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『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』偉大なるグラムギタリストの光と影/Cinema Review-8

Cinema Review第8回は、デビッド・ボウイのギタリストとしてグラムロックに大きく貢献したミック・ロンソンのドキュメンタリー『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』です。
ミック・ロンソンは、デビッド・ボウイのバックバンド、スパイダース・フロム・マースのギタリストとして『ジギー・スターダスト』などの名盤に参加し、ボウイ独特のグラムロックを創り上げました。
ボウイのバンドは1973年に離脱し、その後はモット・ザ・フープルに参加。ボブ・ディランのローリング・サンダー・レビューにも参加し、いかんなく存在感を発揮しました。
この映画は、ナレーションにボウイ、証言者として、ルー・リード、ロジャー・テイラー(クイーン)、イアン・ハンター(モット・ザ・フープル)、グレン・マトロック(セックス・ピストルズ)、アンジー・ボウイなどが登場し、我々が知らなかったミック・ロンソンの素顔について語ります。
既に劇場公開は一旦終了していますが、極上音響上映で定評のある立川シネマシティにて、7月8日〜11日まで特別上映されます。
8日の夜にはSUGIZOさんゲストの立川直樹さんのトークショーも予定されています。

レビューは、映画評論家の川口敦子に、川口哲生、川野 正雄の3名です。

ロジャー・テイラー
C)2017 BESIDE BOWIE LTD. ALL RIGHTS RESERVED

★川口哲生

ミック・ロンソンといえば、大好きなディヴィド・ボウイの初期の作品群のギタリストとして「サフラジェット・シティ」のギターソロやこの映画中でエフェクターを固定してジョン・リー・フッカーの様に弾くんだと実演している「ジーン・ジニー」でのリフとともにティーンエイジャーだった私に大きなインパクトを与えたミュージシャンである。

頭頂部からの髪の毛が段を付けてカットされていて、サイドのヴォリュームの薄い髪の毛
が妙にサラサラとなびく金色のヘアスタイルとヒールがごつい編み上げのブーツといったヴィジュアルイメージとともに。

このドキュメンタリー映画を見るまでは、「ジギー・スターダスト」eraのボウイの音楽性にかくも重要な役割を果たしていたとは、私は認識していなかった。初期のアコースティック~ロックへのこの時代のボウイは、ケンプやパントマイムやコスチュームやメイクアップ含めたヴィジュアルのGLAM性も、そしてまたその豊かな音楽性も、抜きんでたボウイというカリスマによってもたらされたという印象を持っていた。あくまで「ジギー・スターダスト」とそのバックバンドの「ザ・スパイダース・フロム・マース」という捉え方で、ミック・ロンソンのギターは勿論大好きだったけれど、ミックがギターパートだけでなく、オーケストレーションや編曲等を通じてかくも大きなボウイ世界への貢献があったことは不覚にも認識していなかった。

「スペース・オディティ」の収録にも参加しているリック・ウエイクマンがピアノを前に解説する「ライフ・オン・マース」のコード進行の話からは、ミックの音楽性に対するリスペクトがひしひしと伝わってきた。その他盟友イアン・ハンターはじめ多くのミュージシャンが彼について語っているのを見て、ミュージシャンズ・ミュージシャンとしてのミックの存在を再認識した次第である。

個人的にうれしかったのは、マイク・ガーソンのインタビューとミックにトリビュートした即興曲の演奏。「アラジン・セイン」でのアヴァンギャルドなjazzピアノソロを、かくも悲しく、硬質で、心をかきむしられるように美しいピアノがあるのかと感じていた10代の気分を思い出した。

R.I.P.ミック・ロンソン

あの頃のクリス・スぺディングやジョニー・サンダースってどうしているのだろう?

グレン・マトロック
(C)2017 BESIDE BOWIE LTD. ALL RIGHTS RESERVED

★川野正雄

ミック・ロンソンのイメージって、自分の中でどんなものだったのだろうか。考えてみると、デビット・ボウイの横で、格好いいギターを弾く怪人みたいなギタリスト。まさにこの映画のタイトルそのものだった。
しかしミック・ロンソンについて、どれだけ知っていたかというと、それはかなり浅い理解であり、改めてミック・ロンソンの人生について、ボウイ以降の活動について知った次第である。
ミック・ロンソンについて語るボウイや、イアン・ハンター、リック・ウェイクマンに、アンジーやロンソンファミリーなど、興味深い登場人物が、次々に証言をしていく。
ドキュメンタリーとしては非常にオーソドックスな作りで、いささか単調でもあるのだが、
ミステリアスな存在であったミック・ロンソンの実像が解きほぐされていく展開は、非常に面白い。
ここには数多くの発見があり、彼のキャリアに対して、自分は数多くの見落としがあった。
リアルタイムに聴けたはずの作品が幾つもあり、気づかなければ、永遠にスルーしていたかもしれない。
最大の見落としは、ミック・ロンソンが、ソロアルバムをリリースしていた事である。
映画を見た後、早速Amazon primeソロアルバム『Play Don’t Worry』を聴いてみた。確か2枚目のソロアルバムだと思うが、これがとてもいい。
まずロン・ウッドや、ロニー・レインのソロのように、英国のギタリストらしいソロアルバムであり、彼の音楽的バックボーンの深さが伝わってくる。
ミック・ロンソンここにあり!と、叫んでいるようなアルバムである。
これはもっと早く聴いておくべき一枚だった。
後年モリッシーと組んでいた事も、初めて知った。80年代英国が生んだ最高のギタリストの一人ジョニー・マーとスミスで組んでいたモリッシーが、ミック・ロンソンに声をかけるというのは、自然の流れに思える。
トニー・ヴィスコンティも言っていたが、ギタリストだけではなく、偉大なプロデューサーにも、ミック・ロンソンはなれたはずだ。
自分の認識でボウイ以降の活動というと、ボブ・ディランのローリングサンダーレビューに参加していた事くらいしか知らなかった。ディランが座長として70年代中期に行ったこのツアーは、自分の中ではロック史上最高のツアーであり、近年マーティン・スコセッシのNetflix作品『ローリング・サンダー・レビュー』や、CDのボックスセットで、間近に聞けるようになった。
このツアーにミック・ロンソンは半分しか参加していないが、彼の存在でバンドサウンドは大きく変わる。しかしこの映画では、このツアーにはほとんど触れられていない。
英国内での活動に監督はフォーカスしたのだろうか。
ミック・ロンソンは、グラムロックを作った一人であり、もっと評価されるべき人であった。それはこの映画のメッセージでもあると思うのだが、1970年代という時代性と共に、改めて多くの人に知って欲しいアーチストであった。

イアン・ハンター
(C)2017 BESIDE BOWIE LTD. ALL RIGHTS RESERVED

★川口敦子

 うわっ、あのアンジーがみごとに大阪のおばちゃん化してる――なんて、いきなり愕然としたりする程度のボウイ・ミーハーとしては、ミック・ロンソンの軌跡と銘打たれたドキュメンタリーにもまずはボウイの軌跡こそを見ようとしてしまっているわけで、でも案外、このドキュメンタリー映画自体も“傍らの人”ロンソンに焦点を合わせようとしながらそうすることで結局はボウイ=メインマンという厳然とした事実を再認識させることになっているかしらと、ぼんやり意地悪く思ったりもした。

 もちろんジギー・スターダストはスパイダース・フロム・マーズなしにジギーたり得ず、ボウイもまたミックなしにボウイたり得なかった――と、いくつもの証言を集めて検証していく映画の、ミックに光を――との姿勢は伝わってくる。なるほどなあと興味をそそられる部分も多々ある。ボウイの傍らにいて、単にギタリストとしての才のみならずアレンジャーとして、プロデューサーとしてその音楽を作り上げていった、その意味で実はボウイとミックの共作とクレジットされるべき存在(という点では『Mank/マンク』でデヴィッド・フィンチャーが光を当てたオーソン・ウェルズ『市民ケーン』の脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツのことも思い出したくなる)と、そんな見方を監督ジョン・ブルワーが映画の芯にすえようと努める様に(生意気な言い方をすれば)好感も抱く。ただその主張がもひとつガツンと来る前に、ボウイ以後のミックの挿話がぱらぱらと始まって構成が些か散漫になってるのではと少しだけ歯がゆさを噛みしめた部分が正直言えばなくもなかった。

 BBキングやチャック・ベリーのドキュメンタリーをものしている監督ブルワーは、もともとロック界でマネージャーとしてキャリアを積んでいたひとり。YES、ミック・テイラー、ジーン・クラーク等々と共に初期のボウイと契約していたこともあるという。事の次第、その表も裏も知る存在と、ローリング・ストーン誌のインタビュー記事(2018年2月2日)は伝えている。そんな背景を持つブルワーの記録映画はそもそも、ヘア担当としてやはり最初期のボウイに協力したロンソン夫人スージーがボウイの死(2016年)の3年ほど前に亡き夫ミックとの思い出を語って欲しいと求めたことをきっかけに始動した。ミックの死から20年余りが過ぎていたその時点で映画化の可否をめぐってボウイには不安もあったようだがともかく回想談の録音に協力、それがスージーの所有する大量の映像資料と共に監督ブルワーの下に持ち込まれ、そうして成った映画ではスクリーン上に姿は見せないボウイによるナレーション然と件の録音も使われることになった。と、そんなふうにこのドキュメンタリーをめぐる旧友再会的なシチュエーションを踏まえてみると、アンジーのざっくばらんさも歳を重ねた余裕と貫禄のせいばかりでもないのかもとナットクがいくような・・・。それはともかくそうした経緯、そこに感知されるボウイ以下の旧友への思い。その眩しさ、涙ぐましさが感傷に堕すことなくミックに光をとの映画の主張を照射していく。していくけれど、記録映画としては先に触れた構成のゆるさのせいでもひとつ主張を主張し切れずにいるかなと、繰り返せば残念さも残る。

もっともがつんと主張し切らない映画の感触はミック・ロンソンという傍らの人のそれとも共振していそうで切り捨て難さが浮上する。今さらながらに確認すればボウイとはひとつの役割を脱ぎ捨ててまた次の役を演じていくパフォーマーに他ならず、ロックスターという役がら、そのひとつのフェーズが終われば脇役、サイドマンは容赦なく切捨てていく、そういう残酷さも鮮やかに身につけていてだからこそスターの質を全うし得たのではなかったか。そんなひとりに対し、ミックは英国北部の田舎町の庭師としてもしかしたら平穏に余生を送れたかもしれないひとりだった。そういう”いい奴″として、ブルワーの映画が光をあてるイアン・ハンターとの相性のよさはスリリングに迫ってくる。その意味ではモット・ザ・フープルの行路を振返るドキュメンタリー『すべての若き野郎ども モット・ザ・フープル』でイアン以外のメンバーがミックはだれとも口をきこうとしないと齟齬を語ってみせること、視点の異同がもたらすそのあたりの微妙なニュアンス、差違にもこの際、注目してみたい。

立川シネマシティ
7月8日(木)~11日(日)の4日間上映
SUGIZOさん+立川直樹さんのトークショー
8日(木)18:20~

『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』ゴスペルの神が降臨/Cinema Review-5

Cinema Review第5回は、『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』です。
2018年8月16日、惜しくもこの世をさってしまった「ソウルの女王」アレサ・フランクリンの1972年に教会で行われた幻のコンサート・フィルムが、49年と時を経てついに日本公開されました。1972年1月13日、14日、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われたライブを収録したライブ・アルバム「AMAZING GRACE」は、300万枚以上の販売を記録し大ヒットしています。
監督(撮影表記)は、『追憶』の名匠シドニー・ポラック。
撮影時のミスで、永らくオクラ入りになっていましたが、テクノロジーの進化により作品が蘇りました。
レビューは、映画評論家川口敦子、川口哲生、川野正雄の3名です。

2018©Amazing Grace Movie LLC

★川口哲生

アレサ・フランクリンの1972年1月13日及び14日、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われたライブを収録したドキュメンタリー映画。
アレサは1967年にキャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」1968年にバート・バカラックの「セイ・ア・リトル・プレイヤー」でヒットを放っているけれど、これらもアレサ流に十分ソウルフルではあるけれど、やはり白人層にも受ける、ラジオでもオンエアされる選曲だったのではないだろうか?それに対して、この映画が捉えている音楽はまさにsounds of blacknessという感がする。コール&レスポンスと後乗りの独特のハンドクラッピング、同年リリースのダニー・ハサウェイのライブアルバムでも感じた観客との一体感やサクラなのと思うぐらいの合いの手のかっこよさ。これは彼女が映画にも登場する宣教師の父の元、子供の頃から馴染んできたゴスペル、自分たちの魂の音楽を誰にも遠慮せずに歌う姿だと感じる。
クアイヤ・スタイルのゴスペルを確立したジェームス・クリーブランドのしゃべりや演奏、毛皮やスーツで熱い中でも登場するあの感じ、宣教師の父親のスピーチの独特の抑揚と間、ワッツ・タックスのコンサート映画でも観る今のブラックスタイルとは違うあの頃のキメキメなブラックスタイル、そしてダンス。全てがblack peopleによるblack peopleのための場だ。
それをアポロシアターでジェームス・ブラウン観ていたように、観に来ているミック・ジャガーには脱帽。監督は何故に、シドニー・ポラックなのか?
チャック・レイニーとバーナード・パーディのフンキーリズム隊も渋い。1日目はキャッチーな馴染みのある選曲、2日目はよりディープなゴスペル。どちらも若いアレサ・フランクリンのエネルギーが満ちていて必見!

2018©Amazing Grace Movie LLC

★川野 正雄
ライブ・ドキュメンタリー映画は世の中に数多くある。
好きなアーチストのライブには気持ちが高揚し、知らないアーチストを体験し、発見の喜びを感じる事もある。
同日に公開されたデヴィッド・バーンのライブ・ドキュメンタリー映画『アメリカン・ユートピア』も、感動的な作品である。
監督はスパイク・リー。ここでの感動は、表現者としてのデヴィッド・バーンの完成度の高さであり、そのメッセージに込められた意味合いに起因するものである。
映画の中で観客の存在感は薄い。それは際立っているステージパフォーマンスに、観客の視線を集中させる為なのかもしれない。
『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』から得られる感動は違う種類である。これまであまり感じたことのない強い共感性である。
演者と観客と会場が一体化することによって、大きなバイブスが生まれ、それが観る者の心を揺さぶる共感性に昇華しているのである。
アレサ・フランクリンを知らなくても、70年代のブラックミュージックを知らなくても、この映画のバイブスは、誰もが感じる筈だ。

僕自身は、もちろんアレサの事は知っているが、アルバムを多く持っているわけではない。
ライブ映像を見るのも、今回が初めてであり、このライブを収録したライブアルバムも聴いてはいなかった。
アレサファンというよりも、彼女が活躍した時代、60〜70年代のブラックミュージックファンであり、彼女の所属していたアトランティック・レコードのファンである。
とはいえ、『Think』『Chain of fools』『Respect』など好きな曲は多く、いずれも1960年代にリリースされており、一番好きな『Rock Steady』は、このライブの前年1971年にリリースされている。
アレサ・フランクリン正に全盛期の、教会という小箱のライブである。
監督はシドニー・ポラック。
シドニー・ポラックは、同じ時期に代表作『追憶』を撮っている。
改めて『追憶』を見直したが、完璧な演出のラブストーリーで、ここにも観客の心を揺さぶるバイブスが流れていた。
白人の人気シンガー、バーブラ・ストライサンドを、シドニー・ポラックは見事に使いこなしている。
全盛期同士のカップリング、最強のはずであった。
ワーナーが撮影するというアナウンスが流れるが、音声と映像のシンクロを失敗してしまう。
ライブ盤はコンプリートな物もリリースされているので、アフレコ的に作業を重ねれば当時の技術でも何とかなったように思うが、作品は長年オクラ入りであった。
アレサ自身は完成を望まなかったという話もあるが、現代のテクノロジーで、幻の作品は蘇った。

オープニングに登場したアレサの表情は、緊張しているようだった。
そして1曲目のパフォーマンスは今ひとつしっくりいないように見えた。
いつもと違う教会でのライブ。
しかし2曲目からアクセルが高回転になっていく。
教会でも構わず、どんどんグルーヴも増していく。
そしてアレサの汗もどんどん増えていく。
狭い教会での観客との一体感がすごい。
この時代のソウルミュージックのライブは、こんなにもエモーショナルなのか。
観客のダンスも、バッチリキメたスタイルも、完璧だ。
客席にはミック・ジャガーとチャーリー・ワッツの姿も。
1972年ローリング・ストーンズは、『メインストリートのならず者』をリリースし、ツアーを敢行。更にジャマイカに渡り、『山羊の頭のスープ』のレコーディングに入る。
そんな多忙な1年の初頭に、ミック達はこの場を訪れているのだ。
途中アレサの父親も登場し、このライブの意味合いを誰もが共有する。
益々パワーアップするアレサのパフォーマンス。
狭い教会の中で、アレサの歌は、天使にも神にも聴こえてくる。
アレサの歌に涙ぐむサポートメンバー達。
思い思いの態度で、エモーショナルに感情を表現するメンバー達。
今の時代では体験できない素晴らしい瞬間である。
音楽って素晴らしい。
改めて感じた。
ライブがなかなか体験できない今の時期、ライブの素晴らしさを改めて痛感した。

2018©Amazing Grace Movie LLC

★川口敦子

「この映画を見ることはスピリチュアルな、宗教的な体験だ」(nonfiction.com12/8/2018)――1972年に撮影されてから2018年、オスカーレースをにらんでのNY限定公開、そして翌年4月の米一般公開までほぼ半世紀近くもお蔵入りとなっていた『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』、その内輪向けの試写でホストを務めたスパイク・リーの発言にまさに! と、映画を見ながら味わった興奮を重ねていた。同時にリーが監督作『アメリカン・ユートピア』のコーダとしてデトロイトの高校の聖歌隊の面々の喜々とした歌声をフィーチャーしていたことも思い出され、ゴスペル(福音)のルーツに立ち戻ったアレサ・フランクリンの教会でのコンサートに満ちていく高揚感との共振を改めて嚙みしめてみたくもなった。嚙みしめながらこの圧倒的な快作が日の目をみずに葬られかけたこと、なぜ、どうして? と、その経緯と背景への興味もむくむくと頭をもたげてきたのだった。

まずは時代のこと。72年1月に2晩にわたって行われたコンサート、その会場となったニューテンプル・ミッショナリー・バプティスト教会がLAのワッツ地区にあったという点にはやはり注目してみたい。なにしろそこは65年、白人ハイウェイ・パトロールが黒人青年とその親族を不当に乱暴に扱い逮捕して勃発した一週間に及ぶ暴動の舞台に他ならず、それを端緒として差別に対する火の手が全米に広がることにもなった、要は公民権運動の熱い盛り上がりをリマインドさせずにはいない場所なのだから。暴動の記憶がまだまだ生々しく燻っていたはずの72年、その時空を思ってみるとフランクリンの、聖歌隊の、熱唱に息づく祈りの心が空気を染め上げていく様にいっそう胸打たれる。
いっぽうで、そんな霊的、宗教的イベントにも音楽、映画業界それぞれのコマーシャルな欲望が食い込んでもいたこと、それもまたいつの時代にも共通する苦い現実として見逃すわけにはいかない。ソウルの女王フランクリン絶頂期のコンサートをライブアルバムにするいっぽうで『モンタレー・ポップ』『ウッドストック』と往時、大ヒットを飛ばし、文化的現象ともなっていたコンサートの記録映画、そのアレサ・フランクリン版でまたヒットを、との思惑がハリウッドに渦巻いていたのもまた事実だろう。

フランクリンが移籍していたアトランティック・レーベルを傘下に収めたワーナーの重役テッド・アシュリーが製作を務め、ピンク・フロイドのドキュメンタリーを手掛けたジョー・ボイドが実作面の協力者として名を連ねて始動したフランクリンの映画プロジェクト、その監督として当初、ボイドは二本立上映を予定していた『スーパーフライ』(こちらも当時のトレンドのひとつだったブラック旋風映画の代表格)の撮影監督ジェームズ・シニョレッリ(「サタデー・ナイト・ライブ」に参画、ときくとベル―シ+エイクロイドの『ブルース・ブラザース』のこと、そこにフランクリンも登場していたなあなどとつい、脱線したくなるのだが)に白羽の矢を立てていたという。ところがボス、アシュリーは『ひとりぼっちの青春』でオスカー候補となり、レッドフォード主演の『大いなる勇者』を次回作に控える注目の監督シドニー・ポラックの起用を決めてしまう。『追憶』『コンドル』と続くレッドフォードとのコンビ作、あるいは『ボビー・ディアフィールド』と、ポラック監督作の面白さは今、もっと見直されてもいいと常々思っているのだが、72年の時点でその”話題の人″ぶりに目を奪われたスタジオの製作の判断は些か問題だったかもしれない。
ドキュメンタリーの経験のないポラックの下、集められた4,5人の撮影スタッフは16ミリフィルムを思う存分回し続け、臨場感あふれる映像を掬い取った。が、ロールごとに音声とのシンクロのためのカチンコの目印を入れるのを怠るという致命的ミスを冒してしまった。それでも時間が十分にあれば手作業でシンクロ作業を続けることも不可能ではないはずと、知人の記録映画制作会社元スタッフは語ってくれもしたのだが、それをするより『大いなる勇者』のお披露目上映のためカンヌに行くことをとったポラックにはその後も新作が続き、ボイドとの連絡が途絶え、フランクリンのコンサートを収めたフッテージはスタジオの倉庫で眠り続けることになったのだった。ポラックを責めるつもりはないけれど、俳優修業から監督に進出した彼にはドラマへの興味、その分野の演出力はあっても『ウッドストック』で製作助手のみならず編集も務めたスコセッシの場合のように音楽、そしてコンサート・フィルムに対する意欲や技術を存分に持ち合わせてはいなかった、といった事情もなくはなかったかもしれない。

その後の紆余曲折をかいつまむと、アトランティックでフランクリンのプロデューサーを務めたジェリー・ウェクスラー、彼の下で働いていた青年アラン・エリオットが90年前後、お蔵入りとなった映画のことを聞いて以来、発掘、復活に向け繰り返し私財を抵当に入れての努力を続けた結果、『アメイジング・グレイス』の感動が世界に解き放たれることになる。
その途中で他ならぬフランクリン自身による上映阻止の訴訟が一度ならず起こされもした。それは映画界でもスターにというソウルの女王の夢を打ち砕くことになった撮影後の顛末にフランクリンが深く傷つき怒ったからだろうと、エリオットはコメントしている。いっぽうでがんで逝去する間際、ポラックとコンタクトを取ったエリオットは彼が映画の完成に心を砕き、スタジオと交渉もしてくれた、共に完成に向けてアイディアを練り、女王と聖歌隊をあのワッツ地区の教会に再び招いて映画のエンディングにするといった案も飛び出していたのだと明かしている。極言すれば一度はキャリアのために完成を待たず放り出したプロジェクトへの後悔か、罪の意識か、監督ポラックのクレジットを同作から取り去るようにと逝去後、家族を通じてエリオットに要請されたという。また一時はドキュメンタリー『ブロックパーティ』(スタンダップ・コメディアン デイブ・シャペル発案のブルックリンでのライブ・イベントを記録)の腕を買われた監督ミシェル・ゴンドリーが協力、スケジュールの都合で離れた彼の推薦で編集のジェフ・ブキャナンが完成をめざしての作業で尽力したともエリオットは述懐している。

大急ぎで振り返ってみると映画の復活に向けてのドラマで新たな映画ができそうだが、そんな背景を知るにつけ歳月を経て届けられた映画、銀幕に刻まれたフランクリンの熱唱にいっそう深く神の恩寵とも呼びたいようなものを感じたくもなってしまう。

撮影:シドニー・ポラック『愛と哀しみの果て』 映画化プロデューサー:アラン・エリオット
出演:アレサ・フランクリン、ジェームズ・クリーブランド、コーネル・デュプリー(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、ケニー・ルーパー(オルガン)、パンチョ・モラレス(パーカッション)、バーナード・パーディー(ドラム)、アレキサンダー・ハミルトン(聖歌隊指揮)他
原題:Amazing Grace/2018/アメリカ/英語/カラー/90分/字幕翻訳:風間綾平 /
2018©Amazing Grace Movie LLC 配給:ギャガ GAGA★ 公式サイト
5月28日より、全国順次公開中です。