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70’s Vibration/Look back in 70’s

赤レンガ倉庫1号館
赤レンガ倉庫1号館

8月1日より、横浜赤レンガ倉庫1号館において、『70’s バイブレーション!YOKOHAMA』というイベントが開催されている。
これは日本のポップミュージックが生まれた1960年代後半から70年代末までの音楽シーンを中心に、日本のポップカルチャー全般を横断的に紹介するイベントである。
今回は、ここで詳細な展示の解説をするわけではないが、セルクルルージュなりの視点で、このイベントを紹介していきたい。
1970年代にフォーカスしたこのイベントを通過したオーディエンス一人一人には、何が残り、何が新たに生まれてくるのか。
そこに注目したいと考えている。
このイベントは、大きく4つのエレメンツに分かれている。

1)赤レンガ倉庫での展示会場〜見る/知る
2)横浜で開催される連動イベント〜体験する/聴く
3)会場に併設される青山の輸入レコード屋パイドパイパーハウスの復活と、新たに生産されたコンピレーションCDなど、マーチャンダイジング〜触れる/聴く
4)雑誌SWITCHから出版された70’s VIBRATION YOKOHAMA SPECIAL ISSUE〜読む/知る

オーディエンスは、何処からアクセスしても、1970年代のエッセンスに触れることが出来る。そこからどうDIGしていくのかは、本人次第である。

70年代の細野晴臣さんの活動。
70年代の細野晴臣さんの活動。

セルクルルージュとのつながりとしては、川口哲生の長年の友人であり、このイベントに協力している関西大学 音楽アーカイブミュージアムプロジェクトを担っている三浦文夫教授から、イベントの実行委員長である山中滋さんを紹介して頂いたのが、きっかけである。

映画の世界でいえば、京橋のフィルムセンターで、過去の作品のアーカイブ化は進められている。
雑誌も、代官山TSUTAYAの2階ラウンジに行けば、アーカイブとして閲覧が出来る環境が作られている。
では音楽の世界で、日本のポップミュージックのアーカイブはあるのだろうか。
今誰かが音楽の世界のアーカイブに着手しないと、どんどん現役だった方々の証言は失われていくのではないか。
詳細は伺っていないが、関西大学の音楽アーカイブミュージアムプロジェクトは、そのような危機感から生まれてきたプロジェクトなのではないかと思っている。
今回の『70’s バイブレーション!YOKOHAMA』は、70年代という激動の時代にフォーカスしながら、日本のミュージックアーカイブの必要性を、社会に提示していく。そんなテーマが、内包されているように感じている。
60年代の終盤位から、フォーク・クルセダーズなどにより、ミュージシャンによる日本のポップミュージックシーンはスタートしている。
ロカビリーやGSなどそれまでのポップミュージックは、芸能界の仕切りだったという解釈で、1967年頃からのロックを中心にした音楽シーンに今回の企画は、フォーカスをあてている。

PIED PIPER HOUSE
PIED PIPER HOUSE
ANALOG!
ANALOG!

今回のイベントの中で大きな話題になっているのは、青山骨董通りにあった輸入レコード屋パイドパイパーハウスの復活である。
自分にとっては、ミュージックマガジンで紹介されているマイナーな輸入盤を買える店であり、情報収集の場であった。
正直価格は若干高めだったので、地元で買えるレコードは地元で買っていた。
パイドパイパーでは当時は斬新だったZEレコードや、英国のパブロック、そしてあまり出回らない12インチシングルを買っていた記憶がある。
どちらかというと、AORやシンガーソングライター、そしてワールドミュージック的なセレクトが中心で、当時は英国的なNEW WAVEやDANCE系を中心に買っていた自分とは、若干の距離があるレコード屋でもあったが、前を通ると必ず店内を覗いてみる存在でもあった。
当時竹下通りにあった輸入レコード屋メロディハウスは、ウエストコースト的なアメリカ色が強い印象で、パイドパイパーは日本のアーチストも含め、よりマニアックな印象が残っている。
当時の紙袋も復活し、狭いスペースではあるが、当時レアだったアナログ盤のCD化された商品や、当時を彷彿させる日本人アーチストのアナログ盤中心に構成させており、当時の気分を味わえるゾーンになっている。
入場無料ゾーンではあるが、フォーク・クルセダーズや、細野晴臣さん関係の展示も若干あるエリアになっており、このエリアだけでも十分楽しめる。

イムジン河のジャケットスタディ
イムジン河のジャケットスタディ
加藤和彦さん
不思議な衣装の加藤和彦さん

1階にはパイドパイパーカフェが登場。
新設されたWEB MAGAZINE おとなのMUSIC WALKERとのコラボレーションイベントなどを開催している。

1階にあるパイドパイパーカフェ
1階にあるパイドパイパーカフェ
パイドパイパーカフェには、特大版レコード帯がディスプレイされている。
パイドパイパーカフェには、特大版レコード帯がディスプレイされている。
パイドパイパーカフェで行われたおとなのMUSIC  WALKERのイベント。不破了三の「TVサントラ大作戦70'S」。
パイドパイパーカフェで行われたおとなのMUSIC WALKERのイベント。不破了三の「TVサントラ大作戦70’S」。

SWITCHのSPECIAL ISSUEは、展示の図録的な側面もあるが、表現者たちの70年代というテーマで、細野晴臣さん、松任谷由実さん(インタビュアー岡村靖幸さん)、鈴木茂さん、佐野元春さんにインタビューをしている。
ミュージシャンとして大成する前のそれぞれの70年代体験について語ってもらっているのだが、これが実に興味深い。
細野さんからは、YMOのアイデアの最初のビジョンは、オリジナル・サバンナ・バンドだったという話が飛び出してきた。

ファンには有名らしいが、ユーミンと飯倉のキャンティをつないだのが、当時はフィンガーズというバンドのベーシストだったシー・ユー・チェンさん(私はコンセプトメーカーとしてのチェンさんとして、お付き合いがあった)だったというエピソードも、全く知らなかったので、興味深かった。
たとえ会場には行けなくても、このSWITCHを読むことで、70年代にはアクセスが出来る〜そんな1冊である。

YMO 細野さんの衣装と楽器
YMO 細野さんの衣装と楽器
YMO 高橋幸宏さんの楽器と衣装
YMO 高橋幸宏さんの楽器と衣装
YMO 坂本龍一さんの衣装と楽器
YMO 坂本龍一さんの衣装と楽器

赤レンガ倉庫1号館にある会場内の撮影可能エリアは限定的なので、写真で紹介出来るのはごく一部である。
展示のオープニングゾーンは、今回の目玉でもあるYMOの衣装や使用していた楽器コーナーである。
山中さんからもYMOを展示の一つのコアにしたいというお話を伺っていたが、見事にYMOの世界観を構築している。
自分はYMOフリークではないが、間近で生の楽器群を見る機会は、今後は無いのではないかと思う。
特に八百屋さんと呼ばれるローランド808は、必見である。

YMO使用ローランド808
YMO使用ローランド808
YMOのプロモアイテム
YMOのプロモアイテム

また撮影は出来なかったが、大瀧詠一さんのコーナーには、ご自宅にあったジュークボックスが展示されており、手書きのラベルによる選曲が、ロネッツやハーマンズ・ハーミッツから植木等まで、大瀧さんらしくて楽しい。
山中さんからは、大瀧さんの死が、今回の企画の一つのきっかけになったというお話も伺っていたが、展示を見ると改めて大瀧詠一さんという存在の大きさを認識する事が出来る。

あんぐら音楽祭ポスターヌードバージョン
あんぐら音楽祭ポスターヌードバージョン
フォーク・クルセダーズの解散コンサート
フォーク・クルセダーズの解散コンサート

加藤和彦、カルメン・マキ、ジャックスの名前が見えるジョイントコンサート

この展示を見て、一番感じたのは、オーディエンスそれぞれが自分の1970年代を確認することが出来る場所になっている事だ。
特に70年代を通過した人間には、当時の記憶を呼び起こし、当時触れた音楽或いは当時は触れなかった音楽や映画に改めて接するきっかけになっていくと思う。
鋤田正義さんや、唐十郎さんの状況劇場出身の井出情児さんが撮影した素晴らしい写真が会場には並んでいるが、僕が見に行ったワールド・ロックフェスティバルや、地元吉祥寺のロック喫茶赤毛とソバカスの写真などを見ると、一気に70年代の記憶がフラッシュバックしてきた。
それぞれの70年代の自己体験と、当時のシーンをクロスオーバーさせる場に、この会場はなっているのだ。
そして通過していない若い世代の観客にとっては、新たに70年代にアクセスする、そんなきっかけになれば、僕は良いと思う。
70年代には、レンタルレコード屋もBS放送も当然無かった。当時中高生だった自分が音楽を聴く為には、少ない小遣いの中からレコードを買うか、LIVE会場に行って、生で見るしかなかった。ラジオでも、日本のロックがよくかかる番組の記憶はあまりなかった。
ジョイントコンサートで名前の見える加藤和彦さんのサディスティック・ミカ・バンドや、カルメン・マキ&OZは、正にLIVEを見て、好きになったバンドだった。

今回の展示の中で、セルクルルージュとして、ちょっとだけ展示に協力させて頂いた作品がある。
それがこの『唐版滝の白糸』のポスターである。
今回は劇団唐組のご了解を頂き、この貴重なポスターを展示することが出来た。
当時人気絶頂期のジュリーこと沢田研二という超メジャーなスターと、アンダーグラウンドの象徴のような唐十郎さん率いる状況劇場に、演出蜷川幸雄さん、音楽井上尭之さんという意外にして超豪華な組み合わせこそ、当時のサブカルチャーのアヴァンギャルドな一面の象徴だったように思えた。
ハードなスケジュールを粉していたジュリーが、唐さんの長口上の台詞を入れるだけでも大変だったと推察出来る。
当時は調布大映撮影所の場所も、チケットの買い方もよくわからず観劇は断念して、角川文庫から出ていた戯曲を読みながら舞台を妄想していた。
40年の時を経てこの作品のポスターに、ここで出会えたのも、個人的には感慨深いものがある。

唐十郎作、蜷川幸雄演出、沢田研二主演 「唐版滝の白糸」 会場は調布の大映撮影所。
唐十郎作、蜷川幸雄演出、沢田研二主演 「唐版滝の白糸」
会場は調布の大映撮影所。

個人的な思いで言うと、初めて見に行ったLIVEが、ジュリーが初めてロックコンサート式のツアーを行った1974年のHey,Rock’n Julie Tourのオープニングになる日比谷野外音楽堂であった。
前座で、この会場にも軌跡のあったクリエイションなど複数のグループが出演しており、待ち時間の長さに閉口したのも含めて、それが自分の人生初のロック生体験であった。

内田裕也さんも登場し、グラマラスな衣装を着たROCKなジュリーのステージは、当時は衝撃的だった。

この70’s バイブレーション YOKOHAMAの会期は9月13日(日)までである。未見の方は、是非横浜まで足を運んで、自分の中の70年代の再確認をして頂ければ幸いである。
1970年代という変化と激動の時代を見直す行為で、そこから新たな何か発見をして頂けたら、このイベントに参加した価値があるのではないかと思う。

『FLYING BODIES』News −4/第1回こども国際映画祭in沖縄(KIFFO)で、グランプリ受賞

子供たちの作ったバルーンでライトアップされた映画祭
子供たちの作ったバルーンでライトアップされた映画祭

11月23〜24日第1回こども国際映画祭in沖縄(KIFFO)が、沖縄県立博物館美術館 3 階講堂で開催され、『FLYING BODIES』が、グランプリを受賞しました。
KIFFOは、子供達が運営し、子供達が審査をする画期的な映画祭です。
小・中・高の多感な時期に映画を通じて世界を知ること、また、こどもがスタッフや審査員として映画祭に関わることで豊かな人間性を育てることを目的としており、本祭 の23日、24日の両日は小学校3年生から高校生までのこどもスタッフが受付・進行・司会・装飾誘導・技術にわかれ映画祭運営にたずさわり、プレインベントを含む3日間は、のべ700名の一般観客が映画祭をおとずれました。

kiffo
子供達が作ったバルーンアート

こどもボランティアは応募が100名以上あり、常時60名のこどもが働いていて走り回るので、場内アナウンスで、「上映に先駆けまして、携帯電話の電源をお切りください。会場内、会場の外を走らないでください」という小学校の放送みたいな案内も、小学5年生の担当者がやっていました。
中野監督のアテンドや、舞台挨拶の呼び出し、出待ちのマイク渡しまで、子供担当者でした。

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映画祭のディレクター宮平貴子さんが、同じく子供映画祭を運営しているベルリン映画祭を訪れた際に、海外セールス用の『FLYING BODIES』のフライヤーを見つけたのが、KIFFOと『FLYING BODIES』のきっかけでした。
映画祭最終日の24日には小学校3年生~中学生1年生のこども審査員10名(うち1名 は部活動により欠員)による審議が行われ、第1回目のグランプリは青森大学の男子新体操部の活動を追った中野裕之監督のノンフィクションフィルム『フライングボディーズ』が選ばれ、こども審査委員長の平良柚磨さん(小学校5年生)より、琉球ガラスの KIFFO グランプリトロフィーが贈呈されました。

子供映画祭トロフィー

こども審査委員長の平良柚磨さん(小学5年生)の講評の一部です。
「審査はとても難しく多数決は使わずに決めました。「ドキュメンタリー」や「スポーツ」「恋愛」といったいろんなジャンルがあり、最初は意見がバラバラでした。 「3作のなかで一番憧れを持ったから」「他の映画は監督に指示されて動くけどこの映 画はありのままの男子新体操そのものを映し出しているからすごい」というたくさんの 意見が出て最終的に『フライング ボディーズ』がグランプリにふさわしい映画でした。 本当なら議論するのは3回のはずが(注釈:事前に決めたルールにより)なんと6回も議論を続けるというぐらいむずかしい審査でした。中野監督にはこのような素晴らしい映画をみせてくださり心より感謝します。これからもいい映画を作って下さることを期待します。」

表彰式の様子。
表彰式の様子。

グランプリを受賞した中野裕之監督から、映画祭に向けてのメッセージです。

「“KIFFO でのことは一生忘れない思い出になりました。 審査状況報告からどうして『FLYING BODIES』になったかって きいているうちに泣きそうなってそこに、次から次へとこどもたちが 映画そのもので伝えたかったことをちゃんと理解して感じて くれていたことが朗読されていった。 もう、どんな苦しみがあろうとも、また頑張っていい映画を作ろうと 心に誓いながら、空港に向かうタクシーで泣きながら誓った。 ありがとう、こどもたち、スタッフのみなさん。」

そしてこども審査員の皆さんから、中野監督が頂いた映画の感想文です。
子供達が、それぞれの視点で、映画の本質をきちんと理解している事が、ダイレクトに伝わってきます。

KIFFO_JURY_TEXT00

山城俊智君の感想文
山城俊智君の感想文

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高良海花さんの感想文
高良海花さんの感想文

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審査委員長講評
審査委員長講評