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Cinema Discussion-18/ヌーヴェルヴァーグを突き抜けたガレルの『パリ、恋人たちの影』

(C)2014 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS – CLOSE UP FILMS – ARTE FRANCE CINEMA

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第18回は、フランス映画『パリ、恋人達の影』です。
監督のフィリップ・ガレルについては、前作『ジェラシー』を、シネマ・ディスカッション第7回で取り上げていますので、2回目の紹介になります。
ガレルは、ヌーヴェルヴァーグ第2世代的な位置づけの監督ですが、アンディ・ウォーホルのスタジオ・ファクトリーで出会い、パートナーになったニコを主演にした7作品など、これまでは私小説的なテーマの作品を、撮り続けてきました。
今回ご紹介する『パリ、恋人たちの影』は、第68回カンヌ映画祭の監督週間に出品されており、ヌーベルヴァーグ全盛期のスタッフを集めて製作されたガレル期待の新作です。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

(C)2014 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS – CLOSE UP FILMS – ARTE FRANCE CINEMA

★『パリ、恋人たちの影』は、セルクルルージュのシネマディスカッションとしてとりあげる2本目のフィリップ・ガレル監督作ですが、前作と比較しつつまずは感想を。

・名古屋靖(以下N): 前作と比較して、とてもわかりやすく軽やかな作品でした。 映画において「撮影現場で起きることを最重視」して来たヌーヴェル・ヴァーグな監督が、脚本を尊重しながら時系列通りに撮影を行ったことは今作の大きな特徴になっているのかもしれません。脚本をしっかり練ったおかげで撮影や編集に迷いも少なかったであろう、目立った長回しもなく、出来上がりは想像以上に観やすく、わかりやすい映画に出来上がっています。

・川野正雄(以下M):これまでのガレル作品は、自伝的要素が強く、『ジェラシー』も、父の寓話を元にした作品だったと思います。
今回の作品は、あまりパーソナルな要素はないのかと思っていましたが、インタビュー見ると、母親の死と関係があるみたいですね。
前作との比較でいうと、非常にわかりやすくなっているなという感想です。
モノクロの映像の美しさは、変わらずです。

・川口敦子(以下A):前作『ジェラシー』と今回の『パリ、恋人たちの影』そしてフランスで公開間近の最新作“L’amant d’un jour”で”男と女のうつろう感情”を描く3部作となっているそうですが、皆さんも仰るように『ジェラシー』に比べると今度の一作は不思議な軽やかさを感じさせますね。話自体をかいつまむと決して軽いものではないはずだし、相変わらずだめだめ男の話でもある。でも達観というのかな、人を見る目にふっと吹き抜ける風を捉えるようなやさしい距離がある。大人になれない面々を描く自分が変わってないつもりでも大人になってしまったか――というような諦め、寂しさみたいなものがあって、それは前作ではもしかすると自分の子供時代を投影していたあの女の子の眼差しの中にあったものとも通じているのかもしれないけれど、つまりは対照への距離ということでしょうか。決して突き放すという意味でのそれではなく、むしろ回想のそれのような。そこがシンプルな語り口の奥行となってすごくいいなあと思います。

・川口哲生(以下T):そうですね、作品の尺、ストーリー性、エンディング等々に前作を支配した『重さ』
とは違うものを感じました。監督の心の有り様の変化とともに、監督が言っている「現場で何が起きるか(カメラ)」と練られた「脚本」のバランスの変化ということかもしれませんね。歩行の映画から、もっとテンポが速まった感。

・A:ガレルはものすごく繊細な私小説的な所で撮ってきた人で、今回もそれはないとはいえないでしょう。素材という意味と別に暮らしの感触のパーソナルな掬い上げ方といったあたりにもそれは相変わらず感じられますよね。ただ、いっぽうで描き方、話術の部分ではそこから踏み出した古典的な、骨太の小説を視界に入れたともいいたいようなスタイルに向かおうというような気持もありそうと、見ていると思えてくる。モーリス・ピアラとのコンビで知られるアルレット・ラングマン、現在の妻カロリーヌ・ドゥリュアスという前作以来のふたりの女性に加えて脚本に大御所ジャン=クロード・カリエールを迎えているのも何か寓話的でさえあるような、はたまた普遍性をのみこんだかっちりとした物語を語ることへの傾き、を示しているんじゃないかと。
カリエールというすごく強く、また一筋縄ではいかない他者の目を獲得したことで、これまでにない距離をもって素材に向かうことになり、でもそれによって重厚さより軽みに行き着くのも面白いですね。で、若い頃のすごく痛切だったニコとの関係ベースの私的恋愛映画からブラックな? 何食わぬ顔の? ちくちくと皮肉な“コメディ”の方へといった志向が出てきてるようにもみえる。撮影現場でのチャンス、偶然に最終的には任せるけれど、脚本、言葉/台詞(日常会話のようにさりげなく口にされるけど、じつはかなり文学的な、いい台詞がたくさんある)に重きを置いた撮り方にも向かっているのかな。すべてワンテイクとインタビューを見るといってるけど。そうした変化の理由はやはりガレルの年齢にあるといってしまったら身もふたもないけれど、成熟の軽みというのはやはりある気がする。かっこつけなくなってるというか・・・。

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★今回の撮影監督はエリック・ロメールやダニエル・シュミットの映画を手がけたレナート・ベルタですが『ジェラシー』のモノクロとまた別の感触がありますね。そのあたりについてはいかがですか?

・N:同じモノクロームでも前作は絵画的な重厚さが魅力的でしたが、今作はストーリーや視点の違いもあり、より日常的でナチュラルな印象ですが、室内シーンのライティングなど白黒のコントラストは相変わらずとても美しいです。 現代的で普通のパリの日常を表現しているモノクロだと思います。冒頭でピエールがバケットをかじりながら不安げに人待ちするシーンは、日常のパリを舞台にした物語の始まりを告げています。そのわりにその後に出てくるその他の食べ物の不味そうなこと!モノクロとは言え、美食の街パリを舞台にしながら、食べるシーンが全て惰性的で、喜ばしくなく描かれているのも珍しいです。もしかすると監督の中では、食事と排泄は同じ次元なのかもと疑ってしまいます。

・A:キネマ旬報のインタビューを読むと35ミリフィルム、アナモルフィック・レンズを使ってのシネスコ・サイズと今や死滅しかけた古典的手法に執着するガレルの頑固さをベルタは半ばあきれ顔で、でも称賛している。そんな監督のモノクロームへの執着を突出し過ぎない形にするあたりに手練れの撮影の底力があるんでしょうね。どこまでも映画的なのに同時にあまりにみごとに何気ない。すっと主人公たちの住む世界、その日常へとすべり込む。この感じがヌーヴェルヴァーグを睨むガレルならではなんでしょうね。
ベッドの上のエリザベットを捉えてそのまま彼女の主観へとすべり込み窓ごしの外界、白い光が掬われる。そんなシームレスな移行も今回の軽やかさと無縁ではなさそう。その窓への眼差しがもっと別の種類の映画だったら頻出しそうな空とか海とかの心を映す大仰な景観ショットの代わりになっているんですね。あとは殆んど部屋と裏通りとカフェ。そして人の顔。ピエールとエリザベットが出会うフィルムの保管庫の部分がせいぜい”お出かけ”の場面ですね。限られた暮しの眺めを拾いながらじわじわとその奥行を見せていく。そのあたりもいいですね。

・M:言葉では表現しにくいですが、前作の方がクラシックな趣のモノクロだったと思います。今回のモノクロのタッチは、よりモダンで、現代的な発色だったのではないでしょうか。
ダニエル・シュミットやロメールの映像の美しさを、彷彿させられます。
モノクロなんですが、カラーに近い自然な感触があると思います。
ガレルがフィルム、シネスコ撮影に拘っていた感じはよくわかりますが、敦子さんの言うように本当に何気なくて、「どうだ、モノクロシネスコだぞ」みたいな押しつけがましさののない映像なのが、いいですね。
ハリウッド系の監督がモノクロで撮ると、すごくモノクロが主張し過ぎるケースがあるんですが、あくまでも自然なモノクロ映像でした。

T:パリでのオールロケ、俳優の衣装も本当に毎日着なれて皮膚のようになった感じ、メイクやヘア等(目の下のくま)も含め、パリの普通の街なかの普通の人たちの日常感が、この作品のモノクロでは際立っていたと思います。

★73分という上映時間もあって、不思議な軽やかさがありますね。ウディ・アレンの映画もちょっと想起してしまうのですが、コメディと呼ぶのはいきすぎでしょうか?
・N:コメディ映画とまでは言えないですが、そう言いたくなるのも分かります。前作にあったような生き死にの恋のお話でもなく、男女それぞれのエゴというか性(さが)というか、白黒はっきりさせられないそれぞれの複雑な心情を描いている中で、ピエールのだらしなさはコメディです。街中でマノンの後を追う後ろ姿なんて情けなさの極致。

・A:最初にもふれましたけど成熟という距離を世界や人、自身に対して持ち得たことで、もしかしたら自嘲的といえるのかもしれない、ダメさに対する笑いが感じられる。そこが少しだけアレンと繋がってしまうのかな。

・T:コメディとは思っていませんでしたが、ダメダメな男ぶりとある種のドタバタというところですか?

・M:私もコメディとは思いませんが、オフビートな感覚は、今回はありますね。
73分という時間もいいです。
マノンの愛人とのエピソードや、ピエールとエリザベットの出会いのエピソードを追加すれば、すぐに100分位になると思うのですが、あえて説明的なエピソードを排除しての73分ではないでしょうか。
共同脚本にした効果なのかと思いますが、ドキュメンタリーに近い撮り方をしていたガレルの作品が、すごくドラマ的になったというのが、今回は一番の印象です。
ドラマ的にしても、尺が短くなり、余計なエッセンスはない。その辺がガレルらしいですね。
オフビート的な感覚は、その副産物のようにも思えますし、ちょっと意地悪な視線は、アレンにも通じるものがあると思います。

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★「私にとってこの作品は、映画が到達しえた最高の男女平等についての映画といえます」とプレス所収のインタビューでガレルは語っていますが、プロット、キャラクター、台詞等々さまざまな角度からみてこのコメントをどう受けとめますか?

・T:お互い様の不倫話を、自分勝手さに『振り切れた男』の心情を中心に描くということは、女性目線で男へのパッシングが強くなるように描いた様で、実は前時代的な価値観の踏襲(男の言動主導でことが引き起こされる)にも感じました。時代はもっと
違った形で進んでいるようにも思います。笑
それとも、そんな身勝手さや何も相手に自分は大声を出さない男をも、包み込んでいるさらに大きな女性の懐の深さ、ってこと?

・M:マノンの愛人だけが、心象風景が描かれませんね。ピエールにしても、今ひとつクールというか、本当の気持ちはラストになるまでは描かれませんが、彼から見た二人の女性の姿が、うまく伝わってきます。
ラフに描いた男性陣に比べると、マノンとエリザベットの女性の心理は、丁寧に描かれています。
その辺のバランスが、ガレルの狙いだったのかなと思います。
ピエールの視点だけかと思いきや、マノンとエリザベットの視点も描かれている。
その視点のパラレルな感じが、男女平等なのかとも思います。

・A:自分の可能性を捨ててピエールと映画を共に撮ることが幸福――と、現実的な母の追及に答えるマノンは昔ながらの日本映画に出てきそうな(『王将』の女房の小春みたいな???)自己犠牲の妻として提示され、それが意外にも自分の楽しみはそれなりに追求している、でも高潔なその精神が自分の楽しみの可能性にも、多分、ピエールの成功も含めた悦びの可能性にも目隠しをしてしまう。それに気づきかけたのにまた最後はぎゃふんな記録映画に活路を開くアイデアを提示して元の鞘に収まっていく――とダメ男の自分勝手の話とみせて彼女の物語としている所を“平等”とみるかどうかはまあどうなのかなあ。ただマノンに関して示したかったのかもしれない大きさ、そこにガレルは亡くなった母へのオマージュのようなものをこめたかったのでは、なんて思ったりもします。で、父の話だという『ジェラシー』を振返ってみると母にあたる、つまりマノンと重なるかもしれないあの映画のもう一人のヒロインがしみじみと懐かしく思えるような気もしますね。
マノンが愛人といるのを発見したピエールの愛人エリザベットの「自分の愛を汚されたように感じた」というようなナレーションが確か入ったように思うのですがそこは女性の心理の描き方としてそういう感じ方もあるかと興味深かったです。

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★原題は直訳すると女たちの影となるようですが、”影の女”とも”女の影”ともいろいろにとれますね?

・M:二人の女性の影の部分=ダークサイドを描いているという事でしょうか。
真面目に見えるマノンに愛人がいて、エリザベットは割り切っているようで、割り切っていない。
世界中の女性に起こりうるような、ある種通俗的な感情を描いているのが、前作『ジェラシー』の嫉妬心からの継続的なテーマにも思えます。

・T:気にせずいれば意識することもない自分の影のようになった女、それが女の裏切りが許せないと追いかければ逃げていく、そんな自分の影としての女性ってことだと思いました。影ふみみたいな感じ。

・N:「影ふみみたいな感じ。」いいですね。

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★ピエールが撮っているドキュメンタリーの素材の旧レジスタンスの老人とその妻のエピソードをどうみましたか?
・N:夫の話を遮ってアニス入りのクッキーを勧めるその妻。そこにこの老夫婦の力関係が何となく想像できて笑えます。 この旧レジスタンス老人のエピソードが結果的にこの映画を軽妙洒脱にしていますね。

・M:ネタバレになってしまうので、あまり言えませんが、思ったより重要なエッセンスでしたね。
証言者の寿命の問題もあり、第二次世界大戦のドキュメンタリーというのは、今世界中で作られているので、割と普通のテーマを選んでいるんだなと感じました。
インタビューされる奥さんの態度が、オフビートですね。

・A:知らないうちに大きな影を投げかけられてしまっている――そんな女性、というか伴侶というものをめぐるちょっと恐怖めいた(笑)感覚はあの老夫婦の関係、夫が発言中なのにお構いなしでクッキーをとすすめる妻の感じによく出ていて、でも案外、あのふたりの姿がピエールとマノンの将来でもあるようで、なかなか味わい深いものがあると思いました。

★今回、出演はしていませんが息子のルイ・ガレルがナレーションで声を担当しています。 このナレーションについてはどう感じましたか?
・N:フランス映画にありがちな文学的で抽象的な詩的台詞でない、わかりやすくその心情や状況を理解させるためのナレーションに徹し、ルイ・ガレルは声もいいので、すっと自然に内容が入ってきました。

・A:もちろんまずトリュフォーの映画を思い出すようなちょっとぶっきらぼうな語り口がいいですよね。興味深いのは3人称のナレーションではあるんですが、事の次第を後になって淡々と語るある種の回想のようにも聞こえてきて、で、さきほどもいいましたがガレルの亡き母へのオマージュといったことを思うと、この回想の主が父母のすったもんだを見ていたガレル自身なのかな、とかとかいろいろ思いをめぐらしたくなる。そう思うとそこに息子の声を使っているのもなかなか感慨深いものがありますよね。

・T:ヌーベルバーグの映画のなかで使われてきた手法ですね。

・M:やはりヌーヴェルバーグ的な演出と感じました。ルイは声もいいですね。
トリュフォーの『ピアニストを撃て!』を、何故か思い出しました。

★ガレルのパリについては?
・N:ごく日常が絵になる舞台。

・M:パリでないと、成立しない映画。今回はそう感じるくらい、パリと映画の風景がマッチしていたと思います。

・A:エリザベットがマノンをみかけた話をする中でたしかグラン・ブールヴァールのカフェでとかなんとかいってたように思うのですが、そういう固有名詞があってもなくても関係ない時空というのかな。それは時代についてもいえることで、現在でも過去でもあるような場所と時間の物語、要はパーソナルだけど普遍的でもある映画以外の何ものでもない時空ってことでしょうね。

★今回の音楽はどうでしたか?
・N:多分劇中で9回ほど音楽が挿入されていますね。全てそのシーンでクローズアップしてる人物の心情を補完する意味合いで使われています。シーンによって「ときめき」「怒り」「嫉妬」「ほのぼの」「後悔」etc. 基本は音楽なしで生活音を大きめに扱いながら、必要な箇所に限って室内楽系の音楽をはめているのがとても効果的です。フランス映画には珍しく今作は、音楽に限らずナレーションなどの演出がよりわかりやすく観せるために直接機能している感じがします。

・M:音楽というよりSE的に、効果的に使っている印象があります。

・A:前作でもいったけれど途切れることでいっそう鮮やかさが増すような、記憶と結ばれた音楽の使い方が今回も印象的でした。

★キャスティングは?

・A:マノン役のクロチルド・クローの泣きべその子供だった頃を彷彿とさせる顔が面白かった。笑うともう若くない暮らしの澱が降り積もったみたいな顔に子供が帰ってくる。それがなんだか切ない感じで。うまいキャスティングだと思いました。

・M:ニヒルなピエール、ヌーベルヴァーグ的な容姿のエリザベット、不安定なマノン、三人それぞれに個性があり、何よりも自然な芝居がよかったと思います。

・N:美人すぎず、イケメンすぎず、普通のフランス人な感じで余計な先入観なく見れました。特にマノンのお母さんは本当にパリの食品スーパーとかにいそうです。

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★前回、一緒に撮り上げた『フランシス・ハ』の監督ノア・バームバックがニューヨークのドキュメンタリー作家とその妻を新世代と対比した『ヤングアダルト・ニューヨーク』は見てますか? もしご覧になっていたら比べてどうですか?

・M:確かに設定は似ていますね。二組のカップルに、ドキュメンタリー作家。
但しテーマは全然違いますよね。ノア・アームバックの方は、ベン・ステイラーという明確な主人公がいて、対比する存在として、アダム・ドライバーがいる。視点は全てベン・ステイラーで、彼のフィルターを通して、映画は構成されています。彼の作家的な倦怠感みたいな部分や、クリエイティブに対するアプローチの表現などアメリカのインテリぽい雰囲気も興味深いものでした。
総体的に言うと、やはりエッジの効いたアメリカ映画的というか、表現方法自体は非常に直接的で、それがまた面白かったりするわけです。
ガレルの方は、先ほども言ったように無駄な部分は排除したソリッドなストーリーですが、視点が動いていくハイブリッドな構成が、フランス映画らしく感じました。

・A:もちろんバームバックの映画は新旧世代の対比に主眼があって、そこが面白くもあるんですが、時流に乗れない記録映画作家とその妻って設定がちょっと重なっていて、前回のディスカッションで並べた縁もあるのでつい質問したくなりました。アメリカでもハリウッド以外の所でやってる映画作家はこんな感じかと、ガレルの映画のカップルのつましい暮らしの描き方と比べてみたいようにも思ったわけです。

★この映画の真の主役は誰? もしくは何だと思いますか?
・M:マノンがやはり主役ではないでしょうか。
ガレルとしては意外なエンディングが、テーマだと思います。

・A:マノン、ってことはアニスのクッキーの老妻かも・・・。

★ガレルの映画の面白さはどういう部分にあると思いますか?

・A:重々しい巨匠になってしまわないこと、のように思います。

・M:近作2本しか見ていないので、あまり言えないのですが。
ヌーベルヴァーグの感触を持った今や貴重な現役監督の一人ではないかと思っています。
特に今回の作品は、多分今までの作品では排除していたドラマ的な演出も加え、ちょっとアメリカ映画的なエンディングの持って行き方など、ガレルも70歳を前に新たな方向性に覚醒したような印象を持ちました。
3部作最終作の次回作品も楽しみになりました。

(C)2014 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS – CLOSE UP FILMS – ARTE FRANCE CINEMA

シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
35mmフィルムによる特集上映同時開催!

監督・脚本:フィリップ・ガレル /共同脚本:ジャン=クロード・カリエール/撮影:レナート・ベルタ
出演:クロティルド・クロー、スタニスラス・メラール、レナ・ポーガム
2015 年/フランス/73 分/配給:ビターズ・エンド

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/koibito/
Facebook:www.facebook.com/koibitotachinokage/
Twitter :@garrel_movie

Cinema Discussion- 17/時をかけるルルーシュマジック〜『男と女』から『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』へ

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma

映画を多角的な視点で評論するセルクルルージュのCinema Discussin第17弾は、フランスの巨匠クロード・ルルーシュの新作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』と、旧作『男と女』です。
この秋は待望の新作に加えて、ルルーシュの出世作『男と女』のデジタルリマスター版や、未公開ショートフィルム『ランデブー』の公開、盟友フランシス・レイの楽曲を演奏するシネマコンサートなどが予定され、日本でも久しぶりに、ルルーシュにフォーカスがあたっています。
今回は映画評論家川口敦子と川野正雄の対談方式で、50年の年月を経てもぶれないクロード・ルルーシュについて、新旧作品を見比べてみました。

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma

★久々のルルーシュの新作といった印象がありましたが、未公開の新作はコンスタントにあるんですね。『アンナとアントワーヌ』はそんな中で良くも悪くも相変わらずなルルーシュ映画とまず思わされましたが、いかがでしょう?
川野正雄(以下M):
全くその通りですですね。まあそんなにルルーシュ作品を見ているわけではないのですが、これはもう成熟した男女のおとなのファンタジーなんだなというのが、率直な印象です。
海外の映画祭に行くと、よく新作を上映していましたが、実はあまり気にしておらず、海外では見たこともなかったです。
僕がこの前に見たルルーシュ作品は『ライオンと呼ばれた男』でしたが、あれもJ・P・ベルモンドというトップスターを使ったおとなの男のファンタジーだと思いました。

川口敦子(以下A): 
良くも悪くも変わらない、変われないルルーシュ映画と、『アンヌとアントワーヌ』を見た直後にそう思い、彼の映画を少しまとめて見直してみてさらにその思いを強くした、そんな感じです。といってそのルルーシュ印のようなものが、即、作家性という言葉と重ねられないというか、作家性といってしまうとまたちょっと違ってしまうようにも思えるんですね 笑

★そんな相変わらずさの素はどこにあると思いますか?

A: 男と女 その出会いと別れ、そしてまた出会う――という同じ一つの物語が何より変わらなさの素じゃないでしょうか。ほとんど永劫回帰のようにキャリアを通じてルルーシュが同じ一つの物語を追いかける様を今回改めて確認してみて、それはそれですごいかも、と思いました。そもそも最初期の『行きずりのふたり』というのも男と女の出会いとすれ違いのお話なんですね。この男と女の出会いの物語に旅、それにまつわる日常と別の時空とロマンスの風景、エキゾチシズム、最近では今回の霊能者アンマのようなスピリチャルの要素も加味、それを流麗な映像とフランシス・レイの音楽で彩ればルルーシュ映画のできあがり~、なんて、こういうと馬鹿にしているみたいに響いてしまいますが・・・。その変わらなさ、変われなさ、思わず笑ってしまいたくなるけれど、そんなひとつの世界としてそれを本当に1960年代から変わらず追いかけていられるのはやはりすごいことかもしれませんね。で、今回の映画はそのことを映画内映画の「ロミオとジュリエット」モチーフと照らし合わせて自分でもロマンスのワンパターンを余裕で祝福してしまっている、ほとんど自己パロディっぽさとして提出してもいるような。終幕部分で自作『あの愛をふたたび』のテーマ曲を流したりして、あの映画ではそうならなかった再会の形をこちらではしてみる。確信犯的な同じ一つの映画作りなのでしょうね。ちなみに映画内映画というのも『流れ者』はじめしばしば試みられているお気に入りのパターンのひとつなんですね。それに『男と女』のシャバダバの断片使いも”常習犯”です。

M:よくわかります。今回もそれぞれの出会いのエピソードがうまいな~と、一番感じました。
ありえない出会いや、すれ違い、そこに奏でられるフランシス・レイの音楽。さらに今回は、インドでの旅という異次元空間にスピリチュアルな世界。
リアリティなんて、リアルに見せながらもどこにも存在しない。
この濃い味付けが、ルルーシュの世界だと思います。
それから『ライオンと呼ばれた男』の舞台はアフリカでしたが、相変わらずのエキゾチックなクレオール感覚のまぶせ方は、パリで食べるアフリカ料理のように絶品の味付けだと思います。
50年間に渡って、全くぶれないルルーシュの作風は、改めてすごいなと、今回は思いました。

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma

★原題un+uneが堂々と宣言しているように「男」と「女」の出会いをあくことなく描き続けているようにも思いますが、やはり原点はデジタル・リマスター版の公開がこの秋予定される「男と女」にあるのでしょうか? それを超えるものはあるのかな?

M: そうですね。超えるものはないですね。
『男と女』には、あらゆる恋愛映画の要素が詰まっていたと思います。役者、ロケーション、音楽、ありえない設定、車と電車の競争とか…。
ご本人も越えられないことを逆手にとっての、今回の原題ではないかと思います。
テーマの普遍性というか、リアリティのないラブストーリーのあり方も、原点が『男と女』に結びつきます。
その辺の料理の仕方は、50年たっても変わらないルルーシュマジックだと思います。
観客も当然年齢を重ねていますが、そこに同時代同年代の共感性〜そういうのものが、今回の新作にはエッセンスとして付加されていると思います。

A: 超えるものは・・・・ないかも 笑 それでもアヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンのオリジナルコンビで作った20年後の続編『男と女Ⅱ』(20 ans déjà なんて原題からして開き直ってます)はじめ『続・男と女』もあって、さらに必ずしも続きではないが続いていなくもないニュアンスを原題も邦題も押し出している『男と女、うそつきな関係』『男と女 アナザー・ストーリー』と、極言すればコマーシャルな、商売人として何が売り物かを常に心得てしまっている点もルルーシュの見どころかもしれません。ただ、西部劇仕立てにした『続・男と女』なんてそれはそれで悪くない映画でもあるので、なんていうか捨てがたく腐れ縁が続いてしまう困った監督という部分もありますね。

『男と女』の1シーン©1966 Les Films 13
『男と女』の1シーン©1966 Les Films 13

★恋愛映画作家としてのルルーシュの美点はどのあたりにあると思いますか?

A:今回の大使夫人のおとなな会話のセンスもそうですが、ヒロインが子供じゃない、そのわりに男は子供、少年の無垢を忘れていないという、言葉にするとなんだかなあなのですが黄金のパターンをきれいに形にしてみせるセンスはやはり侮れません。スタイリッシュな会話と映像はもちろんですが、そのもとにある人の原型としてのかっこよさの追求ぶり、歳と共にその執着がかっこ悪くもなる、それもお構いなしという部分が面白いと思います。それをまた『ライオンと呼ばれた男』みたいに自画自賛しちゃっているのもまあすごいですよね。

M:映画音楽家と、在インド大使夫人の恋愛とか…ありえない設定を、それらしく見せてしまうテクニックですね。
『あの愛をふたたび』も、映画音楽家と、女優とか。ファンタジーというか、恋愛映画の魔術師という印象です。
細かい見せ方、今回だとやはり出会いのシーンとか、食事のシーンとか、演出のテクニックもうまいですね。

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma

★彼自身の人柄をその映画から思い描いたりしてしまいますか?

A: 上記のようなコマーシャルなセンス、執着――というとあまりいいイメージになりませんが積極的な自分へのこだわり、自己肯定の徹底ぶりは映画から作り手の人柄として滲みだしているのではないかしら。
M:ほかのフランス監督に比べると、ご本人にはあまり興味は湧きません。映画のセンスはすごいと思いますよ。

★このジャンルで好きだったルルーシュ映画は? 他のジャンルではどうですか?

A  ロマンス ジャンルではやはり『男と女』、あと『あの愛をふたたび』もいいですね。アメリカの景観を『イージー・ライダー』みたいに、つまり西への道というウエスタンの常道を逆行する男と女、乾いた味わいに抒情がふっと紛れ込んで素敵です。
M:『男と女』は、いいですね。『あの愛はふたたび』は、殆ど記憶が曖昧で、トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を』と、混在しています。
違うジャンルですが、『流れ者』と『冒険また冒険』は、当時好きでした。洒落たノワールという印象です。ただやはり『ラムの大通り』や『ガラスの墓標』『ピアニストを撃て』あたりと、記憶が混在してしまっています(笑)。
ノワールでもラブストーリーでも、ルルーシュの映画は、良くも悪くもわかりやすい。
それが大ヒットにもつながるし、作家性という部分では損をしている気がします。

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma
『男と女』のアヌーク・エメ©1966 Les Films 13
『男と女』のアヌーク・エメ©1966 Les Films 13

★キャスティングについては?

M:役者の引き出し方が、すごくうまい監督だと思います。今回の主役二人については、殆ど知りませんでしたが、うまく使っていると思います。
ジャン・ルイ・トランティニャンもアヌーク・エメも、『男と女』やはり最高傑作の芝居をしているように感じました。
A   『あの愛をふたたび』のベルモンドとアニー・ジラルドー、いいですね! その時々の渋めのスターを起用してますが、いっぽうでトリュフォー映画でもおなじみのシャルル・デネール とか、脇でいつも光っているシャルル・ジェラールとか”一家”と呼べるやや強面の面々もいる。こっちがよりルルーシュ的なのでしょうね、本当の意味では。ユダヤ系の顔ということかもしれません。

『男と女』ジャン・ルイ・トランティニヤン ©1966 Les Films 13
『男と女』ジャン・ルイ・トランティニヤン ©1966 Les Films 13

★ルルーシュといえばフランシス・レイとのコンビで放ってきた映像と音楽との切り離し難い関係によって成立してしまう世界――という相変わらずさもありますがその功罪をどう見ますか?

M:鉄板なんですよね。このコンビ。監督と映画音楽家は、多分イマジネーションの対決なんですが、この二人はお互いを熟知し、いい化学反応を生む環境が確立しているのだと思います。『流れ者』『白い恋人たち』は、恥ずかしいくらいに誰もが知っている名曲ですよね。サントラでそういう存在の曲を連発出来るのは、すごいと思いますよ。
A  これはやはり、功とすべきでしょうね。フィルモグラフィーをたどっていくとミシェル・ルグランと組んだりもしているんですが、やはりコンビ作の方が安心して、というか”流して”見られるーーってへんな表現ですがそうやって肩肘張らず見るよさがルルーシュ映画の王道って気もします。
若い頃にジュークボックスに流れるシルヴィー・バルタンとかジョニー・アリデイとかのヒット曲につくビジュアルを撮っていたそうで、PV出身のビジュアル系監督たちの先駆といえなくもないかもしれませんね。

★『白い恋人たち』はもちろんですが、それ以外の劇映画にもドキュメンタリー要素がかなりしぶとく入り込んでいますが、その点についてはどうですか? 今回もインドの聖人と会う部分とか、かなり素の顔を撮ってますよね?

A 『男と女』にしてもトランティニャンがレースの走行テストをする場面は音も含めて生な記録映像として光っていますね。子供たちをつれての食事のシーンもいかにもその場の即興的な受け答えが微笑ましいし、海岸の老人と犬も、ドーヴィルにジャンが駆けつけて遊んでいる子供たちとアンナにライトをつけて合図する件りもそう。作りこんだ劇映画とは別の新鮮な息遣いが今見ても迫ってきますスティーブ・マックィーンの時にも話したけど、『ランデヴー』、そして。『白い恋人』たちのキャメラを抱えた雪山のスキー競技追走場面は『栄光のル・マン』でドラマの要素を削りレースそのままを撮りたかったというマックィーンの理想を実現していますね。ただ、『白い恋人たち』ではそこにむしろ逆を行くようなフランシス・レイのあまやかな旋律がかぶさることで新味が生まれている。映像そのままの迫力を音楽なしで使っていたらまた全然違う映画になっていたようにも思います。

M:さっきも言いましたが、ファンタジーをリアルに見せている。その要因は、ドキュメンタリー手法にあるのではないかと思っています。今回のアンマとの邂逅、得意ともいえる車や汽車の移動シーン。そういった場面の監督力が、作品を面白くする大きな要素になっていると思います。
短編『ランデブー』でも、ルルーシュはリアルな生の音をうまく使っています。
ダブルクラッチの音のリアルな振動は、車好きならテンションもあがると思います。
フェラーリ275GTBの官能的な排気音も、素晴らしく魅力的でした。

『ランデブー』©1976 Les Films 13 
『ランデブー』©1976 Les Films 13 

★その意味でヌーヴェルヴァーグとの関係はどう思いますか? フランス映画といえばルルーシュみたいな時代が日本にはありましたが、フランス映画の中で、あるいは映画史の中で彼をどう位置づけますか?

M:映画史の中での位置づけなんか、とても出来ませんが。
ルルーシュと自分が比較してしまう作家は、やはりトリュフォー、ルイ・マル、ロベール・アンリコなどです。その中で言うと良くも悪くも、ルルーシュはコマーシャルな監督だと思います。
同じフランスのコマーシャルな監督では、アンリ・ベルヌイユが好きです。彼はルルーシュよりも男臭い作品を撮っていますが、音楽や映像の使い方を含めて、素晴らしい娯楽作品を作る監督だと思います。
アンリコの『冒険者たち』は、『男と女』の一年違いですが、60年代後半のフランス恋愛映画の金字塔の2本だと思います。
この2本を見れば、当時のフランス映画の素晴らしさ~映画的な水準の高さと商業性の両立を、実感できると思います。
A 「友よ映画よ、わがヌーヴェルヴァーグ誌」(山田宏一)によればルノワールの『ピクニック』を製作したピエール・ブロンベルジェの下でスタートを切った、その意味でもヌーヴェルヴァーグ一派と近い所を出自とするルルーシュをカイエ誌はばっさり商業主義と切り捨てたそうで、そのあたりはともかく66年カンヌ、『男と女』で大賞を射止めるルルーシュが白いマセラーティで乗り付けゴダールの赤いアルファロメオに同乗していた山田氏に手を振った、「グランプリだな」とゴダールも手を振ってルルーシュにあいさつを返した――ってなんだかいつもこの部分を読むと奇妙な感慨に囚われるんですね。氏は「映画はキャメラだ」とルルーシュとの会見記の一章を銘打ってらっしゃいますが、彼の位置を考える上ではぜひ、ご一読をお勧めしたいです。『ランデヴー』を見ると実験的な部分ももっているのがよくわかる、なのに、コマーシャルな才覚もあるという点で監督としての位置づけの面では損をしている部分もあるようにも見えますよね。70年代くらいまでの作品の中にはもっと評価していいものがあるようにも今回、部分的にですが見直して思いました。

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma

A  川口哲生くんからやはりピエール・バルーとサラヴァには触れてほしいとのリクエストがありましたが、川野さんひとことお願いできますか?
ちなみにミュージシャンでいえば『冒険また冒険』には、ジャック・ブレルが出ていて確か彼に捧げた一作もあったように記憶しています。

M:ジャック・ブレルの出演(当時は存在を知らなかった)ですし、そんなにピエール・バルーに詳しいわけではありませんが。
彼は日本での活動が長いですが、彼の才能を発掘したのはルルーシュですよね。
初めて日本に来た時ピエール・バルーは、『男と女』ファンが多いのに驚いたというエピソードがありますね。
元々フランス映画は、斬新な劇伴を使うのに定評があります。『死刑台のエレベーター』のマイルス・デイビス、『殺られる』のアート・ブレイキーとか、ジャズの導入もいち早くでしたね。ブラジル音楽はアントニオ・カルロス・ジョビンをフューチャーした『黒いオルフェ』や、サンバをうまく使ったベルモンド主演の『リオの男』とかはありましたが、『男と女』は、映画の中での音楽の存在感という意味で、群を抜いています。

今の時代のモンド作品の元祖ともいえるシャバダバサウンドを、1967年という時代にフィットさせたルルーシュとフランシス・レイの文化的貢献は、映画の世界の中でも、音楽シーンでもエポックメイキングだったと思います。
目のつけどころが素晴らしいというのは、才能の一つですね。
音楽の使い方は、ミケランジェロ・アントニオーニと並んで、ルルーシュはうまい使い方の監督だと思います。

『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマ他全国ロードショー
配給ファントム・フィルム

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製作50周年記念 デジタル・リマスター版『男と女』
同時上映『ランデヴー』デジタル・リマスター版
10月15日より、YEBISU GARDEN CINEMA他全国ロードショー
配給:ドマ、ハピネット

©1966 Les Films 13
©1966 Les Films 13