アピチャッポン・ウィーラセタクン監督 新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015) 川口敦子(以下A)
川野正雄(以下M)
川口哲生(以下T)
A:見ている、聞いている、感じている、触ってもいる、でも「何を」と説明しようとすると手の中をすりぬけていく砂のように言葉が抜け落ちていってしまう。そういう名づけられないものを感覚することがアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画を体験するということになるように思えます。「何か」についてではない物語り。
名古屋靖(以下N)
T:事前にみた『世紀の光』はより実験的で感情がむき出しに伝わってきた様に思うけれど、この映画はより暗喩的であり、ナラティヴな物語性の中での表現になっていた。自分としてはとても面白かったです。
N:幸運にも『世紀の光』からそんなに時間を空けずに『光りの墓』を観ることができたのは、作品を越えて病的と思えるほどの執着心や、それらモチーフを偏愛する結果、監督自身の映画そのものへの探究心が深まっていってるのがわかって面白かったです。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督に身を任せるか否か?で好き嫌いは分かれますが、自分はどっぷりと2時間、監督の夢の世界を気持ちよく漂う事ができました。
M:独特の長回し。光の使い方。
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015) A:醒めてみる夢、というか夢の中で見た映画というか。
A:「映画監督」とイージーにくくってしまうのがためらわれるようなアピチャッポンについては、どんなことを思いました?
T:とても興味深いですね。タイの政情など本当に理解しきれないところがありますが、何が彼に映画を作らせるのか、そうした興味が純粋に湧きました。
N:変態ですね、きっと。勉強不足で今までまったく知らなかったのですが、久しぶりに興味深いアート系の映画監督と巡り合った感じです。前向きになれば実力は申し分ないと思いますが、今後も普通の商業映画の監督にはなりたくはないのでは?
M:タイ映画というと『マッハ』シリーズのようなアクションのイメージがあったので、全く違いますね。そういった当たり障りの無いアクション映画へのアンチテーゼのような意識があったのかなとも思います。
A:ハリウッドの昔ながらの映画では、これを見なさいというのを観客に感じさせずに、でもみごとに誘導していく、その技を磨いてストーリーテリングの粋ともいうべき映画の方法を蓄積してきた、そういう意味での物語りの仕方とは別の方法を最初の長編『真昼の不思議な物体』から提示していますね。ここではシュルレアリストの手法”優美な死体“をヒントにお話を撮影クルーの訪れる所々の人びとが受け継いでいく。リレー形式で編まれる物語の意外性もさることながら、受け継がれる物語を受け継ぐ人、その人のいる場所、時間、光をすくい取る黒白の映像自体が物語となっていくような――。そんな映画にすでにこの作り手ならでは興味のありかが示されていたように思います。
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015) A:アピチャッポン・ウィーラセタクンに『ブンミおじさんの森』で大賞を与えた2010年カンヌ映画祭コンペ部門の審査員長はティム・バートンでしたが、彼やデヴィッド・リンチ、ガス・ヴァン・サントのようなアート・フィルムと物語性をもつ”普通の映画”の狭間で撮る人たち、あるいはデレク・ジャーマンやウォーホルのような実験映画、現代美術の領域も含んだ映画の撮り手たち、アピチャッポンは彼らと比べてもいっそうユニークな存在ですね。自身の世界を究め、長編映画と共に、短編、アートインスタレーションもコンスタントに発表している。そのあたりの創作のスタンス、その”越境的”な要素についてはいかがでしょう?
M:個人的にはガス・ヴァン・サントのような狭間で撮る監督の方が好きです。
N:チャート表を作成すれば、彼は上記の誰よりもアート・フィルム寄りの人ですよね。普通の映画のジャンルには当てはまらないであろう『世紀の光』に対して『光りの墓』は、よりナラティヴな内容とオーガニックな映像美で、その狭間のほんの近くまで歩み寄った監督の意欲作だと思います。個人的にはこれ以上は普通になって欲しくないのですが、今後どこに向かうのか?とても興味があります。
T:実験性の高い映画やアートインスタレーションがナラティヴを排している故に、見る側の『何をみるか』の幅が格段に広い様に、彼の映画は、同じ映画に何を観るか、個人ごとのレイヤーがある。解釈「making sense」でなく何を感じ、何を観るか。
A:80年代東京ではもっと当り前に見られた上記のような監督の映画が今、支持されると思いますか? 他のジャンルでも見やすい、聞きやすい、着やすいといったリアルなものが蔓延しているように思いますが、そういう傾向は変わっていくと思いますか?
N:この映画が変わるきっかけになってくれると嬉しいです。
M:デレク・ジャーマンなんかは、当時は人気がありましたね。
A:短編やインスタレーションを含めたひとつのアートワークの中に長編映画も組み込まれるというあり方。例えば『ブンミおじさんの森』にしても”プリミティブ”という複合的なプロジェクトに含まれているんですね。政治や歴史も深く呑み込んだ現代アートの一環としての映画作りを基本とする。というと観客を突き放すような印象も与えますが、そうではない。”私”の表現ではあっても、排他的ではないというか。うまく言葉にならないんですが、その辺りにもアピチャッポンの面白さがあると思う。
T:音楽や映画やファッションもですが、判りやすいもの、容易に楽しめるものになっています。先にも述べたこの人は何を考えているのだろう、といった次元の興味は今は難しくなっています。“stop making sense”という忍耐(?)がいるものには飛びつかなくなっています。
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015) A:記憶、夢、眠りという核になっているモチーフについては? 『世紀の光』と見比べていかがですか?
T:『世紀の光』も同じインタビューのシチュエーションの場所を換えての繰り返しみたいな同じ人の中での記憶なのか、あるいは覚めない夢なのかといった感じを持ちました。
N:それらのモチーフは、『世紀の光』がごく私的なアート・フィルムだったのに対し、『光りの墓』を普通の映画らしく作用させた重要な要素の一つだと思います。しかしその発想の原点は、当時のタイから現実逃避するために眠ることに魅了された監督が熱中した、自分の夢を書きとめていくという極めて内向きな芸術活動からで、そこにも彼の少しだけ病的な執着心を感じます。
A:『トロピカル・マラディ』で中島敦「山月記」の引用をしたこともありますが、自然と科学(医療)、霊魂、変容、輪廻転生といったモチーフが非現実的な幻想であるよりは、まざまざとした、あっけない現実として描かれる。この点に関しては?
N:精霊や憑依など、あっけらかんと描かれていてもまったく違和感ないのは、タイという土地や人々らの南国的お気楽気質がそうさせるのかもしれません。湖畔のお堂の姉妹霊のエピソードなどがスムースに入ってきたのも、イサーン地方という土着信仰も根強いスピリチャルな土地にプラスして、タイの南国気質が関係しているのでしょう。笑いまでは行かないけれど微笑ましい緩やかなユーモアが許されるのも、微笑みの国タイらしさを感じさせます。同じ内容で別の映像作家がヨーロッパで撮影していたらこうはならないでしょう。また勝手な解釈ですが、ラストシーンのサッカー少年たちは、病院の地下に眠る昔の王様たちじゃないかと個人的には思っています。
M:非常に寓話的なエピソードの使い方が面白いです。
T:汎アジア的なアニミズム的な物事は日本人としては受け入れやすいように思いますが、そのカジュアルさはpopであっけらかんとしていますね。
A:街頭の集団エアロビクスもそうですが”森”も繰り返し各作に登場してくる。動物と植物と人の境い目をみつめている気もしますが?
N:『世紀の光』オープニングの風に揺れる木々や田園、『光りの墓』の病室から見える森など、オーガニックでボタニカルな映像が印象に残る映像作家です。それらとは逆に時折差し込まれる工事現場やその雑音がとても人工的で、『世紀の光』の後半で使っていた不穏な音楽と同様にいい対比になっています。自分にはそれらが目に見えぬ神や王様たちの魂の声に聞こえていました。
T:輪廻転生を語るようなところがありましたが、動物や植物と人間は紙一重でつながっている感がありますね。そして『世紀の光』でのたびたび挿入される工事現場やトラクターみたいな建機が象徴する埃っぽい現実感、『光りの墓』ではケミカルな光の医療機器等のSFっぽい未来感,そういったものが森や植物とともに共存するところが面白いところですね。
A:今回の映画は『世紀の光』のような真ん中でまた始まるといった不思議な構成が目につくわけではありませんが、物語り方はやはりちょっと独特ですね。その面白さについて具体的にどうでしょう? 自然とケミカルなものの共存、長回し、ほぼ素人の演技者たちといった部分で抵抗を感じましたか?
N:ほぼ引きのアングルのみで、独特のスピードで観るものを混乱と昏睡に誘う『世紀の光』と比較すると『光りの墓』は台詞にも一貫性が感じられ、至極まっとうな映画に見えてきます。先ほども触れましたが、窓の外の木々に露出を合わせたイットが眠るシーンと、夜の病室のケミカルな光の治療シーンは、忘れられない美しさです。
A:長回しの印象がありますが、『トロピカル・マラディ』の頃には案外、普通にカットを割っている所もあり、手持ちキャメラをつかったりもして、今、見直すとあっと意外な気もします。ただ、風や森の緑や、光、水といった自然への眼、時間への感覚は一貫しているので、目立った筋よりそうした時の中にこそ物語を見る方へとより積極的に向かってきたのかなあとは思います。反面、それだけではいられない政情、現実の切迫感もまたあるのでしょうが。
T:先にも言ったけれど、自然と共存するケミカルな色使い、とか不思議な集団ワークアウトとかはやはり監督のpopさや独特のユーモアを感じました。
A:独特の時の流れの感触については?
M:『世紀の光』からそのまま進化した形でしょうか。
T:同じアジアである日本人としてすごく『アジア的』と感じる要素はここになると思いますが。
N:油断すると寝落ちしそうになるくらいゆっくりとした時の流れと間ですが、タイ語のやさしい響きと相まって、慣れてくると心地よささえ感じられます。この柔らかい感触もアピチャッポン監督の特徴かと思います。
A:タイの現状も重要な背景になっていますが、その点に関してはどう見ましたか?
M:政情に関してですが、これはなかなか映画では訴えにくいテーマなのかもしれません。
N:タクシン派として赤いシャツを着てイサーン地方の人々も大勢参加していたバンコックでの大規模デモのニュースが今も印象に残っています。タイ中央に反抗する伝統も持つイサーンの人々が、如何に自分達のアイデンティティを失わないようにするか葛藤している監督の姿が、あからさまではないですが所々で見え隠れしています。
A:中国・台湾・香港、イラン等々、欧米以外の映画が注目を集める時、ある種の上から目線的エキゾチシズムをどこか払拭しきれない場合がありますよね。アピチャッポンの欧米での評価の高さにもそうした要素が関わっていると思いますか?
T:先の時間の流れの話ではないけれど、アジア人でありながらアジア的ということに関するエキゾチシズムを感じてしまうのも確か。でも監督にはそうしたアジア性を超えた興味を感じました。
A:トラン・アン・ユンの映画はベトナムで生まれたけれどパリで育ったフランス人の感覚ももった彼が、懐かしむベトナムに外からの目を感じさせずにはいない。そのエキゾチシズムはアピチャッポンの映画にはないと思える。
M:なるほどトラン・アン・ユンのベトナムを見る視点を、上から目線とすると、そうではないですね。もっと土着的な感じがします。
A:ゲイであることを公表している監督ですが映画にそのことが関係していると思いましたか?
T:むしろ『世紀の光』のいくつかのシーンのほうにそういったことを感じました。
M:男性器を唐突に象徴的に描いているので、何故かと思いましたが、ゲイと聞き、納得しました。
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015) A:次はSFをと語っていますが、どんなものになると思いますか? 彼の世界はSF的なのでしょうか?
M:彼の作品は非常に寓話的なので、面白いと思います。
N:僕は今のままで行って欲しいです。アピチャッポン監督の作品は新しい種類の映画体験だと思います。そんな彼が挑むSFは予測不可能です。今から楽しみにしています。
VIDEO 
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の新作『光りの墓』は、3月26日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショーとなります。■公式サイト