Cinema Review-10『モロッコ、彼女たちの朝』/モロッコ長編映画が、日本デビュー!

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

Cinema Review第10回は、日本で初めて公開されるモロッコの長編劇映画『モロッコ、彼女たちの朝』です。
カサブランカに住む二人のシングルマザーの心の葛藤を描いた作品です。
8月13日の公開以降、大変好調な動員を記録していると聞いていますが、今後ますます注目されて欲しい作品です。
カンヌ映画祭「ある視点部門」に正式出品、アカデミー賞モロッコ代表に女性監督作として初選出と、世界的にも評価が高まってきています。
レビューは、映画評論家川口敦子と、川野正雄の2名でお届けします。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

★川口敦子
前回のレビューに続いてでまことに心苦しいのだが、『モロッコ、彼女たちの朝』に付したニューヨークタイムズ紙の見出しがあまりに素敵にぴたりとくるので、今回もやはり引いてしまおう。曰く「美しい友情の始まり」――そう、あの『カサブランカ』をしめくくった名台詞の引用だ。愛するヒロインとその夫のモロッコ脱出を手助けしたボギーことハンフリー・ボガートと警察署長クロード・レインズの男と男の気風にくらりと酔わされる名場面、名エンディング、そこで吐き出された台詞は多くのファンの脳裏に焼き付いていて、それだけに無闇やたらに引用すれば顰蹙を買うことにもなりかねない。そんな危険を承知の上で、でも、それでもとその一言を添え、讃えたくなるほどに、同じモロッコはカサブランカ、その旧市街に咲いた『モロッコ、彼女たちの朝』の女と女の友情の花はみごとに美しく、胸に迫る。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

これが初めての長編監督作というマリヤム・トゥザニが自ら子を宿した時、かつて両親が保護したひとりの未婚の妊婦のことを想起して書き、撮った物語。故郷の親族に内緒のまま都会に出て子を産み、養子に出して、秘密を胸に帰郷する。そうするしかないのだとヒロインの選択肢を端から奪うモロッコの社会の中には、やはり因襲に縛られて亡くした夫の埋葬に立ち会えなかった痛みを胸に疼かせたまま、寡婦として口さがない周囲の人の目をかわし、ひっそりと軒先で自家製のパンを商いながら娘を育てるもうひとりの物語も見出される。そんなふたりがそれぞれの頑なさを少しずつ融かしながら心の距離を縮めていく様を無駄口たたかず映画は掬い、アップとアップの顔が言葉以上にものをいう瞬間を積み重ねる。居候となったひとりがふとしたことからパン作りの腕を披露する。膨らんできたお腹をかばいつつ床にすわって粉をこねる。つるりと水をふくませた粉が麺状にのばされてぷるんとしなやかなその感触が、解き放てない彼女の母性を請け負うようにおおらかなやさしさをのみこんでいく。そんなやわらかさに染まるように、娘の教育もしつけも厳しく寸分の隙もみせない賢母であろうとしてぎすぎすといたもうひとりのそっけく色をなくした日々が仄かに艶めいていく。太い楊枝のようなもので漆黒のアイラインが施され母が女の顔を取り戻す。

http://lecerclerouge.jp/wp/houseinthefields/

と、こう書くと感動の下町人情美談といったふうにも響きかねないが、美しい友情の始まりを腐臭に塗れる一歩手前でメロドラマから救出する監督は、自らの記憶に刻まれているからこその終幕を用意する。アダムと名付けられる赤ん坊を前にしたヒロインの逡巡。その嘘のなさ。一部始終をみつめた先に映画が用意した幕切れに何をみるのか、望むのかーーそこに置かれた問を繰り返し嚙みしめている。

寡黙の雄弁でつづられる女ふたりの友情は、ニューヨークに中絶の旅に出る少女とその道連れとなるもうひとりをくっきりと説明を寄せ付けない顔ひとつで語り切る覚悟を光らせたエリザ・ヒットマン監督作『17歳の瞳に映る世界』(彼女の長編デビュー作『愛のように感じた』もシアター・イメージフォーラム他で上映中、必見!)と厳しく強靭なシスターフッド映画2本立てとして見てみたいとも思う。カラヴァッジョ、フェルメール、ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールを参照したという撮影監督ヴィルジニー・スルデージュの醸す陰影礼賛な室内の時空もお見逃しなく。

★川野正雄

モロッコ映画というと、Cinema-Review4として、アトラス山脈の麓に住む姉妹を描いたドキュメンタリー映画『ハウス・イン・ザ・フィールド』をご紹介したばかりであるが、今回ご紹介する『モロッコ、彼女たちの朝』は、日本で初めて公開されるモロッコの長編ドラマ映画である。
カンヌ映画祭「ある視点」に出品され、アカデミー外国語映画賞にも、モロッコ代表として参加した作品という事で、非常に期待をしていた作品である。
個人的にも2017年モロッコを訪問しているので、非常に親近感も持って接することが出来た。

舞台はカサブランカ。予備知識もなく見たのだが、いい意味で想像していたような映画ではなかった。
主人公は二人のシングルマザー(一人はこれからシングルマザー)。根底に流れているテーマは、SDGsの時代に相応しくない男女格差社会の理不尽さである。
資料にはモロッコは、ジェンダーギャップ指数が、156カ国中144位。女性の識字率は60%以下と、信じられない数値である。
私がモロッコを訪れた際、カフェが男性だらけで疑問に思い聞いてみたら、地元のモロッコ人女性はカフェには入れないという事だった。

http://lecerclerouge.jp/wp/houseinthefields/

この映画では、モスリムの宗教的なルールによるジェンダーギャップの大きな理不尽が描かれる。娘と二人で暮らし、パン屋を営むアブラ。彼女は事故で亡くなった夫の埋葬にも、宗教的な理由からか、立ち会えなかった。アブラの表情は常に暗く、生きる喜びは感じられない。
臨月の状態で仕事を解雇された妊婦のサミア。縁あってアブラの家に住み込みで、パン屋を手伝うようになる。
しかしモスリムでは、シングルマザーを社会的に受け入れてもらう事がむずかしい。
サミアは、生まれてくる我が子を育てられないジレンマに追い詰められている。
『モロッコ、彼女達たちの朝』は、アブラとサミアの精神的な葛藤を描いている。

私はカサブランカに滞在した事はないが、タンジェなど他の都市と風景はあまり変わらない。
サミアが作る伝統的なパンも、私は食べたことがないが、なかなか美味しそうである。
出会いでは反目し合っていたアブラとサミアの関係は、不器用ながらも徐々に邂逅していく。
一見歳上のアブラが二人の関係を引っ張っているように見えるが、実はサミアが意志を持って、距離感を縮めているのだ。その縮め方は、時には強引に見えるが、サミアはしっかりと真実に対峙しようとする。逆にアブラは、真実を理解しながら、顔を背けているように見える。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

アブラの娘や、アブラに好意を持つ男性の登場などにより、二人の関係性もほぐれていく。そういった繊細な心の動きが、あたかもヨーロッパの文芸作品のように描かれる。
重要なのは、モロッコで撮影された作品ではなく、モロッコ人によるモロッコを描いた作品である事だ。
ここに出て来る世界は、『シェルタリング・スカイ』や、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』で描かれるモロッコとは違う。
もっと地面に近く、土着的で、モロッコの人々の真の姿を、深く抉っているのだ。
カサブランカのような都市部でも、女性の立場が圧倒的に弱い社会であるという現実は、衝撃的で理解に苦しむ。
しかし全編が重く覆われているわけではない。
サミアとアブラ、二人の人間味に、いつの間にか引き込まれていくのだ。
ジェンダーギャップのしきたりの強い社会の中で、今後サミアはどのように生き抜いていくのか。
この二人に待ち受ける未来を、是非またマリヤム・トゥザニ監督には描いて欲しい。

©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

『モロッコ、彼女たちの朝』
監督・脚本:マリヤム・トゥザニ(長編初監督)
出演:ルブナ・アザバル『灼熱の魂』『テルアビブ・オン・ファイア』
ニスリン・エラディ
製作・共同脚本:ナビール・アユーシュ『アリ・ザウア』
2019年/モロッコ、フランス、ベルギー、カタール/アラビア語/101分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/英題:ADAM/日本語字幕:原田りえ
8月13日よりTOHOシネマズシャンティ他、全国順次公開中