれてきたと思います。
必死に海外の情報を集めて、演奏に取り入れていて輸入文化のアレンジしたGS時代の日本と、60年代前半に大きく音楽文化が進化した英国は、割と近い状況だったのではないでしょうか。

T:私の年代では『マイジェネレーション』というには乗り遅れている感がありますね。
当時の私はまだ小学校ですからビートポップスやレコードジャケットやからいろいろなファッションや音楽の情報を得るにとどまっていたような気がします。
それでもミニスカートやサッスーンカット(後から知っているのかね?)やBIBAのロゴやと憧れだったし、日本のマスカルチャーの購買にも影響与えていると思います。
この時代はインターネットもSNSもないから情報格差が多く、本当に判った人とコマーシャルに乗せられる人の構図はより明快でしょうね。

N:60年代というと、自分は産まれる前かその直後だったので、その頃の東京についてカルチャー的な記憶はまだありません。白黒で放映されていた頃のTV番組も、ほとんどが米国からのもので英国の番組を観た覚えがありません。環境の違いもあるでしょうが60年代中期でもまだ洋楽には触れておらず、年の離れた親戚のお兄さんにギター弾きながら加山雄三の歌を聴かされた思い出くらいしかないのです。

A: このメンバーの中では一番年上の私でも60年代はやはりまだ子供過ぎて、それでも後半は中学生だったりしたのですからもう少しおませだったら同時代の情報として受け取っていたかもしれませんが、そうでもなかったので、東京が、それもかなりメインストリームな受け口が公認したものを仰ぎ見ていた感じかな。学校の帰りにこっそり寄り道した渋谷西武の中二階のうす暗いロンドン・ポップもどきのファッションフロアとか思い出します。
60年代東京はオリンピックや植木等の映画みたいな上昇期のイメージで想起され、その中でビートルズとかツイッギーとか明るく消費されていたようにも思います。

English fashion model Twiggy with a poster bearing her name and image, 1967. (Photo by Paul Popper/Popperfoto/Getty Images)

★マイケル・ケインが進行役でフィーチャーされていますが、この構成については?

A: 映画ファンとしてはそこがこの映画一番の見どころですね。現在のケインが『アルフィー』の頃の彼と対話するような構成、いまや英国的、あるいは老人のいぶし銀的重厚さをその配役に求められ、それに充分、応えもしている名優の若き日のちょっと下品すれすれの艶っぽさを改めて鑑賞できて面白かったです。

M:マイケル・ケインは、英国にとって重要なアイコンなのだなと改めて思いました。
60年代はハリー・パーマーシリーズや『アルフィー』がやはり印象的ですし、70年代の『探偵(スルース)』や『鷲は舞いおりた』の英国将校も良かったです。
キャスティングとしては、マイケル・ケインか、テレンス・スタンプしか考えられないのではないでしょうか。

T:イギリスにおけるマイケルケインの位置づけ、例えばデイヴィッド・ベイリーやミュージシャンと同様に、スウィンギングロンドンのFACEなんだなと改めて感じました。

★記録映像の選び方、編集に関しては?

M:音楽は馴染みのある映像もあったりしましたが、ファッション系は初見が多く新鮮でした。
カーナビーストリートだと思いますが、スモール・フェイセスのスティーブ・マリオットが買い物して出てくるシーンなど、何もクレジットもされませんが、ちょっとした所にまで、見るべき映像が配置されているなと思いました。相当な数のフッテージから、厳選して使っているのではないでしょうか。

N:BIBAの店舗など見た事がない映像ばかりで、ファッションについてはとても勉強になりました。 洋服好きなら一見の価値ありかと。
あと、学生時代のデイヴィッド・ホックニーには驚かされました。彼がまだ米国に渡る前に参加していたポップ・アート運動など、当時のグラフィックやアート・シーンについてもっと掘り下げてくれたら、さらに興味深く観れたかと思います。

T:多くの見たことのない映像があり面白いですね。

A:そのケインのTVトークショーでの応対ぶりもそうですが、よく知られたものばかりでない記録映像をいい所で挿入する構成力、映像資料考証の仕事もしていたという監督デイヴィッド・バティが英国のテレビのお家芸ともいえるドキュメンタリーの底力を結集したようにも見えますね。

★英国的階級社会に揺さぶりをかけたユース・カルチャーとして”映画、音楽、写真、ファッションを代表する面々がコメントしていますが、特に印象的なコメントは?
人選に関しては?

N:マイケル・ケインが有名な役者だという事も知らなかったのですが、当時コックニィー訛りで苦労した話や階級制度についてはとても興味深く観れました。自分が英国に深く興味を持ったきっかけは、TVで見ていた『モンティパイソン』が最初なので、すでにその頃は上流階級は馬鹿にされる対象に成り下がった時代です。その原点がここにあったのは繰り返しになりますがとても勉強になりました。

T:クラス闘争としてのスウィンギングロンドンという切り口が日本人にはあまりなかったけれど、マイケル・ケイン初めコックニィーアクセントのクラスのムーブメントというコメントは印象的でした。昔コックニィーレヴェルというバンドもいたよね?
昔セントマーチンに言っていたベイリー姓の友達がいて、若かったからデビッド・ベイリー知っている?と聞いたら親戚だと言われたのを思い出した。彼の写真はたくさん見ていたけど、彼自身の映像をこんなに見たことはなかったので印象的だったし、彼の切り取る女性像が、どちらかというと音楽中心として意識していたスウィンギングロンドンのもう一面を見せてくれていた。彼の笑い顔が友達の女の子によく似ているのにびっくりしました。

A: 俳優、あるいは音楽やモデルの世界にしても“コックニーで喋る”層の進出がそんなにも衝撃的なことだったのかという点が私も興味深かったです。ちょっと外れるかもしれませんが『マイ・フェア・レディ』のイライザの訛り矯正の挿話の積み重ねを京都に移して翻案した『舞妓はレディ』、かなり楽しく見たのですがオリジナルの背景、年代はずっと遡ることになるのでしょうが、もともとそこにあった真の衝撃や笑いは理解できてなかったかもしれないですね。

M:マイケル・ケイン以外は、今の映像が出ないのは、監督の演出でしょうか。
マリアンヌ・フェイスフルは、10年位前ベルリン映画祭で見かけましたが、当然ですが年輪が刻まれ、当時のオーラは薄れていました。彼女のコメントは率直で面白かったです。
2018年のMODS MAYDAYでは、今回字幕監修をしているピーター・バラカンさんに、当事の英国シーンのリアルなシーンについて、語って頂きました。
その中で、MODSはワーキングクラスだけど、仕事しているから若い割にはお金持っていて、洋服やレコード、スクーターにお金を使っていたという話を聞きました。
その辺の話と、この映画はすごく繋がってきますね。
自分として興味深かったのは、音楽よりもファッション系の部分です。メアリー・クワントや、BIBAの映像などは、今まで見た事もなく、60年代後半のスウィンギング・ロンドンの生の空気でしたね。

A:川野さんも挙げられた英国映画のワーキングクラスもの、それを代表するアルバート・フィニーとかトム・コーテネーとか、ケインがメインになっているせいで監督が気を使ったのかな――なんて思ったりもするのですが、意外とあっさりしか触れられていないのがちょっと残念でした。そういえば先日、ニコラス・ローグが亡くなってしまいましたが彼とドナルド・キャメル共同監督でミック・ジャガーが主演した『パフォーマンス』とか、アントニオーニ監督の『欲望』とか、あとリチャード・レスターもの、ポランスキーのロンドンものとか映画に絞った60年代の記録も見たいなんて勝手に思ってしまいました。素敵な俳優がたくさんいましたよね。
さらにそういえば、マリアンヌ・フェイスフルって確かワーキング・クラス出身じゃなくて、だからなのか、そんな先入観のせいか、ともかく彼女のコメントの置き場所が微妙にふわりと落ち着かない感じがあってそれも興味深かった。

★音楽の使い方はどうでしょう?

M:ここはまあ一般的というか、楽しめる選曲だなあと。
ただ60年代前半、特にMODSカルチャーではブルーズやスカなど、ブラックミュージックの影響が大きかったはずなので、その辺も少し紹介して欲しかったなあと、個人的には思います。
バラカンさんの話ですと、MODSがスーツを着るのは、当事のジャマイカン/スカの影響だそうです。
結局英国のポップミュージックは、50年代はロニー・ドネガンなどのスキッフルしかなく、皆米国の音楽、ブルーズだったり、ロカビリーを聞いていて、英国オリジナルの音楽が生まれたのがこの60年代前半だったと思います。
プレスリーが出てきたのは面白かったです。それとドノヴァンが意外とフューチャーされていましたね。
ドノヴァンって、フォーク歌手という分類から何となくアメリカ人と思ってましたが、スコットランド人なんですよね。英国の代表的な監督ケン・ローチのデビュー作『夜空に星があるように』は、正にこの時代に、マイケル・ケインのライバルとも言えるテレンス・スタンプを使って撮られていますが、やはりドノヴァンがフューチャーされています事を思い出しました。
ドノヴァンについての認識が、ちょっと変わりました。

T:キンクスとかハイナンバーズとかスモールフェイセスとか象徴的ですね。
ジョンバリーとかあるアルファーのテーマとかはアナザーサイドという感じで好きです。
その後ドラッグインフルエンスな曲調になって70sへ。

★見どころは?

A:やっぱりマイケル・ケインかな。

T:音楽がムーブメントの核にあること、ジェネレーションの熱量!

M:時代的に60年代全般を映画の中では通過していますが、60年代前半のMODSの時代と、後半のスウィンギング・ロンドンでは、実はカルチャーは全く違っていて、その時代にはMODSは終わり、新たなスタイルへと変化しています。
一見同じ60年代ロンドンですが、その辺の違いみたいなものを、この映画を見て感じ取って欲しいです。
MODSの好むものは、音楽ではブルーズやジャズ、スカなどで、スーツはジャズメンやジャマイカンのスタイル。カジュアルだとリーバイスにミリタリーのパーカーなど、基本は米国文化の輸入でした。
モッズシーンは、その時代にアメリカや他のヨーロッパのカルチャーを取り入れる事で、英国独自の若者のアイデンティティーを生んだ部分に価値があったと思います。
そこから一気に音楽も洋服も、英国オリジナルのカルチャーが生まれてきて、ファッションはモード化し、英国人が世界的な音楽シーンの主役に登りつめ、スウィンギング・ロンドンに進化していきます。
英国独自のカルチャーが生まれていくプロセスを、映画を通して実感して頂ければと思います。

Cockney actor Michael Caine, who starred in such classic British films as ‘Alfie’ and ‘Get Carter’. (Photo by Stephan C Archetti/Getty Images)

『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』
2019 年 1 月 5 日(土)より Bunkamura ル・シネマ他全国順次ロードショー
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
© Raymi Hero Productions 2017