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1959年 東京生まれ。 以来東京に住み続けていますが、2010年1年間は香港に住んでいました。 長い間海外の文化から刺激を受けてきましたが、海外に一度住んだ事で、日本の良さを、改めて見直しています。 英国の音楽とスタイル、フランスの映画と車、暑い国の料理と日本の文学を好んでいます。 1987年以降P Picasso, 下北沢ZOO~SLITS、DJ BAR INKSTICK, Faiなどのクラブで、DJとして活動。 2006年以降DJは休止していたが、2016年より再開。 ファンデーションである英国音楽や、MODSシーンのイベントで、ルーツミュージックを中心にプレイしています。 現在UKファッションの老舗Ready Steady Go!のリブートプロジェクトを展開中。 Music: 60~70's Rock, Rare Groove, Rocksteady, Jazz Funk, Folk. Cinema: Roman Polanski, Jean Pierre Melville, John Cassavetes,Michelangelo Antonioni Style: READY STEADY GO! 6876,Duffer of ST George, YMC, FARAH Food: exotic food.モロッコ、イスラエルなどの料理。

Now and Then 下北沢ZOO~SLITSを超えて/山下直樹さん 

DE LA SOULは、ニュースクールのホープだった。
DE LA SOULは、ニュースクールのホープだった。

80年代後半から90年代前半の所謂日本のクラブ黎明期を通過している人の大半は、山下直樹さんの事を知っているのではないかと思う。
山下さんは、下北沢にその時代あったクラブ〜ZOO~SLITSのオーガナイザーである。ナイトクラブの存在価値は様々な見方があると思うが、山下さんのオーガナイズしたZOO~SLITSからは、幅広いジャンルで多くのアーチストが生まれている。そういう意味では、当時そして現在まで唯一無二の存在のクラブであった。
セルクルルージュでは、これまで我々と深くつながってきた方々を紹介するPEOPLEというカテゴリーを作っている。
今回はその第3回目として山下直樹さんに、当時、そして現在を象徴するレコードやCDを持ってきて頂き、インタビューをさせて頂いた。
山下さんは既に当時のエピソードを『LIFE AT SLITS』(P-VINE BOOKS)という本にまとめているので、ここではより音楽的な角度での話しを中心にする事にした。
最近は『渋谷系』とか『下北沢ものがたり』といった当時のユースカルチャーを語る本が出ているが、実は重要なキーパーソンの一人である筈の山下さんについては、あまり触れられていない。
その辺が片手落ちにならないよう、今回は登場して頂いた次第である。

僕と山下さんは、前身であった下北ナイトクラブからZOOにお店が変わったタイミングで、僕がDJとして入った時からの付き合いになる。ZOOがスタートしたのが、1988年のゴールデンウィーク明けというから、かれこれ26年になる。
山下さんがお店を閉めた後、少し疎遠になっていた時期もあるが、時々一緒にライブに行ったり、食事をしたりと、細く長く良いお付き合いをさせて頂いている。

川野正雄(以下川):僕はZOOの月曜日に荏開津 広君(DJ/ライター。下北ナイトクラブのDJと企画をやっていた)に誘われて入ったんだけど、あまり経緯はわかっていないんですよ。
山下直樹(以下山):荏開津君が、「青山にMIXというクラブが出来、そちらで忙しくなるので、企画を山下さんにやって欲しい、自分はDJだけに専念する」と言い出して、彼が入る月曜日に、当時P・ピカソでDJしていた川野さんに声をかけたのだと思います。
川:SHOTGUN GROOVEというタイトルで、レゲエ、スカ、ヒップホップ、ファンクなど、ゴッチャにかけていたけど、最初はスカが旬でした。
山:割と月曜日がスタートしてすぐに、来日していたギャズ・メイオールが遊びに来て、飛び入りでDJをしましたね。
川:ギャズはその前の土曜日、P・ピカソで彼の”GAZ’S ROCKIN’ BLUES”をやって、DJブースにたどり着けない位お客さんが入った。ZOOの月曜日も、そのあたりから、お客さんが入るようになった記憶があります。
山:そのギャズのレーベルGAZ’S ROCKIN’ LABELから、スカフレイムスがデビューアルバムを出したのは衝撃的でした。日本人のアーチストが、イギリスのレーベルで、イギリスのアーチストと同等に扱われるというのは、僕らも勇気をもらえました。

ギャズ・メイオール自身のグループ、トロージャンズ。
ギャズ・メイオール自身のグループ、トロージャンズ。

スカフレイムスのデビューアルバム。ギャズのレーベルから日本には逆輸入でした。
スカフレイムスのデビューアルバム。ギャズのレーベルから日本には逆輸入でした。

山:自分が東京に来て、ピカソに初めて行った時、ダムドの『NEW ROSE』が、それまで聞いた事の無い位、大きな音でかかっていて、衝撃的でした。
川:初期P・ピカソの高木康行君(カメラマン、スタイリスト)や、藤井悟君(DJ、当時P・ピカソ、MIX 、下北ナイトクラブ)の選曲は、僕にも刺激的でした。僕は悟君と、新宿JAM STUDIOのモッズのイベントで知り合って、悟君がDJするというので、ピカソには出入りするようになってました。

山:川野さんは『ピーターガン』を、その頃は切り替えの時に良く使っていた印象があります。
川:あれは、アート・オブ・ノイズ版っですね。オリジナルは古いから音が籠るんだけど、アート・オブ・ノイズは新しいから、音が抜けるので、空気を変えるのにはちょうど良かった。ギターは、オリジナルと同じデュアン・エディだったと思います。
THE JAMが『バットマンのテーマ』とかカバーする感覚で、60年代アメリカのTV主題曲が格好いいという感覚が、当時はありました。

山:同じようにオリジナルスカを、本格的に聞き出した時期で、このスカタライツの「スカ・オーセンティック」も衝撃的でした。オーセンティックって言いながら、音のバランスとかも強烈で。
川:当時はみんな必死でSTUDIO ONEのレコード探してましたね。ギャズがポテト5&ローレル・エイトキン連れて来た芝浦インクスティックのイベントや、スカタライツのローランド・アルフォンソのクアトロライブは、東京のDJ勢揃いって感じで、すごい熱気があった。

スカタライツの「スカ・オーセンティック」
スカタライツの「スカ・オーセンティック」

山:自分はパンク~ニューウェーブの直撃世代なので、ちょっとダサい表現なんだけど(笑)、ハイブリッドな音楽に魅力を感じるんですよ。単純にレゲエとか、ヒップホップとかというよりも、色んな要素がかけ合わさって一つの音楽になるような。後期クラッシュやスタイル・カウンシルなんかも、すごくそういう要素が強いと思います。
クラッシュの『コンバットロック』というアルバムには 『Should I Stay or Should I Go』の様なパンクアンセムもあれば『ROCK THE CASBAH』の様なガラージュ・クラシックスも入っていたりして、とても同じグループの曲とは思えないくらい(笑)ハイブリッドな構成ですよね。

山:そういう意味で、このブギ・ダウン・プロダクションズ(BDP)は、ヒップホップから見たレゲエ、シャインヘッドは、逆にレゲエから見たヒップホップとして、すごく新鮮でした。
シャインヘッドは、ファッションも含めて、盛り上がってましたね。
川:荏開津君が当時藤井悟君と一緒に、Bボーイレーベルに夢中だったこともあり、この二つのアーチストは、月曜日のヘヴィローテーションでもあったし、その後の月曜日の軸にもなって行ったと思います。
僕のDJは、取りあえずお客さんがいてもいなくても、何とか場だけは作れるというのが、今考えると特徴だったと思います。
逆に荏開津君はZOOでは、いい意味でわがままに自由に選曲をしていた。その辺でバランスがうまく取れていたのだと思います。
山:荏開津君は、川野さんに入ってもらう時に、その辺も考えていたと思います。
川:僕も荏開津君も、ピカソではかなり気を使ってDJをしていたと思います。逆にZOOでは、ホームグランド的に、リラックスしてカジュアルなDJがやれたのが、良かったです。

ブギ・ダウン・プロダクションズ
ブギ・ダウン・プロダクションズ
SHINEHEAD
SHINEHEAD

川:この頃のヒップホップで言えば、デ・ラ・ソウルやア・トライブ・コールド・クエストのようなニュースクールが出てきましたね。
P・ピカソにミック・ジャガーが来た時、たまたま僕がDJしていて、デ・ラ・ソウルかけたら、ミックがガンガン踊っていましたから、当時は旬でした。
ZOO出身の出世頭でもあるTOKYO NO1 SOUL SETは、ニュースクールの影響が強くて、LBまつりとかイベントもやってましたよね。

山:この辺もネタの面白さですよね。ジャングル・ブラザースも含めて、この辺のグループは、トラックの選び方が面白かった。
ビースティ・ボーイズも、ロックとヒップホップのハイブリッドとして、すごく新鮮でした。
TOKYO NO1 SOUL SETのメンバーを、当初どういう配置にするかという事は、かなり考えました。
月曜日には最初ドラゴン&ビッケで入れて、マイク寄りのDJ。一番集客力のある土曜日に、当時はまだ経験が浅かった川辺ヒロシ君と、渡辺俊美君を入れるのは、勇気がいりましたが、彼らには独自のセンスと集客力があったので、結果的に成功しました。土曜日の営業という側面での音楽的なバランスは下山君(下北ナイトクラブ時代からのメインDJ)に取ってもらう形にしました。

ATCQ ノーマン・クックREMIX
ATCQ ノーマン・クックREMIX
JUNGLE BROTHERS
JUNGLE BROTHERS
BEASTIE BOYS
BEASTIE BOYS

川:僕がやっていた月曜日の最大のトピックは、当時ビーツ・インターナショナルだったノーマン・クックの来日プレイでしたね。コーラスが入ったり、ライブ的な要素もあり、すごく新鮮でした。少し前に香港でFATBOY SLIMのパフォーマンスを見たけど、当時とは本質的には変わらないですね。
僕がFUNKADELICの『Get Off Your Ass and Jam』をかけたら、ノーマンがものすごいダンスをしてくれて、翌日ライブを見たら、この曲をブレイクビーツ的に演奏していたので、納得でした。

山:あの日は小沢健二君とか、色んな人が来てくれて、サックスやMCも入る動きのあるDJでした。後日ノーマン・クックも良いパフォーマンスだったと、インタビューで語っているのを見ました。
しっかり本人にはサインをしてもらいました(笑)。
川:あれは山下さんのノーマンにプレイして欲しいという熱い情熱を、僕が当時からお付き合いのあった招聘元のスマッシュ日高社長への手紙にしてお願いをし、LIVEの後に、スケジュールを組んでもらいました。
今考えると、無茶なことやりましたが、いい企画でした。
山:ビーツ・インターナショナルは、クラッシュの『GUNS OF BRIXTON』をネタにしてヒットさせたりしていて、自分の考えているハイブリッドなコンビネーションを具現化しているグループだったので、是非やってもらいたいと思っていました。

BEATS INTERNATIONAL FATBOY SLIM襲名前のNORMAN COOKのユニット。来店記念サイン入り!
BEATS INTERNATIONAL FATBOY SLIM襲名前のNORMAN COOKのユニット。来店記念サイン入り!

川:この頃は英国のグループの来日が多く、ジェームス・テイラーカルテットとか、ブラン・ニュー・ヘヴィーズなど、月曜日にはACID JAZZ系のアーチストがよく遊びに来てましたね。レゲエ系だと、DREAD BROADCASTING CORP(DBC)も、プレイしました。
山:プライマル・スクリームやオーシャン・カラー・シーンといったロック系のアーチストも来てました。プライマル・スクリームのボビー・ギレスビーなんかは、何回も来てましたが、あんまり前の事は覚えていない感じでした(笑)。
イギリス系のアーティストは、やはり自分の中で基本的に存在が大きいのですが、マッシヴ・アタックやスミス&マイティなど、ハイブリッドだし、音のバランスもすごく良くて、巧いと思います。イギリスのレゲエやダブと、クラブ的なサウンドとの関係性とか、そういうコンビネーションの影響は大きいですね。
マッシブ・アタックは、ホレス・アンディの起用とかも、斬新でしたね。
川:ターンテーブルのWILD BUNCHから、バンドのマッシヴ・アタックへの変換は見事でした。

MASSIVE ATTACK
MASSIVE ATTACK
SMITH&MIGHTY
SMITH&MIGHTY

川:SLITSになってからは、ライブへの接近というのがあったと思うのですが。僕も三谷昌平君とやらせてもらったBLUE CAFEでは、ラヴ・タンバリンズやクール・スプーンといった素晴らしい日本のバンドとの出会いがありました。
特にラヴ・タンバリンズは僕が抜けた後、大ブレイクした訳ですが、サンデーアフターヌーンの客のいない中プレイしていたした三谷君や、エリちゃん達の頑張りと、山下さんの忍耐強さはすごいなと思いました。
その辺のグループの発展については最近出た渋谷系の本でも少し触れられていて、下北は渋谷系の母と書かれています。実際に山下チルドレンとでも言うべき下北発のアーティストが、現在もかなり活躍していると思います。
山:渋谷はあくまでも商材として大きく消費された地域で、そういった音楽が生まれたのは下北が中心だったと思います。
日曜の午後は、ロンドンのカムデンでやっていたTALKIN’ LOUDのイメージだったんだけど、最初定着させるのは、なかなか難しかった。
川:三谷君のBLUE CAFEは、そこからかれこれ23年続いていて、未だに渋谷で開催されていますから、象徴的ですよね。

山:自分はDJだけでは、なかなか将来含めてみんな食べていくのが大変だから、クラブとして音楽を消費するだけではなく、音楽を生んでいく構造を作りたいと考えていました。
そういうコンセプトを、色々具体的に形にしていったみたいな感じでしょうか。
川:そういう意味では、他のクラブとは違う独自の路線ですよね。
山:ピカソにはもちろん影響を受けていますが、当時意識していたのはナツメグがやっていた代々木のチョコレート・シティだけですね。あそこはライブの音響が素晴らしく良かったんですよ。それとナツメグというレーベルとの関係性とか。
音楽を生んでいく事で、お店とDJが共存して生きていく。そういうのが理想型かなと。
川:ロンドンのクラブは、そういう感じですよね。ジャイルス・ピーターソン、ギャズ・メイオール、ポール・マーフィ…クラブから音楽が生まれていますね。
山:やはり一度ロンドンに行って、色々見てきたことも、自分の中では大きかったですね。

GIL-SCOTT HERON+XX
GIL-SCOTT HERON+XX

川:最近はどんな音楽を聞いていますか?
山:プロディジーで有名になったXLレコーディングスというレーベルがありますが、そこやその傘下レーベルの若いアーチストは面白いです。例えばTHE XXは、自分達のグループもいいですが、亡くなる直前のギル・スコットーヘロンとリミックスという形で共演していたりする。その辺のセンスみたいなのが、レーベルの手腕も含めやはりハイブリッドな感覚でいいと思います。
川:THE XXは、僕も山下さんに教えてもらって聞き始めたんだけど、80年代の英国ロックのダークな感覚が、少し繊細なリズムに乗って展開されて、面白いと感じました。
当時との違いは、ダブの要素が強くなっているのかな。
山:XLレコーディングスは、4ADやベガーズ・バンケットレーベルの傘下なんですよ。4ADやベガーズ・バンケットは、アメリカに進出した後、あのラフトレードも傘下に収めたりしながら、とてもユニークなレーベルとして成功しています。
川:4ADやベガーズ・バンケットというと、バウハウスやコクトー・ツインズを思い出してしまいますが。THE XXからは、そういう系譜も感じられます。
山:同じXLがディストリビュートするキング・クルエルも、最近気に入っています。まだ18歳位の筈ですが、これまでの英国の音楽の要素が全て詰まっているような感じです。
青臭さみたいな部分はもちろんあるんだけど、10代でこういう才能が出てくる英国の音楽環境は、すごいなと思います。
川:THE XXと同じくニューウェーブの香りもするんだけど、そこに至る音楽的バックグランドの奥深さを感じるアーチストですね。

KING CRUEL
KING CRUEL

山:昔は皆血眼になってBLUE BEATレーベル(60年代英国のスカ専門レーベル)のスカを探していましたが、最近はこんな3枚組のBLUE BEATボックスが、1000円ちょっとで買える時代になってしまったというのも、すごいなと思っています。
川:気軽に楽しめるようになったのはいいですが、価値観という意味でも、変わってきていますよね。これはレーベル部分が復刻的で、なかなかいいですね。

BLUE BEAT "THE BIRTH OF SKA"
BLUE BEAT “THE BIRTH OF SKA”

川:これからやってみたい事とかは、ありますか?
山:キング・クルエルみたいな10代の若い世代が、音楽的に成長出来る場所を作ってみたいですね。自分の甥とか見ていても、若い人たちに面白い音楽をもっと聞かせてあげたいと、最近は感じてくるんですよ。
クラブはIDが必要だったりで、10代は出入りしにくいですが、逆に10代でも通って、様々な音楽に接触出来るタイプの場所があったらいいなと思っています。
やっぱり10代とか若い世代から何か生まれて来ないと、始まらないんじゃないかと…。

久しぶりの山下さんとの会話は、非常に楽しく、週1回のDJでしかなかった僕の知らなかったエピソードも色々聞く事が出来たが、残念ながら、全てをここでは紹介しきれない。
今回は僕との接点が近い領域にフォーカスしたが、又次の機会には、もっと違った角度の話しも聞いてみたいと思っている。

これを読んで興味を持たれた方には、『LIFE AT SLITS』を読んで頂き、山下さんの幅広い音楽領域やスタンスを、是非知って頂きたい。
今回は触れられていないラテン、ネオアコ、ガレージ系ロック、ハウスといった領域まで、肩肘張らずに、軽くオーガナイズしてしまいながらも、ブレている感じが全くしないのが、山下さんのすごい所である。
話しを聞いてみると、どの企画も、非常に深く考えてから、実行されているのがわかる。
当時も今も、平日のクラブの動員は厳しいものだ。周囲にはクラブが無いという下北沢という難しい立地で、様々なジャンルのムーヴメントが起きたのは、山下さん抜きでは語れないものである。

山下さんが下北時代をまとめた「LIFE AT SLITS」P−Vine books
山下さんが下北時代をまとめた「LIFE AT SLITS」P−Vine books

今回持ってきて頂いたレコードは、多分僕との接点も意識されてのセレクトだったと思うが、時代を象徴するタイトルばかりだ。これは、山下さんがきちんと時代と対峙していた事のエビデンスではないかと思う。
ハイブリッドというキーワードが出てきたが、山下さん自身が、何層もの音楽的レイヤーを持ったハイブリッドな人なのである。
最近は若干シーンからは引き気味の山下さんだが、しっかりとキング・クルエルやTHE XXなど英国の若手アーチストをおさえているのも、彼らしいセレクト。

これからは若い世代がもっと音楽に接する事の出来る場を提供したいという事だったが、セルクルルージュとしても、これから又何か山下さんと、新しいチャレンジをしていきたいと考えているところである。

『FLYING BODIES』News −4/第1回こども国際映画祭in沖縄(KIFFO)で、グランプリ受賞

子供たちの作ったバルーンでライトアップされた映画祭
子供たちの作ったバルーンでライトアップされた映画祭

11月23〜24日第1回こども国際映画祭in沖縄(KIFFO)が、沖縄県立博物館美術館 3 階講堂で開催され、『FLYING BODIES』が、グランプリを受賞しました。
KIFFOは、子供達が運営し、子供達が審査をする画期的な映画祭です。
小・中・高の多感な時期に映画を通じて世界を知ること、また、こどもがスタッフや審査員として映画祭に関わることで豊かな人間性を育てることを目的としており、本祭 の23日、24日の両日は小学校3年生から高校生までのこどもスタッフが受付・進行・司会・装飾誘導・技術にわかれ映画祭運営にたずさわり、プレインベントを含む3日間は、のべ700名の一般観客が映画祭をおとずれました。

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子供達が作ったバルーンアート

こどもボランティアは応募が100名以上あり、常時60名のこどもが働いていて走り回るので、場内アナウンスで、「上映に先駆けまして、携帯電話の電源をお切りください。会場内、会場の外を走らないでください」という小学校の放送みたいな案内も、小学5年生の担当者がやっていました。
中野監督のアテンドや、舞台挨拶の呼び出し、出待ちのマイク渡しまで、子供担当者でした。

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映画祭のディレクター宮平貴子さんが、同じく子供映画祭を運営しているベルリン映画祭を訪れた際に、海外セールス用の『FLYING BODIES』のフライヤーを見つけたのが、KIFFOと『FLYING BODIES』のきっかけでした。
映画祭最終日の24日には小学校3年生~中学生1年生のこども審査員10名(うち1名 は部活動により欠員)による審議が行われ、第1回目のグランプリは青森大学の男子新体操部の活動を追った中野裕之監督のノンフィクションフィルム『フライングボディーズ』が選ばれ、こども審査委員長の平良柚磨さん(小学校5年生)より、琉球ガラスの KIFFO グランプリトロフィーが贈呈されました。

子供映画祭トロフィー

こども審査委員長の平良柚磨さん(小学5年生)の講評の一部です。
「審査はとても難しく多数決は使わずに決めました。「ドキュメンタリー」や「スポーツ」「恋愛」といったいろんなジャンルがあり、最初は意見がバラバラでした。 「3作のなかで一番憧れを持ったから」「他の映画は監督に指示されて動くけどこの映 画はありのままの男子新体操そのものを映し出しているからすごい」というたくさんの 意見が出て最終的に『フライング ボディーズ』がグランプリにふさわしい映画でした。 本当なら議論するのは3回のはずが(注釈:事前に決めたルールにより)なんと6回も議論を続けるというぐらいむずかしい審査でした。中野監督にはこのような素晴らしい映画をみせてくださり心より感謝します。これからもいい映画を作って下さることを期待します。」

表彰式の様子。
表彰式の様子。

グランプリを受賞した中野裕之監督から、映画祭に向けてのメッセージです。

「“KIFFO でのことは一生忘れない思い出になりました。 審査状況報告からどうして『FLYING BODIES』になったかって きいているうちに泣きそうなってそこに、次から次へとこどもたちが 映画そのもので伝えたかったことをちゃんと理解して感じて くれていたことが朗読されていった。 もう、どんな苦しみがあろうとも、また頑張っていい映画を作ろうと 心に誓いながら、空港に向かうタクシーで泣きながら誓った。 ありがとう、こどもたち、スタッフのみなさん。」

そしてこども審査員の皆さんから、中野監督が頂いた映画の感想文です。
子供達が、それぞれの視点で、映画の本質をきちんと理解している事が、ダイレクトに伝わってきます。

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山城俊智君の感想文
山城俊智君の感想文

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高良海花さんの感想文
高良海花さんの感想文

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審査委員長講評
審査委員長講評