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『スターダスト』ジギー・スターダスト前夜のデビッド・ボウイ/Cinema Discussion-39

©️COPYRIGHT2019SALON BOWIE LIMITED,WILD WONDERLAND FILMS LLC

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第39回は、若き日のデビッド・ボウイを描いた「スターダスト』です。
「ジギー・スターダスト」で世界的にブレイクする前夜、アメリカをプロモーションで訪れたボウイの苦闘と進化を描いた物語です。
若き日のボウイを演じる主演はミュージシャンのジョニー・フリン、監督はドキュメンタリー映画でキャリアを積んだガブリエル・レンジです。
ディスカッションは、映画評論家川口敦子に、川口哲生、川野 正雄の3名で行いました。

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★デイヴィッド・ボウイのブレイク前夜を描く『スターダスト』、まずは感想を。映画を見る前に予想していたものと比べていかがですか?

川口哲生(以下T):映画を観る前の予想とはいろいろな意味で大きく異なる内容でした。前にセルクルルージュで取り上げたミック・ロンソンのbio pic『ビサイド・ボウイ』でメンバーともども乗り込んだアメリカでの市場の違いやマネイジメントの問題でごたごたのツアーとなったのは観ていたので、そんな感じの英国的、グラム的なものと、全土でとらえた(NYやLAだけでない)アメリカ的なものとの文化的相克といった映画かなと思っていました。
まあ、それもあるんだけれど、よりボウイの抱える内面的な葛藤や恐怖をこの映画を進めていく推進力に据えているところが意外でした。ジギースターダストとかシン・ホワイト・ジュークとかたくさんのペルソナを演じるに至るボウイの原初的な恐れを読み解くというか。。。

川野 正雄(以下M):改めて考えてみると、ジギー・スターダスト以前のボウイの事は、遡ってのアルバムで聴いてはいますが、そんなによくは知らなかったんだなと思いました。
デビッド・ボウイの回顧展「DAVID BOWIE is」などで、音楽制作に関する知識は多少得ていましたが、売り出す為にどうしていたかなどは、全く考えた事もなかったです。
ボウイファンの為の伝記映画と思っていましたが、そういう映画ではないですね。
あくまでもボウイは素材で、英国人アーチストの成功前夜を描いたロードムービーと表現した方が良いような作品だと思いました。
迷走するボウイが描かれているのも驚きでした。
逆にそれが新鮮で、ボウイも人並みの苦労があった事を理解するいい機会になったと思います。

川口敦子(以下A):タイトルをある種、鵜呑みにしてデイヴィッド・ボウイの音楽もフィーチャーした伝記映画を想像していたので、やはりン?! と意外な感じを最初は持ちました。でも、アメリカの旅、そして少し唐突な感じはありますが、よく言えば説明的ではないフラッシュバックで省察される兄テリーの挿話、彼との関係、そこから発現してくるボウイ自身の内面に向けた恐怖といった部分にフォーカスしていく展開を私は肩すかしな第一印象をうっちゃって案外、楽しみました。音楽ファンにはちょっと違うって印象の方が強いのかもしれませんね。

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★「事実にほぼ基づく話」(What follwsis is (mostly) fiction)との字幕に導かれて映画は始まりますが、事実を並べただけの伝記映画ではないこと、その点をどう受け止めましたか?

M:Mostlyがキーで、どこまでが真実でどこまでがフィクションなのか、映画ではわからないのが、この作品ではポイントだと思います。
その死によって、ボウイの一般的な存在感はカリスマから神的なものへと昇華していますが、それをあっさりと人間に引き戻す作品なのではないでしょうか。
ボウイがビザの都合で、バックバンド無しのドサ周り的プロモーションをしていたなど、想像した事もなかったです。
冷静に考えると1971年という時代を考えると、アメリカでは英国のアーチストへの期待度は、ほとんど無かったのではないかと思います。
その当時のアメリカのロックシーンは、セルクルルージュでも取り上げたジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスやドアーズのジム・モリスンが亡くなり、一方ニューヨークではこの映画にも出てくるベルベット・アンダーグラウンドのルー・リードが脱退と、正にカオスな時代だったのではないでしょうか。
ブラックミュージックも先般1969年開催されたブラックミュージックの祭典の記録映画『サマー・オブ。ソウル』をご紹介しましたが、ファンク・ミュージックが生まれ、大きく進化した時代です。
更に南米ではレゲエやサルサも、世界的にジャンルとして確立されたのもこの時期。
片や英国のロックシーンは、グラムロックが少しだけ評価されていた事が作品からもわかりますが、ビートルズも解散、ローリング・ストーンズもレーベル立ち上げという変革期で、大きなアメリカでのモチベーションは無かった時代だったと思います。
そういう背景の中でのボウイの悪戦苦闘ぶりが面白かったですね。

A: この点に関しては監督ガブリエル・レンジがインタビューで想像の自由を行使したといっている通り、かなり自由に(笑)作っているようです。会話の多くは想像から生まれたものとも述懐してます。レンジはドキュメンタリーを出自としていますが、ここでも”ドキュドラマ″的なアプローチをとっていたようで、ジョージ・W・ブッシュが暗殺されたらと架空の暗殺事件を”でっちあげた″モキュメンタリ―『大統領暗殺』(06)では世界中で物議を醸しています(不勉強ですみません! 日本公開されているんですね)。監督のそんな志向をふまえて見直すと、ボウイをめぐるフィクションとしてもっと楽しめるかもしれません。ちなみにディランを追った『ドント・ルックバック』でも知られるD.A.ペネベイカーが72-73年の長期ツアーの最後を飾るロンドン、ハマースミス・オデオン劇場でのボウイのライブ公演に迫ったドキュメンタリー『ジギー・スターダスト』が来年早々、再公開されるので、そちらと見比べてみるのもまた一興じゃないでしょうか。ちょっと前にレヴューで紹介した『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』もこの際、もう一度、見直したいですね。

T:ボウイというパーソナリティのイメージが強すぎるので、単なるbio pic的なものは難しいのでは。こういった新たな切り口やリアルとフィクションの境界のあいまいさが必要だったのだと思います。
また、楽曲が使えないゆえに簡単ではなかったところもあるのかな。

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★兄テリーの病がジギー・スターダストというもうひとつの人格を得ることへとボウイをむすびつけていくという部分、妻アンジーの描き方、アメリカのパブリストとの関係、それぞれどう見ましたか?

A: 多重人格的にいくつもの”顔/仮面″を突けてはまた脱ぎ捨てて別の人格を生き始める、ボウイのアートライフの神髄をこの兄の存在を通してみつめる――というのがこの映画の大きな柱ですよね。話術として、もうひとつな部分もありますが、その目の付け所は興味深く迫ってきました。それと同様に、あるいは私にとってはいっそう面白かったのがアメリカ人パブリシストとの珍道中、ロードムービーの部分で、主演のジョニー・フリンがボウイというよりちょっとヴィゴ・モーテンセンに似てる? からかもしれませんが、『グリーン・ブック』を彷彿とさせなくもなかったりもする。ユダヤ系アメリカ人と英国からきた”エイリアン″の違いを超えた友情という殆どいい話、エンタテインメントな趣も垣間見えて、だからいっそう、兄との挿話の暗部が生きるとなれば映画としてもっとよかったと思うのですが、それぞれの良さが絡み合って相乗効果とまでいっていないのが少し残念かな。
もひつ妻アンジー、アメリカ人ということも思ってみると、ローグの『地球に落ちて来た男』のアメリカ、その苦しさにずぶずぶと溺れていくボウイの姿も想起してみたくなる。で、昔、アレックス・コックスに取材した時、『シド・アンド・ナンシー』を英国対アメリカみたいに単純な図式にして解釈しないでね、と釘をさされましたが、レンジ監督の中には英国人としてみるアメリカということもなかなかしぶといテーマとしてありそうにもみえないでしょうか。
そういえばレンジ監督は次回作としてベルリン時代のボウイとイギーの生活を描くという脚本を準備しているそうで、ここでの英と米のテーマ、続いていくのかしら(笑)

T:敦子さんが言うように、絡む人たちの人種やパブリシティ業界といった感じや、アメリカの都市の性格の振れ幅やらがロードムービーぽい感じも生んでいましたね。けしてロード自体は輝かしい成功は生まないが、何か内面の変化を生む過程のような。

M:兄テリーとの関係性は、新鮮でした。兄からの影響自体は割と書かれていますが、ジギー・スターダストへと繋がっていくのは、事実かどうかわかりませんが、説得力があるように思いました。
アンジーはミック・ロンソンのドキュメンタリー『ビサイド・ボウイ』でも強烈な印象でしたが、ボウイにとってはやはり重要な存在だったという事を改めて認識しました。
少し気になるのは、パブリスト、ロン・オバーマンのキャストが、マーク・マロンであった事。ロン・オバーマンは、2019年76歳で亡くなっているのですが、この映画で感じる程の年齢差はありませんでした。
1943年生まれで、1971年は28歳。ボウイとは3歳しか年齢が離れていません。
作品の印象だと30歳くらい離れていて、ベテランのパブリストがボウイを連れて全米周る構図になっていますが、実際にはほぼ同年代。
ボウイの音楽や才能をよく理解して、若いA&Rマンが必死に売り込んだのが、実際だったのではないかと推察します。
しかしキャスティングはベテランコメディアンのマーク・アロンであった事で、ここには監督の大きな意図があったのではないでしょうか。
映画でもRCAへの移籍を示唆する場面がありますが、オバーマンはボウイの成功に少なからず影響を与えており、マーキュリーにそのまま在籍していたら、また違った展開になっただろうなと想像してしまいます。
ボウイにイギー・ポップの話をする場面もいいです。
因みにオバーマンは、ボウイの後にブルース・スプリングスティーンを担当し、コロムビアレコードが、スプリングスティーンを切ろうした行為を阻止するなど、大変優秀なA&Rマンとして知られています。

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★キャスティングに関しては? そっくりさんではないボウイ役ジョニー・フリンについては?

M:いくら似た役者がやってもボウイ本人を超える事は出来ないので、良いのではないでしょうか。熱烈なボウイファンは違和感を感じてしまうと思いますが、映画的表現として、ジョニー・フリンは、悩める若きアーチストをしっかり演じていたと思います。
思い出したのが、複数のボブ・ディランを描いたトッド・ヘインズ監督の『アイム・ノット・ゼア』です。
似せるという事ではなく、偶像としてディランやボウイを描いている点で共通点があります。
事実にほぼ基づくと言いながら、決してこの映画は『ボヘミアン・ラプソティ』ではないと思います。

A:ボウイの素敵はルックス面でも無二のものだから、フリンはその難関に敢えて挑戦した勇気を讃えたいですね。彼はアサイヤスの映画にも出てますね。その関係からかアサイヤスとカップルだったミア・ハンセン=ラブの『グッバイ・ファーストラブ』のエンディングに「The Water」って彼の歌がいい感じで使われていましたね。
いい味出していたといえばパブリシスト役のマーク・マロン、彼はアレサ・フランクリンの伝記映画『リスペクト』でも彼女のアトランティックのプロデューサー ジェリー・ウェクスラー役を快演しています。ぜひ、チェックしてみてください!
もひとり子役からしたたかに脱皮してきたジェナ・マローンのアンジーもいいですね。特に髪を切って眉もない後半のアンジーっぷりはなかなかです。

T:まあどうしてパーツの細さがない、繊細さがないとボウイのイメージってあまりにも強いから感じてしまいますよね。笑
でもジギースターダスト前のあの長髪時代のボウイのもがきを演じるのには、ボウイのファンであるけれどただの物まね屋さんにならないフリンでよかったと思います。演奏シーンもボウイのオリジナルの楽曲ではなく、カバーしていたブレルの重く暗い時代の楽曲『アムステルダム』だったのも逆に変な物まね的な印象でもなかったし。

©️COPYRIGHT2019SALON BOWIE LIMITED,WILD WONDERLAND FILMS LLC

★遺族の許諾を得られずオリジナルのボウイの曲が一切ないという点に関しては?
同様の窮屈さを逆手にとった『JIMI:栄光への軌跡』もありましたが?

M:アンジーや息子のゾーイが承諾しなかったという事ですが、家族は『ボヘミアン・ラプソティ』を求めているのかなと感じました。
アンジーは『ビサイド・ボウイ』でも強烈なおばちゃんぶりを発揮していましたが、簡単には了解してくれなさそうです。
ボウイの家族のトラウマ、空気を読めない部分など、ネガティブな描写も多く、承諾されないのもやむおえないですね。
ただやはり楽曲使えたら、もっと印象は違い、もっと多くのボウイファンの共感を得る事が出来たのではないでしょうか。
逆にヤードバーズやジャック・ブレルのカバーから、ボウイのルーツを感じるという事が出来たのは良かったです。

A: ここがボウイのファンには物足りなさの元凶となるんでしょうが、苦しい中でジャック・ブレルやヤードバーズのカバーを入れ込んで、前夜の興味深さとしている点は面白いですよね。

©️COPYRIGHT2019SALON BOWIE LIMITED,WILD WONDERLAND FILMS LLC

★ここを見ると面白い、ここを見れば楽しめるというポイントは?

T:アメリカ到着時に空港に迎えに来るところから始まる、ユダヤ人担当パブリシストとの関係性がこの映画の見どころだろうな。川野君の様にリアルのオバーマンの目利きぶりについて詳しくなかったので、彼のレコードコレクション見るとサンタナとかで、本当にボウイを理解しているのか疑わしくなるし、引き合わせる業界人やプロモーションも全く的外れだったり。この辺はボウイだけでなくオバーマンについてもMOSTLY というフィクション性ももりこんでいるのかと思うぐらい。それでもジギースターダストの幕開けにロンドンまで来ているってのが、どこまで事実でどこまでがフィクションか、興味深かった。

M:ボウイも普通の人間であったという事です。
ボウイの熱烈なファンの方には違和感があるかもしれませんが、伝記映画ではなく、アーチストとパブリストのロードムービーとして見ると、発見も多いはずです。

A: 繰り返しになりますがアメリカとボウイって部分は個人的に興味深かったです。シュナーベルの『バスキア』ではウォーホル役をそっくりさん演技も交えてものしていたボウイですが、それを思ってみても今回の映画で(十分とはいえないけれど)描かれているファクトリー、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ルー・リード、そしてウォーホルとのすれ違いの部分はとりわけ興味深く迫ってきました。

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『スターダスト』
10月8日よりTOHOシネマズ シャンテ他全国公開中。
配給リージェンツ
DAVIDBEFOREBOWIE.COM

『DAU 退行』Cinema Review-11/ 映画表現の限界に挑戦するソビエトの仮想コミュニティ

(c) PHENOMEN FILMS

Cinema Review 第1回として、1950年代のソビエトの研究所を描いた衝撃的な作品『DAU.ナターシャ』を、ご紹介しましたが、完結編として『DAU退行』が、現在公開中です。
この2本はベルリン映画祭で上映され、賛否両論を巻き起こしました。
我々も『DAU.ナターシャ』を見て、大きな衝撃を受け、早く他の作品を見たいと思っていましたが。早くもその機会がやってきました。
しかし第2弾の『DAU退行』は、6時間を超える超大作で、前作を上回る難攻不落の怪作でもあります。
これまでの映画の常識を、あっさりと覆してしまったDAUシリーズ。
しかし2本だけでは、まだまだ全貌は見えにくい存在です。
今回のレビューは、『DAU.ナターシャ』同様、映画評論家川口敦子と、川野正雄の2名です。

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★川口敦子

例えば星とりレビューのように評する映画を予め決められている場合はまた別だけれど、セルクルルージュのレビューでも他のメディアで書く時にも自分でこれをと選んだ映画については、皆さんぜひご覧ください――のスタンスを基本にしてきたと思う。が、今回は正直なところ、みなさんぜひとはちょっと言いにくい。万人向けの安全無害な一作だったりはしないから。あるいは映画として文句なく素晴らしいとか、欠陥はあっても好きだとか、そういうふうに迷いなく言い切ってしまったらなんだかやはり嘘になりそうだから。
『DAU/退行』についてそれでも書こうと思うのは、こういう映画、否、より正確にはこういう壮大なアートプロジェクトが実現されてしまった以上、見ないよりは見た方が、知らないよりは知った方が、体験しないよりはした方がいいかもしれない――とならまあ(いかにも無責任な言い方ではあるけれど)、いってもいいような気がしているからだ。ダンテの『神曲』に倣った9章仕立ての怪作の6時間余に一生の一部を委ねたことを後悔するか、しないか、ともかく覚悟が必要、とまずこれだけは事前にお知らせしておきたい。

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なんだか物々しい書き出しになってしまったけれど、この春、『DAU/ナターシャ」を目にして、こうなったら14作からなる『DAU』連作の全貌を知りたいと頭をもたげた好奇心に突き動かされ向き合った『DAU/退行』は、プロットという面でいえばよりくっきりと輪郭が追える、その意味でいえば”ふつう″の映画に近いかもしれない(あくまでも『ナターシャ』と比べての話だが)。
研究所付き食堂のウェイトレス、ナターシャがいたスターリン体制下の50年代からほぼ10年、66年から68年、フルシチョフの下の雪解けを経たソ連を秘密研究所の世界に映して映画は、酒とセックスにまみれた科学者たち、管理者たちのただれた日々を延々とみつめる。そんな風紀の乱れを正すためやってくる新所長、それがあのナターシャの拷問を断行したKGB捜査官のアジッポに他ならず、そうと知ってよぎる不安が現実となる。ネオナチそのままの若者たちを操って血の粛清が繰り広げられ、研究所もまた崩壊へと突き進む――。
終幕の惨劇をホラー映画のように指の隙間からどうにか見届けながら、でも獣の肉はごちそうとしていただくし、女たちが纏っているのは温かそうな毛皮だし――と、破壊の蛮行を他人事みたいに非難がましく眺めることへのまっとうな皮肉も盛り込む映画はそこにユダヤ教のラビのナレーションをかぶせてさらに皮肉の奥行を増幅させる。

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ソ連という壮大な20世紀の実験国家の終わりを10代半ばでかいくぐった監督イリヤ・フルジャノフスキーはそうやって共産主義と宗教を並べ、そこにオカルトや魔術師が共存する場面を描きもする。「政治的神話の主人公たち、個人や集団はどのようにして歴史になるのか」と、記す共同監督イリヤ・ベルミャコフの視点も思えば、DAUプロジェクトの真相は別の所にあるのだろう、が、国家の力を鼓舞するような建築や、裏腹に可愛い動物の陶器を部屋ごとに置くインテリア、衣装の意匠――と、映画としてのお愉しみは直接、目にとびこんでくる時代のデザイン、その細部の一筋縄ではいかない徹底ぶりにこそ見出し易いかもしれない。その意味でもやはり一見の価値はありかしら(と思う)。

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★川野 正雄

映画としての表現の限界やタブーに挑戦していて、衝撃だった『DAU.ナターシャ』。壮大なアートプロジェクト” DAU”の第2弾として『DAU.退行』が公開された。
ソビエト全体主義と、人体実験を行う秘密研究所を完全再現し、13年の歳月をかけて完成させたのが、この2本である。
ベルリン映画祭では、この『DAU.退行』も上映されたというが、劇場公開は日本が最初だという。
私自身も『DAU.ナターシャ』の衝撃で、DAUの情報を探し、フランスポンビドーセンターの展示の一部映像など見て、この続きを想像していた。
ダンテ「新曲」をモチーフにしたという本作は、なんと6時間9分の大長尺。映画表現の限界を超えるようなシーンもあり、よくぞ日本で劇場公開したというのが、まず率直な感想である。
長尺だが、冗長な大作では全くなく、全編が不穏な空気に包まれたまま進行し、緊張感に満ち溢れ、だれる事は一切ない。
『DAU.ナターシャ』は、1950年代の研究所のカフェが舞台。一幕もののような構成で、登場人物も少なかった。
『DAU.退行』は、1966〜68年の研究所全体が舞台となる。登場人物も一気に増え、群像劇さながらに進行していく。

transformer.co.jp/m/dau.degeneration/

川口敦子さんも書かれているように、中盤までは割と普通の映画のように進行し、研究所の中の腐敗が、ドラマ的に描かれる。
しかし極右の過激派集団が被験者として登場してからは、作品の中で目に見えない恐怖感が増していく。
その要因の一つはキャストにもある。秘書との不適切な関係で更迭された所長に変わる新所長アジッポは、『DAU.ナターシャ』でKGBの拷問を行った人物である。本人は実際にKGBの大佐で、投獄の専門家である。
被験者として研究所に現れる影はグループのリーダーは、ネオナチのメンバーで、ヘイト行為で逮捕され、出所後に撮影に参加している。
そしてこの二人共に、既にこの世を去っている。
この二人から発するオーラは、芝居ではなく正に本物であり、退廃している研究所を、徐々に破壊していくのだ。

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監督のイリヤ・ペルミャコフは、映画は仮想コミューンの構築に最適だと語っている。
彼らが目指した仮想コミューンは、セットなど設備、美術、言語、貨幣などあらゆる面で、現実的なコミューンを作り上げた。
更にその中でキャストも生活させる事で、メンタル及びフィジカルな面でもコミューンの中での人的関係を構築する手法を取った。
その再現性の為に、これまでの映画制作の常識、表現としての限界、タブーなど、これまでは映画表現として超えられていない一線を、完全に超えている。
この表現の限界への挑戦は、賛否両論あるだろう。好き嫌いも大きく分かれる筈である。

(c) PHENOMEN FILMS

私自身も、限界に挑戦した演出をすごいと思う反面、受け入れにくい部分が存在するのも事実である。
今の時代仮想コミューンの再現は、至る所で行われている。CG、VRを含むXRの導入によって、高い再現性で世界を構築する事は、予算と良いスタッフを集めれば可能である。
『DAU』シリーズは、リアリティな場で、表現の限界に挑戦しながら、フィジカルな手法で、仮想コミュニティを完璧に再現している。
この手法は、長い映画史の中でもこの作品が最初であり、最後になるのではないだろうか。
川口敦子さんの言うように、万人にお勧めできる作品ではない。
観賞後ネガティブな気持ちになる人もいるだろう。
しかし映画の本質を考えたい人には、是非体感して欲しい6時間である。
そして1952年から1966年までの間、この間を描いたDAUシリーズもある筈である。
怖いもの見たさもあるが、『DAU』シリーズのコンプリートを目指したい。

(c) PHENOMEN FILMS

『DAU. 退行』

2021年8月28日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか公開中

監督・脚本:イリヤ・フルジャノフスキー / イリヤ・ペルミャコフ
出演:ウラジーミル・アジッポ /ドミートリー・カレージン / オリガ・シカバルニャ / アレクセイ・ブリノフ
2020年 / ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作 / ロシア語 / 369分 / ビスタ / カラー / 5.1ch /
原題:DAU. Degeneration / R18+

公式HP