ところが今年に入り、なんと第1期の音源を集積した14枚組CDのボックスセット『ROLLING THUNDER REVUE 1975 LIVE RECORDINGS』がリリースされ、合わせてNETFLIX限定でマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー『ローリング・サンダー・レビュー』が配信開始となった。
2002年にブートレッグシリーズとして、初めて『ローリング・サンダー・レビュー』ライブ2枚組+DVD(2曲のみ)が発売され、ようやく生の音を耳にする事が出来た。初期のセットには『レナウドとクララ』から2曲の映像が収録されており、ようやくその姿を映像で確認する事が出来た。
ただあくまでもそれは一部のフッテージであったが、ようやく今回映像を含めて、その全貌を把握する事が出来たので、少し前後関係を含めて紹介させて頂きます。
個人的な話になるが、当時私は高校生で、ザ・バンドとの復活ライブ版『Before the Flood/偉大なる復活』の圧倒的なスピード感に魅了され、すっかりディランのファンになっていたところであった。
そこに聞こえてきたのが、ローリング・サンダー・レビューの情報で、必死に日本版ローリングストーン誌に掲載されていたツアーレポートを読み、頭の中でイメージを膨らませていた。
74年にリリースされた『血の轍』は、ローリングストーン誌では絶賛されていたが、高校生の私には少しばかり難解なアルバムだった。
翌年にはローリング・サンダー・レビューが開始され、第1期ツアーが終わると、大傑作アルバム『欲望』がリリースされ、全米1位となった。
日本のみシングルカットされた『ONE MORE CUP OF COFFEE/コーヒーもう一杯』は、バイオリンがフューチャーされたジプシーサウンドが素晴らしく、一度聞いたら忘れられなくなるメロディで、ラジオでもヘビィーチューンとなっていた。
この曲に表現されている緩やかかつエキゾチックな旋律は、ローリング・サンダー・レビューのコンセプトが具現化された曲のように聞こえてきた。
実際ローリング・サンダー・レヴュー第1期は、それまでのディランにはなかったバイオリンなどエキゾチックなサウンドを取り入れ、旅芸人一座のようなユニットでツアーをしていたのだが、ローリングストーン誌のレポートで想像する以外は、ライブのサウンドを聴く術を、当時の私は持ち合わせていなかった。
当時は西新宿に行くと、海賊版(ブートレッグ)を扱う輸入盤屋が数件あったが、値段も高く、クオリティもわからず、ギャンブル的な買い物であった。
同じ時期ローリング・ストーンズが、ロン・ウッドを加えた最初のツアーを行なっていて、私はローリング・ストーン誌にレポートの出ていたツアー初日のバトンルージュのライブ海賊版2枚組を購入したのだが、音質も演奏もクオリティがひどく、海賊版には二の足を踏むようになっていたのだ。
ディランだけではないツアー参加者の素顔も垣間見れる。
メインの出演者だったジョーン・バエズとは、ありがちな元カップルの会話をしている場面がある。
3時間のパフォーマンスという事で参加したアレン・ギンズバーグは、客が帰ってしまうという理由で、懇願した5分も許可されず、2分しか持ち時間が与えられない。
ジョニ・ミッチエル、ロジャー・マッギン、ミック・ロンソン、Tボーン・バーネットなどツアー参加者の姿も興味深い。
しかし何といっても強烈なのは、バイオリンを持って歩いていたらディランに声をかけられたという女性バイオリニスト、スカーレット・リヴェラの姿が印象的だ。彼女のジプシーバイオリンが、サウンド全体にエキゾチックな空気を生んでおり、『アイシス』などで、ディランとガチンコで対峙するステージ上でのパフォーマンスも素晴らしく力強い。
彼女自身のキャラクターも特異で、メイクも怪しいが、部屋にも怪しげなナイフや蛇。他のドキュメンタリーのインタビューでは、カナダのライブで誰かにドリンクにドラッグを混ぜられ、ステージで大変なことになったと語っている。
ミック・ロンソンは、デビット・ボウイのスパイダー・フロムマースからの参加で、『激しい雨が降る』では、素晴らしいグラムギターを演奏している。
映像も音源も無かったが、記録を見ると、ミック・ロンソンは前座的なソロの時間ではボウイの『LIFE ON MARS』を演奏している。
14枚組ボックスセットには、4箇所5回のライブ録音に加えて、前述の麻雀大会など、リハーサルなどのレアな音源がたくさん入っている。そこからは、楽曲がどのように成熟していったのかを、窺い知る事も出来る。
特にリハーサルだと思うが、ディランには珍しいソウルミュージックのカバー、インプレッションズの『PEOPLE GET READY』や、ミラクルズの『THE TRACKS OF MY TEARS』は、ここでしか聴けない貴重な録音である。
ライブ楽曲は当然被ってくるが、それぞれが表情を持っていて、微妙に違ったりする生き物である。
★映画はジルベルトの謎を追うふたり、ドイツ人ジャーナリストでジルベルトを求めての顛末を記した「Ho-ba-la-lá: À Procura de João Gilberto」を上梓し自殺したマーク・フィッシャーと、この映画を監督したジョルジュ・ガショ(フランス生まれ、スイスと二重国籍をもつ)による二重の探偵物語といえるような構造をもっていますが、その点についてはいかがですか?
A:この構造が私には映画の一番の面白さとして迫ってきました。フィルムノワールの王道というか、探すべき相手をみつけられずに自分をみつける、あるいは退路を断たれ迷宮、迷路に閉じ込められてしまう、その解決のなさが魅力というのかな。謎の答えそのものよりも探究自体が物語となっていくんですよね。ドイツ語でマーク役のナレーションが入る、それがなんとなくヴェンダースの映画みたいな気分にさせる所もありました。
ジルベルト以上にマーク・フィッシャーという人についての映画ともなっていますが、彼が書いた「Ho-ba-la-lá: À Procura de João Gilberto」、英語版がないかと探したんですがまだ出ていないようで、読んでみたいですね。