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『モリコーネ 映画が恋した音楽家』巨匠の創作の真実を見つめる/Cinema Discussion-49

©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras

公開映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2023年最初になる第49回は、イタリアが生んだ映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネのドキュメンタリー『モリコーネ 映画が恋した音楽家』です。
モリコーネはすでに亡くなっていますが、貴重なインタビューの数々で、今まで知らなかったモリコーネの素顔が浮き彫りになります。
監督は『ニューシネマパラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレです。『荒野の用心棒』に始まる彼の映画音楽の数々も聞けるエンターティンメントなドキュメンタリーです。

今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

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川口敦子(以下A)
モリコーネと言えばやはりセルジオ・レオーネとのコンビ作、マカロニ・ウエスタンのイメージがまず浮かんでいたんですが、あるいはまた国際的な活躍という面も印象に刻まれていましたが、この映画を観ているとイタリア映画史を音楽でその双肩に担ったといっても過言でないような、イタリア映画における存在の偉大さに改めて気づかされましたね。パゾリーニからコルブッチ、ベロッキオと一筋縄ではいかない面々に一筋縄ではいかない音楽を提供していたんだと。国外での活躍はもちろんですが、むしろ難しそうな自国内でのキャリアの充実ぶりに圧倒されました。才能の幅広さと同時に人と組むその、なんというか間口の広さというとちょっとネガティブな印象になってしまうかもしれませんが、そうではなくてうまく監督の才能を受け容れ活かす柔らかさもまたモリコーネというアーティストの才能だったんだなと、人間的な大きさのことも思いました。

川野正雄(以下M)
モリコーネは好きな映画音楽家で、何枚もサントラ盤を持っていますし、楽曲集も持っています。
フランシス・レイ、バート・バカラック、ミッシェル・ルグラン、ニーノ・ロータといった他の映画音楽の巨人に比べると、一番男性的なテイストを感じるのがモリコーネです。
ともかく作品数が多い印象で、この作品でも日本未公開作品が多く出てきましたが、作品集を聞いても、結構知らない作品も多かったです。
思いや評価という意味では、映画でも出てきた大好きな旋律、メロディを聴いただけで胸が高鳴る作品が、なんと多いのだろうと思いました。
『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『シシリアン』『アルジェの戦い』、いくらでもタイトルが挙がりますね。
それと楽器の繊細かつ念密な使い方。これは映画を観るまでは漠然と聴いていましたが、計算し尽くされているのだなと、改めて感嘆です。

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★映画はモリコーネという人間にも迫っていきますが、その部分で印象に残ったことは?

M:自分の知識的には、楽曲以外の情報はほぼ皆無という状態でしたので、驚きの連続でしたね。特にセルジオ・レオーネが偶然小学校の同級生だったというのは、人間の因縁というか、運命を強く感じました。
最初は彼の中では、映画音楽家になるのは、決して本意ではなかった。更にマカロニ・ウエスタンの作曲家としか見られない事も本望ではなかった。そんな中から、自分の歩むべき道をしっかりと確立していく。これは素晴らしいサクセスストーリーでもあるなと思います。意外とアカデミー賞をすごく気にしていて、そういう俗人的な一面も微笑ましかったです。

A:最初の答えとも通じるんですが少し懐かしいイタリア映画の家族を大事にし、父を尊敬する息子という典型像が重なってくるようで、父の病気で家族を支えるためにトランペットを吹く仕事を心ならずもすることになり――といった若き日の挿話はなんだかデシーカとかズルリーニ、ボロニーニとかの映画になりそうじゃないですか? そこに妙に感動してしまいました。
 そんな印象は何度か登場してくる手書きの楽譜、アナログな作業ぶりとも共振していくんですね。映画音楽の一方で常に師ペトラッシの存在を仰ぎ、古典的音楽世界をもにらみ、そこに身を置く努力を怠らない。そういう真面目さ、勤勉さ、けなげさみたいなものにもついつい目がいってしまいました。何度目かの候補になったオスカーを『ラウンド・ミッドナイト』のハービー・ハンコックや『ラスト・エンペラー』の坂本龍一等にさらわれての落胆ぶり、引退まで考える、そのあたりにも生真面目な性格が窺えて興味深かったですね。そのくせ臨機応変な閃きで型破りな発想もしてみせる。いままで知らなかった人間の部分に映画が光を当ててくれたおかげで、彼の参加した映画音楽の奥行が見えてくるような、そんな印象も持ちましたね。

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★映画音楽だけでない音楽家としてのモリコーネ、その音楽については?

A:正直いって映画音楽以外の彼の活動についてはこの映画で知った部分の方が多いのですが、キャリアの初期にアレンジの才能を発揮して、チェット・ベイカーに指名されたりもしたんですね。ただ個人的にはやはり映画あっての映画音楽、そこで輝くモリコーネ、その音楽という部分がある、そこはこの映画を観るとモリコーネにとっては不本意なのかもしれませんが、なかなかこちらも譲れないなあ、なんて(笑)

M:僕もほとんど映画以外の活動は知りませんでした。本格的にクラシック畑の人だったというのも、初めて知りました。映画の中でも出てきますが、モリコーネの曲自体が100年後とかにはクラシックに必ずなっていると思います。
そういう意味では、ショパンとかモーツァルトとか、現代におけるそういう領域の巨人だったのだという認識も改めて出来ました。
一昨年になりますが、ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀が国葬級で、モリコーネが作曲した『プロフェッショナル』のテーマが演奏されていました。日本では馴染みの薄い作品ですので、フランスでの作品の存在感の違いを知ると共に、モリコーネの素晴らしい旋律が焼きつきました。
アーチストとしての格が、私の想像を遥かに超えた位置にあるのだと実感もしました。そういう意味では大河ドラマ『MUSASHI』のテーマ曲をやった事は、NHKとしては、大チャレンジだったのだなと思います。
作品自体の出来も今ひとつで、黒澤作品盗用問題で、大河ドラマの歴史の中で闇に埋もれた作品になってしまったのが、残念です。この作品に参加した考えについて、モリコーネの感想も聞いてみたかったです。

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★スリリングなコメンテイターのスリリングな証言が目白押しですが特に誰のどんなコメントにぐっときましたか?

A:コメントそのものもなんですがモリコーネのこと、彼と組んだ自作について語る時のベルトルッチやタヴィアーニ兄弟の心の底からの笑顔、素敵でしたね。その顔をみると、その映画とその音楽の美しい伴走ぶりをもう一度、確かめたいと、実際、ここに登場してくる映画それぞれを、断片としてじゃなく全編を見直したいと何度もそわそわした、そこがこの映画の一番の魅力ともいえるんじゃないでしょうか。

M:個人的にはクラッシュのポール・シムノンです。クラッシュ日本公演は、『夕陽のガンマン』のテーマ曲をオープニングに使っていました。その選曲はドラムのトッパー・ヒードンだったと読んだ記憶がありますが、ポール・シムノンもモリコーネ好きだとは知りませんでした。同じくロック系ですが、ブルース・スプリングスティーンの登場も驚きました。ただスプリングスティーンの多くの楽曲は、情景が目に浮かびますので、そういう面で大きな影響があったのかなと推察します。タランティーノはわかりますが、ウォン・カーウァイも驚きました。
映画音楽界隈だけではなく、ロックや現代音楽にも影響が大きかったのだなと改めて思います。

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★えっと驚く裏話もたくさん登場しますよね?

A:不勉強で恥ずかしいですがレオーネとモリコーネが小学校の同級生だったって、なんだかうれしくなるような挿話でしたね。もちろんキューブリックの誘いを勝手にレオーネがことわったというのも面白い。でもそれ以上に印象的だったのはレオーネがホークスの『リオ・ブラボー』で使われた「皆殺しの歌」を意識していたってエピソード。あと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のジェニファー・コネリーのテーマのインスピレーションになったのがゼッフィレッリのというよりブルック・シールズの『エンドレス・ラブ』だったというのには思わずにやり、往年の美少女アイドルつながりだったんですね(笑)

M:セルジュ・レオーネの同級生は驚きました。レオーネは全く英語が出来ず、それで実は活動も狭まった感があると聞いた事がありますが、モリコーネは英語が多少出来た事で世界レベルに広がったのかなとも感じました。
『死刑台のメロディ』はとても好きなサントラでしたが、モリコーネだとは知りませんでした。そういう無知な部分も含めて、この作品もモリコーネなのかと思われる作品が、観客の皆さんにはそれぞれたくさんあったのではないでしょうか。
キューブリックの話も驚きですね。以前キューブリックをこの座談会で取り上げた時にも、彼の完璧主義について触れましたが、実現していたら完璧主義同士の素晴らしいコラボレーションになったと思います。
後当初は西部劇ばかりやっている事に抵抗感あったみたいですね。芸術家志向みたいな面も思ったより強くて、アニメは絶対に仕事では受けないような空気も垣間見えましたね。その辺は今の時代とはやはり感覚が違う世界で生きていたのだなと思いました。

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★改めてモリコーネの映画音楽の魅力、どのように? モリコーネ以外で好きな映画音楽家についてもできればちょっとコメントしてみてください。

A:あまりに当り前なんですが映画があって音楽があるという、繰り返しになりますがその伴走ぶり、それは監督との伴走ということにもなるんでしょうが、そこの関係を美しく貫いている点じゃないかしら。という意味ではちょっと例外というべきなのかもしれないですが久々に『死刑台のメロディ』のジョーン・バエズが歌った「勝利への讃歌」を聴けて懐かしかった。あのメロディは映画のサッコとヴァンゼッティだけじゃなくこちらへの応援歌みたいに映画を離れても当時、耳に残りふっと口を突いて出てくるメロディでしたね。好きな映画音楽家というのはたくさんいすぎですが、映画とのかかわり方、その進行を文字通り歩調を合わせるように支える『暗殺の森』のジョルジュ・ドルリューはすごいと映画を観る度に引き込まれます。トリュフォーとのコンビ作はいうまでもないですが、ゴダールの『軽蔑』もよかったなあ。モリコーネと彼とミシェル・ルグランの合同コンサートというのは聴いてみたかったです。

M:自分の好きな作品ですが、『シシリアン』のテーマに、こんなに深い意図があったのだと、初めて知りました。何気なく聞き流していましたが、『シシリアン』は、全く違う二つの旋律が見事にコンビネーションされて、一つの楽曲として成功しています。そういった細部までの旋律の検証に、楽器に対する拘りやアイデアもすごいですよね。
作曲家の一面とアレンジャーの一面が合わさって、エンリオ・モリコーネという巨人は形成されているのだと思いますし、魅力なのだと思います。ポップミュージックに対する造詣も深く、ロック的なアプローチやラテンミュージック的なアプローチの作品もあります。
この奥深さはとんでもないですね。
他のアーチストは、月並みですよ。ニーノ・ロータ、バート・バカラック、フランシス・レイなどは配信で今もよく聴きます。割と女性的な旋律を多用する作家がいる中で、モリコーネは力強く男性的なエッセセンスが濃く、そこがまた魅力なのだと思いますね。

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★モリコーネ自らの指名でこのドキュメンタリーを撮ったジュゼッペ・トルナトーレの作品としてはどんなふうに評価しますか?

A:必ずしもトルナトーレの熱心な観客とはいえないんですが、やはり『ニュー・シネマ・パラダイス』と通じるような人と人との関係を追う映画になっているように感じました。「私は映画のドキュメンタリーなのに、映像は使用できず写真ばかりに頼らざるを得ないような作品は好きではない。それは、私にとってはとても本質的なことだ。なぜなら、私は最初から実際の映画のシーンを使わずに、『ミッション』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、それに多くのマカロニ・ウエスタンの音楽の誕生を物語ることなどできないと考えていたからだ」とプレスに発言が引用されていますが、その思いを貫いてモリコーネが関わった映画のシーンをふんだんに映像としても見せてくれるのがいいですね。

M:トルナトーレも、数本の作品だけで、人柄の知識はないのですが、イタリアの監督の中では非常に落ち着いた演出をする監督というイメージがあります。『ニューシネマパラダイス』はもちろんいいですが、ドキュメンタリー『マルチェロ・マストロヤンニ甘い追憶』に仕事で関わったので、ドキュメンタリーも落ち着いた語り口で演出する人という印象があります。この作品もいわば割と自然にモリコーネを語っていて、それがいつの間にか真の姿を浮き彫りにしていますね。『記憶の扉』のような難解な作品もありますが、これはオーソドックスなトルナトーレらしい作品だと思います。

©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras

『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ
ほか全国順次ロードショー中

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監督:ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』
原題:Ennio/157分/イタリア/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:松浦美奈 字幕監修:前島秀国
出演:エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノほか
公式HP

生誕100年で蘇る奇才パゾリーニ/Cinema Discussion−43

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第43回目は、前回のルイス・ブニュエルに続き、映画史上に輝く巨匠ピエロ・パオロ・パゾリーニの特集上映を取り上げました。
パゾリーニは1922年イタリアボローニャ生まれ。
文学者としてキャリアをスタートしましたが、1961年に初監督、以降1975年ローマで悲運の惨殺事件が起きるまでに、21本の監督作品を残した唯一無二の作風の奇才です。
今回は代表作品の『王女メディア』1969年と、『テオレマ』1968年が、生誕100年を記念してリバイバル上映されます。
今回は映画評論家川口敦子と、川野 正雄の二人の会話でお届けします。

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

★今回、生誕100年を記念して4Kスキャン版として上映されるパゾリーニ監督作『テオレマ』と2Kレストアで蘇った『王女メディア』ですが、奇しくも前回のブニュエル特集同様、刺激的なアートシネマがきちんと公開され、シネフィルばかりでもない観客に届いていた70年代を感じさせる作品ともいえそうですね。で、あえてブニュエルの時と同じ問を繰り返しますが公開当時、監督パゾリーニや彼の作品をどのように受け止めていましたか?

川野 正雄(以下M):この2本の公開時は多分まだ小学生で存在も知りませんでした。
映画に興味を持ち出した中学生時代は『デカメロン』『カンタベリー物語』が公開され、話題になっていましたが、エロティックなキワモノ作品というイメージもあり、中学生で劇場に見に行くことはありませんでした。
本人が殺害された事もあり、表現的なタブーに挑戦している姿勢が報道され、スキャンダラスでアヴァンギャルドな監督という印象でした。
ただ当時作品は見ていないのですが、ビジュアルが強烈な『アポロンの地獄』と『豚小屋』の日本版ポスターを部屋に貼っていました。
『豚小屋』は骨が写っていたり、『アポロンの地獄』は、「目眩く光の中で母を犯す〜」みたいなキャッチコピーがついていて、母親が気持ち悪がっていた事を覚えています。
結局パゾリーニ作品を見る機会は、70年代は全く無く、過激だけど評論家の評価は高い巨匠という風に捉えていました。
今回資料でフィルモグラフィー見ると、僕がこれまでに見ているのは『テオレマ』と『デカメロン』の2本だけでした。
ですので、あまり今回パゾリーニ作品全般については、語れなさそうです。

MEDEA (c) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.

川口敦子(以下A):川野さんよりは年上なんですが、私も『テオレマ』『王女メディア』それに『豚小屋』が日本で立て続けに公開された1970年にはまだ中学生で映画は好き、でも自由に何でも映画館で見られるというわけでもなかったので、スクリーンで実際に見ることができたのはしばらく後になってからでした。でも、愛読していたスクリーン誌の執筆者によるベストテンでは『アポロンの地獄』がトップに選ばれていたり、双葉十三郎さんのぼくの採点表で『テオレマ』が☆4つ「奔放にして辛辣。パゾリーニって監督スゴいなァ」と高評価を得ていたりして、どんな監督なんだ、どんな映画なんだと気になる存在ではあったんですね。で、それから数年後、私の映画史的に決定的な衝撃作だった『暗殺の森』と出会って、ベルトルッチへの興味を通してその初監督作『殺し』の原案・脚本を手掛けたのがパゾリーニで、彼の監督デビュ―作『アッカトーネ』ではベルトルッチが助監督を務めていたと、要はベルトルッチの映画界入りの導き手としてパゾリーニを改めて注目するようになったように思います。なので後年、『リトル・ブッダ』が上映されたベルリン映画祭でベルトルッチに取材した時、『ラストタンゴ・イン・パリ』をパゾリーニが痛烈に批判して以来、決裂したといわれたりもしたけれど、パゾリーニが惨殺される少し前に、『ソドムの市』を撮っていた彼と『1900年』を撮影中だったベルトルッチ、そのふたつのクルーでサッカーの試合をすることになって、自らプレーに参加したパゾリーニが誰もパスしてくれないと怒って試合終了直前にゲームを放棄してしまった、楽しいい日だった――と兄を懐かしむように語ってくれた時にはなんだか鼻の奥がつんとするような気持になりました。
そんなサッカーのエピソードを聞いていたのでアベル・フェラーラがその死までを親密な眼差しで瞑想するように撮った『PASOLINI』で、少年そのままにゲームに興じる姿をウィレム・デフォーが素敵に体現しているのを見てまたまたうるっとなりました(笑) 脱線しますがこのフェラーラ作品には母役でパゾリーニ作にも縁があり、ベルトルッチの『革命前夜』の忘れ難いヒロインでもあるアドリアーナ・アスティが出ていたり、『テオレマ』のメイド役が忘れ難く、パゾリーニと公私ともに固い絆で結ばれていたラウラ・ベッティ(マリア・デ・メデイロス演)を印象的に登場させたりと、フェラーラのパゾリーニ愛が感じられる快作です。
だらだらになりましたが、パゾリーニに関して同時代的にはきちんと作品とも生涯とも向き合わずにきてしまったなあと後ろめたいような気持が大きいですね。

『王女メディア』
MEDEA (c) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.

★改めて今、往時のパゾリーニを見てどんな感想を? 70年代当時に感じていたこととどう違いましたか? あるいはそれほど違わない印象ですか?

M:『テオレマ』は、この頃のテレンス・スタンプ作品、『コレクター』『世にも怪奇な物語』『唇からナイフ』が好きで、ビデオ化されてからかなり早く鑑賞し、これまでに2回ほど見ています。
今回『テオレマ』は、4Kスキャン版という事ですが非常に色がクリアで、映像の美しさや表現力が強く伝わってきました。
フィルム版はもっと粗いザラザラ感があり、それはそれで良かったのですが、全体がすごく沈んだトーンになっていた印象があります。
4Kスキャン版で鮮明になった画面を見る事で、パゾリーニの意図もより伝わりやすくなったと思います。
例えば服装の色です。テレンス・スタンプは常にベージュ〜茶系のシンプルな服装のコーディネートでした。終盤シルヴァーナ・マンガーノが街を彷徨う場面で、このカラーコーディネートは微妙に効いてきます。
使用人ラウラ・ベッティのグリーンも同様です。
以前見た時もグリーンは残像に残っていたのですが、より鮮明になりました。
驚いたのは、男が去った後のカオスな展開が、全く記憶に残っていなかった事でした。
今回は改めて終盤の展開のカオスさも、しっかりと受け止め、冒頭のシーンとのつながりなども理解する事が出来たのは、良かったです。
ミラノ郊外の街の空気や車、建築、風景、全てに演出が行き届いて、パゾリーニが名匠と言われる由縁もよく理解できました。

『王女メディア』は初めて見ました。以前部屋には『アポロンの地獄』と一緒にフェリーニの『サテリコン』のポスターを貼っていました。
こういったギリシア神話的というか、寓話的な世界観の映画に憧れていたのだと思います。
そういった意味で『王女目メディア』は、いきなりケンタウロスが登場するなど、神話の世界観がすごく圧倒されます。

A:『テオレマ』は私も色のきれいさ、とりわけテレンス・スタンプのブルーの瞳の青さにぶるっと鳥肌がたつみたいに惹き込まれました。二番館でだったりビデオで見たりだったので、川野さんも仰るミラノの郊外の空気の感触とか、今回、すごく新鮮に迫ってきました。実際に見てからしばらく経って、改めて見直すこともないままメディアでの紹介のされ方に毒された部分もあって(笑) 『テオレマ』というとスタンプの強烈な印象と共にストレンジャーがやってきてブルジョワ一家をかき回すって前段の部分ばかりを記憶してしまっていたんだなあとそれも今回、改めて反省した部分です。ラウラ・ベッティ演じるメイドのエミリアが田舎に戻って聖なる存在となっていく展開は、アリーチェ・ロルヴァケルの『幸福なラザロ』とも通じるような、清冽な力強さを感じさせて魅了されました。
『王女メディア』は日本の地唄を始めイランやチベット、インドの民族音楽の取り入れ方が改めて今、見るとあの時代だなあと、古びているといいたいのではないんですが、やっぱり”あの頃″感に包れてじわりとくるんですね。音楽監修を務めたという作家エルサ・モランテと夫のアルベルト・モラビアとパゾリーニは60年代の初め、インドへの旅行を共にしていて、そうしてここでも彼らの仏教への興味の先にベルトルッチのそれも浮かんでくる。興味深い関係なんですよね。

★『テオレマ』はテレンス・スタンプ、『王女メディア』はマリア・カラスの映画としてそれぞれの魅力を感じさせますね?

A:マリア・カラスはちょうどこの映画に出た頃、中学時代の一番仲のよかった友達がクラシック音楽やオペラのファンで、カラスのことは彼女を通じて聞いていたんですね。ジャッキー・ケネディとオナシスをめぐるワイドショー的情報も含めて。まあ、どちらかといえばそんな邪な興味が先行していたんですが、この映画のカラスの筋を超越した存在の並々ならぬ重み、華やかな威圧感とその先にたちのぼる悲しみの纏い方、重厚なのにはかない感じ、凄いです。

テレンス・スタンプの素敵は川野さんにおまかせして語っていただいた方がいいと思うんですが(笑) 昨年、見た『ラストナイト・イン・ソーホー』の快/怪演も相変わらず謎めきオーラで光ってましたね。というように今もスターとして健在なわけですが、極論すればやはり『テオレマ』なくして――という部分はあるんじゃないでしょうか。

M:実はマリア・カラスに関しては、名前くらいしか知識がなく、あまりコメントできないのですが、このメディア役は本人が希望したという事が頷ける存在感ですね。美しさも王女としての気品も、呪術師的な神秘性まで、完璧なキャスティングに思えます。

テレンス・スタンプは、当時の彼の十八番的な謎を秘めた若者役ですが、英国のロックミュジーシャンぽい彼の魅力がよく出ています。
テレンス・スタンプの魅力の一つは目の冷たさですが、この作品ではそれが鮮明ですね。この映画では抑えた演技に終始しますが、明らかに裏に何かある独特の雰囲気と、そこから生まれる存在感。無言の恐怖感や悪意を伝えるのが、テレンス・スタンプはうまい。
ちょと変質的な役どころもピッタリですが、『テオレマ』の彼は、何が目的だったのか、背徳的な行為と合わせて、登場人物も観客も振り回します。
フランス版のメトロサイズ大判ポスターと、アメリカ版のオリジナルポスターを持っていますが、両方ともテレンス・スタンプの顔のアップが、なんとも言えない不穏な空気でデザインされています。

「テオレマ」アメリカ版ポスター

★演技にしても音楽、衣装、美術にしてもいわゆるリアルさとは別のところで成立していますが、そのあたりをどんなふうに見ましたか?

A:『王女メディア』の衣装がピエロ・トージなら美術はその後、テリー・ギリアムの『バロン』やスコセ-ジ『エイジ・オブ・イノセンス』等々でその道の巨匠となるダンテ・フェレッティが担当しているんですね。それも彼26歳、映画のキャリアの最初期の仕事として注目したいですね。監督はもちろんですがイタリア映画界が美術、衣装、音楽(『テオレマ』はエンニオ・モリコーネ、トルナトーレが撮った彼のドキュメンタリーが日本でも公開される予定でしたが少し先になったみたいですね)と才能を輩出していた時代でもあったんですね。質問とちょっとはずれますが、でも、リアルを究める徹底ぶりがある一方で単なるリアル、本当らしさでない所でも勝負できた、才能を生かす環境があったということですよね。いい時代だったといってしまったら身も蓋もないですが・・・。

M:『王女メディア』は、セット、衣装、ヘアー含めて、クリエイティブのデザイン力が圧倒的すぎるくらいの迫力で、予算も気になってしまいますが、今の時代にCG使わずに再現しようとしたら、大変なことになるだろうなと想像してしまいました。
その辺はヴィスコンティ作品のプロダクション・デザイナーピエロ・トージの存在が大きいのだと思いますが、この時代のイタリアの巨匠たちは、作品の予算とか回収とかそういう事お構いなしに、徹底した要求をプロダクション・デザイナーにしているのだと想像します。
日本の三味線曲含めた土着的な音楽の使い方も素晴らしいですし、刺激的です。
ブルガリアン・ヴォイスのような曲もあり、このエキゾチック感はたまりませんね。
『テオレマ』も、衣装、小物、セットなど、すごく念密にプランニングされていると感じました。
もちろんそこはパゾリーニ本人の拘りを表現しているのだと思いますが、グラマラスな美術も、日常的な小物も、共通するのはセンスの良さと、独特のオリジナリティです。
これは映像の質も同様に感じています。

★2本のパゾリーニ映画の特にここを見てほしいというポイントは?

M:『王女メディア』は、やはりパゾリーニ流ギリシア神話の世界観を、存分に味わうという事でしょうか。
『テオレマ』は、突然の訪問者によって家族が崩壊していくという設定が、その後多くのフォロワーを生んだのではないかと思っています。

アカデミー賞受賞作品の韓国映画『パラサイト』には、影響を感じます。
『ユージョアル・サスペクツ』のブライアン・シンガー監督が、デビュー作『パブリック・アクセス』で来日した際に、やはり『テオレマ』の影響の質問が、取材で出ました。
ブライアン・シンガーは、しかし『テオレマ』を知りませんでした(笑)。
パゾリーニは、1975年53歳で殺されているのですが、生きていれば多分70歳の1992年位までは、監督を続けていたと想像します。
そうするときっと10本くらいは監督出来たと思うので、彼の不慮の死は、世界の映画界にとって、大変な損失だったなと、改めて感じました。

A:『テオレマ』はテレンス・スタンプもですが、能面みたいなメークでデビュー当時の健康美を脱却、独特の世界を築いていたシルヴァーナ・マンガーノ、そしてアンヌ・カリーナ以後のゴダール映画を支えたアンヌ・ヴィアゼムスキー、さらにさきほどもふれたラウラ・ベッティと昨今なかなかみつからないそれぞれの美を究めている女優たちにも注目したいですね。

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

3月4日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
配給:ザジフィルムズ 公式HP


『テオレマ 4Kスキャン版』
北イタリアの大都市、ミラノ郊外の大邸宅に暮らす裕福な一家の前に、ある日突然見知らぬ美しい青年が現れる。父親は多くの労働者を抱える大工場の持ち主。その夫に寄りそう美しい妻と無邪気な息子と娘、そして女中。何の前触れもなく同居を始めたその青年は、それぞれを魅了し、関係を持つことで、ブルジョワの穏やかな日々をかき乱していく。青年の性的魅力と、神聖な不可解さに挑発され、狂わされた家族たちは、青年が去ると同時に崩壊の道を辿っていく…。

原案 / 監督 / 脚本 : ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影 : ジュゼッペ・ルッツォリーニ
音楽 : エンニオ・モリコーネ
出演 : テレンス・スタンプ、シルヴァーナ・マンガーノ、アンヌ・ヴィアゼムスキー
1968年 / イタリア / 99分 / カラー / 1:1.85 ビスタビジョン / 日本語字幕:菊地浩司

『王女メディア』
イオルコス国王の遺児イアソンは、父の王位を奪った叔父ペリアスに王位返還を求める。叔父から未開の国コルキスにある〈金の羊皮〉を手に入れることを条件に出され旅に出たイアソンは、コルキス国王の娘メディアの心を射止めて〈金の羊皮〉の奪還に成功。しかし祖国に戻ったイアソンは王位返還の約束を反故にされ、メディアと共に隣国コリントスへ。そこで国王に見込まれたイアソンは、メディアを裏切って国王の娘と婚約してしまう。メディアは復讐を誓い…。

監督 / 脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作:フランコ・ロッセリーニ
撮影:エンニオ・グァルニエリ
衣装:ピエロ・トージ
出演:マリア・カラス、ジュゼッペ・ジェンティーレ、マッシモ・ジロッティ
1969年 / イタリア=フランス=西ドイツ / 111分 / カラー / 1:1.85 ビスタビジョン / 日本語字幕:関口英子

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.