AOR

ここを訪れるてくださるある程度の年齢の方なら、好き嫌いは別として懐かしい響きであろうAOR。もともとはアメリカでAudio Oriented Rockの略称で使われ、同時期最もトピックだったPunkや、ラウドなハードロックに対して、音質重視のクリアなロックミュージックという意味の記号だったのが、日本においては最初の単語が入れ替わりAdult Oriented Rockとなることで、もう少しだけ大人向けで落ち着いた、アーバンでメロウなクロスオーバーサウンドとして1975~1984年頃、主に軟派なサーファーの間で流行したジャンルです。同時にそれまでアルバムを発表するには、本人がそれなりのルックスやカリスマ性、歌唱力を必要としていた音楽界で、どんなに不細工でも、スタジオミュージシャンのような裏方でも、作曲力やセンスがあれば作品を発表出来る、そんな土壌を培っていた高品質な音楽ジャンルだったとも思っています。これまでにもHipHopのサンプルネタや、サバービアやフリーソウル・ムーヴメントの影響で断片的に注目されてきたAOR。それら再評価のたびに少しずつ当時の負のイメージが払拭され、今では一部の若い音好きに贅沢で完成度の高い音楽として認知されているようです。

そんな折、2013年夏にうれしいアルバムがリリースされました。Ed Mottaの「AOR」です。エヂ・モッタ。1971年ブラジル生まれの今年42歳。1990年ソロデビュー。70年代ソウルを基本にジャズからロックまで、アルバムごとにその音楽性がめまぐるしく変化するキャリア充分なグルーヴ系シンガー。10年前インコグニートと一緒に来日したのでご存知の方も多いかと思います。

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もちろん、迷わずアナログレコードを買いました。最近アメリカで話題の「180g Vinyl Record」音質よしです。ジャケットは2013年とは思えない、30 x 30cmのアナログサイズで映えるデザイン。もろウエストコースト・サウンドを彷彿とさせる写真は、真っ白なジャケットの中に着たプリントシャツと、アルバムジャケットの枠の色を合わせるというお洒落ぶり。何より主人公エヂの容姿がスゴい。

過去にも幾つかAORを意識した楽曲を発表してる彼ですが、今回はアルバムタイトルが「AOR」。パロディとかオマージュとかで付けたのではない、正真正銘のAORサウンドを聴かせてくれます。B面2曲目「1978」は曲名通り1978年当時のSteely Danのようなアレンジとヴォーカル。A面4曲目「Dondi」では巨匠David T Walkerが、まるでMarlena Shawのバックで弾いているような、控えめだけど至高のギターソロを披露してくれています。

そんなEd MottaとDavid T Walkerが10月にBlue Noteに来日します。エヂはその歌声も魅力的なので生で2人を聴けるのが今からとても楽しみです。


 

Viva Roxy!


オリジナルサバンナバンドのポストで、今野雄二さんや「華麗なるギャッツビー」の話題が出たので、ロクシー・ミュージック=ブライアン・フェリーについて少し。
今野さんのリコメンするアーチストは、ある時期常に自分の中の指標だった気がするが、最たるものは、やはりロクシー・ミュージックだ。
僕が初めて動くブライアン・フェリーとロクシー・ミュージックを見たのは、このNHK YOUNG MUSIC SHOWで放映したストックホルムの76年ライブである。
それまではレコードを聴きながら、勝手なイメージを膨らませていたが、このクネクネ動くアーミールックでヒゲのブライアン・フェリーは、それまで密かに持っていたイメージを覆すものだった。演奏もラフでワイルドだし、パフォーマンスもそれまで見た事のない程強烈だった。
その1年後、ブライアン・フェリーはソロで待望の初来日を果たした。3回公演があったうちの2回を見たが、会場はアーミーぽいシャツにネクタイをねじり込むファッションの男性が多かった。いきなり黒の革パンでハーモニカを吹きながら登場したブライアン・フェリーに、ここでも圧倒された。
この来日時のスタジオライブが、同じくNHK YOUNG MUSIC SHOWで放映されたが、前述のストックホルムライブとこれは放送のコンプリート版なので、お時間のある時に、是非見てみて頂きたい。70年代の最もアクの強かった時代のブライアン・フェリーが満喫出来ると思う。

ロクシー・ミュージックで特筆すべきスタイルの一つが、アルバム「サイレン」にコスチューム=アンソニー・プライスと、ヘア=スマイルをクレジットした事だ。今では当たり前のスタイリングスタッフのクレジットだが当時は皆無で、音楽とファッションの関係性に強く拘ったブライアン・フェリーならではの快挙だった。
当時アンソニー・プライスのショップと、スマイルのヘアサロンは、ロンドンのキングスロードの外れ、今はビビアン・ウエストウッドのショップがある並びにあった。
アンソニー・プライスはオーダーのみのビスポークスタイルで、既製服は売らないという話を聞いていた。残念ながら僕がロンドンに初めて行った際には、もうショップは無かったが、スマイルは営業していた。その時聞いた話だと、もうブライアン・フェリーは来ていないけど、クラッシュのミック・ジョーンズと、ポール・シムノンの二人は常連だという事だった。
近隣にはクラッシュ御用達のジョンソンズに、ロボット、さらにマルコム・マクラーレンとビビアンのワールズ・エンドがあった。ロクシーが全開だった70年代中期から、パンク/ニューウェーブの80年代に音楽もファッションもシフトチェンジしていた時代の話である。

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)