新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第46回は、旧作と新作をコンビネーションして、香港を見つめます。
90年代以降香港を代表する映画作家となったウォン・カーウァイ作品の4Kデジタル修復版特集上映と、現在の香港の状況を見つめるドキュメンタリー作品『時代革命』、『Blue Island 憂鬱乃島』を取り上げます。
ウォン・カーウァイ作品は『WKW4K』というタイトルで、出世作『恋する惑星』から、『天使の涙』、『ブエノスアイレス』、『花様年華』、『2046』までの5本です。
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。
★ウォン・カーウァイ(以下WKW)自らスクリーン・サイズや音声にこだわりつつ修復作業にあたったという5作品の特集上映ですが、まずはミニシアター・ブームを支えた90年代から00年代の彼の映画をどんなふうに見ていましたか?
川口敦子(以下A): WKW以前の香港映画というと、個人的にはこの仕事を始めて間もなくの頃、映画ファン雑誌で大人気だったジャッキー・チェンのクンフー・アクションがあって、香港に最初に行ったのもその関連のファンの集いを取材するものだったりしたんですね。ベルモンドとも通じる捨て身のアクションとブルース・リーとは一味違うお茶目なキャラクターで独自の境地を啓き、また監督としても侮れないものがあったチェンでしたが、ファンになるというのとはちょっと違ったところから距離をもって眺めていた、そんな気がします。もちろん同時期には台湾、中国映画の新たな作家たちへの注目もあって、その流れの中でアン・ホイの『望郷』とか香港ニューウェーブの動きにも注目する感じでしたね。ちょうどその中心的な存在だった面々が今、改めて集って香港の変遷をたどりつつ撮ったオムニバス『七人樂隊』もこの秋公開されます。WKWと縁の深いパトリック・タム、タランティーノ絶賛の『友よ風の彼方に』のリンゴ・ラムの遺作とかもあってぜひこちらもご覧くださいなんですが、話を戻すと、WKWの前におおっと惹き込まれたのがジョン・ウーの『男たちの挽歌』で、試写を見て勇んで帰って当時、一緒だったタイレルコーポレーションの面々にこれはみんな見た方がいい!! って、いつもはあまりそういうこといわない方なんですが(笑) お薦めしたのを覚えてます。いわゆる香港ノワールの出現でしたね。ここで香港映画にぐっと気持ちが近づいた、それこそメルヴィルにも通じるクールを、きめきめすぎの熱さで迷いなく消化する世界には往年の日活アクションを見る時とも似たちょっとやらしく斜に構えた愉しみ方、どこかでキッチュを愉しむっていうのかな、そういう部分もありましたね。で、『欲望の翼』でいよいよWKWが登場したわけですが、香港ノワールをめぐる今いったちょっと斜に構えた称賛に近いようで、もう少し真正面からいいなあと、それはあの頃、文化屋雑貨店がみつけてくるものをちょっといいなと思うようなレトロとキッチュとエスニック、それに英国の香りもさらに混交したような香港60年代の風景というのか、空気感というのか、そこにくらりとなったんだったと思います。で、90年代になると渋谷のミニシアターでロングランする『恋する惑星』とか『天使の涙』とか”おしゃれ″なWKWってもてはやされたりしましたけど、そこは正直いうと冷めた目で見ていた部分もあったかもです。映画としての面白さという点では、そして個人的な好きの気持ちとしても『欲望の翼』『花様年華』『2046』の60年代香港、これに『グランド・マスター』も加えた所が私の好きなWKWなんだなあと改めて正直な気持ちで振り返るとそんなことを感じてます。
川野正雄(以下M):今回上映の作品で言うと、『2046』以外は、全て見ていました。『花様年華』以外は、公開時劇場で見ています。『恋する惑星』『天使の涙』は、3回目の鑑賞になりました。
今回まとめて見る事で、作品の前後のつながりが初めて認識でき、WKWのテーマ性を改めて理解できました。
私が最初に見たのは『恋する惑星』で、渋谷のシネマライズで見た時の衝撃は、今でもよく覚えています。WKW、トニー・レオン、金城武、フェイ・ウォン、クリストファー・ドイルとの初めて出会った映画でもありました。香港という舞台に、俳優、音楽、映像がセンスの良いコンビネーションで融合し、なおかつエモーショナルな気分にさせてくれる映画との出会いは衝撃的でした。今でも自分の中ではオールタイムベスト10に入ってくる程好きな映画です。
その後のWKW作品は、段々とダークな面が強くなり、とっつきにくさもあったのですが、常に見たい監督です。
『ブエノスアイレス』は当時はゲイの愛欲シーンがハードで、ちょと苦手な映画だったのですが、改めて見ると『真夜中のカーボーイ』的なロードムービー性も含めて、この作品の魅力を理解する事が出来ました。
『2046』は、多分タイミングを逸しただけだったのですが、色々言われたキムタク出演シーン含めて、とても良かったです。やはり『花様年華』との一気見をお勧めしたいです。
敦子さんお薦めの『欲望の翼』は、『恋する惑星』公開後の再上映で見たと思うのですが、残念ながら記憶がほとんどありません。
★今回のレストア・バージョンを見て。当時の印象はどのように変わりましたか?
あるいは変わりませんでしたか?
M: 先ほども言いましたが、『ブエノスアイレス』は、大きく印象が変わりました。
ゲイ映画では『ブロークバック・マウンテン』も好きな作品ですが、これも台湾のアン・リー監督作品なので、『ブエノスアイレス』の影響もあったのかなと、勝手に妄想してしまいます。冒頭のシーンからうまく作品に入れなかったのですが、今回はすんなり入っていけました。これは自分の感性が、ようやくWKWを受け入れられるようになったのかなと思います。
『天使の涙』も、当時は金城武のシーンなどが、ゴチャゴチャした印象だったのですが、今回見て、『恋する惑星』からの流れ含めて再認識でき、良かったです。
海底トンネルをバイクで疾走するシーンや、レゲエ的な曲含めて、この映画の魅力も再認識できました。
『恋する惑星』は、デニス・ブラウンのレゲエをジュークボックスでかけていた事は、全く忘れていました。それだけママス&パパスとフェイ・ウォンの歌のインパクトが強かったのだと思います。
香港は全くレゲエ文化のない地域なので、90年代WKWがレゲエを使っていた事は、すごくチャレンジだったと思います。
すごく音楽に詳しい香港人でも、ボブ・マーリィくらいしかわからない人が多かったです。
『2046』『花様年華』を通して感じるのは、恋愛を軸にエゴイズムや哀しみを描いていると思うのですが、描き方が乾いているんですよね。愁嘆場的な描き方ではないので、ダイレクトに共感を呼ぶという感じではないのですが、ジワっとくる感情の揺れが、WKW独特のリズムで描かれています。これは『恋する惑星』の時とは大きく違う手法で、『天使の涙』から徐々に使われているように感じます。
A: 好きという部分でいえば上記の作品がやっぱり変わらず好き。それに『ブエノスアイレス』も初公開時は映画の仕事を少しお休みしていた時で、映画を見ることそのものを少し遠ざけていたほんの少しの間ですが、そういう時期だったので、それでも見たんですけど上の空なところがあったんだなと、今回、レストア版を見て、こんなにいいんだと思った次第です。ですが、最初に見た時にもチャン・チェンの位置が面白いなと、最後の方の台湾の高架線の駅に入っていく電車内からの視界の乾いた涼やかさが胸に迫る感じは今回も変わらずあって、で、その感じはベルリンの高架線に乗ってる時の視界とも通じる気がして、WKWってヴェンダースをどう思ってるのかなあ――と、以前、『天使の涙』がベルリン映画祭に出た時、共同取材した時にもちょっと訊いたんですがもひとつはぐらかされちゃって、だけど『2046』のホテルの屋上の看板と人の位置、バランスとか『ミリオンダラー・ホテル』を彷彿とさせませんか?
なーんてそれはともかくレストア版でスクリーンサイズにもこだわっているので、やはりきちんと映画館の大画面で見なくちゃなあと、思っています。
★新旧バージョンを目にした今、改めてWKW映画の魅力はどんな所にあると感じましたか?
A: いろいろあるんですが、今回見直して、改めてスターの見せ方がうまいなあと感じ入りました。そこにわくわくさせられますよね。もちろん香港、中国、台湾のスターたちの底力ということでもあるんでしょうが、トニー・レオンのポマードで固めた髪型の時のなんともいえない色気、昭和の映画界のスターたちが漂わせていたような、銀幕にこそ似合う軽すぎない佇まいとか、やっぱりいいなあと惹き込まれました。女優達も同様に映画スタアの素敵を輝かせる、チャン・ツィーもコン・リーも他の監督作でのよさとは一味違う艶やかさ、艶めきで視線をくぎ付けにしてくれますよね。脇を固めるスー・ビンラン、レベッカ・パンと演技もですが顔そのものの選び方もうまいなあと思います。
あと、やはり『欲望の翼』『花様年華』『2046』の同じ名前を持つ登場人物の重なりを追って小説の大きな世界を完成させていくような所も魅力的です。音楽、そして撮影、衣装、美術といった視覚面の充実もさることながら脚本家から始めたWKWの物語する力というのもまとめて見直すと今更ですが見逃せない監督としての強みだと感じました。
M: 今回強く感じたのは4点ですね。
まず俳優がとても美しく撮れている事。これは敦子さんの意見に同じくです。
『花様年華』のトニー・レオンとマギー・チャンは特にすごいなと思いました。
次に土砂降りが大きなシークエンスになる事。これもまとめて見た故に感じた事です。
やはり音楽の素晴らしさです。アジアの監督では、最高に音楽の使い方がうまいのではないでしょうか。
そしてクリストファー・ドイルの映像の素晴らしさです。ある種作り物〜未来社会的な構図の中での閉塞感のあるドラマ。これがWKWの世界だなと、強く感じます。どっぷり音楽と映像でWKWの世界に引き込まれました。
★1997年香港の中国への変換を前にした時代の『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』には”トランジットの感覚″、乗り換え地点にあるような香港という感覚が底に響いているように思いますがいかがでしょう? またその節目を通過した後の『花様年華』『2046』には、失われた時空としての香港を追憶する感触があるようにも思いますが、WKW映画の香港に対する思いに関してはどんなふうに見てきましたか? また今改めて見ると、その部分どんなふうに感じられますか?
A:まさにですね。返還を控えた90年代の映画には独特の切迫感があったと思うし、60年代を舞台にした3部作には失われた時を求めてといった、色褪せた絵葉書を見るような懐かしさ、切なさがあって、そういうことをおもってよくよく見直してみるとWKW映画ってけっしてかつてそう見られていたような”おしゃれ″映画というのではなく、その底には深い歴史感覚が響いている、その噛み応えもきちんと評価したいですよね。
M:『花様年華』『2046』からは、60年台の香港の魅力を感じました。ジャン=ポール・ベルモンドの『カトマンズの男』も当時の香港で撮影されていますが、今の香港にはないエキゾチックな魅力を、この2作品からは感じましたし、敦子さんの言うトランジット感もありますね。そして確かに映像を切り取ると、絵葉書になりそうです。
私自身は1980年代以降何回も香港を訪れ、2010年には住んでいた時代もあったので、香港への思い入れは人一倍強い人間です。
ある程度香港の土地勘がある中で見ていると、WKW独特の香港の切り取り方が見えてきます。それは場所であったり、雑踏であったり、市民であったりします。一番今回見た中で香港らしいなと思ったのは、『恋する惑星』でいつもトニー・レオンが麺を食べている店です。すごく香港の空気を感じるシーンでした。
『恋する惑星』を見て、香港のチョンキーマンションや、ランカイフォンのエスカレーターに行った事も思い出しました。チョンキーマンションは、インド料理屋が美味しく、在住時はよく行きましたが、香港人には敬遠される場所でもありました。
こういう香港の日常の少しダークな側面の切り取り方が、WKWはすごくうまいと思います。そしてそこには香港への様々な思いが詰まっているのではないでしょうか。
私がカンヌ映画祭に行った際、オープニング上映が、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でした。上映を見た後、バスで山中の打ち上げパーティ会場に連れて行かれたのですが、今思い起こすと幻想のような体験でした。
この映画は英語でアメリカで撮影されていたのですが、ジム・ジャームッシュ作品に置き換えられるような印象で、自分自身は香港で広東語で撮るWKW作品の方が率直に好きだなと思いました。
そういえばこの時のカンヌ映画祭で、フジテレビのパーティに行ったら、WKWと木村拓哉さんが対面していました。当然予めセッティングされていたと思いますが、WKWが結構そっけない対応で、そんなものなのかな〜と思いながら眺めていました。
★前のQと関連して香港の今を睨み、そのアイデンティティを考える2本のドキュメンタリー『Blue Island憂鬱之島』『時代革命』が同時期に、公開されていますが、この2本については?
A:2本のドキュメンタリー(『乱世備忘 僕らの雨傘運動』のチャン・ジーウン監督の意欲作『Blue Island憂鬱之島』は単にドキュメンタリーと呼んでしまうとちょっと違う、フィクションと記録の混交に注目したい一作でもあるわけですが)を見ると、WKW映画で見た都市の顔、あ、あそこだと懐かしい所があるだけに、今の香港の人々が直面している危機が他人事でなく迫ってくる。ってあまりにもナイーブな言い方になってしまいますが、他人事ですませず、発信された訴えを受け止め少なくとも考えてみること、世界がどんどん危ない方に進んでいるような今だからこそ、見て、感じて、考えたいドキュメンタリーだと思います。
M:私は『時代革命』しか見れていないのですが、衝撃的です。自分の馴染みのある場所、例えば油麻地駅構内の地下鉄での暴行、信じられません。私は香港の人たちは、せっかちですが、穏やかで、比較的のんびり暮らす人が多い印象を持っています。
冒頭朝から香港人がデモに集結していて驚くシーンがありますが、本当に香港人がこんなに怒り、行動する事が考えられません。それ以上に暴力的な警察の対応も、現代で私たちが好きだった香港で起きている事が許せない気持ちになりました。
日本のテレビで報道されている事が、ごく一部の状況であった事もよく理解できます。
行動する若者に、古くから香港に住んでいる白人がキレるシーンがありました。これはこれでまた立場が違った見方として、理解できるものでした。
しかし今や多くの欧米企業は、アジアの本拠地をシンガポールに移し、経済的にも香港の意義は弱まっていると思います。
改めてコロナが落ち着いたら、再度香港に行き、自分の目で変化を確かめたいと思いました。
★WKWの今後、そして香港映画の今後をどのように占いますか? あるいはどんなふうに期待していますか?
A:WKWには連続ドラマの新作の企画もないわけではないようですが、なかなか確かな情報が判らなくて、期待が余計に募ります。ハヤカワから今年の1月に原作の翻訳が出た「繁花」は「戦後、文革、高度成長――歴史に翻弄され激変していく上海を生き抜く三人の少年たちの過去と今をユーモアと哀愁たっぷりに描く大河小説! 全篇上海語の会話を関西弁で翻訳する野心的な試みが結実! ウォン・カーウァイ監督ドラマ化決定の現代中国文学の精華。」ってアマゾンでは紹介されているので、待ってみましょう(笑)
『花様年華』もそうですが5歳の時に上海から香港にきたWKWにとって上海人コミュニティというのが大きな関心事でもあるんですね。それだけに期待大です。
M:90年代に比べるとWKWの制作ペースが落ち、2010年代は『グランド・マスター』だけですよね。『グランド・マスター』も、私が香港に住んでいる時から話題でしたが、かなり時間がかかりました。ドラマもいいですが、映画でWKWは見たいですね。
映画制作が決まらないのは、何らかの事情もあると推察しますが、まだまだ精力的に作品を撮って欲しいですね。香港映画に関しては、最近の作品を追っていないので、コメントは難しいですが、メインランドの監視が強くなり、その影響があるのかないのか、気になります。
映画『時代革命』
ユーロスペースほか全国順次公開中
監督:キウィ・チョウ
配給:太秦 2021|香港|カラー|DCP|5.1ch|158分
(C) Haven Productions Ltd.
『Blue Island 憂鬱乃島』
全国順次公開中。
WKW 4K 特集上映
8月19日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次公開中。
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セルクルルージュ・ヴィンテージストアでは、貴重な『恋する惑星』アメリカ版オリジナルポスターを販売しております(1枚のみ)。