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Cinema Discussion-27/ 『ドント・ウォーリー』ガス・ヴァン・サントが描く異端のコミック作家

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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクルルージュのシネマ・ディスカッション。
第27回は、アメリカンインディペンデント映画の巨匠ともいえるガス・ヴァン・サント監督の新作『ドント・ウォーリー』です。
ヴァン・サント自身が親交のあったポートランドの車椅子の漫画家ジョン・キャラハンを描いた意欲作です。
主演は、ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』でブレイクしたリバー・フェニックスの弟、ホアキン・フェニックス。
ディスカッションメンバーは、映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

★まずは、『ドント・ウォーリー』どのようにご覧になりましたか?

川口哲生(以下T):アルコールにしてもドラッグにしても、そのアディクトから抜けだすには「もはや自分の力では どうにもならないことを自ら認める」という過程が肝ですよね。「誘惑に負けるのは、誘惑に勝てない弱い人間だからではなく、それに勝ち続けようという無謀な戦いに疲れ、絶望し、やけくそになったからであって、むしろ自暴自棄の絶望にはまり込んでしまうほどの強い意志と努力を続けた強い人こそが最も誘惑に負けやすい」と言われますが今回描かれるジョン・キャラハンも正にそんな人だと思います。彼が強い分離感と葛藤とを抱える限り結局誘惑には勝てないわけです。彼の場合、自暴自棄のたどり着いた先が四体麻痺という大事故なのですからその心の痛みはどれだけだったんだろうと思います。でもそれが彼にとっては、初めに言ったような現状への心の底からの認識を生み、その中での人と関わりがアディクトの誘惑に魅力を感じないでいられる、十分な満足、心の平和、愛されている感覚に繋がった訳で、この映画で描かれているそう言った彼の心の平和に関わる、周りの人との関係がすごく魅力的でした。

川野正雄(以下M):最近多い実話の映画化、ハンディキャップものだと、ちょっと引いてしまう部分もあるのですが、冒頭から引き込まれました。
美談で終わってしまいそうなテーマを、ヴァン・サントらしく少し意地悪な視線や、アクの強い描写で、一筋縄ではいかない作品にしていると思いました。
また何よりも、主人公のジョンだけではなく、登場するキャラクター達が個性的で、それぞれの人生の背負い方みたいな部分が、すごくインパクトのある描き方をされているのが、心に残りました。

名古屋靖(以下N):よかったです。 ART系とか実験映画系?と商業系の両方がバランス良くミックスされていて、映画として楽しめ、観終わった後は心の中に大切な何かをきちんと残してくれていました。

川口敦子(以下A):カンヌで上映された前作『追憶の森』がブーイングの嵐にさらされたと聞いて、別にファンだからGVSに肩入れしていうわけじゃないけれど、とても普通によくできた映画だったのになあと、不思議に思っていました。確かに樹海で生死の境をさまよっているひとりが、自殺を決意したひとりを生の方へと導いてと判りやすく説明してしまったのではこぼれ落ちるいくつもの細部にこそ滋味がある映画で、しかもスピリチュアルな部分に深く入り込んでいて、その部分はいっそ明快にシンプルに物語りされるので、もっと重大な何かかがないのかなんて身構えるとすっと外されたような肩すかし感を味わうのかもしれませんが、そのすとんと生と死とをみつめるみつめ方、圧のない語り口にGVSのよさがあると思うんですね。で、今回の『ドント・ウォーリー』もまたそういうGVSらしさをいっそうさらさらと差し出していて愉しみました。

ガス・ヴァン・サント監督

★ガス・ヴァン・サントの映画はこれ以前にどんなものを見ていますか? その印象と今回の映画は繋がる感じですか? そうだとしたらどのあたりが? そうでないとしたらまたどのあたりが変わったなの印象になったのでしょう?

M:冒頭のスケートボードのシーンは、『パラノイド・パーク』を思い出しました。
クリストファー・ドイルの撮影含めて、絵がふっと浮かんでくる作品でした。
元々はウイリアム・バロウズに会った際に、『ドラッグストア・カウボーイ』に出演して、若いけどいとてもいい監督だと聞いて、関心を持ちました。
その『ドラッグストア・カウボーイ』は、その当時見て、荒削りな部分もありましたが、エッジの効いた感触が好きになった作品です。
メジャー感の強い『誘う女』はあまり惹かれませんでしたが、90年台中期のアメリカン・インディーズの趣を強く持つ『カウガール・ブルース』は、音楽の使い方含めて好きな作品です。
実は『グッド・ウイル・ハンティング/旅立ち』は見てなかったりします。
むしろ最近の作品には、強く魅力を感じています。
一見つまらそうなビジネス的題材をスリリングに見せる『プロミスト・ランド』、加瀬亮君が見事な英語で登場するファンタジーラヴストーリー『永遠の僕たち』、敦子さんの評価する樹海の迷宮物語『追憶の森』など、テーマは違えど、どこかヴァン・サント作品には共通のエッセンスがあります。
この『ドント・ウィーリー』も、その一連の近作からの流れを継承していると思います。

N:実はガス・ヴァン・サントの映画はほとんど観ていません。だから彼がどのようなタイプの監督で、どういうところが魅力的なのか?正直僕に語る資格はありません。 『ドラッグストア・カウボーイ』は当時話題だったのもあり映画館に見にいきました。昔のことなのであまり細かい記憶はなく、上部だけしか観ていなかったからかもしれませんが、カッコは良かったけれど退屈で、正直その当時はあまり好印象は持てませんでした。 この2作品だけで言うなら、掴みは同じですかね。特にこの映画の何層かのカットアップ的な手法は決して分かり辛くはなく見事です。漫画の使い方も絶妙だと思います。

A:80年代の終り頃、ジャームッシュとかスパイク・リーとかNYインディーズと呼ばれてハリウッドの大作主義とは異なるスモールフィルムが清新な風を感じさせてくれた、その流れの中で90年代にかけてGVSを知り、追いかけて来たんですが、最初『ドラッグストア・カウボーイ』が騒がれた頃はやっぱりそのかっこよさ、マット・ディロンのルックと重なる印象で”おしゃれ映画”として受け取っていたなあというのが今、思い返すと正直なところありますね。で、実際に取材してみるとそういう思い込みをやんわりとケイベツするその微笑がなかなか怖いんですね。取材する側ってついこうでしょときめつけてかかった質問をしがちなんですが、そこをふふっと見越して責めないけれど違うぞ光線みたいなものを放つのでだんだん居心地悪くなってくる。試されてる感じをこちらが勝手に増幅して自意識過剰みたいになってくる――といっても、質問にはきちんと答えてくれるんですが、終わった後になんだかなあと、自己嫌悪に陥るような、そんな感じがありましたね。
多分、そういう部分が一部の、とりわけ若くてまだ毒されていない俳優にすごく信頼されている要因なんじゃないかな。
で、GVSの映画そのものも実験映画とコマーシャルな映画の狭間にあるような――と最初に話してくれた感触を温存しながら、『グッド・ウィル・ハンティング』のようにぐっとウェルメイドに傾くかと思えば、『ジェリー』『エレファント』『ラスト・デイズ』みたいなリニアな物語を排した究極へと振り切れていく――と、決めつけ難さをどんどん更新していく、そこが魅力でもあります。
『ドント・ウォーリー』はウェルメイドと実験色をうまく配合したという点で確かに『ドラッグストア・カウボーイ』と近いかもしれませんね。『ドラッグストア・カウボーイ』が青春後期の感懐だったとすると『ドント・ウォーリー』には生/死への目にも、語り口にも成熟が感じられるようにも思えました。

T:『ドラッグストア・カウボーイ』と『マイ・プライベート・アイダホ』ぐらいしか観ていないのでいつものようにごくごくアマチュアな印象ですが。。。やはりマット・ディロンやリヴァー・フェニックス、キアヌ・リーブスといった美形の若い男の子を配し、ドラッグや男娼みたいなセンセーショナルな題材の中で、すごく魅力的にこの世代の破滅的な美しさを撮っているなあ、というストレートな印象。
そうした初期作から中抜けで『ドント・ウォーリー』を観たわけですが、今回は主人公にそうしたわかりやすい見た目の美しさはないし、もっと大人の痛みや切なさを克服するような終わり方に美しさを見る感じで、これは年を経た変化なのでしょうか。

★アルコール依存症で四肢麻痺という主人公の克己、再生の過程を描きながら、その種のジャンル映画の重苦しさとか説教臭さを抜け出していますね。どのあたりがこの軽やかさの素だと思いますか?

M:比較的テーマ的には、最近よくあるジャンル映画とも言えますね。その手のジャンル映画が食傷気味になっていますが、ちょっと違うんですよね。
やはりキャラクターではないでしょうか。
どのキャクターも濃いですが、単純な善人とかではなく、暗いバックボーンがあったりして、それをまたシニカルに描くことで、ティピカルなジャンル映画から脱却していると思います。

A:最初の方、二本足で歩いた最期の日の回想の中で、ジョン・キャラハンが塗装の仕事の現場に行くとその家の住人なのか、玄関の車寄せみたいなところに車椅子の人がいて、キャラハンが身障者とどう接していいか分からない――みたいなことを心の中でつぶやくと、その車椅子の人がさかさにするとエッチな絵になるペンをいきなりみせるというちょっと唐突な場面があったと思うんですが、ああいう正直さ、それはスケボー少年たちの転倒したキャラハンに対する態度とも通じるんだと思うけど、それが爽やかな軽味を支えているんじゃないでしょうか。

N:主人公が電動車椅子に乗って街を猛スピードで疾走する姿と、そのスケボー少年たちとのエピソードは、重苦しさや深刻さ等を先に払拭させてくれましたね。また少年達とキャラハンが手作りのバンクで一緒に遊ぶシーンはとてもチャーミングで一番印象に残ります。

★当初、ロビン・ウィリアムズが自身の主演企画としてヴァン・サントにアプローチしたそうですが、彼が演じていたらどうだったでしょうね?

N:もっと涙や笑いの要素が多くドラマチックになっていたかもしれませんが、メジャーな商業映画らしさが際立ち、キャラハン本人のシニカルな雰囲気は少し削がれたかもしれません。ロビン・ウイリアムスが演じていたらもっと泣けたかもしれませんけどね。

M:本当にロビン・ウイリアムスには申し訳ありませんが、ティピカルでありがちな感動する映画になったと思います。ある種の毒素見たいな部分は、ホアキン・フェニックスの方がうまく表現したと思います。

A:GVSの映画というよりあくまでロビン・ウィリアムズの映画になっていたでしょうね。
今は亡きウィリアムズには悪いのですが個人的にはホアキンでよかった。
ホアキン・フェニックスは今、いちばん刺激的な俳優のひとりだと思うんですが、いろんな怪物的なキャラクターを演じているのに、自分の色を消せるんですね。デ・ニーロの全盛期に役になり切ると言われてましたがやっぱりデ・ニーロだといつも感じさせた。あのにやにや笑いとか、意外となり切り演技をはみ出してくる部分もあったように思うけど、ホアキンにはなんだかそれがない、でも惹きこまれる。その意味で不思議って言葉はなんか違うのですが気になる俳優なんですね。

★導師ドニーとそのセラピー・グループの描き方に関してはいかがですか?

T:このドニーが70年代後半から80年代初頭のアメリカの西海岸的なブルジョワスピリチュアル導師という感じで笑える。アクセサリージャラジャラ、香水ぷんぷん、週末にウォーホルのパーティに行くとか。。。だけどこの胡散臭さが逆に人間ぽくて、この映画のキーパーソンですよね。最後のシーンもいいですね。

N:ドニーは当時、アートや音楽、ファッション、遊び事で最も恵まれて輝いていた最先端の人達の典型。彼が週末NYに遊びに行く準備中、馬鹿っぽく踊っている姿もアリだし、そこそこ下品な冗談を挟みながら主人公達を模範的な方向に導こうとする真摯な姿勢も素晴らしい。まるでフィクションのような彼の一生はとても映画的で魅力的なキャラクターでした。 その他セラピー参加者たちも、一見表向きは社交的でも実はみんな出口のない悩みを抱えた、リアルなアメリカ人のステレオタイプの集まりのようでそれぞれが際立っています。
僕のごく近いアメリカの友人に本格的なアルコール中毒の男がいます。本人は悩んでもいませんし、酒を止める気もありません。でも家族はとても心配しています。彼を想って一度忠告した事があるのですが、その時の彼の反抗的で恐ろしい目つきを忘れる事ができません。僕にとってアメリカのアル中問題は身近でリアルな問題だったりします。

A:依存を克服する12のステップに関する部分は原作にもあるけれど、GVSが独自にふくらませていて、面白いですね。常連俳優ウド・キアがこれまでの役とつながりあるみたいな台詞をいうのもにやりの部分ですが、それが浮きそうで浮かずにキャラハンの克己の過程に関与してくるあたり、自ら脚本を書いたGVSのいいたいことがさりげなく配されているんでしょうね。

M:ドニーは重要なキャラクターだと思います。彼の存在が、単なるハンディキャップのある主人公の伝記映画から、一段深い世界へと観客を引き込み、映画の世界観に誘導していると思います。
彼のファッションも独特で良かったです。ああいう善悪つきかねるキャラクターを魅力的に描くのが、上手いですね。
その他のセラピーグループのメンバーは、何だかドキュメンタリーを見ているような気分になる描き方でした。

★アヌー(ルーニー・マラ)の描き方に関して海外評では否定的なものが多いのですが、いかがでしょう? 他に気になるキャラクターは?

A:アヌーの役はキャラハンが実際に交際した何人かの女性を合成して作ったとプロダクション・ノートにありますが、光を招き入れるように最初に現われるところとか、CA姿での再登場が空のイメージと結びつけられているところとか、ある種の天使みたいな存在でキャラハンの頭の中にだけ見えているのかしらと感じた部分もありました。でも、いっぽうでパンフレットにあるインタビューではアヌーが手助けする入浴の場面とか現実のガールフレンドに取材してリアルに描き込んだといった監督の発言もあるので幻想とばかりもいえないようですね。どちらにしてもちょっと判らないという評がでるのは判るけれど、むしろその曖昧さに好感をもちました笑
その意味ではジャグラーたちというのも面白かったし、公園でデートしているゲイのおじさんカップルとか、お酒のませてとよってくるホームレスとか、一見、無駄みたいなキャラクターの点描が効いてますよね。
あとぼーっとしているんだかしていないんだか、妙におかしい介護士のお兄ちゃんも好きです。

T:アヌーはCA姿の登場等確かに唐突な感がありましたし、過酷な状況での一筋の光感が誇張されている気もしましたが。
主人公の生きていくことの、生まれ変わることの大きなモチベーションだったろうし、そのハンデキャップを特別視しないような、どんな世界いにいても自分で生きられるような人間の大きさも感じました。

N:彼女はこの映画の中でも最も作られた印象の華やかなキャラクターなので人によっては余計もしくは不要な要素に映ったのかもしれませんね。 僕はジャック・ブラックの演じたデクスターが好きでした。めちゃくちゃな前半も最高ですが、再会時の二人のやりとりはベタかもしれませんがやはりグッとくるものがあります。

M:ルーニー・マラは、『ドラゴン・タトゥーの女』のリズベット役で、すごく気になった女優です。この作品の序盤では、髪型のせいか老いたトポルを相手にするミア・ファーローの『フォロー・ミー』を思い出してしまいました。
エンジェルのような造形された彼女の設定が、海外では辛口になっているのでしょうか?
僕には常に救いの部分で、アヌーはスパイスとして機能していたと思います。
他では名古屋君と同じくデクスターです。
見ながらデクスターの存在が、ずっと気になっていたので、デクスターの再登場は素晴らしい場面だと思いました。

★母、家探しの話というヴァン・サント映画のひとつのテーマがここにも出てきますが、その中で壁の画が活人化されたりする。といったちょっと昔の実験映画っぽさは気になりませんでしたか?

A:実母探しのエピソードは原作でかなりのボリュームをもってふれられていて、実は、母のことも、父のことも判明し、その家族ともコンタクトがとれ、拒絶され――といった部分にまで触れられているんですね。母の親友でルームメイトだった人が大量の写真を送ってくれたってくだりもある。でも、そういう具体的なエピソードはばっさりけずりとって赤毛の教師で生まれたばかりの僕を捨てたととGVSがエッセンスに煮詰めたことで映画的な強さが迫ってきていいですね。養父母の家での夕食の場面も印象的です。

母を探すエピソードは『マイ・プライベート・アイダホ』の核でもあるし、疑似家族というのは同作にも、『ミルク』のハーヴェイ・ミルクを取り巻くグループにも、『ドラッグストア・カウボーイ』の盗みの仲間4人にも、『カウガール・ブルース』や『ラスト・デイズ』にもといくつものGVS映画で繰り返し見られます。先のドニーとそのセラピーグループもひとつのファミリーとして捉えられるし。GVSの“非公認”バイオというのを読むと父の仕事のせいで(服飾関係のセールスマンからマクレガー社のトップに上りつめた人のようですが)転々として育った、それが家を求めることとつながったとありましたが、ここは本人のコメントを直接聞いてみたい所ですね。

昔の実験映画っぽさというのはコネチカットにいた頃、ハイスクールの先生に60年代のアンダーグラウンド映画、ウォーホルやメカス、ロン・ライスといった実験映画を見せられてそれが映画的教養の一つの柱になっていると最初に取材した時に語ってくれたのですが、”実験”色と同時に“ちょっと昔っぽい”という点も要になっているんじゃないかしら。
因みにその後、進学したロード・アイランドの美学校ではD・バーンやトーキング・ヘッズのメンバーとは顔見知りだったようです。

M:あまり母や家探しと追うのが、過去の作品とうまくインターフェース出来ないのですが、母の存在の無さが、ジョンの人生には重要な事は、強く伝わってきました。
画の活人化や、アニメの使い方は、僕は面白いと思いました。

N:肩の手の跡はこの映画にはちょっと不自然だったかな?

★音楽の使い方はどうですか?

A:デクスターとの再会の場面で80年代当時流行ってたビリー・ジョエルの曲が流れてて、いかにもキャラクターのいる時と所を思わせて、かっこ悪さがうまく活かされてる気がしました。
エンディングの曲はクレジットをみるとキャラハン自身が歌っているんですね。やわらかな声で痛烈な皮肉、黒い笑いを核にした彼の漫画の底にある素顔が覗いている、そんな声ですね。

N:あの時代を再現するのに、衣装やセットよりもシーンでの選曲は効果的だったと思います。

T:GVSはボウイやディーライトのクリップ作ったり、プライべートアイダホもB-52‘sからだし、音楽好きなんだろうね。挿入歌のジョンレノンの『アイソレーション』は一人ではないこと、家〈寄り添う人たち〉があることに感謝するように使われているのかな?

M:70~80年代という時代性と合わせて、常に音楽の使い方はうまい監督だと思います。やはりジョン・レノンが印象に残ってしまうのですが、『カウガール・ブルース』や『パラノイド・パーク』ほどには、音楽のインパクトはありません。
ただピーチズ&ハープのダンスシーンのベタな使い方は絶妙で、改めてヴァン・サントのセンスの良さを実感しました。

★主人公のジョン・キャラハンの地元でありガス・ヴァン・サントの拠点でもあるオレゴン州ポートランドが映画に寄与したものに関しては? 70年代から80年代という時代背景に関しては?

T:POPEYEにガス・ヴァン・サントの引っ越したLAの家でのインタビューが出ていたけれど、ポートランドについて「20年住んだからね。そろそろいいかなと思ったんだよ。それに街も変わったけれど、ネットで全てが変わっただろう?どこに住んでもあまり変わらない時代になったんだよ。」と言ってます。
ということは逆に言えば描かれる70年代後半から80年代初頭のポートランドはジョンとガス・ヴァン・サントが「ワーキング・クラスやパンク・ロッカーのようなミュージシャンが住んでいる」ようなエリアで「赤い髪をなびかせて、雨の中でも車いすを猛スピードで走らせていく姿」を目撃するようなリアルな人間関係の成立するスモールタウン的だったのかな?

N:ガス・ヴァン・サントのポートランド3部作の認識や知識も無いのでその観点では語れませんが、ポートランドは好きな町です。サン・フランシスコに裕福なアジア人やインド人たちが大量流入し、家賃も高騰し続けたおかげで、西海岸のアーティストたちの多くが移住先にポートランドを選んだのも納得出来る、自由と寛容さを持った自然とも近いハイパーすぎないほどよい都会です。

A:ポートランドってまさにGVS取材で束の間滞在しただけですが、LAから飛んで夜、降りた途端に湿気に包まれてやわらかくなってくみたい――と感じたのを覚えています。その時、準備中だった『マイ・プライベート・アイダホ』そして実質的なデビュー長編『マラ・ノーチェ』に切り取られているタフな界隈というのがキャラハンのいた場所でもあったようですね。あの独特の色や匂いが薄れてしまったんでしょうか。

M:ポートランドは行った事もないですから、なんとも言えないのですが、以前勤務していた会社の本社がポートランドで、ナイキと合わせてポートランドの独特なカルチャーみたいな部分は、感触としてはイメージが出来ます。
単なる田舎町ではなく、独特の文化のセンスの良さであったり、クリエイティブな空気というものが、作品には結びついているように感じました。
ヴァン・サントは、大都市というより地方都市を描くことが多いですし、その街の空気感を映像を通じて醸成するのが上手い監督だと思っています。

『ドント・ウォーリー』5月3日より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館他全国公開。
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CINEMA DISCUSSION-24/バスキア NYロワーイーストサイドの異端児

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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
またまた半年空いてしまい、2018年3回目の作品になる第24回は、70年代末のニューヨークに忽然と現れたアーチスト、バスキアをとらえたドキュメンタリー『バスキア、10代最後のとき』です。
監督はCINEMA DISCUSSIONお馴染みのジム・ジャームッシュのパートナーであるサラ・ドライバー。ジャームッシュも作品には登場するとの事で、今回取り上げる事にしました。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

★まずはこのドキュメンタリーをどんな期待をもってご覧になりましたか?
その期待に映画は応えてくれましたか?

川口敦子(以下A): 川野さんからサラ・ドライバー+バスキアのドキュメンタリーがあるからセルクルでもやりましょうと聞いて、ずっと追いかけてきたニューヨーク・フィルム・インディのこと、その背景にあった70年代後半のダウンタウンのことを、それも内側から描いてくれるのだろうなと期待が募りました。
開巻間もなくジャームッシュの『パーマネント・バケーション』のエンディング、パリへの(実はスタテン島へのフェリー)船出、波の道の向こうにマンハッタン島が浮かぶ場面が出てきて、期待通りの映画になりそうと身を乗り出しました。

川口哲生(以下T):自分たちにとって、様々な興味とインスピレーションの対象となるカルチャームーブメントが生まれた時代がありますね。ヌーベルヴァーグやスウィンギングロンドンやCD対象として取り上げてきたビートや、敦子さんにとってはロシアンアヴァンギャルドだったり、様々な時代が。
その中でも、この映画の描きとっているであろう70年代後半から80年代初めというのが自分にとって「遅れてきていない初めてのドンピチャな時代」だと思います。ニューヨークでおこっていたその時代を確認・再発見できる期待感がありました。

名古屋靖(以下N):このメンバーの中で一番年齢が若くまだ子供だった自分にとって、70年代終期~80年代初頭は、音楽やファッションをはじめ日々更新される刺激的すぎるニュースにただただ振り回されていた時期でした。まさに川口さんのおっしゃる通りそんな「ドンピシャな時代」について、当時の自分にはまだ理解不能だった真意や真相を再認識できたことは期待以上でした。

川野正雄(以下M):サラ・ドライバー&バスキアという事で、期待を持っていました。
フォーカスする瞬間がピンポイントで、驚きましたが、時代の変わり目の熱気を感じました。構成もうまいですね。
この手のドキュメンタリーは、監督が後追いフォロワーで、歴史的価値を再発見しながら制作していくものと、監督自身がそのムーヴメントの中にいて、実際に自分がフィジカルに感じた事を軸に構成していくタイプがありますが、今回は後者で、実際に自分がそのシーンの中にいたリアリティがうまく整理されて押し寄せてくる印象を持ちました。
いい作品だと思います。

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★映画はバスキアに関する伝記的事実、出自や家族や家庭環境のことなどにはふれず、またアート界の寵児となりドラッグの過剰摂取で27歳で早逝する最期についても描かずに、ブレイク寸前のバスキア、カリスマ的ストリートキッドとしていろいろ模索していた頃にフォーカスしていますが、この点はどう見ましたか? これ以前のバスキア映画と比べていかがですか?

T:その夜明け前から太陽が昇り始めた時まで、のようなピリオドの捉えかたはCDで前に取り上げたジミヘンのバイオグラフィ映画に通じますね。
監督サラ・ドライヴァーはバスキアという象徴を通じて『その時代のイーストヴィレッジ、ローワーイーストサイドといったニューヨーク』を描き止めたかったのでは。

N:個人的趣味の問題なのですが、僕自身ストリートやプリミティヴな作品にアートな魅力を感じなかったのもあり、バスキアを追求することはありませんでした。正直言えば、その時代の寵児として「上手くやりやがったな。」くらいの感覚しか持っていませんでしたし、この映画を観終わった後もその気持ちはあまり変わりませんが、本人のチャーミングなキャラクターには魅力を感じました。とてもハンサムだし、外見も含めて彼の人間性はスターになるための大事な要素だったんじゃないかと想像します。ジュリアン・シュナベール監督のスタイリッシュすぎる『バスキア』より、今回のドキュメンタリーの方が彼の魅力が溢れています。

A:寵児になる以前のバスキアに絞り込んで映画くことで時代と場所こそを浮き彫りにしようという、撮りたいことへの徹底的に頑固な姿勢が、さすがにジャームッシュの映画を支えてきた人らしくていいですね。
シュナーベルの『バスキア』も彼がコメンテイターのひとりとなっているタムラ・デイビスの『バスキアのすべて』も80年代スーパースターとなってから最期に至るまでをカバーしていて、ありがちな興亡の物語に収めつつも温かい眼差しが感じられ、中でもウォーホルとの関係とか、やはり興味深くて惹き込まれるのですが、そういう”物語”をあえて紡がずにほとんど淡々と10代の、多分、いちばん幸福だった時代の彼を祝福するスタンスが素敵だと思います。

M:ジュリアン・シュナーベルの『バスキア』は、かなりスタイリッシュな作品でした。ボウイがアンディ・ウォーホルだったりして。
音楽の使い方も象徴的で、サントラもよく聞いていました。
今回の『バスキア 10代最後のとき』は、よりプリミティブな姿勢のバスキアが描かれていて、そういうオシャレ作品とは違いますね。HIP HOP前夜でもあるNYのマグマみたいなものを、すごくダイレクトに感じました。
バスキアの近年のイメージは、Tシャツが街に溢れたりして、妙なメジャー感が生まれたりしていたのですが、この作品で改めてバスキアというアーチストの本質を知る事が出来て良かったです。SAMOとか、グレイとか、マンメイドとか、アンダーグランドな活動についてはよく知らなかったし、すごくかっこいいとも思いました。

A:もう一本、今回のドライバーの映画でも謝辞が捧げられている故グレン・オブライエンが脚本・共同製作で参加した『Downtown81』って、バスキアが主演したおとぎ話仕立てで70年代後半のダウンタウンを検証する一作も音楽的にも見ごたえあって、2本立てで見るとさらに愉しめるんじゃないでしょうか。

★印象的なコメントは? 同時代の友人、知人、恋人の声を熱心に拾っているのに、バスキア自身の肉声はない。映像と作品に語らせるような選択に関してどうですか?

A:今言ったオブライエンの映画や往時のスーパー8でささっと撮ってクラブで上映していたようなインディもインディのインスタントな映画とか、抜粋されているいくつもの映像が十分に語ってくれているので、むしろ本人の声は余計な感傷を付加していまうようにも思え、そこを敢然と切り捨てるところが繰り返せばいいなあと。

M:割と身近で、無名な人も拾ってインタビューしていますね。間接話法なんですが、外側からバスキアの人物が見えてくる印象です。
この手法は、ボブ・ディランを描いたスコセッシの『NO DIRECTION HOME』の前半を、思い出しました。時代は違えどNYの夜明け前的な描写を、証言で表現した結果でしょうか。
グレイでは、ヴィンセント・ギャロが一緒にバンドやっていたなんて、知りませんでしたし、JAZZをやっていた事も知りませんでした。
自分でペイントした服=マンメイドとか知っていたら、きっと絶対に欲しかったと思います。

N:僕もみなさんと同じく、本人のプライベートに近かしい、名もなき人々のコメントに現実性を強く感じましたし、どこまで本意か今では確認できないであろう本人の肉声より説得力があったように思います。

T:みんなが一様に、彼の人間的魅力、一種の人なつっこさを語っていたけれど、登場する彼の映像からそれが伝わってくるような気がしました。
誰の言葉か忘れたけれど、当時アパートメントの入り口に座り、日長ハイにきめて話をして過ごすような、誰かの家に転がり込んで居候して過ごすような、そんな時間の流れを共有するボヘミアンなコミニティがうらやましくまた懐かしく感じました。

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★バスキアを素材にしながら監督サラ・ドライバーは彼女自身もそこにいた70年代末ニューヨーク ロワーイーストサイドのスリルこそを描いているように見えますが、真の主役ともいえそうなそんな時代と場所の面白さについていかがでしょう?

T:先に監督のファーカスした部分のところでも触れた様に、正にそれを感じる映画ですね。
この時代のニューヨークってこの映画にも登場する様に音楽的にもパンク、ニューウェーブ、インダストリアルなノイズ、フェイクジャズ、黎明期のヒップホップと混沌としていてその関わりやキーパーソンが誰かといった所も興味深いですね。
グラフィティというとWILD STYLEとかHIPHOPとかにストレートに結びつけがちだけどファブ5フレディのビバップの話とか、バスキアはラジカセでいつもインダストリアル聞いていたとか、アートイベントでのプレイでHIPHOP側も新鮮なオーディエンス得たりと混ざり方が面白いですね。
バスキアのGRAYの音楽も聞き直してみたけれど、いろいろな要素だね。ステージ写真とかフェイクジャズみたいだけど

A:「78年にひとつの頂点を迎えた音楽シーンで私たちは知り合った。あの頃はだれもがギターを試し、その後はみんなが画家をめざしてた」と、86年PFFでニューヨークのインディ映画を特集した際、来日したドライバーは語ってくれましたが、実際、何かをしたいと思う人々が、健やかな野心だけを芯にうろうろしていた時代と場所は、素敵に輝いて見えましたね。ロシア・アヴァンギャルドとかダダとかシュルレアリスムにしてもジャンルを超えた大きな創作の力が不思議に同じ所に同じ興味を持つ人を集めるっていうのがある、その力に私はまあロマンチックに惹かれてしまうんですね。

M:これはワクワクした感じでした。懐かしさも含めてです。70年代末は、ロンドンでパンクも生まれ、世界中で新しいカルチャーが生まれてきた時代ではないでしょうか。
音楽的には70年代後半に、レゲエが英国も米国も認知され始め、ホワイト&ブラックのカルチャーがミックスされ始めたと思います。多分それまでの時代は、ミックスカルチャーになる土壌は無かったと思います。バスキアが世間に受け入れられたのも、そんな時代背景もあったと思います。
映画に登場する人々も、思いのほか白人が多く、バスキアを正当にバイヤスかけずに評価していたんだなと思いました。
出演者では、やはり『ワイルドスタイル』の出演者でもあるファブ・5・フレディや、リー・キュノネスは、印象に残りました。
バスキアとヒップホップって、自分の中ではちょっと距離感がある印象でしたが、この作品を見て、改めてそのベースにあるであろう関係性を認識しました。
個人的には、やはり『ワイルドスタイル』の池袋西武でやった出演者によるイベントが最初の実体験でした。超満員で、何とか裏から入れてもらい、その場で見たパフォーマンスの強烈さは、忘れられません。
会場でグラフティアーチストのFUTURA2000にサインをしてもらったのですが、今見るとバスキアにつながるエッセンスがあるのがわかります。
FUTURA2000は、クラッシュと一緒にレコーディングしたり、ツアーをしています。そのクラッシュは1978年〜79年とニューヨークでライブをやり、アンディ・ウォーホルも楽屋に訪れたりしていましたが、クラッシュにとってもバンドの方向性を決めるような刺激を当時のニューヨークで受けたといいます。
後々のジャームッシュとジョー・ストラマーの関係性含めて、その時代のニューヨークに行った事が、大きな転機になるようなスリルがあったのではないかと思います。
バスキアの周りでも、様々な出会いが化学反応を生んで、新たなアートや、スタイルがどんどん生まれていくすごい環境だったのではないでしょうか。

FUTURA2000のサイン。1983年10月10日にもらったもの。

N:白人層の郊外への移住、治安の悪さや不景気等が重なったその時代のニューヨーク、ローワーイーストサイドの実情を知ることで、なぜその時その場所で様々な事柄が突発的に次々と発生して行ったのか?またストリート・カルチャーとは?など興味深く観ることができました。

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★クラブ・カルチャーや音楽、映像、アート、詩等々がストリートと一体になり境界を超えてひとつのシーンを作っていく、70年代末ニューヨークは80年代東京と通じていなくもないように思いますが自分自身の体験と比べて見る部分もありましたか?

A:70年代後半の名残りがまだあった84年のニューヨーク――ドライバーは今回の映画のプレスでレーガン、黄金流入、エイズ、麻薬対策が81年以降、全てを変えてしまったと述懐してるんですが――でもそれでもまだまだ余熱は感じられたそこに行ってみて、それから80年代末にジョン・ルーリーとか取材すると、家の床で寝ていたバスキアとかいってるその感じ、それは80年代東京でジャンルが違ういろんな仕事をしている人が集まったオフィスに夜な夜ないろんな人が来ていろいろ試そうとしていた頃とやはりちょっとだけ通じてきてしまうんですね。

M:個人的な体験の話になってしまいますが、どうしても哲生君や敦子さんと一緒に初めて行ったNYを思い出しますね。あの時はまだバスキアもウォーホルもまだNYでは健在で、今考えると結構すごい時代だったんだなと思います。
チェルシーホテルの近くの銀行に行ったら。顔見知りだったワールズエンドにいたジーン・クレールに偶然会ったし、キッド・クレオールもホテルの前でバッタリでしたね。PIZZA AU GO GOという水曜夜だけクラブになるピザ屋には、フランク・ザッパやスクリッティ・ポリッティのグリーンがいたし、クリシー・ハインドもリッツにいた。
ともかくすごい体験というか衝撃的でした。HIP HOPカルチャーも、多分そういうカルトな人物が近くにウロウロしているNYの日常的な世界を原動力として、当事のバスキアがいた世界の周辺あたりから沸いてきて、それが80年代になり大きく発達したのではないかと思います。ただバスキア自身はそういう世界とは、一線を引いていたようにも思います。
ちょっと距離感がある孤高の存在です。逆にウォーホルは意外と距離感は近いのではないでしょうか。

T:東京はロンドンでパンク、ニューヨークでのパンクやニューウェーブやヒップホップとまだまだ情報を誰が一番先取りするかみたいな時代だった気がしますが、それでも潜在的無意識としてはそうした気持ちを共有していた人たちもいたんだろうし、少なくても世界同時多発な気分はありました。

N:NETのなかったその頃、桑原茂一氏など諸先輩の方々が独自のルートで仕入れた、ある程度バイアスがかかっていたであろう情報しか知ることが出来なかった自分にも、世界で初めてパンクが登場したニューヨークはユース・カルチャーの震源地であり、様々な尖った情報の発信源の一つでした。その後もそれまでの価値観を打ち壊されながら新たな何かが雨後の筍のように続々と登場してきた刺激的な時期、東京に住む若い僕らにとっても常にアンテナを張って走り続けなければ、何だか分からないけど乗り遅れてしまいそうな、エネルギッシュな毎日だったように思い出されます。

★この時代と場所から生まれたもの、サブカルチャーのメジャー化というお定まりのルートを辿る一方、現在のSNS環境の中で誰もがアーティスト化がいっそう進んで来ていますが、その今と10代のバスキア、あるいは彼をスターにした時代との繋がりを感じますか?

N:そのやり方・方法は違えど若きバスキアの時代も、SNSな現代も、どうやって来た波に乗るか?が大事なコトなのは同じような気がします、良い悪いは別として。 アンディ・ウォーホルがその約10年前に予言した「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」は、バスキア自身はもちろん、現代にも通ずる光であり忠告でもあると思います。

T:人間の体温を感じるコミュティレベルからこうしたサブカルチャーのムーブメントが発生し突き抜けていく熱量みたいなところ、そこがsnsとの違いかなと思います。

M:SAMOもCOLABも、SNSがあったら、当たり前のように一躍大人気になったと思います。バスキアの平凡さと天才さの境目とか、すごくわかりにくくて、実は誰にでもチャンスはある。そんな事もサラ・ドライバーは伝えたかったのではないかと感じました。

A:触知できる何かがあった閉じられた世界を甘ったるく懐かしむのではない、でもそこを機能させていた程度の規模というのかな、それを自分では守るというドライバーの現代(バスキアをスターにしたもの?)との切断の仕方が見終わった後、しばらくした今もなんだか胸に迫ってきています。

『バスキア 10代最後のとき』
12月22日(土) YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開