Cinema Review-2 韓国期待の女性監督が描くほろ苦いサマータイム『夏時間』

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Cinema Review第2回は、韓国期待の新人女性監督ユン・ダンビの『夏時間』です。
監督は新人女性監督、若干30歳のユン・ダンビです。
奇しくも次回このコーナーで取り上げる予定の『ノマドランド』の中国系女性監督クロエ・ジャオが、有色系女性監督としては初めてゴールデングローブ賞の監督賞を受賞したというニュースが飛び込んできたところです。
侯孝賢やエドワード・ヤンなどの台湾人監督や、是枝裕和や小津安二郎など日本人監督の影響が感じられるユン・ダングが、アジア系女性監督として、次なる評価を高めていく日も近いのではないか。
『夏時間』は、そんな風な期待を抱かせる作品です。
レビューはセルクルルージュの川野正雄と、映画評論家川口敦子の二人から、お届けします。
こちらのレビューは、セルクルルージュのNOTEページにも掲載いたします。
また3月6日(土)21時より、クラブハウスにて、川野正雄と川口敦子が「韓国映画と映画『夏時間』を語る部屋」を、開催いたします。
お時間ある方は、是非ご参加ください。Masao Kawanoで検索すると、その時間部屋の案内が、出てくると思います。

以下はプレスシートからの抜粋です。

――注目の女性監督ユン・ダンビが描く、懐かしく繊細な夏の物語
誰もが記憶に残っている、夏休みの思い出。その懐かしくも記憶に刻まれる日々を、ひとりの少女 の視点から描く。それは、ただ楽しいだけのものではなかった。
監督は 1990 年生まれのユン・ダンビ。第 24 回釜山国際映画祭で 4 冠に輝いたのを筆頭に、ロッ テルダム国際映画祭など数多くの映画祭で、デビュー作である本作の繊細さと確かな演出力が絶 賛された。『はちどり』のキム・ボラや『わたしたち』のユン・ガウン、『82年生まれ、キム・ジヨン』の キム・ドヨンに並ぶ、新たな才能が韓国から登場した。

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★川野正雄

『パラサイト 半地下の家族』 が世界の映画賞を席巻するのを見て、何故韓国映画は、日本映画よりも海外で評価されるのか、よく友人と話題にしていた。
過去に韓国映画業界とは、少し仕事をした経験もあるので、実感を踏まえて導いた結論として、
① 韓国内のマーケットは小さく、グローバルセールスを成功させないと、資金回収が難しい。
② 韓国の映画制作者達は、日本よりもかなり若い。高齢者が多い日本の現場とは、空気も違う。
③ 韓国の映画人は、海外留学者が多い。留学先はアメリカもいれば、日本もいる。その為外国語も堪能な人が多い。
④ 万国共通で感じる感情表現の演出が、優れている。
『夏時間』は、この4つの要素を満たした作品に思える。監督のユン・ダンビは30歳。これが長編デビュー作の女性監督である。
釜山映画祭でワールド・プレミア上映をした後、ロッテルダム国際映画祭では、部門賞も受賞している。                            
因みにユン監督は東京芸大への留学経験もあるらしい。

ストーリーは、日本映画にもよくある設定〜夏休みの帰省ものである。
主人公は少女オクジェ。主な登場人物は、仕事がうまくいっていない感じの父、かなり年下の弟ドンジュ、亭主ともめている叔母、体調が悪くなってきた祖父、そして姿は見えないが、父と離婚した母。
しかしこの夏休みに、この一家には、結構色々なことが起きる。
そしてそれぞれの立場での痛みもあれば、思惑もある。
その内に秘めた感情を、ユン監督は、情報量を抑えながら、淡々とした語り口で観客の心の中に、共感性を積み上げていく。  
テンポよく情報量を詰め込む展開が多い韓国映画としては、かなり引いた演出の映画である。観客に与えられる情報量は多くない。
感情を押し出す演出が多い韓国映画としては、珍しい引き技で感情を見せる作品である。
口数は少ないが、感情表現は時にストレートであり、気持の揺れ幅が、微振動のように伝わってくるのだ。
同じ韓国映画でも、以前セルクルルージュのシネマ・ディスカッションで取り上げたホン・サンス監督のヌーベルヴァーグぽさとは違う。
余白を大切にした演出は、エドワード・ヤン監督や、是枝裕和監督や、小津安二郎監督などのアジアの監督の影響が感じられる。

特に食事のシーンが多く、盛り上がらない会話の中でも、それぞれの思惑が、食卓上で見えてくるのが、面白い。
そして主役のオクジュと、弟のドンジュ。この二人の姉弟の演技が素晴らしい。
時間の経過と共に、この二人の心の奥底が、徐々に垣間見えてくる。
韓国映画は人の痛みを描くのが上手い。
最たる作品が、母親の過ちと痛みを描いたイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』だ。
チョン・ドヨンが主演女優賞を受賞したカンヌ映画祭のプレミア上映に参加する機会に恵まれたのだが、上映終了後クエンティン・タランティーノが真っ先に立ち上がり、スタンディング・オベーションを送っていた。
『シークレット・サンシャイン』は、もっと強烈で激しい作品だが、心の痛みを描きながら、根底に流れるのは家族愛であるという部分では、『夏時間』と共通するテーマだ。

人間は誰しもが悔いを持っている。その悔いを埋めるのは、家族なのだ。
そんな人生を卓越したような世界感を、30歳の女性監督が作り上げた事が驚きである。
そして30歳の監督に大きなチャンスが与えられ、自由に創作できる韓国の映画環境も素晴らしいと思う。
多分ユン・ダンビは相当な映画マニアなのではないかと思う。
家族という世界観に切り込んでいったユン・ダンビが、次にどこに向かうのか。
次回作が待ち遠しい監督に出会えた。

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★川口敦子

開巻早々、思春期の厄介さの只中にいる少女オクジュは、住み慣れた部屋を引き払い父と弟ドンジュと共に新しい時空へと進んでいく。否、進まざるを得なくなる(母の不在の理由も、どうやら事業に行き詰まったらしい父の背景も、説明を退け潔く曖昧なまま語られない)。
 英題は”Moving On”。辞書で引くとmove on「どんどん進む」とあって、勝手な思い込みかもしれないが前進のイメージが強くあるのだけれど、映画は一家3人を乗せて進む車を捉えたキャメラの長い長いワンテイクの中で、いっそ後退の感触こそをゆっくりと醸し出す。その感触が一家の行き着く昔風の大きな家、懐かしい風の吹きぬける場所、そこに祖父と共に温存されている時代へとゆるゆるとタイムスリップしていくような時の旅の感覚をも滑らかに紡いで、ここでないどこかで改めて家族をみつめ直す少女の眼差しごしに失われゆく価値を、世界の今を、そうしてその先へと進む(move on)ことを想う映画の核心が射抜かれてく。
 そんなふうに力こぶのかけらもみせずに嚙み応えある主題を提示してしまえる新鋭ユン・ダンビ。脚本・監督を手がけたこの長編デビュー作で世界に羽ばたいた彼女は”韓国女性映画作家の新しい波”と話題を呼ぶ『はちどり』キム・ボラ、『わたしたち』ユン・ガウン等々と並べて紹介されることも少なくないようだ。
 確かに新しい環境でくたびれた象のぬいぐるみを引きづって寂しさを耐えつつ、幼さゆえの順応力で祖父と菜園の唐辛子をつみ、出て行った母ともこだわりなく会ってしまえる弟をしり目に、祖父にも遠慮がちな距離を保ち、母へのわだかまりを胸に燻らせ続けている10代半ばのオクジュの物語、それを過剰なドラマを排して語る快作は”女性監督”による”少女映画”としての磁力も見逃し難く備えているだろう。けれども、この新鋭とそのデビュー作の真の醍醐味はそれだけにとどまってはいない。多くを語らずじっと過ぎ行く季節に耐えているような少女の眼差しの向こうに映画はぬかりなく時代や世代や世界を浮上させる。懐かしい家族の姿を介して見えてくる普遍に手をかけ得る大きさを備えてもいる。『夏時間』とその監督ユンのスリルはまさにそこにある。
 その意味でささやかな物語を語りながらイタリアの歴史や伝統と対峙してもいたアリーチェ・ロルヴァケルの『夏をゆく人々』、少女映画と社会的視野を軽やかに両立させた快作の頼もしさを『夏時間』に重ねてみるのはどうだろう。

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 子供と大人の狭間、甘やかに息苦しい季節をかいくぐる少女とその家族のいた時空をパーソナルに切り取ったロルヴァケルの映画は、幕切れで誰もいなくなった家の裡の白い場所へと踏み入って、やわらかに吹き抜ける風を孕んだ時間を慈しみつつ凍結し観客にそっと手渡してみせた。そうやって確かに印象づけられた記憶/歴史と物語とが交わる時空。どこか牧歌的で神話のようでもある映画はそこで外界、現代社会の肌触りを観客に感知させることも忘れてはいなかった。続く『幸福なラザロ』でもまた、記憶/歴史と物語の交わる時空としての今への眼を、意識を、逞しく鍛えてロルヴァケルはふわりと奇蹟を成り立たせつつ寓話のはらんだ鋭い棘で現代社会を刺し貫いてみせた。
 同様に『夏時間』の新鋭もまた親密な語り口の底に移ろう(move on)人と世界への思いをしぶとくたくしこんでいる。
 蚊帳、扇風機、足踏みミシン、それを食卓代わりにして昼食を分ち合う姉弟。3世代の家族が同居して賑やかに祖父の誕生日を祝う様。おどけて踊った弟のダンスが通夜の場で反復され家長を欠いたおぼつかない家族のその先がやんわりと思いやられる。懐かしい家族の光景をそっと拾い上げるいっぽうで再開発の進む街、壊れた家庭をモチーフに食い込ませ過剰なドラマを避けつつもほろ苦い現実がプロットの片隅にしぶとく顔をのぞかせていく。だからこそ陳腐な感傷、ノスタルジーに堕さない懐かしさの重みが胸に響く。
 とりわけ興味深いのはオクジュの父と叔母の描かれ方だ。事業に失敗し、ばったもののスニーカーを路上で売りつつ成功の夢を捨てきれずにいるような父。夫に裏切られ友人の部屋に転がり込んでいた叔母。それぞれに挫折して実家に寄生するふたりは高度経済成長下、成功と富の夢に踊らされ美しい価値を見失った世代を象って、情けなくも涙ぐましい後悔を浮かべている。そんなふたりが思い出話をする夏の夜の屋台に吹く風はいっそうっすらと苦くしょっぱく、ついには微笑ましくさえあってだから、小津の『お早う』で映画に目覚めたと語っているユン監督がまたその後の挫折の世代を代表する相米慎二のことも好きだと述懐しているのを読んで、なるほどとしっくりうなずきたくなったのだった。あるいは侯孝賢『冬冬との夏休み』を想起させもする『夏時間』が現代の大人たちの揺れを繊細に掬い取っていたエドワード・ヤン『ヤンヤン夏の想い出』といっそう近く思えてくるのものまた不思議ではないはずだ。
『パラサイト』のようなブラック・コメディとして構想されていた一作を監督自身の感情的な体験をもとにシンプルに語る映画にと、方向転換を勧めたという撮影兼製作キム・ギヒョン、その大いなる助言に感謝しつつ、この静かでしぶとく懐かしいデビュー作を吟味したい。

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『夏時間』
第24回 釜山国際映画祭韓国映画監督協会賞/市民評論家賞 NETPAC(アジア映画振興機構)賞/KTH賞
第 49 回ロッテルダム国際映画祭 Bright Future 長編部門グランプリ 第 45 回ソウル独立映画祭新しい選択賞 第8回ムジュ山里映画祭 大賞(ニュービジョン賞)

出演:姉オクジュ:チェ・ジョンウン 弟ドンジュ:パク・スンジュン(『愛の不時着』)
父ビョンギ:ヤン・フンジュ(『ファッションキング』) 叔母ミジョン:パク・ヒョニョン(『私と猫のサランヘヨ』『カンウォンドの恋』) 祖父ヨンムク:キム・サンドン
スタッフ
監督・脚本:ユン・ダンビ 制作:ユン・ダンビ/キム・ギヒョン(『私たち』) 撮影:キム・ギヒョン(『私たち』)
2021 年 2 月 27 日(土)から渋谷ユーロスペースにてロードショー全国順次公開中。

Cinema Review-1 史上最大の映画プロジェクト『DAU.ナターシャ』

© PHENOMEN FILMS

セルクルルージュでは、これまで気になる映画を複数の視点から考察する座談会=Cinema Discussionシリーズを、34回に渡って、続けてきました。
この度もう少し気軽に、数多く映画をご紹介出来るようにする為に、CINEMA REVIEWという新企画をスタートさせます。
これは、それぞれが好きなように、作品のレビューを書いていくという手法です。
きっちり目線を合わせて構成する座談会と違い、視点もフォーカスする部分もずれてくると思いますが、それはそれで面白さがあると考えています。
こちらの企画は新しくスタートしたセルクルルージュのNOTEとも連動をさせます。
また今後はメディアの数を増やして、更にマルチアングルで映画を考えていく予定ですので、お付き合い頂けますよう、よろしくお願い致します。

その第1弾は、大国ロシアの怪物プロジェクト『DAU.ナターシャ』です。

以下はプレスシートからの引用です。
オーディション人数約40万人、衣装4万着、欧州最大1万2千平米のセット、
主要キャスト400人、エキストラ1万人、制作年数15年……
「ソ連全体主義」の社会を完全再現した狂気のプロジェクト!
第70回ベルリン映画祭において、あまりにも衝撃的なバイオレンスとエロティックな描写が物議を醸し賛否の嵐が吹き荒れながらも、映画史上初の試みともいえる異次元レベルの構想と高い芸術性が評価され、第70回ベルリン映画祭で銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞。
ロシアの奇才イリヤ・フルジャノフスキーは処女作『4』が各国の映画祭で絶賛を浴びると、「史上最も狂った映画撮影」と呼ばれた本プロジェクトに着手。それは、いまや忘れられつつある「ソヴィエト連邦」の記憶を呼び起こすために、「ソ連全体主義」の社会を完全に再現するという前代未聞の試みだった。

今回は映画評論家川口敦子と、川野正雄の二人のレビューになります。

川野正雄

出来るだけ予備知識なく、いつも映画を見る事にしている。
先入観無く見て、ファーストインプレッションを大事にしたいからだ。
とんでもない映画を見た。それが『DAU.ナターシャ』の率直な感想である。
ともかく今までの映画とは違う。
その違いを言葉で説明しようとすると、陳腐な表現になってしまい、作品に相応しくなくなってしまいそうだ
わかったのは、これがまだ序章に過ぎないという事だけである。
この映画は音楽もなく、何の説明もない。
ほとんどの場面が、秘密研究所のカフェで展開される。
唐突に始まるが、難攻不落な芸術映画とは違い、開始早々短時間に、不思議な映画の世界観に引きずり込まれる。
映画を鑑賞しているというより、映画の中に入り込み、フィジカルに体験しているといった感覚に近い。
それは見ながら、いくばくかの苦痛やストレスや恐怖を感じたからかもしれない。
そして全編を覆う奇妙な不安感は、映画の体験とは、違う感覚のものであった。
通常のドラマから得る感動や興奮、ドキュメンタリーから得る共感性とは違った類の感情である。

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観賞後資料を見て、1952~54年のソ連を完璧な形で再現していると知った。
映画のプロジェクトが開始したのが2006年。14年を経て、2020年のベルリン映画祭で上映され、賛否両論の中、銀熊賞を受賞している。
撮影期間は40ヶ月、主要キャスト400名、衣装4万着。ヨーロッパ最大のロケセットが組まれ、役者もスタッフも、当時のソ連の生活様式のままの共同生活をし、1950年代のソ連が正確に再現されている。
正に物量で圧倒する大国ロシア(ソ連)。スケールで制圧するのは、ロシアの伝統的な手法だろう。
しかしこの映画には、圧倒的なスケールだけではなく、芸術性とアヴァンギャルドな挑戦が根底に流れている。それは多分今までのロシアにはなかったテーマだ。。
映画の中で出演者が見せるものは、芝居ではない。その時、その場所で、出演者一人一人が、役柄を演じるのではなく、役柄そのものの生き方や感情の表現なのだ。
それは歴史ドキュメンタリーでもなければ、歴史ドラマでもない。
あえて言うなら、旧ソ連における社会と科学の関係性を実験的に再現した歴史シミュレーションである。

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この映画のプロジェクトがスタートした時期と同じ頃、2007年モスクワのモスフィルムスタジオを訪問した事がある。ヨーロッパ最大の映画撮影スタジオと言われていたが、全く人気がなく、突然大雨が降ってきて、受付も無人という状況で、とても不安を感じた。
電話をかけ、ようやく中に入る事ができ、アポイントも確認する事が出来たのだが、その時感じた不安感と、この映画に漂う不安感は、同じ質に思える。
モススタジオには、撮影所としての歴史が展示されていた。ロシア映画には門外漢の為、『戦争と平和』とエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』以外は知っている作品はなかった。
撮影所は広大だったが、その日は1箇所しか撮影をしておらず、人気もほとんどなく、閑散としていた。オーケストラの機材設備を備えたサウンドステージなど見所も多くあった。
どこもとても綺麗に清掃されているが、冷たく無機質な空気感であった。強いていうと、この映画で尋問に使われる部屋に似た雰囲気である。
同じ年にバーバンクのソニー・ピクチャーズのスタジオも訪問したのだが、そこはモスフィルムスタジオとは、真逆のエモーショナルな空域感が満ち溢れており、明らかな米国とロシアの文化の違いを感じた事を記憶している。
モスフィルムは100年の歴史があり、旧ソ連時代も通過しており、『DAU.ナターシャ』で描かれている時代には、映像表現という観点から、同じように政府に管理されていたのかもしれない。
時代は変わっても、流れている歴史の空気感は、変わらず、スタジオは多くの真実を通過してきたのだろう。

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『DAU.ナターシャ』は、撮影したフッテージが700時間を超えるという。
2019年パリのポンビドゥーセンターとシャトレ座で開催された展覧会では、ビザと携帯電話の提出が必要で、外界と隔離された状態での鑑賞により、1950年代のソ連をフィジカルに体験する事が出来たようだ。
少し見たフッテージはロシア語で内容はわからないが、当時のソ連の生活が再現されていた。展覧会らしい物販コーナーでは、当時の無機質な食器のレプリカなどが並んで販売されていた。映画の衣装も同様だが、機能主義オンリーでデザインされたものは、それなりに美しい。
昨年のベルリン映画祭では、2本の作品が上映されたが、監督が希望したインスタレーションは中止されたという。一体何をインスタレーションでやりたかったのか、気になるところである。
『DAU.ナターシャ』を見て、これはナターシャが主役の映画と思ったが、そうではなく、各作品にそれぞれ主要な登場人物がおり、それが約400人になるのだ。

劇場用映画は既に15本が完成し、昨年から数年間で世界の映画祭を回る予定だったが、コロナの影響で映画祭サーキットは中止になったようだ。
自分としては、最後まで見逃す事なく、追いかけて行きたい。いや追いかけていかないといけない作品である。
今後劇場で見る機会が生まれる事を願ってやまない。

日本の法的規制で、100%完全な状態で作品を見れなかった事について、作品の本質に関わる部分でもあり、大変残念であった事を言っておきたい。
芸術の領域に入る作品であり、今後公開される作品が、100%の描写で見れる事を願ってやまない。
『DAU.ナターシャ』は、映画の概念を変えていく可能性のある作品なのだから。

尚映画の世界での歴史の再現という手法で、映画製作をしようとした日本人の監督がいる、
黒澤明監督である。フォックスの依頼で監督をすることになった作品『トラ・トラ・トラ』である。黒澤は経済人など一般人を日本海軍首脳にキャスティング。スタジオ入りも海軍の制服を着て入る事を強いり、徹底した歴史の再現に挑んだ。残念ながら黒澤は、様々なトラブルが起き、フォックスから解任されてしまい、普通の映画に生まれ変わってしまった。フォックスは三船敏郎さんが山本五十六を演じるような作品を望んでいたのだろう。
これは当時フォックスの日本側コーディネーターをしていた方から直接聞いた話なので、事実である。黒澤明監督が出来なかった事を、ロシアでは実現されたのだ。余談ながら黒澤の『デルス・ウザーラ』は、旧ソ連時代のモスフィルムスタジオで撮影されている。

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川口敦子

何なのこれは!?
2018年、Comme des Garçonsから届いたダイレクトメールを前にしてむくむくと湧き上がる好奇心と、ページを繰るごとに現われてくる正体不明のイメージたちの鬱蒼と怪しく危険な磁力に唖然としながら呟かずにはいられなかった。
確かに今年の映画作家クリス・マルケルに至るまで一年間、ひとりのアーティストをピックアップしてフィーチャーする同社の季節ごとの宣材、年数回送られてくる素敵にスリリングな小冊子の挑発性は常々、密かな愉しみとなっているのだけれど、あの年のあの選択には大袈裟でなくふるふると胸が高鳴った。
「DAU INSTIYUTE 1938-1952」と扉のページに付された名前には、不明にして覚えがなく、けれどもそこに差し出された建造物や人の顔、その衣裳と意匠のどれもこれもが鈍色の抑制と古めかしさの新しさ、不自由さゆえの奔放さ、得体の知れない不安や恐怖にも似た感触を纏って迫ってきて、差し挟まれた赤色のページに日英二か国語で記された「壮大な映画の試み」DAUなる一作を待望することになったのだった。

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というわけでこの春、ついに日本公開が実現の『DAU/ナターシャ』――構想から15年、4年がかりで撮影された700時間に及ぶ35ミリフィルムのごくごく一端を垣間見て、無論、そこで辛抱強くみつめられるスターリン体制下ソ連の物理工学研究所、そのカフェテリアに働くもう若くはないウェイトレス ナターシャとその妹分オーリャのまさに姉妹然と愛憎あいまった関係、そのまずまずしげな食卓と酒浸りの会話以下、恐怖政治の下で坦々と続く毎日から理不尽に人を密告者に仕立て上げる体制の力の怖さまで、時代のリアルを再構築する果敢な試み(そこで囲い込まれた時空を実際に生きた演者/普通の人々の息遣い)の端々に、“映画(というもの)”を超えて歴史の向こうに透けて見える現在をこそ省察するプロジェクトとして好きも嫌いもうっちゃって圧倒され、されつつまずはComme des Garçonsとこのプロジェクトの関わりについて知りたいと、唐突な欲求に突き動かされた。
取材の結果、映画やその衣裳の制作に直接関わったわけではないこと、往時欧州スタッフの奨めがあってビジュアル使用の許諾をとり、Comme des Garçons独自のデザインを施して編んだ冊子であることが判明。勝手に濃密な関係を夢想した早飲み込みを恥じながら、でも――と、嚙み応えある実験精神に両者の結び目を見出したい強引な気持ちも抑え難くくすぶっている。

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そういえば少し前のプラダのコレクションも発想源としていたようなロシア・アヴァンギャルド、芸術の革命を生活に採り入れた時代の尖鋭な実験精神にいち早く注目していたのがComme des Garçonsではなかったか。あるいは無難な着易さばかりを求める時代の風潮に毅然と逆らって、素材にも意匠にもアートの心を追究してきた創り手の、今どき稀な萎びない試みの姿勢を再確認してみれば、DAUという映画+インスタレーション作品に息づく不敵さが近しいものと思えたことにも納得がいく気がしてくる。
皮肉にも社会の革命と芸術のそれの蜜月時代に産み落とされた構成主義やシュプレマティズム、ジャンルを超えた詩や絵画や建築や衣類や家具や食器等々に迸った試みの意気を封じ込めたスターリンの粛清、抑圧――そんな全体主義の社会を完璧に再現するという、見ようによればみごとに反動的な時代に向けたDAUプロジェクトの監督イリヤ・フルジャノフスキーの眼差し。それを実験と呼べるのは、そこに今を透かし見て警告するしたたかな覚悟が感知されるからだろう。
リアルとは何か、演出と搾取との境界とは等々、様々に物議もかもした監督とプロジェクト、まずは自らの眼で、心身で体験してみることが肝心だと思う。

2月27日(土)シアター・イメージフォーラム、アップリンク吉祥寺 他全国公開

公式サイト:www.transformer.co.jp/m/dau/

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)

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