CINEMA DISCUSSION-33 / ジャン=ポール・ベルモンドの全貌を知る裏メニュー

「大頭脳」
LE CERVEAU a film by Gerard Oury © 1969 Gaumont (France) / Dino de Laurentiis Cinematografica (Italy)

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。第33回は、新作ではなく、フランスの名優ジャン=ポール・ベルモンドの旧作8本をデジタルリマスター版で公開する「ベルモンド傑作選」を、ご紹介します。
ジャン=ポール・ベルモンドは、『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などゴダール作品のイメージが日本では強いですが、元々はフランスを代表するエンターティメントスター。セルクルルージュのタイトルネタのジャン・ピエール・メルヴィル監督作品でも、『いぬ』『モラン神父』といった傑作があり、今回の特集上映は、是非ともご紹介したいと考えました。
またセルクルルージュのオンラインストア、セルクルルージュ・ヴィンテージストアでは、『ボルサリーノ』、『暗くなるまでこの恋を』など、ベルモンドの代表作品のオリジナルポスターを販売しています。

「ボルサリーノ」アメリカ版オリジナルポスター

今回のラインナップは、『オー!』以外の作品は、日本ではなかなか見る機会のなかった作品ばかり。フランスでは大ヒット作品が並びますが、日本人には馴染みの薄い隠し味が効いた裏メニュー的ベルモンド特集です。
1本でもご覧になった方には、裏メニューならではの、発見や満足感があると思います。
ディスカッションメンバーは、川野正雄、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の3名になります。

「ムッシュとマドモアゼル」
L’Animal a film by Claude Zidi ©1977 STUDIOCANAL

★ジャン=ポール・ベルモンドのとらえ方、セルクルルージュのメンバーの中でも年齢によって微妙に違うように思いますが、まずベルモンドをどんなふうにみていましたか?

川口哲生(以下T):ジャン=ポール・ベルモンドはどうしても、同時代のフランス映画のスター、アラン・ドロンとの対比で捉えてしまいますね。
アラン・ドロンの美形さや陰のある美学との対比で、ベルモンドは歯を剥いてニーっと笑っている感じ。笑。シニカルな中にも独特のユーモアのセンスみたいなものを感じます。
アクションのイメージもありますね。

川野正雄(以下M):ベルモンドは自分の中で特別な存在です。好きな俳優は何人もいますが、出演作品を全部見てみようと思う数少ない俳優で、マイヒーローです。
多分最初に見たのは、TVでしたが、フィリップ・ド・ブロカ監督の『カトマンズの男』で、それが最高に楽しく、劇場にアンヌ・ベルヌイユ監督の『華麗なる大泥棒』を見に行きました。
その後は『ラ・スクムーン』、『相続人』『薔薇のスタビスキー』など、新作は劇場に行き堪能しましたし、『ボルサリーノ』は、リバイバル上映で見ました。
ですので、ヌーベルヴァーグの俳優というより、エンタメ路線のベルモンドにすっかり魅了されていました。
当時雑誌スクリーンに、海外のスターにファンレターを出すページがあり、そこで見つけたベルモンドにファンレター送ったら、何とサイン入り写真の返信が来て、いたく感激しました。その写真はまだ大事に保管しています。

ベルモンドのサイン

ビデオなどが発売される時代になると、出来る限り過去の作品に接しました。ベルモンドは出演作品が多く、未見の作品も多々ありますが、60年代前半の『リオの男』、『冬の猿』、『いぬ』、『雨のしのびあい』などは、ベルモンドの魅力も満開ですが、作品としても傑作だと思っています。
1992年新宿厚生年金ホールで上演された『シラノ・ド・ベルジュラック』も、生のベルモンドが見れるまたとない機会なので見に行きました。
つけ鼻で本来のイメージとは違いましたが、デビュー前国立の演劇学校を優秀な成績で卒業したという舞台出身俳優ベルモンドの一面が見れて、これも大きな発見でした。3時間を超える長尺の舞台でしたが、生ベルモンドを堪能して居たら、あっという間に至極の時が終わってしまった事を、よく覚えています。
日本でどのように毎日過ごしていたのか、興味があったのですが、どこで食事したとか、全くそういう情報はキャッチすることは出来ませんでした。ただプライベートな旅行で日本には来たことがあるという事で、そこは意外な感じがしました。

日本版「シラノ・ド・ベルジュラック」パンフレット

川口敦子(以下A): 多分、最初にベルモンドの名前を意識したのが中学生の頃、テレビの洋画劇場で見た『大盗賊』でした。中2か中3、テレビを通じて同時代というより”昔の”映画を見まくっていた頃で、続いてスター競演のオムニバス『素晴らしき恋人たち』の一篇も期待して見たのですが、おおざっぱにいえば同様のコスチューム・プレイだけどこちらのルイ王朝時代のカツラをかぶったベルモンドにはちょっとがっかりしたような記憶があります笑
まあベルモンドへの入り口としてコスチューム・プレイ『大盗賊』というのはいかがなものかな所もありますが…。で、熱烈なファンになったわけではなかったけれど、映画にもベルモンドにも朗らかさがあって好感をもった、というのが思い返せば最初の印象ですね。
その後、後追いでヌーヴェルヴァーグ期のベルモンドのふてぶてしいのに繊細みたいなかっこよさにはもちろん惹き込まれた、でも川野さんみたいにファンレターを出そうというほど夢中になったことはなかったような。ファンレターはピーター・オトゥールとアラン・ベイツに出して私もお返事は貰いました笑

★そのイメージは今回の傑作選によってどうかわりましたか? または変わりませんでしたか?

M:70年代という自分がベルモンドに最初に夢中になっていた時代の作品が多く、全く違和感は無く、これぞベルモンドという印象です。今回のラインナップでは『オー!』と、『恐怖に襲われた街』の2本は過去に見たことがあります。
特に『オー!』は、当時沢田研二がラジオ番組で、ドロンよりベルモンドが好きで、中でも『オー!』が一番好きな作品だと話していたのを聴き、必死に見る機会を探した作品です。
『オー!』のベルモンドが、一番彼らしいと、今回のラインナップでは思います。おとぼけとクールの同居、ある種の親しみやすさ、その辺がベルモンドの魅力だと思っています。見ていない6本は、どれもベルモンドらしく、それぞれ発見がありました。まとめて見たので、若干記憶が混同していますが(笑)。
ベルモンドの作り出すキャラクターは、『勝手にしやがれ』に代表される飄々とした空気で、悲壮感のない存在感と、初期だと『いぬ』に代表されるクールで静かな存在感に二分化されると思います。
今回はどちらかというと前者のキャラクターが多いですが、『警部』『プロフェッショナル』は後者のイメージで、満遍なくベルモンドの存在感を味わいました。
その後何本も傑作を作るフィリップ・ド・ブロカ監督との最初の『大盗賊』、それまで何本も一緒に傑作を作ってきたアンリ・ベルヌイユ監督との『恐怖に襲われた街』、アラン・ドロンの『冒険者たち』を撮って勢いのあったロベール・アンリコ監督の『オー!』は、特にベルモンドならではのとぼけた魅力と、クールさをうまく引き出していると思います。

「大盗賊」
CARTOUCHE a film by Philippe de Broca © 1962 / STUDIOCANAL – TF1 DA – Vides S.A.S (Italie)

A:今回の傑作選の「あなたはままだ、本当のベルモンドの魅力を知らない。」というキャッチコピーがまさに! という感じ。「山田宏一映画インタビュー集 映画はこうしてつくられる」(草思社)には『大盗賊』『リオの男』『カトマンズの男』と”知らなかった”方の、というか『大盗賊』から入った私の場合には原点回帰なのかもしれませんが笑、サービス精神満点のアクション・スターとしてのベルモンドの魅力を引き出したフィリップ・ド・ブロカ監督とのコンビ第5作『ベルモンドの怪盗二十面相』(75)の現場で撮影の合間にセットを組んだ鉄パイプにぶらさがって「筋肉はすぐなまっちまう」と寸暇を惜しんでトレーニングに励む様子が紹介されているんですが、その折の「体を張ってやらないとアクション・シーンにも迫力が出ない」という発言をかみしめると『恐怖に襲われた街』の屋根伝いとか『ムッシュとマドモアゼル』の階段落ちやヘリから飛行機への降下とか生身の迫力満載のアクションを前にいっそう身を乗り出し手に汗握り応援せずにはいられなくなりますよね。ただそこに悲壮感がないのがベルモンドの魅力の核ともいえそう。スクリーン誌のバックナンバーでベルモンドの記事を探してみたらあの小森のおばちゃまが「万年あばれ坊や的ベルモンドくん」なんて書いてらしてなるほどねと思いました。
もひとつやはり往時のスクリーン(69年11月号)には「洋画に関する30の質問」という連載記事で質問された千葉真一が今、一番好きな男優、共演したい男優どちらもマックィーンとベルモンドと回答していてこれにもなるほどね、と。そう実感をもってうなずけたのも今回の傑作選でベルモンドのアクション・スターぶりを改めて知ったおかげだなあとナットクしたわけです。

T:ゴダールとのヌーヴェルヴァーグのベルモントはもちろん大好きなんですが、こういうコマーシャルな映画でベルモンドの魅力をすごく感じました。
役柄からして、正義のヒーローでもないし、ぬけめない大盗賊でもない、冷酷なギャングでもない。何か憎めないどこか間の抜けている人間らしさがいいですよね。
そういうところがフランス人にはサンパなんだろうな。

「大盗賊」
CARTOUCHE a film by Philippe de Broca © 1962 / STUDIOCANAL – TF1 DA – Vides S.A.S (Italie)
「大頭脳」
LE CERVEAU a film by Gerard Oury © 1969 Gaumont (France) / Dino de Laurentiis Cinematografica (Italy)

★傑作選の中で個人的に特におすすめのベルモンド映画はどれですか? 理由は?

T:私は今回『オー』と『プロフェッショナル』『大頭脳』しかみていませんが、どれも凄く面白かったです。特に『オー』はレーサーだったりモデルだったり当時のフランス人のかっこいいと思うことやもの、服や車、ベルモントの捻くれた役柄、刑事・記者・犯人の男同士の関係性、女との関係性等すごく練られたシナリオで、全く飽きることなく楽しみました。

A:みなさんが挙げてる「オー!」はやっぱりいいですね。チンピラな青春の切なさが見た後にじわっと迫ってくる。監督ロベール・アンリコの『冒険者たち』にほれ込んでベルモンドが出演を希望したそうですが、『若草の萌えるころ』に続いて恋人だった監督と組んだジョアナ・シムカス、前2作に比べるとやや地味めな存在感ながら若い観客にはぜひお見逃しなくといいたいですね。人気女優だったのに『邪魔者を殺せ』のブラック版リメイク『失われた男』で共演したシドニー・ポワチエと結婚してさっさと引退した潔さも印象的でした。70年代にかけてのフレンチなおしゃれ女優というと昨今の女性誌などではまずジェーン・バーキンの名前が出てくるけれど、セリーヌに移ったエディ・スリマンの昨年から今年にかけての隠れたロールモデルとしてシムカスがいるんじゃないかしら、なーんて思ったりもしてしまいます。ベルモンドから話がそれてしまいましたが笑 ついでに共演者の魅力という意味でも、アクション+笑い+展開の妙という意味でも『大頭脳』は侮れませんね。さらに侮れないのが『ムッシュとマドモアゼル』かな。ドタバタ喜劇と片づけられかねない部分もありますが、ケンカしながら…というロマンチック・コメディの王道をきちんと押さえて飽きさせない。加えてベルモンドの二役、スタントマン役でのセルフパロディ的アクションも見逃せません。もう一本、『刑事キャレラ/10+1の追撃』がとてもよかったフィリップ・ラブロ監督のエキセントリックを底に湛えた『危険を買う男』も今回、見られてよかった! な異色作ですね。

「危険を買う男」
L’ALPAGUEUR a film by Philippe Labro © 1976 STUDIOCANAL – Nicolas Lebovici – Tous Droits Réservés

M:本当にベルモンドの過去の作品にアクセスする機会が少なく、今回の特集上映は大変嬉しいです。
『オー!』は、オールタイムでもベストにノミネートされる傑作ですが、大仕掛けの『大頭脳』、ラクエル・ウェルチとのコンビが魅力的な『ムッシュとマドモアゼル』、60年代初期の若きベルモンドが活躍する『大盗賊』は、特にお勧めです。
パリ市内での撮影がすごい『恐怖に襲われた街』も、見所満載です。アンリ・ベルヌイユ監督は、ベルモンドの魅力を長期に渡って最大限引き出した監督だと思います。個人的なベルモンドの最高傑作『冬の猿』、同タイトルの最近の大作には欠けているカタリシスが強く漂う『ダンケルク』、アクションスターベルモンドの地位を不動のものとした『華麗なる大泥棒』。『恐怖に襲われた街』は、それらの集大成の痛快なアクション活劇だと思います。
エンニオ・モルリコーネの作品集で、サントラにしか触れる機会のなかった『プロフェッショナル』をやっと見れたのも、嬉しかったです。
先ほど言った『シラノ・ド・ベルジュラック』の演出は、『プロフェッショナル』の敵役ロベール・オッセンでした。この辺もつながりが見えてきて、面白いです。
それからサイケデリックなロンドンの雰囲気が冒頭から感じられる『大頭脳』。これは見逃せない作品だと思います。デビット・ニーブンと、ベルモンドは同じ時代の『007カジノロワイヤル』でも共演(一緒のシーンはなかったかも)していますが、どちらも当時流行った洒落た大作コメディで、似た空気を感じました。
敦子さんの言っている『危険を買う男』。実は一番期待していなくて、最後に見たのですが、これは正に異色作で、思いの外楽しんでしまいました。
エンタメ〜アクションだけではない独特のノワール作品でした。

「恐怖に襲われた街」
PEUR SUR LA VILLE a film by Henri Verneuil © 1975 STUDIOCANAL – Nicolas Lebovici – Inficor – Tous Droits Réservés

★ヌーヴェルヴァーグだけじゃないベルモンドというのが傑作選の柱になっていますが、
その点に関してはどんなふうに?

M:『勝手にしやがれ』に代表されるゴダール作品のベルモンドも好きですが、今回のラインアップは、むしろベルモンド自身が愛するエンタメ作品が集められています。
ヌーベルヴァーグなベルモンドよりも、今回のコメディやノワール、アクションに徹する娯楽作品のベルモンドの方が、彼の本質的な嗜好ではないかと、勝手に思っています。オフビートというか、とぼけた味のベルモンドと、筋肉質なアクションスターベルモンド、この同居が魅力なんですよね。
資料にもルパン三世のモデルとあり、吹替えは同じ山田康雄さんだったりしていますが、手塚治虫さんの「千夜一夜物語」のアラジンも、確かベルモンドがモデル。こういった偉大な作家のキャラクターモデルにまでなってまうのが、おとぼけベルモンドの凄さだと思っています。
虎と対峙したり、公共交通機関でのアクションシーンなど、CGの時代でもないし、どうやって撮影したのかなと思えるシーンが、随所に見られるのも楽しいです。
それからベルモンドの独特のユーモアセンス。これはドタバタというわけでもなく、品があって、だけどおかしい。その辺は『ムッシュとマドモアゼル』で、全開で楽しめます。

虎とベルモンド「ムッシュとマドモアゼル」
L’Animal a film by Claude Zidi ©1977 STUDIOCANAL

A:CGでなく生身のアクションというのはほんと今、いっそう貴重ですよね。何でも描けてしまうから興ざめになる、という意味では『ダンケルク』にしてもノーランのただ物量作戦的な大仰な空っぽさに比べて生身の痛々しさが迫ってくるんですね。

ヌーヴェルヴァーグに関しては、ついどこかお勉強的姿勢で見てしまったりもする。今回の傑作選はゴダールやシャブロル、トリュフォー、はたまたアラン・レネ作品のベルモンドとはまた別のアクション・スターとしての魅力発見の絶好の機会なのですが、よくよく振返ってみるとアクションって、屋根の上や走る列車の上で暴れまわるスタントなしの活劇というだけでなくベルモンドの演技の身体性って部分にも繋がってくるんじゃないかしら。例えばあの『勝手にしやがれ』のボガートのポスターの前で彼を模し唇を撫でるその指先の動きのしなやかさとか、ラスト、撃たれた腰のあたりを抑えつつよろよろと往く後姿のなまめかしい切れ味とか、俳優としての一貫した武器がそこにあるともいえそうな気がします。娯楽作でも作家の映画でも変わりなく存在してしまえる俳優としての、スターとしての強味ですよね。
その意味で興味深かったのがジャン=ピエール・メルヴィルと組んだ時、きっちりとアングルを決め込んで俳優の自然な動きをある種、封じ込めるメルヴィルの演出に齟齬を感じたようだったと、助監督を務めていたフォルカー・シュレンドルフ(『ブリキの太鼓』)が『いぬ』のブルーレイ所収のインタビューで明かしていること。そこが静の演技でこそ光るドロンとの違いというのも面白いですよね。とはいえメルヴィル映画のベルモンド、大好きですが。

「プロフェッショナル」
LE PROFESSIONNEL a film by Georges Lautner ©1981 STUDIOCANAL

★続きの質問になりますが、今回のヌーヴェルヴァーグだけじゃないベルモンド傑作選は同時にヌーヴェルヴァーグだけじゃないフランス映画の魅力再発見ともいえますね。あるいは今のフランス映画にない魅力、どのあたりに感じましたか?

M:エンターティメントへの徹底ですかね。それとやはりある種洒落た感じはあり、アクションでもハリウッド映画とは全然違う生身のアクション作品ですね。
それからベルモンドの作品では、相手役の女優というのがキーになる事が多く、誰と共演するかも楽しみでした。
今回もジョアンナ・シムカス、マリー・ラフォレというフランスおしゃれ女優から、ラクエル・ウェルチ、クラウディア・カルディナーレというグラマラス女優まで、楽しい共演者が並んでいるのも当時の魅力だったと思います。
初めて中学生の時『オー!』を見た時、冒頭のベルモンドとジョアンナ・シムカスのラブシーンで、『冒険者たち』のレティシアが胸を揉まれていると思い、衝撃的でした(笑)。

T:エンターテイメントに徹しているし、シナリオやプロットがすごく練られていますよね。とにかく映画としてすごく楽しめました。
『オー』の中でベルモンドがフォルスターから拳銃引き抜いて構えるポーズの練習をするシーンとか、なんか昔の日活映画にも通じる型を感じました。

「オー!」
HO! a film by Robert Enrico ©1968 – TF1 DROITS AUDIOVISUELS – MEGA FILMS

A:これはフランス映画だけでなく今、ハリウッドにも日本の映画にも感じる残念さですが、様々な面で、つまり共演者にしてもスタッフにしても企画にしても層の厚みがあった往時と比べて、薄さが気になる今日この頃――なんですね。正直いって今回の6本にしても筋はご都合主義的だったりもする、それでも興味をそらさないスターの磁力はとりわけ大きいですよね。今のフランス映画を見ているとガレルやドワイヨン、デプレシャン、アサイヤス以下、作家性を光らせる存在は続々と出てきているようにも見える。小さくても注目したい映画は少なくない。むしろ娯楽映画の方がなんだかなあと、70年代当時にはあった肌理の細かさを失っている気がします。見ている量が少なすぎるので言い切ることはできませんが傑作選のヴェルヌイユ、ド・ブロカ、アンリコみたいなシブく光る領域の職人映画、これって日本のメジャー映画にもいえるような気がしますが、改めてこういう映画がもっと当り前に見たいなと今、思います。その意味では『天使が隣で眠る夜』でジャック・オーディアールが出てきた時、おおっと期待が募った。恋とも見紛いそうな男の友愛映画のひんやりと鈍い灰青色の世界を、しかも娯楽作として描こうとしていてさすが今回の特集の監督たちともベルモンドとも繰り返し組んでいる脚本家ミシェル・オーディアールの息子――と。『預言者』『君と歩く世界』くらいまでその感じが保たれていてよかったのにカンヌで大賞をとったあたりからなんとなく違ってしまったようで、残念だなあ。

「警部」
FLIC OU VOYOU a film by Georges Lautner ©1979 STUDIOCANAL – GAUMONT

★ベルモンドのファッションはいかがですか?

T:時代性があって、今面白がれるものとそうでないものがありますが、『オー』は洒落もの感ありますね。 大きなサングラスや皮革のトレンチや、スエードにタートルとかはフレンチっぽいですよね。彼女のジョアンナ・シムカスはジバンシーのモデルだし。
『大頭脳』はステレオタイプ化された英国、フランス、イタリア(シシリア)の服の違いって感じだけれど。タートルに皮革のブルゾンとか似合ってますよね。
『大頭脳』ではむしろシルヴィア・モンティの黒ビキニに大きな黒のフェルトハットとかスエードのminiドレスとかがそれこそ昔の「スクリーン」の時代のセクシーな女優の感じでそういう意味で花を添える役回りなんだろうけれどかっこよかったですね。

A:茶系の人、その微妙な濃淡の着こなしがフレンチならではで素敵ですね。ドロンの黒系のイメージとここでも対照的といえるかも。

M:ベルモンドは着こなしがうまいですね。コスチューム映画でもそれなりに見えますが、スーツ姿も様になる。今回は様々な作品で、トレンチコート着ていますから、トレンチコートを比較しながら見るのも面白いです。
今回の作品ではやはり『オー!』のスタイルはすごく好きです。後は『大頭脳』も、カジュアルな着こなしのお手本のような姿で良かったです。
『プロフェッショナル』あたりは、肉体派アクションスタイルですが、どの作品見ても、本人がアクセサリーまで細かく拘っているように思えました。

「警部」
FLIC OU VOYOU a film by Georges Lautner ©1979 STUDIOCANAL – GAUMONT

★同時代にライバル視されたドロン、ハリウッドでいえばマックィーンやイーストウッドが同時代の人気者でしたが、彼らとの比較も含めてスター ベルモンドの輝きはどこに?

M:アラン・ドロンも好きですが、70年代後半以降出演作品にかなりのバラツキが出てきました。これは自分のプロダクションを持ち、やりたい事をやった結果でもあり、大スターには伴うものです。
一方ベルモンドも、自分のプロダクションを持ちましたが、常に作品のクオリティを担保している印象があります。
ドロン、マックイーン、ベルモンド、イーストウッドそれぞれ大きな魅力を持っており、正直比較のしようがないと思います。しいて言えば、他の俳優にはない、滲み出てくるおとぼけ感とユーモアが、ベルモンドならではの輝きと思います。
ベルモンドも87歳で、健康面も心配ですが、昨年PARIS MATCH70周年の表紙撮影でドロンと共演した映像見ると、元気な感じで少し安心しました。

A:今回の資料集めで昔の映画誌を見ていたらドロンの『友よ静かに死ね』(77)をめぐってベルモンドの陽気な人なつこさを意識したアクションと、合評記事でカーリー・ヘアで明るくイメージチェンジしたドロンのライバル意識が話題になっていて面白かった。そのドロンとも一度ならず共演しているベルモンドの人なつこさ、明るさというのは役を超えた本人の魅力ともいえそうで、動画サイトでセザール賞で功労賞に輝いた折やベルモンド美術館のオープニングの折の様子をみるとカルディナーレやロベール・オッセン等々が心から祝福してる様子が伺えてこちらもうれしくなる。杖をついて、少し呂律が回らない様子からすると病気があったりするのかもしれないけれど、巨人軍は永遠に不滅ですの長嶋と通じる明るさがそこにも輝いていてああっと気持ちがなごんでくる。『ダンケルク』の中に美男じゃないがサンパだと、まさにの台詞があったけど、いい人なんだろうなきっと。と、ここまでは冷静に分析するふりをしてきましたが、今回、この特集をきっかけにベルモンド映画をさかのぼっていくと『いぬ』『冬の猿』『雨のしのび逢い』『墓場なき野郎ども』と、若き日の快作でもほんとに結局、いい奴なんですよね。ゴダールだったら『女は女である』のふわっと脇に居る男の子の感じ(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のリチャード・エドソン、ジャームッシュはベルモンドを意識して選んでいたと思う)――と、たどるうちに『モラン神父』の禁欲的だからセクシーな神父演技にくらりとなって、60年前後のベルモンドにもうほとんど夢中。いまさらですが目下、わがアイドルと化しています笑。

「オー!」
HO! a film by Robert Enrico ©1968 – TF1 DROITS AUDIOVISUELS – MEGA FILMS
ジョアンナ・シムカス

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選
新宿武蔵野館他で、全国順次公開中。
「大盗賊」
「大頭脳」
「恐怖に襲われた街」
「危険を買う男」
「警部」
「オー!」
「ムッシュとマドモアゼル」
「プロフェッショナル」

Cinema Discussion-32 今この時代に、ファッションを描いたフレンチドキュメンタリー2本

『ライフ・イズ・カラフル!』

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2020年に入ってからは、2月の『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』以来8か月ぶりとなります。
皆様ご存じのように、コロナウイルスの影響で、映画業界も大きな影響を受けました。
ここにきてようやく映画館によっては、100%の客席を開放していますが、まだまだ昨年の状況に戻るには時間がかかりそうです。ただ皆様への映画の紹介は再開してもよいかと考え、第32回のシネマ・ディスカッションを開催する事に致しました。
今年に入り、ファッションシーンも、コロナの影響が過大で、ヨーロッパ、特にフランスは最近コロナの状況が悪化しているというニュースを聞きます。
そんな環境下ですが、今回はあえてファッションを題材にしたフランスのドキュメンタリー2本を取り上げる事にしました。
1本はフレンチデザイナーの巨人ピエール・カルダンのドキュメンタリー『ライフ・イズ・カラフル!未来をデザインする男 ピエール・カルダン』です。日本では、すっかりライセンス商品の雑貨のイメージが強いカルダンですが、98歳になる今も健在です。このドキュメンタリーで明かされる彼のファッション・イノベーションは、私たちのイメージを覆すものでした。
もう1本は、2017年末に閉店したパリ、『コレット』の最後の日々を追ったドキュメンタリー『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』です。パリのNO1セレクトショップですが、2017年惜しまれて閉店しました。この伝説的なショップの閉店は、世界中のファンに衝撃を与えました。
ディスカッションメンバーはいつものように川野正雄、名古屋靖、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名。

(C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★まず『ライフ・イズ・カラフル!』ですが、ピエール・カルダンのドキュメンタリー、
どんな発見がありましたか?

川口哲生(以下T)
私たちの年代の日本人の大半は、ピエール・カルダンというとタオルからスリッパからについたPマークをイメージするのではないかな。ちょっと節操のないネガティブなイメージとして。笑
この映画を見て、「全てはデザイナーの仕事」として取り組むモダニストとしてのカルダン像をポジティブに捉え直しました。本人も若い時に男女ともにモテたのもわかる感じだったし、Aラインドレスももっと宇宙的なテロテロな素材感のイメージだったけれど質感があってかっこよく見えたし、だいぶ見直しました。カルダン。というかちゃんと生き様やヴィジョンを理解していなかったと反省しました。

川口敦子(以下A)
多分、子供の頃、というのはまあ60年代の初めになりますがフランスのデザイナーとして最初に名前を覚えたひとりが、カルダン。あとはシャネルとサンローランだったと思うのですが、哲生くんもいってるように、それがだんだんPマークのちょっとはずかしい名前になっていく過程を中学、高校と進む成長期と共に経験していたんですね。そんなイメージがこのドキュメンタリーを見てみると知らない事ばかりだったんだなと、矯正といったらいいのかしら、「へえ~」の連発みたいに覆されていく、そんな感じでした。そもそもイタリア生まれということにも驚いたんですが、そのくらいきちんと知ろうとしたこともなかった人なんだ、と改めて気づいたりもしました。若い頃の本人はなかなか素敵でふーんと驚きましたね。ジャンヌ・モローとの恋愛関係というのは映画ファン雑誌で読んで
まあ、それなりに知っていたし彼女が映画でカルダンを着ているというのも知ってた、でもジャン・コクトーやジャン・マレーにももててたというのは不勉強で恥かしいですが初めて知りました。

川野正雄(以下M)
ピエール・カルダンについて、全く知らなかったのだなと思いました。皆さんと同じでやはり雑貨などのライセンス商品の、ちょっとネガティブなイメージがあり、ピエール・カルダンの本質的な理解は出来ていませんでした。この映画を見て、ライセンスも戦略があっての事で、売上を上げて、カルダンがやりたかった事も見えたので、「大変失礼しました」と謝りたい気分です。
映画は、ともかく発見の連続でした。敦子さんと同様、イタリア人であった事も知りませんでした。現代のファッション業界の基本戦略、プレタポルテ=百貨店の汎用モデル、メンズデザイン、グローバル展開、ライセンス事業などは、全てカルダンが創造したと言っても過言ではないと思います。またそれを教えてくれたこの『ライフ・イズ・カラフル』に感謝です。

名古屋靖(以下N)
みなさんがおっしゃっている通り、僕らの世代ではお中元やお歳暮でいただくリネン商品についたPマークが最初で、これさえ付いていればある程度安心。でもこだわりがあっておしゃれな人には逆効果的なデザイナーでした、ごめんなさい。しかし、このドキュメンタリーを観た事で、作品や仕事だけでなくご本人の人柄も含めとても魅力的で、知らなかった事の発見だらけでした。

(C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★デザイナーとしての彼の面白さはどこにあると思いましたか?

A:ディオールのメゾンにいた頃、三羽烏といわれていたというサンローランとの関係、確か映画の中で短く「決裂した」みたいに言われていたと思うのですが、もう少しそこは詳しく知りたいなと思いました笑 ライセンス・ビジネスとか、重なりもあってどうしても同時代のライバルとして比べてしまいますから。
で、カルダンのデザイナーとしての面白さに関しても、最初の頃のモンドリアンしていた頃のサンローランとはモダンというテイストでその前の大御所たちと別の新しさを共に提示して、好敵手みたいな感じがありますよね。
でもその後、サンローランがエスニックをデザインのモチーフにして創造の部分で世界をまたにかけ変化を旺盛に取り入れていったのに対し、まあ、ずっと追いかけていたわけではないので間違っているかもしれませんがカルダンのルックというと同じひとつのモダン、未来的な形で勝負し続けているようで、そのカルダン的未来をグローバルに布教していったみたいにも見えます。あるいはデザインのモチーフとしてエスニック採り入れることはしない、あくまで自分の世界なのに、商売は世界でという、それも強さですよ
ね。

N:それまでの様々な常識からの解放を成し遂げた革命家。プレタポルテの先駆けでモードの民主化に成功。男性ファッションの開拓、人種にこだわらないモデルの起用。戦略的な考えもあったのでしょうが、日本人モデルをミューズにしていたとは全く知りませんでした。あと、かのマキシム・ド・パリが彼の持ち物で、それを手に入れるまでのストーリーはそれだけで一本の映画が作れそうない魅力的です。(笑)
服飾デザインではAラインやフューチュアリスティックなものは有名ですね。メゾン・マルジェラとノースフェイスのコラボ2020年秋冬コレクションで、両手を横に広げると真円になるマウンテンパーカーがあります。そのコレクションを見た時「なんじゃコリャ?」な奇抜極まりないデザインだと思ったのですが、このドキュメンタリーを観ている途中、すでにカルダンが60年代にほぼ同じデザインを発表していたことに驚き、カルダンの才能を再認識しました。

M:60年代のデザインは、すごくポップで、華があり、面白いと思います。メンズへの取り組みなど含めて、すごく先端的な人だった(ビジネス面含めて)と、改めて認識しました。
日本人モデル松本弘子の起用とか、黒人モデルなど、人種を超えた展開、メンズにモードの概念を持ち込んだ点など、やはりすごくイノーベーションを起こす部分が、一番面白いですね。
僕はジャンヌ・モローとの関係も知りませんでした。個人的な話ですが、オリジナルポスターは持っているのですが、見た事のない『バナナの皮』のフッテージが出てきて、嬉しかったです。
マキシム買収したり、シアター作ったり、ある意味やりたい放題ですが、全部きちんと戦略と想いがあるのがわかり、非常に納得出来ました。
優秀なデザイナーでもありながら、素晴らしいプロデューサーでもあったのだなと思います。そこの差は、イヴ・サンローランとの違いではないでしょうか。

T:やっぱり独特の構築的なモダンさですね。これってやっぱり時代感があって、VIVAやサッスーンのスインギングロンドンやatomicとかとも呼応する感じがありますよね。今年の年初に行ったNYのエーロ・サーリネンのTWAホテルとか。成長期の今日より明るい明日みたいな気分とともに近未来的なモダンな感じ。

C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★時代との関係については?

N:良くも悪くも60年代の人。豊かで夢に溢れた時代にあらゆる不可能を可能にしてきたのはデザイナーとしての才能もさることながら、時代の波にうまく乗れたクレバーな人だったんでしょう。
他に類を見ない、大手資本グループに参加吸収されなかったことで自由を手に入れられたのは素晴らしい事ですし、その戦略のためにライセンス事業に邁進したことを知って正直敬服しました。

A:白人のマヌカンが当り前の時代に有色人種を起用したということや、メンズや子供服にもいち早く進出したとか、その進取の精神というのかな、60年代という時代が世界のそこここで破壊と新しさの構築に向けたパワーに満ちていた時代だったと思いますが、まさにそういう時代の力をパワフルな戦略として活かし、基本的にはその60年代的な強さの中にとどまり続けた存在なのかなあ、なんて映画を見ながら思いました。
変わらなさは、時代の方が変わるとまた新鮮に見えてくるというのはありますね。あと、コングロマリットに吸収されるのが当り前の時代の中で今もカルダンで看板をしょって立つという往き方、意地悪くいえばこの先どう生き延びていくのだろうと余計なお世話ですが興味深いですね。

M:イヴ・サンローランと、時代性では共通しますね。グランメゾンにいた事含めて、似たような印象です。実際二人はうまくいかなかったようですが。60年代のトップデザイナーで、今も現役はカルダンくらいではないでしょうか。
ジャン=ポール・ゴルチェや、フィリップ・スタルクが、カルダン出身とは知りませんでしたが、才能のあるデザイナーを排出しているのは、ファッションの歴史において、やはり貴重な存在だったのだなと認識しました。
それから私が生まれた年でもあるのですが、1959年に初来日しているというのは、すごいと思いました。
その頃はヨーロッパで、戦後日本に視点を向けるデザイナーや、実業家はほとんどいなかったのではないでしょうか。
中国やロシアというファッション後進国へのチャレンジもすごいですね。単にテーマや風土をデザインに取り入れたり、販売するのではなく、各国でファッション革命を起こして、国民のファッションに対する意識を変革させてきたというのは、世界的に見ても貢献度がものすごく高いと思います。

C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

★より開かれたファッション、服だけでないデザインへの眼という点で、『コレット・モン・アムール』が閉店までを追った伝説的なコンセプトストアのストリートとカルチャーとモードのミックスという部分とつながっていかなくもない存在なのでは?

A:民主化、開くということの先に閉じる、排除する(誰もと一緒じゃつまらない)ということがないとおしゃれ心は満足できないというのがあるんじゃないかと感じるんですが、コレットが2017年末に店を閉じたというのも開く/閉じるという点から見て興味深いですよね。なんだかうまく説明できてないんですが。

N:カルダンとコレットでは、その方法やゴールは違いますが、両方とも「解放」や「自由」が重要なテーマになっているのではないかと。今風に言えば、前向きな「多様性」とか。それまでの価値観やルールなど関係ない、仕切りを取っ払った、見たことがない新しい提案に心踊るのは時代が違ってもおしゃれな人々を魅了します。

T:カルダンの「モードの民主化(オートクチュールからプレタポルテへ)」とコレットのキュレーション力での「特別なものの民主化(カテゴリーや価格帯も取り混ぜ16歳のhiphop少年からブルジョア女性までにとって特別なものを感じさせる)」というキーワードの重なりが面白いですね。

M:僕は一度だけコレットに行った事があります。それが1997年だったので、映画を見て、オープンした年だと知りました。
その時はコレットの存在は知らず、何か他の用事があり、フォーブル・サントノーレから歩いていて、偶然発見して、入りました。まだ飲食もなく、コンパクトな印象でした。
ただコム・デ・ギャルソンやBEAMSの商品があり、日本の商品が多いなと。BEAMSと似ているなあという印象でした。何故かニナ・リッチの商品が多くあり、それが映画で言っていたハイブランドとのコラボレーションか、共存だったのかな。
そこでギャップも感じたのすが、モードとストリートカルチャーのミックスというコンセプトは、表現されていたのですね。
ただ何か買ったかというと、何も買いませんでした。
またフューチュラ2000が出ていましたが、映画『ワイルドスタイル』や、ザ・クラッシュのアルバムにも参加していて、ヒップホップカルチャーの最初期の重要人物である彼が連携しているのは、とてもカッコいいなと思いました。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★今も現役とはいえカルダンの時代というのはやはりあったと思うのですが、その時代、とコレットが代表した今への流れ、私たちもくぐり抜けてきた変化だと思いますが、2本の映画を通してみてそのあたりどんなふうに感じましたか?

T:カルダンの時代は一人がそのテイストを持って生活に関わる全てのものをデザインして一つのブランドで串刺しようという時代だと思います。
一方コレットはスタイル、デザイン、アート、食について独特の視点を持ってキュレーションする。カニエやファレルみたいな層、昔のブラックストリート系だったら関心示さなかっただろうパリに反応するこうしたファッションコンシャス層の出現とファッションそのものがやはりブラックカルチャーやストリートの影響無しでは語れなくなっている両方向からの歩み寄りが面白い。

それがNYでなくパリでというところも。RADIO NOVAからDAFT PUNKへの音楽的地下水脈とも呼応しそうですよね。パリの意味。

A:シネマ・ディスカッションでも取り上げたミア・ハンセン=ラヴの『エデン』も思い出してみたくなりますね。

デザイナーが作るモードからスタイリスト、あるいは哲生君のいうキュレイターの世界へという流れは70年代から80年代へという時代の中でパルコが果たした役割のことも想起させますね。
『コレット・モン・アムール』が新生パルコで上映されているのもその意味でちょっと感慨深い、なんて。

N:カルダンの全盛期は自分が物心つく前のお話ですが、知らなかったことばかりで楽しく観ることができました。特にレトロモダン好きな人には是非お勧めしたい。
その逆で、自分がコレットに影響受けていることは否定できません。コレットの存在がなければこんなにスニーカー買ってませんから!(笑)コレットの20年は今ある新しいモードを提案・定着させた歴史そのものです。そしてそれがパリのサントノーレ通りにあったということが、ハイファッションとストリートを融合させる説得材料になっていたのは重要なポイントだと思います。

M:コレットの店舗が、ハイブランドが並ぶサントノーレ通りにあるというのが、象徴的だと思います。セレクトショップなら、レアル、サンジェルマン、バスティーユなどに出店してもよかったと思いますが、あえてサントノーレというのが、カルダンからの流れ~モードを意識していたからではないかと思います。
そしてコレットがサントノーレ213番地、カルダンの初店舗が、サントノーレ118番地と、同じ通りに最初に出店したというのも、縁というか、ストーリーを感じます。
カルダンからコレットへの流れのは、そのままサントノーレ通りの変遷でもあったのではないかと思います。それはファションビジネスの主流が、生産中心から仕入れ中心に変化していった時代の変化を象徴しているのではないかと思います。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★コレット・ルスローとサラ・アンデルマン母娘については? 映画はこのふたりへのリスペクトを背骨にして成立しているように思いますが。

N:親子であり信頼しあうパートナーという理想的な二人。アンデルマンがいなかったら、あそまでの世界的評価を得るような店にはなれなかったでしょうが、それでも母親のコレットさんが愛すべきボスなのは映画を通して伝わってきます。『ライフ・イズ・カラフル!』でも制作者2人のカルダンへの愛を感じますが、『コレット・モン・アムール』はその業績より2人を中心とした「コレットの人々」を愛情たっぷりに見せてくれました。

M:コレットの芯の強さと、親子ならではの信頼関係を感じました。お互いもリスペクトしていますね。コレットが店頭の在庫補充に関して、スタッフにクレームを言っているシーンがありましたが、コレットが小売り業の基本を大事にしている姿を、象徴的に描いていると感じました。
そういう姿勢が、お店が長く続いた理由の一つではないかと思います。それと、当然ですが、コレットの着ている服は、独特でとても素敵だと思いました。サラはあまりそうは思いませんでした(笑)。

T:似ているけれど違うパートを背負っているのが興味深いですね。ああやって毎日普通に店にいるのが素敵。

A:彼女たちにとっての日本というのがインスピレーション源としてどのくらい大きいのかななんて映画を見つつぼんやり思っていました。コレットさんの目立たず、厳しく、自分の好きを貫く感じ、さらりとお店にいる感じもちょっと違うのかもしれないけれど、20世紀末、成田空港にふらりと紀ノ国屋のエコバッグを提げて現われ機内に入っていったという川久保玲の佇まいと通じてるような、昨日今日でてきた俄かじゃない重みを軽やかに身につけているのが見て取れて面白かったです。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★ドキュメンタリー映画としての作り方、2本のそれぞれの魅力はどこにあると思われましたか?

M:割とどちらもオーソドックスなドキュメンタリーと感じました。オーソドックスというのは、いい意味で、見やすく、伝わりやすいという事でもあります。
『コレット・モン・アムール』は、アニメーションの使い方が可愛かったですね。

A:『ライフ・イズ・カラフル!』はドキュメンタリー映画の作り方として何かとりたてて目新しい部分はないけれどカルダンについて彼のデザイン+ビジネス・センスの力強さをこの映画を通じてみせつけられた気がします。その意味で98歳でいまも現役という帝国の支配者が自ら指揮したプロモーション映画としても成功しているんじゃないかな。『コレット・モン・アムール』は閉店までの刻々を追うというカウントダウンの要素が通奏低音的にあって、それがサスペンスというとやや大仰で、映画のテイストとは離れちゃいますがでもある種のスリルを付加しているなと感じました。お店のテーマカラーの涙やハートのアニメーションを実写にのせる使い方もさらりとかわいくていいですね。それぞれの映画のコメンテイターを見比べるとそれぞれの世界がみえてくる、そこも面白いですね。

N:『ライフ・イズ・カラフル!』のPOPで軽快なタッチは、以前観た『イヴ・サンローラン』の威厳的で重厚な見せ方とは真逆でした。「お仕事」を軸にそれを積み重ねることでその人間性まで魅力的に描いているのは監督兼プロデューサー2人の個性のおかげだと思います。
『コレット・モン・アムール』ですが、自分は一度もコレットに行ったこともないくせに、影響を受けていたからか勝手に親近感やリアリティを感じてしまい、カウントダウンという手法も相まって、エンドロールでは「ありがとう!」とともに少々感傷的になるくらい気持ちが入り込んでしまいました。最近のハイストリート系のファッションに少しでも興味があったり、好きだったりする人は観に行くべきドキュメンタリーだと思います。

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

★コロナの時代ということも含めて服に対する姿勢は今、どんな感じですか?

M:コレットが終盤、今日の世界状況を予言するような発言をしていて、2017年閉店という選択は、正しかったのだなと、最後に思いました。
自分自身でいえば、コロナは関係なく、この1年位は、トレンド的なもの、モード的な服への欲求は、殆ど無くなりました。去年は2回ほど海外に行く機会もありましたが、セレクトショップなどに行っても、心が動かされる事はありませんでした。
今良いと思うの服は、ベーシックで、カンファタブルな服。同じアイテムの色違いや、同じ色の似たアイテムで、いつもあまり変わらない装いになるようにだけ、考えています。
コロナの影響によって、見せる服を着ていく場が消失したのは、やはり大きいと思っています。ブルックス・ブラザースが倒産するなど、少し前は想像出来なかったと思います。レナウンも倒産し、セレクトショップのアウトレットショップが銀座に出来るなど、ファッション業界の先行きは、厳しいと言わざるおえません。
ただコロナの影響で、服だけではなく、仕事や生活においても、取捨選択がなされ、見つめ直す事によって、本当に必要なものだけが残っていくという状況は、良かったかなと思っています。苦境の中、この先に生まれてくるカルチャーに期待したいですね。

A:朝日新聞のインタビュー(20年9月14日)で無難さ、同調、安心を突き「着るものも含めて他人と違いたいという欲求がますます弱くなってきたのは、特に女の人たちだと思います」と、川久保玲氏が答えていたのが興味深かったです。

N:川久保玲氏のインタビュー、敦子さんがおっしゃてた部分は僕も胸に突き刺さった発言でした。みんながそうならないようコレット亡き後、Dover Street Marketには頑張っていただきたい。

T:コレットの1997から2017年は一方では男性ファッションにおいてはイタリアンクラシコから始まったイタリアンな時代でもあったように思います。その中でクラシックから過剰なカジュアル化が進みそのカウンターパートとしてのクラシックなスーツの極まりがちょうど自分の中では2017年ごろでピークアウトした感があります。そこから教条的になったファッションをもっと着る楽しみに戻そうという感じがあります。自分では着なくてもミケーレとかの精神に時代が呼応しているように思います。もっと自由な着方、というスピリットでフレンチや古着やちょっとモードっぽい感じや、何か自分の中では1970年代から1980年代中頃のものが新鮮な気がします。着飾って出かけていくところがないからこそ、単調な毎日だからこそハイブリッドな組み合わせや着る楽しみで自分自身を鼓舞する日々です。泣

Pharrell-Williams-Colette-Mon-Amour_H.Lawson-Body

座談会を編集中に飛び込んできた高田賢三さんが、コロナで亡くなったというニュース。『ライフ・イズ・カラフル!』にも、元気に出演されており、残念極まりませんが、高田さんの元気なお姿を、是非この作品で見て頂きたいと思います。

『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』
Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開中!
配給:アルバトロス・フィルム
公式サイト:colorful-cardin.com 

C)House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』2020年9月26日(土)〜2020年10月8日(木) 19:00-
渋谷シネクイントにて、2週間限定公開
https://www.cinequinto.com/white/

『COLETTE MON AMOUR (コレット・モン・アムール) 』

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)