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オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ / Only Lovers Left Alive

C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved.
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 4年ぶりの新作(企画は7年越しという)で吸血鬼を素材にしたのは「お金になるらしいから」と、涼しい顔のジム・ジャームッシュが記者を煙に巻く様子がお披露目上映されたカンヌ国際映画祭の公式ページでも確認できる。お金になる一作、ヒットが欲しいと冗談めかしたコメントには、孤高のインディとして生き延びるために――との注釈つきではあるとしても案外、率直な本気が含まれていそうでアート映画冬の時代の厳しさを改めて実感したくなったりもする。
 そうはいってもそこはジャームッシュ、素直にティーンに人気の吸血鬼映画の公式を踏襲するわけもなく、素敵にひとくせありのヴァンパイア・ロマンスを差し出している(吸血鬼映画といえばのお約束を自分なりに作りたくて皮手袋をめぐる挿話を考案したと、これは確かトロントかNY映画祭のQ&Aで明かしていた)。
 映画の英文プレス・ブックに載った監督の言葉によると男と女の無条件降伏的な愛の物語を書く上で部分的にヒントになったのがマーク・トウェイン作「アダムとイヴの日記」なのだという。人類最初のカップル、アダムとイヴ各々の日記を交互に並べて読者には男と女のすれ違う思いをくすくす笑いとじんわりほろりの共感との狭間で目撃させていく”原作”(結局、映画に残ったのはアダムとイヴの名前だけでだから原作というわけではないとジャームッシュのノートは続いているのだが)は、1904年の作とは俄かに信じ難いモダンな感触でカップルの日々の既視感、現実感を掬い上げていく。
 そんな掬い上げ方はジャームッシュの映画にも彼独特のそっけなさ、無愛想を伴ってではあるものの確かに踏襲されている。デトロイトとタンジール、それぞれの居場所でそれぞれの生のパターンを守りつつ、うんざりするようなカップルの日常の回避し難さとそれでもまあ一緒がいいかと思える瞬間の涙ぐましさのようなものをぽろりと浮上させたりして、なるほどこれは吸血鬼映画の形を借りたジャームッシュ流のラブ・ストーリー、恋もその主役のふたりももう若くはないカップル映画なのだなともう一度、しみじみしてみたくなる。
 となると映画の終わりにそっと置かれたジャームッシュにとってのイヴーー長年のパートナー、サラ・ドライヴァーへの献辞も見逃せない。ここでinstigator(煽動家、おだてや、唆しけしかける人)と呼ばれたドライヴァーがそもそもトウェインの原作を紹介したとのエピソードを知ってみると、そういえばと20世紀末、自らも映画監督である彼女が企画していた一本のことが思い出されてくる。
 それは”Two Serious Ladies“といって「ふたりの真面目な女性」とのタイトルで邦訳もあるジェーン・ボウルズの小説にちなんだ興味深い脚本なのだった。幻の企画ですますにはあまりに惜しいその一作を思ってみると、何度も頓挫しかけながら陽の目をみたという『オンリー・ラヴァーズ~』(映画の中では美しい夜が貫かれ、決して陽の目をみないことでも記憶したい快作なのだが)に置かれた献辞がいっそう胸に迫ってくる。
 勝手に妄想を膨らませれば、ジャームッシュの映画にしのびこんだポール+ジェーン・ボウルズ・カップルとのリンクに列なってかつて『シェルタリング・スカイ』を手掛けたアート系製作者の雄ジェレミー・トーマスが動いたりしたのではとも思えてくる。タンジールの千一夜カフェに気づけば同じトーマスがバロウズの『裸のランチ』を手掛けていたこともまた思われるし、若き日のトーマスがD・ボウイを主役に製作したカルト的SF『地球に落ちて来た男』へと連想ゲームをつなげれば、今度はボウイが久々に放ったPV”The Stars(are out tonight)”で『地球に~』のエイリアンとも吸血鬼とも見える姿で登場し、”もう、うんざり、でも・・・”のカップルをなんとティルダ・スィウントンと演じたりもしているのだ。カンヌの記者会見ではそのPVとこっちの映画とアイディアはどちらが先との質問にティルダがクールに大人なお茶の濁し方も披露している。
C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved.
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 と、いうわけでジャームッシュ待望の新作は、荒廃したデトロイトへの、ひいてはオハイオ州アクロン出身の自らのルーツでもあるはずの中西部アメリカ――モータータウンの滅びの図をしんと澄んで寂しくだから美しい景観として切り取り、孤高のインディ作家の神髄を確認させつつ周囲に広がるいくつものリンクを観客それぞれに思う愉しみも提供してくれる。一見すればきっと自分なりの愉しみ方がみつかると、この際、断言してみたい。

『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は12月20日からTOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラスト シネマ渋谷、新宿武蔵野館他全国公開。
作品公式HP。
セルクル・ルージュではシネマディスカッション第3弾でもジャームッシュのこの新作をとりあげ近々アップの予定です。乞うご期待!

Cinema Discussion-2 / 「The Bling Ring/ブリングリング」ー”狂ってるけどピュアなアメリカの今”

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えるセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第2弾は、12月14日に公開するソフィア・コッポラ監督の「ブリングリング」です。
今回の参加者は、前回と同様に映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

川口敦子(以下A)この映画を観て感じたのは、SNSも加わって進むリアリティのなさのリアリティ、過剰化する自己顕示欲が、セレブリティファッションという一つの象徴で描かれているので、今日はその辺をテーマに語り合ってみたいと思います。

川口哲生(以下T)アンディー・ウォーホルの「誰でも十五分間有名になれる」といった世界観がSNSと相まって現実化し、過剰な自己顕示欲のはけ口をもとめているといった感じがします。

A ウォーホルのコメントについては、コッポラもNYタイムズでのインタビューでもふれていて、今、彼がいたらどう言うかというコメントがあって面白かった。本当にウォーホルが何ていうか聞いてみたい。

名古屋靖(以下Y) 逮捕後に犯人達がセレブ気取りで雑誌やテレビに登場しますね。ソフィアコッポラが朝日新聞のインタビューで、「かつては偉業を成し遂げた人が有名になった。今は誰もが有名になれる。気が付けばフェイスブックに何千人という読者が付いている。そうなると、誰もが自分も有名になるべきだと思ってしまう。それは非常に怖いことだと思います。」と語っていました。今のSNS文化(や情報過多)の危険性を訴えるのが、一つのテーマなのかな。実はみんなVIP好きだし選ばれた人になりたい。セレブリティのように、キラキラした生活、パーティ、ファッションなど、表部分の見える所だけ憧れるセレブリティをなぞる行為がリアルに描かれている。

A 彼女のこれまでの作品に共通するのは、セレブリティがテーマとして常にある点と、地に足つかない感触のリアリティがある点。
ただこれまでの映画では、パークハイアットに取り残されたスター、宮殿のマリー・アントワネット、シャトー・マーモントで娘と親しむスター――と、地上から少し浮遊した所にある現実、そこに生きる感覚をある種、自伝的に内側から、やわらかく描いていた。それに対して同じセレブリティを扱っていても、今回の作品で描かれてるセレブ文化に対しては距離感がある。客観視しつつ、決して意地悪に描いているわけではないのが、いいと思いました。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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川野正雄(以下M)僕は同じタイミングで見たので、「ウォールフラワー」との対比がとても面白かった。エマ・ワトソンという主演女優も一緒だし、内気な男の子のハイスクール初登校の不安な気持ちがオープニングというも、友人たちに巻き込まれて、その男の子もブレイクスルーしていくという流れも同じでした。
ただ80年代が舞台の「ウォールフラワー」とは、見た後の感触が全く違う。「ウォールフラワー」の方が、誰もが暗く鬱屈しているけど生身の人間ぽく、「ブリングリング」は、フェイクっぽい。使っている音楽も時代性の象徴もあると思うけど、スミスやデビット・ボウイに対して、今時のヒップホップが満載。

A ティーンエージャーのギャングものやハリウッドの内幕ものは定番として昔から沢山あるけど、映画と現実の境界の喪失といえばのハリウッドで、富や名声を得るための裏切りとか犯罪を描いたバックステージものとは別の次元の、現実感の消失がここで描かれた女の子たちの今と彼女たちの日常生活の場としてのハリウッドにはありますね。

M そこにファッションやセレブという要素が加わって、すごく新しく見えるのだと思う。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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A セレブリティ、ファッション・アイコンの描かれ方。いわゆる日本の女性誌がなびくようなファッションと、それに対するほんとに素敵なファッションのこともちょっと考えてみましょうか。

M 彼女たちはルブタンの靴が好きなのか、パリス・ヒルトンなどのセレブが履いているから好きなのか?

Y セレブが使っているから価値が上がるという方が正解だと思います。きっかけはセレブリティでしょう。部数が伸びるから女性誌も取り上げる。現在の多くの女性が興味ある対象で、嫌いでも気になる。バカにしてるけど、ファッションは好きだし真似したい。チャンスがあれば手が届きそうな近い距離感の錯覚が、さらにセレブリティを手軽なお手本として取り上げる理由のような気がします。

この映画の主人公達はクラスの中心やメインではない、ファッション好きのギークたちで体育会系でもないクラスのヒエラルキー上位ではない子。オタクの一種。追っかけの新種かも。そんなちょっと冴えない彼らにとって、この事件は自分がスターになれるチャンスだったんだと思う。子供同士が、好きな芸能人の話やその人が着ている服、今年の流行について話して盛り上がるのは日本でも普通の事。日本でもちょっと前、キムタクがドラマで着ていた服がバカ売れするとか同じ次元でしょう。ネットで調べれば自宅住所も簡単に分るし、たまたま近所にセレブリティがいっぱい住んでいたので、そこから一歩踏み出してみただけ。

M それは昔のハリウッドスターと、今のスターとの違いであるかも。昔だったら、スターは手の届かない存在で、スティーブ・マックイーンの家に盗みに入るなんて、考えられない。軽い気持ちで侵入し、拝借できちゃうのが、今のハリウッドセレブなのかも。

T テレビの芸能人の着ているもののブランドや金額をおおっぴらに競うような価値観の当たり前化も後押ししてる様に思うな。セレブリティ側からブランドをname dropして流行を生んでいるんだみたいな。煽っているて言う感じ。英国的な真新しいものやこれこれ見よがし的なものを嫌悪する「はにかみの美学」の対極かな。僕らはもっとファッションアイコンでもわかりにくさをおもしろがって来たし、着こなし方とかわかりにくいところを解きほぐしていくことが自分にとっってのスターとの距離感を縮めることだったけれど。

A 本物の素敵とは違いますよね。ファッションでも昔の日本の女性誌は、センスが価値観の基準だったのが、今は幾らとか、誰が着ているブランドだとか、そういう価値観が基準になっているようにみえる。ソフィア・コッポラは、もちろんその辺の違いはわかっているし、本来の彼女のセンスも違う場所にある。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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M 日本でもスターが遠い存在だった時代から、AKB48のように身近にスター(アイドル)と、話したり握手したり、接触出来る時代になっている。誰もが有名人になれるチャンスがあったり、うまくいけばスターと友人になれるかもしれない。

Y アイドル=セレブリティ。セレブが彼らのお手本。好きなセレブリティには前科があるけど気にしないし逆にちょっとCool。だから私は捕まっても気にしない、リンジーと同じだから。だから、みんな謝らない。本当は悪いと思っていない。そんな自己中心的な彼らも、不思議と腹黒さを感じないピュア(純粋)な印象があります。反省や懺悔すればその後はあと引かないで前を向いて行こう。そんなアメリカっぽい理屈です。

T ピュアなのは、感じます。

A この狂っているけど悪気のないピュアさというのが、コッポラが描きたかった現代のアメリカなのではないでしょうか。それを肯定はしないけれど、斜めからシニカルに描くのでもない位置の取り方が興味深い。

Y 受け手側も、ふつうに考えたら、おかしい事も何となく言いくるめられている不条理。いろんなタイプとレベルの人がいるからそれぞれ色々とだまされている事も少なくないと思う。個人的にはそんな不思議なアメリカが面白くて好き。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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M 話は変わりますが、最近120分以上の映画が多い中、これは90分で簡潔ですね。この作品は90分位で一気に見せたいと考えたのかな。

Y 原作読んだのですが、こちらは彼女たちの各家庭の格差などバックストーリーも描かれていて、もっとボリュームがあり複雑な内容でした。敢えて触れていないであろうエピソードもありましたし。

A 脚本も本人だから、かなり削いだのでしょうね。

T でもその辺の潔さが、いいですね。

M ソフィア・コッポラは、こういうキャッチーな題材を、敢えて深堀りせずに、コンパクトにサラッと見せるセンスがある。

A サラッとの趣味のよさが彼女の映画をアメリカの同世代の中でも特別のものにしていると思う。ウェス・アンダーソンや元夫スパイク・ジョーンズ、マイク・ミルズ、ノア・バームバックとかヨーロッパを向きつつ核はアメリカな彼女と同系の男子監督たちのエレガンスがおたくな味をやっぱり芯にしてしまうのに対して彼女の場合はもうひとつシックの筋が通ってるような。
そんな監督の名前で見るわけではないかもしれない日本の若い子達が「ブリングリング」の登場人物をどう受けとめるのか、聞いてみたいですね。

『ブリングリング』
12月14日(土)、渋谷シネクイント他にて全国順次ロードショー

立川シネマシティでは、ソフィア・コッポラ特集上映を開催中です。
尚シネマ・ディスカッションの第3弾は、ジム・ジャームッシュ監督の新作「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」を予定していますので、こちらも是非ご期待下さい。