『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』蘇った1969年のブラックミュージックフェス/Cinema Discussion-38

© 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第38回は、1969年ニューヨークで開催されたハーレム・カルチュラル・フェスティバルの映像を、50年の歳月の後映画化した『Summer of Soul』です。
監督は、Hip Hopアーチストでもあり、音楽プロデユーサー、DJでもあるアミール”クエストラブ”トンプソン。
音楽監修にウエス・アンダーソンやトッド・ヘインズ作品で有名なランドール・ポスターという強力な布陣で、50年間眠っていた貴重な40時間のライブフッテージを、1本のドキュメンタリー映画に仕上げました。
完成された作品は、今年のサンダンス映画祭で、ドキュメンタリー部門の審査員大賞と、観客賞を受賞しており、ブラックミュージックファンの期待も大きな作品です。
ディスカッションは、映画評論家川口敦子に、川口哲生、川野 正雄の3名で行いました。

Nina Simon
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★プロダクション・ノートによれば『サマー・オブ・ソウル』で長編監督デビューを果たしたクエストラブことアミール・トンプソンには、半分コンサート映画、半分アメリカ史上のリアルなイベントとしてコンサートをみつめるというアイディアがあったようですが、まずはコンサート映画としてどんなふうに楽しみましたか?

・川口哲生(以下T):
POP寄りなアーティストからゴリゴリのゴスペル、スピリチュアル、そしてラテンジャズ、ブガルーまでブラックミュージックといっても多様性に満ちているのがハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルと銘打つ由縁なのをひしひしと感じました。そしてアレサの映画でも書いたけれど、オーディエンスのノリやファッションがすごくかっこいいですよね。その一体感がコンサート映画として伝わります。惜しむらくは、曲ごとのインタビューのインサートが絶妙だけど、もっと演奏聞かせてって感じもあるのだけど。

・川口敦子(以下A):
スティービー・ワンダーがドラムを叩いてる! と驚くほどにブラックミュージック、というか音楽に関しての全般的知識が薄く、偏っている私にとっては、もちろんハーレムに集った黒人たちの黒人による黒人のためのコンサート、その記録として、会場の盛り上がり、とりわけウッドストックの対抗文化世代的な盛り上がりに対する地域的、家族的、超世代的な盛り上がりに共振するスリルも格別だったのですが、それに加えてブラックミュージックというものを体系的、俯瞰的、包括的に把握させてくれるという、ある種、啓蒙的、教科書的な一作としても(といってお勉強的な退屈さに堕すことなく)うれしい快作でした。

・川野 正雄(以下M):
単にコンサート映画というよりも、もっともっとライブ感があふれ出る感じですね。
選ばれている曲や流れもDJぽいなと思っていたら、監督のクエストラブはDJもやっているという事で、納得です。
1968~69年頃というのは、NHKのドキュメンタリーでも、よく取りあげられているんですが、世界的に大きな変革の時代だったと思います。
それまでの社会とユースカルチャーの凌ぎあいのようなムーブメントが、世界的に大きく変わってきた時代ではないでしょうか。
そして音楽も、大きく変わりゆく過渡期の時代だったと思います。
ロックの世界では、ビートルズもローリング・ストーンズもサウンドが大きく変化し、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンなど、ブルージーかつヘヴィなサウンドが生まれた時代。
ブラックミュージックでは、R&Bやソウルから、ファンクへの移行時期。
FUNKY SOULという過渡期のサウンドがすごく生まれたのもこの時代ですね。
僕自身もこの時代の音楽がとても好きですが、クエストラブからも、出演者や楽曲への愛が強く感じられますね。

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★”ブラック・ウッドストック″というタイトル案もあったけれどウッドストックとの関連付けはやめてと、独自のスタンスを取った映画を通して再発見された”ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル″の記録映像に関して、どんな感想を?

M:このフェスの存在自体知らなかったので、この映像と合わせて驚きです。
やはり50年間眠っていた映像というのは、センセーショナルでよね。
あまりマメではない僕は、YouTubeで映像を探すことも少ない為、多くのアーチストの映像を初めて見ました。
レイ・バレット、ステイプル・シンガーズ、モンゴ・サンタマリアあたりは、映像が見れただけでも感激です。
この時代の音楽の格好良さも、改めて認識させてくれましたね。
スティービー・ワンダーもこの時期は格好良いです。
サンダンスで審査員大賞と観客賞のダブル受賞というのは、非常にハードルが高いのですが、この映画がサンダンスで生んだ熱狂が、何となく想像出来てしまいます。

T:1969年はいくつもの変革の意識を内包した年なんだと思います。10歳だった自分にはそれは当然わからなかってけれど、当時だってなんかざわざわしたものを感じていましたよね。
旧価値観に対するpeace&love でなく、やはり黒人の意識改革に立ち位置を持った映画なんだと感じます。

A:前問の答えと重なりますが、今はマーカス・ガーヴェイの名を冠されているという一区画で地元民が集ったイベントだったということ、音楽的にも、成り立ちの上でも、ローカルなものですよね。ローカルであることがステージの上、下共に参加者には意味あることだったんでしょう。見逃せないのはでも、それをビデオで記録したハル・トゥルチンってテレビ界でキャリアを積んできた制作者、監督がウクライナから移民してきたユダヤ系の、大別すれば白人、でもワスプではないってところだったり、あるいはやはり白人の往時のニューヨーク市長の再選を視界に入れたキャンペーンの一端といった性格もあるという、そんな背景が、一部ローカル局での放映はあったもののトゥルチン家の地下室に50年余りもこの刺激的な音楽イベントの記録を眠らせるって結果を招いたのかと、会場の盛り上がりと3大ネットワークをはじめとするアメリカの主流メディアの黒人音楽、黒人の位置をめぐる運動の受け止めのギャップを思ってみたくもなってきますね。

The 5th Dimmension
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★”ブラック・イズ・ビューティフル″と祝福した革命の始まりの夏、音楽と文化の上でのブラック・アイデンティティに関して、そのみつめ方(クエストラブの主張)に関してはいかがでしょう?

T:この映画のハイライトは、ニーナ・シモンのパフォーマンスだと思います。それも“young gifted & black”というよりはノートの切れ端を手にして、バンドバックにポエトリーリーディングするところ。The Last Poetsと同じ空気吸ってるハーレムですよね。

A:クエストラブはハーレム・カルチュラル・フェスティバルがそもそもマーティン・ルーサー・キングの暗殺以降、平和主義的な公民権獲得運動から暴力的な傾きを持つ運動へと転換する中で、各地で高まっていた黒人たちの怒りの爆発、暴動への対策として企画されたとも発言していますが、スタンスとしては「革命が放送されなかった夏」に芽生えていた暴力的な手段をとってでも風穴をあけるというような流れを無視しない、そんな見方をはっきりとトゥルチンの素材の中から抽出しているように見えますね。ブラック・パンサーが市長の護衛役を務めているとか。哲生くんがいうようにニーナ・シモンの詩の朗読をクライマックスとして大きくフィーチャーしてみせるとか。シモンのその後はドキュメンタリー『ニーナ・シモン魂の歌』(原題Whar Happened ,Miss Simone?)が活写しているように表舞台から退かざるを得なくなっていくわけですよね。で、ちょっとうがった見方になるかもしれませんが、結果的にそういう黒人運動の抹殺の歴史を潜り抜けた後の今、この記録が解き放たれたことで同時代には見えなかったものも見えてくるって見所もありますね。

M:ここはやはり1969年という年代と、当時のアメリカの状況抜きには語れないですね。
6週間日曜だけのフェスという事で、色々な事件もあったと思います。
40時間というフッテージから選ばれている為、どうしてもコマ切れ映像になり、多分全体像は把握しきれていないのだと思いますが、このフェスをやった意義とか、空気感、そういうものは随所で、伝わってきますね。
作品の副題「…Or, When The Revolution Will Not Be Televised」は、1971年のギル・スコット=ヘロンの曲「The Revolution Will Not Be Televised」から取られているとの事で、そこに大きなメッセージが込められているのでしょうね。
出演していない(と思います)ギル・スコット・ヘロンからの引用というのも、クエストラブならではと思いました。

B.B.KING
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★公民権運動があり人類が月に小さいけれど大きな一歩を刻み、そうして様々な変化、始まりと終わりがあった69年、どのように記憶していますか、また映画を通してどのように記憶したいと思いましたか?

A: 哲生くんから送ってもらった動画で知ったんですがギル・スコット・ヘロンには「Whitey On the Moon 」ってもろアポロ計画を皮肉った曲もあるんですね。余談ですがヘロンは死の直前までペドロ・コスタの『ホース・マネー』にもかかわっていたそうで、もっと知りたいと思ってます。この人の存在がクエストラブの今回の映画のまとめ方には大きく影を落としているんはないかしら。月面着陸が人類にとっての大きな一歩だろうが知ったこっちゃない、こっちは貧しさにあえいでるんだみたいなハーレムの面々の反応が見られたことは日本の中学生として能天気に衛星中継を見ていた自分を思い出すにつけても、この映画見てよかったとあまりにナイーブないい方で恥ずかしいけど思います。
68,69年の世界の動きに関しては間に合わなかった感にいつも苛まれてきたわけですが、当時、遠くで何かが起きてる感触はありましたよね。それが70年代の始まりと共にすごく重く、閉塞的な雰囲気に変わって、別に何かに関わっていたわけでもないのに世界が暗くなった、その転換はくっきり覚えています。

M:アポロとかロバート・ケネディ射殺とかは覚えていますが、そんなに大きなものではないですね。
音楽で言えば日本のGSに興味を持ち、そこからローリング・ストーンズに行き、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を聴き始めたのが、この頃ですね。
すごくスリルみたいなものを感じました。
月面着陸は、テレビで中継見た事を覚えていますが、ハーレムの黒人達にとっては、宇宙の話などどうでも良く、自分達の目の前の問題が深刻だと言う事ですよね。

T:この映画のサブタイトル”revolution will not be televised”は私にとっては、大好きなギル・スコット・ヘロンの楽曲名だけれど、これが1960年代のブラックパワームーヴメントのスローガンな訳ですね。結局テレビから流れる月面着陸とは違う地平が存在するんだということ。

ヒュー・マサケラ
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★セルクルルージュでとりあげてきた『アメリカン・ユートピア』『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』との繋がりもあるように思いますが?

T:監督のクエストラブはもティーザーの中で言っているように、この時代と50年経った現在の類似点が、こうした一連の映画に繋がっているのでしょうね。クエストラブのバンドのthe rootのアルバム”things fall apart“のジャケット写真も当時の公民権運動の写真のものでしたが。

A:『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』もまた長く陽の目をみることがなかった、その理由として『サマー・オブ・ソウル』と結ばれるものがやはりなくはなかったんでしょうね。スパイク・リーが監督することで『アメリカン・ユートピア』にこめられた黒人に対する理不尽な警察の暴力、変わらない世界への訴えがより前面におしだされましたよね。『サマー・オブ・ソウル』のアメリカ、世界との繋がり。コンサート映画としての楽しみはもちろんですが、それだけでない部分の噛み応えも感じます。リーは今年カンヌでコンペ部門の審査員長を務めましたが、女性の場合もそうなんですが、そのことがまだ特別なことであるって、69年から50年、世界は変わったようで、変わっていませんね。

M:『アメリカン・ユートピア』とは、残念ながら自分の中では、直接的には結びつきません。
ステージの中で政治的なメッセージを伝えるという行為自体は、確かに近いのですが、それが2つの作品のリンケージにはならないのです。
結果的に似た構造を持っていたいう事ではないかと思いますが、ステージの上からメッセージを伝えている事は同じですね。
『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』は、時代性、これまで未公開、ブラック・ミュージック等多くの接点を感じます。
両者に見られる観客の黒人のグルーヴ感満載のダンス。これ見るだけで、その場にいたかったなと思いました。

アビー・リンカーン © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

★その他映画の見所、ここは見逃すなという点があったらぜひ!

T:アレサからの繋がりで、マハリア・ジャクソンとメイビス・ステイプルのゴスペルはやはり圧巻ですね。小学生からPOPなblackミュージックは好きだったけれど、Bowieとか聞いていた高校生の時付き合った彼女が貸してくれたstaple singersで音楽領域が一気に広がった自分としては感慨があります。
ウッドストックでも圧巻だった、スライ!かっこいいし人気があったのがわかります。
ラテンではレイ・バレットはメッセージ含めてかっこよかったです。
そして忘れてならないのは、ショーのプロデューサー、トニーローレンス。アーティストとも政治家とも渡り合うやり手の、スーツからスカーフ巻いた色々な衣装、トースティングはすごくかっこよかったです。

A:同じハーレムでもイーストハーレムのラテン系なアイデンティティもあって、と紹介される部分も面白かったんですが、ついスピルバーグのウエストサイド物語はどんなふうになってるのかなと、興味がふくらみました。キッド・クレオールたちはまたでも別のグループなのかな。すみません、ビギナーな質問をつづけてしまいますがそんなハーレムに、なのかアメリカのブラックミュージックにというのか、レゲエというのは居場所があまり見出せなかったんですか? もひとつ素朴な質問をいえばジミー・ヘンドリックスが出演を認められなかったという記事がいくつかありましたが、それはなぜだったんでしょう?

M:ジミヘンは、以前取り上げた映画にもありましたが、白人寄りに思われていたのではないでしょうか。
やはりその出演が驚きであったキューバやプエルトリコのラテン勢。
ブラックミュージックのフェスの中に、ラテン勢がいるという事実。
そしてその存在感。
ブガルー終焉期のこの時代の、レイ・バレットの圧倒的なパフォーマンスとメッセージ。
すごい時代のニューヨークなんだなと、リアルに感じました。
全盛期のスライ&ザ・ファミリーストーンも、素晴らしいパフォーマンスですし、みんなが言ってるニーナ・シモンもいいですね。
クエストラブは、次にスライのドキュメンタリー監督するとの話もあり、それも楽しみです。

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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
8月27日(金)よりTOHOシネマズ日比谷、渋谷シネクイント他全国ロードショー中
【原題】SUMMER OF SOUL (OR, WHEN THE REVOLUTION COULD NOT BE TELEVISED
【監督】アミール・“クエストラブ”・トンプソン
【出演】スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ザ・フィフス・ディメンション、ステイプル・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン、ハービー・マン、デヴィッド・ラフィン、グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップス、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、モンゴ・サンタマリア、ソニー・シャーロック、アビー・リンカーン、マックス・ローチ、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモンほか
2021年/アメリカ/英語/カラー/ビスタサイズ/5.1ch & ドルビーシネマ/118分/字幕翻訳:佐々木悦子
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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Cinema Review-10『モロッコ、彼女たちの朝』/モロッコ長編映画が、日本デビュー!

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

Cinema Review第10回は、日本で初めて公開されるモロッコの長編劇映画『モロッコ、彼女たちの朝』です。
カサブランカに住む二人のシングルマザーの心の葛藤を描いた作品です。
8月13日の公開以降、大変好調な動員を記録していると聞いていますが、今後ますます注目されて欲しい作品です。
カンヌ映画祭「ある視点部門」に正式出品、アカデミー賞モロッコ代表に女性監督作として初選出と、世界的にも評価が高まってきています。
レビューは、映画評論家川口敦子と、川野正雄の2名でお届けします。

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★川口敦子
前回のレビューに続いてでまことに心苦しいのだが、『モロッコ、彼女たちの朝』に付したニューヨークタイムズ紙の見出しがあまりに素敵にぴたりとくるので、今回もやはり引いてしまおう。曰く「美しい友情の始まり」――そう、あの『カサブランカ』をしめくくった名台詞の引用だ。愛するヒロインとその夫のモロッコ脱出を手助けしたボギーことハンフリー・ボガートと警察署長クロード・レインズの男と男の気風にくらりと酔わされる名場面、名エンディング、そこで吐き出された台詞は多くのファンの脳裏に焼き付いていて、それだけに無闇やたらに引用すれば顰蹙を買うことにもなりかねない。そんな危険を承知の上で、でも、それでもとその一言を添え、讃えたくなるほどに、同じモロッコはカサブランカ、その旧市街に咲いた『モロッコ、彼女たちの朝』の女と女の友情の花はみごとに美しく、胸に迫る。

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これが初めての長編監督作というマリヤム・トゥザニが自ら子を宿した時、かつて両親が保護したひとりの未婚の妊婦のことを想起して書き、撮った物語。故郷の親族に内緒のまま都会に出て子を産み、養子に出して、秘密を胸に帰郷する。そうするしかないのだとヒロインの選択肢を端から奪うモロッコの社会の中には、やはり因襲に縛られて亡くした夫の埋葬に立ち会えなかった痛みを胸に疼かせたまま、寡婦として口さがない周囲の人の目をかわし、ひっそりと軒先で自家製のパンを商いながら娘を育てるもうひとりの物語も見出される。そんなふたりがそれぞれの頑なさを少しずつ融かしながら心の距離を縮めていく様を無駄口たたかず映画は掬い、アップとアップの顔が言葉以上にものをいう瞬間を積み重ねる。居候となったひとりがふとしたことからパン作りの腕を披露する。膨らんできたお腹をかばいつつ床にすわって粉をこねる。つるりと水をふくませた粉が麺状にのばされてぷるんとしなやかなその感触が、解き放てない彼女の母性を請け負うようにおおらかなやさしさをのみこんでいく。そんなやわらかさに染まるように、娘の教育もしつけも厳しく寸分の隙もみせない賢母であろうとしてぎすぎすといたもうひとりのそっけく色をなくした日々が仄かに艶めいていく。太い楊枝のようなもので漆黒のアイラインが施され母が女の顔を取り戻す。

http://lecerclerouge.jp/wp/houseinthefields/

と、こう書くと感動の下町人情美談といったふうにも響きかねないが、美しい友情の始まりを腐臭に塗れる一歩手前でメロドラマから救出する監督は、自らの記憶に刻まれているからこその終幕を用意する。アダムと名付けられる赤ん坊を前にしたヒロインの逡巡。その嘘のなさ。一部始終をみつめた先に映画が用意した幕切れに何をみるのか、望むのかーーそこに置かれた問を繰り返し嚙みしめている。

寡黙の雄弁でつづられる女ふたりの友情は、ニューヨークに中絶の旅に出る少女とその道連れとなるもうひとりをくっきりと説明を寄せ付けない顔ひとつで語り切る覚悟を光らせたエリザ・ヒットマン監督作『17歳の瞳に映る世界』(彼女の長編デビュー作『愛のように感じた』もシアター・イメージフォーラム他で上映中、必見!)と厳しく強靭なシスターフッド映画2本立てとして見てみたいとも思う。カラヴァッジョ、フェルメール、ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールを参照したという撮影監督ヴィルジニー・スルデージュの醸す陰影礼賛な室内の時空もお見逃しなく。

★川野正雄

モロッコ映画というと、Cinema-Review4として、アトラス山脈の麓に住む姉妹を描いたドキュメンタリー映画『ハウス・イン・ザ・フィールド』をご紹介したばかりであるが、今回ご紹介する『モロッコ、彼女たちの朝』は、日本で初めて公開されるモロッコの長編ドラマ映画である。
カンヌ映画祭「ある視点」に出品され、アカデミー外国語映画賞にも、モロッコ代表として参加した作品という事で、非常に期待をしていた作品である。
個人的にも2017年モロッコを訪問しているので、非常に親近感も持って接することが出来た。

舞台はカサブランカ。予備知識もなく見たのだが、いい意味で想像していたような映画ではなかった。
主人公は二人のシングルマザー(一人はこれからシングルマザー)。根底に流れているテーマは、SDGsの時代に相応しくない男女格差社会の理不尽さである。
資料にはモロッコは、ジェンダーギャップ指数が、156カ国中144位。女性の識字率は60%以下と、信じられない数値である。
私がモロッコを訪れた際、カフェが男性だらけで疑問に思い聞いてみたら、地元のモロッコ人女性はカフェには入れないという事だった。

http://lecerclerouge.jp/wp/houseinthefields/

この映画では、モスリムの宗教的なルールによるジェンダーギャップの大きな理不尽が描かれる。娘と二人で暮らし、パン屋を営むアブラ。彼女は事故で亡くなった夫の埋葬にも、宗教的な理由からか、立ち会えなかった。アブラの表情は常に暗く、生きる喜びは感じられない。
臨月の状態で仕事を解雇された妊婦のサミア。縁あってアブラの家に住み込みで、パン屋を手伝うようになる。
しかしモスリムでは、シングルマザーを社会的に受け入れてもらう事がむずかしい。
サミアは、生まれてくる我が子を育てられないジレンマに追い詰められている。
『モロッコ、彼女達たちの朝』は、アブラとサミアの精神的な葛藤を描いている。

私はカサブランカに滞在した事はないが、タンジェなど他の都市と風景はあまり変わらない。
サミアが作る伝統的なパンも、私は食べたことがないが、なかなか美味しそうである。
出会いでは反目し合っていたアブラとサミアの関係は、不器用ながらも徐々に邂逅していく。
一見歳上のアブラが二人の関係を引っ張っているように見えるが、実はサミアが意志を持って、距離感を縮めているのだ。その縮め方は、時には強引に見えるが、サミアはしっかりと真実に対峙しようとする。逆にアブラは、真実を理解しながら、顔を背けているように見える。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

アブラの娘や、アブラに好意を持つ男性の登場などにより、二人の関係性もほぐれていく。そういった繊細な心の動きが、あたかもヨーロッパの文芸作品のように描かれる。
重要なのは、モロッコで撮影された作品ではなく、モロッコ人によるモロッコを描いた作品である事だ。
ここに出て来る世界は、『シェルタリング・スカイ』や、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』で描かれるモロッコとは違う。
もっと地面に近く、土着的で、モロッコの人々の真の姿を、深く抉っているのだ。
カサブランカのような都市部でも、女性の立場が圧倒的に弱い社会であるという現実は、衝撃的で理解に苦しむ。
しかし全編が重く覆われているわけではない。
サミアとアブラ、二人の人間味に、いつの間にか引き込まれていくのだ。
ジェンダーギャップのしきたりの強い社会の中で、今後サミアはどのように生き抜いていくのか。
この二人に待ち受ける未来を、是非またマリヤム・トゥザニ監督には描いて欲しい。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

『モロッコ、彼女たちの朝』
監督・脚本:マリヤム・トゥザニ(長編初監督)
出演:ルブナ・アザバル『灼熱の魂』『テルアビブ・オン・ファイア』
ニスリン・エラディ
製作・共同脚本:ナビール・アユーシュ『アリ・ザウア』
2019年/モロッコ、フランス、ベルギー、カタール/アラビア語/101分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/英題:ADAM/日本語字幕:原田りえ
8月13日よりTOHOシネマズシャンティ他、全国順次公開中

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)

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