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Cinema Discussion-34 蘇った伝説のカルトロードムービー『ヒッチャー』

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2021年が明けました。昨年からエンターティメントやファッションを取り巻く環境は大きく変わってきています。セルクルルージュのサイトの更新も昨年は滞りがちでしたが、今年は我々なりのnew normalを考えながら、新たな情報や価値観を皆様に伝えていきたいと考えておりますので、本年もお付き合いくださいますよう、よろしくお願い致します。
2021年のスタートは、映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッションです。
34回目になる2021年最初のCinema Discussionは、36年ぶりにニューマスター版で公開される伝説のカルト作品『ヒッチャー』(The Hitcher)です。
1986年製作された『ヒッチャー』は、『ブレードランナー』で注目されたルドガー・ハウアーが、恐怖のヒッチハイカーを演じたサイコ・サスペンス作品です。
私自身は公開当時ノーマークな作品でしたが、伝説になる事が納得のカルトムービーでした。
ディスカッションメンバーは、川野正雄、名古屋靖、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の3名になります。

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★まずはご覧になった感想を。怖かったですか? 余りの怖さに笑っちゃいましたか?

名古屋靖(以下N):僕は1986年公開時に劇場で観てました。当時は『ブレードランナー』で気になった役者が主役級の映画という理由で観に行った覚えがあります。当時もそうでしたが「怖い」とか「笑っちゃう」映画ではなかったです。シンプルなストーリーに、これでもかなの惨忍の繰り返しはまるで70年代アメリカン・ニューシネマを彷彿とさせてくれて、ぞくぞくするかっこよさがありました。今観直してみても「ルトガー・ハウアーいいなあ。」と思います。

川野正雄(以下M):全くこの作品の事は知らなかったので、驚きました。ヒッチコックではよくある巻き込まれ型のストーリーですが、逃げ場のない状況に追い詰められる心理的な圧迫が怖かったです。最初はどうかな~と思いながら見ましたが、直ぐに引き込まれました。

川口敦子(以下A):ひとつのジャンルに押しこめるのが難しい映画という気もするのですが、ホラー、サイコスリラー、その極限を超えてコメディの域に踏み込んでいく、というか踏み込ませることで逃げても逃げてもやってくる不条理な殺人鬼からの逃げ道にするというような見方をしているように思います。無理やり笑うしかないような、つまり理由も動機もないものに対する答えのなさの怖さを、しかめつらしく語るのでなくアクション活劇として成り立たせている点が、面白かったというんでしょうか。ちなみに今回、お休みした哲生くんにどこがダメだったのと訊いたら、もともと怖いもの、痛いもの苦手なので、もう目をつぶってないとダメみたいな感じになちゃったのだそうです。血のりぐちゃぐちゃみたいなホラーというんじゃないですが乗せたら最後なサイコを相手にじわじわと追いつめられる感じは確かにすごい。

★86年の公開当初はあまり高い評価を受けたわけではなかったのに、じわじわとカルト的人気を獲得していった一作です。どこが人気の秘密と思いますか?

N:しつこく冷酷な殺人鬼とは対照的な、観ているこっちがイラつくほど純朴な被害青年がどんどんワイルドに変貌して行き、後半クレージーな相手と意識を共感できるまでに成長していくところはこの映画の魅力のひとつですね。 カルト的には、答えや理由が語られることなく全然ハッピーエンドじゃないところ。

A:すみません! 公開当初、試写では見逃しました笑
私もルトガー・ハウアーが気になっていて、だから見たいという気持ちはあったのですが、つい後回しにするうちに公開も終わってしまって結局、ビデオでチェックということになりました。カルト化したのは感想の所でもいったことと重なりますけど、一見そうはみえない実存的恐怖をテーマにしながらBムービー的チープな雰囲気(爆発とか炎とか、パトカーのつぶし方とかけっこう派手に、湯水のような大金ではないにしても予算をかけてる部分もありそうですが)を前面に押し出していくセンスが、特にマイナーメジャーがより広範に受けていった80年代にマッチしていたからかしらなんて思います。

M:『激突』的な感じかなと思って見たのですが、よりエグいですよね。一度見たら忘れないというか、記憶に長く残る映画なのかなと思います。サイコホラー的な映画ですが、荒唐無稽ではなく、かと言ってリアルではないんですが、ダークファンタジー的な要素も感じました。いわゆるB MOVIEになるのかもしれませんが、タランティーノなど、その後の映画への影響もしっかり感じました。超低予算と思って見ていましたが、思ったより空撮やアクションなど、お金もかかっていて、エンタメ要素もしっかり高いなと思いました。製作費は600万ドルで、公開時の配給は松竹富士、製作はトライスターでしたから、超インディーズ作品という事でもなく、敦子さんのいうマイナーメジャー作品だったのですね。人気の秘密は、やはりルドガー・ハウアーのキャラクターの強烈さではないでしょうか。

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★86年というと『ターミネータ―』の2年後、リンチ『ワイルド・アットハート』は90年、タランティーノが出てくるのはもう少し後の92年ごろになります。暴力描写、サイコなキャラクター、ロードムーヴィーの要素等々、アメリカ映画の流れの中で今、見直すことの面白さはどのあたりにあると思いますが?

N:日本と違ってアメリカでは70~80年代恐怖映画は、映画館でポップコーン食べながら爆笑大騒ぎで観るのが本当の楽しみ方だと聞いた事があります。『ターミネーター』なんかも正直笑っちゃう要素はたくさんありました。90年の『ワイルド・アットハート』もそうですが、タランティーノ作品で残酷&爆笑のスタイルは日本でも確立された印象です。 この『ヒッチャー』はそれらとはちょっと違う路線な気がしていて、どちらかというと『激突!』や『バニシングポイント』に近いと勝手に思っています。

A:後出しみたいな答えになりますが笑 キャメロン『ターミネータ―』、リンチの『ワイルド・アット・ハート』そしてタランティーノという流れの中でこの映画を見ることができるというのが、今、見ることの面白さのひとつといえるんじゃないでしょうか。ぐっと洗練度は上がりますがトム・フォードが06年に撮った『ノクターナル・アニマルズ』――20年前に離婚した夫から唐突に送られてきた小説「ノクターナル・アニマルズ」、妻と娘を乗せて深夜のハイウェイを走る学者トニーがならず者たちとのいざこざの末、被った悲劇とその顛末をひもときながら、現実と小説と回想の世界を往還するヒロインをじわじわと包み込む恐怖――なんて快作のことも合わせて思い出してみるといっそう楽しめるように思います。
もちろん名古屋さんが挙げられたスピルバーグ『激突!』からの流れもありますね。あの映画との比較は公開当時、ニューヨーク・タイムズ紙始め、多くの評で指摘されていてなるほどと思います。

M:見終わって、すぐイメージしたのが、タランティーノへの影響です。『デス・プルーフ』なんかは、すごく影響を受けているのではないかと感じました。それこそカーアクション、ロードムーヴィーの要素、暴力的なキャラクター、男尊女卑的な視線など、まんま受け継がれていると感じました。
それからサム・ペキンパー的なホコリっぽいロードムービーの雰囲気もありますね。ハンバーガードライブインや、ガソリンスタンドの雰囲気がすごく良かったです。

★ジョン・ライダー役ルトガー・ハウアーの魅力も甚大ですが、彼については?

A:『ブレード・ランナー』の時にも感じさせることですが、非常に暴力的な悪役を演じているのにどこか高貴で超越した、言葉にすると陳腐になってしまいますが哲学者めいた生/死への想いのようなもので役に深みを与えてしまう。本人の文学的な、浪漫派的なものへの嗜好もあるようにも思うのですが、それが映画に寓話的ともいえる陰翳を付加しているんじゃないでしょうか。
その出で立ちも勤め帰りのサラリーマンみたいな、普通のよき家庭人みたいにみえなくもない。それが凶暴な殺しをしてきたらしいとあっけらかんと正体を明かしていく、その落差。薬指に結婚指輪があって、このままお家に帰ればよき夫、よき父ともなるのかもと一瞬思わせるけれど、その指輪が実は犠牲者のひとりの指にあったのかも、で、もしかしてあの……と想像させる怖さ笑 仔羊をいたぶるようにどこまでも凡庸なアメリカ青年を玩ぶ様も存在の格上感満載で素敵です。唐突ですが少し前、井口昇監督作『悪の華』で玉城ティナが見せたキレ方の魅力とも通じる紙一重の無邪気と狂喜と凶暴さの領域というんでしょうか。ファンなのでつい話があちゃこちゃとんでしまってすみません。

N:『ブレードランナー』の後なので、同じ路線で突っ走ってる感じ。痛そうな演技はもちろん、シリアルキラーの代名詞「俺を止めろ」のセリフなどクールでありながら悲哀も感じて、いい意味でハマり役かと。

M:とても怖いですし、見事なキャラクター作りだと思います。実は『ブレードランナー』にあまり魅力を感じていないので、1度遥か昔に見ただけで、ルトガー・ハウアーも、全く知らない役者でした。

★元々、ライダー役はテレンス・スタンプにオファーされていたそうです、また脚本のエリック・レッドはシリアル・キラーのヒッチハイカーを歌ったドアーズの”Riders on the Storm”にインスパイアされたそうで、また執筆中には骸骨めいたルックスの、ストーンズのキース・リチャーズみたいな奴を思い描いていたそうですが、スタンプ版やキース版だったらどうだったでしょうね?

N:テレンス・スタンプの作品をそんなに観ていないので何とも言えませんが、80年代はそんなに目覚ましい活躍はしていなかった印象ですし、もしそうだったとしたら少々地味で重すぎ? キース・リチャーズだったらもっと爆笑できたかも?ですがルトガー・ハウアーくらい演技力がないと冷酷な中にも哀愁滲み出る魅力的なキャラクターにはならなかったとは思います。

M:見た感じはテレンス・スタンプを彷彿させますね。彼が演じたら、ちょっとハマり過ぎですかね。車とテレンス・スタンプというと、『世にも怪奇な物語』のフェリーニ編『悪魔の首飾り』のトビー・ダミットを想像してしまいますが、彼が出ていたら見ていたと思います。
雰囲気的には『欲望』のデビット・ヘミングスでも良さそうですが、年齢的にルドガー・ハウアーが良かったと思います。
テレンス・スタンプは名古屋君も指摘しているように、80年代は目立った活躍が全くありませんでした。確か89年だったと思いますが、ある英国の国立美術館のメンバーと話していた時、英国俳優の話題になり、テレンス・スタンプが好きだと言ったら、あんなに最悪な人はいないと言われました。レセプションに来て、酔っ払っていなくなり、当日の役割も果たさなかったそうです。80年代のテレンス・スタンプは、そういう時期だったのかもしれません。90年代に入り、雑誌エスカイヤのインタビューで、堕落の日々について語っていたことを思い出しました。
キース・リチャーズはちょっといかにもで、怖さは半減しそうです。
ドアーズの「Riders on the storm」はいい曲ですので、劇中でも使って欲しかったですね。ヒッチハイカーを歌った曲とは知りませんでした。

A:テレンス・スタンプ、そうだったんですか……87年にチミノの『シシリアン』に出てましたが…。スタンプ版はまた別の映画になっていくでしょうが見てみたかった気はしますね。『テオレマ』の正体不明さ、『コレクター』のサイコ演技、その先にジョン・ライダーを思い描くとぞくりと興味が募ります。でも、監督はもっとアート系の人選を望みたくもなりますね。ハウアーの欧州出身という要素がヒッチハイクというアメリカンの典型みたいな部分に突き刺さる違和感、その絶妙な塩梅で成功している点を考えるとやはりヨーロッパ、あるいは英国を出自とするスタンプだったらと思い描くのもなかなか楽しい作業です。リチャーズ版はわりにありきたりかな笑
ドアーズとの、というかジム・モリソンとのかかわりでは彼が脚本・監督、ヒッチハイカー役で主演もした“HWY:An American Pastoral”(70)という50分強の短編映画との関係もスリリングです。70年にヴィレッジ・ヴォイスとのインタビューで明かした所に拠れば映画は50年代の連続殺人犯ビリー・クックをヒントにしているそうで、そのクックといえば女優で女性監督の先駆としても知られるアイダ・ルピノが撮った『ヒッチ・ハイカー』のモデルでもある、連続殺人犯と知らずにヒッチハイクする彼を乗せたふたりの釣り好きが人質状態でメキシコの荒野を逃走につきあわされるという、このルピノの映画、UCLA映画科でコッポラと同級だったモリソンならきっと見ていたと思われ、その彼が歌った歌とエリック・レッドの絆は『ヒッチャー』とルピノの映画のそれへと繋がっていくんですね。『ヒッチャー』が『ヒッチ・ハイカー』のリメイクとする説もあるようですが、見比べると実録的タイトな語り口のルピノ版、片目が閉じないシリアル・キラーの寝姿の不気味さに詩が漂う部分がなくもないけど、ハウアー演じる悪の化身的寓話性とはむしろ違いの方が感じられるようで、それがまた面白い。

★アメリカの景観、それを背景にした悪夢、あるいは独特の残酷さを備えたおとぎ話と見ることもできそうですが、いかがでしょう?

M:ジム・モリスンとそういう因果関係があったのですね。悪夢である事は間違いないですが、このストーリーも想像以上に練られていたのでしょうね。この残酷さや、ヒッチハイカーによる突然の恐怖は、アメリカ人には誰にでも起こりえる災難であったり、恐怖なのかもとも思います。重要な要素として、警官による恐怖も並行して描かれており、冤罪の恐怖を味わえるハイブリッドな恐怖感が、ファンタジーなんだけど、リアルに怖い映画になっている要因と思います。
むしろヒッチャーより、警官の方が恐ろしいと思える場面もありました。

N:今となっては少々テキサスをバカにしすぎなところもありますが、当時のアメリカ南部を誇張した表現や人物像なども含め、特に後半はおとぎ話的なノリもあるかもしれませんね。主人公達を追う警官隊を撃退するあたりは『ブルース・ブラザース』的で笑えたし面白かったです。そんな派手な追走シーンもあってか、シリアスとエンタメの両方いいとこ取りな印象もあり、結果どっちつかずなジャンルになっているのは良くも悪くも80年代的な映画だと思います。

A:ヒッチハイクといえばビート、ケルアックなんて単純な連想だけでなくアメリカ文学やアメリカ映画のひとつの景色ともいいたいモチーフですよね。ルート66でアメリカ大陸を横断してみたいとぼんやりとした憧れのようなものもあったりするわけですが、それはともかく、青年の大人へのイニシエーションをふまえた悪夢の物語――と、あからさまにお説教臭く作ってはいませんが、そう見ることもできますよね。あるいはジム・モリソンにこだわるわけじゃないですが、ハートならぬ煙草に火をつけて始まる映画はマッチを擦って灯ったあかりの束の間を照らすおとぎ話、ママの言いつけを破った男の子の受難の物語とも見えるのかな。こじつけめきますか??笑

★ジョン・シールの撮影に関してはいかがですか?

A:今回のリマスター版公開にあわせた特別映像でシールは「砂漠を美しく撮りたい、狂気が続く場所を」といっていますが、最近では『マッドマックス怒りのデスロード』も手がけた彼、監督のマーク・ハーモンは全くノーチェックだったが、脚本のエリック・レッドが推薦したと同じ映像でプロデューサーがいってますね。オーストラリア以来のピーター・ウィアー監督とのコンビ作、『ピクニックatハンギング・ロック』や『刑事ジョン・ブック 目撃者』のやわらかな色調もいいんですが、『ヒッチャー』でのそれとはまた別の派手派手しいアクションと自然の美しく大きな切り取り方、両者の並び立て方も要チェックじゃないでしょうか。

N:単純な背景の連続、砂漠の乾いた空気感などはそのままに、たまに登場するガソリンスタンドなど建物のデザインや撮影アングルなども何気にお洒落に撮られていて、80年代の新しいアメリカン・ニューシネマな映像に感じました。

M:空撮やいきなりの展開の恐怖、そしてカーアクションはうまく撮っていますね。600万ドルという予算の中で、、カーアクションの臨場感などは、見事だと思いました。名古屋君の指摘のように、ガソリンスタンドの空気感は、うまく撮っているなあと思いました。

★女嫌いの映画、ホモ・エロティシズム的描写といった評価もありますが、その点はどうですか?

N:ダイナーの娘の扱い方で「女嫌いの映画」と言われそうですが、逆にラストシーンで二人抱き合ってキスで終わるような映画だったら、カルト化はしなかったでしょう。

M:これはこの質問で初めて意識しました。女性への残酷さは感じましたが、ホモの要素は見ていてあまり感じませんでした。最後に両者がシンパシーを感じているのかどうかも、観客の判断に委ねる感じだと思いました。
根底に流れる精神は怒りなのか、悲しみなのか、愛なのか、難しいですね。

A: この点でもルトガー・ハウアーの資質がものをいってる気がします。吐きかけられた唾をなでくりまわす様とか怪しくも妖しい彼の美貌あっての見どころかも笑

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『ヒッチャー』 ニューマスター版
2021年1月8日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次公開
配給:アンプラグド
出演:C・トーマス・ハウエル、ルトガー・ハウアー、ジェニファー・ジェイソン・リー、ジェフリー・デマン
監督:ロバート・ハーモン(「ボディ・ターゲット」)
脚本:エリック・レッド(「ブルースチール」)
撮影:ジョン・シール(「マッドマックス 怒りのデス・ロード」)
音楽:マーク・アイシャム(「ザ・コンサルタント」)
1986年/アメリカ/97分/カラー/シネスコ/5.1ch/日本語字幕:落合寿和(2019年新訳版)

CINEMA DISCUSSION-30/キューブリックを巡る二つの人生

(C)2017True Studio Media

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクルルージュのシネマ・ディスカッション。
第30回となった今回は、巨匠スタンリー・キューブリック没後20年を記念して公開される2本のドキュメンタリー『キューブリックに愛された男』と、『キューブリックに魅せられた男』です。
『キューブリックに愛された男』は、キューブリックのイタリア人ドライバー、『キューブリックに魅せられた男』は、俳優から制作スタッフに変わった元役者という二人の側近を描いたドキュメンタリーです。
いわば巨匠キューブリックの私設秘書と、政策秘書のような対照的な二人を描く事で、2本を通して見ると、今まで知らなかったキューブリックという偉大なる映画監督の実像が見えてきます。
ディスカッションメンバーは、映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

★恒例の質問になってきましたが、まずみなさんのキューブリック体験は?

名古屋靖(以下N):たしか『時計じかけのオレンジ』が最初だったと思います。自分が何歳だったか忘れましたが、話題先行、興味津々で観たものの、その過激すぎる内容に戸惑い、正直よく解らず観終わった後に混乱していた事は覚えています。
前後しますが『2001年宇宙の旅』を1978年の再ロードショウで地元の遊び仲間達と渋谷まで観に行ったのは覚えています。
その時代にオールナイトで映画を見に行くのは、いくつかある楽しい週末遊びの一つでした。
『バリー・リンドン』は歴史劇に興味が湧かなかったのもあり見逃したまま。照明は蝋燭のみで高感度カメラを使用して撮影した事位しか知りません。
その後の『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』は個人的に気に入りましたが、『アイズ ワイズ シャット』は好きになれずキューブリック最後の作品になって残念な想いがありました。

川野正雄(以下M):小学生の時、銀座のテアトル東京に『2001年宇宙の旅』を観に行きましたが、満席で入れず、東劇で『猿の惑星』を観ました。
最初に観たのは中学生の時の『時計じかけのオレンジ』ですが、内容が過激すぎて、親にパンフレットを捨てられてしまいました。
その後の作品は、長尺で公開当時評判が悪くて回避した『バリー・リンドン』以外は見ています。
好きなのはむしろそれより前の作品で、『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』や、『レザボア・ドッグス』の元ネタ『現金に体を張れ』、『突撃』などですね。1950年代後半の作品としては、アイデアや構成、ストーリーがすごいと思います。
後年の『アイズ ワイズ シャット』も、『フルメタル・ジャケット』も、強烈なメッセージと、圧倒的な演出力ですごいと思いました。
逆に後年リバイバルで見た『2001年宇宙の旅』は、怒られてしまいそうですが、映像へ特化しすぎていて、あまり好きにはなれませんでした。

川口哲生(以下T):いつものように1950年代後半の生まれのレイト・カミングな私としては後追いで『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』を観ています。恥ずかしい言い方だけど、そのころのアートやファッションや音楽に興味がある人間にとってはmust-seeな通過儀礼みたいな感じだったと思います。
個人的には好きだったディヴィド・ボウイの興味の先にあるものとしてたどり着いているような気がします。ボウイが『2001年宇宙の旅』にインスパイアされて「スペースオディティ」を書いたことや「サフラジェット・シティ」の歌詞に『時計じかけのオレンジ』のナッドサッド語の友人という言葉を使っていることからは、ボウイのキューブリックへの心酔ぶりが伺えます。ボウイの息子の映画監督のダンカン・ジョーンズもインタヴューで、ボウイと子どものころ『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』を観たことをよく覚えていると語っているし、ボウイにとって重要な位置を占める作品だったのだと思います。
リアルな年代で観たキューブリックは『シャイニング』。ジャック・ニコルソンへの興味もあってみたように思います。
その後の作品は観れていません。『ロリータ』はパリにいたときに観たかな。

川口敦子(以下A): 最初は確かテレビの洋画劇場で『博士の異常な愛情~』を見たんだったと思います。中学生の頃かな。調べたら1971年8月8日『日曜洋画劇場』ですね。ってことは高1だったんですね。キューブリックがすごいというのは映画ファン雑誌で読んでいたので、かなり身構えて見たようにも思いますが普通に面白いというか、スタンリー・クレイマーとか、ジョン・フランケンマーとかシドニー・ルメットとか、前後してやはりtv放映された社会派、政治危機ものの流れで愉しんだように記憶しています。キューブリックよりピーター・セラーズすごいというのが正直な感想でした(笑)。
大学の時には文芸坐で立ち見で『時計じかけのオレンジ』を見ましたが、最初の方だけの印象でもひとつ、同時代に封切り作として見た最初のキューブリックが『バリー・リンドン』でした。これは今野雄二さんの影響下にもろにいたおしゃれものミーハー・ファンとして観に行って、話題の蝋燭の灯だけの照明、そこにぼんやり浮かんでいるお化粧した男たちの白い顔にはなかなか惹きこまれました。そのあたりでリバイバルの『2001年宇宙の旅』も見たはずですが、この凄さはむしろ後年、タイレル社時代に中野裕之さんがオフィスでたまにLDでご覧になっているのを横から見て、パンナム機内の赤と白のかっこよさとか、なるほどねと映画としてよりそういうデザイン性の部分で確かに凄いと思いました。
という感じで大好きな監督だったことは一度もないのですが、さらに後年、『レザボア・ドッグス』でタランティーノに取材して『現金に体を張れ』がヒントのひとつと口角泡をとばして勧められ見ましたが、確かに面白い! と、巨匠になる前のモノクロ時代のキューブリックに熱狂的なファンが少なくないのもなるほどねと思いました。

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★その体験から抱いていたキューブリック映画、またキューブックという監督、人間へのイメージはどんなものですか?

M:人間キューブリックについては、今回初めて垣間見たので、これまでのイメージはありません。
映像作家としては、映像的テクニックと、強烈な演出力、そしてセンスの良さを兼ね備えた類稀なる存在だと思っています。
作品数は多くないですが、そのどれもがまったく違うカテゴリー。フィルムノワール、歴史、SF、フェティズム、ホラー、戦争と、全く違うカテゴリーの作品を、それぞれ完璧に生み出すキューブリックの仕事は、すごいの一言です。

A:意匠の人っていったらいいでしょうか。完璧主義というのもだからすべてデザインというところで出てくるように思います。
人間キューブリックという点では植草甚一「ぼくは散歩と雑学がすき」で“グリニッチ・ヴィレッジのコンクリート将棋盤でチェス・ゲームをやって食っていた”人というのは印象強烈でしたね。「クブリック」が「変わりダネの映画作家」にすぎず、きちんと紹介されてない頃のプロフィール記事、面白かったなあ。

T:一つには「完璧主義」。映画の1シーン1シーンが一枚の絵画のような完成度で作りこまれているように感じていました。
そしてもう一つは「人間の狂気」の表現者です。ここの表現のエスカレーションが個人的に受け入れられなさもであったのも事実です。
的外れかもしれないけれど、ボウイから到達した自分だから感じるのか、ロンドン的シニカルさ、ブラックなユーモアみたいなところもすごく感じますが。アメリカ出身なんでしょうが。。。

N:すべての作品を見たわけではありませんが勝手に、反ハリウッド的な芸術家肌の映画監督で、私生活は謎に包むのを好む印象だったので、厳しく難しそうという以外に人としてのイメージは湧いてきませんでした。

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★そのイメージはこの2本の映画を見ることでどう変わりましたか?

A:完璧主義の具体性が2本をみることで公私両面から見えてきたと思います。という意味でこの2本は二本立てで見るのが正解みたいにも思いました。映画が描くふたりの生身の経験を通してキューブリックの完璧さが人間レベルで感知できたというのかしら。また意外に自主映画っぽい、全部自分でしないと気が済まない、その意味での手作り感覚というような所にいるキューブリック像と結ばれていくようにもみえてきて、もっとひんやりとしたイメージしかもっていなかったので興味深かったです。

T:内容こそ異なれ、キューブリックからのエミリオに対するスペシフィックすぎるメモやきりのない電話、そしてレオンのメモ魔みたいになってあらゆる仕事に巻き込まれていく様から,キューブリックの終わりのない「more&more」を求める様を見た気がします。こういった病的ともいえる気性がキューブリック映画から感じていた「完璧主義」を醸し出させているのだと妙に納得しました。

N:悪意のない無邪気な子供みたいです。 相手の人生や生活から精神までもを蝕むほどの執拗な要求やオーダーをしていることを、本人はほとんど気づいていない。それだけでなく子供じみた無垢なわがままも、恥ずかしげもなく言えるキューブリックは計算のない純粋な人だったんじゃないかと思います。

M:映像作家としては、皆さんの指摘する完璧さの追球と、結果生まれる高いクオリティ、その印象は観賞後も変わりません。
人としては、この作品2本を見て、優しい面と、作家として狂気なほど頑固な面、両方が感じられ、理解が深まりました。
以前黒澤明監督のドキュメンタリーTVを見ましたが、同じような印象があります。
スタッフへの気配りや優しさと、作家としての拘りとか狂気、そういう部分は共通でした。
突出した監督には、狂気に近い完璧主義があり、それと人としての安らぎ、そのような部分の両立が必要なのかなと感じました。

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★”愛された男”エミリオ・ダレッサンドロと”魅せられた男”レオン・ヴィターリ、キューブリックに人生を捧げた(奪われた?)という点では共通するけれど、親密な前者、戦場を裏から統括しているような切れ者の後者とその人間性がドキュメンタリーの感触ともなっていますが、そのあたりどう見ましたか? 愚問ですがなるならどちらになりたい?

N:エミリオとレオン、キューブリックは2人を完全に使い分けていましたね。 エミリオは何度か作品について意見や感想を求められた際、毎回キューブリックをがっかりさせています。彼にクリエイティヴ面で期待はしていなかったのでしょう。その分プライベートな方面については恥ずかしくて人には頼めないような事まで依頼。エミリオなしでは生活できないほどの親密さを感じます。その点ではエミリオとキューブリックの関係は常に平等に見えます。
その反面レオンのことは、映画制作者として自分ほど完璧ではないにしろ分身のように感じていたからこそ、厳しく深く作品についてあらゆる要求をしていたのではないでしょうか?ただこっちの関係は神と仕えし者の歴然とした格差を感じます。
自分がなるとしたら、正直どちらにもなりたくありません。彼らのように一度キューブリックに気に入られてしまったら、最後まで食べ尽くされてしまうだろうから。

A:エミリオはちょっとだけジョナサン・デミの『メルビン&ハワード』の、砂漠で拾ったハワード・ヒューズを彼とは知らずにラス・ベガスに送り届けて遺産相続リストにのってしまうトラック運転手メルビンを思い出させますね。メルビンみたいにだめだめ男ではないと思いますが、エミリオは。でもF!レーサーとしていいとこまでいっていて、その夢を息子に託していくあたり、やんちゃな部分もあったのかな。朴訥な英語の口調と老人ぶりで今のエミリオからほんとにほっこりとしたいい人の印象がまず植えつけられますが、いい人なりに、でも若い頃にはいろいろあったのかななんて想像してしまいます笑 小津の名キャメラマンとしてやはり滅私奉公的な関係を築いたかにみえる厚田雄春のこともちょっと思い出す、ベンダースのドキュメンタリーにいる彼の感じ。厚田さんは映画に関してプロですからその点では違いますが、小津との関係はレオンじゃなくエミリオかなと。なにいってるかちょっと不明になっていますね。すみません(笑)。
エミリオの話に戻すとキューブリックが何者かなんて関係なく、その映画もいっさいみたことない、そういうエミリオの前では自分が無名のひとりとしていられる心地よさがキューブリックの彼に対する愛着、執着となっていたのではないかしら。
かたやレオンはミニ・キューブリックみたいに自らも映画作りの鬼として戦場にのめりこんでいく。才能という点で自身への見極めのつけ方も面白いですね。キューブリック映画のもうひとつのメイキングみたいに愉しむこともできると思います。
私も自分の好きに生きたいから笑 どちらにもなりたくはないですけど、物欲的にはエミリオのあのガレージは欲しいかも。

M:エミリオから感じるのは、キューブリックには心地よい存在が常に必要で、それがエミリオで、彼には甘えたかったのでしょうね。
エミリオを見ていて、先日やはりテレビで見たチャップリンの日本人マネージャーの話を思い出しました。人種差別されていた日本人を、チャップリンは信頼して長期間雇っていたのです。イタリア人のエミリオへの愛情は、そのチャップリンの愛情に近いものがありました。
レオンには、役者の姿を見ながら、彼の別の才能を、キューブリックが見つけたのではないかと思います。
どちらになりたいかと言えば、やはりクリエイティブに関わるレオンの方かな。キューブリックは日本語字幕までチェックしていたという伝説がありますが、それはレオンの仕事だったのではないかと推察します。
10年位前に、ハリウッドのアカデミー協会と一緒に、黒澤明監督の『羅生門』の4Kデジタル修復をやったのですが、そのチームはキューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のデジタル修復チームでした。
理由はモノクロで、オリジナル素材の状態が良くないという似たような条件だったからなのですが、プロジェクトにはチェック役としてレオンも関わっていたのではないかと思います。

T:両方の映画を観て、キューブリックの人を巻き込んでいく様が面白いなと感じました。
キャリアもない、深い関係でもない人間に仕事を任せ、そしていつしか底なし沼のようなずぶずぶな「slave to Stanley」状態に巻き込んでいく。人たらし?
ちょっと共依存関係みたいで、ゲーっと思うところもあるけれど、どんどん任せられ、信頼されることにこたえるべく「selfless」に「no own life」に生きる二人。
そしてどんどん要求がエスカレートしていくキューブリック。。。
そうした共通点はあっても、たしかにエミリオとレオンのキューブリックとの関係性はちょっと違いますね。
エミリオははじめからキューブリックを知っていたわけではなく仕事としての運をつかんだところからの関係だったけれど、レオンははじめからキューブリック=神だったからね。
私は自分的にはレオンの方が近いと思いました、Mぽっくて(笑)。
なりたいとは思わないけど。

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★印象的なエピソードは? 家族のコメントも印象的ですね?

M:エミリオが引き戻されるエピソードは印象的です。
キューブリックが亡くなった日の話が、それぞれの立場から語られていたのも、印象に残っています。
エピソードではないですが、エミリオが着ていたミリタリージャケット、多分『フルメタル・ジャケット』のスタッフユニフォームと思いますが、欲しいなと思いました。

T:エミリオの『シャイニング』撮影時のジャック・ニコルソンのドラッグ話もファンとしては興味深いですが、イタリアに帰る決心をした彼を2週間だけといいつつ2年間になったエピソードとかエミリオの奥さんの微妙な感情との狭間でのエミリオのことを慮ります。
レオンは上映フィルムチェックやその他の気が遠くなるような作業や罵倒され続けるキューブリックとの胃の痛くなるような消耗戦、放り出してしまう方が圧倒的に楽なのに、そこにとどまり続ける創造への執着みたいなところでしょうか。親を誰かに横取りされているような子どもたちのインタビューでの思いも感じるところがありました。

A:エミリオに関してはやっぱり一本もキューブリック見てませんというところ、それから見てみたら天才とわかった、で、どれが一番気に入ったとキューブリックにきかれて、監督としては「御用監督に徹した」「一切自分を抑えて作った映画」と不満いっぱいのあの一作(見てのお楽しみですね)をあげちゃうところが、たくまずしてキュート!
レオンのほうは『バリー・リンドン』での俳優ぶり、ちょっとあのころの顔していて、ブラッド・ダリフとかみたいで、続けていたらエキセントリック系でかなりいい線いったのではと思わせるのにすっぱりやめて裏方に回っていくところがやはり興味深かったです。
あとキャスティングに関してレオンがかなりアイディア源で、キューブリックが素直にそれにしたがっている点も、そうなんだという感じで意外でしたね。

N:みなさんがおっしゃる通り、エミリオが引き戻されるエピソードは面白かったです。キューブリックも悪気があってやったことではないと思うし、エミリオ本人も本当はちょっと嬉しかったんじゃないでしょうか?
レオンの息子達のコメントも印象的でした。父親がキューブリックのために全身全霊を傾ける姿に幼い頃は戸惑いながら、その後は援助も。。。 またレオンの活動が映画会社にあまり承認されず、しかし本人は名誉や評価など眼中になく、キューブリック作品に携わっていられる事に心から喜びを感じている姿にグッときました。

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★『~魅せられた男』の監督トニー・ジエラはニューヨーク大やUCLAで学びハリウッドでの成功を夢見る4人の俳優を追ったドキュメンタリーCarving Out Our Nameでデビュー、かたや『~愛された男』の監督アレックス・インファセッリはローマ生まれのイタリア人、LAでいくつかのバンドを転々とした後、帰国して人気MV監督になったそうです。どちらもホラー映画で劇映画デビューを飾っているようですが(笑)、ふたりの監督、またその作品の持ち味に関しては?

N: キューブリックに仕えた2人のドキュメンタリーですが、まったく違う趣の映画ですね。『~愛された男』の方は、プライベートを中心に数々の思い出をエミリオ自身が語るほっこりとした感じで、キューブリックの魅力的な人間性を垣間見せてくれました。二人の絆も感じるキュートな印象です。 『~魅せられた男』の方は原題の『Filmworker』が語っているように、シリアスで鬼気迫るドキュメンタリーでした。未見の撮影時のオフショットや映画出演者のコメントなど、レオンとキューブリック作品の両方を語った見ごたえのある映画です。

T: 描かれているキャラクターとの相似性がやはりあるように感じます。

A:ホラー映画でデビューのふたりが怪物監督にちなんだドキュメンタリーを共に撮っているという点は、ちょっと個人的に受けました。
作品の感触はやはり描く対象のエミリオ、レオンの人柄を映すようでそこも面白いですね。
『~愛された男』は監督とエミリオが最後にキューブリック邸の閉ざされた門にいきつくまでの親密なロードムーヴィーみたいでもあり、ヨーロッパの小さな映画ぽさが魅力でもありますね。その朴訥とした肌触りにちょっと退屈しちゃうという観客ならば、コメントも華やかな顔ぶれ、そして映画の世界のスリル、スピードが映画の歩調にもなっているような『~魅せられた男』がおすすめでしょうか。

M: これは結構差がありますね。
『~魅せられた男』は、」使用しているフッテージ含めて、予算も多く、映画としてのクオリティも高いと感じました。
ドキュメンタリー映画として、キッチリ作られています。
『~愛された男』は、プライベートフィルムのようなゆったり感があります。

★『〜愛された男』の原題はS is for Stanley、『〜魅せられた男』の原題が『Filmworker』です。それぞれ味わい深いものがありますが?

A:手書きのサイン Sの肌触り、パーソナルな映画としての『〜愛された男』にふさわしいタイトルですね。
『魅せられた男』の方のfilmworkerというのは映画を支える労働への讃歌、エンディングのクレジットにある名前の全部にというコメントもありましたが、裏方の力を讃えてその代表としてのレオンをフィーチャーするという、その意味でこれもこの映画にぴたりのタイトルですよね。

T:確かにレオンのアシスタントじゃないんだ「Filmworker」だという矜持を強く感じました。
レオンの最後の一人語り、ぐっと来ました。

M: S is for Stanleyは、そのものの原題ですね。
レオンの仕事は、本当に大変だったろうなと思います。二人ともキューブリックからの信頼が、全てのモチベーションになっていたと思います。それを感じさせる原題ではないでしょうか。

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★今、改めて見直してみたいキューブリック映画はありますか?

T: 昔よりクラシックかをストレートに受け入れられている今、楽曲の選択の意図を考えつつ
冒頭挙げた2作品は見直してみたいと思います。
観ていない『アイズ ワイド シャット』もレオンの出演箇所確認しながら観たいと思いました。

M: 映画よりも、展覧会「Stanley Kubrick: The Exhibition」を見たいですね。
『〜魅せられた男』を見て、未見の『バリー・リンドン』は見なくてはと思いました。
それと今の時代に『博士の異常な愛情〜』は再見したいです。
デジタル修復版のフッテージは、サンプルとして見せてもらいましたが。

N:好きなキューブリック作品はこれからも何度でも見たいと思っています。 でも、個人的にはあまり印象が良くなかった『アイズ ワイズ シャット』はもう一度ちゃんと見てみようかな?

A:ちょっと反則的コメントになりますが、亡くなるまで準備していたという未完の大作『ナポレオン』は見てみたかったと思います。

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「キューブリックに愛された男」
2019年11月1日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国カップリング上映
配給:オープンセサミ
(C)2016 Kinetica-Lock and Valentine
2016年/イタリア/カラー/82分/ビスタサイズ/5.1ch
原題:S is for Stanley
監督:アレックス・インファセッリ
出演:エミリオ・ダレッサンドロ/ジャネット・ウールモア/クライヴ・リシュ

「キューブリックに魅せられた男」
2019年11月1日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国カップリング上映
配給:オープンセサミ
(C)2017True Studio Media
2017年/アメリカ/カラー/94分/ビスタサイズ/5.1ch
原題:FILMWORKER
監督・撮影・編集:トニー・ジエラ
出演:レオン・ヴィターリ/ライアン・オニール/マシュー・モディーン/R・リー・アーメイ/ステラン・スカルスガルド/ダニー・ロイド

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