男と女の欲を描いたルイス・ブニュエル大特集/Cinema Discussion-42

『小間使の日記』© 1964 STUDIOCANAL FILMS Ltd

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2022年の第1回目が第42回目となります。
今回は新作ではなく、巨匠ルイス・ブニュエルの後期作品をデジタルリマスター版で特集上映に登場する6作品を紹介致します。
ルイス・ブニュエルは1900年スペイン生まれ、そして20世紀を代表する巨匠です。
今回は1964年の『小間使いの日記』から、遺作となった1977年の『欲望のあいまいな対象』までの作品です。
カトリーヌ・ドヌーヴ、ジャンヌ・モロー、モニカ・ビッティなど当時のヨーロッパを代表する女優たちが出演しています。
『小間使の日記』
『昼顔』
『哀しみのトリスターナ』
『ブルジョワジーの秘かな愉し
『自由の幻想』
『欲望のあいまいな対象』
今回は映画評論家川口敦子と、川野 正雄の二人の会話でお届けします。

『昼顔』
©1967 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights reserved.

★今回の特集上映は70年代の作品にフォーカスしたものですが。公開時、リアルタイムで経験したものはありますか? 当時、監督ブニュエルや彼の作品をどのように受け止めていましたか?

川野 正雄(以下M):『ブルジョワジーの密かな愉しみ』は、確かATG配給日劇文化でロードショー公開したと思います。その時に観に行きました。
上映終了後わけがわからないと、一緒に行った友人たちがブーイングだった事を、よく覚えています。
高校1年生には理解しにくい映画でしたが、自分自身はこのついていけない感じを楽しんでいました。
後年DVDで見返して、面白さの本質をようやく理解する事ができました。
不条理劇ですが、根底に流れる性欲や食欲、快楽の追求といった人間の本質を茶化したシニカルなユーモアは、ブニュエルならではのものですね。
また今回の特集上映では、一番起用されているのが、フェルナンド・レイだと思います。
その後『欲望のあいまいな対象』も、リアルタイムで見ていますが、『ブルジョワージー〜』ほどの強烈なインパクトはなく、ほとんど記憶がなかったので、改めて今回見直し、二人一役の攻める演出を堪能しました。

川口敦子(以下A):私も『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』が公開時に見た初めてのブニュエルだったと思います。大学に入った年かな。それ以前、中学、高校時代に愛読していた映画誌で『哀しみのトリスターナ』が高く評価されていて、脚フェチの巨匠みたいなこともいわれていて好奇心を募らせつつ、実際に、スクリーンで見たのはずっと後になってでした。
改めて振り返るとシュルレアリスム以来の巨匠として名前としては親しんでいたけれど実際に映画として親しんだのはメキシコ時代の作品がまとめて公開された80年代末だったのかなあと思います。
そういえば今回、ねずみをめぐる場面が『小間使いの日記』や『欲望のあいまいな対象』に出てきて思い出したんですが、川野さんと哲生くんとチェルシーホテルに泊まってねずみが部屋に現れてポーターのお兄さんを呼んで退治してもらうって事件があったじゃないですか(笑) で、その晩だったように記憶しているんですが、なぜかブニュエルの話になって、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』の名前も出たんですが、私がマルコ・フェレーリの『最後の晩餐』とごちゃまぜにしていて、それを川野さんに違うって叱られたなあ(笑) と懐かしく思い出したりもしました。まあお恥ずかしい限りなんですがその程度の不熱心なブニュエルの観客だったわけですね。

『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』
© 1972 STUDIOCANAL. ALL RIGHTS RESERVED

★改めて今、往時のブニュエルを見てどんな感想を? 70年代当時に感じていたこととどう違いましたか?

A:というわけで不熱心な観客だったので気づかなかったんだと思うのですが、アルトマン――すみません、どこでもドア的にいつでもどこでもつい引っ張り出したくなるんですが――ブニュエルを見ているし、好きだったんだろうな、と今回、いきなり確信したくなりました。『自由の幻想』のあのとりとめもなく脱線して続いていく挿話、その落ち着かなさの感触は『ナッシュビル』と結ばれていきませんか? 「無神論者でいられることを神に感謝」みたいな発言からも窺えるブニュエルの挑発的な権威への突っかかり方ひとつとってもアルトマンと通じてますよね。『三人の女』が夢から生まれたって挿話にしても、ブニュエルの影を感じるし、今回は上映されませんが『ビリディアナ』でレオナルドの「最後の晩餐」をパロディにした、アルトマンが『M★A★S★H』でそれをしたのもどこかで意識していたからじゃないかと、そんなふうに妄想を膨らませる愉しみ、これもまとめてブニュエルを見た成果かもしれない(笑) そうそう『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』のポスター、唇に脚がはえてるって図柄、これは逆に『M★A★S★H』のピースマークに脚ってポスターからヒントを得ていなくもないようで、ブニュエル自身はあのデザインをあまり気に入っていなかったというのも、流行りものを意識した宣伝の態勢に苦虫かみつぶしたのかなと、なんだかナットクできる気もしてきますよね。
もうひとつ、『昼顔』もオリヴェイラが”その後″を夢も妄想も駆逐した現実の地平を守って撮った『夜顔』を見た今、改めて見直すと謎の小箱とか娼婦の部屋の裸体画とか懐かしい記憶の往還が成り立って奇妙に面白みの奥行が増幅する快感を味わえました。ぜひ2本立てでの公開もお願いしたいですね。

M:他の作品は、当時は見ていないですね。『哀しみのトリスターナ』は、タイトルから違った印象を持っていて、対象外と思っていました。
その頃60〜70年代のキネマ旬報ベスト10をともかく見るという目標を立てていました。またパゾリーニ、アントニオーニなどと並ぶ名監督として、ブニュエルの映画を見たいと思っていたのですが、ともかく機会を見つけられませんでした。その頃見たかった『ビリディアナ』『皆殺しの天使』『アンダルシアの犬』といった作品は、未見のままです。
今回の中では『昼顔』は、いつという記憶は曖昧ですが、メジャータイトルでもあるので、『ブルジョワジーの密かな愉しみ』に続いて見たブニュエル作品です。
夢と現実が途中で混在したり、時間軸が一気に飛んだりするなど、どの作品でもブニュエルは観客を翻弄するのが、この6本全部を見てわかりました。
またすごく前衛的なアート作品監督というイメージを持っていましたが、『さらば友よ』『乱』のセルジュ・シルベルマンがほとんどの作品のプロデューサーである事も、今回初めて認識しました。
フランスの娯楽大作プロデューサーのシルベルマンが続けて製作しているという事で、芸術性と商業性の両立を目指していたという点も理解出来ました。
また今回の資料を見て、原作ものとオリジナル脚本作品では、かなり違うなとも感じました。
『ブルジョワジーの密かな愉しみ』と、『自由な幻想』は、オリジナルならではの破天荒さがありますね。
『小間使いの日記』など何度も映画化されている原作あり作品は、性的なテーマが本質として潜み、それをどうブニュエルが料理するかがポイントなのではないかと思います。

『自由の幻想』
© 1974 STUDIOCANAL FILMS Ltd

★わかりにくいものが受け容れられにくい今、どんな反応を期待していますか?

M:説明が難しかったり、観客に判断を委ねる部分はありますが、決して難解だったり、退屈な映画ではないと思います。
説明がつかないだけで、テンポも良く、エンターティンメントな要素もある面白い作品ばかりなので、決して現代で受け入れられない作品ではないと思います。
その辺はプロデューサーのシルベルマンの功績でしょうか。
何だかわかりにくいけど、面白い映画だった、女優が綺麗な映画だった、そんな反応を期待します。

A:川野さんも仰るようにわからないけど面白い、エンターテインメント作品ですよね。
もちろん、宗教、同時代の政治、社会への眼も見逃せませんが、付け焼き刃な主張でなく1900生まれ、20世紀の歴史を生き、そこで磨いた反骨精神を逞しく備えているから『小間使いの日記』のエンディングにしても『自由の幻想』や『欲望のあいまいな対象』にある往時のヨーロッパのテロへのブラックな風刺も浮ついていない、だから愉しめます。

★6本の上映作の中で特にお勧めしたいのは? それはなぜ?

M:カトリーヌ・ドヌーブの2本『昼顔』『哀しみのトリスターナ』と、ジャンヌ・モローの『小間使いの日記』の3本は、女優も素晴らしく美しい作品です。
いずれも原作もので、難解さというよりも、女性の毒性が光る作品です。
特に『小間使いの日記』は、今回の中では唯一のモノクロ作品ですが、全編が見事にストイックな演出で見せる作品と思います。
時代背景の理解は必要ですが、右派の描写など、政治的な意味合いも強いので、その辺はもう少し学習が必要でした。
でも今回一番おすすめなのは、一味違う毒性の『哀しみのトリスターナ』ですね。
この映画のフェルナンド・レイとドヌーブの関係の異常さは、ブニュエルならではの欲望とストイックさが同居する不思議な世界です。

A:『小間使いの日記』、いいですね! 森の少女のタイツに這うカタツムリとか、モノクロの峻厳にひきしまった画調に艶かしい危なさが食い込んで、うっとりと見惚れてしまいます。少女への暴行とかをそこだけ取り出して殊更に問題視する昨今の短絡的な傾向からして映画が断罪されないか心配になる部分もありますが……。神を否定しながら神のことを人一倍深く考えていたアーティストの世界、そこに描かれた罪、背徳、悪/善といったことを考える、感じる機会として受け容れたいと思います。

『哀しみのトリスターナ』
© 1970 STUDIOCANAL. ALL RIGHTS RESERVED.

★上映作の女優達、俳優たちの魅力は? それぞれ様々な監督作で活躍している俳優たちですが、ブニュエル映画ならではの魅力はどのあたりに?

M:ブニュエル作品では、本質がエロ親父の紳士役が多いフェルナンド・レイですが、この当時は『フレンチ・コネクション』の悪役のイメージが強かったので、ちょっと意外な印象だったこともよく覚えています。
カトリーヌ・ドヌーブ、ジャンヌ・モローといったスター女優起用は、シルベルマンの方針かなとも思いました。
ジャンヌ・モローのメイドもすごく美しく驚きましたし、二人一役の『欲望のあいまいな対象』の入れ替わる二人の女性も美しいです。
『昼顔』のドヌーブは、サンローランの衣装が素晴らしく、モロッコにあるサンローランのミュージアムで展示されていたドヌーブの写真を思い出しました。
改めて見てみると『昼顔』の時の写真もあります。
またドヌーブに限らず、今回はどの作品でも、男性女性に限らずのファッションの見どころも多い作品だなと感じました。

A:これまた微妙にあぶない発言になってしまいますが『小間使いの日記』のジャンヌ・モローにしても『昼顔』『哀しみのトリスターナ』のドヌーブにしても、黒に白い襟の修道女見習い的な、制服にも通じる禁欲のエッチ感が冴えて素敵。特に仏頂面にエロティシズムが映えるんですね。フェルナンド・レイ、ミシェル・ピコリの紳士の風体の裏面をにやりと思わせる佇まいも凄い! ちょっと外れますがそういう人々が生息する欧州のブルジョワ階級の環境、居場所、これはヴィスコンティの映画にもいえますが、日本映画にああいう真の有産階級ぶりがなかなか描けない残念さをなんだか改めて感じてしまいました。といいつつ個人的に好きなのは『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』のビュル・オジェのイエイエ娘感ですね(笑) これも『夜顔』の彼女、あとピコリと見比べてほしいなあ。

『欲望のあいまいな対象』
© 1977 STUDIOCANAL FILMS Ltd

ルイス・ブニュエル特集上映 デジタルリマスター版 男と女
2022 年1 月21 日(金)~2 月10 日(木)、角川シネマ有楽町にて開催中。

公式HP:bunuel-filmfes-japan.com

『偶然と想像』濱口竜介の短編小説集/Cinema Discussion-41

『偶然と想像』
©︎ 2021 NEOPA / Fictive

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。第41回目となります。今年はCinema Reviewというレビュー形式の評論も始めて、合計21本の作品を紹介させて頂きました。
紹介するつもりが、時間的制約や、言語化が難しく断念した作品もあります。
そして2021年最後は、濱口竜介監督のオムニバス作品『偶然と想像』です。
今回は映画評論家川口敦子と、川野 正雄の二人の会話でお届けします。

『偶然と想像』
©︎ 2021 NEOPA / Fictive

★まずは映画の感想を。どんなふうに楽しみましたか?
 
*川口敦子(以下A):ベルリン国際映画祭での銀熊賞(審査員大賞)受賞をはじめ映画祭サーキットでも注目を集めてきた一作ですが、とりわけ見逃せないのは東京フィルメックス等々で観客賞に輝いているってこと、乱暴にいってしまえば人気投票みたいな賞でもきちんと結果を出している、というのがすんなり納得できる愛すべき快作ですね。
もちろん、濱口竜介監督の国際的な評価の高さは『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』、そして『ドライブ・マイ・カー』と一作ごとに確かなものとなってきて、作品そのものの世界の大きさ、深さもまたがつんと重量級の噛み応えを感じさせてきたわけですが、そういう歩みの中で短篇3本から成るこの『偶然と想像』はふっと風の通り抜けていくような軽やかさで、観客の胸に飛び込んでくる。そこがまた新鮮だなあと素直にうれしくなりました。
音楽にシューマンの「子供の情景」の「異国から」を使っているでしょ。あのピアノ曲のシンプルさゆえの奥行といったらいいのか、無邪気さ、明るさの底にぽっと透んだ寂しさがまぎれこんでいるような、そこも映画の感触とうまく合っていますよね。で、私事をいってしまうと、この曲、昔、習ってたピアノの先生のことを思い出させてくれて、エスプリがないね――とよくけなされたんですが(笑) エスプリって、近頃あまり聞かない言葉ですが、この映画を見ながらああっと、エスプリがあるって誉め言葉をいきなり懐かしく反芻したりもしてしまいました。

*川野正雄(以下M):先に『ドライブ・マイ・カー』を見て、村上春樹の原作を原案程度にしてしまう濱口ワールドに圧倒されていました。
その為『偶然と想像』にも大きな期待を持って臨みました。
元々何かの凱旋上映会で見た『ハッピーアワー』に衝撃を受けていました。
『ドライブ・マイ・カー』は、『ハッピーアワー』から考えると、ものすごく進化した感じがしたのですが、『偶然と想像』には、『ハッピーアワー』のエッセンスを、まず感じました。
それから同じ年にカンヌ映画祭と、ベルリン映画祭で、それぞれ違う作品で賞を獲得するという事が、日本人として物凄い快挙なのではないかと思います。

★3つの短篇からなる映画の構成についてはどのように感じましたか?
独特の軽みがあるのはこの構成のせいと思いますか?

M: 『ドライブ・マイ・カー』の撮影がコロナで中断した合間に、少しづつ撮影したと聞きましたが、いい意味で軽く撮っているインディーズ映画らしさがありますね。
短編小説のような作品にしたいという濱口監督のコンセプトが、すごく今の気分や時代にもフィットしているのではないでしょうか。
3つの物語は全くリンクはしていないのですが、女性が偶然の産物で巻き込まれていく様は、三編とも共通で、映画的な面白さがすごくありますね。

A: そうですね。濱口監督自身が脚本を書いて、どれも一週間ぐらいで書き上げたと発言されているのを読んだ気がしますが、そのささっとの気分が微妙に異なるテイストをもつ3つの小さなお話を結んで飽きさせない。短篇集というアイディアは『パリのランデヴー』とか、ロメールにインスパイアされたということもいくつものインタビューで仰っていますが、そんな軽みの中でも台詞の応酬できっちりと「聞く人の顔に映る物語」を照らし合うツーショットの時空を紡ぐ第一話のタクシーの車内の場、惹き込まれます。3話を通じてひとりとひとりのふたりの会話のパターンがいくつも差し出されていくスリルも見逃せませんね。そういう構成の積み上げ方ひとつにしてもニュアンスだけで勝負みたいな昨今の言葉が軽すぎる日本の映画の演技、台詞、話術、撮り方へのこれみよがしではないけれども静かな異議申し立てが感じられて頼もしく思いました。

★タイトルにある「偶然」と「想像」に関して、映画を見ながらどんなことを思いましたか?

M:偶然の面白さというのは、映画のテーマとして扱われる事は多いと思います。例えば韓国のホン・サンス監督作品にも、見られますよね。
この3本のストーリーは、基本的に女性の中で起きる偶然であり、そこから生じるイマジネーションが、作品の骨格となっていると思います。
そのイマジネーションの描写が、さりげなく、しかし濃いという、濱口ワールドになっていると思います。
これはいわば真逆の現象なんですが、それが実に絶妙にブレンドされていて、観客にもヒントを与えながら、裏側を想像しつつ映画を見るという楽しみを与えていると感じました。

A:シネマクエストのインタビュー(伊藤さとりのシネマの世界vol.80)で東京芸大大学院映像研究科時代の師でもある黒沢清監督が映画をご覧になって「『偶然と想像』というタイトルだけど、映画ってみんなそうじゃない?」と仰った、「言われてみればその通りだと思った」とコメントされているのが面白かったですね。「映画って最初に発端(偶然)があって、それが人々の想像を掻き立てながら進んでいくものだと思う」と。2回目の偶然を出すと都合よすぎじゃない? となる、でもタイトルに謳っておけば、わかったじゃあどうなると理解して見てもらえるのでは――ということでつけた題名だそうです(笑) でもそのありえへんやろ――みたいな偶然を心憎く重ねて、見る者のイマジネーションを刺激し興味をつないでいく、そこにある話術、それを成立させる底力というのは実際、往年の聖林のロマンチックコメディにしても、ジャンル映画にしても、監督たちの腕の見せ所だったりもしたわけで、冗談めかして仰っているけれど実はチャレンジの真意が隠されていたりもしそうですね。そこに濱口監督という存在の映画の今におけるスリルも実はありそうで、つまり古典的な監督術への意志と覚悟を偶然と想像とを扱う手さばきにきちんと嚙みしめてみたいですね。

『偶然と想像』
©︎ 2021 NEOPA / Fictive

★俳優たちに関しては? その演技に関しては? 

A:先ほどもいいましたが、ニュアンスにばかり頼った、言い出しかねての・・・な語尾とか、劇画的ストップモーションの顔=感情表現と妄信しているような昨今の演技に降り積もる不満をいっきに解消してくれる素晴らしい俳優たち、そのせりふ回し、そこにある言葉のアクションと身体性の両立を堪能しました。それとこれは既に多くの評で指摘されていることの繰り返しになりますが、声への意識も大きいですね。第一話の中島歩、第二話の森郁月の声いいですよね。
演技の良しあしと俳優本人の備えた資質と、どちらが勝っているのかという点は映画を見ながらいつももやもや考えてしまう点なんですが、最初にふれたエスプリ、機知を感じさせる存在の仕方をどの挿話の人々も射抜いていて、それは今やあまりに有名な棒読みのリハーサルを重ねるという「濱口メソッド」の成果なのかもしれませんが、同時に的を射た、しかし意外性と無縁でもない配役のセンスもものをいっていますよね。たとえば渋川清彦のハラスメントに周到な配慮をみせるちょっと小心者の芥川賞作家兼教授なんて、いつも見ている暴力的だったり今どき過ぎだったり前のめりだったりするキャラクターをみごとに抑え込んでいて面白い。『いとみち』でも不思議な魅力をみせた中島、『パッション』も懐かしい河井青葉のどこかおっとりぬけている感じも得難い魅力で、それはもちろん話の中でぴたりとはまっているということですが、そこにはまる質をみつけ活かす作り手側の目の大切さも指し示してくれてはいないでしょうか。同じ顔が同じような役どころを演じているような映画の怠惰さが蔓延っている現状にちょっとうんざりなところもあるだけに、当たり前のことをきちんとやっているこの映画の制作の姿勢が光って見えるんですね。
ちなみにこの脚本の素晴らしさを思うと全く同じ3話を例えばパリ編、ニューヨーク編、台北編と変奏してみるっていうのも素敵じゃないでしょうか。売れまくってるアダム・ドライヴァーが中島歩の役をやったらどうなるのか、その場合、ふたりのヒロインは誰が演じるのか、もちろん演出は濱口監督ご自身でお願いしたいですね。

M:アダム・ドライヴァー+濱口監督いいですね!
この作品に関しては、オーディションでかなり役者さんを選ぶのに悩まれたようですが、すごく役作りには深いものを感じました。
撮影は多分かなり短い期間でやったと思いますが、独特の濱口式の本読みなど、事前のトレーニングというか、演技の仕込みについては、かなり時間をかけたのではないかと想像します。
朝ドラ『エール』の娘役で気になっていた古川琴音と、FMラジオのDJで馴染みのあった玄理。誰も考えつかないコンビネーションと思います。
更に争う男性が、『いとみち』のメイドカフェの店長でいい味出していた中島歩。
この3人の出口が見えにくい三角関係で、まず圧倒されました。
第2話は、個人的に初見の森郁月と、DJもやる個性派渋川晴彦の師弟関係のひずみと、漂う不穏な空気に唸らせられました。
第3話は、圧倒的な存在感の河合青葉と、占部房子のやり取りで、少し緊張感が和らぎました。
本当に芝居を基軸にした作品で、役者の演技というものに、正面から対峙している。そんな作品です。最近の映画は芝居だけではなく、周辺の演出がテクノロジーの進化によって、よりウエイトが高くなっていますが、シンプルに芝居だけで見せる演出が、逆に新鮮に感じました。

★カサベテス、ホン・サンス、ロメールとの比較が内外の評で目につきますがそのあたりに関しては?

A:見ながらついつい思い浮かべたくなりますよね。特に第一話で仲良しの女友達と付き合い始めた元カレ、ふたりを前にヒロインが夢想する頭の中の景色がいきなり現出し、ふっとまた現実に戻る、その地続きな感じの虚実の描き方にはちょっと昔のホン・サンス、なかでも『女は男の未来だ』の中華料理店での一景を思わず懐かしみたくもなった(笑) まあついつい比べてうれしくなるのは映画ファンのしょうがない習性なんでしょうが、だからどうしたというようなことでもあるのかな。ただカサヴェテスの『ハズバンズ』が大きなインパクトを与えたいうのは濱口監督自身が様々なインタビューで一度ならず発言されている、特に文学界22年1月号での西森路代氏との対談にあるコメントは演技する存在としての人という監督の映画にいつも見出せるテーマのことを思ってみてもスリリングで、そこからいろいろ考えてみたいことが浮かんできました。

M:僕の苦手な『ハズバンズ』ですが、濱口監督が好むのもよくわかります。台詞の応酬による演出の極限化という手法は、同じ日本人だからか、濱口監督の方がダイレクトに波長が合いますね。

★濱口竜介監督作の中でどのように位置づけますか? 

A:あと4本の短篇の構想もあるようですが、長編の合間にちょっと息抜きのような短篇集を差し挟んでいくというアイディアはファンにもうれしい贈り物みたいで大歓迎です。
確かギヨーム・ブラック監督も短篇『遭難者』があって中編『女っ気なし』があってと自由にフォーマットを往還していて、習作以上の成果を生んでいますよね。ヌーヴェルヴァーグの面々もそうやっていたわけですし。今後も積極的に短篇集作りも続けてほしいと思います。そういえば『不気味なものの肌に触れる』を予告編とするような『Flood
』という企画があったように記憶しているんですが、実現する日を待ってます!

M:濱口作品は前述の3作品だけで、そんなに見ているわけではないので、位置づけは難しいです。
敦子さんが比較に出されたギョーム・ブラックやブラックやホン・サンスといった監督達〜言葉と描写で綴っていく手法の演出という意味ではすごく親和性を感じます。
そして日本人監督として、かつてない位に洗練された監督力を感じます。
前述したようにカンヌ、ベルリンでの2作品受賞という状況見ると、グローバルな意味での日本映画シーンは、これから先当分の間は濱口監督を中心にして、今後回っていくのではないでしょうか?
そしてあまり多くの作品を今年は見ていませんが、日本映画としては個人的な今年のベストチョイスだと思っています。

★映画の見所、チャームポイントはどこにあると思いますか?

A:対話する人と人、そこで交わされる言葉、偶然が生んだシチュエーションの想像を超える展開という要素をしっくりと笑わせながら紡ぎあげる話術、映画術の魅力。で、どうしても演技や台詞の部分にまず惹きつけられてしまうんですが、タクシーのリアウィンドウが切り取る東京の夜とか、青山トンネルを走るヒロインとか、仙台駅のエスカレーターの上りと下り、その交差が切り取る運動とか、大学の教授の部屋のドアの開け閉めとか、そういう所にある映画的情動をさらりと何食わぬ顔で盛り込む監督の真の力も素敵に輝いているように思いました。

M:村上春樹作品のような良質な短編小説を3本読んだ。そんな気分になれるところでしょう.

『偶然と想像』
©︎ 2021 NEOPA / Fictive

『偶然と想像』
©︎ 2021 NEOPA / Fictive
2021年12月、Bunkamuraル・シネマ他全国ロードショー

監督・脚本:濱口竜介
出演:(第一話)古川琴音 中島歩 玄理/(第二話)渋川清彦 森郁月 甲斐翔真/
(第三話)占部房子 河井青葉
撮影:飯岡幸子 プロデューサー:高田聡 製作:NEOPA fictive  121分 
配給:Incline LLP 配給協力:コピアポア・フィルム

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)