60’s Pop Musicの仕事人達を描いた 『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』/ ”THE WRECKING CREW”/

©2014,Lunchbox Entertainment
©2014,Lunchbox
Entertainment

60年代LAで活躍していたスタジオミュージシャンを描いたドキュメンタリー『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』が公開されている。
今の時代は、参加ミュージシャンはクレジットされるのが当たり前になっているが、1960年代には、殆どスタジオミュージシャンの名前が表に出る事が無かった。
この映画は、スタジオミュージシャン集団レッキング・クルーのギタリストであり、リーダー格だったトミー・テデスコの息子デニー・テデスコが、父親達の軌跡を埋もれさせない為に制作したものである。ただ使用される130曲の楽曲の著作権クリアにお金と時間を要し、18年の年月とクラウドファンディングの助けを借りて、ようやく完成にこぎつけたという背景を持つ。
僕は彼らの存在を、残念ながら全く知らなかった。
キネマ旬報のピーター・バラカンさんの評を読むと、モータウンやスタックスなどのレーベルはには専属ミュージシャンがいたというし、ジャマイカのレゲエレーベルスタジオワンでも独特のサウンドを創り出すメンバーがいたが、LA,NYではそういう存在はなく、フリーのスタジオミュージシャンが多数活動していたようだ。

©2014,Lunchbox Entertainment
©2014,Lunchbox
Entertainment

レッキング・クルーはその中でも、フランク・シナトラやエルビス・プレスリーのような超メジャーアーチストから、ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクル、バーズ、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド、フィフス・ディメンションなど、一つのカテゴリーや時代を創り出したアーチストに大きく貢献をしているチームである。
ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンは、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドに影響を受けて、レッキング・クルーを起用し大きな成功を収めたのだが、彼らの存在をしっかりウォッチすると、当時のLA音楽シーンのネットワークが見えてくるのではないかと思う。

このドキュメンタリーの中で、僕が最も注目したのは、前述したフィル・スペクターがプロデュースするウォール・オブ・サウンドとザ・モンキーズである。
ウォール・オブ・サウンドの代表曲はロネッツの名曲『ビー・マイ・ベイビー』だ。
遥か昔の話になるが、映画『さらば青春の光』を見て、一時期は毎日スペクターサウンドを聴いていた。
オーバーダビングを多用し、ラジオ用にモノラル録音に拘り、誰もが好むようなガールズポップを次々に産み出したフィル・スペクターの音楽シーンに与えた影響は計り知れなく、それを陰ながら支えたのが、レッキング・クルーということになる。

70年代になると、レッキング・クルーは、カーペンターズの世界的大ブレイクにも貢献する。
デビュー前のカーペンターズは、サイケデリック全盛のLAで、地道に自分達のサウンドである美しいポップミュージックを追求していたグループだ。
この映画にも度々登場するA&Mのハープ・アルバートに見出され、メジャーデビューをしているので、レッキング・クルーの起用は必然であった。
サウンド的にはフィル・スペクターの影響を感じされる楽曲が初期には多く、大ヒット曲『スーパースター』は、映画の中でもレッキング・クルーの一員的な位置づけで登場するレオン・ラッセルの作曲である。
あまりにもメジャーな存在で、日本ではイージーリスニングの代表としてやや軽く扱われている一面もあるが、カーペンターズのサウンドは、フィル・スペクターのようなポップミュージックの基盤に立脚しているという事を、改めてこの映画を見て感じることが出来た。

ザ・モンキーズは、自分にとって特別な存在のグループである。何と言っても最初に買ったレコードが『モンキーズのテーマ』なのだ。
この映画の中では初めて(なのかな)と言ってもいいのではないかと思うが、ミッキー・ドレンツとピーター・トークというメンバー自身によって、モンキーズの真実が語られる。
僕が一番好きだったメンバーは、一番地味でミュージシャンらしいピーターだった(以前小山田圭吾さんとモンキーズについて話した際、彼もピーターが一番好きだと言っていた)のだが、現在の彼の口から真実が語られる事に、小さな興奮を覚えた。
自分が小学生だった時代だが、モンキーズが来日して武道館公演が放送され、「スター千一夜」に出演する生の彼らの姿を見て、TVとは違いヒッピーのような様相だったので驚いた事を、よく覚えている。その時も裏では別のミュージシャンが演奏しているという疑惑が持ち上がっていた。
実際リーダー格のマイク・ネスミスが演奏問題でマネージメントともめるなど、人気グループゆえの様々な問題を抱えていたらしい。
その辺はアイドルとミュージシャンの狭間で同じように悩みを抱えていた同時代の日本のグループサウンズにも、相通じる部分がった。
しかしLIVEからの叩き上げであった日本のグループサウンズとの決定的な違いは、モンキーズがオーディションによって集められたグループであり、演奏力以外の部分で、メンバーが決まっていった部分である。
落ちていたメンバーの中には、スティーヴン・スティルスや、後年ラヴィン・スプーンフルや、スリー・ドッグ・ナイトに加入する実力派のメンバーがいたという伝説になっている。
そういう芸能的な事情があるグループだけに、レッキング・クルーへ大きく音楽的に依存していた事も、容易に理解できる。
例えそうであっても、モンキーズのポップで、美味しいどこ取りをしたようなヒット曲の数々は素晴らしく、今聴いても全く色褪せていない。
ビートルズやビージーズのようなロック的なサウンドから、後年登場するアバのようなポップなサウンドまで、モンキーズのジャンル的懐が深いのも、レッキング・クルーがあっての事であろう。

パンクアンセムになっている『STEPPIN’ STONE』や、忌野清志郎さんもカバーした『デイドリーム・ビリーバー』など、現在まで生き続けている曲も多い。
1967年にリリースされた『スターコレクター』は、この時代らしいスカビートに、サイケデリックを混ぜたアップテンポの傑作だが、皮肉なのかギャグなのか、ビデオではピーターとマイクがエアギターを弾いている。
こういった楽曲のクオリティと守備範囲の広さは、レッキング・クルー無しでは生まれなかったのではないだろうか。
一番人気だったディヴット・ジョーンズは既に鬼籍に入っている(デヴィッド・ボウイは、彼と同姓同名だった為、ボウイと名前を変えたらしい)が、最近ミッキーと、ピーターで再結成し、ポール・ウェラーやノエル・ギャラガーが楽曲を提供するという話も聞いている。

https://youtu.be/3TCOggiUGHk

映画『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』は、見た方一人一人の音楽的体験で、様々な入り口や思い出が見つかってくる作品だ。
1960年代のポップミュージックが好きな方には、是非体験して見て頂きたい記録映画である。

2016年2月20日(土)~3月4日(金)
新宿シネマカリテほか、2週間限定モーニング&レイトショー!
2014/アメリカ/101分/1.78/ドキュメンタリー

MIX CLOUD LCR Disco-25

今月も80年代初期物を中心に
いろいろ混ぜています。
下記LCR Disco-25のリンクボタンを押して頂くと、
MIX CLOUDのページにジャンプします。
楽しんで頂けたら幸いです。

LCR Disco-25
shuroom

  1. Just a Groove / GLEN ADAMS AFFAIR 1980
    LEE PERRY&THE UPSETTERSのkeysを始め、70年代にジャマイカで活躍したGLENROY PHILLIP ADAMSがGLAN ADAMS AFFAIR名義で放ったモダン・ブギー12inch。70年代中期から80年代に掛けてフロアで支持を得たSAM Recordsの人気シングルです。

  2. Clock on The Wall (instr.) / DOUBLE VISION 1984
    1981年のスタート依頼、数々のヒット・シングルをリリースしているNYのProfileから1984年エレクトリック・ブギーのB面インスト。 Prelude Recordsを中心に様々なアーティストと共演したERIC MATTHEWがMIX担当です。

  3. Watching You / SLAVE 1980
    『Just A Touch』のSLAVEによるアルバム『Stone Jam』からのこのシングル12inchは、ODYSSEYの名曲『Inside Out』とほとんど変わりません。方向性まで似ているバンド同士でこんなシングル曲が許されるのも当時ならでは?

  4. You Are Very Special (instr.) / NICE 1984
    MOMENTSや WHATNAUTSなどのプロデューサーとして有名なGEORGE KERRのレーベルよりリリースされたマイナー・ブギーのB面インスト。最近この12inchも目出度く再発された模様です。

  5. Tonight We Love / RUFUS 1981
    CHAKA KHANが脱退してもRUFUSは健在であることをファンに誇示した12inchシングル。RUFUSにはもともとBOBBY WATSONというベースの名手がいるのですが、ここではBROTHERS JOHNSONのLOUIS JOHNSONをあえてゲストで起用し、思う存分にチョッパー・ベースを弾かせています。

  6. (uh-oh) There Goes My Heart (instr.) / FONZI THORNTON 1983
    バック・ボーカリストとしてキャリアを積んできたFONZI THORNTONのソロ・デビュー・アルバム『The Reader』からの12inchシングルB面インスト。KASHIFにも通ずるこの辺のサウンドは当時日本ではブラック・コンテンポラリー=ブラコンと称され、つまらない音楽の代表のように言われる事もありました。

  7. Wing of Fire / DENNIS COFFEY 1977
    DENNIS COFFEYは60年代後半からモータウンはTHE FUNK BROTHERSで活躍したデトロイト出身の白人ギタリストで、THE DRAMATICSの『In The Rain』など、数々のヒット曲でその技を披露しています。このシングルでは1977年当時のディスコ・ブームに乗って、お得意のワウペダル全開でファンキーなギターを聴かせてくれます。中盤から後半に掛けてのDopeな展開も最高です。

  8. Rising Sun / BEGGAR AND CO. 1981
    INCOGNITOの前身バンドLIGHT OF THE WORLDともメンバーが重なる、いまも現在進行形な息の長いUKのファンクバンドBEGGAR AND CO.の1981年12inchシングル『Help Me Out』B面。UKらしい少しライトで、清涼感のあるダンサブルなサウンドが好感持てます。

  9. There’s Never Been (no one like you) (long ver.) / KENIX feat. BOBBY YOUNGBLOOD 1980
    このシングルのレーベルでもあるWEST ENDにおいて、KENIX名義で多くのヒットシングルをリリースしたKENTON NIXの12inch。ソロとしても人気の高いBOBBY YOUNGBLOODをフューチャーしたメロディアスなガラージ・クラシックです。

  10. Stay Away from My Lover (instr.) / SATIN DREAM 1981
    LONNIE JOHNSONプロデュース。パーカッシヴなリズムに軽快なカッティング・ギターとスムースなメロディが爽やかなダンス・クラシックのインストになります。

  11. ALL My Love (instr.) / L.A.X. 1980
    どちらかと言えばダンスよりAORやロックの印象が勝っていながら、Prelude Recordsに所属していたバンドによるFRANCOIS KOVORKIAN MIXのシングルB面。正規盤12inchのB面は別曲になっており、インスト収録はこのプロモ盤だけです。

  12. Back in The Old School (instr.) / CHIC feat. NILE RODGERS 2105
    NILE RODGERSが23年ぶり2015年にリリースした12inchシングル『I’ll Be There』のB面インスト。タイトル通りオールドスクールな音づくりがその他の曲とも相性は悪くありませんが、さすがに音の厚みは違います。

  13. Do it with Style / WEBSTER LEWIS 1976
    70年代から80年代中期、数多くの秀作を放ったkeysのWEBSTER LEWISの代表曲プロモ・シングル12inch。Hip Hopネタとしても有名な曲なようです。

  14. Give Me The Sunshine (mini-trio) / LEO’S SUNSHIPP 1978
    オリジナルは1978年ですが、1986年UKはExpansion Recordsからのオフィシャル・リプレスになるこの12inchには、インスト(mini-trio)がオマケで入っていました。レアグルーヴ・クラシックでもあります。

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)