Do Me Right / BECKIE BELL 1985
1982年にINDEEPとして『Last Night a D.J. Saved My Life』のクラブ・ヒットを放った後に、フランスはCarrereレーベルから個人名義でリリースされたソロ・シングル12inch『Touche Pas Mon Toot Toot』のB面。1985年といえばRUN DMCやBEASTIE BOYSが登場、ロックとHIPHOPが初めて融合した年でもあり生粋のソウル・ファンからは不毛の年とも言われていますが、この曲は同じ年にヨーロッパの片隅でまだ黒いブギーが生き残っていた証拠です。
Fire to Desire / CYCLADES 1979
フランス人ディスコ・クリエーターMAX BERLINのサイド・プロジェクトCYCLADESの、イントロから腰にくる超ファンキーな一曲。MAX BERLINは本名をJEAN-PIERRE CERRONEと言い、あのCERRONEと兄弟関係にあるとの事です。
This Must Be The Night for Love / B.T. EXPRESS 1982
ブルックリン出身ファンク・バンドのラスト・アルバム『Keep It Up』からのシングル12inchB面。1982年すでにファンク・バンドとしての旬は過ぎていましたが、この曲は都会的でDeepな彼ららしい雰囲気のあるNYサウンドに仕上がっています。
Winter Love / RAH BAND 1982
まだ寒いのでRAH BANDの『Winter Love』です。この季節にピッタリのファンタジックでキラキラしたこのLove Songは『Perfumed Garden』や『Cloud Across The Moon』など、数々の良曲を送り出した彼の作品の中でも、そのキャッチーさにおいては抜きに出ていながら、プロモーション・オンリーの12inchシングルだったせいかあまり知られていない一曲です。
Ease Your Mind (remix U.S.) / TOUCHDOWN 1982
UKジャズファンク・バンドTOUCHDOWNの人気曲。これはStreetwise Records盤の12inchA面ARTHUR BAKERリミックスのRemix U.S.ヴァージョンで、DAVID MANCUSO師が使用するジャジーなRecord Shack盤のREMIXとはイントロやSEの音使いなど微妙に異なり、上物などはこちらの方がよりディスコっぽい音になっています。
Time Warp / EDDY GRANT 1982
多くの著名DJがフェイヴァリットに挙げる、タイトルから格好いいEDDY GRANTのDopeなエレクトロ・ブギー・インスト。NYアンダーグラウンドを象徴するLoft/Garageクラシックとして、またその後のHouse Musicの始祖の一つに数えられる重要曲でもあります。
Far Out / CROWN HEIGHTS AFFAIR 1980
『Say a Prayer for Two』が有名な、前述のB.T.EXPRESSと同じくブルックリン出身のディスコ・グループの12inchシングルB面。Hip Hopのサンプルネタだったり、Garageクラシックとしても人気の一曲です。特に中盤から後半にかけての突き抜けるような疾走感いっぱいの熱い演奏は、文字通り宇宙に向かってFar Outです。
Space Age / THE JIMMY CASTOR BUNCH 1976
『It’s Just Bigin』のJIMMY CASTER BUNCHが76年にAtlanticに残したスペース・ファンク・チューン。アルバム『E-Man Groovin’』からの12inchシングル。文字通り宇宙を連想させるギャラクシーなシンセとジャジーなギターの絡みが心地いいメロウ・ブギーです。
Night And Day (cd remix) / U2 1990
1990年に、COLE POTERを偲ぶ企画でUKの著名アーティストが集まり彼の曲を歌い『Red Hot And Blue』というトリビュートCDをリリース。その中でU2がFRANK SINATRAで有名なこの曲をカバー。それをよりリズムを厚くディープに再構築しバレアリックに仕立て直したのがこのヴァージョンです。このアナログはDJ向けリミックス・コンピレーション12inch、Rhythm Stickシリーズにのみ収録されています。
On The Floor (rock-it) (instr.) / TONY COOK AND THE PARTY PEOPLE 1984
BOYD JAVIS & TIMMY REGISFORDというHouse Music黎明期にその名を馳せたクリエーター2人組による80’sエレクトロ・ブギーB面インスト。リズム自体はまだHouseまでは到達していませんが、音の選び方や組み立て方などは1984年当時ですでにEarly Houseとして充分成立しています。
White Horse / LAID BACK 1983
当時日本では一部クラブを除いて、この12inchA面の明るく能天気な『Sunshine Reggae』がディスコやラジオでヒットしましたが、NYアンダーグラウンド・シーンやヨーロッパのディスコではこちらのB面の方が大ヒットしました。
Real Love / THE DOOBIE BROTHERS 1980
キャリア後半のMICHAEL McDONALD期では1978年の『What a Fool Believes』が最もポピュラーですが、同タイプのこの曲も忘れがたいM. McDONALD節全開のナンバーです。12inchシングル盤では後ろの音も太く鳴りもよく、同じ曲でもアルバムとは印象が違って聞こえてきます。
山:川野さんは『ピーターガン』を、その頃は切り替えの時に良く使っていた印象があります。
川:あれは、アート・オブ・ノイズ版っですね。オリジナルは古いから音が籠るんだけど、アート・オブ・ノイズは新しいから、音が抜けるので、空気を変えるのにはちょうど良かった。ギターは、オリジナルと同じデュアン・エディだったと思います。
THE JAMが『バットマンのテーマ』とかカバーする感覚で、60年代アメリカのTV主題曲が格好いいという感覚が、当時はありました。
山:自分はパンク~ニューウェーブの直撃世代なので、ちょっとダサい表現なんだけど(笑)、ハイブリッドな音楽に魅力を感じるんですよ。単純にレゲエとか、ヒップホップとかというよりも、色んな要素がかけ合わさって一つの音楽になるような。後期クラッシュやスタイル・カウンシルなんかも、すごくそういう要素が強いと思います。
クラッシュの『コンバットロック』というアルバムには 『Should I Stay or Should I Go』の様なパンクアンセムもあれば『ROCK THE CASBAH』の様なガラージュ・クラシックスも入っていたりして、とても同じグループの曲とは思えないくらい(笑)ハイブリッドな構成ですよね。
山:この辺もネタの面白さですよね。ジャングル・ブラザースも含めて、この辺のグループは、トラックの選び方が面白かった。
ビースティ・ボーイズも、ロックとヒップホップのハイブリッドとして、すごく新鮮でした。
TOKYO NO1 SOUL SETのメンバーを、当初どういう配置にするかという事は、かなり考えました。
月曜日には最初ドラゴン&ビッケで入れて、マイク寄りのDJ。一番集客力のある土曜日に、当時はまだ経験が浅かった川辺ヒロシ君と、渡辺俊美君を入れるのは、勇気がいりましたが、彼らには独自のセンスと集客力があったので、結果的に成功しました。土曜日の営業という側面での音楽的なバランスは下山君(下北ナイトクラブ時代からのメインDJ)に取ってもらう形にしました。
川:僕がやっていた月曜日の最大のトピックは、当時ビーツ・インターナショナルだったノーマン・クックの来日プレイでしたね。コーラスが入ったり、ライブ的な要素もあり、すごく新鮮でした。少し前に香港でFATBOY SLIMのパフォーマンスを見たけど、当時とは本質的には変わらないですね。
僕がFUNKADELICの『Get Off Your Ass and Jam』をかけたら、ノーマンがものすごいダンスをしてくれて、翌日ライブを見たら、この曲をブレイクビーツ的に演奏していたので、納得でした。
山:あの日は小沢健二君とか、色んな人が来てくれて、サックスやMCも入る動きのあるDJでした。後日ノーマン・クックも良いパフォーマンスだったと、インタビューで語っているのを見ました。
しっかり本人にはサインをしてもらいました(笑)。
川:あれは山下さんのノーマンにプレイして欲しいという熱い情熱を、僕が当時からお付き合いのあった招聘元のスマッシュ日高社長への手紙にしてお願いをし、LIVEの後に、スケジュールを組んでもらいました。
今考えると、無茶なことやりましたが、いい企画でした。
山:ビーツ・インターナショナルは、クラッシュの『GUNS OF BRIXTON』をネタにしてヒットさせたりしていて、自分の考えているハイブリッドなコンビネーションを具現化しているグループだったので、是非やってもらいたいと思っていました。