セルクルルージュの定番プログラムになってきましたシネマディスカッション第5弾は、コーエン兄弟待望の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』です。今回も参加者は、前回と同様に映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。
今回の作品は1960年代初期のNYを舞台にしていますが、コーエン兄弟の作品としては珍しく、実在のモデルとしてデイブ・ヴァン・ロンクというフォークシンガーがいます。
話しはその辺の切り口からスタートしました。
名古屋靖(以下N):
自宅でデイヴ・ヴァン・ロンク1963年の「FOLKSINGER」というアルバムを見つけました。
ジャケットはニューヨークはグリニッジビレッジの街角でロンクが吠えているモノクロ写真ですが、PrestageレーベルらしいBlueNoteにも通ずるシャープで秀逸なデザイン。レコードを聴きつつジャケットを眺めて気がついたのは、この写真の撮影場所が『Inside Llewn Davis』のポスター等のメインカットと同じStreetだという事。当時のフォークシーンとグリニッジビレッジが一心同体だったのが伝わって来るし、この映画の舞台はここ以外では考えられなかったのが分ります。
川野正雄(以下M):プレステージ(JAZZの専門レーベル)から出ているんですか!それは珍しいですね。内容はフォークなんでしょ?
N: そうです。クラプトンがやっている「MOTHERLESS CHILDREN」や「サムソンとデリラ」といったカバーをやっていますが、純粋なフォーク。映画で使われる「ハング・ミー、オー・ハング・ミー」も入っています。何故プレステージから出たのかは、わかりませんね。(A:後から映画のヒントとなったロンクの回想録”The Mayor of MacDougal Street”を読んだので補足しますね。62年にプレステージ・レコードとアルバム2枚の契約が成立した。ジャズの趣味がいい製作者ボブ・ウェインストックがいたが、フォークの波に乗ってここでもフォークのレコードを出すようになった。それ以前に契約していたFolkwaysからステップアップしたと内心喜んでいたら友人に次はもっとメジャーなレーベルをといわれてへこんだ――とロンクは記してます)
N:このジャケットと映画のスチールの撮影場所を比較したサイトがあるんですよね。
このマクドゥーガル・ストリートというのが、当時フォークやビートニクスのメッカだったみたいです。
前回のビートニク映画祭で紹介したジャック・ケルアックの写真も、この場所で撮影されたそうです。
川口敦子(以下A): これはPOP SPOTSというアメリカのサイトでした。アルバムジャケットから、ロケーション場所などを探して、作品のルーツを辿って行く、とても面白いHPです。サイトを作っているボブ・イーガンさんは、とてもマニアックでユニークな方で、快く今回の使用を許諾してくれました。現在59歳で本業は不動産エージェントだそうですが、70年代初めの音楽を聴いて育ち、グリニッチ・ヴィレッジに長年住んできた、で、近所の中古レコード店で当然、答えてくれるだろうとディランの「ブロンド・オン・ブロンド」の煉瓦塀がみえるジャケ写を撮ったのはどこと聞いたら誰も答えられなかった。それがきっかけになって自分で”ポップ・カルチャー探偵”業を始めたのだそうです。最初に調査したのがニール・ヤング「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」のカバーで、これはフェンスと煉瓦からニューヨーク大法学部を背景にしたというのはすぐ判った、でもまさにここで、というスポットを探り当てるのに校舎の周りをぐるぐる3周は回り続けた――って、なんかコーエン兄弟のヘンさと通じるものがあっていい感じですね(笑) ちなみにサイトで発表したらグラハム・ナッシュから正解って連絡があったそうです。許諾をくださったメイルの最後には『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を楽しんで見た、60年代のヴィレッジの雰囲気をとてもよく掴まえていた、映画はディランやロンクが生き、アーティストとして活動したのとまさに同じストリートで撮っている、ただ一点、最初と最後に登場してくるガスライト・カフェの裏通りは実際には存在してないもので、これはどこか別の所で撮ったんだろうね、でもガスライト・カフェがあったマクドゥーガル・ストリートではああいう喧嘩は当時、大いにあり得た筈なんで、その感じは出てるから大した問題じゃないね――とありました。地元民も認める兄弟の映画の時代と場所の描き方ってわけです。
M:スコセッシの『ノー・ディレクション・ホーム』に出てくるロンクのインタビューを見ると、ビートニクスのカフェで、詩の朗読の合間に、客を帰す為に演奏するのが、自分とディランの仕事だったと語っています。このガスライトカフェが、そのビートニクスカフェだったようです。その隣のケトルというバーの前で、ジャック・ケルアックは撮影をしたそうです。
N:劇中に登場する主人公の売れないアルバムは、ロンク1964年発売の別アルバム「Inside Dave Van Ronk」のジャケ写と同じポーズ、シチュエーション。映画タイトルもそこから取ったのはさすが凝り性のコーエン兄弟ですね。調べてみるとロンクの他のアルバムジャケ写のほとんどもグリニッジビレッジを舞台に撮影されています。そんなロンクの自伝を元に作られたこの映画は1961年当時の活気あるニューヨークを本当に美しく、オシャレに見せてくれながら、50年代から60年代に移行する最中、古いものと新しいものが混在しながらも次の時代の到来を予感させるちょっとワクワクした雰囲気を感じる事が出来ますね。
M:ボブさんは、このロケ場所もしっかり抑えていました。ボブさんの合成ジャケットには、プレステージレーベルのマークがついています。
川口哲生(以下T):この辺の拘りの徹底した感じが、コーエン兄弟らしいね。
N:猫が話題ですが、猫のアイデアは前述のロンクのアルバム「Inside Dave Van Ronk」のジャケットから発想されたのは間違いないと思われます。あのジャケットから猫のエピソードを書き上げる彼らの才能に脱帽。猫も素晴らしい演技だけど、一見重要に思わせる猫のオチを適当に処理しちゃうところも逆にコーエン兄弟っぽくていいです。
A:一見、つながらないものを繋げちゃうというのも兄弟のお得意技ですね。『ビッグ・リボウスキ』の頭の西部劇でおなじみの転がる枯草が、たらたらなLAの湾岸戦争時代にもまだヒッピーなリボウスキの場所と結ばれて、なんだか表現主義映画みたいなボウリングアレイの転がるボールにハジけていくとか、ジャンルのミックスも自由自在にしてしまう。いい加減を作りこむというのでしょうか。
M:前作『トゥルー・グリッド』からかなり時間がかかっているから、プリプロなど準備に時間をかけたのではないでしょうか。
A:詳細なリサーチに基づく兄弟ならではの面白さともいえるのですが、事実とフィクションを彼等らしく巧妙にミックスしていると思います。
『ファーゴ』の時のインタビューでも、これは実話に基づいていると言うので真に受けたら、『ビッグ・リボウスキ』の海外インタビューで実はこっちこそが実在の友人をモデルにしてる、『ファーゴ』はまったくの創作と発言していて、のけぞりました。煙にまかれるような感じが、この作品にもあります。
明確な事実は抑えているけど、キャラクターなどは、実際のロンクと、このデイビスは全然違うのではないでしょうか。
N:オーディションの話しとかそういうポイントは抑えていますね。
M:『ノー・ディレクション・ホーム』のロンクを見てみると、映画とは違いワイルドでタフな田舎のおっさん。映画のルーウィン・デイビスの繊細さは感じられない。若い時の写真もそんな感じ。
でも要領のいいのがディラン。ロンクは持ち歌「朝日のあたる家」を、同じコード進行でディランにレコーディングされ、歌えなくなってしまった。
ディランは、後からオリジナルをレコーディングすれば良かったとか、勝手なことを言ってる。
そういうエピソードが、映画の中のルーウィンのうまくいかなさ加減に生かされているのではないかな。
A:しかもちょっとひねっているところが、いかにもコーエン兄弟ですね。
同じミネソタ出身のユダヤ系として意識する部分も多そうな、ディランへのストレートな 共感の物語りを差し出すよりひとひねりする所に兄弟らしさがみえるようにも思います。イーサンの短編小説集のタイトルは、ディランの曲にもある「エデンの門」だったりして、なんか意識してるのではと思わせる。ま、真に受けるとまた騙されそうですが。でもディラン初期作品の歌詞を読んでると今回の脚本の下敷きにしたか的にもみえるのに・・・。
M:ディランを意識しながら、描くのはロンクというのも、コーエン兄弟らしいですね。間接話法みたいな感じで。
A:前回のビートニクとも繋がりますが61年という時空。50年代的なものから60年代的なものへと変わる節目として、様々な面に新旧世界の混淆がみられること、その面白さも、すごく感じられます。
映画の中でもそこはきちんとはぐらかさずに押さえて象徴的に描かれていますね。
フォーク ミュージックで言えば、 デイヴ・ヴァン・ロンクからディランへ。
それは“名もなき男の歌”から時代を変える音楽(スター性、マーケットの規模としても)への移行の節目だと。
ヴィレッジのカフェ文化は、アメリカの中の異空間として描かれていますが、対象的な存在として、シカゴへの旅のロードサイドのアメリカがあり、それがまたビートニクスとも重なっていく。
ファッションも音楽と連動してクリーンカットなもの対ビート、ヒッピー以降という入れ替えが起きてきます。
M:音楽的には1961年は、全てにおいて前夜ですね。プレスリーはいるけど、ロックはまだ生まれていない。ビーチボーイズやフィル・スペクターがようやく出てきて、モータウンも間もなく。ビートルズもストーンズも間もなく。映画では『ウエストサイド物語』。
T:ボヘミアンなヴィレッジの黎明期なのでしょうね。『グリニッジ・ヴィレッジの青春』っていうのもありました。
シカゴへのロードムービー部分は、まさに前回のビート的世界でした。
N:シカゴへの旅路はビートとフォークの関係性を分りやすく説明してくれるし、前述の古いものと新しいものの入れ替えを一方的ではあるけど象徴的に描いています。ビートはその後も影響を与え続けるので、新しい古いと言うより、「旬」かどうか?そんな感じかもしれません。それは主人公とボブ・ディランの関係にも似ていて、時代は少しずつでも確実に動いている。個人的にはジョン・グッドマンにもっとキレキレの演技や台詞を期待していたけれど、早めにダウンしちゃてちょっと残念でした。そのかわりに運転手ジョニーファイヴ(カッチョいい名前だことw)役のギャレット・ヘドランドはクールぶって背伸びした感じが昔のブラピみたいでよかった。
M:『テルマ&ルイーズ』のブラピね。
ジョニー・ファイヴは、ブルース・ウェーバーのモデルみたいですね。
A:ヘドランドはウォルター・サレス監督の『オン・ザ・ロード』ではD・モリアーティ/N・キャサディを演じてるんですね。
N:世代や時代の移行を象徴するシーンでは、養護施設で痴呆の父親の前で父親が好きだった曲を歌い聴かせる父と子のシーンは個人的に印象に残りました。
自分の父親も死ぬ前の約1年間施設のお世話になり、脳溢血で上手く言葉がしゃべれなくなった父親と苦労しながらも今までに無いほどたくさんの話をしました。それは2人にとってかけがえのない時間だったと思います。あのシーンをその時の自分達と重ね合わせて見てしまいました。しかしそこはコーエン兄弟、歌を聴き終えた父親が静かに涙を流すのかと思いきや、、、慌てるオスカーが何とも滑稽で微笑ましい。
T:登場人物は、「よくもまあこんなに一筋縄でいかないひとばかりだなあ」という感じです。信条や宗教や人種の多様性、表の顔ともうひとつの裏の顔、そういったアメリカ(この映画では彼をサポートする大学関係者のパーティ、カフェのオーナー、ロードを共にする怪人『ブルーベルベット』にも通じるアメリカの田舎の狂気の体現者)やジョニー・ファイブに象徴されています。
過去の作品でも、『オー!ブラザー』での浸礼(アル・グリーンの”Take me to the river”,”Drop me in the water”,”Dip me in the river”,”Wash me down”を思い出す)からKKK,まったく表と裏のありまくる自分の信条に狂信的な候補者とか、『ビッグ・リボウスキ』のベトナム帰りのすぐ切れるユダヤ教徒やクラフトワークやクラロス・ノミのパロディー等々、アメリカの持つ無気味さや異様さを、コーエン兄弟はあぶり出すのがうまいですね。
N:今回の劇中演奏シーンの録音を全てLiveで敢行したのは大成功ですね。主人公役オスカー・アイザックのギターと歌はスクリーンを通しても心に響く素晴らしい演奏。Liveシーン以外も、近くにいたら厄介だけど憎めない愛すべき主人公を好演しています。
正直『ドライバー』のムショ帰りのダメ夫役が、見ているこっちが苛つくほど嫌な演技だったので、見る前は感情移入出来るかどうか少し不安だったのですが、オープニングのLiveシーンであっという間に彼の虜になってしまいました。吠えるようにラフに歌うロンクよりも、丁寧に繊細に歌うアイザックの歌声は、映画全体をより優しくオシャレな雰囲気にしてくれています。
M:音楽面は、やはりT・ボーン・バーネットの貢献が大きいです。
カントリー〜フォーク調は、彼の独壇場ですね。
30年位前に、みんなで見に行ったエルビス・コステロとのジョイントライブを思い出しました。
因にその時は、コステロと二人でCOWARD BROTHERSというカントリーデュオを組んでいましたが、この作品に通じる部分があったと思います。
http://youtu.be/BnMLU_s0GAM
N:ちなみに彼が孕ませる友人の彼女役のキャリー・マリガンも『ドライバー』で夫婦役で出演しているけど、可愛さで言ったら『ドライバー』の勝ち。演技自体は今回の方が数段良くなっているのは監督の演技指導のおかげか?本人のやる気の問題でしょうか??
M:キャリー・マリガンは、すごく良かったです。雰囲気としても、当時のマリア・マルダーやジョーン・バエズみたいなストレートロングヘアにタートルネックという感じが、実に自然にうまく出ていたし。可愛い顔して、言葉が汚いのは、いかにもコーエン兄弟らいしギャップでした。
A:コーエン兄弟の作品として、最後に少し考えてみましょうか。
繰り返すとコーエン兄弟的マニアックな細部の詳細さが、ここでも映画の面白さを支えている。
例えば 音楽界のモデルについて、CGなしのロケ撮影での再現性など。
リアルさとシュールレアルの交錯(ex アパートの廊下)や、映画を玩具として育った兄弟ならではの映画の遊び(猫、円環構造・・・)なんかは、彼らの鉄板ですね。
でも“泣ける”コーエン兄弟映画としての、意外性の部分の新味もあります。
これまでの映画の中では音楽(フォークの前としてのブルーグラス)や、ユリシーズ/旅の映画との関わりで『オー! ブラザー』、時代的には『シリアスマン』の(ミネソタのユダヤ系の)60年代、60年代的なものへの目がおかしい『ビッグ・リボウスキ』ともつながりますね。
N:『ビッグ・リボウスキ』は、今やカルト的な人気がありますね。僕も大好きな作品ですが、共通する要素はありますね。
地味でマイナー、誰も注目していなかった題材を極めてシンプルに映画化して、でも見た者の心にしっかりと浸透させ、愛おしい気持ちを抱かせる、コーエン兄弟の繊細な脚本と演出。彼らの大好物の、ダメ人間、未成功者、笑える間抜けな人々満載で、サクセス・ストーリーなどでない一見無駄な日々を描きながら、移り行く時代やその雰囲気を伝えつつ、明日への希望を抱かせる。
世話になっている友人アパートの廊下や楽屋裏口でのシーンなど円環構造は現実と夢を行き来するような彼らお得意の演出方法。それらを確認できたときに「ああっコーエン兄弟の映画だぁ」と実感できて嬉しかったです。
T:『赤ちゃん泥棒』のころは何かレポマンみたいなへんてこなシュールさ(ヘルライダー)が、面白かった。
『ビッグ・リボウスキ』ではケン・ラッセルのボーイ・フレンドみたいなやりたい放題。 このシュールな逸脱とリアルさの交錯が、魅力かな。
M:コーエン兄弟の作品には、正直当たり外れがあると思っています。やはり頼まれ仕事みたいな作品と、自分達の企画で練り込んだ作品では、当然結果も違ってくるし。
そういう意味で、今回の作品は、すごく狙い通りに作れているというか、成功していると思います。
リアルさとフェイクの表裏一体、ブラックな笑い、サラッと重要なシーンを見せてしまうテクニック、期待を軽く裏切ってくれる意外性、そういうコーエンならではのエッセンスに加えて、1961年NYという時代性や、フォーク前夜というべき音楽の息吹のスタイル感がミックスされたユニークな映画だなと感じました。
N:彼らのバカすぎる登場人物とストーリー、クールな引きつり笑いのセンスが大好きだったのですが、今回の作品は素直でシンプルな内容で、堂々とした王道映画の雰囲気を感じさせます。
彼らも年を取ります。しかしその年の取り方は、よくいる大人になってつまらなくなった大物監督と違って、さらにマニアックでDEEPな感覚が研ぎすまされ、長年のキャリアによってヘタな飛び道具を使用しなくても充分に私たちを感動させてくれる大物監督に成長しているように思います。
A:ジム・ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』から、このCINEMA DISCUSSIONも、ボヘミアンやビートなどのキーワードで、作品がつながってきていますが、次回はウエス・アンダーソン監督の『グランド・ブタペストホテル』をお届けする予定です。多分話しはつながってくると思いますので、ご期待下さい。
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』
公開:5月30日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他全国公開
配給:ロングライド
監督・脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
音楽:T・ボーン・バーネット
出演:オスカー・アイザック、キャリー・ マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、ジャスティン・ティンバーレイク