セルクルルージュのシネマレビュー第12回は、アメリカン・インディペンデント映画界の奇才アレクサンダー・ロックウェルの新作『スイート・シング』です。ロックウェルの監督作品が、日本で公開されのは、オムニバス作品『フォー・ルーム』以来25年ぶりとなります。
日本でのブランクはありますが、さすがロックウェルと呟きたくなる作品に仕上がっています。
レビューは、映画評論家川口敦子と、川野 正雄です。
★川口敦子
『スウィート・シング』を前にして懐かしいな、とまず思った。監督・脚本のアレクサンダー・ロックウェル、その名前に久々に旧友と再会し、健在ぶりを確認し、よかったねと心の底で小さく呟きたくなるような親密な気持ち、自然に湧き上がる懐かしさを覚えたのだ。
日本で公開される新作は何年ぶりになるのだろう。昨今のプロフィールでは92年、サンダンス映画祭のグランプリ受賞作『イン・ザ・スープ』がまず紹介されている。確かにモノクロで描かれる監督志望の青年をめぐるささやかな奮闘の物語も、往時の愛妻ジェニファー・ビールスに敬愛するカサベテス組のシーモア・カッセル、ブレイク寸前のスティーブ・ブシェミと、商売よりは”好き″を優先のキャスティングにしても、新作『スウィート・シング』と響きあうインディならではのパーソナルな感触に包まれて、世知辛い世の中にふっと風穴を開けてくれる。その意味で『イン・ザ・スープ』が優しい気持ちに満ちたロックウェルのキャリアを代表する快作であることに意義なしではあるのだが、それ以前にもオフハリウッドの御大サミュエル・フラーをリスペクト全開でフィーチャーし、ヌーヴェル・ヴァ―グ愛もまた開示したささやかなロードムービー『父の恋人』があったこともこの際だからさらりと思い出し、そうしてそんなロックウェルがかいくぐったハリウッドとインディペンデント監督たちの束の間の蜜月時代、21世紀の今を去ることほぼ30年前の映画の置かれたスリリングな時空、その懐かしさの奥行もまた嚙みしめてみたいと思う。
振り返れば『イン・ザ・スープ』が大賞に輝いたのと同じ年、『レザボア・ドッグス』で注目の新鋭とサンダンスでも熱い視線を集めながら受賞を逃したタランティーノが皮肉にもカンヌを経て新たな時代の寵児となり、以来、彼が牽引したハリウッド90年代のインディ旋風の下、サンダンス発の新鋭4人が競作したオムニバス『フォー・ルームス』。その一編を撮ったロックウェルはスタジオの勝手な編集によって意にそまぬ結果を差し出す羽目となる。ミラマックスの庇護の下、ヒットがなによりのスタジオの商業ベースに与しながら究めたい自身の領域をしぶとく生かす柔軟さと器用さとを身につけて時流に乗ったタランティーノの成功をしり目に尻すぼみのキャリアを強いられたロックウェル、彼のその後の歩みは脚光を浴びる新時代のインディのまさに対極で、撮りたいものを撮りたいように撮る自由を死守してハリウッドと距離をとる懐かしくも頑固なインディのスタンスのことを改めて想起させもするだろう。
久々の新作はしかし、そんな行路へのリベンジというような気負いの力こぶなどとは無縁、みごとにあっけらかんと我が道を往く。その軽やかな頑なさに惹き込まれる。
床上浸水の被害にあって手にした保険金、それをそっくり制作費にあてて、娘と息子と妻が主要キャストを務め、教鞭をとるNYU映画科の学生をスタッフに――と低予算のスタイルの懐かしさもさることながら、カラーフィルムで撮った白黒の粒子の粗い映像のざらりとした肌触り、そこに息づく生の涙ぐましさ、詩情、その時代を超えた普遍の美質にはもう一度、巻き込まれずにはいられなくなる。その名にちなんだビリー・ホリデイが守り神としてヒロイン ビリーのモノクロの世界に色鮮やかに侵入してきたりする、物語りの闊達さも見逃せない。とりわけ少年マリク(テレンス・マリックの影)と弟ニコ(ウォーホルの歌姫の影)とビリーが、大人になれない親たちの世界を逃れて解け出す冒険譚。『地獄の逃避行』と『スタンド・バイ・ミー』の出会う所と評されもしたそこに少しだけ『狩人の夜』の記憶もかすめるようなその時空でみつめられる無垢、イノセンスの領分、その真正の懐かしさ! 酒浸りの父(演じるウィル・パットンも懐かしのインディ系怪優。注目のケリー・ライカート監督作での健在ぶりも要チェック!)の弱さも突き放さないロックウェルのパーソナルな映画は、なけなしの小遣いをはたいてクリスマスにウクレレ(おもちゃまがいのそれではあっても)を娘に贈るだめ親父のだめなりの想いをそっと祝福する。そんなやわらかな記憶が胸に降り積もり、映画をいっそう懐かしいものとする。それは昔はよかった――なんて後ろ向きの感傷とは別の、人の心の核心を突くやさしい気持ちの懐かしさといっていいだろう。
★川野 正雄
アレクサンダー・ロックウェル、懐かしい名前である。
彼の代表作『イン・ザ・スープ』は、僕がSundance Film Festival in Tokyoの仕事をしていた時に上映し、ゲストとして来日したシーモア・カッセルとは,
親しくなる事が出来た。
ユタのサンダンス映画祭で再会した時には、ジーナ・ローランズを紹介してもらい、憧れのカサベティスファミリーに接する最良の時間を提供してくれた恩もある。
そんな個人的な思い出もあるが、作品に出てくるスティーブ・ブシェミや、ジム・ジャームッシュの当時のフィルムメーカーぽさに随分と感化され、自分にとって『イン・ザ・スープ』は忘れられない作品となっている。
続いて見たロックウェルの作品は、クエンティン・タランティーノら当時のアメリカン・インディーズを代表する4人の監督で撮ったオムニバス『フォー・ルームス』である。
映画の舞台になったロスのホテル、シャトー・マーモントには、当時出張で行った際に宿泊した事もあった。
そんな感じで、90年代中期の僕はこの世界にどっぷりとハマっていた。
しかしその後ロックウェルの軌跡は、タランティーノとは陰と陽のように対照的であり、作品が日本で公開される事はなく、僕の中でも忘れていた存在になっていた。
資料を見ると「フォー・ルームス」から何と25年ぶりの日本劇場公開である。その間に6本の作品があるが、ロックウェルの監督生活は、同期のタランティーノとは随分と違った物になってしまった。
この『スイート・シング』も、自分の子供たちを出演させているというパーソナルな一面から自己資金と、クラウドファンドで製作したという。
スタッフは自らが教鞭をとるニューヨーク大学大学院映画部の学生たちを起用している。
そして映像は16mmフィルム。カラーで撮影し、モノクロに転換させるという当時のサンダンス作品でよく見られた手法。
当時カメラマンのエレン・キュラスにモノクロームについて聞いたら、同じ事を言っていたのを思い出した。
『イン・ザ・スープ』や、先頃亡くなったシーモア・カッセルへのオマージュも、密かに込められている。
そんな感じでミラマックスが世界中の映画業界を席巻していた時代の匂いが強く漂い、ロックウェルのインディーズ監督的なこだわりが、徹底して貫かれている。
それはジョン・カサベティスの系譜を強く感じされるものであり、、90年代前半のアメリカン・インディペンデントのスピリッツをそのまま持続している事が、この作品からは強く伝わってくる。
しかしそれは決してオールドスクール的なものではなく、今の時代にロックウェルはきっちりと向き合っている。
忘れられた存在になっていたロックウェルだが、日本での長い空白期間の間に、映像作家として進化し、よりエッジが効いた作品を作るようになっていた。
作品の中も、設定年代は提示されないが、いつの時代でも通用する普遍的なメッセージが込められている。
主人公の女の子の名前はビリー。絶妙のタイミングで、先頃ドキュメンタリー『BILLIEビリー』を見たが、ビリー・ホリディにちなんだ名前である。
映画は、ビリーを中心にしたダメな大人たちによって苦しめられる子供たち。その子供たちの自由への疾走が、子供たちの目線で描かれている。
『スタンド・バイ・ミー』的という意見も見かけるが、『スイート・シング』は、よりシニカルかつスリリングに、大人と子供を対比しながら見つめている。
父、母、母のパートナー、出てくる大人たちはロクでもない。
日本でもモラルが崩壊しているような事件も起きているが、境界線がわからなくなっている大人たちなのだ。
その大人たちと、ちょっと弾けた子供たちの関係を描くロックウェルの視線は暖かい。
中でも子供たちのリーダー役になるジャバリ・ワトキンスの存在感が素晴らしく、魅力的だ。
そして観客の心の中に長く生き続ける強いメッセージが込められている。
途中でウイリー・ウイリアムスのレゲエクラシック『ARMAGIEDON TIME』が流れ、ロックウェルの音楽的センスの良さに驚いたが、最後に『スイート・シング』は、ヴァン・モリソンからの引用だと気づかされる。
ロックウェルの音楽的センスは、タランティーノよりもクールなのだ。
そしてこれからのインディーズ映画のお手本のような作品を作った、アレクサンダー・ロックウェルの健在ぶりに拍手を送りたい。
10月29日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺他全国順次公開中
原題:Sweet Thing|2020年|アメリカ映画|91分|DCP|モノクロ+パートカラー
監督・脚本:アレクサンダー・ロックウェル
出演:ラナ・ロックウェル、ニコ・ロックウェル、ウィル・パットン、カリン・パーソンズ
日本語字幕:高内朝子 配給:ムヴィオラ
公式サイト: