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MIX CLOUD LCR Disco-26

アーリー・ハウスな曲も入りながら、
相変わらず80年代ものを主に混ぜています。
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楽しんで頂けたら幸いです。

LCR Disco-26
shuroom

  1. Deep / RICHIE ROME 1980
    ディスコ系でオーケストラ指揮やアレンジャーとして活躍していたフィラデルフィア出身プロデューサーの同名ソロ・アルバムより。ボコーダーを使ったゆったりムーディなメロウ・グルーヴです。

  2. Dance Hall Days / WANG CHUNG 1984
    不定期ですが六本木FLATでRockなDJもしている大学時代の先輩に、今までまったくノーチェックだったUKのエレクトロ・ポップなこのバンドを何年か前に勧められ、探して聴いてみたらほんとうにいい曲でした。さらに詳しく調べてみたところ、この曲はDJ HERVEYにも取り上げられている人気12inchだそう。

  3. Stars in Your Eyes / HERBIE HANCOCK 1980
    DAVID MANCUSOやLARRY LEVANをはじめ数々の著名DJに愛された、HERBIE HANCOCKのねっとりしたメロウ・フュージョン・ブギー12inch。スペシャル・ディスコ・リミックスです。

  4. Xtra Special / ATMOSFEAR 1982
    ELITEレーベル創立者のANDY SOJYAが率いた『Dancing in Outer Space』が有名なこのバンドの、もう一つのクラシック。LCR Disco-20で取り上げたDOLETTE McDONALDの同名曲のオリジナル・ヴァージョンになります。ANDY SOJYAはこれ以外にも別プロジェクトを数多く抱え、80年代UKジャズ・ファンク・シーンに多大な貢献をしました。

  5. Over like a Fat Rat (instr.) / FONDA RAE 1982
    FONDA RAEを代表するダンス・クラシックですが今回はB面のインストで。HipHopでもオールドスクールやニュースクールの境なくサンプリングされ続ける大定番曲です。 LEROY BURGESSのアレンジが光ります。

  6. Can’t Believe (instr.) / NANCY MARTIN 1982
    カナダのプロデューサーDOMENIC SCIULLOによるエレクトロ・ディスコです。イタロ的な音使いがテクノやハウスに大きなヒントを与えながら、後ろで流れるのはMFSBの『Love is The Message』。当時シカゴでFRANKIE KNUCKLESやRON HARDYも回していました。

  7. Dirty Talk (european connection)(instr.) / KLEIN & M.B.O. 1982
    この曲のUSA Connection-instrumental mixは、シカゴハウスの原型とも言われています。ここではあえてEuropean connection-instrumental mixを採用しています。主観ですがUAS-mixがハウスで、Euro-mixがテクノに近い感じがします。

  8. I’m Glad You Come to Me / BAS NOIR 1989
    NYのカルトなハウス・レーベル、NU GROOVEからリリースされたニュージャージー出身の女性デュオのセカンド・シングル。作者のRONALD BURRELLは彼女達以外にも様々なスタイルの作品をリリースしており、そのどれもがDeepです。

  9. Hupendi Muziki Wangu?! / K.I.D. 1981
    GIORGIO MORODERとの仕事で名を上げたプロデューサーGEOFF BASTOWが手がけたK.I.D.のアナザー・クラシック。少しづつグイグイ上げてくれるグルーヴィな展開が気持ちいいインストです。

  10. Feel It / FINESSE 1982
    FINESSEは1982年から1984年の3年間でシングル3枚をリリースしただけのマイナーなUKソウル・グループ。デビュー・シングルになるこの『Feel It』は、弾けるベースとスウェイなリズムが体を揺らす隠れた良質ブギーです。

  11. Love Magic / JOHN DAVIS & MONSTER ORC. 1979
    LCR Disco-23の70’sディスコ特集でも取り上げたJOHN DAVISと彼のオーケストラ4枚目のアルバム『The Monster Strikes Again』からの12inchシングル。まさに正統派歌ものガラージです。

  12. Beautiful Love(instru-mental) / ADEVA 1989
    ADEVAのソウルフルなミディアム・ナンバー12inchB面のピアノ・インストルメンタル。ドラムス&パーカッションはDAVID MORALES、グランド・ピアノはJOHN POPPOが演奏。エレガントなMixはFRANKIE KNUCKLESによるものです。

60’s Pop Musicの仕事人達を描いた 『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』/ ”THE WRECKING CREW”/

©2014,Lunchbox Entertainment
©2014,Lunchbox
Entertainment

60年代LAで活躍していたスタジオミュージシャンを描いたドキュメンタリー『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』が公開されている。
今の時代は、参加ミュージシャンはクレジットされるのが当たり前になっているが、1960年代には、殆どスタジオミュージシャンの名前が表に出る事が無かった。
この映画は、スタジオミュージシャン集団レッキング・クルーのギタリストであり、リーダー格だったトミー・テデスコの息子デニー・テデスコが、父親達の軌跡を埋もれさせない為に制作したものである。ただ使用される130曲の楽曲の著作権クリアにお金と時間を要し、18年の年月とクラウドファンディングの助けを借りて、ようやく完成にこぎつけたという背景を持つ。
僕は彼らの存在を、残念ながら全く知らなかった。
キネマ旬報のピーター・バラカンさんの評を読むと、モータウンやスタックスなどのレーベルはには専属ミュージシャンがいたというし、ジャマイカのレゲエレーベルスタジオワンでも独特のサウンドを創り出すメンバーがいたが、LA,NYではそういう存在はなく、フリーのスタジオミュージシャンが多数活動していたようだ。

©2014,Lunchbox Entertainment
©2014,Lunchbox
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レッキング・クルーはその中でも、フランク・シナトラやエルビス・プレスリーのような超メジャーアーチストから、ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクル、バーズ、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド、フィフス・ディメンションなど、一つのカテゴリーや時代を創り出したアーチストに大きく貢献をしているチームである。
ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンは、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドに影響を受けて、レッキング・クルーを起用し大きな成功を収めたのだが、彼らの存在をしっかりウォッチすると、当時のLA音楽シーンのネットワークが見えてくるのではないかと思う。

このドキュメンタリーの中で、僕が最も注目したのは、前述したフィル・スペクターがプロデュースするウォール・オブ・サウンドとザ・モンキーズである。
ウォール・オブ・サウンドの代表曲はロネッツの名曲『ビー・マイ・ベイビー』だ。
遥か昔の話になるが、映画『さらば青春の光』を見て、一時期は毎日スペクターサウンドを聴いていた。
オーバーダビングを多用し、ラジオ用にモノラル録音に拘り、誰もが好むようなガールズポップを次々に産み出したフィル・スペクターの音楽シーンに与えた影響は計り知れなく、それを陰ながら支えたのが、レッキング・クルーということになる。

70年代になると、レッキング・クルーは、カーペンターズの世界的大ブレイクにも貢献する。
デビュー前のカーペンターズは、サイケデリック全盛のLAで、地道に自分達のサウンドである美しいポップミュージックを追求していたグループだ。
この映画にも度々登場するA&Mのハープ・アルバートに見出され、メジャーデビューをしているので、レッキング・クルーの起用は必然であった。
サウンド的にはフィル・スペクターの影響を感じされる楽曲が初期には多く、大ヒット曲『スーパースター』は、映画の中でもレッキング・クルーの一員的な位置づけで登場するレオン・ラッセルの作曲である。
あまりにもメジャーな存在で、日本ではイージーリスニングの代表としてやや軽く扱われている一面もあるが、カーペンターズのサウンドは、フィル・スペクターのようなポップミュージックの基盤に立脚しているという事を、改めてこの映画を見て感じることが出来た。

ザ・モンキーズは、自分にとって特別な存在のグループである。何と言っても最初に買ったレコードが『モンキーズのテーマ』なのだ。
この映画の中では初めて(なのかな)と言ってもいいのではないかと思うが、ミッキー・ドレンツとピーター・トークというメンバー自身によって、モンキーズの真実が語られる。
僕が一番好きだったメンバーは、一番地味でミュージシャンらしいピーターだった(以前小山田圭吾さんとモンキーズについて話した際、彼もピーターが一番好きだと言っていた)のだが、現在の彼の口から真実が語られる事に、小さな興奮を覚えた。
自分が小学生だった時代だが、モンキーズが来日して武道館公演が放送され、「スター千一夜」に出演する生の彼らの姿を見て、TVとは違いヒッピーのような様相だったので驚いた事を、よく覚えている。その時も裏では別のミュージシャンが演奏しているという疑惑が持ち上がっていた。
実際リーダー格のマイク・ネスミスが演奏問題でマネージメントともめるなど、人気グループゆえの様々な問題を抱えていたらしい。
その辺はアイドルとミュージシャンの狭間で同じように悩みを抱えていた同時代の日本のグループサウンズにも、相通じる部分がった。
しかしLIVEからの叩き上げであった日本のグループサウンズとの決定的な違いは、モンキーズがオーディションによって集められたグループであり、演奏力以外の部分で、メンバーが決まっていった部分である。
落ちていたメンバーの中には、スティーヴン・スティルスや、後年ラヴィン・スプーンフルや、スリー・ドッグ・ナイトに加入する実力派のメンバーがいたという伝説になっている。
そういう芸能的な事情があるグループだけに、レッキング・クルーへ大きく音楽的に依存していた事も、容易に理解できる。
例えそうであっても、モンキーズのポップで、美味しいどこ取りをしたようなヒット曲の数々は素晴らしく、今聴いても全く色褪せていない。
ビートルズやビージーズのようなロック的なサウンドから、後年登場するアバのようなポップなサウンドまで、モンキーズのジャンル的懐が深いのも、レッキング・クルーがあっての事であろう。

パンクアンセムになっている『STEPPIN’ STONE』や、忌野清志郎さんもカバーした『デイドリーム・ビリーバー』など、現在まで生き続けている曲も多い。
1967年にリリースされた『スターコレクター』は、この時代らしいスカビートに、サイケデリックを混ぜたアップテンポの傑作だが、皮肉なのかギャグなのか、ビデオではピーターとマイクがエアギターを弾いている。
こういった楽曲のクオリティと守備範囲の広さは、レッキング・クルー無しでは生まれなかったのではないだろうか。
一番人気だったディヴット・ジョーンズは既に鬼籍に入っている(デヴィッド・ボウイは、彼と同姓同名だった為、ボウイと名前を変えたらしい)が、最近ミッキーと、ピーターで再結成し、ポール・ウェラーやノエル・ギャラガーが楽曲を提供するという話も聞いている。

https://youtu.be/3TCOggiUGHk

映画『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』は、見た方一人一人の音楽的体験で、様々な入り口や思い出が見つかってくる作品だ。
1960年代のポップミュージックが好きな方には、是非体験して見て頂きたい記録映画である。

2016年2月20日(土)~3月4日(金)
新宿シネマカリテほか、2週間限定モーニング&レイトショー!
2014/アメリカ/101分/1.78/ドキュメンタリー