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ロマン・ポランスキー入魂の冤罪歴史劇『オフィサー・アンド・スパイ』/Cinema Discussion-45

©Guy Ferrandis-Tous droits réservés

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第45回は、アカデミー賞監督賞受賞『戦場のピアニスト』ロマン・ポランスキー監督の最新作、歴史的冤罪事件“ドレフュス事件”を映画化した『オフィサー・アンド・スパイ』です。
第76回ベネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員大賞)を受賞。様々な議論を巻き起こしたフランスでは、第45回セザール賞で3部門 (監督、脚色、衣装) を受賞し、No.1大ヒットを記録しています。
出演は『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダン、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のルイ・ガレル他フランスを代表するキャストが集結。
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

★『オフィサー・アンド・スパイ』は19世紀末、フランス社会を揺さぶった冤罪事件:ドレフュス事件を扱っていますが、『ゴーストライター』でもポランスキーと組んだロバート・ハリスが企画から映画化実現まで難航する間に原作を書き、今回もポランスキーと共同脚本を手掛けています。単なる実話映画に止まらない面白さのもとはどのあたりにあると思いますか?

 川口敦子(以下A):ドレフュス事件の核心にいた冤罪の被害者アルフレッド・ドレフュス大尉、ユダヤ人への差別の根づいた時代と社会の生贄となった存在をいっそ脇に置いて、事件の真相解明に乗り出す”探偵″役として彼の元教官で情報局の防諜責任者に任命されたピカール中佐を物語の軸にすえ、自らもユダヤ人への偏見を持ちながら、正義のために立つひとりの孤立無援の闘いを追う政治スリラー仕立てとしてみせたこと。『ゴーストライター』のコンビならではのスリリングな展開で観客の興味を惹きつけながら、社会への批判をじわじわと開示していく、そのストーリーテリングの妙に映画の勝因があると、つくづくハリス+ポランスキー組の底力を今回も嚙みしめました。

 『戦場のピアニスト』以来、ポランスキー映画のルックを支えて来た撮影監督パヴェル・エデルマンとのコラボレーションも見事です。『戦場のピアニスト』でも『ゴーストライター』でも印象的だった鈍色の空、今回も冒頭のドレフュスの軍籍剥奪の無残な経緯をその鉛色の重い空の色がいっそう厳しく胸に食い込ませる。だだっ広い陸軍士官学校の校庭に寒々しく立つひとりを広角の構図で距離を保ちつつみつめてみせる、そうやって無闇な感傷や情感を排することで冤罪事件の背後にあった人心の偏りがより痛烈に印象づけられる。ここにも作り手たちの確かな話術が感知されますよね。

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川野正雄(以下M):10数年に一度ポランスキーが作る大作として、まずは捉えています。本人の企画でもあるようなので、全編にポランスキーならではの緊張感と、ストーリーテングが溢れています。
ユダヤ人への差別的行為を描いたという意味では『戦場のピアニスト』と同列に語るべき作品と思いますが、フランス軍の冤罪事件という事で、馴染みのない題材ではありました。しかし冒頭からそんな心配を吹き飛ばすような、法廷や軍隊の緊張感が登場します。
ポランスキー作品というと、『反撥』『赤い航路』『袋小路』『おとなのけんか』など、悪意や意地悪さを表現するのが素晴らしい印象があります。
この作品の中でも、フランス軍のユダヤ人への目線は悪意が溢れており、皮肉さや虚無感含めてポランスキーらしさを随所に感じました。
同時に大作的なモブシーンや、スペクタクル感もあり、映画作品としての完成度も完璧ではないかと思います。
ポランスキー作品としては比較的普通の映画になっており、その演出力のリアリティと、ドラマティックな展開で、より多くの方が満喫できる作品でもあると思います。

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★ポランスキー監督作とはこれまでどんなふうにつきあってきましたか? 今回の映画はその中でどんなふうに位置づけますか?

A: 中学生の頃、その映画を見るより先にマンソン・ファミリーによる愛妻シャロン・テート惨殺事件でポランスキーの名を覚えたんじゃなかったかな。もちろん『ローズマリーの赤ちゃん』もありましたが実際に見たのはしばらく後のことで、多分、『マクベス』がリアルタイムに映画館でみた初めてのポランスキー映画だったと思います。公開当時の評では殺害事件のトラウマもあってシェークスピアの原作を血塗られた暴力描写で映画化と言われていて、確かに血のイメージが色濃くありましたが、主演のジョン・フィンチと共にその危なさがセクシーみたいに生意気盛りの小娘には感じられたなあ。しばらく再見していないので今、見たらどんなふうに見えるのか、再見の機会を探したいですね。これ以前に撮っていたシャロン・テートとポランスキー本人が共演している『吸血鬼』も名画座で見たのですが、強迫的な笑いが好きでした。で、後にカンヌで『未来は今』の取材のランチでコーエン兄弟のイーサンがこの『吸血鬼』を筆頭にポランスキー映画が好きと発言、ジョエルもうんうんと同調してたんですが、つい最近、ジョエルが単独で『マクベス』を撮っているのを見て、独自の世界を耕しているなあと思いつつも、やっぱりポランスキー、どこかで意識しているのかしら、好きといったのは本当だったのね、と懐かしいようなうれしい気持ちになったりもしたのでした。

 でも振り返ると公開と同時に見て、その後もいちばん繰り返し見ているのが『チャイナタウン』なんですね。ただれた父娘関係もあり、ジャック・ニコルソンとフェイ・ダナウェイのロマンスのハードボイルドと30年代回顧趣味のナイスな調和ぐあいもありとお愉しみは満杯なんですが今回の『オフィサー・アンド・スパイ』を見て改めて思い返すとLAの土地と水をめぐる権力側の腐敗を探偵が回り道しつつ明かしていくという『チャイナタウン』の構図、面白味ともちょっと通じているんじゃないでしょうか。サスペンス・スリラーを操る話術の醍醐味という点では『ゴーストライター』にしても『告白小説、その結末』にしても、はたまたちょっと違うみたいだけどポーランド時代の『水の中のナイフ』にしても倦怠期中年カップルと拾われた青年の密室的ヨット上の一昼夜の力関係の二転三転をめぐるはらはらドキドキだって同じ糸で結ばれているようで、やっぱりポランスキー、スリルとサスペンスの名手といいたくなるんですよね。

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M: 私も劇場(みゆき座かな)で『マクベス』見ました。確かプレイボーイプロダクションの第1作で、その辺の関係は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にも描かれていますね。サードイヤーバンドのサントラも買いました。
最初はテレビで『吸血鬼』を見ました。アニメの使い方とブラックコメディな部分がとても面白く、確か名画座で『ローズマリーの赤ちゃん』も見ました。『マクベス』とどっちが先かは覚えていませんが、その頃からポランスキーは特別な存在になってきました。
それまでは割とおどろおどろしい作風のイメージがありましたが。『チャイナタウン』は私も劇場で見て、その後も数回見ています。ハードボイルドという好きなジャンルですが、一番好きな作品です。ジャック・ニコルスン、フェイ・ダナウェイという2大スターの使い方も素晴らしかったと思います。
その時期から今日まで自分の中ではポランスキーは最も好きな監督という存在です。
2007年カンヌ映画祭に参加した際、60回記念短編映画集である『それぞれのシネマ』の集合フォトセッションの風景を見かけました。
クロード・ルルーシュ、ヴィム・ベンダース、北野武に、マイケル・チミノまで36人の監督が集まってきましたが、ポランスキーだけ姿を現さず、他の監督を長時間待たせていました。記者会見も「何語で話せばいいんだ」と怒り出し退席と、やりたい放題でしたが、名監督達もポランスキーには一歩下がったリスペクトの姿勢で、強烈な存在感でした。まあこれがポランスキーなんだなと妙に納得しました。
ホロコーストで家族が奪われ、有名になると妻シャロン・テートの惨殺に逮捕と、人生の中での最悪の場面を数々経験してきたポランスキーには、他者への遠慮や気遣いなどは、必要がないのだなと実感しました。
1972年モナコグランプリでのジャッキー・スチュワートを描いた『Weekend of a champion』というぽランスキー製作のドキュメンタリー映画があるのですが、その最後はポランスキーとジャッキー・スチュワートが映像を見ながら当時を回想する対談になっています。
その中でポランスキーは、作品にも登場するF1ドライバーフランソワ・セベールの事故死により、急激にF1への関心が無くなったと語っています。
ポランスキーは通常の人間には考えられないくらい非業の死と隣接しており、その中で生まれてきた我々には想像できない思いが、創作のエネルギーになっているのではないでしょうか。

ポランスキー作品を語りだすとキリがないですが、前作の『告白小説、その結末』も、ポランスキーらしい意地悪な作品で、とても良かったです。ダークな暗闇に近い題材と、エンターティメントとしての面白さ、その両立がポランスキーの真骨頂と思います。
今や88歳ですが、いつまでも刺激的な作品を作って欲しいです。

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★キャスティングに関してはどんなふうに?

 A:まずドレフュス役のルイ・ガレルに驚きました。最初のうちは殆ど彼だと気づかないままに見てました。ポール・トーマス・アンダーソンの会心の新作『リコリス・ピザ』にヒロインの鼻をめぐって素晴らしくユダヤ的って台詞が出てくるんですが、ガレルの鼻も負けてませんね。
 相変わらず頑張っているポランスキー夫人エマニュエル・セニエも余裕が味わい深い大人の女性っぶりでいいんですが、忘れたくないのが真相解明をなんとか阻止せんと暗躍する軍上層部や情報局の面々、憎たらしさを素晴らしく卑小な表情に息づかせていて、思わず握りこぶしを固めてしまいました(笑) あとメルヴィル・プポー、マチュー・アマルリックと、もはや中堅となったルイ・ガレル世代の元青年俳優たちの登場にもにやりとしたくなりました。

M:私もルイ・ガレルは最初わかりませんでした。全く違うイメージです。
エマニュエル・セニエは『告白小説、その結末』に続いて、存在感ありますね。
見ていて握りこぶしを固める〜よくわかります。保守派上層部への怒りが、見ながらどんどん湧いてきました。この辺の観客の感情のコントロールも、ポランスキーは円熟の演出ですね。

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★この映画のメッセージ、現代性に関してどんなふうにうけとめましたか?

M:最近ポランスキーが出演していたアンジェイ・ワイダ監督の『世代』を見ましたが、やはりポランスキーのファンデーションは、この辺にあるのではないかなと思います。『世代』もレジスタンス的な作品ですが、ポーランド人の中にあるユダヤ人への感情が微妙な描写もあります。同じくポランスキーが出演した『地下水道』も含めて、社会的なメッセージとスリルの両立が素晴らしいワイダ作品ですが、ポランスキーにかなり受け継がれており、特にこの『オフィサー・アンド・スパイ』は、近いコンセプトがあるのではないでしょうか。
先程も言いましたが、幼年時代のホロコーストに始まり、シャロン・テート事件や逮捕、拘束などの体験の集大成が、この作品ではないかと感じています。
そして魔女狩り的冤罪事件というテーマが、ポランスキー自身が抱えている問題ともつながっているように感じています。

A: 作品そのものとは離れてしまうのですが、ヴェネチア映画祭、セザール賞での『オフィサー・アンド・スパイ』への授賞をポランスキーの過去の問題に絡めて抗議する動きがありましたよね。#ME TOO以降の風潮の中で、でも作品そのものが見られなくなってしまうのはどうなのかなあ。ウディ・アレンの場合もそうだったのですが作品と作り手、どう線引きするか、考えないと――。

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監督:ロマン・ポランスキー 脚本:ロバート・ハリス、ロマン・ポランスキー 原作:ロバート・ハリス「An Officer and a Spy」
出演:ジャン・デュジャルダン、ルイ・ガレル、エマニュエル・セニエ、グレゴリー・ガドゥボワ、メルヴィル・プポー、マチュー・アマルリック他
2019年/フランス・イタリア/仏語/131分/4K 1.85ビスタ/カラー/5.1ch/原題:J’accuse/日本語字幕:丸山垂穂 字幕監修:内田樹
提供:アスミック・エース、ニューセレクト、ロングライド 配給:ロングライド    
『「オフィサー・アンド・スパイ』公式HP
6月3日よりTOHOシネマズシャンテ他全国公開中

モノクロームで描かれるパリの現在地『パリ13区』/Cinema Discussion-44

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第44回は、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞『ディーパンの闘い』、グラ
ンプリ受賞『預言者』など数々の名作で世を驚かせてきた、今年
70 歳を迎える鬼才ジャック・オディアール監督の最新作『パリ13区』です。
ここのところ旧作名作の特集上映を続けて取り上げていましたので、久々の新作ご紹介です。
ジャック・オディアールは、『燃ゆる女の肖像』で一躍世界のトップ監督となった現在43歳のセリーヌ・シアマと共同で脚本を手がけ、“新しいパリ”の物語
を、洗練されたモノクロの映像美で大胆に描き出しています。
コロナ禍で撮影期間が限定されたために、クランクイン前のリハーサルに力を入れ、今までにない濃厚な作品づくりが行われたという本作は、021 年第74 回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でお披露目されました。
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★原題「オランピア―ド」と名付けられた『パリ13区』は、1970年代の再開発によって生まれた高層ビルやマンションが連なる地区を舞台としています。パリのイメージを覆すこの地区を舞台にしている点、どう見ましたか?

川野正雄(以下M)
随分パリに行っておらず、13区のイメージは正直出来ないので、13区が舞台という点のコメントは難しいですね。
あくまでも想像ですが、2024年オリンピックに向けて、パリの街もどんどん進化はしていると思います。
その中で13区はどんな存在のエリアになっているのか、
70年代にパリはかなり変わったと想像していますので、オディアールがこの街を選んだ理由なども気になっています。

川口敦子(以下A)私もコロナ以前からもうしばらくパリに行っていないので、しかも行ってた頃にも13区の辺りにはあまりなじみがなかったので、あくまでこの映画を見て受け取った印象に基づくコメントになってしまいますが、やはりいわゆる古き佳きパリのルックをはみ出す界隈として、そのはみ出し感が映画が描く人々の同様の感触をこれみよがしではなく、しっくりと裏打ちして、物語りを支えるバックボーンとして機能していますよね。そうした環境のさりげない活かし方に監督ジャック・オディアールの話術が光っていると思います。
で、そのおなじみのパリとは別の――って印象は台湾系移民の祖母所有の部屋に住み、そこを間貸しして生活費を得ようというエミリーのマンションをはじめとする高層建築、その高さから望まれる街や空や川の印象だったりもする。それは、13区で撮ったわけではないかもしれないけれど、ジャン=ポール・ベルモンド特集で上映されたアンリ・ヴェルヌイユ監督作『恐怖に襲われた街』で使われた高層のビルがもたらした印象とも通じているようにも感じました(ちなみにヴェルヌイユはジャック・オディアールの父、名脚本家として鳴らしたミシェルとのコンビでも知られています)。多分、あの映画が撮られた70年代半ばにはパリ再開発によって誕生したそうした高層建築が新しかった、だからクライマックスのアクションにも活用されたりしたんでしょうね。そんな新しさが半世紀を経た今、かつて新しかった分、古ぼけて見える、それが逆に映画に新鮮な雰囲気をもたらしている、そんな逆転現象はまあ、どんな都市にもはたまた流行現象にも見出されるとは思うのですが、ともかくそれは長らくこの13区に住んでいたという監督オディアールだからこその実感としてこの映画に面白味と厚み、深さをもたらしているようにも感じました。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★ストーリーは日系アメリカ人4世のグラフィック・ノベリスト エイドリアン・トミネの短篇集3篇に着想を得ているそうですね。また監督脚本のジャック・オディアールに加えて『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマとやはり注目の新鋭レア・ミシウスという女性ふたりが脚本に加わっています。そうした要素が完成作にどんなふうに影響していると感じましたか?

M:まず女性脚本家が二人入っている事は、非常に大きいですね。
主要登場人物は3人が女性、男性1人で、性的な事を含めて、女性のメンタリティを時には荒々しく描く事に、共同脚本家の存在は大きいと思います。
先日紹介したパゾリーニは『テオレマ』で、女性の潜在的な性欲を、衣服の上から視線を通して描いたが、ジャック・オディアールは肉体を通して、オープンかつミステリアスに描いています。
オディアール70歳ですが、演出の切れ味は冴え渡っていると感じましたが、脚本家2人の力は大きいと感じています。
感染対策でリハーサル時間をたっぷり取り、撮影自体は短期集中型だった効果があるのでしょうか。
今では懐かしいクラブでの密集熱狂シーンは、コロナへのアンチテーゼかとも思いました。
ただ前作などは見ていないので、原作の短編との持続性などについては、何とも言えないところです。

A: トミネの作品はニューヨーカー誌の表紙で目にしていたかもしれませんが、その程度の知識しかなかったので、今回、にわか勉強でいくつかの記事に目を通してみたんですが、カリフォルニア郊外を舞台に「誰の心の中にもいる”負け犬″に訴える」ような作風という点でレイモンド・カーヴァ―と比較されることも多いとあって、そういえばそのカーヴァ―の短篇を縒り合せたアルトマンの『ショート・カッツ』とトミネの短篇3作を編み合わせた『パリ13区』と、少しだけ通じている感じもなくはないかもしれませんね。といいつつアルトマンの目の辛辣さと比べるとオディアールの眼差しはもう少し柔らかいかもしれない、彼のこれまでの作品を振り返ると監督デビュー作の『天使が隣で眠る夜』以来、きんと青く醒めた冷たさのなかにゆらゆらとやわらかなリリシズムが立ち上ってくるような部分があって、そのふっとした揺れ、陽炎みたいなやさしさが彼の映画の磁力みたいにも思います。
そのデビュー作が差し出した”男の世界″は監獄の中でのし上がっていく青年をスリリングに追う快作『預言者』の核心として息づいてもいましたよね。いっぽうで『リード・マイ・リップス』とか『君と歩く世界』とか、ヒロインもまたタフにハードボイルドな世界を闊歩していた気もします。今回、ふたりの女性脚本家が加わったことでそんなオディアールの世界が覆されるほど変わったということはないように思う。ただとりわけ『燃ゆる女の肖像』の画家とモデル、女性同士の眼差しの交換、その官能をじわじわと掬い取ったシアマを得てトミネの原作に基づきつつもノラとアンバー・スウィートの見る見られる関係が醸すロマンスの温かな肌触りが映画にもたらされたんじゃないかなとは思います。親密さの描き方のレイヤーが増したといったらいいのかな。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★4人の主要キャラクターに関して、個々の面白さ、関係の面白さ、どんなふうに見ましたか? 必ずしもサンパなばかりではない人々とも見えますが?

A: 特にエミリーとカミーユの関係に関してその必ずしもいい人じゃない部分が面白さとしてゆっくりと効いてくるんですよね。施設にいる祖母の世話もそっちのけで自分勝手に出会い系サイトで性の”冒険″を楽しみ、実は何も満たされないままに独りでいるエミリーにしても、ちゃらんぽらんに女友達との関係を渡り歩いているような高校教師カミーユにしても、家族との時間にいつもは見えない何か、心の奥底の癒えない傷のようなものが垣間見える瞬間があって、そういう瞬間をこそ、現代のSNSやウェブサイトに撮り囲まれた人間関係の希薄さの向こうに映画は見出しみつめようとしている、そこがいいですよね。
 13区という周縁的なパリを舞台にした映画は人に関してもこれまでのオディアール映画同様、マージナルな場所に身を置く存在への慈愛を芯にしているなあと、そこにも惹かれます。

M: どの人物も決して完ぺきではなく、特に男性のカミーユには殆ど共感出来ませんでした。
しかしカミーユのいわば自己矛盾的な行動と、敦子さんの指摘する傷みたいなものは、どこかでシンクロして、それがノラやエミリーを振り回す事につながっているのではないでしょうか。
皆完ぺきではなく、精神的な欠陥も抱えながら、必死ぽくはないんだけど、必死に生きている。そんな感覚が胸に迫りますね。
共感という意味では、アンバー・スウィートに一番好感が持てました。
もっと彼女のバックボーンを知りたくなりました。

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★キャスティングに関しては?
M:初見参の役者ばかりでしたが、ミュージシャンでもあるアンバー・スウィート役のジェニー・ベスはとても魅力的でした。
ノラ役のノエミ・メルランも、ちょっとアンバランスな女性としての見え方が素晴らしかったです。
人生の時計が少しずつ狂ってくる、そんな女性がノラだと思いますが、最後に自分の道が見えてきて、多分一気に時計の針もブレなくなったのではないでしょうか。
繰り広げられる男女を中心にしたやりとりは、ホン・サンス作品にも通じる部分もあると思っています。

A: 『燃ゆる女の肖像』でも寡黙さの中に我が道を往く強さを研いでいるような画家を快演したノラ役のノエミ・メルランの魅力ももちろん見逃し難いですが、彼女と愛を育むアンバー・スウィートを演じたジェニー・ベスには私も惹き込まれました。見る/見られる関係が(言葉・心を)聞く/聞かせる関係へと深化していく過程で彼女の声がひりひりと傷ついてきたノラの救いとなっていく、その感触をすんなりと納得させてくれますね。主要キャストはもちろんなんですが、不動産物件内覧の場で再会するカミーユの教え子とか、彼の父、妹、亡き母の車いすを買いに来たマダム等々、脇のキャスティングもぬかりないですね。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★モノクロで撮られている点についてはどう見ましたか?
A: パリ13区を舞台にした映画として『パリ、ジュテーム』のショワジー門、クリストファー・ドイル監督編がありましたが、中華街に迷い込んだシャンプーのセールスマンの白昼夢を描く不思議な映画の色色色の印象と対照的なこのモノクロの世界の底に、澄んだ寂寥感が漂って、映画をいっそう忘れ難くしていると思います。リアル過ぎないリアルを世界に纏わせる効果も感じられますよね。

M:モノクロである事により、性的なシーンが美しくなり、生々しさが薄まったと思います。
映像も綺麗ですが、2021年にモノクロで撮影した事の意味、それをもっと知りたくなりました。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★おすすめのポイントをあげるとしたら?
M:これが今のパリ、コロナ下で作られた映画、パリの現在地の映画と思って見ると、感じる部分も多くなるのではないでしょうか。

A: 人と場所、時代と時空、その親密な織り上げ方!

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

『パリ13区』
2021 年/フランス/仏語・中国語/105 分/モノクロ・カラー/4K 1.85 ビスタ/5.1ch/原題Les Olympiades 英題:
Paris, 13th District/日本語字幕:丸山垂穂/R18+ ©PAGE 114 – France 2 Cinéma
提供:松竹、ロングライド 配給:ロングライド

監督:ジャック・オディアール 『君と歩く世界』『ディーパンの闘い』『ゴールデン・リバー』
脚本:ジャック・オディアール、セリーヌ・シアマ『燃ゆる女の肖像』、レア・ミシウス
出演:ルーシー・チャン、マキタ・サンバ、ノエミ・メルラン『燃ゆる女の肖像』、ジェニー・ベス
原作:「アンバー・スウィート」「キリング・アンド・ダイング」「バカンスはハワイへ」エイドリアン・トミネ著(「キリング・アンド・ダイング」「サマーブロンド」収録:国書刊行会)