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ローラ・アルバート~『作家、本当のJ.T.リロイ』に訊く

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ガス・ヴァン・サントがカンヌで大賞に輝いた『エレファント』(03年)。その脚本に協力したということでJ.T.リロイという早熟の作家の名を知った。調べると幼児期に誘拐、虐待をかいくぐり11歳で女装の男娼に、18歳で自らの経験を綴った自伝的小説「サラ、神に背いた少年」を発表し時代の寵児となった――と、米各誌が報じるプロフィールを難なく入手できて、注目度の高さを思い知らされた。続いて“彼の”次作「サラ、いつわりの祈り」はアーシア・アルジェントの監督・主演で映画化され05年、映画の公開に合わせてプラチナブロンドの長髪と顔の半分を覆うようなサングラスがトレードマークの美少年J.T.も来日、話題を集めていた。同年秋、ニューヨーク・マガジンがそんな“彼”をめぐる疑惑を報じ、翌年にはニューヨーク・タイムズにJ.T.リロイの小説を書いたのはサンフランシスコ在住の女性ローラ・アルバート40歳との暴露記事が掲載される。数々のセレブリティを魅了した寵児は一転、“捏造された作家”という醜聞の只中に投げ込まれた――。

フィクション/小説を書いた作家が作品以上に注目を集め、世間の目から隠れるために創出した“アバター”がひとり歩きを始めた末に巻き起こったスキャンダル。その先にぽっかりと浮上したひとり、ローラ・アルバート。ドキュメンタリー映画『作家、本当のJ.T.リロイ』は渦中の人ローラが残していた留守電のテープや手書きの草稿等々、膨大な記録の山に分け入って狂気と創作(才能)の交わる所を吟味する。映画は同時にその数奇な生の軌跡を自ら遡り、語りつくして有無を言わせぬストーリーテラーぶりを披露するローラという在り方を凝視してもみせる。キャメラに向かって語るうちに陶然と虚実の境界を無化していく存在の、奇妙に透明な熱さは、パンク大好き少女の頃を凍結したような出で立ちで敢然とこちらを睨み語り続ける目の前のローラとの取材の時間にもひたひたと染み渉っていった。

撮影荒牧耕司

――ル・セルクル・ルージュという私たちのサイトの名前はジャン・ピエール・メルヴィルの『仁義』の原題にちなんでいるんです。

ローラ・アルバート(以下RA)ああ、メルヴィルといえば、彼は稼ぎがないなら旅行作家に戻ればいいと周囲にいわれた時、自分のやり方以外では書けないといったのよね。私がJ.T.として書いた時に感じたこととも通じてる。人が何といおうと別のやり方でするって私にはできなかった。

――あ、作家のメルヴィルですね。「白鯨」の。サイトの名前は映画作家の方のメルヴィルなんですが、彼も自分のやり方でノワールの形を究めた、そこが好きなんです。

RA あ、映画作家のね。そうか、そうなのね(笑)

――『作家、本当のJ.T.リロイ』をとても興味深く見ましたが、あなたについて撮りたいという監督は山といたと思う、その中でなぜジェフ・フォイヤージークのオファーを受けようと思ったのでしょう?

RA セレブリティ信仰とかセンセーショナリズムに惑わされない人が私には必要だったのね。もっと深い物語を語れる人が。躁うつ病を抱えたミューシャン、ダニエル・ジョンストンをめぐる彼のドキュメンタリー『悪魔とダニエル・ジョンストン』を見て、ジェフの興味は狂気と何かを創り出す力、アートの交差する所にあるんだと確信した。誰かが頭の中で別の在り方をするようにアートが舵をとってくれるのではという、そういう部分に関心をもっているんだと。だから彼に託そうと思ったわけ。

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――あなた自身も裡にある一種の狂気を創作上の糧にしている?

RA うん、そうね。つい最近、ドキュメンタリー映画『Crazywise』を見たんだけど、チベットからアフリカまで土着の文化を持つ様々な国を旅した写真家が撮ったものなのね。で、私たちの西洋文明の中では精神病というとまずは専門の施設に収容させるでしょ。投薬されて治療される。だけどそうでない多くの文化圏もあってそこにはシャーマンがいてある種の狂気を活かすことを許されている。私たちの文化の中では多重人格だとか狂ってるとか言われるかもしれないけれど、例えばチベットで聖なる存在はいたこ状態になって降りてくる人の声を語ったりする、別の人格にチャネリングできる、そういう力があるのよね。でも私たちがアーティストとしてそれをしようとするとアメリカの、あるいは西洋の文化は許さないのよ。シャーマンのように狂気を活かすことを許そうとしないの。

――その意味で『悪魔とダニエル・ジョンストン』でも『作家、本当のJ.Y.リロイ』にしても監督はアメリカや西洋文明に蔓延る良識、シャーマンを締め出すような窮屈さを突こうとしている部分もありそうですね。ダニエル・ジョンストンの場合には両親が原理主義的クリスチャンですよね。その規範が息子のアート/狂気を抑えつけ結果として助長したように見えます。あなたの場合はどうでしょう?

RA 私がラッキーだったのは母が彼女自身も劇作家だったから、アーティストとしてむしろノーマルでない部分を伸ばすようにしてくれたってこと。確かに彼女が家に連れてきたボーイフレンドたちが私に対してしたこと(性的な虐待)からは守ってくれなかった。でも私の中にある何かが私の身体を通して語ろうとしているって点に関しては心の底から信じてくれた。私がそういう特別な存在であるということを信じてくれていた。霊的な存在の訪れを感じていたってこと。今、そのことを回想録に書いているんだけど、この世界になすべき重大な使命をもって存在していると明確なメッセージを受け取っていたのよ。自分の中に別の声を聴く、別の人格が訪れているということをうまく説明できないって恐怖はすごく大きなものだったけど。 興味深いのはジェフの2本の映画に対するアメリカの観客の反応の違い。ダニエルはマネージャーを殺そうとした、パイプで頭を殴りつけたり、飛行機を墜落させようとした。それって犯罪じゃないの――って危険なこともしている彼に観客は何の文句もいわなかった。なのにそういうことは一切していない私に対しては刑務所へ行けと罪人扱い。これっておかしくない!?

――なぜでしょう?

RA 私が思うのには私が女で、しかもあまりにも大きな情熱を抱いているからなのよ。情熱は感情的なもの、感情は否定されるべきものなの。女があまりに感情的に表現すると恐怖の対象とされてしまう。大人しく受け止めていいたくてもいわないでいることが求められる。だけど私という人間はそうじゃない、だから怖がられる(笑)ありゃ完璧に狂ってる、ビョーキだと、そんなふうにこの映画の私や映画自体を歪曲して見る人がいるのはとても辛いことだけれど、でも理解してくれる人もいる、十分にいると思う。時がたてばさらに理解されるだろうとも思ってる。

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――女だから理不尽に受け取られるって、それはどんな時に感じますか?

RA いつでもよ。だって私は実際、子供のときからずっと男の子になりたいと思っていたわけだから。男の子に許されることが女の子には許されてない。振る舞い一つにしてもね。あるいは虐待にしたってそうでしょ、男の子が犠牲になればより悲劇的なこととして受け止められる。アメリカでは女の子が性的に虐待を受けることはいっそ想定内のこと、殆んどあってしかるべき、驚くに値しないなんてひどい受け止め方さえもまかり通ってる。そのくせ男の子がそういう目に遭うとみんなが激怒する。

――この世界に積み重なってきた女性に対する差別が男の子のアバターをあなたの中に導き出したと?

RA 1970年代、性的虐待に人はまだまだ口をつぐんでいた。当時、漸くPBSの「アフタースクール・スペシャル」といったテレビ番組が作られるようになって問題を語る糸口ができた。とはいえそこでも問題に遭遇するのは金髪碧眼の少年だった。女の子の問題はほったらかし、あるいは描いたとしても見栄えのいい子たちの問題で、可愛くない女の子が性的に虐待されていたって問題にされなかった。キュートな少年の方が悲劇的に映るから。私自身の体験をいえば、私が辛い目に遭った時、それを口に出して言おうとしたけれど、でも私なんか誰も気にしてはくれないとまず思ったのね。でも、男の子の話にしたら、金髪で青い目のキュートな男の子として語ったら救いの手が差し伸べられるだろうと、そう思えた。うまく説明できないけど、そんな気持ちが私の中にJTという男の子が出てきたことと関係してると思う。

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――映画の中でも、書くことがあなたにとってある種のセラピーだったという件りがありますが、今回、映画の中でご自分のことをああいうふうに語ったこともさらなるセラピーになったと思われますか?

RA キャメラに向かって語る部分は8日間かけて撮ったけど、まさにそう。いえ映画の全プロセスがそうだった。監督のジェフが私の怒りを解き放つように背中を押してくれたのね。あの時、だれも私になぜということを訊かないまま”捏造”問題として突然、みんなが私を糾弾し始めた。責任をとれと。映画を見た一部の人はなんで彼女が”ストーリー”を語っているんだと、主観的な語りの手法を映画がとっている部分を突いてきた。だけど私がJ.T.を作り出した張本人なんだから私に語らせない手はないと思う。信じないならそれでもいい、とにかく私が点と点を自分で繋いでいく。それが合理的なんで他人がそれをしたのでは理屈が通らないのよ。

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――映画を見ているとあなた自身が話の流れに乗って活き活きとしてくる。ストーリー=嘘っぱちって意味ではなく、でも根っからのストーリーテラーぶりが面白かった。

RA そうね、そうだと思う。父も母もお話するのが上手だった。私の祖父母は辛い人生を送って、だからストーリーテラーだった。ユダヤ人でワルシャワから難を逃れて脱出してきた人たちだったから。彼らにはアーティストになる贅沢が許されなかったのでストーリーテラーとなったのね、その血は私に与えられたギフト、贈りものであり才能なんだと思う。物語を語りアーティストとなり得ること。物語を語るために生かされているんだと思うの

――ユダヤ人の家庭、食卓でのストーリーテリングの大切さをハーベイ・カイテルに取材した時に語ってくれたのを思い出しました。物語りすることがサバイバルの術だったと。

RA ほんとほんとにそうよ。ユダヤ人は最も古い部族として身に降りかかったすべての苦難に対処するためのしぶとい伝統を必要とした、それがストーリーテリングということでユーモアとパッションを備えた物語を語り継ぐ、同時に使命の意識をもち、それをも語り継ぐ、そのための物語の技をもつのだという自覚が育まれた。この世に在るのは世界を癒すためって自覚が私たちユダヤ人にはあるの。世界を癒すということ。私自身、この世の中にあるものすごく多くの見過ごしにされている犠牲、許されるなら自分の経験を物語ることでそうしたことに少しでも働きかけ、ヒントを与えられたらと思ってる。

――”捏造”騒動から10年を経て例えばガス・ヴァン・サントとは今、どんな関係なんでしょう? 彼が「エレファント」で来日した04年にJTのことを訊くと微笑むだけであまり話してくれなかったんですが。

RA そうなんだ なんて訊いたの?

――JTはどのくらいこの作品に関わったの?――とか

RA どのくらいも何もすべてによ。映画の実現のため力を尽くしたし、私がいなかったら映画にはなってなかったと思う。私の書いた脚本をすべて使ったわけではないけれど、ガスの望むようにしていいと、全部を脚本通りにしないでいいって許諾を与えることもした。背後ではあったけど精力的にあちこちに働きかけた。肩書きだけでなく本当にプロデュースしたと思う。まあ複雑ではあるからね。ガスとJTの関係は(アバター、あるいは影武者だったサバンナ・クヌープ/ローラの元夫の妹の存在がある)。私にしたって私じゃなかったりする。ああ、会ったよといっても、会ったのはローラじゃなくてJTのマネージャー、スピーディとしての私だったりもするわけでしょ。だから説明が難しくなるんだけどね。トム・クルーズと彼の演じた役とを監督が混同するなんてないと思うけど私に関してはそう簡単にはいかないわけよ。

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――05年『サラ、いつわりの祈り』の公開に合わせてJTとしてのサバンナが来日した時も、ずっと側にいらしたんですよね。どんな気持ちでそこに?

RA とても寂しかった。孤独だった。もちろんサバンナは私の経験をしてはいなかったから、単にイメージを反射、反映するしかなかった。庭師がひょんなことから名士になっていくピーター・セラーズの『チャンス』って映画知ってるでしょ。まさにあれ。彼/彼女が何かを口にするとまわりの人々が勝手に深遠な意味を見出していくの。今はあのことをきちんと説明する必要を感じてる。あの関係は単に偽とか本物とかっていうんじゃない、虚実に関わるメタな入れ子構造、ある意味でアートワークともいえるようなものがある。そのことを日本人は他のどの国より理解する素養があるみたい。創るために自分から逃げるって心理もアバターに関してもジャッジしないで受容してくれる。白黒つけるのでなくグレーの部分、余地を残すことができるのね。

――それは多分、私というものを確立させない、みんなと一緒が大事な日本人という点とも関わっているかもしれませんね。曖昧な自分でいる方が生き易いというような。

RA アメリカはミーイズム、まず確かな私が先にくる。そこでは正常じゃないから、ビョーキだから、いくつもの人格をもつみたいにいわれる。理解できないことなのね。自分の中にまた別の自分が現われるのを一歩引いて観察するって感覚。日本人はこの感覚を自動的に理解できるみたいで、驚いてる。

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――映画でも紹介されるようにあなた自身に関する膨大な記録を残していますが、自分の足跡を残したいという欲求があったのですか? それと最後に女の子の映像が出てくるホームムービーもあなた自身を写したものですか?

RA そう、あれは母が撮ったもの。すべては意識的に残したものだった。必要だったの。記録することが。健常な部分にすがるっていうのかな。子供には性の、肉体の、魂の聖域がある。そこを侵す大人たちがいると子供たちに備わっているコンパスのようなもの、どこまでがオーケーなのかその境界を自然に指し示す指針のようなものが働いて、だれにいわれなくてもここまでは大丈夫、でもここからは大丈夫じゃないという境界を感知している。子供時代に聖域を侵される中で、自然に働く危機感を抱えながら何がリアルで何が違うのか、何が現実に起こっているのかそれを記録しておかないと周りの大人が勝手に捻じ曲げてしまうと警戒していた。同時に自分の中のおかしな部分と正常な部分、そのどちら側にも足をかけた自分をみつめるためにも記録が必要だった。ワニみたいに水面にいて水上も水中も眺めている、そんな感じ。狂ってる、でも同時に狂ってない。その両方が自分にあるとわかっていた。自分の中に現れるJTはリアルだと思った、同時にそうじゃないってこともわかっていた。ただ自分の中で起きてること、それがどのくらいリアルに感じられるか、それをそのまま人にはいえなかった。いったらクレイジーだってことになるから。だから記録した。怖かった。自分が狂っているってことが。ノーマルな部分とリアルだけど狂ってる部分、ノーマルでなければと修正しようとする部分、自分の中の中のそのまた中――

――合わせ鏡の中の像のように互いを映してどこまでも連なっていく。

RA それそれその喩え、映画でも使ったけどまさにそれよ。

――自分を客観的に見る目もあるのは狂いっぱなしより辛いでしょうね。

RA そのことをみんなは私への反論として使った。今回の映画を見て私を完璧なクレイジーだといった人もいたけれど、もしその通りだったらあの騒ぎの時にもっと寛大に扱ってもらえたと思う。でも現実には私に説明する能力もあったから、そのことが私を”容疑者”としたのね。何かを操っているかのようにいわれた。クレア・デーンズが実在する自閉症の動物学者を演じた『テンプル・グランディン自閉症とともに』って映画、知ってる? テンプルはひどい自閉症だったけど彼女はそれを説明できた。で、自閉症であることについての本を書き、だけどだからといって自閉症でなくはなれなかった。私の状態も同様といえるわ。精神的な問題を抱えていると説明できる、でも判ってるなら打ち勝てばいいっていうように簡単なものじゃない。ともかくサングラスしたJTはこの世から姿を消したけれど、生き続けてはいる。びくともしない作品として。それを流行りものとして今の旬みたいに味わってさっっさと捨てるのでなく吟味してほしい。その意味でも「サラ、神に背いた少年」も「サラ、いつわりの祈り」も日本で再版されることを祈ってる。

作家、本当のJ.T.リロイ』
新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか公開中
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Cinema Discussion-19/4Kで蘇る『牯嶺街少年殺人事件』

(C)1991 Kailidoscope

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第19回は、1991年に制作された台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』の4Kデジタルリマスター版を取り上げます。
『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』は、2007年惜しくも59歳で逝去した台湾の誇る鬼才エドワード・ヤン監督の最高傑作とも言われている作品です。
3時間56分という長尺が今回4Kの解像度でのデジタルリマスター版で復元され、3月11日の公開以降、映画ファンに新たな衝撃を与えています。
今回のシネマディスカッションは、は映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でお届けします。

(C)1991 Kailidoscope

★『牯嶺街少年殺人事件』は権利関係の問題で長らくdvd化もされず伝説の傑作となってきました。今回25年ぶりに日本公開されるのは、マーティン・スコセッシの肝いりで制作された4K/デジタルリマスター版、監督エドワード・ヤン生誕70周年、没後10年の今年、蘇った映画をご覧になった感想は?

川口敦子(以下A):
長いこと自宅にあるもう劣化したVHSでの再見をくりかえしてきたので、今回の復活上映にはものすごく期待して、怠け者でいつも試写は日程の終りの方になるのに、いの一番でかけつけました。すべりだし、夏の光にあふれた並木道をフィックスでキャメラがとらえ、緑の息吹みたいなものがスクリーンにたちこめるなか、向こうの方に小さく見えた人影が、やがて自転車の父と息子の姿として像を結び、ゆっくりと迫ってくる。それだけでおおっと幸せな気持ちになりましたね。
フィルムではないかもしれないけれど、やはり大きなスクリーンで見たい、そういう深く大きな映画だと思います。
去年、ヴィスコンティの『山猫』の4Kデジタル・リマスター版のお披露目上映の際、撮影監督のジュゼッペ・ロトゥンノからくれぐれも全てをぴかぴかつるつるにしないでほしいとの要請があったというエピソードが紹介されたんですが、そういった不安をみごとにけちらすこの修復版、黒がちゃんと黒というのも素晴らしいです。
それにしても没後もう10年になるのか、と感慨深いものがありますが、その意味では先ほどあげた並木道の場面でエドワード・ヤン監督の遺作になってしまった『ヤンヤン夏の思い出』のそれが結ばれてきて、さらにううっと惹き込まれました。ソフト化が滞っていたせいでエドワード・ヤンを見られずにきた若い、いえ、さまざまな世代の観客に、これを機に、彼の映画にふれてほしいなあと思います。

川野正雄(以下M):
自分も古い作品の4K修復をやった事があるのですが、オリジナリティの再現には、相当に神経を使うものです。新作みたいにピカピカにしてもいけませんし。
そして、同じ復元の素材でも、フィルムとDCPだと、スクリーンで上映すると、全く質感が違うのですね。
これは、見た感じで言うと。綿100%と、麻100%の服くらいに、違いがあるものなのです。
デジタル修復は一コマずつ最新の注意をはらって行いますから、3時間56分という長尺を考えると、本当に気の遠くなるような修復作業だったと思います。
自分が修復をした作品でも、結果的にはご一緒していませんが、スコセッシも興味を持ってくれていました。
彼の映画文化にかける情熱は、素晴らしいものがありますね。
なので、まずはという感想は、修復作業に拍手です。

(C)1991 Kailidoscope

★89年侯孝賢の『悲情城市』がヴェネチアで金獅子賞を受け、かたや彼と並び称されたヤン監督は86年『恐怖分子』でロカルノ金豹賞を受賞。『牯嶺街少年殺人事件』は『悲情城市』とともに95年,釜山映画祭で投票された”アジア映画ベスト100”に選ばれ80年代から注目された台湾ニューウェーブの力を世界に印象づけました。世界的に高い評価を受けたのはなぜだと思いますか?

A:
80年代にかけて日本でミニシアター・ブームというのがありましたが、世界的にもアートハウス系の映画が注目され、一定の観客が確保されていましたよね。それが”今やさんざん”という状態になって久しいわけですが、往時、そうした観客層がワールドシネマというジャンルへの関心の高まりも支えていたように思います。中国、香港、台湾、アジア、中東といったこれまで一般的には顧みられることのなかった地域の作家たちに関心が集まり、優れた才能が紹介されるようになった。キアロスタミをはじめとするイランの素晴らしい映画が当り前にみられるようになった。そういう時代でしたよね。台湾ニューウェーブに対する関心もそういう中で深められ、特集上映があって監督の来日があったりもしましたよね。
なぜ、高い評価を集めたかというのは我ながら愚問でそれはそこに面白い映画と作家がいるからということにつきるのでしょうけど、ただ乱暴にくくっていいますが、長回し、クロースアップを回避した引きの画の活用、といった侯孝賢やヤンの映画のスタイルの清新さは当時、やはり見逃せなかった。それはハリウッドに対してまた”別の”という音楽や他のジャンルにもあったオルタナティブの時代の価値観とも無縁ではないかもしれませんね。

当時、台湾映画を代表して並び称された侯孝賢とヤンですが、そして台湾ニューウェーブとして最初は共に活動もし、侯孝賢が主演したヤン監督の『台北ストーリー』なんて快作(5月に公開予定)もある、そんなふたりなのでつい一緒にしてしまいがちなんですが、実は一緒じゃない部分も多いですよね。乱暴にくくれば――と先ほどことわったのもそういうことなんです。『台北ストーリー』『恐怖分子』それから90年代の『エドワード・ヤンの恋愛時代』『カップルズ』とヤン監督は都市的な現代のドラマを手掛けていますよね。そこが彼の核になるというのかな。60年代を背景にしているものの、彼の映画に通底する都市性を『牯嶺街少年殺人事件』も濃密に感じさせると思います。88年に来日した監督にインタビューした折、こんなことをいってました。ちょっと長くなりますが引用してみますね。

「一歳半で台湾に移住して以来、台北は愛着の持てる唯一の場所でした。いつも惹きつけられてきた。初めてアメリカに行った時にはもう一生というつもりでいたけれど、台北に戻って自分のルーツがある所はここだと思った。たとえ自分が中国大陸から来た人間だとしてもやはり台湾に愛着を感じるんだし、基本的に台湾人だと感じている。台北は、都市は、いつも僕の映画の主題だった。都市のルック、視覚的なものというよりそこにある物語に惹かれている。都市化された環境の中にある興味深いストーリーに。自分の親密な経験がここにあるから」

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M:
当時この手のアジア映画は、気になる存在ではありましたが、あまり夢中にはなれなかったです。自分の年代もあると思いますが『恐怖分子』を見て、そんなに大きな衝撃はありませんでした。
今回改めて見直すと、引きのロングショットと長回しの多用は、テンポや集中力を削ぐケースがあるので、あまり好きな手法ではないのですが、非常にうまく長尺の中で使っていますね。
本来ならあれだけ長回しを多用して4時間だと、客席には怠惰な空気が生まれがちなのですが、見事にエドワード・ヤンは、観客の集中力を引っ張っていると思います。このテンションの維持のさせ方は、本当に凄いなと思います。
中華圏の映画にありがちな大河ドラマでもありませんしね。
この時代の台湾映画を見ながら、初めてワクワクしました。

A:
80年代にヤン監督を紹介する記事にはよくアントニオーニの名前がひっぱりだされたりもしてましたが、都市的な乾きというか、人に対する観察の距離、感情的になりすぎない語り口が彼にはあると思います。この所、台湾の若い監督たちがヤンに触発されたとかいいながらキラキラ系の青春映画を撮って感傷でいっぱいみたいなことになっていますが、『牯嶺街少年殺人事件』の人と人、家族や、青春の悲しさをみつめながら決してクールさを手放していない所をもっとよく見てほしいですね(笑)

★青春映画であり、家族映画であり、不良少年ものでもあってさらに、やくざ映画的要素もあったりして、だから歴史映画でもあるような多旋律の”大きな物語“については?

M:
自分は『牯嶺街少年殺人事件』を見るのは初めてでした。後年の『カップルズ』は見ていますが。
例によって、ストーリーの予備知識0で臨んだので、物語の多様性に序盤はなかなかついていけなかったのですが、90分位から、どんどん引き込まれて行きました。
こういった多旋律な物語展開は、例えが的確ではないかもしれませんが、村上春樹作品のような多様性と、洞察力の鋭さを感じました。
単なる60年代の学校ものとか青春映画という枠組みでは語れない、いや語ってはいけないような作品ですね。

A:
もちろん14歳の少年を主人公にしたみずみずしい青春映画として素晴らしいのですが、同時に家族の映画、父と子の映画であり、また台湾の現代史、中国本土との関係、戦前の日本、戦後のアメリカ文化の子といった歴史への目も深く物語に食い込んだ重層的な一作ですね。
で、さきほどいった都市性という点で前にも書きましたがヤン監督のとりわけこの映画『牯嶺街少年殺人事件』を視ているとドストエフスキーのことを書いたバフチンの多声の物語に関する記述を思い出したくなるんですね。集団の物語なんですが、単なる群像劇とは呼びきれない気がする、それは世界を支配する神にも似た語り手が操る複数の物語であるよりは個々の声がそれぞれに響いていくような構造を映画が突きつけてくるからじゃないかと思うんです。
「ドストエフスキーの詩学」でバフチンは「ドストエフスキーは自分の時代の対話を聞き取る天才的な能力を持っていた。あるいはもっと正確に言えば、自分の時代を巨大な対話として聞き、時代の一つ一つの声を捉えるばかりでなく、まさに声たちの間の対話的な関係、その対話的相互作用そのものを捉える能力に秀でていた」と書いていますが、ドストをヤンに置き換えてみると彼の映画が炙り出されてくるような、そんな気がします。

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★ハニー、シャオマー、リトル・プレスリーことワン・マオ等々、主人公小四の周りの少年たちのキャラクターも面白いですね。また父の世代のおじさんたちもさりげなく、でも濃密に色分けして描かれています。人物描写で印象的だったのは?

A:
ハニーって不良グループの伝説のリーダーがなんというか日活ムードアクションのヘンさに通じるものがあって、笑うとこじゃないんでしょうが笑えたりしつつ楽しみました。水兵ルックが、隠れ蓑という設定ですが、妙に大仰で・・・。小公園って彼らの根城みたいなカフェというかパーラーというのかな、そこでエンジェルボイスを披露するワン・マオも最後にぐっとくる後日譚を請け負ってもいていい。歌詞の聞き取りとか、時代はやや違っても身に覚えがあって懐かしかったりもしますね。そういう憧れのアメリカ、西部劇やプレスリー、『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンの影が見え隠れしていたりコンバースや白Tシャツ、リーゼントを模倣している彼らの姿はかつての日本を思わせなくもなくて興味深いですね。
いっぽうで大陸の影、上海コミュニティを背負い、いつか帰る所としてそこをにらみ、だから根無し草的に今ここにあることへの不安を抱きつつある父の世代の人たち、その姿を見ながら語られる「未来」や「世界の変化」、対する「世界と同じで変わらない」と吐き捨てる子の世代、そこに属していた筈の監督――と、青春や家族のドラマを歴史の重みが裏打ちしている点も面白い。

M:
ハニーは名前ばかり出てきていて、登場シーン以降存在感は強烈でしたね。
ラッパズボンも似合ってましたし(笑)。
リトル・プレスリーと合わせて、僕はアメリカ映画的なキャラクター造形だと思いました。
日本家屋に住んでいたり、子供が押し入れに籠るシーンなどは、戦時中の日本占領時代以降の影響も見え隠れしていましたね。
大陸からの移民、日本の影響下で生活していた人たち、アメリカへの留学を考える人たち、当時の台湾人の生活や生き方というか、我々日本人が表面的にはわからない部分であるし、エドワード・ヤンも歴史的な解釈とか、歴史の傷跡みたいな部分に対する想いを込めているようにも感じました。

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★家族の関係については? 父と子、母と娘たち、兄弟姉妹の関係、世代の描き方に関しては?

A:
上海っ子の母と地方から上海にでてきた父との微妙な優越/劣等意識が微笑ましくもリアルで、旧世界の集まりに女性たちがみなチャイナドレスで盛装している姿とか、腕時計の由来とか、“亡命者”のコミュニティの様子が子供時代の監督が見た世界として描かれていて面白い。リアルさと美化されたものというのか、そのバランスが映画全体に響いているようにも感じます。言葉がわからないのではっきりはいえないけど、子供に内緒の話の時には上海語、そうでないときは台湾の公用語の北京語が語られているそうで、侯孝賢の映画でも大事な要素になっている台湾社会を構成する人々のルーツの多様さも、解ってみるとさらに興味深いものがあるんでしょうね。
兄弟で押し入れの上下を二段ベッドがわりにしていたりして、戦前をひきずる日本の影も家屋や食事の場に流れている橋幸夫のカバーとか見逃し難いものがありますね。監督自身、手塚治虫はじめ日本の漫画で育った部分もあったようです。

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M:
家族関係については、正直序盤はついていけない部分もあったのですが、中華思想とか台湾独自の家族に対する考え方。
そういうものが、非常に濃く根底に流れているように思いました。

★清純無垢を思わせる外見と男の子たちを翻弄するファム・ファタール的資質を内包したヒロインに関しては? 他の女性たちの描き方はどうですか?

M:
小明の透明感は凄まじいですね。
劇中ですが、映画監督が夢中になってしまうのもわかります。
それだけに、後半の展開で彼女が人間らしくなっていく流れは、すごく緊張感があると思います。
ファム・ファタールに見えないのが、どんどんファム・ファタールになっていく。その辺の流れも、台湾映画というよりもアメリカ映画の影響を感じました。
A:
ヒロインの少明、そして小公園派の不良娘、小翠、ふたりの少女に世界と同じで私は変わらない――と奔放な恋愛関係の言い訳のような絶望を語らせているのが印象的でした、少年たちに対してより深い闇を抱えた存在であるような、そう描く監督の女性観にも興味がつのります。

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★学校の隣に撮影所があって、スタジオで撮影中の劇中劇が出てきたりするあたりをどう見ますか?

A:
紋切型のメロドラマを撮影している映画内映画のスタッフ・キャストが紋切型のバックステージのどたばたを演じてみせるのが全体からみるとちょっと異色で、乱調と見えなくもないのですが、なんとも捨て難い。映画=フィクションを改めておもわせる存在が主人公の少年の世界、現実の核となる学校に隣接している。少年自身も現実とフィクションの狭間を生きているというのかな。

中学生たちの間にいきなり仁義なき闘いみたいな抗争劇が食い込んでいる部分もあって奇妙な魅力となっていますが、映画映画した要素を旺盛に取り込みつつ、いっぽうでは中国本土と台湾の関係緊張をふまえた父の検挙、取り調べなどリアルな背景も並び立っている、へたをするといびつになりそうな構造を成立させる監督の力業にも注目です。

映画は少年時代の監督が衝撃を受けた61年台湾で実際に起きた中学生による同級生の少女殺人事件をヒントにしていますが、そのことを反映した『牯嶺街少年殺人事件』という原題に対し、プレスリーの曲の歌詞を引用した英語タイトル『A Brighter Summer Day』もあって、映画の背景となった時代や闇が支配する映画が希求する光、台詞に何度か登場してくる世界や未来を変えることを思わせたりもして興味深いですね。虚実の対照をのみこんでいる映画の成り立ちをふたつのタイトルが指し示しているようにも思えます。

M:
劇中劇的な構造は、ちょっとありがちだなと思いましたが、一つのスパイスとしては、すごく効いているんですね。
一度台湾に行き、何人も現地の映画関係者とも会ったのですが、結構未だに興行の世界は、昔の日本の興行という世界観なんですね。
でも若い映画人は、アメリカへ留学して、アメリカ文化の影響を多大に受けています。
台湾では、日本よりも早くシネコン方式など、劇場では米メジャー方式が導入されていました。
そういった台湾の映画業界におけるアメリカ映画の影響というものが、この作品にも、結構色濃く反映されているように感じました。

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★懐中電灯、妹のスカートのボタン、懐剣、野球バットレコードプレイヤーやラジオ等々、繰り返される小物をめぐるエピソードの使い方に関しては?

A:
ふっと生活の一景として描かれていた小さなエピソードが辛抱強く反復される時、鮮やかな効果を生んでいく。映画的な繊細さが大きいけれど大味ではない映画には必須ですよね。
M:
日本人なので(笑)、やはり押し入れとか日本刀とか、今や日本の生活にも無くなっているような日本文化の細かいエピソードが面白かったです。
それとラジオですよね。音楽の影響とか。この映画の時代は、自分が生まれた時代ですが、多分少し前の日本と同じような環境なのかなとか、色々勝手に想像をしていました。

★主演のチャン・チェン 今や大スターですが、少年時代の彼はどうですか?

A:
もちろん美形だし、カウボーイの真似をする所はじめ、飄々といわれるままに形にしているような熱演ではないよさがありますね。でも、正直言うと今回は彼の実の父でもある父役チャン・クオチューがこんなに素敵だったかなあと見直しました(笑)
M:
成人後の彼の存在に、これまで注目していなかったので、あまりコメント出来ないのですが、この作品の存在感というか、小明に振り回され揺れ動き、ぶれまくる少年の気持ちを、見事に演じていると思います。

★ここが面白いという見所を
M:
想定外だったのは、音楽の使い方の巧みさです。
天使のようなリトルプレスリーの歌声に、アメリカンポップスへの憧憬。
60年代台湾の青春映画と考えると、音楽のスパイスが見事に効いていると思います。
エドワード・ヤンによるアメリカ映画への回答とも言える作品ではないでしょうか。

『牯嶺街少年殺人事件』は、現在角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館など全国順次ロードショー公開中です。
*上映は4Kデジタルリマスターから変換した2Kでの上映です。