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生誕100年で蘇る奇才パゾリーニ/Cinema Discussion−43

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第43回目は、前回のルイス・ブニュエルに続き、映画史上に輝く巨匠ピエロ・パオロ・パゾリーニの特集上映を取り上げました。
パゾリーニは1922年イタリアボローニャ生まれ。
文学者としてキャリアをスタートしましたが、1961年に初監督、以降1975年ローマで悲運の惨殺事件が起きるまでに、21本の監督作品を残した唯一無二の作風の奇才です。
今回は代表作品の『王女メディア』1969年と、『テオレマ』1968年が、生誕100年を記念してリバイバル上映されます。
今回は映画評論家川口敦子と、川野 正雄の二人の会話でお届けします。

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

★今回、生誕100年を記念して4Kスキャン版として上映されるパゾリーニ監督作『テオレマ』と2Kレストアで蘇った『王女メディア』ですが、奇しくも前回のブニュエル特集同様、刺激的なアートシネマがきちんと公開され、シネフィルばかりでもない観客に届いていた70年代を感じさせる作品ともいえそうですね。で、あえてブニュエルの時と同じ問を繰り返しますが公開当時、監督パゾリーニや彼の作品をどのように受け止めていましたか?

川野 正雄(以下M):この2本の公開時は多分まだ小学生で存在も知りませんでした。
映画に興味を持ち出した中学生時代は『デカメロン』『カンタベリー物語』が公開され、話題になっていましたが、エロティックなキワモノ作品というイメージもあり、中学生で劇場に見に行くことはありませんでした。
本人が殺害された事もあり、表現的なタブーに挑戦している姿勢が報道され、スキャンダラスでアヴァンギャルドな監督という印象でした。
ただ当時作品は見ていないのですが、ビジュアルが強烈な『アポロンの地獄』と『豚小屋』の日本版ポスターを部屋に貼っていました。
『豚小屋』は骨が写っていたり、『アポロンの地獄』は、「目眩く光の中で母を犯す〜」みたいなキャッチコピーがついていて、母親が気持ち悪がっていた事を覚えています。
結局パゾリーニ作品を見る機会は、70年代は全く無く、過激だけど評論家の評価は高い巨匠という風に捉えていました。
今回資料でフィルモグラフィー見ると、僕がこれまでに見ているのは『テオレマ』と『デカメロン』の2本だけでした。
ですので、あまり今回パゾリーニ作品全般については、語れなさそうです。

MEDEA (c) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.

川口敦子(以下A):川野さんよりは年上なんですが、私も『テオレマ』『王女メディア』それに『豚小屋』が日本で立て続けに公開された1970年にはまだ中学生で映画は好き、でも自由に何でも映画館で見られるというわけでもなかったので、スクリーンで実際に見ることができたのはしばらく後になってからでした。でも、愛読していたスクリーン誌の執筆者によるベストテンでは『アポロンの地獄』がトップに選ばれていたり、双葉十三郎さんのぼくの採点表で『テオレマ』が☆4つ「奔放にして辛辣。パゾリーニって監督スゴいなァ」と高評価を得ていたりして、どんな監督なんだ、どんな映画なんだと気になる存在ではあったんですね。で、それから数年後、私の映画史的に決定的な衝撃作だった『暗殺の森』と出会って、ベルトルッチへの興味を通してその初監督作『殺し』の原案・脚本を手掛けたのがパゾリーニで、彼の監督デビュ―作『アッカトーネ』ではベルトルッチが助監督を務めていたと、要はベルトルッチの映画界入りの導き手としてパゾリーニを改めて注目するようになったように思います。なので後年、『リトル・ブッダ』が上映されたベルリン映画祭でベルトルッチに取材した時、『ラストタンゴ・イン・パリ』をパゾリーニが痛烈に批判して以来、決裂したといわれたりもしたけれど、パゾリーニが惨殺される少し前に、『ソドムの市』を撮っていた彼と『1900年』を撮影中だったベルトルッチ、そのふたつのクルーでサッカーの試合をすることになって、自らプレーに参加したパゾリーニが誰もパスしてくれないと怒って試合終了直前にゲームを放棄してしまった、楽しいい日だった――と兄を懐かしむように語ってくれた時にはなんだか鼻の奥がつんとするような気持になりました。
そんなサッカーのエピソードを聞いていたのでアベル・フェラーラがその死までを親密な眼差しで瞑想するように撮った『PASOLINI』で、少年そのままにゲームに興じる姿をウィレム・デフォーが素敵に体現しているのを見てまたまたうるっとなりました(笑) 脱線しますがこのフェラーラ作品には母役でパゾリーニ作にも縁があり、ベルトルッチの『革命前夜』の忘れ難いヒロインでもあるアドリアーナ・アスティが出ていたり、『テオレマ』のメイド役が忘れ難く、パゾリーニと公私ともに固い絆で結ばれていたラウラ・ベッティ(マリア・デ・メデイロス演)を印象的に登場させたりと、フェラーラのパゾリーニ愛が感じられる快作です。
だらだらになりましたが、パゾリーニに関して同時代的にはきちんと作品とも生涯とも向き合わずにきてしまったなあと後ろめたいような気持が大きいですね。

『王女メディア』
MEDEA (c) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.

★改めて今、往時のパゾリーニを見てどんな感想を? 70年代当時に感じていたこととどう違いましたか? あるいはそれほど違わない印象ですか?

M:『テオレマ』は、この頃のテレンス・スタンプ作品、『コレクター』『世にも怪奇な物語』『唇からナイフ』が好きで、ビデオ化されてからかなり早く鑑賞し、これまでに2回ほど見ています。
今回『テオレマ』は、4Kスキャン版という事ですが非常に色がクリアで、映像の美しさや表現力が強く伝わってきました。
フィルム版はもっと粗いザラザラ感があり、それはそれで良かったのですが、全体がすごく沈んだトーンになっていた印象があります。
4Kスキャン版で鮮明になった画面を見る事で、パゾリーニの意図もより伝わりやすくなったと思います。
例えば服装の色です。テレンス・スタンプは常にベージュ〜茶系のシンプルな服装のコーディネートでした。終盤シルヴァーナ・マンガーノが街を彷徨う場面で、このカラーコーディネートは微妙に効いてきます。
使用人ラウラ・ベッティのグリーンも同様です。
以前見た時もグリーンは残像に残っていたのですが、より鮮明になりました。
驚いたのは、男が去った後のカオスな展開が、全く記憶に残っていなかった事でした。
今回は改めて終盤の展開のカオスさも、しっかりと受け止め、冒頭のシーンとのつながりなども理解する事が出来たのは、良かったです。
ミラノ郊外の街の空気や車、建築、風景、全てに演出が行き届いて、パゾリーニが名匠と言われる由縁もよく理解できました。

『王女メディア』は初めて見ました。以前部屋には『アポロンの地獄』と一緒にフェリーニの『サテリコン』のポスターを貼っていました。
こういったギリシア神話的というか、寓話的な世界観の映画に憧れていたのだと思います。
そういった意味で『王女目メディア』は、いきなりケンタウロスが登場するなど、神話の世界観がすごく圧倒されます。

A:『テオレマ』は私も色のきれいさ、とりわけテレンス・スタンプのブルーの瞳の青さにぶるっと鳥肌がたつみたいに惹き込まれました。二番館でだったりビデオで見たりだったので、川野さんも仰るミラノの郊外の空気の感触とか、今回、すごく新鮮に迫ってきました。実際に見てからしばらく経って、改めて見直すこともないままメディアでの紹介のされ方に毒された部分もあって(笑) 『テオレマ』というとスタンプの強烈な印象と共にストレンジャーがやってきてブルジョワ一家をかき回すって前段の部分ばかりを記憶してしまっていたんだなあとそれも今回、改めて反省した部分です。ラウラ・ベッティ演じるメイドのエミリアが田舎に戻って聖なる存在となっていく展開は、アリーチェ・ロルヴァケルの『幸福なラザロ』とも通じるような、清冽な力強さを感じさせて魅了されました。
『王女メディア』は日本の地唄を始めイランやチベット、インドの民族音楽の取り入れ方が改めて今、見るとあの時代だなあと、古びているといいたいのではないんですが、やっぱり”あの頃″感に包れてじわりとくるんですね。音楽監修を務めたという作家エルサ・モランテと夫のアルベルト・モラビアとパゾリーニは60年代の初め、インドへの旅行を共にしていて、そうしてここでも彼らの仏教への興味の先にベルトルッチのそれも浮かんでくる。興味深い関係なんですよね。

★『テオレマ』はテレンス・スタンプ、『王女メディア』はマリア・カラスの映画としてそれぞれの魅力を感じさせますね?

A:マリア・カラスはちょうどこの映画に出た頃、中学時代の一番仲のよかった友達がクラシック音楽やオペラのファンで、カラスのことは彼女を通じて聞いていたんですね。ジャッキー・ケネディとオナシスをめぐるワイドショー的情報も含めて。まあ、どちらかといえばそんな邪な興味が先行していたんですが、この映画のカラスの筋を超越した存在の並々ならぬ重み、華やかな威圧感とその先にたちのぼる悲しみの纏い方、重厚なのにはかない感じ、凄いです。

テレンス・スタンプの素敵は川野さんにおまかせして語っていただいた方がいいと思うんですが(笑) 昨年、見た『ラストナイト・イン・ソーホー』の快/怪演も相変わらず謎めきオーラで光ってましたね。というように今もスターとして健在なわけですが、極論すればやはり『テオレマ』なくして――という部分はあるんじゃないでしょうか。

M:実はマリア・カラスに関しては、名前くらいしか知識がなく、あまりコメントできないのですが、このメディア役は本人が希望したという事が頷ける存在感ですね。美しさも王女としての気品も、呪術師的な神秘性まで、完璧なキャスティングに思えます。

テレンス・スタンプは、当時の彼の十八番的な謎を秘めた若者役ですが、英国のロックミュジーシャンぽい彼の魅力がよく出ています。
テレンス・スタンプの魅力の一つは目の冷たさですが、この作品ではそれが鮮明ですね。この映画では抑えた演技に終始しますが、明らかに裏に何かある独特の雰囲気と、そこから生まれる存在感。無言の恐怖感や悪意を伝えるのが、テレンス・スタンプはうまい。
ちょと変質的な役どころもピッタリですが、『テオレマ』の彼は、何が目的だったのか、背徳的な行為と合わせて、登場人物も観客も振り回します。
フランス版のメトロサイズ大判ポスターと、アメリカ版のオリジナルポスターを持っていますが、両方ともテレンス・スタンプの顔のアップが、なんとも言えない不穏な空気でデザインされています。

「テオレマ」アメリカ版ポスター

★演技にしても音楽、衣装、美術にしてもいわゆるリアルさとは別のところで成立していますが、そのあたりをどんなふうに見ましたか?

A:『王女メディア』の衣装がピエロ・トージなら美術はその後、テリー・ギリアムの『バロン』やスコセ-ジ『エイジ・オブ・イノセンス』等々でその道の巨匠となるダンテ・フェレッティが担当しているんですね。それも彼26歳、映画のキャリアの最初期の仕事として注目したいですね。監督はもちろんですがイタリア映画界が美術、衣装、音楽(『テオレマ』はエンニオ・モリコーネ、トルナトーレが撮った彼のドキュメンタリーが日本でも公開される予定でしたが少し先になったみたいですね)と才能を輩出していた時代でもあったんですね。質問とちょっとはずれますが、でも、リアルを究める徹底ぶりがある一方で単なるリアル、本当らしさでない所でも勝負できた、才能を生かす環境があったということですよね。いい時代だったといってしまったら身も蓋もないですが・・・。

M:『王女メディア』は、セット、衣装、ヘアー含めて、クリエイティブのデザイン力が圧倒的すぎるくらいの迫力で、予算も気になってしまいますが、今の時代にCG使わずに再現しようとしたら、大変なことになるだろうなと想像してしまいました。
その辺はヴィスコンティ作品のプロダクション・デザイナーピエロ・トージの存在が大きいのだと思いますが、この時代のイタリアの巨匠たちは、作品の予算とか回収とかそういう事お構いなしに、徹底した要求をプロダクション・デザイナーにしているのだと想像します。
日本の三味線曲含めた土着的な音楽の使い方も素晴らしいですし、刺激的です。
ブルガリアン・ヴォイスのような曲もあり、このエキゾチック感はたまりませんね。
『テオレマ』も、衣装、小物、セットなど、すごく念密にプランニングされていると感じました。
もちろんそこはパゾリーニ本人の拘りを表現しているのだと思いますが、グラマラスな美術も、日常的な小物も、共通するのはセンスの良さと、独特のオリジナリティです。
これは映像の質も同様に感じています。

★2本のパゾリーニ映画の特にここを見てほしいというポイントは?

M:『王女メディア』は、やはりパゾリーニ流ギリシア神話の世界観を、存分に味わうという事でしょうか。
『テオレマ』は、突然の訪問者によって家族が崩壊していくという設定が、その後多くのフォロワーを生んだのではないかと思っています。

アカデミー賞受賞作品の韓国映画『パラサイト』には、影響を感じます。
『ユージョアル・サスペクツ』のブライアン・シンガー監督が、デビュー作『パブリック・アクセス』で来日した際に、やはり『テオレマ』の影響の質問が、取材で出ました。
ブライアン・シンガーは、しかし『テオレマ』を知りませんでした(笑)。
パゾリーニは、1975年53歳で殺されているのですが、生きていれば多分70歳の1992年位までは、監督を続けていたと想像します。
そうするときっと10本くらいは監督出来たと思うので、彼の不慮の死は、世界の映画界にとって、大変な損失だったなと、改めて感じました。

A:『テオレマ』はテレンス・スタンプもですが、能面みたいなメークでデビュー当時の健康美を脱却、独特の世界を築いていたシルヴァーナ・マンガーノ、そしてアンヌ・カリーナ以後のゴダール映画を支えたアンヌ・ヴィアゼムスキー、さらにさきほどもふれたラウラ・ベッティと昨今なかなかみつからないそれぞれの美を究めている女優たちにも注目したいですね。

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

3月4日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
配給:ザジフィルムズ 公式HP


『テオレマ 4Kスキャン版』
北イタリアの大都市、ミラノ郊外の大邸宅に暮らす裕福な一家の前に、ある日突然見知らぬ美しい青年が現れる。父親は多くの労働者を抱える大工場の持ち主。その夫に寄りそう美しい妻と無邪気な息子と娘、そして女中。何の前触れもなく同居を始めたその青年は、それぞれを魅了し、関係を持つことで、ブルジョワの穏やかな日々をかき乱していく。青年の性的魅力と、神聖な不可解さに挑発され、狂わされた家族たちは、青年が去ると同時に崩壊の道を辿っていく…。

原案 / 監督 / 脚本 : ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影 : ジュゼッペ・ルッツォリーニ
音楽 : エンニオ・モリコーネ
出演 : テレンス・スタンプ、シルヴァーナ・マンガーノ、アンヌ・ヴィアゼムスキー
1968年 / イタリア / 99分 / カラー / 1:1.85 ビスタビジョン / 日本語字幕:菊地浩司

『王女メディア』
イオルコス国王の遺児イアソンは、父の王位を奪った叔父ペリアスに王位返還を求める。叔父から未開の国コルキスにある〈金の羊皮〉を手に入れることを条件に出され旅に出たイアソンは、コルキス国王の娘メディアの心を射止めて〈金の羊皮〉の奪還に成功。しかし祖国に戻ったイアソンは王位返還の約束を反故にされ、メディアと共に隣国コリントスへ。そこで国王に見込まれたイアソンは、メディアを裏切って国王の娘と婚約してしまう。メディアは復讐を誓い…。

監督 / 脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作:フランコ・ロッセリーニ
撮影:エンニオ・グァルニエリ
衣装:ピエロ・トージ
出演:マリア・カラス、ジュゼッペ・ジェンティーレ、マッシモ・ジロッティ
1969年 / イタリア=フランス=西ドイツ / 111分 / カラー / 1:1.85 ビスタビジョン / 日本語字幕:関口英子

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

男と女の欲を描いたルイス・ブニュエル大特集/Cinema Discussion-42

『小間使の日記』© 1964 STUDIOCANAL FILMS Ltd

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2022年の第1回目が第42回目となります。
今回は新作ではなく、巨匠ルイス・ブニュエルの後期作品をデジタルリマスター版で特集上映に登場する6作品を紹介致します。
ルイス・ブニュエルは1900年スペイン生まれ、そして20世紀を代表する巨匠です。
今回は1964年の『小間使いの日記』から、遺作となった1977年の『欲望のあいまいな対象』までの作品です。
カトリーヌ・ドヌーヴ、ジャンヌ・モロー、モニカ・ビッティなど当時のヨーロッパを代表する女優たちが出演しています。
『小間使の日記』
『昼顔』
『哀しみのトリスターナ』
『ブルジョワジーの秘かな愉し
『自由の幻想』
『欲望のあいまいな対象』
今回は映画評論家川口敦子と、川野 正雄の二人の会話でお届けします。

『昼顔』
©1967 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights reserved.

★今回の特集上映は70年代の作品にフォーカスしたものですが。公開時、リアルタイムで経験したものはありますか? 当時、監督ブニュエルや彼の作品をどのように受け止めていましたか?

川野 正雄(以下M):『ブルジョワジーの密かな愉しみ』は、確かATG配給日劇文化でロードショー公開したと思います。その時に観に行きました。
上映終了後わけがわからないと、一緒に行った友人たちがブーイングだった事を、よく覚えています。
高校1年生には理解しにくい映画でしたが、自分自身はこのついていけない感じを楽しんでいました。
後年DVDで見返して、面白さの本質をようやく理解する事ができました。
不条理劇ですが、根底に流れる性欲や食欲、快楽の追求といった人間の本質を茶化したシニカルなユーモアは、ブニュエルならではのものですね。
また今回の特集上映では、一番起用されているのが、フェルナンド・レイだと思います。
その後『欲望のあいまいな対象』も、リアルタイムで見ていますが、『ブルジョワージー〜』ほどの強烈なインパクトはなく、ほとんど記憶がなかったので、改めて今回見直し、二人一役の攻める演出を堪能しました。

川口敦子(以下A):私も『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』が公開時に見た初めてのブニュエルだったと思います。大学に入った年かな。それ以前、中学、高校時代に愛読していた映画誌で『哀しみのトリスターナ』が高く評価されていて、脚フェチの巨匠みたいなこともいわれていて好奇心を募らせつつ、実際に、スクリーンで見たのはずっと後になってでした。
改めて振り返るとシュルレアリスム以来の巨匠として名前としては親しんでいたけれど実際に映画として親しんだのはメキシコ時代の作品がまとめて公開された80年代末だったのかなあと思います。
そういえば今回、ねずみをめぐる場面が『小間使いの日記』や『欲望のあいまいな対象』に出てきて思い出したんですが、川野さんと哲生くんとチェルシーホテルに泊まってねずみが部屋に現れてポーターのお兄さんを呼んで退治してもらうって事件があったじゃないですか(笑) で、その晩だったように記憶しているんですが、なぜかブニュエルの話になって、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』の名前も出たんですが、私がマルコ・フェレーリの『最後の晩餐』とごちゃまぜにしていて、それを川野さんに違うって叱られたなあ(笑) と懐かしく思い出したりもしました。まあお恥ずかしい限りなんですがその程度の不熱心なブニュエルの観客だったわけですね。

『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』
© 1972 STUDIOCANAL. ALL RIGHTS RESERVED

★改めて今、往時のブニュエルを見てどんな感想を? 70年代当時に感じていたこととどう違いましたか?

A:というわけで不熱心な観客だったので気づかなかったんだと思うのですが、アルトマン――すみません、どこでもドア的にいつでもどこでもつい引っ張り出したくなるんですが――ブニュエルを見ているし、好きだったんだろうな、と今回、いきなり確信したくなりました。『自由の幻想』のあのとりとめもなく脱線して続いていく挿話、その落ち着かなさの感触は『ナッシュビル』と結ばれていきませんか? 「無神論者でいられることを神に感謝」みたいな発言からも窺えるブニュエルの挑発的な権威への突っかかり方ひとつとってもアルトマンと通じてますよね。『三人の女』が夢から生まれたって挿話にしても、ブニュエルの影を感じるし、今回は上映されませんが『ビリディアナ』でレオナルドの「最後の晩餐」をパロディにした、アルトマンが『M★A★S★H』でそれをしたのもどこかで意識していたからじゃないかと、そんなふうに妄想を膨らませる愉しみ、これもまとめてブニュエルを見た成果かもしれない(笑) そうそう『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』のポスター、唇に脚がはえてるって図柄、これは逆に『M★A★S★H』のピースマークに脚ってポスターからヒントを得ていなくもないようで、ブニュエル自身はあのデザインをあまり気に入っていなかったというのも、流行りものを意識した宣伝の態勢に苦虫かみつぶしたのかなと、なんだかナットクできる気もしてきますよね。
もうひとつ、『昼顔』もオリヴェイラが”その後″を夢も妄想も駆逐した現実の地平を守って撮った『夜顔』を見た今、改めて見直すと謎の小箱とか娼婦の部屋の裸体画とか懐かしい記憶の往還が成り立って奇妙に面白みの奥行が増幅する快感を味わえました。ぜひ2本立てでの公開もお願いしたいですね。

M:他の作品は、当時は見ていないですね。『哀しみのトリスターナ』は、タイトルから違った印象を持っていて、対象外と思っていました。
その頃60〜70年代のキネマ旬報ベスト10をともかく見るという目標を立てていました。またパゾリーニ、アントニオーニなどと並ぶ名監督として、ブニュエルの映画を見たいと思っていたのですが、ともかく機会を見つけられませんでした。その頃見たかった『ビリディアナ』『皆殺しの天使』『アンダルシアの犬』といった作品は、未見のままです。
今回の中では『昼顔』は、いつという記憶は曖昧ですが、メジャータイトルでもあるので、『ブルジョワジーの密かな愉しみ』に続いて見たブニュエル作品です。
夢と現実が途中で混在したり、時間軸が一気に飛んだりするなど、どの作品でもブニュエルは観客を翻弄するのが、この6本全部を見てわかりました。
またすごく前衛的なアート作品監督というイメージを持っていましたが、『さらば友よ』『乱』のセルジュ・シルベルマンがほとんどの作品のプロデューサーである事も、今回初めて認識しました。
フランスの娯楽大作プロデューサーのシルベルマンが続けて製作しているという事で、芸術性と商業性の両立を目指していたという点も理解出来ました。
また今回の資料を見て、原作ものとオリジナル脚本作品では、かなり違うなとも感じました。
『ブルジョワジーの密かな愉しみ』と、『自由な幻想』は、オリジナルならではの破天荒さがありますね。
『小間使いの日記』など何度も映画化されている原作あり作品は、性的なテーマが本質として潜み、それをどうブニュエルが料理するかがポイントなのではないかと思います。

『自由の幻想』
© 1974 STUDIOCANAL FILMS Ltd

★わかりにくいものが受け容れられにくい今、どんな反応を期待していますか?

M:説明が難しかったり、観客に判断を委ねる部分はありますが、決して難解だったり、退屈な映画ではないと思います。
説明がつかないだけで、テンポも良く、エンターティンメントな要素もある面白い作品ばかりなので、決して現代で受け入れられない作品ではないと思います。
その辺はプロデューサーのシルベルマンの功績でしょうか。
何だかわかりにくいけど、面白い映画だった、女優が綺麗な映画だった、そんな反応を期待します。

A:川野さんも仰るようにわからないけど面白い、エンターテインメント作品ですよね。
もちろん、宗教、同時代の政治、社会への眼も見逃せませんが、付け焼き刃な主張でなく1900生まれ、20世紀の歴史を生き、そこで磨いた反骨精神を逞しく備えているから『小間使いの日記』のエンディングにしても『自由の幻想』や『欲望のあいまいな対象』にある往時のヨーロッパのテロへのブラックな風刺も浮ついていない、だから愉しめます。

★6本の上映作の中で特にお勧めしたいのは? それはなぜ?

M:カトリーヌ・ドヌーブの2本『昼顔』『哀しみのトリスターナ』と、ジャンヌ・モローの『小間使いの日記』の3本は、女優も素晴らしく美しい作品です。
いずれも原作もので、難解さというよりも、女性の毒性が光る作品です。
特に『小間使いの日記』は、今回の中では唯一のモノクロ作品ですが、全編が見事にストイックな演出で見せる作品と思います。
時代背景の理解は必要ですが、右派の描写など、政治的な意味合いも強いので、その辺はもう少し学習が必要でした。
でも今回一番おすすめなのは、一味違う毒性の『哀しみのトリスターナ』ですね。
この映画のフェルナンド・レイとドヌーブの関係の異常さは、ブニュエルならではの欲望とストイックさが同居する不思議な世界です。

A:『小間使いの日記』、いいですね! 森の少女のタイツに這うカタツムリとか、モノクロの峻厳にひきしまった画調に艶かしい危なさが食い込んで、うっとりと見惚れてしまいます。少女への暴行とかをそこだけ取り出して殊更に問題視する昨今の短絡的な傾向からして映画が断罪されないか心配になる部分もありますが……。神を否定しながら神のことを人一倍深く考えていたアーティストの世界、そこに描かれた罪、背徳、悪/善といったことを考える、感じる機会として受け容れたいと思います。

『哀しみのトリスターナ』
© 1970 STUDIOCANAL. ALL RIGHTS RESERVED.

★上映作の女優達、俳優たちの魅力は? それぞれ様々な監督作で活躍している俳優たちですが、ブニュエル映画ならではの魅力はどのあたりに?

M:ブニュエル作品では、本質がエロ親父の紳士役が多いフェルナンド・レイですが、この当時は『フレンチ・コネクション』の悪役のイメージが強かったので、ちょっと意外な印象だったこともよく覚えています。
カトリーヌ・ドヌーブ、ジャンヌ・モローといったスター女優起用は、シルベルマンの方針かなとも思いました。
ジャンヌ・モローのメイドもすごく美しく驚きましたし、二人一役の『欲望のあいまいな対象』の入れ替わる二人の女性も美しいです。
『昼顔』のドヌーブは、サンローランの衣装が素晴らしく、モロッコにあるサンローランのミュージアムで展示されていたドヌーブの写真を思い出しました。
改めて見てみると『昼顔』の時の写真もあります。
またドヌーブに限らず、今回はどの作品でも、男性女性に限らずのファッションの見どころも多い作品だなと感じました。

A:これまた微妙にあぶない発言になってしまいますが『小間使いの日記』のジャンヌ・モローにしても『昼顔』『哀しみのトリスターナ』のドヌーブにしても、黒に白い襟の修道女見習い的な、制服にも通じる禁欲のエッチ感が冴えて素敵。特に仏頂面にエロティシズムが映えるんですね。フェルナンド・レイ、ミシェル・ピコリの紳士の風体の裏面をにやりと思わせる佇まいも凄い! ちょっと外れますがそういう人々が生息する欧州のブルジョワ階級の環境、居場所、これはヴィスコンティの映画にもいえますが、日本映画にああいう真の有産階級ぶりがなかなか描けない残念さをなんだか改めて感じてしまいました。といいつつ個人的に好きなのは『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』のビュル・オジェのイエイエ娘感ですね(笑) これも『夜顔』の彼女、あとピコリと見比べてほしいなあ。

『欲望のあいまいな対象』
© 1977 STUDIOCANAL FILMS Ltd

ルイス・ブニュエル特集上映 デジタルリマスター版 男と女
2022 年1 月21 日(金)~2 月10 日(木)、角川シネマ有楽町にて開催中。

公式HP:bunuel-filmfes-japan.com