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『ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021』ジャームッシュを見て、今何を思う/Cinema Discussion-37

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」ドイツ版ポスター

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第37回は、シネマ・ディスカッションでも常に注目している監督ジム・ジャームッシュの特集上映レトロスペクティブ2021を、ご紹介します。
1986年に日本で初めて劇場公開されてから35年の時を経て、初期作から最新作まで豪華12作品が、7月2日〜22日まで都内のミニシアターを縦断して上映される豪華な企画です。
既に上映はスタートしていますが、大好評で、地方での展開も決定したとのニュースも聞いています。
上映作品は、『パーマネント・バケーション』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』『ミステリー・トレイン』『ナイト・オン・ザ・プラネット』『デッドマン』『ゴーストドッグ』『コーヒー&シカレッツ』『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』『パターソン』『ギミー・デンジャー』『デッド・ドント・ダイ』の12本です。
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』『パターソン』『ギミー・デンジャー』の3本は、こちらのシネマ・ディスカッションでも取り上げていますので、是非そちらもご覧下さい。
また公開に合わせて、セルクルルージュ・ヴィンテージストアでは、ジャームッシュ作品のオリジナルポスターを特集販売しております。
このディスカッションのビジュアルとして、ポスターをご紹介していますので、是非ご覧下さい。

ディスカッションは、映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式で行いました。
二人とも語りたい事は沢山あり、とても12本全部に触れる事は出来ませんでしたが、ジャームッシュへの想いが溢れる時間となりました。

「ダウン・バイ・ロー」ドイツ版リバイバルオリジナルポスター

★1986年『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が公開されて日本初お目見えとなったジム・ジャームッシュですが、当時、どんなふうに最初のジャームッシュを受け止めましたか?

・川野 正雄(以下M):最初はご多分に漏れず『ストレンジャー・ザン・パラダイス』ですね。
ジョン・ルーリーの軽妙さと合わせて、本当に新鮮でした。
モノクロ、マイアミ、ドッグレース、スクリーミン・J・ホーキンスなど、今でも思い出せるエッセンスも重要です。
ジャームッシュ自身のルックスの印象も相乗効果もありますが、音楽的な要素というのが、すごく重要だったと思います。
ジョン・ルーリー、トム・ウエイツ、イギー・ポップ、ジョー・ストラマー、ルーファス・トーマスなど、実際にミュージシャンも多く出演。しかも一人一人がレジェンドでもあり、最高でしたね。
実は『ダウン・バイ・ロー』は、当時あまり入れ込めなかったです。沼のあたりの展開の画面が暗くて、まったり感じてしまったのです。
ただこの機会に見直すと、印象は変わりました。
改めて見ると、序盤の空と街の景色など、映像も素晴らしいですね。
それと思った以上に長回しの芝居が多かったです。
ロベルト・ベニーニが実は影の主役だと、再認識もしました。
構図も含めて、スタイリッシュな感じと、ユーモアのセンスが。当時はすごく先進的で新鮮だったのではないでしょうか。

・川口敦子(以下A):公開を前に映画誌にとどまらずいろんな雑誌で『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が話題になり始めたのはちょうど映画評論の仕事を始めようとしていた頃で、まだ自由に試写が見られるわけではなく、でもどうしても見たいとやきもきしていたのを覚えてます。で、85年の2月にパリに行ったとき、ちょうどサンタンドレ・デザールって小さな映画館で運よく上映していたのを雨漏りの座席でみることができたんです。その体験は私の映画史上でもとびきり忘れ難いものになってます。ハリウッドを中心とした往時の大作のこれでもかって山盛り感の対極でそぎ落とす贅沢を究めた『ストレンジャー・ザン・パラダイス』って映画とその作り手ジャームッシュ、そのデッドパンな姿勢には実際、おおっと魅了されずにいられませんでしたね。新鮮だった。加えてパリで見たプリントのモノクロの黒の黒さ! それも感動的だったな。
その黒の深さとも通じる仏頂面のクールは映画と相前後して”フェイク・ジャズ″バンド、ラウンジ・リザーズを率いて来日したジョン・ルーリーの磁力とも共振して、インクスティックでのコンサートの後、突撃的なインタビューとかしたなあと、すみません老人の懐古モードの自慢話みたいになってますが(笑)、いってしまえばこの映画とジャームッシュ、その出自であるニューヨーク、ダウンタウンのインディな面々は私にとって実際、事件といってもいいくらいのインパクトで迫ってきたんですね。

「コーヒー&シガレッツ」アメリカ版オリジナルポスター

★ミニシアター・ブームがあり、映画だけでなく非メジャーなものがもてはやされる”気分″があった80年代、セルクルのメンバーもメルボルンのニューウェーヴ誌CROWDに東京通信したりしましたよね。そんな時代と往時のジャームッシュ旋風は切り離せない印象がありますが、そのあたり振り返ってみてどんなふうに?

M:ラウンジ・リザーズ!僕はツバキハウスで見ました。
全くお客さんが入っていなくて、冷房が効きすぎて、会場内が異常に寒く、ライブ中にトイレに行ってしまいました。
するとライブ中なのに、やはり寒かったのか、ジョン・ルーリーもトイレにいて、握手してもらいました。
実はこの時代を懐古的に考えるのは、あまり好みではありません。
何かサブカル祭り的に浮かれていた気がして。
ただ当時の映画やカルチャーは素晴らしいものも多く、人が入る事で経済的にも活性化し、かなりマニアックな作品も日本で脚光を浴びるようになったと思います。
アメリカ人の友人が、日本は世界中のアート系作品が見られる。アメリカはニューヨークなど一部でしか見れないと、嘆いていた事をよく覚えています。
当時はゴダールの再評価など、アート系劇場の数も多く、観客も多く、正にジャームッシュは、その中心の存在ではなかったかと思います。
またジャームッシュ自身が日本へのシンパシーが強く、90年代にはビクターが制作費をかなり出していた事もあり、よりジャームッシュ作品は身近で、魅力的な存在だったのではないでしょうか。
それからジャームッシュはキャスティングが魅力的ですね。
永瀬正敏、工藤夕貴の日本人キャストに、イギー・ポップ、トム・ウエイツなど、ミュージシャンの使い方もうまい。
さらに、ビル・マーレィやアダム・ドライバー、ウィノナ・ライダー、ロベルト・ベニーニ、ジョニー・デップなどスターの個性を引き出すのも絶妙で、日本人のツボにはまるのではないでしょうか。

A:多分、その只中にいたからだと思うんですが「サブカル祭り的に浮かれていた」80年代のある種のうっとうしさって確かにありますね。でもミニシアターとインディ系配給会社の旺盛な活動のおかげで出現した”映画都市TOKYO″の名にふさわしい何でもみられる状態は今から思うと本当にスリリングでもありました。面白い、だから見たいってそういう気持ちだけでPFFがニューヨーク・インディ特集して子供みたいだったスパイク・リーやちょっとつっぱってかっこつけてる(ところがかわいい感じもした)ジャームッシュやその公私ともにのクールなパートナー、サラ・ドライバーを東京に呼んでしまう。そんな時代の豊かさを牽引したフランス映画社がジャームッシュをがしっと守って温かくバックアップしていたのも印象的でした。大事なことだとも思います。単に流行として受け入れ、消費して後はご勝手に――みたいな、ありがちなコマーシャルな仕組みにのみこまれないための防御壁となっていた。もちろんジャームッシュ自身の資質もあると思います。「友人、この人のために書いてみたいと思える人、一緒に仕事をしたいと思える人と組んできたしこれからもそうしていきたい。ひょっとするとそれってプロフェッショナルじゃないってことを示すのかな」と笑いつつ「でもそこにはプロフェッショナルなつきあいというのと別の信頼感が生まれてくる」「ヒエラルキーが嫌いだからクルーも少人数の方が気持ちいい、これもプロじゃないってことかな」と続けたジャームッシュのジャームッシュらしさはそんなアマチュア(愛のために作る人)な信念を今も守る素敵な頑固さにあると思う、それを曲げずにいられるように支える存在、環境がとりわけ80年代の東京にはあったともいえるんでしょうね。
その意味では今回、″ミニシアター・ジャック”という形でレトロスペクティブが展開されるのも感慨深いものがありますよね。

「ミステリートレイン」ドイツ版オリジナルポスター

★それから35年、ビート、オン・ザ・ロード、ストレンジで美しい世界、アメリカ(とストレンジャー;NYC,中西部)、ロックンロール、クール、アマチュアの美、詩、ユーモア等々、ジャームッシュを語る時、浮かんでくるキーワードがありますが、映画の、そして世の中の様々な変化の中で変わらないジャームッシュの映画の面白さ、はたまた作り手としての興味深さはどこにあると思いますか?

M:ロードムービーが元々は中心にあるように思います。
初期の作品の映像は、トム・ディチーロが撮影していたと思いますが、徹底して見せ方に拘っていますね。
ジャンルは結構変わりますが、根底に流れるのはR&Rスピリッツだと思います。
ロックが持っていた精神みたいな部分を、映像で様々なテーマを用いながら表現している。そう思っています。
作品の守備範囲も広いです。最近はゾンビ、バンパイヤなど、ジャンル物も多いですが、西部劇に、コメディ、ドキュメンタリーと、驚くほど多彩で、それぞれをジャームッシュ節で演出しています。
どの作品見ても、どこから切り取ってもジャームッシュですね。

A:あ、ディチロがブレイク寸前のブラッド・ピット主演で『ジョニー・スエード』を監督した時に取材したんですが、その映画にニック・ケイブ扮するスーパークールなアンダーグラウンド界のスーパースターが登場する、銀髪のリーゼントで、それをジャームッシュだって思い込んでる観客も多かったと笑ってみせて、でもジムをクールの代表にしたがるのは世の中の方で、彼自身はあくまでどこまでも自分の映画を撮ることをめざしてるだけだと、で、そんな彼の映画は人生の表皮が取り去られてふっと真実が顔をのぞかせる瞬間のおかしさを鮮やかに掬い上げるともいっていて、なるほどそういうふっとした瞬間、間(ま)の美学みたいなものが変わらぬ魅力かなあと思いますね。詩情っていってもいいものかもしれないですね。もともと詩人をめざしていたってこととも関係しているのかな。これこれこうでこうなったみたいに理路整然とした散文的な展開とちょっと別の所にある何かをぶれずに捕まえようとしているんじゃないかしら。

★今回の特集の中、この一本といったらどれを? 理由は? 一本に絞るのが難しかったらいくつかでももちろんオッケーです。

M:『ジョニー・スエード』に、ニック・ケイブ出てましたね。
確かにジャームッシュとイメージが被ります。
トム・ディチーロも含めて、この手の作品への注目度が高かったと思います。
実はジャームッシュ作品、全部見ています。
これは私には珍しい事です。
最新の『デッド・ドント・ダイ』を見逃していたので、この機会に見ましたから、完全制覇。
『ミステリー・トレイン』『ナイト・オン・ザ・プラネット』。
この2本のオムニバスが好きです。
次のエピソードへの期待感がすごいんですよね。見ながら。もっと見たい〜。こういう
感覚を大事にしたいです。
最近の作品では『パターソン』がいいですね。
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』は、モロッコのタンジェの景色と相まって、これまた大きな刺激を受けました。

Å:『パターソン』は私もすごく好きです。変わり映えのしない毎日のつまらないできごとに目をやって、そんな中でも生起するささやかな物事の変化を慈しむ、そうやって起承転結に追いまくられるドラマを退けて詩の心を掬い取る、そういう姿勢が静かな映画を力こぶなしで支える感じがいいなあと。そのくせ、あの主人公の背景にもしかしたら中東戦の傷があったりもしそうで――と静かさの奥の闇みたいなものもそっと吞み込んでいるんですよね。主演のアダム・ドライヴァーは『デッド・ドント・ダイ』にも続いて登場して、ジョン・ルーリー、トム・ウェイツとジャームッシュが結成していたという長身で細長い顔の人仲間、リー・マーヴィン同盟だったかクラブだったか、その新たなメンバーに加わった感じですね。
あと詩情といえばジャームッシュじゃなければ撮れないウェスタン『デッドマン』の死との伴走もやはり忘れ難い。その意味では初めの一歩の『パーマネント・バケーション』の漂流するマンハッタン、そこに浮上した詩の感覚も今、改めて見直したいと思います。

「ナイト・オン・ザ・プラネット」アメリカ版ポスター

★その他の作品でも構いませんが、忘れ難い場面とか台詞とか、出演者とかは?

M:今回は上映されませんが、『ブロークン・フラワーズ』は、ジャームッシュらしくないテーマでしたが、ロマンチックな気分になりましたね。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』のジーナ・ローランズのタクシー客は良かったです。
『ミステリー・トレイン』のジョー・ストラマーは、まともに芝居はしていませんが、やはり存在感が素晴らしかったです。
『デッドマン』も、全体に画面も展開も重かったですが、ニール・ヤングのサントラと映像のシンクロが素晴らしくて、非常に印象に残っています。
ジョニー・デップも、この作品では本当に格好良くて。ポスターのビジュアルもよく、テーマ的には地味ですが、存在感はピカイチの作品と思います。
地味な作品でしたが『ゴーストドッグ』も好きな作品です。日本の武士のスピリッツを、ジャームッシュらしい解釈で描いているのがいいですね。
この時期のジャームッシュは、少し不調な時期だったようにも思います。テーマ的にも悩んでいたようにも、ちょっと感じています。
『デッド・ドント・ダイ』のティルダ・スィントンもですが、剣の立ち回りの演出が、ジャームッシュはうまいですね。

A:『パーマネント・バケーション』の青年と少年の間みたいな主人公が床にマットをしいただけの空っぽの部屋でポータブルのレコード・プレイヤーをかけて踊る場面は有名ですがきゅんと胸をつくものがあって今も時々、見たくなります。恥ずかしさすれすれの青春って感じが懐かしい。
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』の白髪みたいなロングヘアもよかったけれど『ブロークン・フラワーズ』のチェックのネルシャツはおったみたいなティルダ・スィントンのアメリカ女なりきりぶりもいい感じでしたね。英国のパンクレディから見事に変身してた。あと、やっぱり『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の車にからんだ3人の図は強烈に瞼に、胸に刻印されてます。
忘れ難さは音楽にもたくさんあってI put a spell on you 忘れられないし、『デッドマン』のニール・ヤングとのコラボレーションも外せませんね。

「デッドマン」ドイツ版オリジナルポスター

★日本の作り手への影響も感じますか?
M:多くの監督が影響受けていると思いますが、ジャームッシュのセンスをそのままフォロワー的に取り入れる事は難しいのではないかと思います。

A:そうですね、ジャームッシュ以後がもう四半世紀、どころか30年以上もあるってすごいことだなあ。影響受けてないといえる人の方が少なかったりするかも。でもまあ山下敦弘監督作の最初の頃を見た時にはああって感じました。今回の特集上映のパンフレットに寄稿されてるようですが(笑)

★”変わらないジャームッシュ″と先ほどいいましたが、セルクルルージュでも取り上げてきた近作では変化も感じられるような、、、いかがでしょう?
わかりやすくなりましたよね。

M:テーマがストレートになってきて。インディーズ感は薄れたかもしれません。
『デッド・ドント・ダイ』は、何故作ったのかなと思いますが、豪華キャストですね。
演出のテイストなどは変わりませんね。ジョーク的な部分は特に。

A:ぶれてはないけど成熟はしてる感じがしますよね。巧さみたいなものを目指すことは決してないんでしょうが、でも巧くなった部分はやはりある。自然にね。なーんて本人が聞いたら怒るでしょうが・・・。意識してるわけではないのでしょうが『ブロークン・フラワーズ』の後には『リミッツ・オブ・コントロール』、『パターソン』の後には『デッド・ドント・ダイ』って巧さや成熟をはねのける意思が素敵です。

★今後のジャームッシュに望むことは? こんな映画を見たい、こんな人と組んでほしいといった希望は?

M:好きなようにやってもらい、それについていくだけでしょうか。あんまり考えた事もないのですが。どうせなら、ジャームッシュで、マーロン・ブランドとか見たかったですね。
今から可能な役者だと、本当のビッグネームとやるのを見たいです。
アル・パチーノとか、ロバート・デ・ニーロ、ハリソン・フォードみたいなスターを使ったコメディとか、ロードムーヴィーを見てみたいです。

A:ビッグネームという意味では『デッドマン』でロバート・ミッチャムと組んだ時のことを身振りや声色を使いつつすごく面白おかしく話してくれたのも印象的でした。ブランドとの組み合わせは確かに見たかったですね。
「だって人生にプロットなんてないから」って筋を追うことに汲々とするような映画は撮らないできたわけですが、原作ものはどうなのかな。師でもあるニコラス・レイの『夜の人々』のリメイクとか。アルトマンが同じエドワード・アンダーソンの原作で『ボウイ&キーチ』を撮りましたが、ジャームッシュ版見てみたいです。

「デッドマン」アメリカ版オリジナルポスター

ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021は、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネクイント、アップリンク吉祥寺で、7月2日より上映中。今後地方展開もありますので、公式サイトで上映をご確認下さい。

ジム・ジャームッシュ©︎Sara Driver

『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』ゴスペルの神が降臨/Cinema Review-5

Cinema Review第5回は、『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』です。
2018年8月16日、惜しくもこの世をさってしまった「ソウルの女王」アレサ・フランクリンの1972年に教会で行われた幻のコンサート・フィルムが、49年と時を経てついに日本公開されました。1972年1月13日、14日、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われたライブを収録したライブ・アルバム「AMAZING GRACE」は、300万枚以上の販売を記録し大ヒットしています。
監督(撮影表記)は、『追憶』の名匠シドニー・ポラック。
撮影時のミスで、永らくオクラ入りになっていましたが、テクノロジーの進化により作品が蘇りました。
レビューは、映画評論家川口敦子、川口哲生、川野正雄の3名です。

2018©Amazing Grace Movie LLC

★川口哲生

アレサ・フランクリンの1972年1月13日及び14日、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われたライブを収録したドキュメンタリー映画。
アレサは1967年にキャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」1968年にバート・バカラックの「セイ・ア・リトル・プレイヤー」でヒットを放っているけれど、これらもアレサ流に十分ソウルフルではあるけれど、やはり白人層にも受ける、ラジオでもオンエアされる選曲だったのではないだろうか?それに対して、この映画が捉えている音楽はまさにsounds of blacknessという感がする。コール&レスポンスと後乗りの独特のハンドクラッピング、同年リリースのダニー・ハサウェイのライブアルバムでも感じた観客との一体感やサクラなのと思うぐらいの合いの手のかっこよさ。これは彼女が映画にも登場する宣教師の父の元、子供の頃から馴染んできたゴスペル、自分たちの魂の音楽を誰にも遠慮せずに歌う姿だと感じる。
クアイヤ・スタイルのゴスペルを確立したジェームス・クリーブランドのしゃべりや演奏、毛皮やスーツで熱い中でも登場するあの感じ、宣教師の父親のスピーチの独特の抑揚と間、ワッツ・タックスのコンサート映画でも観る今のブラックスタイルとは違うあの頃のキメキメなブラックスタイル、そしてダンス。全てがblack peopleによるblack peopleのための場だ。
それをアポロシアターでジェームス・ブラウン観ていたように、観に来ているミック・ジャガーには脱帽。監督は何故に、シドニー・ポラックなのか?
チャック・レイニーとバーナード・パーディのフンキーリズム隊も渋い。1日目はキャッチーな馴染みのある選曲、2日目はよりディープなゴスペル。どちらも若いアレサ・フランクリンのエネルギーが満ちていて必見!

2018©Amazing Grace Movie LLC

★川野 正雄
ライブ・ドキュメンタリー映画は世の中に数多くある。
好きなアーチストのライブには気持ちが高揚し、知らないアーチストを体験し、発見の喜びを感じる事もある。
同日に公開されたデヴィッド・バーンのライブ・ドキュメンタリー映画『アメリカン・ユートピア』も、感動的な作品である。
監督はスパイク・リー。ここでの感動は、表現者としてのデヴィッド・バーンの完成度の高さであり、そのメッセージに込められた意味合いに起因するものである。
映画の中で観客の存在感は薄い。それは際立っているステージパフォーマンスに、観客の視線を集中させる為なのかもしれない。
『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』から得られる感動は違う種類である。これまであまり感じたことのない強い共感性である。
演者と観客と会場が一体化することによって、大きなバイブスが生まれ、それが観る者の心を揺さぶる共感性に昇華しているのである。
アレサ・フランクリンを知らなくても、70年代のブラックミュージックを知らなくても、この映画のバイブスは、誰もが感じる筈だ。

僕自身は、もちろんアレサの事は知っているが、アルバムを多く持っているわけではない。
ライブ映像を見るのも、今回が初めてであり、このライブを収録したライブアルバムも聴いてはいなかった。
アレサファンというよりも、彼女が活躍した時代、60〜70年代のブラックミュージックファンであり、彼女の所属していたアトランティック・レコードのファンである。
とはいえ、『Think』『Chain of fools』『Respect』など好きな曲は多く、いずれも1960年代にリリースされており、一番好きな『Rock Steady』は、このライブの前年1971年にリリースされている。
アレサ・フランクリン正に全盛期の、教会という小箱のライブである。
監督はシドニー・ポラック。
シドニー・ポラックは、同じ時期に代表作『追憶』を撮っている。
改めて『追憶』を見直したが、完璧な演出のラブストーリーで、ここにも観客の心を揺さぶるバイブスが流れていた。
白人の人気シンガー、バーブラ・ストライサンドを、シドニー・ポラックは見事に使いこなしている。
全盛期同士のカップリング、最強のはずであった。
ワーナーが撮影するというアナウンスが流れるが、音声と映像のシンクロを失敗してしまう。
ライブ盤はコンプリートな物もリリースされているので、アフレコ的に作業を重ねれば当時の技術でも何とかなったように思うが、作品は長年オクラ入りであった。
アレサ自身は完成を望まなかったという話もあるが、現代のテクノロジーで、幻の作品は蘇った。

オープニングに登場したアレサの表情は、緊張しているようだった。
そして1曲目のパフォーマンスは今ひとつしっくりいないように見えた。
いつもと違う教会でのライブ。
しかし2曲目からアクセルが高回転になっていく。
教会でも構わず、どんどんグルーヴも増していく。
そしてアレサの汗もどんどん増えていく。
狭い教会での観客との一体感がすごい。
この時代のソウルミュージックのライブは、こんなにもエモーショナルなのか。
観客のダンスも、バッチリキメたスタイルも、完璧だ。
客席にはミック・ジャガーとチャーリー・ワッツの姿も。
1972年ローリング・ストーンズは、『メインストリートのならず者』をリリースし、ツアーを敢行。更にジャマイカに渡り、『山羊の頭のスープ』のレコーディングに入る。
そんな多忙な1年の初頭に、ミック達はこの場を訪れているのだ。
途中アレサの父親も登場し、このライブの意味合いを誰もが共有する。
益々パワーアップするアレサのパフォーマンス。
狭い教会の中で、アレサの歌は、天使にも神にも聴こえてくる。
アレサの歌に涙ぐむサポートメンバー達。
思い思いの態度で、エモーショナルに感情を表現するメンバー達。
今の時代では体験できない素晴らしい瞬間である。
音楽って素晴らしい。
改めて感じた。
ライブがなかなか体験できない今の時期、ライブの素晴らしさを改めて痛感した。

2018©Amazing Grace Movie LLC

★川口敦子

「この映画を見ることはスピリチュアルな、宗教的な体験だ」(nonfiction.com12/8/2018)――1972年に撮影されてから2018年、オスカーレースをにらんでのNY限定公開、そして翌年4月の米一般公開までほぼ半世紀近くもお蔵入りとなっていた『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』、その内輪向けの試写でホストを務めたスパイク・リーの発言にまさに! と、映画を見ながら味わった興奮を重ねていた。同時にリーが監督作『アメリカン・ユートピア』のコーダとしてデトロイトの高校の聖歌隊の面々の喜々とした歌声をフィーチャーしていたことも思い出され、ゴスペル(福音)のルーツに立ち戻ったアレサ・フランクリンの教会でのコンサートに満ちていく高揚感との共振を改めて嚙みしめてみたくもなった。嚙みしめながらこの圧倒的な快作が日の目をみずに葬られかけたこと、なぜ、どうして? と、その経緯と背景への興味もむくむくと頭をもたげてきたのだった。

まずは時代のこと。72年1月に2晩にわたって行われたコンサート、その会場となったニューテンプル・ミッショナリー・バプティスト教会がLAのワッツ地区にあったという点にはやはり注目してみたい。なにしろそこは65年、白人ハイウェイ・パトロールが黒人青年とその親族を不当に乱暴に扱い逮捕して勃発した一週間に及ぶ暴動の舞台に他ならず、それを端緒として差別に対する火の手が全米に広がることにもなった、要は公民権運動の熱い盛り上がりをリマインドさせずにはいない場所なのだから。暴動の記憶がまだまだ生々しく燻っていたはずの72年、その時空を思ってみるとフランクリンの、聖歌隊の、熱唱に息づく祈りの心が空気を染め上げていく様にいっそう胸打たれる。
いっぽうで、そんな霊的、宗教的イベントにも音楽、映画業界それぞれのコマーシャルな欲望が食い込んでもいたこと、それもまたいつの時代にも共通する苦い現実として見逃すわけにはいかない。ソウルの女王フランクリン絶頂期のコンサートをライブアルバムにするいっぽうで『モンタレー・ポップ』『ウッドストック』と往時、大ヒットを飛ばし、文化的現象ともなっていたコンサートの記録映画、そのアレサ・フランクリン版でまたヒットを、との思惑がハリウッドに渦巻いていたのもまた事実だろう。

フランクリンが移籍していたアトランティック・レーベルを傘下に収めたワーナーの重役テッド・アシュリーが製作を務め、ピンク・フロイドのドキュメンタリーを手掛けたジョー・ボイドが実作面の協力者として名を連ねて始動したフランクリンの映画プロジェクト、その監督として当初、ボイドは二本立上映を予定していた『スーパーフライ』(こちらも当時のトレンドのひとつだったブラック旋風映画の代表格)の撮影監督ジェームズ・シニョレッリ(「サタデー・ナイト・ライブ」に参画、ときくとベル―シ+エイクロイドの『ブルース・ブラザース』のこと、そこにフランクリンも登場していたなあなどとつい、脱線したくなるのだが)に白羽の矢を立てていたという。ところがボス、アシュリーは『ひとりぼっちの青春』でオスカー候補となり、レッドフォード主演の『大いなる勇者』を次回作に控える注目の監督シドニー・ポラックの起用を決めてしまう。『追憶』『コンドル』と続くレッドフォードとのコンビ作、あるいは『ボビー・ディアフィールド』と、ポラック監督作の面白さは今、もっと見直されてもいいと常々思っているのだが、72年の時点でその”話題の人″ぶりに目を奪われたスタジオの製作の判断は些か問題だったかもしれない。
ドキュメンタリーの経験のないポラックの下、集められた4,5人の撮影スタッフは16ミリフィルムを思う存分回し続け、臨場感あふれる映像を掬い取った。が、ロールごとに音声とのシンクロのためのカチンコの目印を入れるのを怠るという致命的ミスを冒してしまった。それでも時間が十分にあれば手作業でシンクロ作業を続けることも不可能ではないはずと、知人の記録映画制作会社元スタッフは語ってくれもしたのだが、それをするより『大いなる勇者』のお披露目上映のためカンヌに行くことをとったポラックにはその後も新作が続き、ボイドとの連絡が途絶え、フランクリンのコンサートを収めたフッテージはスタジオの倉庫で眠り続けることになったのだった。ポラックを責めるつもりはないけれど、俳優修業から監督に進出した彼にはドラマへの興味、その分野の演出力はあっても『ウッドストック』で製作助手のみならず編集も務めたスコセッシの場合のように音楽、そしてコンサート・フィルムに対する意欲や技術を存分に持ち合わせてはいなかった、といった事情もなくはなかったかもしれない。

その後の紆余曲折をかいつまむと、アトランティックでフランクリンのプロデューサーを務めたジェリー・ウェクスラー、彼の下で働いていた青年アラン・エリオットが90年前後、お蔵入りとなった映画のことを聞いて以来、発掘、復活に向け繰り返し私財を抵当に入れての努力を続けた結果、『アメイジング・グレイス』の感動が世界に解き放たれることになる。
その途中で他ならぬフランクリン自身による上映阻止の訴訟が一度ならず起こされもした。それは映画界でもスターにというソウルの女王の夢を打ち砕くことになった撮影後の顛末にフランクリンが深く傷つき怒ったからだろうと、エリオットはコメントしている。いっぽうでがんで逝去する間際、ポラックとコンタクトを取ったエリオットは彼が映画の完成に心を砕き、スタジオと交渉もしてくれた、共に完成に向けてアイディアを練り、女王と聖歌隊をあのワッツ地区の教会に再び招いて映画のエンディングにするといった案も飛び出していたのだと明かしている。極言すれば一度はキャリアのために完成を待たず放り出したプロジェクトへの後悔か、罪の意識か、監督ポラックのクレジットを同作から取り去るようにと逝去後、家族を通じてエリオットに要請されたという。また一時はドキュメンタリー『ブロックパーティ』(スタンダップ・コメディアン デイブ・シャペル発案のブルックリンでのライブ・イベントを記録)の腕を買われた監督ミシェル・ゴンドリーが協力、スケジュールの都合で離れた彼の推薦で編集のジェフ・ブキャナンが完成をめざしての作業で尽力したともエリオットは述懐している。

大急ぎで振り返ってみると映画の復活に向けてのドラマで新たな映画ができそうだが、そんな背景を知るにつけ歳月を経て届けられた映画、銀幕に刻まれたフランクリンの熱唱にいっそう深く神の恩寵とも呼びたいようなものを感じたくもなってしまう。

撮影:シドニー・ポラック『愛と哀しみの果て』 映画化プロデューサー:アラン・エリオット
出演:アレサ・フランクリン、ジェームズ・クリーブランド、コーネル・デュプリー(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、ケニー・ルーパー(オルガン)、パンチョ・モラレス(パーカッション)、バーナード・パーディー(ドラム)、アレキサンダー・ハミルトン(聖歌隊指揮)他
原題:Amazing Grace/2018/アメリカ/英語/カラー/90分/字幕翻訳:風間綾平 /
2018©Amazing Grace Movie LLC 配給:ギャガ GAGA★ 公式サイト
5月28日より、全国順次公開中です。