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ホン・サンスワールドを堪能する2作品同時公開『イントロダクション』『あなたの顔の前に』/Cinema Review-14

© 2020. Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved

映画を複数視点で解題するセルクルルージュのCinema Review第14回は韓国の鬼才ホン・サンス監督の2作品です。
ホン・サンスはセルクルルージュでもこれまで2回取り上げていますが、世界中で評価の高い韓国の名匠です。
”動”のポン・ジュノに対して、”静”のホン・サンスという立ち位置で、特にヨーロッパで圧倒的な支持を得ています。
第71回ベルリン国際映画祭銀熊賞(脚本賞)受賞『逃げた女』に続くホン・サンス監督の長編25作目『イントロダクション』。長編といっても66分の作品です。
『イントロダクション』と同じく2021年に発表し、カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクションに出品された長編26作目『あなたの顔の前に』。こちらは85分と、程よい尺の作品です。
この2本の同時公開に合わせて、映画評論家川口敦子と、川野正雄のレビューでご紹介致します。

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★川口敦子

 小春日和のある日、ガールフレンドと坂道の途中で別れると父の韓方医院へと導く階段を上った。久々の訪問に看護師は懐かしいと満面の笑みで迎えてくれた、話があると疎遠の僕を呼び出した父は施療に忙しく、ほったらかされた僕は簡素な待合室のソファで退屈をもうしばらく持て余している。お茶のおかわりはと扉から顔をのぞかせた看護師のいうことには、撮影帰りに寄ってみたと父の下にふらり現れた客人は、演劇界の重鎮俳優とのことで、予約なしの彼に父は鍼を打ってやっているらしい。
 待ちくたびれて煙草を吸おうと表に出たら雪だった。さっきまでの晴天が嘘みたいだ。舞う雪を眺めていると看護師が寒そうにカーディガンの前を合わせながら脇に並んだ。
「ずっと前、私になんていったか覚えてる?」「”愛してる″って、そういったわ」
いきなり昔のことをいわれてどぎまぎし、でもその頃の思いがふっとこみあげてきて気づいたら僕の肩先くらいまでしかない小さな彼女を抱きしめていた。若かった頃の、ちょっと憧れていた年上の彼女を思ったら「やつれたね」「ずいぶんやせたね」なんて心無い言葉が口を突いて出た。居心地悪さと懐かしさとが溶け合ってなんだか時が止まったように感じられもしたけれど、相変わらず雪は舞い、寒気が気持ちよく頬にささる。そんな午後、世界を新しくする雪の前で彼女と僕はしばらくじっと言葉もなく白さに見惚れ、立ち尽くしていた――。

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――なんて、ホン・サンス25本目の長編『イントロダクション』の、美しくそぎ落とされたモノクロームの時空を思い返しつつ、3つのパートから成る映画の最初の挿話を書き起こしてみると、銀幕上でいっそそっけなく素描のように展開されていた、ことの次第が意外なほどの奥行を伴って私なりの物語りを語り始めていることに驚き、ほうっとため息つきたくなるような感慨にとらわれた。
実際、久々に人と人とが再会し、ぽつぽつと他愛のない言葉を交わし、お茶をのみ、煙草をすい、降る雪を見る。そんな束の間に起きたこと、なされたこと、語られたことを坦々と並べただけとも映るホンの映画、確かにそこで人と人とはいきなりハグしたりもするけれど、だからといって劇的なドラマが繰り広げられるわけでもなく、ああ、そんな日もありき、寒い寒い日なりき――みたいな懐かしさをさらりと置いて次の挿話に進んでいく、ただそれだけと見える彼の映画がしかしただそれだけでは済まない豊かで芳醇な感情のドラマを、見る人それぞれに沈殿させているようなこと。その凄みに改めて撃たれずにはいられなくなる。
3つめの挿話まで見終えてみると、開巻部でセカンドチャンスをと祈る父、その彼の下を突然、訪れた俳優、その俳優に息子の将来に関する助言をと酒を酌み交わしつつ求める母、そんな酒席のいたたまれなさに席を立つ息子、波打ち際で死のうと思ったと彼にほほ笑む元恋人(の夢)――と、反芻するほどに壊れた家族や壊れた恋、将来への空しい夢といった広がりが坦々の向こうに浮上してくる。そんな物語の深度、その興味深さとそんなスリルをどこまでもシンプルに語り切る監督の話術の妙に気づいてもう一度。しみじみため息つきたくなってくる。さりげなく深い世界にさらに惹き込まれる。

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反復とずれの話術を鍛え構築されてきたホン的世界の美しい単純さと豊かさとをそうやって『イントロダクション』で嚙みしめた直後、差し出された『あなたの顔の前に』、そこで切り拓かれた新たな位相、静かな跳躍は、ホンの世界のさらなる到達点を鮮やかに示唆してみせる。アメリカ帰りのヒロインの一日、”心の旅″、祈りの時空としての現在――。一見、平和な日常がくわえ込んだドラマを知らん顔を通すことでスリリングに開示していく映画は、未然形のロマンスの背中をみつめる雨の裏通りの一景では一瞬、ウォン・カーウァイしていると海外紙の評者をくらりとさせたりもしてみせる。全編に立ち込めていく明澄な懐かしさは生/死と対峙して心地よく生きることをめざしてきた監督が踏み入った、目の前の世界をありのままに受け容れる清新な境地、その澄んだ強度を響かせて生き生きと輝き、そうして次の一作を(実は既に完成ずみなのだが)待ち遠しくさせるのだ。

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★川野正雄

ホン・サンスの作品の魅力を言語化する事は難しい。
セルクルルージュでもこれまで2回ほどホン・サンスを紹介しているが、毎回どのように作品を伝えるべきか、悩んでしまう。
他の韓国の監督作品のように、次々に事件が起きるわけでもなく、感情が激しくぶつかり合うシーンが連発するわけでもない。
ほぼ淡々と進みながら、小さな仕掛けがあり、観客は徐々に事態を理解していくが、与えられる情報量は少なく、余白の多い作品になっている。しかし決して退屈なわけではなく、むしろ見終わるとすっかりホン・サンスワールドにハマってしまうのが常だ。
今回の2本も、正にホン・サンスワールドだが、趣は微妙に異なっている。
モノクロームで3つのエピソードから成る『イントロダクション』は、これまでのホン・サンス作品路線である。
相変わらず説明や情報は少ない。観客は頭の中で時系列を整理する必要がある。
冒頭若者が父親の病院を訪問した際、看護師が素敵な笑顔で応対する。後程その笑顔の理由は明らかにされるが、周辺の事情は最後まで明らかにされず、観客はその隙間を自らの想像力で埋めていくしかない。
若者が俳優を生業にしている事が、徐々に明らかになる。
第2話はベルリンでの情景。常連のキム・ミニがサラッと登場するが、存在感が薄い扱いである。
第3話ではホン・サンス名物の、長回し食事シーンが登場する。恩人との会食だが、珍しく感情的な場面が生まれる。
細かな人の出入りも含めて、観客はこの会食に同席しているような気分になる。この会食のシーンが作品のクライマックスである。

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『あなたの顔の前に』は、これまでのホン・サンス作品とは少し違う。淡々と進むのは変わらないが、徐々にドラマティックな展開になってくる。
時々素晴らしい表情を見せる妹とのやり取りから始まるが、ここが本筋ではなかった。
主役は『イントロダクション』同様俳優であるが、女優である。
クライマックスはこちらも食事のシーンである。相手は映画監督である。お店の予約の変更から始まる小さなズレが、会食の冒頭から感じられる。
主役のイ・ヘヨンは徐々に顔も赤くなり、明らかに酔った風情になっているが、会話はどんどんスリリングになってきて、ドキドキする。
言語化すると陳腐になってしまうのだが、この会話だけで緊張感を上げていく手法は、ホン・サンスならではの素晴らしい演出である。
そして『イントロダクション』では埋めなかった物語の余白が、この作品では埋められていく。ここがこれまでとは違う変化であり、次にどこに向かっていくのか、非常に気になる。
終盤にはこれまでのホン・サンス作品ではあまり語られなかった人間の根源的なテーマにも踏み込んでいる。
今年のベルリンで銀熊賞を獲った新作も早く見てみたい。
多作でありながら、微妙にさじ加減を変えて進化していくホン・サンスを知るには、最適の2本である。

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『イントロダクション』
監督・脚本・撮影・編集・音楽:ホン・サンス 
出演:シン・ソクホ、パク・ミソ、キム・ヨンホ、イェ・ジウォン、ソ・ヨンファ、キム・ミニ、チョ・ユニ、ハ・ソングク
2020年/韓国/韓国語/66分/モノクロ/1.78:1/モノラル
原題:인트로덕션 英題:Introduction 字幕:根本理恵 配給:ミモザフィルムズ
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『あなたの顔の前に』
出演:イ・ヘヨン、チョ・ユニ、クォン・ヘヒョ、シン・ソクホ、キム・セビョク、ハ・ソングク、ソ・ヨンファ、イ・ユンミ、カン・イソ、キム・シハ
2021年/韓国/韓国語/85分/カラー/1.78:1/モノラル
原題:당신 얼굴 앞에서 英題:In Front of Your Face 字幕:根本理恵
配給:ミモザフィルムズ  © 2021 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved
【公式サイト】http://mimosafilms.com/hongsangsoo/

ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開中

ロマン・ポランスキー入魂の冤罪歴史劇『オフィサー・アンド・スパイ』/Cinema Discussion-45

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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第45回は、アカデミー賞監督賞受賞『戦場のピアニスト』ロマン・ポランスキー監督の最新作、歴史的冤罪事件“ドレフュス事件”を映画化した『オフィサー・アンド・スパイ』です。
第76回ベネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員大賞)を受賞。様々な議論を巻き起こしたフランスでは、第45回セザール賞で3部門 (監督、脚色、衣装) を受賞し、No.1大ヒットを記録しています。
出演は『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダン、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のルイ・ガレル他フランスを代表するキャストが集結。
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

★『オフィサー・アンド・スパイ』は19世紀末、フランス社会を揺さぶった冤罪事件:ドレフュス事件を扱っていますが、『ゴーストライター』でもポランスキーと組んだロバート・ハリスが企画から映画化実現まで難航する間に原作を書き、今回もポランスキーと共同脚本を手掛けています。単なる実話映画に止まらない面白さのもとはどのあたりにあると思いますか?

 川口敦子(以下A):ドレフュス事件の核心にいた冤罪の被害者アルフレッド・ドレフュス大尉、ユダヤ人への差別の根づいた時代と社会の生贄となった存在をいっそ脇に置いて、事件の真相解明に乗り出す”探偵″役として彼の元教官で情報局の防諜責任者に任命されたピカール中佐を物語の軸にすえ、自らもユダヤ人への偏見を持ちながら、正義のために立つひとりの孤立無援の闘いを追う政治スリラー仕立てとしてみせたこと。『ゴーストライター』のコンビならではのスリリングな展開で観客の興味を惹きつけながら、社会への批判をじわじわと開示していく、そのストーリーテリングの妙に映画の勝因があると、つくづくハリス+ポランスキー組の底力を今回も嚙みしめました。

 『戦場のピアニスト』以来、ポランスキー映画のルックを支えて来た撮影監督パヴェル・エデルマンとのコラボレーションも見事です。『戦場のピアニスト』でも『ゴーストライター』でも印象的だった鈍色の空、今回も冒頭のドレフュスの軍籍剥奪の無残な経緯をその鉛色の重い空の色がいっそう厳しく胸に食い込ませる。だだっ広い陸軍士官学校の校庭に寒々しく立つひとりを広角の構図で距離を保ちつつみつめてみせる、そうやって無闇な感傷や情感を排することで冤罪事件の背後にあった人心の偏りがより痛烈に印象づけられる。ここにも作り手たちの確かな話術が感知されますよね。

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川野正雄(以下M):10数年に一度ポランスキーが作る大作として、まずは捉えています。本人の企画でもあるようなので、全編にポランスキーならではの緊張感と、ストーリーテングが溢れています。
ユダヤ人への差別的行為を描いたという意味では『戦場のピアニスト』と同列に語るべき作品と思いますが、フランス軍の冤罪事件という事で、馴染みのない題材ではありました。しかし冒頭からそんな心配を吹き飛ばすような、法廷や軍隊の緊張感が登場します。
ポランスキー作品というと、『反撥』『赤い航路』『袋小路』『おとなのけんか』など、悪意や意地悪さを表現するのが素晴らしい印象があります。
この作品の中でも、フランス軍のユダヤ人への目線は悪意が溢れており、皮肉さや虚無感含めてポランスキーらしさを随所に感じました。
同時に大作的なモブシーンや、スペクタクル感もあり、映画作品としての完成度も完璧ではないかと思います。
ポランスキー作品としては比較的普通の映画になっており、その演出力のリアリティと、ドラマティックな展開で、より多くの方が満喫できる作品でもあると思います。

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★ポランスキー監督作とはこれまでどんなふうにつきあってきましたか? 今回の映画はその中でどんなふうに位置づけますか?

A: 中学生の頃、その映画を見るより先にマンソン・ファミリーによる愛妻シャロン・テート惨殺事件でポランスキーの名を覚えたんじゃなかったかな。もちろん『ローズマリーの赤ちゃん』もありましたが実際に見たのはしばらく後のことで、多分、『マクベス』がリアルタイムに映画館でみた初めてのポランスキー映画だったと思います。公開当時の評では殺害事件のトラウマもあってシェークスピアの原作を血塗られた暴力描写で映画化と言われていて、確かに血のイメージが色濃くありましたが、主演のジョン・フィンチと共にその危なさがセクシーみたいに生意気盛りの小娘には感じられたなあ。しばらく再見していないので今、見たらどんなふうに見えるのか、再見の機会を探したいですね。これ以前に撮っていたシャロン・テートとポランスキー本人が共演している『吸血鬼』も名画座で見たのですが、強迫的な笑いが好きでした。で、後にカンヌで『未来は今』の取材のランチでコーエン兄弟のイーサンがこの『吸血鬼』を筆頭にポランスキー映画が好きと発言、ジョエルもうんうんと同調してたんですが、つい最近、ジョエルが単独で『マクベス』を撮っているのを見て、独自の世界を耕しているなあと思いつつも、やっぱりポランスキー、どこかで意識しているのかしら、好きといったのは本当だったのね、と懐かしいようなうれしい気持ちになったりもしたのでした。

 でも振り返ると公開と同時に見て、その後もいちばん繰り返し見ているのが『チャイナタウン』なんですね。ただれた父娘関係もあり、ジャック・ニコルソンとフェイ・ダナウェイのロマンスのハードボイルドと30年代回顧趣味のナイスな調和ぐあいもありとお愉しみは満杯なんですが今回の『オフィサー・アンド・スパイ』を見て改めて思い返すとLAの土地と水をめぐる権力側の腐敗を探偵が回り道しつつ明かしていくという『チャイナタウン』の構図、面白味ともちょっと通じているんじゃないでしょうか。サスペンス・スリラーを操る話術の醍醐味という点では『ゴーストライター』にしても『告白小説、その結末』にしても、はたまたちょっと違うみたいだけどポーランド時代の『水の中のナイフ』にしても倦怠期中年カップルと拾われた青年の密室的ヨット上の一昼夜の力関係の二転三転をめぐるはらはらドキドキだって同じ糸で結ばれているようで、やっぱりポランスキー、スリルとサスペンスの名手といいたくなるんですよね。

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M: 私も劇場(みゆき座かな)で『マクベス』見ました。確かプレイボーイプロダクションの第1作で、その辺の関係は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にも描かれていますね。サードイヤーバンドのサントラも買いました。
最初はテレビで『吸血鬼』を見ました。アニメの使い方とブラックコメディな部分がとても面白く、確か名画座で『ローズマリーの赤ちゃん』も見ました。『マクベス』とどっちが先かは覚えていませんが、その頃からポランスキーは特別な存在になってきました。
それまでは割とおどろおどろしい作風のイメージがありましたが。『チャイナタウン』は私も劇場で見て、その後も数回見ています。ハードボイルドという好きなジャンルですが、一番好きな作品です。ジャック・ニコルスン、フェイ・ダナウェイという2大スターの使い方も素晴らしかったと思います。
その時期から今日まで自分の中ではポランスキーは最も好きな監督という存在です。
2007年カンヌ映画祭に参加した際、60回記念短編映画集である『それぞれのシネマ』の集合フォトセッションの風景を見かけました。
クロード・ルルーシュ、ヴィム・ベンダース、北野武に、マイケル・チミノまで36人の監督が集まってきましたが、ポランスキーだけ姿を現さず、他の監督を長時間待たせていました。記者会見も「何語で話せばいいんだ」と怒り出し退席と、やりたい放題でしたが、名監督達もポランスキーには一歩下がったリスペクトの姿勢で、強烈な存在感でした。まあこれがポランスキーなんだなと妙に納得しました。
ホロコーストで家族が奪われ、有名になると妻シャロン・テートの惨殺に逮捕と、人生の中での最悪の場面を数々経験してきたポランスキーには、他者への遠慮や気遣いなどは、必要がないのだなと実感しました。
1972年モナコグランプリでのジャッキー・スチュワートを描いた『Weekend of a champion』というぽランスキー製作のドキュメンタリー映画があるのですが、その最後はポランスキーとジャッキー・スチュワートが映像を見ながら当時を回想する対談になっています。
その中でポランスキーは、作品にも登場するF1ドライバーフランソワ・セベールの事故死により、急激にF1への関心が無くなったと語っています。
ポランスキーは通常の人間には考えられないくらい非業の死と隣接しており、その中で生まれてきた我々には想像できない思いが、創作のエネルギーになっているのではないでしょうか。

ポランスキー作品を語りだすとキリがないですが、前作の『告白小説、その結末』も、ポランスキーらしい意地悪な作品で、とても良かったです。ダークな暗闇に近い題材と、エンターティメントとしての面白さ、その両立がポランスキーの真骨頂と思います。
今や88歳ですが、いつまでも刺激的な作品を作って欲しいです。

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★キャスティングに関してはどんなふうに?

 A:まずドレフュス役のルイ・ガレルに驚きました。最初のうちは殆ど彼だと気づかないままに見てました。ポール・トーマス・アンダーソンの会心の新作『リコリス・ピザ』にヒロインの鼻をめぐって素晴らしくユダヤ的って台詞が出てくるんですが、ガレルの鼻も負けてませんね。
 相変わらず頑張っているポランスキー夫人エマニュエル・セニエも余裕が味わい深い大人の女性っぶりでいいんですが、忘れたくないのが真相解明をなんとか阻止せんと暗躍する軍上層部や情報局の面々、憎たらしさを素晴らしく卑小な表情に息づかせていて、思わず握りこぶしを固めてしまいました(笑) あとメルヴィル・プポー、マチュー・アマルリックと、もはや中堅となったルイ・ガレル世代の元青年俳優たちの登場にもにやりとしたくなりました。

M:私もルイ・ガレルは最初わかりませんでした。全く違うイメージです。
エマニュエル・セニエは『告白小説、その結末』に続いて、存在感ありますね。
見ていて握りこぶしを固める〜よくわかります。保守派上層部への怒りが、見ながらどんどん湧いてきました。この辺の観客の感情のコントロールも、ポランスキーは円熟の演出ですね。

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★この映画のメッセージ、現代性に関してどんなふうにうけとめましたか?

M:最近ポランスキーが出演していたアンジェイ・ワイダ監督の『世代』を見ましたが、やはりポランスキーのファンデーションは、この辺にあるのではないかなと思います。『世代』もレジスタンス的な作品ですが、ポーランド人の中にあるユダヤ人への感情が微妙な描写もあります。同じくポランスキーが出演した『地下水道』も含めて、社会的なメッセージとスリルの両立が素晴らしいワイダ作品ですが、ポランスキーにかなり受け継がれており、特にこの『オフィサー・アンド・スパイ』は、近いコンセプトがあるのではないでしょうか。
先程も言いましたが、幼年時代のホロコーストに始まり、シャロン・テート事件や逮捕、拘束などの体験の集大成が、この作品ではないかと感じています。
そして魔女狩り的冤罪事件というテーマが、ポランスキー自身が抱えている問題ともつながっているように感じています。

A: 作品そのものとは離れてしまうのですが、ヴェネチア映画祭、セザール賞での『オフィサー・アンド・スパイ』への授賞をポランスキーの過去の問題に絡めて抗議する動きがありましたよね。#ME TOO以降の風潮の中で、でも作品そのものが見られなくなってしまうのはどうなのかなあ。ウディ・アレンの場合もそうだったのですが作品と作り手、どう線引きするか、考えないと――。

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監督:ロマン・ポランスキー 脚本:ロバート・ハリス、ロマン・ポランスキー 原作:ロバート・ハリス「An Officer and a Spy」
出演:ジャン・デュジャルダン、ルイ・ガレル、エマニュエル・セニエ、グレゴリー・ガドゥボワ、メルヴィル・プポー、マチュー・アマルリック他
2019年/フランス・イタリア/仏語/131分/4K 1.85ビスタ/カラー/5.1ch/原題:J’accuse/日本語字幕:丸山垂穂 字幕監修:内田樹
提供:アスミック・エース、ニューセレクト、ロングライド 配給:ロングライド    
『「オフィサー・アンド・スパイ』公式HP
6月3日よりTOHOシネマズシャンテ他全国公開中