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『モリコーネ 映画が恋した音楽家』巨匠の創作の真実を見つめる/Cinema Discussion-49

©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2023年最初になる第49回は、イタリアが生んだ映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネのドキュメンタリー『モリコーネ 映画が恋した音楽家』です。
モリコーネはすでに亡くなっていますが、貴重なインタビューの数々で、今まで知らなかったモリコーネの素顔が浮き彫りになります。
監督は『ニューシネマパラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレです。『荒野の用心棒』に始まる彼の映画音楽の数々も聞けるエンターティンメントなドキュメンタリーです。

今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

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川口敦子(以下A)
モリコーネと言えばやはりセルジオ・レオーネとのコンビ作、マカロニ・ウエスタンのイメージがまず浮かんでいたんですが、あるいはまた国際的な活躍という面も印象に刻まれていましたが、この映画を観ているとイタリア映画史を音楽でその双肩に担ったといっても過言でないような、イタリア映画における存在の偉大さに改めて気づかされましたね。パゾリーニからコルブッチ、ベロッキオと一筋縄ではいかない面々に一筋縄ではいかない音楽を提供していたんだと。国外での活躍はもちろんですが、むしろ難しそうな自国内でのキャリアの充実ぶりに圧倒されました。才能の幅広さと同時に人と組むその、なんというか間口の広さというとちょっとネガティブな印象になってしまうかもしれませんが、そうではなくてうまく監督の才能を受け容れ活かす柔らかさもまたモリコーネというアーティストの才能だったんだなと、人間的な大きさのことも思いました。

川野正雄(以下M)
モリコーネは好きな映画音楽家で、何枚もサントラ盤を持っていますし、楽曲集も持っています。
フランシス・レイ、バート・バカラック、ミッシェル・ルグラン、ニーノ・ロータといった他の映画音楽の巨人に比べると、一番男性的なテイストを感じるのがモリコーネです。
ともかく作品数が多い印象で、この作品でも日本未公開作品が多く出てきましたが、作品集を聞いても、結構知らない作品も多かったです。
思いや評価という意味では、映画でも出てきた大好きな旋律、メロディを聴いただけで胸が高鳴る作品が、なんと多いのだろうと思いました。
『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『シシリアン』『アルジェの戦い』、いくらでもタイトルが挙がりますね。
それと楽器の繊細かつ念密な使い方。これは映画を観るまでは漠然と聴いていましたが、計算し尽くされているのだなと、改めて感嘆です。

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★映画はモリコーネという人間にも迫っていきますが、その部分で印象に残ったことは?

M:自分の知識的には、楽曲以外の情報はほぼ皆無という状態でしたので、驚きの連続でしたね。特にセルジオ・レオーネが偶然小学校の同級生だったというのは、人間の因縁というか、運命を強く感じました。
最初は彼の中では、映画音楽家になるのは、決して本意ではなかった。更にマカロニ・ウエスタンの作曲家としか見られない事も本望ではなかった。そんな中から、自分の歩むべき道をしっかりと確立していく。これは素晴らしいサクセスストーリーでもあるなと思います。意外とアカデミー賞をすごく気にしていて、そういう俗人的な一面も微笑ましかったです。

A:最初の答えとも通じるんですが少し懐かしいイタリア映画の家族を大事にし、父を尊敬する息子という典型像が重なってくるようで、父の病気で家族を支えるためにトランペットを吹く仕事を心ならずもすることになり――といった若き日の挿話はなんだかデシーカとかズルリーニ、ボロニーニとかの映画になりそうじゃないですか? そこに妙に感動してしまいました。
 そんな印象は何度か登場してくる手書きの楽譜、アナログな作業ぶりとも共振していくんですね。映画音楽の一方で常に師ペトラッシの存在を仰ぎ、古典的音楽世界をもにらみ、そこに身を置く努力を怠らない。そういう真面目さ、勤勉さ、けなげさみたいなものにもついつい目がいってしまいました。何度目かの候補になったオスカーを『ラウンド・ミッドナイト』のハービー・ハンコックや『ラスト・エンペラー』の坂本龍一等にさらわれての落胆ぶり、引退まで考える、そのあたりにも生真面目な性格が窺えて興味深かったですね。そのくせ臨機応変な閃きで型破りな発想もしてみせる。いままで知らなかった人間の部分に映画が光を当ててくれたおかげで、彼の参加した映画音楽の奥行が見えてくるような、そんな印象も持ちましたね。

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★映画音楽だけでない音楽家としてのモリコーネ、その音楽については?

A:正直いって映画音楽以外の彼の活動についてはこの映画で知った部分の方が多いのですが、キャリアの初期にアレンジの才能を発揮して、チェット・ベイカーに指名されたりもしたんですね。ただ個人的にはやはり映画あっての映画音楽、そこで輝くモリコーネ、その音楽という部分がある、そこはこの映画を観るとモリコーネにとっては不本意なのかもしれませんが、なかなかこちらも譲れないなあ、なんて(笑)

M:僕もほとんど映画以外の活動は知りませんでした。本格的にクラシック畑の人だったというのも、初めて知りました。映画の中でも出てきますが、モリコーネの曲自体が100年後とかにはクラシックに必ずなっていると思います。
そういう意味では、ショパンとかモーツァルトとか、現代におけるそういう領域の巨人だったのだという認識も改めて出来ました。
一昨年になりますが、ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀が国葬級で、モリコーネが作曲した『プロフェッショナル』のテーマが演奏されていました。日本では馴染みの薄い作品ですので、フランスでの作品の存在感の違いを知ると共に、モリコーネの素晴らしい旋律が焼きつきました。
アーチストとしての格が、私の想像を遥かに超えた位置にあるのだと実感もしました。そういう意味では大河ドラマ『MUSASHI』のテーマ曲をやった事は、NHKとしては、大チャレンジだったのだなと思います。
作品自体の出来も今ひとつで、黒澤作品盗用問題で、大河ドラマの歴史の中で闇に埋もれた作品になってしまったのが、残念です。この作品に参加した考えについて、モリコーネの感想も聞いてみたかったです。

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★スリリングなコメンテイターのスリリングな証言が目白押しですが特に誰のどんなコメントにぐっときましたか?

A:コメントそのものもなんですがモリコーネのこと、彼と組んだ自作について語る時のベルトルッチやタヴィアーニ兄弟の心の底からの笑顔、素敵でしたね。その顔をみると、その映画とその音楽の美しい伴走ぶりをもう一度、確かめたいと、実際、ここに登場してくる映画それぞれを、断片としてじゃなく全編を見直したいと何度もそわそわした、そこがこの映画の一番の魅力ともいえるんじゃないでしょうか。

M:個人的にはクラッシュのポール・シムノンです。クラッシュ日本公演は、『夕陽のガンマン』のテーマ曲をオープニングに使っていました。その選曲はドラムのトッパー・ヒードンだったと読んだ記憶がありますが、ポール・シムノンもモリコーネ好きだとは知りませんでした。同じくロック系ですが、ブルース・スプリングスティーンの登場も驚きました。ただスプリングスティーンの多くの楽曲は、情景が目に浮かびますので、そういう面で大きな影響があったのかなと推察します。タランティーノはわかりますが、ウォン・カーウァイも驚きました。
映画音楽界隈だけではなく、ロックや現代音楽にも影響が大きかったのだなと改めて思います。

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★えっと驚く裏話もたくさん登場しますよね?

A:不勉強で恥ずかしいですがレオーネとモリコーネが小学校の同級生だったって、なんだかうれしくなるような挿話でしたね。もちろんキューブリックの誘いを勝手にレオーネがことわったというのも面白い。でもそれ以上に印象的だったのはレオーネがホークスの『リオ・ブラボー』で使われた「皆殺しの歌」を意識していたってエピソード。あと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のジェニファー・コネリーのテーマのインスピレーションになったのがゼッフィレッリのというよりブルック・シールズの『エンドレス・ラブ』だったというのには思わずにやり、往年の美少女アイドルつながりだったんですね(笑)

M:セルジュ・レオーネの同級生は驚きました。レオーネは全く英語が出来ず、それで実は活動も狭まった感があると聞いた事がありますが、モリコーネは英語が多少出来た事で世界レベルに広がったのかなとも感じました。
『死刑台のメロディ』はとても好きなサントラでしたが、モリコーネだとは知りませんでした。そういう無知な部分も含めて、この作品もモリコーネなのかと思われる作品が、観客の皆さんにはそれぞれたくさんあったのではないでしょうか。
キューブリックの話も驚きですね。以前キューブリックをこの座談会で取り上げた時にも、彼の完璧主義について触れましたが、実現していたら完璧主義同士の素晴らしいコラボレーションになったと思います。
後当初は西部劇ばかりやっている事に抵抗感あったみたいですね。芸術家志向みたいな面も思ったより強くて、アニメは絶対に仕事では受けないような空気も垣間見えましたね。その辺は今の時代とはやはり感覚が違う世界で生きていたのだなと思いました。

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★改めてモリコーネの映画音楽の魅力、どのように? モリコーネ以外で好きな映画音楽家についてもできればちょっとコメントしてみてください。

A:あまりに当り前なんですが映画があって音楽があるという、繰り返しになりますがその伴走ぶり、それは監督との伴走ということにもなるんでしょうが、そこの関係を美しく貫いている点じゃないかしら。という意味ではちょっと例外というべきなのかもしれないですが久々に『死刑台のメロディ』のジョーン・バエズが歌った「勝利への讃歌」を聴けて懐かしかった。あのメロディは映画のサッコとヴァンゼッティだけじゃなくこちらへの応援歌みたいに映画を離れても当時、耳に残りふっと口を突いて出てくるメロディでしたね。好きな映画音楽家というのはたくさんいすぎですが、映画とのかかわり方、その進行を文字通り歩調を合わせるように支える『暗殺の森』のジョルジュ・ドルリューはすごいと映画を観る度に引き込まれます。トリュフォーとのコンビ作はいうまでもないですが、ゴダールの『軽蔑』もよかったなあ。モリコーネと彼とミシェル・ルグランの合同コンサートというのは聴いてみたかったです。

M:自分の好きな作品ですが、『シシリアン』のテーマに、こんなに深い意図があったのだと、初めて知りました。何気なく聞き流していましたが、『シシリアン』は、全く違う二つの旋律が見事にコンビネーションされて、一つの楽曲として成功しています。そういった細部までの旋律の検証に、楽器に対する拘りやアイデアもすごいですよね。
作曲家の一面とアレンジャーの一面が合わさって、エンリオ・モリコーネという巨人は形成されているのだと思いますし、魅力なのだと思います。ポップミュージックに対する造詣も深く、ロック的なアプローチやラテンミュージック的なアプローチの作品もあります。
この奥深さはとんでもないですね。
他のアーチストは、月並みですよ。ニーノ・ロータ、バート・バカラック、フランシス・レイなどは配信で今もよく聴きます。割と女性的な旋律を多用する作家がいる中で、モリコーネは力強く男性的なエッセセンスが濃く、そこがまた魅力なのだと思いますね。

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★モリコーネ自らの指名でこのドキュメンタリーを撮ったジュゼッペ・トルナトーレの作品としてはどんなふうに評価しますか?

A:必ずしもトルナトーレの熱心な観客とはいえないんですが、やはり『ニュー・シネマ・パラダイス』と通じるような人と人との関係を追う映画になっているように感じました。「私は映画のドキュメンタリーなのに、映像は使用できず写真ばかりに頼らざるを得ないような作品は好きではない。それは、私にとってはとても本質的なことだ。なぜなら、私は最初から実際の映画のシーンを使わずに、『ミッション』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、それに多くのマカロニ・ウエスタンの音楽の誕生を物語ることなどできないと考えていたからだ」とプレスに発言が引用されていますが、その思いを貫いてモリコーネが関わった映画のシーンをふんだんに映像としても見せてくれるのがいいですね。

M:トルナトーレも、数本の作品だけで、人柄の知識はないのですが、イタリアの監督の中では非常に落ち着いた演出をする監督というイメージがあります。『ニューシネマパラダイス』はもちろんいいですが、ドキュメンタリー『マルチェロ・マストロヤンニ甘い追憶』に仕事で関わったので、ドキュメンタリーも落ち着いた語り口で演出する人という印象があります。この作品もいわば割と自然にモリコーネを語っていて、それがいつの間にか真の姿を浮き彫りにしていますね。『記憶の扉』のような難解な作品もありますが、これはオーソドックスなトルナトーレらしい作品だと思います。

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『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ
ほか全国順次ロードショー中

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監督:ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』
原題:Ennio/157分/イタリア/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:松浦美奈 字幕監修:前島秀国
出演:エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノほか
公式HP

偉大なる反逆児ポール・ニューマンの軌跡/Cinema Discussion-48

© 1961 Twentieth Century Fox Film Corporation.

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第48回は、ハリウッドの名優ポール・ニューマンの特集上映≪テアトル・クラシックス ACT.2 名優ポール・ニューマン特集 ~碧い瞳の反逆児~≫です。
ポール・ニューマン50〜60年代の主演作品4本が劇場で公開されます。
『明日に向って撃て!』 
『熱いトタン屋根の猫』  
『ハスラー』  
『暴力脱獄』 
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

© 1958 WBEI『熱いトタン屋根の猫』

★フランスのベルモンドに続いてアメリカのビッグスター、ポール・ニューマンを銀幕で見られる特集上映です! 4本それぞれの感想からいってみましょう。制作年代順にまずは1958年の『熱いトタン屋根の猫』、テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した一作でニューマンは初のオスカー主演男優賞候補となっていますが、このニューマンどう見ましたか?

川口敦子(以下A):今回の4本のうち、リアルタイムで映画館で見たのは『明日に向かって撃て』だけで、他の3本は公開時まだ子供で後追いしたものばかり、ニューマンってそういう時代から長くクールにキャリアを歩んでいたんだなあなんて少しまぬけな感慨に浸ったりもしました(笑) 
実際、青い瞳のハンサム・スター、その美しいルックスで輝いた5-60年代の代表作はテレビ洋画劇場全盛期に見て、それからビデオでもと。いっぽうで成熟の域、渋みを全開にしていく70年代以降の公開作でリアルにいい感じに歳をとってく姿を愉しみつつ、若き日の美貌を振り返りああっと惹き込まれる、といった形でポール・ニューマンってスターとは出会ってきたんですね。その意味で大きなスクリーンで美しいニューマンに見惚れるチャンス、改めて貴重な機会に胸躍ります。
 で、テレビ放映で見たニューマン作品の中でも個人的にいちばん好きだったのがこの『熱いトタン屋根の猫』なんです。原作のテネシー・ウィリアムズの戯曲はニューマンにうっとりした後で急いで読んだんですが、そこでは死んだ親友との関係がもっとホモセクシャルの色濃く描かれていて、それはそれでヘッセの「知と愛」とか三島とかが好きだったミーハー女子中学生にとってはなかなかに魅力的だった、でもだからといってその要素が無難にカモフラージュされた映画版に不満だったわけでもなく、松葉づえで不自由な体をもてあましつつ、酔っ払い、ふてくされ、美貌の絶頂期のエリザベス・テイラーにすげなく冷たく接するニューマンの硬質のセクシーさにじわじわ惹き込まれていたなあと、懐かしく思い出しました。
 今回、見直してみると十代の頃にはあまり感じなかったんですが父と息子の関係の部分、地下室での長い対話の部分のニューマンの演技がメソッド俳優の誇りみたいなものを底に秘めて頑張りすぎすれすれ手前で惹き込まれる、ついつい『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンのことを思い出し、そういえばその代役として『傷だらけの栄光』でブレイクしたんだったなあ、なんてしみじみしたりもしたんですが、後に自身の息子を不幸な形で失くすことになるニューマンなのだなあなんてことまで思い、そこは、時を経て観ることのよさというか強みのひとつでもあるんでしょうね。

川野正雄(以下M):今回の上映で、唯一初見がこの『熱いトタン屋根の猫』です。
見始めて最初は、やっぱり古いなあ〜なんて印象でした。エリザベス・テーラーの映画というのが大体保守的なハリウッド映画というイメージがあり、またテネシー・ウイリアムの舞台劇を映画化したという舞台的な台詞の詰め込みを感じて、他の3作品に比べると今ひとつかな〜と感じていました。
ところが中盤前あたりから、徐々に隠されている謎みたいなエピソードが明らかになってきて、一気に作品に引き込まれました。
非常に入念に台詞は組み込まれ、ポール・ニューマンの演技もどんどんギアが入っていく感じで、作品全体のテンションも高くなってきました。
ポール・ニューマンの私のイメージは、ハリウッドの良心というか、優等生のようなものなのですが、クールな外見とは裏腹の心の闇という部分を、アクターズスタジオ出身俳優らしくこの作品では見事に表現していると思います。
今回この作品を一番最後に見ましたが、面白かったのは、『ハスラー』『暴力脱獄』と『熱いトタン屋根の猫』がいずれも酔っ払いシーンから始まる点でした。
アル中キャラという些か似合わないキャラクターが共通項になったのは、偶然でしょうか。

『ハスラー』© 1961 Twentieth Century Fox Film Corporation.

★続いては『ハスラー』。スコセッシ監督、トム・クルーズ主演の続編『ハスラー2』(86)にもその後のエディ役で登場、ついにアカデミー賞主演男優賞に輝くことになるわけですが、ニューマン36歳、飛躍の60年代を牽引した快作『ハスラー』(61)の魅力、語ってください。

M:『ハスラー』は3回目くらいかなぁ。最初見たのは随分前で、テレビかもしれません。
『ハスラー2』がヒットした後も、何かで見る機会があって、やはり『ハスラー2』よりも断然クルーでいいなという印象でした。
こういうギャンブラー物の映画はドキドキしますし、映画としても面白いジャンルだと思うのですが、スティーブ・マックイーンの『シンシナティ・キッド』と並んで、60年代アメリカ映画では双璧ではないでしょうか。
で、特に感じるのは敗者のカタルシスですね。常に人生何事も勝てる訳ではなく、負けた時の美学みたいな部分に惹かれるわけです。
特に支えてきた恋人の末路は非情であり、この段階で人生は負けのような状況になってしまいます。
そしてどん底からの巻き返しになっていきますが、その屈しないメンタルは『暴力脱獄』にも繋がっていると思います。
ここで生み出されたポール・ニューマンのキャラクターは、この後の多くの作品にリンケージしているように思います。
そしてニューマンのシンプルなファッションも格好いいですが、正装でビリヤードに臨むミネソタ・ファッツも実に格好いいです。自分の年齢はファッツに近いわけで、見ながらミネソタ・ファッツにも思いを重ねていきました。

A: いやあやっぱりかっこいい! でも暗い。
ハリウッド映画離れしたというのかな、時代の先をいってるような酷薄さにうなりました。
うぬぼれた生意気盛りの小僧、でも才能はあるってエディのやな奴ぶりを容赦なく演じているのに憎めない、ニューマンならではの役作り、いいですよね。
もちろんそこが一番の見所ではあるんですが、周りの面々も見逃せない。とりわけ非情のマネージャー役ジョージ・C・スコットと翳りを独特の魅力にしてもいるような恋人役パイパー・ローリー、しびれます。
脇を固める俳優の深さが映画を輝かせるって今更ながらに実感せずにいられなくなりますよね。
監督ロバート・ロッセンのこともきちんと見直したいと思いました。赤狩りの犠牲者としての不幸についてもですが、最晩年の『リリス』、あとハーレムにキャメラを持ち込んでシャーリー・クラークがドキュメンタリー・タッチで撮った快作『クール・ワールド』のもとになった戯曲を手掛けていたりと気になる存在なんですが、今回、『ハスラー』をまたみてこれまで以上にこの監督の底力に惹き込まれました。

© 1967 WBEI
『暴力脱獄』

★公式ページに寄せられたコメントでピーター・バラカン氏が「困った邦題にまどわされないで」と仰ってますが、原題は「Cool Hand Luke」、67年のこの必見作でのクールでホットな”偉大な反逆児″ぶりはいかがでしょう?

A:まさに懲りないへこたれない反逆魂を体現して、心底みてよかったなと思わせてくれる、そういう快作、そういう快演ですね。
笑顔の美しさ、不敵さ、もう百万遍語られてきたとは思いますがそれだけの価値があるニューマンの間違いなく代表作といっていいしょうね。
記憶が定かでないのでおそるおそるいいますが、昔、テレビで見た時はパーキングメーターを壊す冒頭のシーンがカットされていていきなりあの囚人たちが道路で作業をしている風景で始まったような気がするんですが、勝手な記憶かな。その後もその道の労役の風景は繰り返し出てきて印象的なんですが、これって、監視人のミラー・サングラスへの映り込みと共にコーエン兄弟映画にまさに映り込んでいませんか?
それとルークがテーブルの上に運び込まれてのびてる姿を俯瞰した場面は十字架の貼り付けのキリストにつながっていくようで、その後、神よと天を仰ぐことが幾度かある、そこにも「わが神わが神なんで私を見捨てたのですか」ってキリストが父なる神にささげるいのりの遠いこだまのようなものが感じられて、このルークって打たれ強いキャラクターの根底に犠牲の子羊としてのキリスト像があるのでは――なーんて勝手な妄想をふくらませても楽しめるように思いました。
あ、ニューマンのことに戻ると囚人服のブルーがよく似合う、そこもいいなあ。
この映画も脇役の良さが光りますが、ジョージ・ケネディはいうまでもなく、ハリー・ディーン・スタントンにデニス・ホッパーまでいてうれしくなります(笑)

M:デニス・ホッパーいたのですか?気がつきませんでした。囚人の1人でしょうか?
初めて全作品を観る方は、この『暴力脱獄』を一番好きになる方、多いのではないかと思います。
以前アメリカ人と話した際に、その時代のアメリカ人は誰でも知っている映画で、日本の我々の想像以上にアメリカでは超メジャーな映画だという事を知りました。
バラカンさんのいう邦題の残念さが、日本ではマイナーな存在の作品に追いやっていると思います。
『Cool Hand Luke』の原題も素晴らしく、ラロ・シフリンの音楽も素晴らしい。私が見たのは多分ビデオか、テレビの深夜放映だと思います。その時も作品の魅力に圧倒されましたが、改めて見ても、やっぱりいいです。
先ほども言った敗者の美学、不屈の精神、反逆の哲学が見事にメッセージとして提示されている上に、囚人の作業や食事のシーンなど細かな部分まで演出が行き渡っているので、映画的な魅力が満載の作品になっています。
ポール・ニューマンの出演作品では、トップにくる作品ですね。
後忘れてはいけないのが、刑務所のボス役のジョージ・ケネディですね。角川映画『人間の証明』にも出ていて、親日な俳優というイメージもありますが、ここではルークの良き理解者となるボス役を見事に演じています。
ボクシング、卵、最後の脱獄と、重要な場面で常にルークと関わってくるキャラクターですが、作品の中での存在感も高いですし、受けの芝居が素晴らしいと思いました。

『明日に向って撃て!』© 1969 Twentieth Century Fox Film Corporation

★アメリカン・ニューシネマの代表作にして西部劇の新たな地平を開いたヒット作『明日に向かって撃て』(69)もニューマンの代表作の一本ですが?

A:この頃から反逆児イメージにお茶目な二枚目半要素も積極的に取り入れ始めていましたね。レッドフォードも口ひげでちょっと美貌に汚しをかけてますが、ニューマンもおっさん要素でヨゴシ対決してる。その肩の力の抜け加減が相棒の恋人キャサリン・ロスの心をそわそわさせる、大人の男の磁力(笑)うまく老けていくニューマンの軌跡の第一歩がこのあたりにありそうですね。
監督ジョージ・ロイ・ヒル、そしてレッドフォードと『明日に向かって撃て』のトリオがまた組んだ『スティング』もそういう意味でナイスな方向を探り当てた一作だったと思います。
 アメリカン・ニューシネマ期にはもっとはげしくヨゴシをかけた「ロイ・ビーン」もあって好きでした。
アルトマンとの『ビッグ・アメリカン』『クィンテッド』もありますが、このふたり、アメリカン・ニューシネマの中心世代からいえばちょっと年上の兄貴世代に当たるのに反抗の精神で次世代の新しい映画の波と同調してみせましたよね。

M:この作品は、公開時には間に合っていないのですが、名画座三鷹文化まで、わざわざ観に行きました。今回のラインアップの中で唯一劇場で観ている作品です。
当時は自分の中のベスト1的な存在でした。
改めて観ると、音楽の使い方、写真の使い方など、ニューシネマらしい斬新な演出が際立っていると思いました。
大好きな作品という印象はもちろん変わりませんが、自分の中ではどちらかというとロバート・レッドフォードの作品という気持ちもあります。
レッドフォードも最大の当たり役ですから、当たり前ですが、『ハスラー』『暴力脱獄』とは逆にここではポール・ニューマンが受け役ですね。
この少し前にはフランス映画で『冒険者たち』がありましたが、バディ物や男2人に女性1人の関係性という設定のロールモデルになった作品でもあるのではないかと思います。
写真やストップモーションの使い方含めて、『明日に向かって撃て』に影響を受けている映画は世界中に数えきれない程あるのではないでしょうか。
そういう意味で、映画好きの方には必見の作品です。
音楽やビジュアルの見せ方も素晴らしく、アメリカンニューシネマという時代性もあり、60年代までの映画作りと、70年代以降の映画作りのブリッジになった作品とも思います。
ゴダールの『勝手にしやがれ』が、50年代と60年代のブリッジになったのと似た存在です。

『暴力脱獄』© 1967 WBEI

★4本まとめ見てみてポール・ニューマンの魅力、今、改めてどんなふうに総括したいですか? あるいはまたニューマンはトラッド系の着こなしでも注目されたり、ドレッシング等のビジネスでも知られてますね。監督作もある。今回の上映作以外でもニューマンをどんな存在として体験してきましたか?

A:着こなし面では『動く標的』あたりのスーツ姿やコートのスマートな纏いっぷりが印象に残っています。今回、『ハスラー』でかもを求めて場末のバーに行くときに来ているジャンパー、重ね着的な着こなしが今も使えそうなんて新鮮に見直しました。
スティーブ・マックィーンと共演した『タワーリング・インフェルノ』も話題になりましたが、マックィーン同様、ニューマンもカー・レースに熱中していた、主演作『レーサー』ではスタンド・インなしでレース場面の撮影に挑み、共演した妻のジョアン・ウッドワードのご機嫌を損ねたって、昔翻訳した評伝にあったのを思い出しました。
79年にはル・マンにも挑戦して第二位で完走したそうです。マックィーンと言いベルモンドといいこの時代のスターたちは体を張って挑戦すること好きですよね。
監督ニューマンについては去年、セルクルルージュでも取り上げた『まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響』(72)が予想以上に面白くて、きちんと振り返ってみたいと思ったまままだ果たせてないんですが、きちんと見ようと思います。
ニューマンの存在は同時代で体験した成熟期と初めにもいったような若き日の後追い体験、若き日の方に好みとしては重きを置いてしまう所があるんですね。
それは今回の特集のコピーにもなってる”偉大なる反逆児″の部分にやっぱり惹かれてしまうからなのかもしれませんが、『ハッド』とかふっとみせるやわらかな表情もいいんですよね。
ニクソンのブラックリストにものった活動家としての顔とかもあって、一筋縄ではいかない存在ですがどこをとっても好感度が頭をもたげてくる。クールハンド・ルークじゃないけどそういういい奴としての記憶が刻まれていますね。

M:本当に好きな俳優で、映画を見に行き始めた時期に、『スティング』『我が緑の大地』『デッドヒート』『ロイビーン』など、公開作品を追いかけていました。
敦子さんの言う『動く標的』シリーズの私立探偵リュー・ハーパー(原作はアーチャー)や、『マッキントッシュの男』『引き裂かれたカーテン』のスパイサスペンスも好きでした。
ファッションはブルックス・ブラザーズのモデルみたいなトラッドスタイルが実に似合っていましたね。
活動時期が長く後年の『ノーバディーズ・フール』や『評決』も好きでした。
サンダンス映画祭でプレミア公開されたコーエン兄弟の『未来は今』は、あまりうまくいかなかった所感です。
カタルシスを常に持った俳優というのが、トータルの印象でしょうか。
政治的な活動、エコ的な活動、作品の選び方、全てにおいてです。

『熱いトタン屋根の猫』© 1958 WBEI

★今回の特集は新旧ファンそれぞれに往年の名画を体験する機会をという「テアトル・クラシックス」の第二弾となりますが、今後、こんなジャンルをとか、この人をとか、希望があればぜひ!

A:最初にもふれたようにテレビやビデオの画面でしか見る機会のなかった古典と銀幕で出会えるという機会は今後もぜひ続けていって欲しいと思います。ジャンルとしてはメロドラマ、ベティ・デイヴィスとか大きな画面で見てみたい。あるいは優等生的映画ばかりじゃなくスザンヌ・プレシェトとトロイ・ドナヒューが共演した観光ロマンス『恋愛専科』みたいなものもたまに見てみたいななんて思います。

M:今日本では忘れられている存在のポール・ニューマンにフォーカスしたのは、とても素晴らしいです。
次は当たり前な順番ですが、ロバート・レッドフォードやアル・パチーノに行って欲しいです。或いは監督ですね。アメリカの名監督だけど、日本では今あまり話題にならない監督特集。アーサー・ペンとか、ロバート・ワイズとか、久々エリア・カザンとかでしょうか。
それと一番は、ポール・ニューマン第2弾。話題にもでた『ハッド』『動く標的』『傷だらけの栄光』『我が緑の大地』そして『スティング』、改めて見たいですね。

© 1961 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ハスラー』

≪テアトル・クラシックスACT.2 名優ポール・ニューマン特集~碧い瞳の反逆児~≫ 
公式HP      
■配給: 東京テアトル
 シネ・リーブル池袋、新宿ピカデリーほか全国順次公開中です。