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CINEMA DISCUSSION -6/『グランド・ブダペスト・ホテル』/ Welcome to Wes Anderson’s World

© 2013 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
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セルクルルージュのシネマ・ディスカッション第6弾は、6月6日に公開されましたウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』です。
全米で新記録の1館当たりのアベレージ動員があったという前評判通り、都内の初週週末は、ほぼ全館全席満席だったとか。
メンバーはいつものように、映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名。
今まで取り上げた作品は、それぞれ監督の作品をかなり見ていたのですが、今回のウェス・アンダーソン作品は、川口哲生、名古屋靖は初見。
ということで、ビギナーの視点を交えながらのディスカッションとなりました。

川口敦子(以下A)
ウェス・アンダーソンの映画をこれまであまり見てこなかったということですが、先入観のない眼から見て監督としての面白さはどのへんにあると感じましたか? 世代的には過去にとりあげたジャームッシュやコーエン兄弟とほぼひと世代違う1969年生まれになりますが、ソフィア・コッポラらの含めたアメリカの90年代的感性を担った層との近さ、遠さといったことも少し考えてみたいですが、どうでしょう?

名古屋靖(以下N)
僕は好きになった監督を掘り下げたりするのは嫌いではないですが、それらは極めて限定的で偏っています。その上食わず嫌いと言うか、選り好みが激しいせいか、せっかくの面白い作品を沢山見逃している事と思います。
この映画を見て久しぶりに「映画って面白い」と感じました。
ただ、自分の趣味の範囲かどうか?と言われれば、正直まったく守備範囲外。強力なお薦めや今回のような機会がなければ、きっと映画館どころかDVDでも観る事もなかったと思います。本当にもったいない!
この作品はなかなか突っ込みどころが見つからないほど、エンターテイメントとして完成しています。だから、どこがどうよかったか?という質問には答えづらい映画とも言えます。凝りに凝った数々の素晴らしいパーツ等をいくらなぞっても、その集積以上の面白さや満足感がある事は実際に映画を見てもらわないと分らないと思うからです。

例えれば、キャラクター達はそんなに好きでなくても行けば絶対に楽しめるパーフェクトなアミューズメント・パーク、ディズニーランドに近いかもしれません。
完璧主義っぽい監督の徹底したこだわりが細部にまで及んでおり、脚本も映像も人も舞台も小道具も緻密に練られていて、まさに「ウェス・アンダーソンの世界」がそこに展開しています。
彼の創る世界に素直に身を任せる事ができれば、あとは何も考えずに楽しめばいい。しかし彼の作る世界は、決して難しかったり偏ったものではなく、なるべく多くの人に観てもらうために大きく門を開いているような、暖かさや親しみを感じる魅力にあふれています。そこがディズニーランドと似ているところです。

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川口哲生(以下T)

私もこのシネマディスカッションを始めるまでは、若い頃の一時期のように映画をたくさん見なくなっていました。見逃したりフォローできていない作品や監督も多いです。ウェス・アンダーソン監督について言えば『ダージリン急行』のあの3人が、朱色からオレンジの背景にカメラに正対しているヴィジュアルを見て観ようと思っていましたし、サントラも聴きましたが。
今回GBHを観て、とても面白かったですし、幅広い層の観客をおいていかないエンターティメントと趣味性が両立していて、久しぶりに「映画」を観たという感じがしました。私たちLCRのメンバーの好みもそれぞれズレ(結構大きいズレですよね、笑)がありますが、みんなどちらかというと自分の世界観に引っかかるクセの嗅ぎ分け方が違うと思いますし、アンダーソン監督はなんかその「かわいい」「おしゃれさ」がかえって遠さになっていたという観もあります。
世界観としては私は大好きですね(笑)。一つ一つの細部の積み上げがすごいのに、これ見よがしにならずに(エレベーター内とか1カット1カットすごいのに)全体としてエレガントで、ノスタルジックで、チャーミングな感じ。質感が伝わります。

川口敦子(以下A)
今回、みなさんが過去のアンダーソン映画を見ていないと仰るのをきいて、正直、え、そうなのと意外でした。絶対、みんなはファンだろうなあと思っていたので。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』『ライフ・アクアティック』『ダージリン急行』(パート1として併映される短編『ホテル・シュヴァリエ』がまたいい!)と、今回の『グランド・ブダペスト・ホテル』(以下『GBH』)の素敵に勝るとも劣らない世界がこれまでのウェス・アンダーソンの映画にはいくつもあって、映画誌だけでなく様々なメディアにも取り上げられてきた印象があったし、評価も高かったので、その名も面白さもかなり広範に浸透しているものと勝手に思い込んでいたのです。
でも伝わってなかったんですねえ。
しかも伝わっていたら真っ先に喜んでもらえると(決めつけますが)思う、セルクルルージュ(以下LCR)のメンバーにも、というのを聞いて、本当に面白い映画の本当の面白さを伝える努力をもっとしなくては、と改めて反省したりもしたわけです。なーんて野暮ったく深刻な言い方がまったく似合わないのがウェス・アンダーソン監督の映画ですけど。

LCRで取り上げてきたジャームッシュやコーエン兄弟と比べてもより広い観客を獲得する要素を備えた監督ではないでしょうか。あるいは同世代で親交もあるソフィア・コッポラと比べてもより正統的に映画ファンに訴えるものをもっているようにも見えますね。シネフィル的な層にばかり受けるというのでもなく、過度にオタクっぽいばかりでもなく、もちろん怠惰なエンタメでもなく映画の面白さをいろいろに、そしてエレガントに見せてくれる、娯楽映画の王道をきちんとまず押さえているのがアンダーソン監督のよさで、また強さでもあるので、広い層に支持されるのがいっそ当然、というか当り前にこういう映画が見られているというのが、映画が世界的に国民の娯楽として機能していた時代にはあったんでしょう。それが健全な状態じゃないかしらと。

川野正雄(以下M)
僕がこれまで見た作品は『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』だけです。その時は仕事でサントラを使いたい企画があり、観に行きました。初めて見た印象は、随分洒落た演出で、細かい気配りが効いているなという点です。
ただ自分がずっぽりはまるタイプの映画ではなかったので、何となく『ダージリン急行』とかは、見逃してしまっています。
ブレイクした順でいうと、サンダンスから出てきたアメリカン・インディペンデントの主流を作った監督たち、同じホテル物『フォー・ルームス』のタランティーノや、アリスン・アンダース達よりも、二世代くらい下ですよね。
サンダンス組でいうと、今やメジャー監督のブライアン・シンガーやデビット・O・ラッセルよりもさらに後、年齢的にも若い。
だからセンスというか、表現のアプローチや、演出で凝る部分の違いを、タランティーノ世代とは、違うな〜と感じました。

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A:
確かに、長編デビュー作『アンソニーのハッピー・モーテル』(96年 劇場未公開)の頃は、サンダンスの薫陶を受けた同時代のインディ(まずモノクロの短編を撮って、認められサンダンスのラボに参加。という経路はハリウッドがインディ新星に注目した90年代にアメリカ映画の常道のひとつとになってましたね。『アンソニー~』のもとになった短編の時点では『パリ、テキサス』の脚本L.M.キットカーソンが絡んでいます)の中でも、少し前のタランティーノのがむしゃらさに比べると、同じテキサス州のオースティンを拠点としたリチャード・リンクレイターの、当時、“X世代”なんていわれた青春もの――の系譜にあてはまりそうな部分もあるんですけど、既にこの時点でそれだけじゃない何か、生きることの普遍的な厳しさを、笑いをまぶしつつも見すえて、それをきちんと物語りとする力を備えている気がしました。

『アンソニー~』では ピンボールの場面とか、トリュフォーの『大人は判ってくれない』にさりげない目配せとなっていて、後に撮ることになるCMで自らも出演して『アメリカの夜』リスペクトを表明したアンダーソンのヌーヴェルヴァーグ好きがみてとれる。その後の映画でもタランティーノ的に見て見てこれも見てというような好きの示し方ではないけれど、いわゆるオマージュ的な過去の映画の取り込みはありますね。
『ダージリン気急行』のルノワール『河』や『~テネンバウムズ』のオーソン・ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』とかはよく指摘されています。ただし引用されるのは映画だけでなく絵画や音楽(ブリティッシュ・インヴェイジョン系が好きとのコメントを読んだ気がしますが、音楽にはDEVOのマーク・マザーズポウがずっと参加してきた。『ムーン・ライズキングダム』のベンジャミン・ブリテン「青少年のための管弦楽入門」とか、古典も守備範囲)文学(ターザンで知られる作家エドガー・ライス・バローズが曾祖父にあたるそうです。

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『GBH』ではツヴァイク、『~テネンバウムズ』ではJ.D.サリンジャーーがモチーフになっています)の分野でも、これでもかというやり方でなく、でも気づいてみるとどんどん興味深くなるように知識や愛が鏤められている。
『GBH』では絵が筋の上でも重要な役割を果たしますけど、『~テネンバウムズ』でも『天才マックスの世界』でも、壁には登場人物の性格描写として連動したり、そうでもなかったりするんですが、ともかく額に入った絵がずらりとかかっている。まあ、そうやってアートを金としてみせびらかすことを疑いもなくしているアッパーミドルな暮らしや私立校の世界を、叩くのではなくある種、受容しながら皮肉るスタンスも面白い。映画だけじゃない引用という点に戻れば、ああ、映画って総合芸術だったんだなと、ちょっとまぬけな感動を噛みしめたくなったりもしますね。往年のハリウッド映画がそうだったように、衣装とか装置とか、小道具とかすみずみまで楽しませてくれる意匠がある。
自分の世界を妥協なしで追究するという意味でのインディペンデントな作家精神を保持しながら、でもハリウッドである程度の規模の予算や演技の質を確保して撮る方がふさわしい映画だと自覚しているような点もいいと思います。テイストは違うけどそこは、やはり自分の独特の世界観や感受性とハリウッド的作品スケールの両立の上に作家性を輝かせているティム・バートンの行き方とも通じているかもしれませんね。

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M:
今回の作品も、フォックス・サーチライト・ピクチャーズ作品ですよね。確かサーチライトの第1作は、サンダンスでグランプリを取ったエドワード・バーンズの『マクマレン兄弟』だったと思うのですが、その頃、隆盛を極めたメジャー・マイナー=ミラマックスを頂点とするスピリッツみたいなものを、感じました。

A:
これまでの映画でもいえるのですが新しさよりは少し懐かしいオーセンティックなものへの興味が映画を貫いているように思います。今回のグランド・ホテルという欧州、貴族社会の社交場として機能した(昨今はやりの隠れ家的なプチホテルとは別の)時空の取り上げ方もそうですね。あるいはルビッチの映画やヒッチコック30年代の映画を今回、参照したといっていますが、目配せとか引用とかということよりも映画的表現としてもまた新しさよりも正統を睨んでるところがあるように思いますが、どうでしょう?
例えば手持ちの移動撮影が流行りの昨今ですがあくまでトラッキングショットにこだわるとか、演技や世界の作り方にも自然主義ではない徹底した様式を究め、そこにリアルさを現出(架空の国をリアルに撮ることの完璧さ)させていますが?

N
特にホテルの色々なシーンで左右対称シンメトリーの平面構成を目にする事が出来ます。理想的な様式美を積み重ねる事で架空の国ながら歴史あるヨーロッパを見せてくれています。
しかし、如何にもヨーロッパ的な長い年月を感じさせる塵の積もった重厚さではない、もっと軽くてファッショナブルな様式美で描いているところに監督の強いこだわりとお洒落なセンスを感じます。
お話も思ったより人が次々死ぬわりには軽快なリズムで進んで行くし、そこかしこに、くすっと笑いがちりばめられていて、上品なコメディーの雰囲気もあります。それ以外にも魅力盛りだくさん過ぎて下手するとハチャメチャになるところを上手にまとめて見せているのは、撮影方法も含めて、ギリギリや異系を好まないオーセンティックなものを好む監督の安定したバランス感覚が理由の一つかもしれません。
また、一昔前のアメリカ人なら、ヨーロッパに対するコンプレックスや憧れの気持ちをもっと露骨に表現したはずが、この作品を観るかぎり、世代の違いなのか何の気負いもなく余裕すら感じさせます。
GUCCIのクリエイティヴ・ディレクターにアメリカ人のトム・フォードが就任した時も時代が変わった事に驚いたものですが、今回の映画を見ても次世代の人々には、ヨーロッパとアメリカの距離感と言うか上下関係は近づきつつあるのを確認出来ました。

T
今回の映画のキーとなる色彩のグラデーション(キーであるMENDL’Sの菓子箱や配送車、ホテルの外観のピンク、内装の赤から朱色、そして紫の衣装(グスタヴなんて紫に赤のパイピングのあるジャケットにラベンダーのパンツ!)が設定の東欧、ゼロ・ムスタファの出自も相まってすごくノスタルジックだけど、正真正銘のヨーロッパの中心とはまた違う、「架空の国リアルさ」を生んでいるように思います。
わからないけれどエンディングのコサックダンスみたいなアニメや、パリのジョー・ゴールデンバーグで聴くようなジプシーぽい音楽など中心ではなく周縁といった外し方も、監督の価値観なのかな。(cf.ダージリン急行も)

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A
単なる懐古趣味とかレトロ・ブームみたいなものとは違う感触、いつの時代にもある失われた美や価値への郷愁のようなものではあっても、そこに絶対的な喪失感が淡くしぶとく漂っているといったらいいのかな――『GBH』の頭にある本の導入部、既に失われた価値を思ってその価値の失われた時代を生きるというような、オーセンティックなものへの興味がアンダーソンの映画を貫いているように思います。あるいはルビッチの映画やヒッチコック30年代を参照したという点に関しても、目配せとか引用とかということだけでは語り切れない姿勢を示しているのではないでしょうか。
M:
僕は何故かビリー・ワイルダーを、ウェス・アンダーソンから連想しました。ビリー・ワイルダーはハリウッドの人ではありますが、東欧(ハンガリー)の出身でアメリカに亡命、生粋のアメリカ人とは全然違う監督で、ヨーロッパ的なエッセンスの強い人です。
しかも彼の育った街の名前はスハ・ベスキヅカ(ドイツ語でズーハ)というらしく、どことなく今回の舞台ズブロフカと近い響きがあります。
ビリー・ワイルダーというと、後年のコメディのイメージが強いけど、初期の作品は、レイモンド・チャンドラーが脚本書いた『深夜の告白』とかは、素晴らしいフィルム・ノワールだし、ヘップバーンの『麗しのサブリナ』のお洒落さとか、すごく多彩な人なんですよね。
若い頃は『フォー・ルームス』の舞台になったシャトー・マーモントに籠って脚本書いていたりしたそうです。
豪華キャストの使い方、軽やかな演出、スノッブだけど嫌みじゃないセンスなど、どこかでビリー・ワイルダーのオーセンティックな部分も、アンダーソンは意識しているのではないでしょうか。

A:
ストーリーテリング、その効率を究めるということが根幹にきちんとあるのもいいと思います。今回の映画にしても話はここからそこへと複雑にこんがらがっていく、けれどもそれを単純に無駄なく語ってみせる、潔さと呼びたい物語術を身につけている。ばたばたと登場人物が死んでいくのも、要らない説明や自分のこだわりよりは物語の醍醐味を優先するやさしげな監督の外見からはちょっと想像できない作り手としての厳しさがあるようで興味深いですね。そしてその厳しさ、優雅な酷薄さが、現代のインディにもハリウッドにも欠けている、往年の監督たちの当り前の力だった、それが正統的な価値だったといえるようにも思います。このあたりは語り出したらきりがないのですが、最初期からアンダーソン映画を追い監督にインタビューもしてきたMatt Zoller Seitzによる”The WES ANDERSON COLLECTION”というヴィジュアル本が素晴らしく視覚的に監督の世界を掘り下げてくれているので、重くてベッドではなかなか読めませんが、ぜひご一読をおすすめしたいです。
“MUSEUM OF WES ANDERSON”という彼の世界観をガイドする映像もあります。

A:
その意味で単にかわいい、おしゃれ(そのポイントも現代のアメリカ監督では他に追随を許さぬものがありますが)だけでない衣装、セット、小道具等々の細部が光りますがそのあたりについてはどうご覧になりましたか? 
N:
お菓子のパッケージがかわいかった。色やロゴを含めたデザインはもちろんの事、リボンを使った箱の閉じ方など、実際にありそうな方法で可愛くて贅沢な小箱。もちろんお菓子自体やお菓子職人の彼女も含めて、このMENDL’Sのエピソードやビジュアルが映画全体をお洒落で軽快なタッチになるよう一役買っていますね。

A:
例えば今回の東欧の表現にしても冷戦時代を通過したホテルのがらんとしたスペースの作り方とかベルエポックがら大戦を経た西洋文化や貴族社会の興亡、時代への目としてみても、面白いと思います。
壁が崩れる前のベルリンに映画祭で通った頃、東側に行くと、整然とした道路の広さとか、佳き時代の名残りをとどめつつ、同時に西の物質的な豊かさから取り残された索漠とした感じが相まった奇妙な時空にすべり込んだ感じがありましたが、その面白さを映画のホテルの時代による移り変わりがよく掴んでいるように思いました。
でもリアリズムとは違うんですね。ホテルのスタッフのユニフォームの紫とか、真っ赤なエレベーターの内装とか、すごくありそうだけど現実とは違うでしょう、違うけれどリアルに感じられるという微妙な線をついてくる。その突き方がセンスのよさなんだと。
衣装で印象に残るものは沢山ありすぎですけど、中で例えばつなぎというかジャンプスーツというか、DEVO的衣装が『アンソニーの~』の頃から繰り返し各作に、その映画の意匠に合わせて微調整しつつ登場してきて、基本は登場人物を語るためのルックであり衣装なのですが、静かに趣味も盛り込まれてる感じがします。

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M:
ロスのビバリーにあるバーニーズ・ニューヨークと、この映画のファッション、パッケージ、インテリアなどの空気感が近いと思いました。
監督の私服も、バーニーズに売ってそうだし、アメリカの中での究極のセンスの良さというか、そういうイメージです。
ロスのバーニーズは、ニューヨークのバーニーズよりも、コンシェルジュやバレットパーキングなどのサービススタッフ、店内のカーペットの色使いなどの内装、そういったエッセンスが、すごく作り込まれていて、洗練されているんですよ。
PRADAのCFや、今回のウイリアム・デフォーのジャケットなんかも、すごくバーニーズ的だと思います。

A:
箱庭的、ミニチュア的、ドールハウス的、断面的な世界、その完璧な作り上げ方についてもご意見を。

N:
箱庭的、ドールハウス的な世界についてですが、監督の予算と今の技術があればCGでいくらでもリアルなホテル外観は表現出来たはずです。しかしそれを選ばない監督の美的センスに賛同します。決して諦めではない、ありきたりでない表現方法を模索した結果があのミニチュアであり、結果この映画のかわいいイメージを決定づけています。

A:
箱庭的、ミニチュア的、ドールハウス的、断面的な世界もまた趣味、個人的嗜好を反映しつつ、スタイルとしてもう少し美意識を絡めた選択なのかしらと思えます。横移動の多用、スコープサイズ(今回はスクリーンサイズの時代による変化が断行されていますが、『~アクアティック』でも最初の所のプレミア上映される海洋ドキュのスタンダードサイズを両脇のカーテンでさらりと示していた、ちょっと先行する実験として面白いですね)とも関連していると思いますが、ともかく『~テネンバウムズ』の一家の家、外観と各階の示し方、『ライフ~』の海洋冒険記録映画チーム兼研究者兼疑似家族の拠点となる船、ストップモーション・アニメーション『ファンタスティックMr.FOX』の家等々、その小宇宙の断面的切りとり、完璧な作り上げ方にはついつい引き込まれずにはいられない磁力があります。これは小さな予算で現地でありものを利用して撮るインディ映画(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』とか、それゆえの面白さが光る映画ももちろんあります)ではなく、やはりセットの力がものをいうわけで、先ほどふれたスタジオ時代のハリウッドとも通じる作品規模が必要という点につながってくわけです。

衣装もキャラクターを真正に描く上で凝るというのが大前提でしょうが、でもこの人、服が、着ることが、好きなんだろうなあという感触が映画から溢れ出てきて目につきますね。監督その人の着こなし(本人のインタビュー動画もぜひチェックしてみてください)を反映して、プレップ校仕込みの崩しトラッド技がその映画の中でも楽しめる。ちょっと子供の頃をぬけだせないキャラクターのお子様なお洋服をぬけだせない、みたいなナード系も楽しくて、『~テネンバウムズ』のビル・マーレイの研究対象の少年とか『ムーンライズ~』のボブ・バラバンの真っ赤なダッフルコートとか、あと足元のつんつるてんぶりの可愛さ、計算されたソックスの色使い、毛皮にだってローファーってあたりも好きです。Mr.FOXのコージュロイのスーツ、肩回りをきつきつにフィットさせるのがウェスの好みとか、パンツのすそは短めにとか特典映像の出演者やスタッフのコメントからも監督自身のファッションが映画のキャラクターに投影されているのがわかります。

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M:
登場人物が人形のように見えるのは、すごく特徴的だと思います。
どうやったら、ああいう風に人形的に撮れるのか、よくわからないのですが…。
キャラクターの造形が、アニメチックな訳でもないのですが、リアリズムとは対極にある戯画的なスタイルで、それが独特の世界を構築して、楽しい。
当然相当ポスプロには予算がかかっているでしょうから、ある程度のバジェットがないと成立しない世界なのかもしれませんが。
今回も色んな俳優が出ていますが、明らかに監督にデフォルメされてしまっていますね。ハーヴェイ・カイテルやティルダ・スウィントンが、その代表格ですが。
多分脚本だけ読んでも、この映画の素晴らしさって、わからないんじゃないかなと思いました。
脚本の先にある部分、それがきっと監督の頭の中には構築されていて、それはもう誰にも想像もつかないし、追いつかない世界。
ブラッド・ピットを使ったソフトバンクのCFを見ても、彼の卓越したイマジネーションの一端が感じられると思います。

A:
で、ちょっと脱線ですが監督のおしゃれ度で見た映画はありますか?
N:
作る映像のお洒落具合でなく、ご本人のおしゃれ度となると、正直、監督さんでお洒落だなあと思った人は思い出せません。ウェス・アンダーソン監督は確かにちょっとおしゃれさんですね。

A:
少し外れますが取材の記憶でいうとポランスキーがおしゃれでしたね。ロケ取材だったのでいってしまえば現場の作業衣なんですけど、いかにも上等なVネックセーター(ベージュ。茶系のグラデーション使い、色の統一感はアンダーソンのお得意技ですね)を脱力でふわっと纏った感じが、『チャイナタウン』に出ていたご本人を思い出してもらうとわかりますが、決してルックス的に恵まれてはいないのに、ゲンスブールとも通じるのかな、いい感じの作り方をみせない見せ方の年期が入っていて、おおっと感じ入りました。
撮影風景のスナップとかをみるとアンダーソンも“脱力”ができてますよね。あと、現場につきもののTシャツルックみたいな写真を見た覚えがない。それこそ往年の監督たちの現場での簡素だけれど正装の基本、そこに崩しをさらっと入れていて、憧れます(笑)
ポランスキーといえば彼の『ゴーストライター』で素晴らしい味を出していた女優オリヴィア・ウィリアムズのよさを最初に見せたのがアンダーソンの『天才マックスの世界』だったんじゃないでしょうか。アンダーソンはポランスキー・ファンと認め、怪物的監督ジョン・ヒューストンの娘で怪優ジャック・ニコルソンのフィアンセだったアンジェリカ・ヒューストンだからこそ怪物的父で夫のロイヤル・テネンバウムと堂々、拮抗する一家の女主人役に起用したといってますね。
もしかするとそんなアンダーソンに興味をもってポランスキーは『天才マックス~』を見たのでは、そこで女優ウィリアムズを知り『ゴースト~』に起用したのではないか、なんて想像したくもなります。
この際だからさらにいえば『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のM・ブランドが飛び降りる前にガムを手すりにつけるように、ガムをちょこっとだして壁につける場面をアンダーソンが繰り返し撮ってるのを見たベルトルッチがお返しのように『ドリーマーズ』で『~テネンバウムズ』みたいな室内テントの場を撮り、『孤独な天使たち』で『~アクアティック』のポルトガル語のボウイに目配せしてイタリア語の「スペイス・オディティ」を使ったのではなんて、思うと楽しくなってきます。

M:
ポランスキーはお洒落ですが、割とシンプルですよね。僕がカンヌで見かけた時は、アイボリーの麻のジャケット着ていました。
以前デビット・O・ラッセルと話した時に、「ポランスキーいいよね」という点で、意気投合しました。
アメリカのクリエイティブな監督達に、ポランスキーが与えている影響って、かなり大きなものがあるのでしょうね。
ポランスキーもポーランドで東欧出身。ビリー・ワイルダーと同じく亡命者です。
今回の舞台設定や時代設定から、そういう先輩監督へのリスペクトとか、文化的な憧憬、そういった要素もあるのではないでしょうか。
監督自身のスタイルでいうと、ウェス・アンダーソンは飛び抜けていますね。ビスポークスーツにワラビー合わせるみたいな、ヨーロッパ的な着こなしが巧いです。
映画監督って、ものすごく考えなくてはいけない事が多いから、自分のファッションまで気を回す余裕がないんじゃないかなって、個人的には思っています。
だからいつもトレードマークのように同じスタイル(服は違っても)の監督が多いような気がします。
自分のファッション考えるより、役者の衣装や美術考えたい、そう考える人が多い職業ではないでしょうか。自分のスタイルはいつも同じような感じで、上質なものをその範囲で選べばいい、独断的ですが監督のスタイルって、そういうイメージです。
この映像で、少しアンダーソンのファッションが見れますが、現場で動きにくいスタイルで、演出しています(笑)。

A:
ついでにホテルが舞台になった映画で記憶に残るようなものもありますか?

N:
ホテルが舞台の映画については、好きなのはS.キューブリックの『シャイニング』。
厳密に言うと冬期休業中のお話なのでコンシェルジュも客もいませんし、ちょっと違うかもしれません。

M:
さっき言った『フォー・ルームス』。
気になって、一度シャトー・マーモントに泊まってみました。
ホテルスタッフが主役という点でも、この映画とは近いエッセンスがありますね。

A
アンダーソン自身の映画でも、実はすでに『~テネンバウムズ』のロイヤルがホテル暮らしからエレベーターボーイに転落するとか、『~アクアティック』のシトロエンっていう名の島の四つ星ホテル、主人公がハネムーンに行ったけど、今は廃墟のそこで銃撃戦という展開がありました。短編『ホテル・シュヴァリエ』の黄色いバスローブも忘れ難いですね。

A:
ボーイズクラブな映画(繰り返される父と子のテーマも含めて)という面も一貫していますが、女性の描き方についてはどうみますか? キャスティングについては?

N
グスタヴとゼロの関係は見ていて気持ちよく一貫していましたね。父と子ではないですが、描かれている師弟関係は親子以上の絆を感じました。さらにコンシェルジュ友愛会のまさに(オールド)ボーイズクラブ的な活躍は、ヨーロッパの歴史と信仰や規律を気持ちよく見せてくれたと思います。
どうしても登場人物については豪華な男優たちに目が行ってしまいます。良く練られた納得の配役は俳優陣もノリノリで演技している感じが良く出ています。全てのキャストが適材適所に配置されていて、時代の流れに合わせて役者が入れ替わっても分りやすく、違和感ありませんでした。
女性の描き方は少々供え物的扱いな感じが。
何故頬に大きなアザがある必要があるのか最後まで分らなかったゼロの彼女アガサは可愛く描いてたけど、ティルダ・スウィントンの役柄マダムDは、中身はともかく外観はもはや女性という歳では無かった。
今回の映画は確かにボーイズクラブな印象で、女優の出る幕はあまり無かったように感じます。

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T
グスタヴとムスタファの関係は父子でないが故に深い師弟愛に満ちたものに思えました。ポエティックな言い回しでのゼロとアガサへの教えは微笑ましいですね。アガサは数少ない女性としてきちんと描かれた登場人物だと思います。
アガサはのあざは(ティルダの原形を残さない老いも)不完全性の象徴かもしれないが、そんなものを飛び越えたようなまっすぐさは監督の女性像なのかも知れません。

M:
『アデル、ブルーは熱い色』のレア・セドゥが出ているんですよね。彼女はPRADAのCFにも出ていますが、ちゃんと抑えるキャストは抑えているんだなって(笑)、思いました。
ウイリアム・デフォーは、僕がベルリン映画祭行った時、審査員やっていて、よく見かけたんですが、すごく渋かったです。久々に彼を生かしきった作品を見たように思います。

A:
次にこんなものを撮ってほしいというのはありますか?

N
まずは、ウェス・アンダーソン監督の他の作品をチェックしないとダメですね。
今回も含めて、自分の趣味や傾向とは関係ない所にこの監督の作風があります。
ですので、希望はありません。
全編よかったのですが、エンドロールが楽しかった。その時に出てくるスクリーン右下のアイツの動きがスゴく良かったw 。この辺も含めてすごいお金掛かっているのに、力の抜けた軽さと余裕がおしゃれでかわいい映画だと思います。
今回のような完璧主義的な作り方をしていれば、次回も是非観たい監督です。

M:
僕も名古屋君と同じなのかな。すごく良いのですが、自分とは距離感があります。
だから次回作って言っても、難しいな。
自分の想像つかない世界の監督ですから、いつまでも自由に作って、驚かせて欲しいです。

A
戦争映画を撮らせてみたいです。今回も、これまでもちょっとそういう場面はあっておっと引き込まれましたが、長編として見てもたい気がします。
『ホテル・シュヴァリエ』の続きの恋愛映画も月並みな希望ですが見たいです。

『グランド・ブダペスト・ホテル』
TOHOシネマズ シャンテ、シネマカリテ ほか 全国公開中

配給:20世紀フォックス映画

Cinema Discussion-5 『インサイド・ルーウィン・デービス』コーエン兄弟の見たBeatな時代

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC

セルクルルージュの定番プログラムになってきましたシネマディスカッション第5弾は、コーエン兄弟待望の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』です。今回も参加者は、前回と同様に映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。
今回の作品は1960年代初期のNYを舞台にしていますが、コーエン兄弟の作品としては珍しく、実在のモデルとしてデイブ・ヴァン・ロンクというフォークシンガーがいます。
話しはその辺の切り口からスタートしました。

名古屋靖(以下N):
自宅でデイヴ・ヴァン・ロンク1963年の「FOLKSINGER」というアルバムを見つけました。
ジャケットはニューヨークはグリニッジビレッジの街角でロンクが吠えているモノクロ写真ですが、PrestageレーベルらしいBlueNoteにも通ずるシャープで秀逸なデザイン。レコードを聴きつつジャケットを眺めて気がついたのは、この写真の撮影場所が『Inside Llewn Davis』のポスター等のメインカットと同じStreetだという事。当時のフォークシーンとグリニッジビレッジが一心同体だったのが伝わって来るし、この映画の舞台はここ以外では考えられなかったのが分ります。

PRESTIGEから出たFOLKSINGER。
“PRESTIGEから出たFOLKSINGER。

川野正雄(以下M):プレステージ(JAZZの専門レーベル)から出ているんですか!それは珍しいですね。内容はフォークなんでしょ?

N: そうです。クラプトンがやっている「MOTHERLESS CHILDREN」や「サムソンとデリラ」といったカバーをやっていますが、純粋なフォーク。映画で使われる「ハング・ミー、オー・ハング・ミー」も入っています。何故プレステージから出たのかは、わかりませんね。(A:後から映画のヒントとなったロンクの回想録”The Mayor of MacDougal Street”を読んだので補足しますね。62年にプレステージ・レコードとアルバム2枚の契約が成立した。ジャズの趣味がいい製作者ボブ・ウェインストックがいたが、フォークの波に乗ってここでもフォークのレコードを出すようになった。それ以前に契約していたFolkwaysからステップアップしたと内心喜んでいたら友人に次はもっとメジャーなレーベルをといわれてへこんだ――とロンクは記してます)

JAZZの名門PRESTIGEから出たFOLK SINGER。DJの間では、PRESTIGEは、JAZZFUNKの宝庫レーベルで有名。
JAZZの名門PRESTIGEから出たFOLK SINGER。DJの間では、PRESTIGEは、JAZZFUNKの宝庫レーベルで有名。

N:このジャケットと映画のスチールの撮影場所を比較したサイトがあるんですよね。
このマクドゥーガル・ストリートというのが、当時フォークやビートニクスのメッカだったみたいです。
前回のビートニク映画祭で紹介したジャック・ケルアックの写真も、この場所で撮影されたそうです。

ロンクのジャケットと、現在のストリート。
ロンクのジャケットと、現在のストリート。

海外版ポスター。GASLIGHT POETRY CAFE のフラッグが見える。
海外版ポスター。GASLIGHT POETRY CAFE のフラッグが見える。

川口敦子(以下A): これはPOP SPOTSというアメリカのサイトでした。アルバムジャケットから、ロケーション場所などを探して、作品のルーツを辿って行く、とても面白いHPです。サイトを作っているボブ・イーガンさんは、とてもマニアックでユニークな方で、快く今回の使用を許諾してくれました。現在59歳で本業は不動産エージェントだそうですが、70年代初めの音楽を聴いて育ち、グリニッチ・ヴィレッジに長年住んできた、で、近所の中古レコード店で当然、答えてくれるだろうとディランの「ブロンド・オン・ブロンド」の煉瓦塀がみえるジャケ写を撮ったのはどこと聞いたら誰も答えられなかった。それがきっかけになって自分で”ポップ・カルチャー探偵”業を始めたのだそうです。最初に調査したのがニール・ヤング「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」のカバーで、これはフェンスと煉瓦からニューヨーク大法学部を背景にしたというのはすぐ判った、でもまさにここで、というスポットを探り当てるのに校舎の周りをぐるぐる3周は回り続けた――って、なんかコーエン兄弟のヘンさと通じるものがあっていい感じですね(笑) ちなみにサイトで発表したらグラハム・ナッシュから正解って連絡があったそうです。許諾をくださったメイルの最後には『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を楽しんで見た、60年代のヴィレッジの雰囲気をとてもよく掴まえていた、映画はディランやロンクが生き、アーティストとして活動したのとまさに同じストリートで撮っている、ただ一点、最初と最後に登場してくるガスライト・カフェの裏通りは実際には存在してないもので、これはどこか別の所で撮ったんだろうね、でもガスライト・カフェがあったマクドゥーガル・ストリートではああいう喧嘩は当時、大いにあり得た筈なんで、その感じは出てるから大した問題じゃないね――とありました。地元民も認める兄弟の映画の時代と場所の描き方ってわけです。

当時のガスライトカフェの入り口。ロンクのポスターが貼ってある。
当時のガスライトカフェの入り口。ロンクのポスターが貼ってある。

M:スコセッシの『ノー・ディレクション・ホーム』に出てくるロンクのインタビューを見ると、ビートニクスのカフェで、詩の朗読の合間に、客を帰す為に演奏するのが、自分とディランの仕事だったと語っています。このガスライトカフェが、そのビートニクスカフェだったようです。その隣のケトルというバーの前で、ジャック・ケルアックは撮影をしたそうです。

左側地下が当時のガスライト。左側のKETTLE OF FISH というバーで、ケルアックは撮影した。
左側地下が当時のガスライト。右側のKETTLE OF FISH というバーで、ケルアックは撮影した。

ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』 ©John Antonelli
ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』
©John Antonelli

ケルアックの撮影場所。
ケルアックの撮影場所。
現在の同じ場所
現在の同じ場所

N:劇中に登場する主人公の売れないアルバムは、ロンク1964年発売の別アルバム「Inside Dave Van Ronk」のジャケ写と同じポーズ、シチュエーション。映画タイトルもそこから取ったのはさすが凝り性のコーエン兄弟ですね。調べてみるとロンクの他のアルバムジャケ写のほとんどもグリニッジビレッジを舞台に撮影されています。そんなロンクの自伝を元に作られたこの映画は1961年当時の活気あるニューヨークを本当に美しく、オシャレに見せてくれながら、50年代から60年代に移行する最中、古いものと新しいものが混在しながらも次の時代の到来を予感させるちょっとワクワクした雰囲気を感じる事が出来ますね。

M:ボブさんは、このロケ場所もしっかり抑えていました。ボブさんの合成ジャケットには、プレステージレーベルのマークがついています。

ディブ・ヴァン・ロンクの劇中と同じデザインのアルバム。猫に注目
ディブ・ヴァン・ロンクの劇中と同じデザインのアルバム。猫に注目

INSIDEの撮影場所との合体。
INSIDEの撮影場所との合体。

ルーウィン・デイビスの劇中アルバム
ルーウィン・デイビスの劇中アルバム

川口哲生(以下T):この辺の拘りの徹底した感じが、コーエン兄弟らしいね。
N:猫が話題ですが、猫のアイデアは前述のロンクのアルバム「Inside Dave Van Ronk」のジャケットから発想されたのは間違いないと思われます。あのジャケットから猫のエピソードを書き上げる彼らの才能に脱帽。猫も素晴らしい演技だけど、一見重要に思わせる猫のオチを適当に処理しちゃうところも逆にコーエン兄弟っぽくていいです。

A:一見、つながらないものを繋げちゃうというのも兄弟のお得意技ですね。『ビッグ・リボウスキ』の頭の西部劇でおなじみの転がる枯草が、たらたらなLAの湾岸戦争時代にもまだヒッピーなリボウスキの場所と結ばれて、なんだか表現主義映画みたいなボウリングアレイの転がるボールにハジけていくとか、ジャンルのミックスも自由自在にしてしまう。いい加減を作りこむというのでしょうか。

M:前作『トゥルー・グリッド』からかなり時間がかかっているから、プリプロなど準備に時間をかけたのではないでしょうか。

A:詳細なリサーチに基づく兄弟ならではの面白さともいえるのですが、事実とフィクションを彼等らしく巧妙にミックスしていると思います。
『ファーゴ』の時のインタビューでも、これは実話に基づいていると言うので真に受けたら、『ビッグ・リボウスキ』の海外インタビューで実はこっちこそが実在の友人をモデルにしてる、『ファーゴ』はまったくの創作と発言していて、のけぞりました。煙にまかれるような感じが、この作品にもあります。
明確な事実は抑えているけど、キャラクターなどは、実際のロンクと、このデイビスは全然違うのではないでしょうか。

N:オーディションの話しとかそういうポイントは抑えていますね。

M:『ノー・ディレクション・ホーム』のロンクを見てみると、映画とは違いワイルドでタフな田舎のおっさん。映画のルーウィン・デイビスの繊細さは感じられない。若い時の写真もそんな感じ。
でも要領のいいのがディラン。ロンクは持ち歌「朝日のあたる家」を、同じコード進行でディランにレコーディングされ、歌えなくなってしまった。
ディランは、後からオリジナルをレコーディングすれば良かったとか、勝手なことを言ってる。
そういうエピソードが、映画の中のルーウィンのうまくいかなさ加減に生かされているのではないかな。

A:しかもちょっとひねっているところが、いかにもコーエン兄弟ですね。
同じミネソタ出身のユダヤ系として意識する部分も多そうな、ディランへのストレートな 共感の物語りを差し出すよりひとひねりする所に兄弟らしさがみえるようにも思います。イーサンの短編小説集のタイトルは、ディランの曲にもある「エデンの門」だったりして、なんか意識してるのではと思わせる。ま、真に受けるとまた騙されそうですが。でもディラン初期作品の歌詞を読んでると今回の脚本の下敷きにしたか的にもみえるのに・・・。

M:ディランを意識しながら、描くのはロンクというのも、コーエン兄弟らしいですね。間接話法みたいな感じで。

A:前回のビートニクとも繋がりますが61年という時空。50年代的なものから60年代的なものへと変わる節目として、様々な面に新旧世界の混淆がみられること、その面白さも、すごく感じられます。
映画の中でもそこはきちんとはぐらかさずに押さえて象徴的に描かれていますね。
フォーク ミュージックで言えば、 デイヴ・ヴァン・ロンクからディランへ。
それは“名もなき男の歌”から時代を変える音楽(スター性、マーケットの規模としても)への移行の節目だと。 
ヴィレッジのカフェ文化は、アメリカの中の異空間として描かれていますが、対象的な存在として、シカゴへの旅のロードサイドのアメリカがあり、それがまたビートニクスとも重なっていく。
ファッションも音楽と連動してクリーンカットなもの対ビート、ヒッピー以降という入れ替えが起きてきます。

M:音楽的には1961年は、全てにおいて前夜ですね。プレスリーはいるけど、ロックはまだ生まれていない。ビーチボーイズやフィル・スペクターがようやく出てきて、モータウンも間もなく。ビートルズもストーンズも間もなく。映画では『ウエストサイド物語』。

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

T:ボヘミアンなヴィレッジの黎明期なのでしょうね。『グリニッジ・ヴィレッジの青春』っていうのもありました。
シカゴへのロードムービー部分は、まさに前回のビート的世界でした。

N:シカゴへの旅路はビートとフォークの関係性を分りやすく説明してくれるし、前述の古いものと新しいものの入れ替えを一方的ではあるけど象徴的に描いています。ビートはその後も影響を与え続けるので、新しい古いと言うより、「旬」かどうか?そんな感じかもしれません。それは主人公とボブ・ディランの関係にも似ていて、時代は少しずつでも確実に動いている。個人的にはジョン・グッドマンにもっとキレキレの演技や台詞を期待していたけれど、早めにダウンしちゃてちょっと残念でした。そのかわりに運転手ジョニーファイヴ(カッチョいい名前だことw)役のギャレット・ヘドランドはクールぶって背伸びした感じが昔のブラピみたいでよかった。

M:『テルマ&ルイーズ』のブラピね。
ジョニー・ファイヴは、ブルース・ウェーバーのモデルみたいですね。

A:ヘドランドはウォルター・サレス監督の『オン・ザ・ロード』ではD・モリアーティ/N・キャサディを演じてるんですね。

N:世代や時代の移行を象徴するシーンでは、養護施設で痴呆の父親の前で父親が好きだった曲を歌い聴かせる父と子のシーンは個人的に印象に残りました。
自分の父親も死ぬ前の約1年間施設のお世話になり、脳溢血で上手く言葉がしゃべれなくなった父親と苦労しながらも今までに無いほどたくさんの話をしました。それは2人にとってかけがえのない時間だったと思います。あのシーンをその時の自分達と重ね合わせて見てしまいました。しかしそこはコーエン兄弟、歌を聴き終えた父親が静かに涙を流すのかと思いきや、、、慌てるオスカーが何とも滑稽で微笑ましい。

T:登場人物は、「よくもまあこんなに一筋縄でいかないひとばかりだなあ」という感じです。信条や宗教や人種の多様性、表の顔ともうひとつの裏の顔、そういったアメリカ(この映画では彼をサポートする大学関係者のパーティ、カフェのオーナー、ロードを共にする怪人『ブルーベルベット』にも通じるアメリカの田舎の狂気の体現者)やジョニー・ファイブに象徴されています。
過去の作品でも、『オー!ブラザー』での浸礼(アル・グリーンの”Take me to the river”,”Drop me in the water”,”Dip me in the river”,”Wash me down”を思い出す)からKKK,まったく表と裏のありまくる自分の信条に狂信的な候補者とか、『ビッグ・リボウスキ』のベトナム帰りのすぐ切れるユダヤ教徒やクラフトワークやクラロス・ノミのパロディー等々、アメリカの持つ無気味さや異様さを、コーエン兄弟はあぶり出すのがうまいですね。

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

N:今回の劇中演奏シーンの録音を全てLiveで敢行したのは大成功ですね。主人公役オスカー・アイザックのギターと歌はスクリーンを通しても心に響く素晴らしい演奏。Liveシーン以外も、近くにいたら厄介だけど憎めない愛すべき主人公を好演しています。
正直『ドライバー』のムショ帰りのダメ夫役が、見ているこっちが苛つくほど嫌な演技だったので、見る前は感情移入出来るかどうか少し不安だったのですが、オープニングのLiveシーンであっという間に彼の虜になってしまいました。吠えるようにラフに歌うロンクよりも、丁寧に繊細に歌うアイザックの歌声は、映画全体をより優しくオシャレな雰囲気にしてくれています。

M:音楽面は、やはりT・ボーン・バーネットの貢献が大きいです。
カントリー〜フォーク調は、彼の独壇場ですね。
30年位前に、みんなで見に行ったエルビス・コステロとのジョイントライブを思い出しました。
因にその時は、コステロと二人でCOWARD BROTHERSというカントリーデュオを組んでいましたが、この作品に通じる部分があったと思います。

N:ちなみに彼が孕ませる友人の彼女役のキャリー・マリガンも『ドライバー』で夫婦役で出演しているけど、可愛さで言ったら『ドライバー』の勝ち。演技自体は今回の方が数段良くなっているのは監督の演技指導のおかげか?本人のやる気の問題でしょうか??

M:キャリー・マリガンは、すごく良かったです。雰囲気としても、当時のマリア・マルダーやジョーン・バエズみたいなストレートロングヘアにタートルネックという感じが、実に自然にうまく出ていたし。可愛い顔して、言葉が汚いのは、いかにもコーエン兄弟らいしギャップでした。

恋人役のキャリー・マリガン。 Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
恋人役のキャリー・マリガン。
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

A:コーエン兄弟の作品として、最後に少し考えてみましょうか。
繰り返すとコーエン兄弟的マニアックな細部の詳細さが、ここでも映画の面白さを支えている。
例えば 音楽界のモデルについて、CGなしのロケ撮影での再現性など。
リアルさとシュールレアルの交錯(ex アパートの廊下)や、映画を玩具として育った兄弟ならではの映画の遊び(猫、円環構造・・・)なんかは、彼らの鉄板ですね。
でも“泣ける”コーエン兄弟映画としての、意外性の部分の新味もあります。
これまでの映画の中では音楽(フォークの前としてのブルーグラス)や、ユリシーズ/旅の映画との関わりで『オー! ブラザー』、時代的には『シリアスマン』の(ミネソタのユダヤ系の)60年代、60年代的なものへの目がおかしい『ビッグ・リボウスキ』ともつながりますね。

N:『ビッグ・リボウスキ』は、今やカルト的な人気がありますね。僕も大好きな作品ですが、共通する要素はありますね。
地味でマイナー、誰も注目していなかった題材を極めてシンプルに映画化して、でも見た者の心にしっかりと浸透させ、愛おしい気持ちを抱かせる、コーエン兄弟の繊細な脚本と演出。彼らの大好物の、ダメ人間、未成功者、笑える間抜けな人々満載で、サクセス・ストーリーなどでない一見無駄な日々を描きながら、移り行く時代やその雰囲気を伝えつつ、明日への希望を抱かせる。
世話になっている友人アパートの廊下や楽屋裏口でのシーンなど円環構造は現実と夢を行き来するような彼らお得意の演出方法。それらを確認できたときに「ああっコーエン兄弟の映画だぁ」と実感できて嬉しかったです。

T:『赤ちゃん泥棒』のころは何かレポマンみたいなへんてこなシュールさ(ヘルライダー)が、面白かった。                           
『ビッグ・リボウスキ』ではケン・ラッセルのボーイ・フレンドみたいなやりたい放題。 このシュールな逸脱とリアルさの交錯が、魅力かな。

M:コーエン兄弟の作品には、正直当たり外れがあると思っています。やはり頼まれ仕事みたいな作品と、自分達の企画で練り込んだ作品では、当然結果も違ってくるし。
そういう意味で、今回の作品は、すごく狙い通りに作れているというか、成功していると思います。
リアルさとフェイクの表裏一体、ブラックな笑い、サラッと重要なシーンを見せてしまうテクニック、期待を軽く裏切ってくれる意外性、そういうコーエンならではのエッセンスに加えて、1961年NYという時代性や、フォーク前夜というべき音楽の息吹のスタイル感がミックスされたユニークな映画だなと感じました。

N:彼らのバカすぎる登場人物とストーリー、クールな引きつり笑いのセンスが大好きだったのですが、今回の作品は素直でシンプルな内容で、堂々とした王道映画の雰囲気を感じさせます。
彼らも年を取ります。しかしその年の取り方は、よくいる大人になってつまらなくなった大物監督と違って、さらにマニアックでDEEPな感覚が研ぎすまされ、長年のキャリアによってヘタな飛び道具を使用しなくても充分に私たちを感動させてくれる大物監督に成長しているように思います。

A:ジム・ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』から、このCINEMA DISCUSSIONも、ボヘミアンやビートなどのキーワードで、作品がつながってきていますが、次回はウエス・アンダーソン監督の『グランド・ブタペストホテル』をお届けする予定です。多分話しはつながってくると思いますので、ご期待下さい。

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌
公開:5月30日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他全国公開
配給:ロングライド
監督・脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 
音楽:T・ボーン・バーネット
出演:オスカー・アイザック、キャリー・ マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、ジャスティン・ティンバーレイク