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『DAU 退行』Cinema Review-11/ 映画表現の限界に挑戦するソビエトの仮想コミュニティ

(c) PHENOMEN FILMS

Cinema Review 第1回として、1950年代のソビエトの研究所を描いた衝撃的な作品『DAU.ナターシャ』を、ご紹介しましたが、完結編として『DAU退行』が、現在公開中です。
この2本はベルリン映画祭で上映され、賛否両論を巻き起こしました。
我々も『DAU.ナターシャ』を見て、大きな衝撃を受け、早く他の作品を見たいと思っていましたが。早くもその機会がやってきました。
しかし第2弾の『DAU退行』は、6時間を超える超大作で、前作を上回る難攻不落の怪作でもあります。
これまでの映画の常識を、あっさりと覆してしまったDAUシリーズ。
しかし2本だけでは、まだまだ全貌は見えにくい存在です。
今回のレビューは、『DAU.ナターシャ』同様、映画評論家川口敦子と、川野正雄の2名です。

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★川口敦子

例えば星とりレビューのように評する映画を予め決められている場合はまた別だけれど、セルクルルージュのレビューでも他のメディアで書く時にも自分でこれをと選んだ映画については、皆さんぜひご覧ください――のスタンスを基本にしてきたと思う。が、今回は正直なところ、みなさんぜひとはちょっと言いにくい。万人向けの安全無害な一作だったりはしないから。あるいは映画として文句なく素晴らしいとか、欠陥はあっても好きだとか、そういうふうに迷いなく言い切ってしまったらなんだかやはり嘘になりそうだから。
『DAU/退行』についてそれでも書こうと思うのは、こういう映画、否、より正確にはこういう壮大なアートプロジェクトが実現されてしまった以上、見ないよりは見た方が、知らないよりは知った方が、体験しないよりはした方がいいかもしれない――とならまあ(いかにも無責任な言い方ではあるけれど)、いってもいいような気がしているからだ。ダンテの『神曲』に倣った9章仕立ての怪作の6時間余に一生の一部を委ねたことを後悔するか、しないか、ともかく覚悟が必要、とまずこれだけは事前にお知らせしておきたい。

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なんだか物々しい書き出しになってしまったけれど、この春、『DAU/ナターシャ」を目にして、こうなったら14作からなる『DAU』連作の全貌を知りたいと頭をもたげた好奇心に突き動かされ向き合った『DAU/退行』は、プロットという面でいえばよりくっきりと輪郭が追える、その意味でいえば”ふつう″の映画に近いかもしれない(あくまでも『ナターシャ』と比べての話だが)。
研究所付き食堂のウェイトレス、ナターシャがいたスターリン体制下の50年代からほぼ10年、66年から68年、フルシチョフの下の雪解けを経たソ連を秘密研究所の世界に映して映画は、酒とセックスにまみれた科学者たち、管理者たちのただれた日々を延々とみつめる。そんな風紀の乱れを正すためやってくる新所長、それがあのナターシャの拷問を断行したKGB捜査官のアジッポに他ならず、そうと知ってよぎる不安が現実となる。ネオナチそのままの若者たちを操って血の粛清が繰り広げられ、研究所もまた崩壊へと突き進む――。
終幕の惨劇をホラー映画のように指の隙間からどうにか見届けながら、でも獣の肉はごちそうとしていただくし、女たちが纏っているのは温かそうな毛皮だし――と、破壊の蛮行を他人事みたいに非難がましく眺めることへのまっとうな皮肉も盛り込む映画はそこにユダヤ教のラビのナレーションをかぶせてさらに皮肉の奥行を増幅させる。

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ソ連という壮大な20世紀の実験国家の終わりを10代半ばでかいくぐった監督イリヤ・フルジャノフスキーはそうやって共産主義と宗教を並べ、そこにオカルトや魔術師が共存する場面を描きもする。「政治的神話の主人公たち、個人や集団はどのようにして歴史になるのか」と、記す共同監督イリヤ・ベルミャコフの視点も思えば、DAUプロジェクトの真相は別の所にあるのだろう、が、国家の力を鼓舞するような建築や、裏腹に可愛い動物の陶器を部屋ごとに置くインテリア、衣装の意匠――と、映画としてのお愉しみは直接、目にとびこんでくる時代のデザイン、その細部の一筋縄ではいかない徹底ぶりにこそ見出し易いかもしれない。その意味でもやはり一見の価値はありかしら(と思う)。

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★川野 正雄

映画としての表現の限界やタブーに挑戦していて、衝撃だった『DAU.ナターシャ』。壮大なアートプロジェクト” DAU”の第2弾として『DAU.退行』が公開された。
ソビエト全体主義と、人体実験を行う秘密研究所を完全再現し、13年の歳月をかけて完成させたのが、この2本である。
ベルリン映画祭では、この『DAU.退行』も上映されたというが、劇場公開は日本が最初だという。
私自身も『DAU.ナターシャ』の衝撃で、DAUの情報を探し、フランスポンビドーセンターの展示の一部映像など見て、この続きを想像していた。
ダンテ「新曲」をモチーフにしたという本作は、なんと6時間9分の大長尺。映画表現の限界を超えるようなシーンもあり、よくぞ日本で劇場公開したというのが、まず率直な感想である。
長尺だが、冗長な大作では全くなく、全編が不穏な空気に包まれたまま進行し、緊張感に満ち溢れ、だれる事は一切ない。
『DAU.ナターシャ』は、1950年代の研究所のカフェが舞台。一幕もののような構成で、登場人物も少なかった。
『DAU.退行』は、1966〜68年の研究所全体が舞台となる。登場人物も一気に増え、群像劇さながらに進行していく。

transformer.co.jp/m/dau.degeneration/

川口敦子さんも書かれているように、中盤までは割と普通の映画のように進行し、研究所の中の腐敗が、ドラマ的に描かれる。
しかし極右の過激派集団が被験者として登場してからは、作品の中で目に見えない恐怖感が増していく。
その要因の一つはキャストにもある。秘書との不適切な関係で更迭された所長に変わる新所長アジッポは、『DAU.ナターシャ』でKGBの拷問を行った人物である。本人は実際にKGBの大佐で、投獄の専門家である。
被験者として研究所に現れる影はグループのリーダーは、ネオナチのメンバーで、ヘイト行為で逮捕され、出所後に撮影に参加している。
そしてこの二人共に、既にこの世を去っている。
この二人から発するオーラは、芝居ではなく正に本物であり、退廃している研究所を、徐々に破壊していくのだ。

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監督のイリヤ・ペルミャコフは、映画は仮想コミューンの構築に最適だと語っている。
彼らが目指した仮想コミューンは、セットなど設備、美術、言語、貨幣などあらゆる面で、現実的なコミューンを作り上げた。
更にその中でキャストも生活させる事で、メンタル及びフィジカルな面でもコミューンの中での人的関係を構築する手法を取った。
その再現性の為に、これまでの映画制作の常識、表現としての限界、タブーなど、これまでは映画表現として超えられていない一線を、完全に超えている。
この表現の限界への挑戦は、賛否両論あるだろう。好き嫌いも大きく分かれる筈である。

(c) PHENOMEN FILMS

私自身も、限界に挑戦した演出をすごいと思う反面、受け入れにくい部分が存在するのも事実である。
今の時代仮想コミューンの再現は、至る所で行われている。CG、VRを含むXRの導入によって、高い再現性で世界を構築する事は、予算と良いスタッフを集めれば可能である。
『DAU』シリーズは、リアリティな場で、表現の限界に挑戦しながら、フィジカルな手法で、仮想コミュニティを完璧に再現している。
この手法は、長い映画史の中でもこの作品が最初であり、最後になるのではないだろうか。
川口敦子さんの言うように、万人にお勧めできる作品ではない。
観賞後ネガティブな気持ちになる人もいるだろう。
しかし映画の本質を考えたい人には、是非体感して欲しい6時間である。
そして1952年から1966年までの間、この間を描いたDAUシリーズもある筈である。
怖いもの見たさもあるが、『DAU』シリーズのコンプリートを目指したい。

(c) PHENOMEN FILMS

『DAU. 退行』

2021年8月28日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか公開中

監督・脚本:イリヤ・フルジャノフスキー / イリヤ・ペルミャコフ
出演:ウラジーミル・アジッポ /ドミートリー・カレージン / オリガ・シカバルニャ / アレクセイ・ブリノフ
2020年 / ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作 / ロシア語 / 369分 / ビスタ / カラー / 5.1ch /
原題:DAU. Degeneration / R18+

公式HP

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』蘇った1969年のブラックミュージックフェス/Cinema Discussion-38

© 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第38回は、1969年ニューヨークで開催されたハーレム・カルチュラル・フェスティバルの映像を、50年の歳月の後映画化した『Summer of Soul』です。
監督は、Hip Hopアーチストでもあり、音楽プロデユーサー、DJでもあるアミール”クエストラブ”トンプソン。
音楽監修にウエス・アンダーソンやトッド・ヘインズ作品で有名なランドール・ポスターという強力な布陣で、50年間眠っていた貴重な40時間のライブフッテージを、1本のドキュメンタリー映画に仕上げました。
完成された作品は、今年のサンダンス映画祭で、ドキュメンタリー部門の審査員大賞と、観客賞を受賞しており、ブラックミュージックファンの期待も大きな作品です。
ディスカッションは、映画評論家川口敦子に、川口哲生、川野 正雄の3名で行いました。

Nina Simon
 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

★プロダクション・ノートによれば『サマー・オブ・ソウル』で長編監督デビューを果たしたクエストラブことアミール・トンプソンには、半分コンサート映画、半分アメリカ史上のリアルなイベントとしてコンサートをみつめるというアイディアがあったようですが、まずはコンサート映画としてどんなふうに楽しみましたか?

・川口哲生(以下T):
POP寄りなアーティストからゴリゴリのゴスペル、スピリチュアル、そしてラテンジャズ、ブガルーまでブラックミュージックといっても多様性に満ちているのがハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルと銘打つ由縁なのをひしひしと感じました。そしてアレサの映画でも書いたけれど、オーディエンスのノリやファッションがすごくかっこいいですよね。その一体感がコンサート映画として伝わります。惜しむらくは、曲ごとのインタビューのインサートが絶妙だけど、もっと演奏聞かせてって感じもあるのだけど。

・川口敦子(以下A):
スティービー・ワンダーがドラムを叩いてる! と驚くほどにブラックミュージック、というか音楽に関しての全般的知識が薄く、偏っている私にとっては、もちろんハーレムに集った黒人たちの黒人による黒人のためのコンサート、その記録として、会場の盛り上がり、とりわけウッドストックの対抗文化世代的な盛り上がりに対する地域的、家族的、超世代的な盛り上がりに共振するスリルも格別だったのですが、それに加えてブラックミュージックというものを体系的、俯瞰的、包括的に把握させてくれるという、ある種、啓蒙的、教科書的な一作としても(といってお勉強的な退屈さに堕すことなく)うれしい快作でした。

・川野 正雄(以下M):
単にコンサート映画というよりも、もっともっとライブ感があふれ出る感じですね。
選ばれている曲や流れもDJぽいなと思っていたら、監督のクエストラブはDJもやっているという事で、納得です。
1968~69年頃というのは、NHKのドキュメンタリーでも、よく取りあげられているんですが、世界的に大きな変革の時代だったと思います。
それまでの社会とユースカルチャーの凌ぎあいのようなムーブメントが、世界的に大きく変わってきた時代ではないでしょうか。
そして音楽も、大きく変わりゆく過渡期の時代だったと思います。
ロックの世界では、ビートルズもローリング・ストーンズもサウンドが大きく変化し、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンなど、ブルージーかつヘヴィなサウンドが生まれた時代。
ブラックミュージックでは、R&Bやソウルから、ファンクへの移行時期。
FUNKY SOULという過渡期のサウンドがすごく生まれたのもこの時代ですね。
僕自身もこの時代の音楽がとても好きですが、クエストラブからも、出演者や楽曲への愛が強く感じられますね。

© 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

★”ブラック・ウッドストック″というタイトル案もあったけれどウッドストックとの関連付けはやめてと、独自のスタンスを取った映画を通して再発見された”ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル″の記録映像に関して、どんな感想を?

M:このフェスの存在自体知らなかったので、この映像と合わせて驚きです。
やはり50年間眠っていた映像というのは、センセーショナルでよね。
あまりマメではない僕は、YouTubeで映像を探すことも少ない為、多くのアーチストの映像を初めて見ました。
レイ・バレット、ステイプル・シンガーズ、モンゴ・サンタマリアあたりは、映像が見れただけでも感激です。
この時代の音楽の格好良さも、改めて認識させてくれましたね。
スティービー・ワンダーもこの時期は格好良いです。
サンダンスで審査員大賞と観客賞のダブル受賞というのは、非常にハードルが高いのですが、この映画がサンダンスで生んだ熱狂が、何となく想像出来てしまいます。

T:1969年はいくつもの変革の意識を内包した年なんだと思います。10歳だった自分にはそれは当然わからなかってけれど、当時だってなんかざわざわしたものを感じていましたよね。
旧価値観に対するpeace&love でなく、やはり黒人の意識改革に立ち位置を持った映画なんだと感じます。

A:前問の答えと重なりますが、今はマーカス・ガーヴェイの名を冠されているという一区画で地元民が集ったイベントだったということ、音楽的にも、成り立ちの上でも、ローカルなものですよね。ローカルであることがステージの上、下共に参加者には意味あることだったんでしょう。見逃せないのはでも、それをビデオで記録したハル・トゥルチンってテレビ界でキャリアを積んできた制作者、監督がウクライナから移民してきたユダヤ系の、大別すれば白人、でもワスプではないってところだったり、あるいはやはり白人の往時のニューヨーク市長の再選を視界に入れたキャンペーンの一端といった性格もあるという、そんな背景が、一部ローカル局での放映はあったもののトゥルチン家の地下室に50年余りもこの刺激的な音楽イベントの記録を眠らせるって結果を招いたのかと、会場の盛り上がりと3大ネットワークをはじめとするアメリカの主流メディアの黒人音楽、黒人の位置をめぐる運動の受け止めのギャップを思ってみたくもなってきますね。

The 5th Dimmension
 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

★”ブラック・イズ・ビューティフル″と祝福した革命の始まりの夏、音楽と文化の上でのブラック・アイデンティティに関して、そのみつめ方(クエストラブの主張)に関してはいかがでしょう?

T:この映画のハイライトは、ニーナ・シモンのパフォーマンスだと思います。それも“young gifted & black”というよりはノートの切れ端を手にして、バンドバックにポエトリーリーディングするところ。The Last Poetsと同じ空気吸ってるハーレムですよね。

A:クエストラブはハーレム・カルチュラル・フェスティバルがそもそもマーティン・ルーサー・キングの暗殺以降、平和主義的な公民権獲得運動から暴力的な傾きを持つ運動へと転換する中で、各地で高まっていた黒人たちの怒りの爆発、暴動への対策として企画されたとも発言していますが、スタンスとしては「革命が放送されなかった夏」に芽生えていた暴力的な手段をとってでも風穴をあけるというような流れを無視しない、そんな見方をはっきりとトゥルチンの素材の中から抽出しているように見えますね。ブラック・パンサーが市長の護衛役を務めているとか。哲生くんがいうようにニーナ・シモンの詩の朗読をクライマックスとして大きくフィーチャーしてみせるとか。シモンのその後はドキュメンタリー『ニーナ・シモン魂の歌』(原題Whar Happened ,Miss Simone?)が活写しているように表舞台から退かざるを得なくなっていくわけですよね。で、ちょっとうがった見方になるかもしれませんが、結果的にそういう黒人運動の抹殺の歴史を潜り抜けた後の今、この記録が解き放たれたことで同時代には見えなかったものも見えてくるって見所もありますね。

M:ここはやはり1969年という年代と、当時のアメリカの状況抜きには語れないですね。
6週間日曜だけのフェスという事で、色々な事件もあったと思います。
40時間というフッテージから選ばれている為、どうしてもコマ切れ映像になり、多分全体像は把握しきれていないのだと思いますが、このフェスをやった意義とか、空気感、そういうものは随所で、伝わってきますね。
作品の副題「…Or, When The Revolution Will Not Be Televised」は、1971年のギル・スコット=ヘロンの曲「The Revolution Will Not Be Televised」から取られているとの事で、そこに大きなメッセージが込められているのでしょうね。
出演していない(と思います)ギル・スコット・ヘロンからの引用というのも、クエストラブならではと思いました。

B.B.KING
 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

★公民権運動があり人類が月に小さいけれど大きな一歩を刻み、そうして様々な変化、始まりと終わりがあった69年、どのように記憶していますか、また映画を通してどのように記憶したいと思いましたか?

A: 哲生くんから送ってもらった動画で知ったんですがギル・スコット・ヘロンには「Whitey On the Moon 」ってもろアポロ計画を皮肉った曲もあるんですね。余談ですがヘロンは死の直前までペドロ・コスタの『ホース・マネー』にもかかわっていたそうで、もっと知りたいと思ってます。この人の存在がクエストラブの今回の映画のまとめ方には大きく影を落としているんはないかしら。月面着陸が人類にとっての大きな一歩だろうが知ったこっちゃない、こっちは貧しさにあえいでるんだみたいなハーレムの面々の反応が見られたことは日本の中学生として能天気に衛星中継を見ていた自分を思い出すにつけても、この映画見てよかったとあまりにナイーブないい方で恥ずかしいけど思います。
68,69年の世界の動きに関しては間に合わなかった感にいつも苛まれてきたわけですが、当時、遠くで何かが起きてる感触はありましたよね。それが70年代の始まりと共にすごく重く、閉塞的な雰囲気に変わって、別に何かに関わっていたわけでもないのに世界が暗くなった、その転換はくっきり覚えています。

M:アポロとかロバート・ケネディ射殺とかは覚えていますが、そんなに大きなものではないですね。
音楽で言えば日本のGSに興味を持ち、そこからローリング・ストーンズに行き、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を聴き始めたのが、この頃ですね。
すごくスリルみたいなものを感じました。
月面着陸は、テレビで中継見た事を覚えていますが、ハーレムの黒人達にとっては、宇宙の話などどうでも良く、自分達の目の前の問題が深刻だと言う事ですよね。

T:この映画のサブタイトル”revolution will not be televised”は私にとっては、大好きなギル・スコット・ヘロンの楽曲名だけれど、これが1960年代のブラックパワームーヴメントのスローガンな訳ですね。結局テレビから流れる月面着陸とは違う地平が存在するんだということ。

ヒュー・マサケラ
 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

★セルクルルージュでとりあげてきた『アメリカン・ユートピア』『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』との繋がりもあるように思いますが?

T:監督のクエストラブはもティーザーの中で言っているように、この時代と50年経った現在の類似点が、こうした一連の映画に繋がっているのでしょうね。クエストラブのバンドのthe rootのアルバム”things fall apart“のジャケット写真も当時の公民権運動の写真のものでしたが。

A:『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』もまた長く陽の目をみることがなかった、その理由として『サマー・オブ・ソウル』と結ばれるものがやはりなくはなかったんでしょうね。スパイク・リーが監督することで『アメリカン・ユートピア』にこめられた黒人に対する理不尽な警察の暴力、変わらない世界への訴えがより前面におしだされましたよね。『サマー・オブ・ソウル』のアメリカ、世界との繋がり。コンサート映画としての楽しみはもちろんですが、それだけでない部分の噛み応えも感じます。リーは今年カンヌでコンペ部門の審査員長を務めましたが、女性の場合もそうなんですが、そのことがまだ特別なことであるって、69年から50年、世界は変わったようで、変わっていませんね。

M:『アメリカン・ユートピア』とは、残念ながら自分の中では、直接的には結びつきません。
ステージの中で政治的なメッセージを伝えるという行為自体は、確かに近いのですが、それが2つの作品のリンケージにはならないのです。
結果的に似た構造を持っていたいう事ではないかと思いますが、ステージの上からメッセージを伝えている事は同じですね。
『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』は、時代性、これまで未公開、ブラック・ミュージック等多くの接点を感じます。
両者に見られる観客の黒人のグルーヴ感満載のダンス。これ見るだけで、その場にいたかったなと思いました。

アビー・リンカーン © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

★その他映画の見所、ここは見逃すなという点があったらぜひ!

T:アレサからの繋がりで、マハリア・ジャクソンとメイビス・ステイプルのゴスペルはやはり圧巻ですね。小学生からPOPなblackミュージックは好きだったけれど、Bowieとか聞いていた高校生の時付き合った彼女が貸してくれたstaple singersで音楽領域が一気に広がった自分としては感慨があります。
ウッドストックでも圧巻だった、スライ!かっこいいし人気があったのがわかります。
ラテンではレイ・バレットはメッセージ含めてかっこよかったです。
そして忘れてならないのは、ショーのプロデューサー、トニーローレンス。アーティストとも政治家とも渡り合うやり手の、スーツからスカーフ巻いた色々な衣装、トースティングはすごくかっこよかったです。

A:同じハーレムでもイーストハーレムのラテン系なアイデンティティもあって、と紹介される部分も面白かったんですが、ついスピルバーグのウエストサイド物語はどんなふうになってるのかなと、興味がふくらみました。キッド・クレオールたちはまたでも別のグループなのかな。すみません、ビギナーな質問をつづけてしまいますがそんなハーレムに、なのかアメリカのブラックミュージックにというのか、レゲエというのは居場所があまり見出せなかったんですか? もひとつ素朴な質問をいえばジミー・ヘンドリックスが出演を認められなかったという記事がいくつかありましたが、それはなぜだったんでしょう?

M:ジミヘンは、以前取り上げた映画にもありましたが、白人寄りに思われていたのではないでしょうか。
やはりその出演が驚きであったキューバやプエルトリコのラテン勢。
ブラックミュージックのフェスの中に、ラテン勢がいるという事実。
そしてその存在感。
ブガルー終焉期のこの時代の、レイ・バレットの圧倒的なパフォーマンスとメッセージ。
すごい時代のニューヨークなんだなと、リアルに感じました。
全盛期のスライ&ザ・ファミリーストーンも、素晴らしいパフォーマンスですし、みんなが言ってるニーナ・シモンもいいですね。
クエストラブは、次にスライのドキュメンタリー監督するとの話もあり、それも楽しみです。

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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
8月27日(金)よりTOHOシネマズ日比谷、渋谷シネクイント他全国ロードショー中
【原題】SUMMER OF SOUL (OR, WHEN THE REVOLUTION COULD NOT BE TELEVISED
【監督】アミール・“クエストラブ”・トンプソン
【出演】スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ザ・フィフス・ディメンション、ステイプル・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン、ハービー・マン、デヴィッド・ラフィン、グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップス、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、モンゴ・サンタマリア、ソニー・シャーロック、アビー・リンカーン、マックス・ローチ、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモンほか
2021年/アメリカ/英語/カラー/ビスタサイズ/5.1ch & ドルビーシネマ/118分/字幕翻訳:佐々木悦子
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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