セルクルルージュの定番プログラムになっているCINEMA DISCUSSIONも、8回目になります。そして第1回で紹介したフランスのギヨーム・ブラック監督の新作を、再び取り上げることにしました。
『遭難者』『女っ気なし』という中短編でその才能を垣間見せていたギヨーム・ブラック監督待望の長編デビュー作が、この『やさしい人』です。
前作では、エリック・ロメールなどフランス映画の白眉ともいうべきバカンス映画に挑んだギヨーム・ブラックが、今回はあっと驚くノワールな展開も盛り込んだ恋愛映画を作りました。
既にサイトには映画評論家川口敦子による単独レビューも掲載していますので、併せてご一読頂ければと思います。
ディスカッションメンバーはいつものように、川口敦子をナビゲーターに、名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。
川口敦子(以下A)
雨や雪の使い方が素晴らしく胸に迫る作品でしたが、皆さんはどうだったでしょうか?
川口哲生(以下T)
メロディとの関係が始まる前の、もういい年になった男マクシムの恋の予感に対する
恥じらいと不安みたいなものが、ダンス教室を外から覗き込むマクシムに積もる雪の
シーンや車に積もった雪をぶつけてふざけあうシーンで印象深かったです。
いろいろな事件の後、モルヴァンの木々に積もった雪、そしてその下をボートに乗るシーンは、男の恋心からの高ぶりや暴力性が時間とその冷気で冷やされたような、この映画の中で最も印象的で好きなシーンでした。
ワイナリーの女の子が暗唱するヴェルレーヌの雨の詩も映画の進み先の暗喩的でよかったけれど。
学校の授業みたいな感じで、詩が自然に使われていました。
A:
詩は重要な要素になっていますね。
内容も象徴的です。
名古屋靖(以下N)
『やさしい人』において雪・雨は、前作『女っ気なし』との対比。また同じ役者でありながら真逆な主人公の設定、その境遇や心情の対比として効果的な素材だったと思います。また、雪は主人公マクシムの幸せや喜びを、雨は彼の悲しみや怒りを象徴していたように感じました。
川野正雄(以下M)
同じ土地でも季節や天候によって、表情が変わってくる。主人公マクシムの心情とのつながりが、比喩的に表現されていました。名古屋君の言うように、前作の夏のバカンスの空気との対比も、シンボリックでした。
詩と、雪や雨で、純文学的な香りもありました。
A:
トネールという町のゴシック・ロマンな肌触りの活かし方は、どうでしたか?
今回の原題は『TONNERRE』で、町の名前をタイトルにする程、監督の拘りが感じられますね。前作でもオルトという寂れたリゾート地の使われ方が印象的でしたが。
T:
前作の『女っ気なし』のさびしいヴァカンス地の海、夏と違う設定だけれど、両映画ともパリという中心とは違う、しかも賑わいの過ぎた時期のぽっかり穴の開いたような感じが、主人公の心象を象徴しているように、映画全体のトーンとなっているように感じました。
N:
何度も登場する自宅の裏庭から望む小さな町の風景を始め、トネールの石造りでどこかゴツゴツとした肌触りは、ピークを過ぎた中年ミュージシャンの不安定な心情とうまくリンクしていたと思います。16mmフィルムで撮影されたという粗い画質からも、その肌触り感を感じることができますし、ウォーム・グレーとクール・グレーの違いのように、前作とは「暖・冷」「明・暗」な正反対のグレーの使い方が印象的でした。
M:
ロッジに小旅行したり、ワイナリーに、スキー。ある種伝統的なご当地映画のように、町の特徴を描いていますが、後半はその楽しかったご当地の思い出が一変して、悲しみの記憶にすり替わっていく…そういう演出が見事でした。
A:
思い込みの使命感とか妄想の恋といった終盤への展開はちょっと強引ですが『タクシー・ドライバー』を彷彿とさせる部分もありませんか。また雪、暖炉の火、裏切られた恋といった部分では『暗くなるまでこの恋を』を思い出してみたくなる。監督自身は『暗くなるまでこの恋を』とあまりに比べられるので見直したけれど偶然の一致で意図したわけではないと首をかしげていました。『タクシー・ドライバー』との比較もピンとこないみたいでしたが、どちらの主人公にも狂気があるねとやさしくフォローしてくれました。興味深いのはほんわかしたヴァカンス映画として始まった『女っ気なし』でも後半にかけ少しトーンが変わっていく。軽やかに始まった映画が深刻な物語へと舵を切る、そういう”断絶”のようなものが映画の中にある、それが自分の映画で試みたい重要な要素のひとつと去年の取材では述懐してくれました。「僕の映画は無邪気な幸福感に満ちた所から深刻で暗いものへと移っていく。こんな幸福の時間は長く続かないんだというように」といったパーソナルな感懐からどの映画も生まれているんですね。
その意味でも改めて見なおすと『遭難者』は『やさしい人』の習作といった面もあったかも・・・
N:
前作『女っ気なし』は中編なのもあって、テーマもストーリーもシンプルな佳作でしたが、今作は展開のあるストーリーでテーマも重層的で深みが加わった気がします。後半の思い込みの使命感や妄想の恋を理由に暴走する、その事件自体は大した問題でなく主人公の心情に寄り添ているのはギヨーム監督の描きたい本質部分なんだと思います。
その思い込みの使命感や妄想の恋による暴走は、警察署長の一言「ロマンチックだが代償は大きい」がその全てを言い表していますね。マキシムのやさしいロマンチズムが若い恋人には重荷となり離れる事になってもそれに気づかない悲しさ。ギヨーム監督とマケーニュは、ロマンチックと残酷の境目を上手く表現していると思います。
T:
前作のヴァカンス映画からは踏み出した「大きな事件」に踏み出しているし、そこでは
前作までの日常性の表現とは違うカット割や展開の映画になっていたと思う。
確かに「思い込みの使命感」とか「妄想の愛」みたいな『暗くなるまでこの恋を』ではないけれど「愛は喜びであるとともに苦しみだ」っていう感じ。
でも、終盤がこの監督にとっての戻ってくる場所なのかな?
最後の父親とのサイクリングのシーン、それでも日々は続くし、何か希望を感じさせるみたいな。
事件性はまったく違うけれど『遭難者』の携帯の使い方とか、人のもつれる気持ちみたいなものをうまく表現するツールになっているなと思いました。
M:
『暗くなるまでこの恋を』は、トリュフォー、ベルモンド、ドヌーヴという組み合わせで大いに期待し、大いに期待を裏切られた映画でした。
役者や衣装はいいのですが、展開含めてやや大味な作品でした。
比べてると終盤の逃避行や暖炉の場面は、彷彿させるものがありますが、作品としては主人公を繊細に描いていて、間の取り方がうまい『やさしい人』の方が好きですね。
『タクシー・ドライバー』の思い込みや、妄想の恋というより、抑えきれない嫉妬のような感情を、強く感じました。
ただグワッと昂ぶるエネルギーや狂気のような瞬間は、相通じるものがあります。
A:
監督が準備中に共同脚本家にすすめたという一作で、『F・・・comme Fairbanks』という
『チェ・ゲバラ 伝説になった英雄』(97]のモーリス・デュゴウソンが76年に撮った大人になれないダメ男を主人公にした後期青春映画があります。『バルスーズ』でドパルデューと競演し、個性派として70年代仏映画ではちょっと気になる存在だったパトリック・ドヴェール(82年、ライフル自殺)が主演しているんですが『やさしい人』の原型としても注目してみたい一作です。日本では未公開、フランスでもあまり知られていない、でもいい映画なのでもっとみんなに見てほしいとブラック監督はいっていました。
で、DVDで見てみると特に、サイレント映画のポスターを家じゅうにはって、飄々と生きる映写技師の父とふらふらと悩み多き息子の関係は通じるものがある。ちなみにタイトルのフェアバンクスはサイレント期の活劇スター ダグラス・フェアバンクスをさしています。
http://youtu.be/-g2vlybl9hE
M:
トレイラーを見るだけでも、イメージの近さはわかりますね。
親子の関係やオフビートな空気感や、70年代ぽい映像も含めて、見たくなります。
A:
『遭難者』の自転車乗りのエンディングにかけての涙、そして今回のマクシムの獣みたいな泣き方と、アメリカ映画好きを自認したギヨーム・ブラックのなかに特に70年代ニューシネマのだめ男たち、”泣く男”の残像が強烈にあるのではないかという気もしますね。9月に来日した際も、『女っ気なし』『遭難者』上映後のQAで『イージー・ライダー』についてコメントするのにピーター・フォンダでもデニス・ホッパーでもなくジャック・ニコルソンの名をまずあげていた。おおっと思いました。あの映画で彼が演じていたエリート校卒のお坊ちゃま弁護士で、でも親の地位に反発している存在に、親に言われるままエリート校に進みながら、もやもやを抱えていたという自分を重ねる部分があるのではと。その意味では『ファイブ・イージー・ピーセス』も好きなんじゃないかな。
N:
ギヨーム監督の相変わらずアメリカ好きな一面を垣間みたのが、実家のリビングの壁に飾られてたアナログ・レコードのジャケットです。息子が歌手なのにそのレコードではなく、、、
・Santanaの「Caravanserai 」(1972)
・Bob Dylanの「Nashville Skyline」 (1969)
・Simon & Garfunkelの「Sounds of Silence」(1966)
・etc.
が目立つ所にディスプレイされていました。
「Caravanserai」を選ぶあたりいい趣味していると思うのですが、あの父親がこのレコードを聴くとは思えません。。。
http://youtu.be/sVNRSOnGAJY
M:
前作ではディランは『欲望』でしたね。
着ているTシャツも、相変わらずダサめのアメリカンTでした。
アメリカの70’Sカルチャーみたいな要素への憧憬みたいなものがあるのかな。
うまくその辺の個人的な趣味をディフォルメして、表現していると思います。
逆にフランス的な要素で言うと、メロディとかマノンとか、出てくる女性の名前が、ゲンズブールの歌に出てくる女性の名前と一緒です。
なかなかメロディという名前の女性は思いつかないと思います。
この映画に出てくるメロディは、身も蓋もない言い方すると、ミュージシャンとサッカー選手を両天秤にかけるミーハーなかけ出し記者で、全ての原因は彼女にあるんだけど、それを感じさせない不思議な女性でした。
A:
父子の関係、自分の足跡を残すというテーマ、といったあたりを芯にして飄々とした語り口を磨きつつ、いっぽうで携帯の待ち受け画面を話の展開にうまく使う術とか、メールの使い方とか、作りこんだ物語りの仕方もうまいブラック監督の面白さも見逃せませんね。この秋、パリで開催中のトリュフォー特集上映では”後継者たち”の部門に選ばれて『やさしい人』も上映されたそうですが、そのあたりどうでしょうか?
トリュフォーの後継者と言ってもいいのかな。
T:
私が共感するこの映画のテーマは「人がそれにより他人からそして自分から非難され続ける、と同時にそこが自分の生きていくよりどころになるような両刃の記憶」との寄り添い方ということかな。
『暗くなるまでこの恋を』の「愛は昨日まで喜びだったのに、今日は苦しい」みたいな記憶。
そしてそれとの寄り添い方がそれこそ前回もシネマディスカッションで触れられた、「抜け出しにくい子ども時代から大人になること」にかかわっているように思います。
そしてこの映画では、最後に同じような事件の記憶を持つ親子のサイクリングのシーンでそれでも生きていくというポジティブな光を感じました。
N:
この映画で主人公以外で最も印象的だったのがマクシムの父親クロードの存在でした。古いアメリカ映画に出てくるような完全無欠な父親像ではない、クロードの存在。マクシムの失恋をきっかけに2人の距離感が縮まっていく過程が個人的にはこの映画の最大の魅力でした。当初二人のシーンはどこか微妙によそよそしく、表面張力な会話が不自然さを感じさせながら、徐々にですが嬉しいときは一緒に無邪気になり、悲しいとき静かに寄り添い、怒れるときには心から叫び合う。そんな過程を通して、ラストの雪解けの季節に親子二人でサイクリングするシーンは、密かに感動してしました。
M:
哀しくて、残酷なテーマを描きながら、最後には小さな感動をよぶ…こういう作風は、フランス映画の得意とする部分ですよね。そういう意味では、トリュフォーと限定するのではなく、フランスを代表する映像作家達…トリュフォーやロメール、ジャック・ロジエなどを総じての後継者と言えるのではないでしょうか。
そういえば冒頭一瞬『悲しみのアンジー』のギターフレーズを弾いていて、ドキッとしました。
A:
冒頭でマクシムが曲作りをしていて、最後に彼の曲が流れる。一つの曲が出来るまでの物語という見方も出来るのかな。そうだとすると、厳しく美しい冬を通過してもたらされたものがいっそう強く迫ってくる。曲を映画に置き換えると監督自身の創作への歩みもさらりと指し示しているのかと納得できるようにも思えてきて映画の感動にもうひとつレイヤーが加わってくるのではないでしょうか。
『やさしい人』は渋谷・ユーロスペースで公開中。名古屋シネマテークで11月29日から、その他全国で順次公開予定。
オフィシャル・サイト
『やさしい人』のヒロインの名前、メロディーですが監督がお気に入り映画に『小さな恋のメロディ』あげているんですね。で、その脚本を書いたアラン・パーカー追悼のため映画を見直したらあのバレエスクールの窓越しにメロディを見つめる場面、『小さな〜』と直結しててカンゲキ!今さらですがご報告申し上げます。敦子