私が初めてモロッコ料理を食べたのは、1986年に行ったパリ。サンジェルマン・デ・プレからカルチェラタンの方に歩いて行くと、何件かモロッコレストランが並んでいる一角がある。クラッシュの「ROCK THE CASBAH」やオフラ・ハザが聞こえてくるような中東のエッセンスと、意外に食べやすいクスクスのファンに、あっという間になってしまった。フランス領だったモロッコのレストランはパリに多いので、パリに行くと、フレンチよりもモロッコ料理が楽しみになっていた。
A :私がガス・ヴァン・サントにインタビューした時、彼はバロウズのグルーピーだと言ってはにかんだみたいに笑ってました。その一言でいっきに親近感が増しましたね。彼の場合はほんとは深くビートを掘り下げ生き方の面でも自分の作る映画でもその精神を受け継いでると思いますが、グルーピー感覚も残しているところが素敵というのかな。彼自身、ケルアックがニール・キャサディを「路上」で外側から見て描いたように、バロウズのような実践者ではなく、どちらかというと、見ている側の人間だと考えているようでした。そう聞いてみると『ドラッグストア・カウボーイ』の主人公も『マイ・プライベート・アイダホ』のキアヌが演じる市長の息子も、結局、踵を返す、旅にとどまれないケルアック的存在で、観客もそこについ自分を重ねたくなったりするのではないでしょうか。
名古屋靖(以下Y):僕の「On The Road」とジャック・ケルアックの漠然としたイメージは、「On The Road」の主人公のモデルとなったニール・キャサディだったんだと思います。サイケデリックなバスで全米を旅しながら、各地でアシッドテストと言う名のPartyを開催しつつLSDをばらまいたケン・キージー率いる「メアリー・プランクスターズ」の主要メンバーで、そのバスの運転手がニール・キャサディ。そんなニール・キャサディ自身のハチャメチャぶりがまさに「On The Road」であり、彼とケルアックが巡り会わなければ、ケルアックは「King of the Beats」にはなれなかったと思われます。
映画を観るとケルアックは実にまともです。彼を良く知る方はなるほど納得の内容でしょう。しかし、ビートニクの派手な側面にばかり目を向けていた自分には、申し訳ないけれども彼のリアルな人生には少なからず失望させれらました。ケルアックはビートニクというよりビートニクの観測者であり理解者だったんだと思います。アルコール依存などはミイラ取りがミイラになっただけで、彼自身はニール・キャサディやバロウズのような筋金入りのビートニクではなかったんでしょうね。
M: JAZZといえば、バロウズに会った時、僕がブルース・ウェーバーのチェット・ベイカーTシャツを着ていたら、バロウズが「1950年代に彼に会ったことがあるが、ひどいジャンキーだったよ」と言ってました(笑)。チェット・ベイカーをブルース・ウェーバーが撮った『LET’S GET LOST』も、ビートニク的な作品かもしれませんね。
A:『LET’S GET LOST』と同じ年にイーストウッドが製作総指揮の『セロニアス・モンク/ストレート・ノー・チェイサー』という記録映画もあって、確かベルリン映画祭で一緒に上映していてすごくよかったですね。イーストウッドにはやはり88年にC・パーカーに迫った監督作『バード』もある。
T: ケルアックやチェット・ベイカーの時代では、JAZZがすごくヒップだったんでしょうね。
「オン・ザ・ロード」のケルアックは名古屋君も先に言っていたように、観察して、共感する人だと言うことが映画の中でも語られていますね。ビートの本質は「退屈でない」、「知識人でない」、「西部の太陽の子」モリアーティことニール・キャサディが体現していたのでしょうね。でもお互いの無い物ねだりなのだと思います。
この無い物ねだりはウォーホルの『ロンサム・カウボーイ』のジョー・ダレッサンドロにも重なる様に私には思えます。
A: 映像メディアにのった作家の時代なのかな。同時代の映画との近さも強く感じます。J・ディーン、ブランド、P・ニューマンとメソッド系の反抗児のイメージを掲げたスターたちとか。第二次大戦中から後にかけての青年の疲れの感じとかまで見渡すと40年代スターも視界に入れたポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』も意外にビートニク映画だったかも。
声をともなう文学でもあるので、本人たちを映像に残す意味もありますね。
その意味でビートをめぐるドキュメンタリーの多さもすごく感じます。
ビートニクというのは、映画祭でもすごく普遍的な、人気のあるテーマで、扱った作品も多いと思います。さっきもいったベルリンでは(私が通っていた頃だからちょっと昔のことになりますけど)フォーラムとかパノラマとか、メインのコンペではなく、ちょっとくせのあるセレクションをする部門で毎年、関連するドキュメンタリーを必ず上映していたし、サンダンスでも多いですよね。
ヴェネチア映画祭では、1996年the beat goes onという特集上映がありました。その際に『キャンディ・マウンテン』の ロバート・フランクの 『Pull My Daisy』『Me and My Brother』 や、『スウィンギング・ ロンドン』のピーター・ホワイトヘッド監督作品『Wholly Communion』を上映していました。
面白かったのはビートニクをめざとく商売にしたロジャー・コーマン監督作『血のバケツ』とかジョージ・ペパード、レスリー・キャロン、そしてアルトマンの『三人の女』にも出てるジャニス・ルール共演の『地下街の住人』なども同時に上映されていたこと。同時代的に映像化、商品化される文学でもあったんですね。
M:これは原題が『Tonight Let’s all make love in London』で、テーマもFREE LOVE, FREE SEXや、反体制主義みたいな内容のインタビューが中心だから、ビートニクのムーヴメントとは、一線を画している印象ですが、出演者の人選が非常に興味深かったです。
ミック・ジャガーやマイケル・ケイン、ジミヘンなどは当然という感じですが、バネッサ・レッドグレイブやジュリー・クリスティなどは、ちょっと意外でした。彼女達は、今で言うカルトヒロインみたいなパブリック・イメージだったのかなって。
でもリー・マービンや、ナタリー・ドロンは、何故出てくるのか、ちょっとわからなかった。
リー・マービンは、『ポイントブレイク』とか格好良かったけど、アメリカのタフガイ俳優というイメージでしたから。
音楽だとスティーブ・マリオットやジョージ・フェイムあたりに、出演して欲しかったな。
M:ギンズバーグやバロウズは、とてもフットワークが軽く、色んなアーチストとコラボする事で、結果的に自分達のフォロワーを拡大していったように思います。ギンズバーグはディランの『ドント・ルック・バック』にも出ているし、クラッシュとはツアーまでしていますね。
この二人が長生きした事で、ビートニクは普遍的なカルチャーになっていったと思います。
ジェームス・グラワーホルツの譲渡の逸話もありますが、二人の関係も長い間継続していたのではないかと思います。
これは僕がサンダンス映画祭に行った際、見つけたギンズバーグの短編です。音を聞くとクラッシュみたいですが、ポール・マッカートニーとのコラボした”BALLAD OF THE SKELTONES”です。