DALCUORE -the first fitting with Maestro Luigi

仮縫いジャケットとマエストロ・ルイジ
仮縫いジャケットとマエストロ・ルイジ

8月のオーダーから半年あまりが過ぎた2月の末に、仮縫いでのフィティングチェックに丸の内のBEAMS HOUSEに行ってきました。

前回のカジュアルな着こなしとは違い、今回はダブルブレスティドのスーツをタイドアップでびしっと決めたLuigi Dalcuoreとの再会でした。

中国、ロンドン、パリ、モスクワと飛び回っての精力的なトランクショーの展開は、彼のFacebookやInstagramでも紹介されていますが、疲れを感じさせることもなく、いつものような寡黙ながら情熱的な仕事ぶりで迎えてくれました。

まずは8月のオーダーの復習ですが、今回はチャコールのへビーフレスコで、ピークドラペルのスリーピーススーツをあつらえることにしました。ジャケットにはチェンジポケットを付け、パンツはワンプリーツ、ベルトレスのサイドアジャスターと昨年8月当時の『サルトリアル(仕立て屋の)スーツへの気持ちの回帰』を盛り込んだオーダーとしました。

今の気分満載のサンプルのピークドラペル、スリーピース、シングルプリーツパンツモデル
サリトリアルな気分満載のサンプルのピークドラペル、スリーピース、シングルプリーツパンツモデル

まずはパンツのフィッテング。気になっていたのはベルトレスのウエスマンの仕上がり。股上はカジュアルパンツの股上の浅さとは一線を画したいというオーダーでしたが、まずは狙い通りな納まり。セットインプリーツと相まってクラシックで、エレガントは方向性が醸し出されました。試着の段階でサスペンダーもするなら前をさらに1センチあげて、ウエスマンも通常の4cmから5cmへというアドヴァイスがありました。私からはウエスマンの持ち出しを長めにお願いしました。パンツのすそ幅17.5cmに対しワタリはいつもより余裕を持たせプリーツからのつながりを出したかったのですが、多少もたついているように見えLuigiに聞くと「もちろんSlimFitにはしない。poco,pocoだな」と内股にチャコを入れていまた。

次はジレ。タイトな仕上がりを希望していましたが、パーフェクトなフィットと前傾斜でした。

ジャケットは着丈、袖丈の修正とともに、しつけでついていた袖をはずし、「もう少し前肩でつける」、とつけ方を丁寧に確認していました。それにより前見頃もストンと落ち、背中側のつれも取れるとのこと。いつもながらの極細のアームホールが期待感を高めます。

襟はサリトリアル回帰の中で広めにという思いがありましたが、ピークドということでこれ見よがしにならない按配を探りLuigiがチャコを入れます。ここが今回自分の中で一番迷ったところでしょうか。

自分が試着中ですので画像が薄くてお伝えし切れませんが、フィッティングの雰囲気は、BEAMS HOUSE丸の内のこちらのブログを参照ください。
大きな修正は無く,ファーストフィッティングは終了。着替えを終えて、サンペルグリノで一服。ちょっと雑談しながら次の秋冬物のオーダーについての意識を共有します。

自分の中では作りたいものと(時代感)、生地、そして仕立て屋の積み重ねた経験と技術、作り手を観てのアドヴァイス、そんな要素が混ざり合って,一歩一歩具現化していくサルトリアルスーツ。(仕立て屋のスーツ)一着一着が積み重なって、作り手との関係が深まっていくところが何より楽しいところだと思います。

フィッティング後にした秋冬物のオーダーの詳細は次の投稿に譲るとして、ちょっとだけ頭出しを。私の中では、クラシックなグレンプレイド、その生地の参考に当日着ていったreadymadeのDalcuoreが下のものです。今回のオーダーはモノトーンのダブルブレステッドで。

今日のダルクオーレ。readymadeなれどディテールに宿る仕立て屋魂。
今日のダルクオーレ。readymadeなれどディテールに宿る仕立て屋魂。

そして、昨年8月の投稿に描いたスーツ栄えのするレギュラーカラーのシャツの試作品。カッタウェイでなく、昔のナポリシャツを参考にBEAMSのHさんにご協力いただきながら、襟の開き、長さを調整中です。

 

仕立て屋のスーツに合わせるレギュラーカラーシャツの試作品
仕立て屋のスーツに合わせるレギュラーカラーシャツの試作品

 

60’s Pop Musicの仕事人達を描いた 『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』/ ”THE WRECKING CREW”/

©2014,Lunchbox Entertainment
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Entertainment

60年代LAで活躍していたスタジオミュージシャンを描いたドキュメンタリー『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』が公開されている。
今の時代は、参加ミュージシャンはクレジットされるのが当たり前になっているが、1960年代には、殆どスタジオミュージシャンの名前が表に出る事が無かった。
この映画は、スタジオミュージシャン集団レッキング・クルーのギタリストであり、リーダー格だったトミー・テデスコの息子デニー・テデスコが、父親達の軌跡を埋もれさせない為に制作したものである。ただ使用される130曲の楽曲の著作権クリアにお金と時間を要し、18年の年月とクラウドファンディングの助けを借りて、ようやく完成にこぎつけたという背景を持つ。
僕は彼らの存在を、残念ながら全く知らなかった。
キネマ旬報のピーター・バラカンさんの評を読むと、モータウンやスタックスなどのレーベルはには専属ミュージシャンがいたというし、ジャマイカのレゲエレーベルスタジオワンでも独特のサウンドを創り出すメンバーがいたが、LA,NYではそういう存在はなく、フリーのスタジオミュージシャンが多数活動していたようだ。

©2014,Lunchbox Entertainment
©2014,Lunchbox
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レッキング・クルーはその中でも、フランク・シナトラやエルビス・プレスリーのような超メジャーアーチストから、ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクル、バーズ、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド、フィフス・ディメンションなど、一つのカテゴリーや時代を創り出したアーチストに大きく貢献をしているチームである。
ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンは、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドに影響を受けて、レッキング・クルーを起用し大きな成功を収めたのだが、彼らの存在をしっかりウォッチすると、当時のLA音楽シーンのネットワークが見えてくるのではないかと思う。

このドキュメンタリーの中で、僕が最も注目したのは、前述したフィル・スペクターがプロデュースするウォール・オブ・サウンドとザ・モンキーズである。
ウォール・オブ・サウンドの代表曲はロネッツの名曲『ビー・マイ・ベイビー』だ。
遥か昔の話になるが、映画『さらば青春の光』を見て、一時期は毎日スペクターサウンドを聴いていた。
オーバーダビングを多用し、ラジオ用にモノラル録音に拘り、誰もが好むようなガールズポップを次々に産み出したフィル・スペクターの音楽シーンに与えた影響は計り知れなく、それを陰ながら支えたのが、レッキング・クルーということになる。

70年代になると、レッキング・クルーは、カーペンターズの世界的大ブレイクにも貢献する。
デビュー前のカーペンターズは、サイケデリック全盛のLAで、地道に自分達のサウンドである美しいポップミュージックを追求していたグループだ。
この映画にも度々登場するA&Mのハープ・アルバートに見出され、メジャーデビューをしているので、レッキング・クルーの起用は必然であった。
サウンド的にはフィル・スペクターの影響を感じされる楽曲が初期には多く、大ヒット曲『スーパースター』は、映画の中でもレッキング・クルーの一員的な位置づけで登場するレオン・ラッセルの作曲である。
あまりにもメジャーな存在で、日本ではイージーリスニングの代表としてやや軽く扱われている一面もあるが、カーペンターズのサウンドは、フィル・スペクターのようなポップミュージックの基盤に立脚しているという事を、改めてこの映画を見て感じることが出来た。

ザ・モンキーズは、自分にとって特別な存在のグループである。何と言っても最初に買ったレコードが『モンキーズのテーマ』なのだ。
この映画の中では初めて(なのかな)と言ってもいいのではないかと思うが、ミッキー・ドレンツとピーター・トークというメンバー自身によって、モンキーズの真実が語られる。
僕が一番好きだったメンバーは、一番地味でミュージシャンらしいピーターだった(以前小山田圭吾さんとモンキーズについて話した際、彼もピーターが一番好きだと言っていた)のだが、現在の彼の口から真実が語られる事に、小さな興奮を覚えた。
自分が小学生だった時代だが、モンキーズが来日して武道館公演が放送され、「スター千一夜」に出演する生の彼らの姿を見て、TVとは違いヒッピーのような様相だったので驚いた事を、よく覚えている。その時も裏では別のミュージシャンが演奏しているという疑惑が持ち上がっていた。
実際リーダー格のマイク・ネスミスが演奏問題でマネージメントともめるなど、人気グループゆえの様々な問題を抱えていたらしい。
その辺はアイドルとミュージシャンの狭間で同じように悩みを抱えていた同時代の日本のグループサウンズにも、相通じる部分がった。
しかしLIVEからの叩き上げであった日本のグループサウンズとの決定的な違いは、モンキーズがオーディションによって集められたグループであり、演奏力以外の部分で、メンバーが決まっていった部分である。
落ちていたメンバーの中には、スティーヴン・スティルスや、後年ラヴィン・スプーンフルや、スリー・ドッグ・ナイトに加入する実力派のメンバーがいたという伝説になっている。
そういう芸能的な事情があるグループだけに、レッキング・クルーへ大きく音楽的に依存していた事も、容易に理解できる。
例えそうであっても、モンキーズのポップで、美味しいどこ取りをしたようなヒット曲の数々は素晴らしく、今聴いても全く色褪せていない。
ビートルズやビージーズのようなロック的なサウンドから、後年登場するアバのようなポップなサウンドまで、モンキーズのジャンル的懐が深いのも、レッキング・クルーがあっての事であろう。

パンクアンセムになっている『STEPPIN’ STONE』や、忌野清志郎さんもカバーした『デイドリーム・ビリーバー』など、現在まで生き続けている曲も多い。
1967年にリリースされた『スターコレクター』は、この時代らしいスカビートに、サイケデリックを混ぜたアップテンポの傑作だが、皮肉なのかギャグなのか、ビデオではピーターとマイクがエアギターを弾いている。
こういった楽曲のクオリティと守備範囲の広さは、レッキング・クルー無しでは生まれなかったのではないだろうか。
一番人気だったディヴット・ジョーンズは既に鬼籍に入っている(デヴィッド・ボウイは、彼と同姓同名だった為、ボウイと名前を変えたらしい)が、最近ミッキーと、ピーターで再結成し、ポール・ウェラーやノエル・ギャラガーが楽曲を提供するという話も聞いている。

https://youtu.be/3TCOggiUGHk

映画『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』は、見た方一人一人の音楽的体験で、様々な入り口や思い出が見つかってくる作品だ。
1960年代のポップミュージックが好きな方には、是非体験して見て頂きたい記録映画である。

2016年2月20日(土)~3月4日(金)
新宿シネマカリテほか、2週間限定モーニング&レイトショー!
2014/アメリカ/101分/1.78/ドキュメンタリー

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)