© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma
映画を多角的な視点で評論するセルクルルージュのCinema Discussin第17弾は、フランスの巨匠クロード・ルルーシュの新作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』と、旧作『男と女』です。
この秋は待望の新作に加えて、ルルーシュの出世作『男と女』のデジタルリマスター版や、未公開ショートフィルム『ランデブー』の公開、盟友フランシス・レイの楽曲を演奏するシネマコンサート などが予定され、日本でも久しぶりに、ルルーシュにフォーカスがあたっています。
今回は映画評論家川口敦子と川野正雄の対談方式で、50年の年月を経てもぶれないクロード・ルルーシュについて、新旧作品を見比べてみました。
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★久々のルルーシュの新作といった印象がありましたが、未公開の新作はコンスタントにあるんですね。『アンナとアントワーヌ』はそんな中で良くも悪くも相変わらずなルルーシュ映画とまず思わされましたが、いかがでしょう?
川野正雄(以下M):
全くその通りですですね。まあそんなにルルーシュ作品を見ているわけではないのですが、これはもう成熟した男女のおとなのファンタジーなんだなというのが、率直な印象です。
海外の映画祭に行くと、よく新作を上映していましたが、実はあまり気にしておらず、海外では見たこともなかったです。
僕がこの前に見たルルーシュ作品は『ライオンと呼ばれた男』でしたが、あれもJ・P・ベルモンドというトップスターを使ったおとなの男のファンタジーだと思いました。
川口敦子(以下A):
良くも悪くも変わらない、変われないルルーシュ映画と、『アンヌとアントワーヌ』を見た直後にそう思い、彼の映画を少しまとめて見直してみてさらにその思いを強くした、そんな感じです。といってそのルルーシュ印のようなものが、即、作家性という言葉と重ねられないというか、作家性といってしまうとまたちょっと違ってしまうようにも思えるんですね 笑
★そんな相変わらずさの素はどこにあると思いますか?
A: 男と女 その出会いと別れ、そしてまた出会う――という同じ一つの物語が何より変わらなさの素じゃないでしょうか。ほとんど永劫回帰のようにキャリアを通じてルルーシュが同じ一つの物語を追いかける様を今回改めて確認してみて、それはそれですごいかも、と思いました。そもそも最初期の『行きずりのふたり』というのも男と女の出会いとすれ違いのお話なんですね。この男と女の出会いの物語に旅、それにまつわる日常と別の時空とロマンスの風景、エキゾチシズム、最近では今回の霊能者アンマのようなスピリチャルの要素も加味、それを流麗な映像とフランシス・レイの音楽で彩ればルルーシュ映画のできあがり~、なんて、こういうと馬鹿にしているみたいに響いてしまいますが・・・。その変わらなさ、変われなさ、思わず笑ってしまいたくなるけれど、そんなひとつの世界としてそれを本当に1960年代から変わらず追いかけていられるのはやはりすごいことかもしれませんね。で、今回の映画はそのことを映画内映画の「ロミオとジュリエット」モチーフと照らし合わせて自分でもロマンスのワンパターンを余裕で祝福してしまっている、ほとんど自己パロディっぽさとして提出してもいるような。終幕部分で自作『あの愛をふたたび』のテーマ曲を流したりして、あの映画ではそうならなかった再会の形をこちらではしてみる。確信犯的な同じ一つの映画作りなのでしょうね。ちなみに映画内映画というのも『流れ者』はじめしばしば試みられているお気に入りのパターンのひとつなんですね。それに『男と女』のシャバダバの断片使いも”常習犯”です。
M:よくわかります。今回もそれぞれの出会いのエピソードがうまいな~と、一番感じました。
ありえない出会いや、すれ違い、そこに奏でられるフランシス・レイの音楽。さらに今回は、インドでの旅という異次元空間にスピリチュアルな世界。
リアリティなんて、リアルに見せながらもどこにも存在しない。
この濃い味付けが、ルルーシュの世界だと思います。
それから『ライオンと呼ばれた男』の舞台はアフリカでしたが、相変わらずのエキゾチックなクレオール感覚のまぶせ方は、パリで食べるアフリカ料理のように絶品の味付けだと思います。
50年間に渡って、全くぶれないルルーシュの作風は、改めてすごいなと、今回は思いました。
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★原題un+uneが堂々と宣言しているように「男」と「女」の出会いをあくことなく描き続けているようにも思いますが、やはり原点はデジタル・リマスター版の公開がこの秋予定される「男と女」にあるのでしょうか? それを超えるものはあるのかな?
M: そうですね。超えるものはないですね。
『男と女』には、あらゆる恋愛映画の要素が詰まっていたと思います。役者、ロケーション、音楽、ありえない設定、車と電車の競争とか…。
ご本人も越えられないことを逆手にとっての、今回の原題ではないかと思います。
テーマの普遍性というか、リアリティのないラブストーリーのあり方も、原点が『男と女』に結びつきます。
その辺の料理の仕方は、50年たっても変わらないルルーシュマジックだと思います。
観客も当然年齢を重ねていますが、そこに同時代同年代の共感性〜そういうのものが、今回の新作にはエッセンスとして付加されていると思います。
A: 超えるものは・・・・ないかも 笑 それでもアヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンのオリジナルコンビで作った20年後の続編『男と女Ⅱ』(20 ans déjà なんて原題からして開き直ってます)はじめ『続・男と女』もあって、さらに必ずしも続きではないが続いていなくもないニュアンスを原題も邦題も押し出している『男と女、うそつきな関係』『男と女 アナザー・ストーリー』と、極言すればコマーシャルな、商売人として何が売り物かを常に心得てしまっている点もルルーシュの見どころかもしれません。ただ、西部劇仕立てにした『続・男と女』なんてそれはそれで悪くない映画でもあるので、なんていうか捨てがたく腐れ縁が続いてしまう困った監督という部分もありますね。
『男と女』の1シーン©1966 Les Films 13
★恋愛映画作家としてのルルーシュの美点はどのあたりにあると思いますか?
A:今回の大使夫人のおとなな会話のセンスもそうですが、ヒロインが子供じゃない、そのわりに男は子供、少年の無垢を忘れていないという、言葉にするとなんだかなあなのですが黄金のパターンをきれいに形にしてみせるセンスはやはり侮れません。スタイリッシュな会話と映像はもちろんですが、そのもとにある人の原型としてのかっこよさの追求ぶり、歳と共にその執着がかっこ悪くもなる、それもお構いなしという部分が面白いと思います。それをまた『ライオンと呼ばれた男』みたいに自画自賛しちゃっているのもまあすごいですよね。
M:映画音楽家と、在インド大使夫人の恋愛とか…ありえない設定を、それらしく見せてしまうテクニックですね。
『あの愛をふたたび』も、映画音楽家と、女優とか。ファンタジーというか、恋愛映画の魔術師という印象です。
細かい見せ方、今回だとやはり出会いのシーンとか、食事のシーンとか、演出のテクニックもうまいですね。
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma
★彼自身の人柄をその映画から思い描いたりしてしまいますか?
A: 上記のようなコマーシャルなセンス、執着――というとあまりいいイメージになりませんが積極的な自分へのこだわり、自己肯定の徹底ぶりは映画から作り手の人柄として滲みだしているのではないかしら。
M:ほかのフランス監督に比べると、ご本人にはあまり興味は湧きません。映画のセンスはすごいと思いますよ。
★このジャンルで好きだったルルーシュ映画は? 他のジャンルではどうですか?
A ロマンス ジャンルではやはり『男と女』、あと『あの愛をふたたび』もいいですね。アメリカの景観を『イージー・ライダー』みたいに、つまり西への道というウエスタンの常道を逆行する男と女、乾いた味わいに抒情がふっと紛れ込んで素敵です。
M:『男と女』は、いいですね。『あの愛はふたたび』は、殆ど記憶が曖昧で、トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を』と、混在しています。
違うジャンルですが、『流れ者』と『冒険また冒険』は、当時好きでした。洒落たノワールという印象です。ただやはり『ラムの大通り』や『ガラスの墓標』『ピアニストを撃て』あたりと、記憶が混在してしまっています(笑)。
ノワールでもラブストーリーでも、ルルーシュの映画は、良くも悪くもわかりやすい。
それが大ヒットにもつながるし、作家性という部分では損をしている気がします。
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『男と女』のアヌーク・エメ©1966 Les Films 13
★キャスティングについては?
M:役者の引き出し方が、すごくうまい監督だと思います。今回の主役二人については、殆ど知りませんでしたが、うまく使っていると思います。
ジャン・ルイ・トランティニャンもアヌーク・エメも、『男と女』やはり最高傑作の芝居をしているように感じました。
A 『あの愛をふたたび』のベルモンドとアニー・ジラルドー、いいですね! その時々の渋めのスターを起用してますが、いっぽうでトリュフォー映画でもおなじみのシャルル・デネール とか、脇でいつも光っているシャルル・ジェラールとか”一家”と呼べるやや強面の面々もいる。こっちがよりルルーシュ的なのでしょうね、本当の意味では。ユダヤ系の顔ということかもしれません。
『男と女』ジャン・ルイ・トランティニヤン ©1966 Les Films 13
★ルルーシュといえばフランシス・レイとのコンビで放ってきた映像と音楽との切り離し難い関係によって成立してしまう世界――という相変わらずさもありますがその功罪をどう見ますか?
M:鉄板なんですよね。このコンビ。監督と映画音楽家は、多分イマジネーションの対決なんですが、この二人はお互いを熟知し、いい化学反応を生む環境が確立しているのだと思います。『流れ者』『白い恋人たち』は、恥ずかしいくらいに誰もが知っている名曲ですよね。サントラでそういう存在の曲を連発出来るのは、すごいと思いますよ。
A これはやはり、功とすべきでしょうね。フィルモグラフィーをたどっていくとミシェル・ルグランと組んだりもしているんですが、やはりコンビ作の方が安心して、というか”流して”見られるーーってへんな表現ですがそうやって肩肘張らず見るよさがルルーシュ映画の王道って気もします。
若い頃にジュークボックスに流れるシルヴィー・バルタンとかジョニー・アリデイとかのヒット曲につくビジュアルを撮っていたそうで、PV出身のビジュアル系監督たちの先駆といえなくもないかもしれませんね。
★『白い恋人たち』はもちろんですが、それ以外の劇映画にもドキュメンタリー要素がかなりしぶとく入り込んでいますが、その点についてはどうですか? 今回もインドの聖人と会う部分とか、かなり素の顔を撮ってますよね?
A 『男と女』にしてもトランティニャンがレースの走行テストをする場面は音も含めて生な記録映像として光っていますね。子供たちをつれての食事のシーンもいかにもその場の即興的な受け答えが微笑ましいし、海岸の老人と犬も、ドーヴィルにジャンが駆けつけて遊んでいる子供たちとアンナにライトをつけて合図する件りもそう。作りこんだ劇映画とは別の新鮮な息遣いが今見ても迫ってきますスティーブ・マックィーンの時にも話したけど、『ランデヴー』、そして。『白い恋人』たちのキャメラを抱えた雪山のスキー競技追走場面は『栄光のル・マン』 でドラマの要素を削りレースそのままを撮りたかったというマックィーンの理想を実現していますね。ただ、『白い恋人たち』ではそこにむしろ逆を行くようなフランシス・レイのあまやかな旋律がかぶさることで新味が生まれている。映像そのままの迫力を音楽なしで使っていたらまた全然違う映画になっていたようにも思います。
M:さっきも言いましたが、ファンタジーをリアルに見せている。その要因は、ドキュメンタリー手法にあるのではないかと思っています。今回のアンマとの邂逅、得意ともいえる車や汽車の移動シーン。そういった場面の監督力が、作品を面白くする大きな要素になっていると思います。
短編『ランデブー』でも、ルルーシュはリアルな生の音をうまく使っています。
ダブルクラッチの音のリアルな振動は、車好きならテンションもあがると思います。
フェラーリ275GTBの官能的な排気音も、素晴らしく魅力的でした。
『ランデブー』©1976 Les Films 13
★その意味でヌーヴェルヴァーグとの関係はどう思いますか? フランス映画といえばルルーシュみたいな時代が日本にはありましたが、フランス映画の中で、あるいは映画史の中で彼をどう位置づけますか?
M:映画史の中での位置づけなんか、とても出来ませんが。
ルルーシュと自分が比較してしまう作家は、やはりトリュフォー、ルイ・マル、ロベール・アンリコなどです。その中で言うと良くも悪くも、ルルーシュはコマーシャルな監督だと思います。
同じフランスのコマーシャルな監督では、アンリ・ベルヌイユが好きです。彼はルルーシュよりも男臭い作品を撮っていますが、音楽や映像の使い方を含めて、素晴らしい娯楽作品を作る監督だと思います。
アンリコの『冒険者たち』は、『男と女』の一年違いですが、60年代後半のフランス恋愛映画の金字塔の2本だと思います。
この2本を見れば、当時のフランス映画の素晴らしさ~映画的な水準の高さと商業性の両立を、実感できると思います。
A 「友よ映画よ、わがヌーヴェルヴァーグ誌」(山田宏一)によればルノワールの『ピクニック』を製作したピエール・ブロンベルジェの下でスタートを切った、その意味でもヌーヴェルヴァーグ一派と近い所を出自とするルルーシュをカイエ誌はばっさり商業主義と切り捨てたそうで、そのあたりはともかく66年カンヌ、『男と女』で大賞を射止めるルルーシュが白いマセラーティで乗り付けゴダールの赤いアルファロメオに同乗していた山田氏に手を振った、「グランプリだな」とゴダールも手を振ってルルーシュにあいさつを返した――ってなんだかいつもこの部分を読むと奇妙な感慨に囚われるんですね。氏は「映画はキャメラだ」とルルーシュとの会見記の一章を銘打ってらっしゃいますが、彼の位置を考える上ではぜひ、ご一読をお勧めしたいです。『ランデヴー』を見ると実験的な部分ももっているのがよくわかる、なのに、コマーシャルな才覚もあるという点で監督としての位置づけの面では損をしている部分もあるようにも見えますよね。70年代くらいまでの作品の中にはもっと評価していいものがあるようにも今回、部分的にですが見直して思いました。
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma
A 川口哲生くんからやはりピエール・バルーとサラヴァには触れてほしいとのリクエストがありましたが、川野さんひとことお願いできますか?
ちなみにミュージシャンでいえば『冒険また冒険』には、ジャック・ブレルが出ていて確か彼に捧げた一作もあったように記憶しています。
M:ジャック・ブレルの出演(当時は存在を知らなかった)ですし、そんなにピエール・バルーに詳しいわけではありませんが。
彼は日本での活動が長いですが、彼の才能を発掘したのはルルーシュですよね。
初めて日本に来た時ピエール・バルーは、『男と女』ファンが多いのに驚いたというエピソードがありますね。
元々フランス映画は、斬新な劇伴を使うのに定評があります。『死刑台のエレベーター』のマイルス・デイビス、『殺られる』のアート・ブレイキーとか、ジャズの導入もいち早くでしたね。ブラジル音楽はアントニオ・カルロス・ジョビンをフューチャーした『黒いオルフェ』や、サンバをうまく使ったベルモンド主演の『リオの男』とかはありましたが、『男と女』は、映画の中での音楽の存在感という意味で、群を抜いています。
今の時代のモンド作品の元祖ともいえるシャバダバサウンドを、1967年という時代にフィットさせたルルーシュとフランシス・レイの文化的貢献は、映画の世界の中でも、音楽シーンでもエポックメイキングだったと思います。
目のつけどころが素晴らしいというのは、才能の一つですね。
音楽の使い方は、ミケランジェロ・アントニオーニと並んで、ルルーシュはうまい使い方の監督だと思います。
『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』 9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマ他全国ロードショー
配給ファントム・フィルム
VIDEO
製作50周年記念 デジタル・リマスター版『男と女』
同時上映『ランデヴー』デジタル・リマスター版
10月15日より、YEBISU GARDEN CINEMA他全国ロードショー
配給:ドマ、ハピネット
©1966 Les Films 13