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Cinema Discussion-28/ワークショップ発ギョーム・ブラックの挑戦~『7月の物語』

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクルルージュのシネマ・ディスカッション。
第28回は、デビュー作『遭難者』+『女っ気なし』が、このシネマ・ディスカッション第1回だったセルクルルージュ一押しのフランス若手作家ギョーム・ブラックの新作『7月の物語』です。
前作『やさしい人』は長編第1作として、常連俳優ヴァンサン・マケーニュを主軸にした見事な作品でしたが、今回は2本の短篇に分かれており、2016年7月のパリとその郊外を描いたものとして、ひとつの作品を構成しています。
ギョーム・ブラックといえば、俳優との入念な準備をする印象がありますが、今回はフランス国立高等演劇学校の学生たちとのワークショップから作り上げた作品で、役者も全員学生です。
俳優と場所を熟知したうえで撮影に臨むギヨーム・ブラックですが、今回の俳優たちのことは何も知らない為、はじめに俳優たちの家に行き、彼らの夢、政治とのかかわり方、恋愛事情などについて話を聞いて、親密な関係を築きあげていったといいます。
撮影場所は、幼少のころから馴染みのあるセルジー=ポントワーズ(「日曜日の友だち」)と、自宅近くの国際大学都市(「ハンネと革命記念日」)。
撮影期間はそれぞれ5日間、そして3人の技術スタッフと少ない機材で行ったギョーム・ブラックのチャレンジです。

ディスカッションメンバーは、映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

「女っ気なし」

★『遭難者』『女っ気なし』そして長編デビュー作『やさしい人』とシネマ・ディスカッションで追いかけてきた監督ギヨーム・ブラックの新作『7月の物語』ですが、これまで主役を務めてきたヴァンサン・マケーニュなしで、演劇学校の学生たちと素早く撮った今回の映画はいかがでしたか?

川口哲生(以下T):
そうですね、明確な主役ヴァンサン・マケーニュがいた映画では、どうしても彼を中心に映画を観、彼の心情に寄り添い、彼の視点で風景を見る、といった流れになりますが、今回の短編2編では、演劇学生たちの役割のイーヴンさ故に、それぞれの登場人物の心情を行きつ戻りつしながら観たように感じます。「思ったようにはいかない人」が次から次に入れ替わるような。笑
アドリブを多用したとのことですが、人間関係の自然さも感じました。

名古屋靖(以下N):
今まで観た作品より若々しさというかフレッシュな印象はありました。 短編なのもありフランス映画だけど忍耐力は必要としない、いかにもありそうな題材を、演劇学校の学生ながらそれぞれキャストの心の揺らぎや喜怒哀楽を細かく引き出しているところはこの監督らしかったです。

川野正雄(以下M):
やはりヴァンサン・マケーニュの存在感は大きかったですね。彼の視点というか、基軸で映画の中に入って行く感がありました。
彼がいない分、また中編的な尺であるという事含めて、全2作よりは薄味な風味に感じました。
自分はあまりエリック・ロメールの作品の造詣は深くはないが、リゾートで起こる1日的な風合いは、フランス映画ぽいなと思いました。
同時にホン・サンスの即興性との共通項も感じたのですが、インタビュー見るとホン・サンスについての話も出ていたので、自分だけではなく良かったです。
男女のちょっとした感情の動きの描き方とか、そういう繊細さみたいな部分と、即興性のような演出が、共通点として感じました。

川口敦子(以下A):
みなさんも仰るように、ヴァンサン・マケーニュがこれまでのブラック映画に占めてきた大きさを、今回その不在によって改めて実感しましたね。ただ、逆によりポジティブな効果になっている面もあるなあとも感じました。あのダメダメ男の悲哀というのかおかしさというのか、それが強烈に前面に出てこない分、より繊細にそれぞれの人物の心情の推移が漂ってくるようで、前篇の水辺の景色、夕暮れに向かう空気や風や温度の推移ともよりしっくりとなじんでいる。
いっぽうで俳優としての強烈な個性はないけれどキャラクターの個性という面ではブラックの映画を構成するだめだめ男、ちょっと控えめな女の子、もう少しぐいぐい自己主張する気のいい女の子と、例えばリュシーとミレナは『女っ気なし』の娘と母の個性とも重なるようだし、学生たちとの即興のワークショップから生まれたとはいっても、やっぱりまとめるブラックならではの映画となっているのは監督としての逞しさみたいなものの証明にもなっているんじゃないかしら。

★第1部2016年7月10日「日曜日の友だち」と第2部2016年7月14日「ハンネと革命記念日」という2つの短編で構成されていますが、この構成に関しては?

M: ワークショップを3チームに分けて、3本撮ったんですよね?3本あった方が、見応えはあったと思いますし、3本並んだら、長編として成立しますね。
実際に学生達と制作するとなると、あまり長いものよりも、中短編の方が濃縮されて、良いのではないでしょうか。
お芝居含めて、1本づつは程よい長さと構成ですね。
ワークショップという性質上、撮影期間も5日間とか短く、役者とのコミュニケーションや台本にも、色々工夫がなされたとインタビューで読みましたが、まとめ方の旨さは、さすがだなと思いました。

T: いかにもフランスのごく日常にありそうな話ですが、パリからRERで40分ぐらいのセルジー=ポントワーズのレジャーセンターとか14区の国際大学都市とか、いわゆる中心としてのパリではない、ブラックのほかの作品にも共通する「周縁的な日常感」を感じさせるロケーションの組み合わせが面白かったです。

N: 学生を使って若者たちの数日間を映画にするには、一つの重くて長い物語より全く違う二つのエピソードを重ねて軽快に見せたほうが、彼らのあやふやというか未熟な魅力は感じられたかと思います。役者に多くを頼らず、粘らず素早く撮れたのも短編だからかと。

A: 『女っ気なし』で取材した時だったと思うのですが、僕の映画は中間に切断面のようなものがあって、楽しく始まった何かがそこを通過すると一転してしまう、楽しいままでは終われなくなる――といったことをブラックが話してくれて確かにどの映画にもそういう明暗の転換点のようなものがあるなと思うのですが、今回もそれぞれの短編にそれがあり、同時に2編を通じて何かより大きな切断面を、前後を通じて見ることで感じさせるようにも思えて興味深かったですね。それが単なる夏のガールハント物語のようにみえた軽やかさの向こうに広がる深みようなものを招き寄せているようにも思いました。で、最後には淡い希望、とまではいかなくてもそれでも続く毎日といった、諦めの明るさみたいなものがやってくるって所もいいですね。
哲生くんがいうようにパリならパリの中心部ではなく周縁的な場所を選ぶというのも面白いですよね。『遭難者』『女っ気なし』のオルト、『やさしい人』のトネールとどこか忘れられたような人と土地が好きみたいな監督の好みというんでしょうか、リュシーとか、後半の消防士とか生き難そうにしている人への共感みたいなものを二つの短編を合わせることでよりくっきり浮かび上がらせてもいる気がしました。

★特定の日付を指定している裏にはこの年、この時期にかけて労働法改正案撤回のデモやパリ、リパブリック広場を起点とした夜通しの演説集会Nuit Debout(立ち上がる夜)の全国的な広がりとフランス国内が騒然としたという背景があり、また15年のパリ同時多発テロの記憶も冷めやらぬ時、16年革命記念日にニースで新たなテロが勃発ということがあるわけですが、一見、シンプルでパーソナルな女の子同士の友情とか男女の恋のさや当て物語ともみえる映画にそうした政治的、あるいは時事的要素を取り込むブラックの姿勢、あるいはその方法についてはどう感じましたか?

T: さっきも触れたけれど、ざわついている中心でない周縁で、そうした政治的熱気やざわつきと時を同じくするごくパーソナルな話が語られるのが面白い。
より『ハンネと革命記念日』の方にそれを感じたけれど。
大好きな映画の『特別な一日』の大きなアパート群の全ての住人がファシスト集会に借り出された後のぽっかり空いた空間と時間の中での特別な情事みたいな。。。
革命記念日のシャンゼリゼのパレードや花火に人が集まる中で、大学のドミトリーの真空地帯みたいな感じがいい。
その日の特別さはそれそれにとってごくパーソナルな悲劇なんだけれど、挿入されるテロのニュースによりその悲劇はとるにたらないことの様に観ている人には思えてくる。
「その日の特別さ」の多層性がフィクションとリアリティが入り混じって意味を持っているように感じました。

M: その部分に関しては、ちょっと強引にも感じました。しかし強引でもテーマの中に、そういう現実の大きな問題を絡ませる事で、作品を撮る意義とか、単なる恋愛すれ違い映画ではなくなる瞬間とか、そのような価値も合わせて生まれてくるのかなと思います。
今回はニースのテロが偶然重なり、そこへの感情的な憤りも含めて、挿入されるエピソードになったのだと思います。
ただ映画の流れ的には唐突感というか、そこまでに出てきた問題~人種とか男女間とか、そういうものとの乖離を、少し感じてしまいました。
ただゴダールのパリ革命ではないですが、監督がそういうテーマに正面から対峙するのも、あえて言うと、ヌーベルヴァーグ的かなと思います。

N: 物語の登場人物たちは今のフランスの深刻な問題に直面している当事者ではないし、出演者は若者ばかりでどこか他人事な雰囲気もあります。2話目など留学生寮のお話ですし別にフランスでなくとも成立するかも。そこに現実の時事的要素を取り入れた演出、例えばニースのテロを持ってくることでこの作品が、若者の戯言なだけでない自分にも身近なフランスの今を感じることは出来ました。でも時事的要素を盛り込むことで問題定義したり何かしらのメッセージが発せられているとは感じらませんでした。監督がそれを求めていたのなら川野さんがおっしゃるように少し強引な印象です。

A: 生半可な知識しかないのでおそるおそるいいますが、やはり今、人種とか移民の問題というのは欧州映画の多くに見られる避けて通れないテーマなのだろうなと。
もちろん後半は留学生寮の話なのでそれがより鮮明に出ているけれど、学生たちとアルメニア系の消防士との関係、かなり正直にそこにある上下関係のようなものを映画はみつめてますよね。その意味では前半のリュシーとミレナはどういう仕事の同僚なのかはっきりと描かれてはいないけれど、理不尽な怒りを抱えてもいそうですよね。出だしのリュシーの激しい不満のぶつけ方とか。で、彼女たちにしても、レジャーセンターで出会う警備員とそのガールフレンドにしても、フランスで生まれてはいるんだろうけれど、多分、ルーツは北アフリカとかのあたりにありそうで。純粋な白人種は森で出会う剣士だけなのかな。
そういう配役からもブラックがプレスのインタビューでいっている「政治的発言に纏わる映画を」との気持がスタート時点でまずあったんだなと感じ取れますよね。そうさせるような切迫感が当時、あったんだなとも感じましたね。最後のテロのニュースをかぶせる部分もだから、下手をすればあざとくなるのだろうけれど、そうはなっていなくてよかったなと。

「やさしい人」

★『女っ気なし』では海辺のさびれたヴァカンスの町オルトの実在の人々が出演していましたね。また『やさしい人』ではフィルムノワール的な話の展開の緻密さのいっぽうで雪や雨という撮影現場で遭遇した現実が映画にマジックをもたらしたと監督は語っていたのですが、今回もドキュメンタリー的なものとフィクションとを並び立たせようとしている、そのあたりに関してはどうご覧になりましたか?

A: ホン・サンスの『自由が丘で』に出演した加瀬亮さんが取材で語ってくれたことなんですが、少し長くなりますがまず引用しますね。
「画面の中で説得力、“自然”(この言葉も本当はきちんと定義しなくちゃいけないんですけど)が成立すればホントになる。でもそれは監督それぞれが作る画の世界の中での”自然”なので。例えばロメールでもホン・サンス監督でもいいんですが、仮にいまここで撮影しているのを見たとしたら、ものすごい熱量で役者が芝居をしていることがわかると思います。”自然”に見えるための”不自然”をしている。ロメールの映画で役者が”自然”に見える、それは何もしないでそのまんまの感じでいるというのとは全然、違いますよね」
で、ドキュメンタリーのように見える自然を作り込む演技、それを最終的に活かしていく監督の演出の力の大きさを加瀬さんは仰っていたのですが、今回のブラックの映画をみると、実際、彼の演出の力を改めて噛みしめたくなりました。

T: 一つには演劇学校の生徒たち、特に実生活での繋がりがある人たちを起用して、アドリブを多用し撮っていますが、川野くんが言っているようにホン・サンスに通じる「撮影現場で遭遇した」感が感じられました。
もう一つはプログラムを読んではじめてわかりましたが、『ハンナと革命記念日』は現実のニーステロが起こった次の日に撮られてており、その現実が演じる人の内面に作用して「悲しい酒」のリアリティを高めており、また元々はなかったテロのニュースの音を編集段階でハンネが泣いている映像にインサートしているんですね。
フィクションとリアリティが複雑に関係しあって、作品に特別な一日が刻印されるような作り方は大変興味深かったです。

M: 確か『女っ気なし』の併映の、検問に引っかかる短編『遭難者』にも、そのようなテイストを感じました。あまり芝居芝居しない演出は、ブラックの特質かと思います。
演出としては、とても洗練されていると思います。
会話の中に芝居っぽさがないんですよね。
多分そこは事前の俳優たちとのコミュニケーションや、年密な準備から入っているのではないかと思います。今回はワークショップという事で時間がなく、監督が役者の家に行くなどして相互理解を深めたといいますが、監督の要求が、役者に対して、どういうものなのか、気になりますね。

★出演者――演劇学生の中で、もし製作者だったらスカウトしたいのはどの人?

A: ちょッと外した所をいいたかったけど、やっぱりリュシーとハンネかな(笑)

T: リシューでしょうか。。。

N:  アルメニア出身の消防士が良かったです。東ヨーロッパの果てに位置するアルメニア出身のティグラン・ハマシアンという孤高のJAZZピアニストがいて個人的にファンなのですが、この消防士の容姿とコンテンポラリーダンスを踊る姿はそのティグランの純粋無垢で神秘的な姿と重なりました。

M: やはりリシューかな。名古屋君のアルメニア人の消防士も良かったです。以前上司が、カナダ生まれのアルメニア人だったのですが、移民というか色々ヒストリーがあるようでした。少ない登場人物の中に、人種の多様性が織り込まれるのは、たまたま学生達が多様な人種だったのかもしれませんが、ギョーム・ブラック的ですね。

「戦士たちの休息」

★併映されるドキュメンタリー『勇者たちの休息』は、どのような印象でしょうか?

M :あんまり適切な表現ではないかもしれませんが、NHK-BSの世界のドキュメンタリーを思い起こしてしまいました。
よく見るのですが、それまで興味や知識の全く無かった色々な知らない世界観を垣間見れて、面白いんですよね。
リタイアした人たちのチャレンジとして、こんなレースがあるんだなと。そして運送業の人が、チャレンジしているのも、面白かったです。
移動が仕事の人は、引退しても移動に魅力を感じるんだなあと思いました。

N: 『7月の物語』との対比が面白かったです。 情緒不安定だけど、やっぱり友情が大切な部分を占める若者達と、子供の頃から変わらぬ一途さで、究極友達は自転車だけでいい老人達。そんな2本のカップリングは見事だと思いました。度々登場する被写体の後方で関係ない行動をしている、おじいちゃんたちの自転車乗り独特の日焼け跡がなんともかわいい。

A: 遅々として進まない自転車を漕ぐ人の姿とアルプスの山道とを背後から辛抱強く、ぐらりとめまいがするような浮遊感に満ちた映像で切り取っていく冒頭から惹き込まれました。そこにもうあまりに豊かに物語が溢れ出ていて、ドキュメンタリーを”演出する”監督の力をもう一度、実感しました。

★ギヨーム・ブラックという監督、そしてその映画のいちばんの面白さはどのあたりにあると思われますか?
A:今回のロメール、前作のトリュフォー、その前のジャック・ロジェと、どうしたってヌーヴェルヴァーグの監督たちと比べたくなる、今回はいっそもう比べなさいと誘惑するように撮ってますよね。一日一本見ないと不安になった、そんな時代もあったとも語ってくれたので、シネフィルに違いないんでしょう。だけど、その“おフランスな映画狂的”価値観を一度覆す、距離といったらいいのか、それを自覚的に保って、ジャド・アパトーとかアメリカ映画の面白い所にも目をやって、で、その上で自分の世界を確かに、かなり頑固に究めようとしているところがいいなあと思うんですね。先ほどもいったと思いますがその自分の世界の軸になるのが生き難さを抱えた人の姿というのでしょうか。周囲も含めて人に対する観察の目。撮り方の部分も含めた押しつけがましさのなさ。それらを守りながら物語する繊細さが好きです。

T: 描かれ「いとおしい不器用さ」ですかね。私は『優しい人』とか『日曜日の友人』のエンディングの、それでも明日に続くといった感じがとても好きです。

M: テレ東の『山田孝之のカンヌ映画祭』に出てきたギョーム・ブラックを見て、思ったよりも若くて、ハンサムで、知的で、全てを満たしたような人だなと思いました。
合わせてその番組にキャスティングされているという事で、やはり注目されている存在なんだなあと、改めて認識しました。
面白さは一言では表現しにくいですが、絶滅貴種になりつつあるヌーヴェルヴァーグ的な監督なんだけど、その風合いは独特なところでしょうか。
面白さは、何気ないシーンに込められた笑いとか、皮肉とか、そういうエッジの効き方ですね。
今回の作品でも、彼のそういった面白さは、随所に感じました。
ただ資料見ると『やさしい人』を撮ったのが、2013年。そこから5年以上長編を彼のような才能ある監督が新作長編を撮れないフランスの状況が、気になります。
今回も依頼があって、好きにワークショップをやっていいというオーダーから生まれた話で、彼の本来の流れから撮った作品ではないですね。
レオス・カラックスですら、なかなか難しい状況だと聞きますが、ギョーム・ブラックは1年に1本くらいコンスタントに作品を作って欲しいと思います。

N: 物語は映画ごとに違いますが、登場人物はみないい人たち。だからと言ってフワフワした作風な訳ではなく、ツッコミどころはたくさんあるけど憎めないというか、気分を害する悪人は出てこないですし。曖昧な言い方ですが、この監督の作品は後味がいいです。 あと監督の色使いが好きです。「日曜日の友だち」の帰りの車窓や「ハンネと革命記念日」の寮から見える少しだけ滲んだ夜景、『勇者たちの休息』でアルプスをヒルクライムする映像など、ため息が出るほど美しい。

『7月の物語』
Contes de juillet 2017年(71分)
2017年 / フランス / フランス語 / カラー / 71分 / 1.33:1 / 5.1ch / DCP / 原題:Contes de juillet / 日本語字幕:高部義之 / 配給:エタンチェ / © bathysphere – CNSAD 2018

『勇者たちの休息』
Le Repos des braves 2016年(38分)
(『7月の物語』と併映)
2016年 / フランス / フランス語 / カラー / 38分 / 1.85:1 / 5.1ch / DCP / 原題:Le Repos des braves / 日本語字幕:高部義之 / 配給:エタンチェ / © bathysphere productions 2016
contes-juillet.com

6月8日より渋谷ユーロスペース他、順次全国公開予定。

モロッコ紀行-3/サンローランミュージアム@マラケシュ

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サンローランミュージアムエントランス

時間が空いてしまいましたが、モロッコ紀行第3回は、モロッコ最大の観光都市マラケシュに昨年10月にオープンしたイヴ・サンローランミュージアムを紹介致します。
サンローランが亡くなったのは2008年。そこから10年近い歳月を経て、彼の公私共にパートナーであったピエール・ベルジェが、昨年10月パリとマラケシュに、膨大なアーカイブを展示するミュージアムを建立したのだ。
イヴ・サンローランはアルジェリア生まれ。アフリカ生まれという事でモロッコには親和感があったのか、60年代にはタンジェにも家があったというが、1966年にはマラケシュに別荘を購入している。その前年1965年にはサンローランの代表的な作品であるモンドリアンのドレスを発表しており、サンローランがデザイナーとして大きく飛躍していく時代と、マラケシュなどモロッコでの生活は、大きくリンクしているのだ。

サンローラン

イヴ・サンローラン財団の代表でもあったピエール・ベルジェは、残念ながらオープンの1ヶ月までに他界している。
庭園内にはサンローランとベルジェの、日本で言う供養塔のようなメモリアルなモニュメントがある。
余談だが30年近く前、サンローランが来日してアーカイブ展とコレクションを開催するイベントがあり、私はピエール・ベルジェとミーティングをした事がある。その時のベルジェは、サンローランの本質を理解していない日本人にいらつき、怒りを何度も顕にしていた。当時の私が初めて浴びたパリのメゾンの洗礼であったが、今回改めてこのミュージアムを訪れ、サンローランの持つ感性やコンセプトに直接触れ、当時の自分の無知さとベルジェの怒りを理解することが出来、ベルジェのメモリアルモニュメントの前で、お詫びをしてきた。

サンローランとピエール・ベルジェのメモリアル

マラケシュにはサンローランの別荘として有名なマジョレル庭園が、観光地としても有名である。このミュージアムは、マジョレル庭園と隣接しており、サンローラン通りというストリート沿いにある。大変混みあうという情報で、開館時間に訪れ、共通チケットを買い、まずはミュージアムに入館した。ミュージアムの外観は、マラケシュを象徴する色である赤を基調にしているように感じた。サンローラン通りに入ると忽然と現れるミュージアムは、モロッコらしいオーガニックな感覚の素材とミステリアスな雰囲気、そしてグラマラスな存在感を魅せており、いやがおうにも期待感は高まる。

ミュージアムサイン
サンローランストリート

私が訪れた時期は、まだ開館から2ヶ月足らず。真新しい空気を感じるミュージアム内展示スペースは、当然のことながら写真撮影は許されない。モンドリアンのドレスから始まるコレクションの美しさと、存在感に圧倒されるばかりだ。
幾つかのコレクションは、30年近く前日本で開催されたアーカイブのコレクション時にも見ている筈だが、受ける感動は全く違う。サンローランの伝記映画にも出てきたスモーキングジャケットやサファリジャケット、トレンチコートなどメンズアイテムをアレンジしたルックは、表現のしようがない格好良さだ。
展示はカラーであったり、世界の民族であったり、コンセプトごとに構成されている。ここで思い出したのは、実はサンローランが旅嫌いだというエピソードである。モロッコをテーマにしたコレクションは、フィジカルな感覚も含めてデザインされているが、大抵の国は、本人が訪れる事無く、ピエール・ベルジェが持ってきた写真や資料を元に、サンローランがイメージを膨らませてデザインをしたという。
黒を貴重にしたモノトーンのシックな装いから、アフリカ的なカラフルな色使いのファブリックを使ったアーシーなコレクション、ロシアや中国をイメージしたエスニックなドレスが並ぶ展示には、圧倒されてしまう。
特にモロッコに居を構えてからのサンローランのコレクションは、色使いが大きく変わったと言われているが、その原泉となるマテリアルも展示されており、マラケシュのミュージアムならではの空間が構成されているのだ。

バレエのデッサン
映画用デッサン

異次元空間であった一連のコレクションコーナーを抜けると、大量のサンローランのデッサンが展示されている。ここは撮影も許可されているが、バレエ、ステージ、映画などの衣装のサンローランによるデッサンを堪能することが出来る。
もちろんデッサンと対比して、完成品の写真も展示されてる。
サンローランが手がけた映画衣装というと。私の中ではフランソワ・トリュフォー監督、カトリーヌ・ドヌーヴ&ジャン・ポール・ベルモンド主演の『暗くなるまでこの恋を』が代表的なイメージなのだが、しっかりそのデッサンもあった。

ドヌーヴ『暗くなるまでこの恋を』

更に進むと、カトリーヌ・ドヌーヴの美しい写真が並んでいるコーナーに出会う。
多くの写真は、ここマラケシュにドヌーヴが来て撮影されたらしいが、写真を見て頂ければわかるように、ドヌーヴの美しさは、サンローランが考える美の象徴のような輝きを持っている。

カトリーヌ・ドヌーヴ
更にドヌーヴ
ドヌーヴ、ドヌーヴ

展示室を出ると、イベントホールに立ち寄ることができる。この日はサンローランのバイオをショートフィルムにまとめた映像が上映されていた。これを見るだけでも、サンローランの特殊な偉大さが短時間で理解できる。
中国コレクションの映像のBGMが、『戦場のメリークリスマス』のテーマであった事だけが残念であった。

ミュージアムのカタログ、リーフレット、ブックストアでもらったモンドリアンスケッチのしおり

[caption id="attachment_4732" align="aligncenter" width="474"] book storeで買ったポストカード集

更に館内には、ブックストアやカフェレストランが現われる。
ブックストアでは、サンローランにまつわる様々な本や、ポストカードなどが販売されており、見ているだけでも楽しい。
とりあえずミュージアムのカタログと、土産にポストカード集を買い求めた。
今回食事は、マジョレル庭園の方のガーデンカフェでとったので、館内のレストランはメニューを眺める程度だったが、都会的にアレンジされたモロッコ料理のメニューが揃っているので、ここでランチをするのはお勧めである。

サンローラン1975年年賀状

マジョレル庭園に移ると、サンローランが可愛がっていたミュージックと代々名付けられたフレンチブルをモチーフにした年賀状などが展示してある。
この庭園については、数多く語られているので説明は省くが、ガーデンカフェのランチは、庭園の周囲の環境と合わせて、リラックスできる素晴らしい時間となった。

マジョレー庭園の猫
庭園はブルーが基調

とてもこのページだけで、サンローランミュージアムの全貌を語ることは出来ません。
ほんの少しだけ障りだけとなりますが、少しでもサンローランのアーカイブを、マラケシュという超異国で観る感動が伝わっていれば、幸いです。

サンローランの年賀状