モノクロームで描かれるパリの現在地『パリ13区』/Cinema Discussion-44

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第44回は、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞『ディーパンの闘い』、グラ
ンプリ受賞『預言者』など数々の名作で世を驚かせてきた、今年
70 歳を迎える鬼才ジャック・オディアール監督の最新作『パリ13区』です。
ここのところ旧作名作の特集上映を続けて取り上げていましたので、久々の新作ご紹介です。
ジャック・オディアールは、『燃ゆる女の肖像』で一躍世界のトップ監督となった現在43歳のセリーヌ・シアマと共同で脚本を手がけ、“新しいパリ”の物語
を、洗練されたモノクロの映像美で大胆に描き出しています。
コロナ禍で撮影期間が限定されたために、クランクイン前のリハーサルに力を入れ、今までにない濃厚な作品づくりが行われたという本作は、021 年第74 回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でお披露目されました。
今回も映画評論家川口敦子と、川野正雄の対談形式でご紹介します。

©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★原題「オランピア―ド」と名付けられた『パリ13区』は、1970年代の再開発によって生まれた高層ビルやマンションが連なる地区を舞台としています。パリのイメージを覆すこの地区を舞台にしている点、どう見ましたか?

川野正雄(以下M)
随分パリに行っておらず、13区のイメージは正直出来ないので、13区が舞台という点のコメントは難しいですね。
あくまでも想像ですが、2024年オリンピックに向けて、パリの街もどんどん進化はしていると思います。
その中で13区はどんな存在のエリアになっているのか、
70年代にパリはかなり変わったと想像していますので、オディアールがこの街を選んだ理由なども気になっています。

川口敦子(以下A)私もコロナ以前からもうしばらくパリに行っていないので、しかも行ってた頃にも13区の辺りにはあまりなじみがなかったので、あくまでこの映画を見て受け取った印象に基づくコメントになってしまいますが、やはりいわゆる古き佳きパリのルックをはみ出す界隈として、そのはみ出し感が映画が描く人々の同様の感触をこれみよがしではなく、しっくりと裏打ちして、物語りを支えるバックボーンとして機能していますよね。そうした環境のさりげない活かし方に監督ジャック・オディアールの話術が光っていると思います。
で、そのおなじみのパリとは別の――って印象は台湾系移民の祖母所有の部屋に住み、そこを間貸しして生活費を得ようというエミリーのマンションをはじめとする高層建築、その高さから望まれる街や空や川の印象だったりもする。それは、13区で撮ったわけではないかもしれないけれど、ジャン=ポール・ベルモンド特集で上映されたアンリ・ヴェルヌイユ監督作『恐怖に襲われた街』で使われた高層のビルがもたらした印象とも通じているようにも感じました(ちなみにヴェルヌイユはジャック・オディアールの父、名脚本家として鳴らしたミシェルとのコンビでも知られています)。多分、あの映画が撮られた70年代半ばにはパリ再開発によって誕生したそうした高層建築が新しかった、だからクライマックスのアクションにも活用されたりしたんでしょうね。そんな新しさが半世紀を経た今、かつて新しかった分、古ぼけて見える、それが逆に映画に新鮮な雰囲気をもたらしている、そんな逆転現象はまあ、どんな都市にもはたまた流行現象にも見出されるとは思うのですが、ともかくそれは長らくこの13区に住んでいたという監督オディアールだからこその実感としてこの映画に面白味と厚み、深さをもたらしているようにも感じました。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★ストーリーは日系アメリカ人4世のグラフィック・ノベリスト エイドリアン・トミネの短篇集3篇に着想を得ているそうですね。また監督脚本のジャック・オディアールに加えて『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマとやはり注目の新鋭レア・ミシウスという女性ふたりが脚本に加わっています。そうした要素が完成作にどんなふうに影響していると感じましたか?

M:まず女性脚本家が二人入っている事は、非常に大きいですね。
主要登場人物は3人が女性、男性1人で、性的な事を含めて、女性のメンタリティを時には荒々しく描く事に、共同脚本家の存在は大きいと思います。
先日紹介したパゾリーニは『テオレマ』で、女性の潜在的な性欲を、衣服の上から視線を通して描いたが、ジャック・オディアールは肉体を通して、オープンかつミステリアスに描いています。
オディアール70歳ですが、演出の切れ味は冴え渡っていると感じましたが、脚本家2人の力は大きいと感じています。
感染対策でリハーサル時間をたっぷり取り、撮影自体は短期集中型だった効果があるのでしょうか。
今では懐かしいクラブでの密集熱狂シーンは、コロナへのアンチテーゼかとも思いました。
ただ前作などは見ていないので、原作の短編との持続性などについては、何とも言えないところです。

A: トミネの作品はニューヨーカー誌の表紙で目にしていたかもしれませんが、その程度の知識しかなかったので、今回、にわか勉強でいくつかの記事に目を通してみたんですが、カリフォルニア郊外を舞台に「誰の心の中にもいる”負け犬″に訴える」ような作風という点でレイモンド・カーヴァ―と比較されることも多いとあって、そういえばそのカーヴァ―の短篇を縒り合せたアルトマンの『ショート・カッツ』とトミネの短篇3作を編み合わせた『パリ13区』と、少しだけ通じている感じもなくはないかもしれませんね。といいつつアルトマンの目の辛辣さと比べるとオディアールの眼差しはもう少し柔らかいかもしれない、彼のこれまでの作品を振り返ると監督デビュー作の『天使が隣で眠る夜』以来、きんと青く醒めた冷たさのなかにゆらゆらとやわらかなリリシズムが立ち上ってくるような部分があって、そのふっとした揺れ、陽炎みたいなやさしさが彼の映画の磁力みたいにも思います。
そのデビュー作が差し出した”男の世界″は監獄の中でのし上がっていく青年をスリリングに追う快作『預言者』の核心として息づいてもいましたよね。いっぽうで『リード・マイ・リップス』とか『君と歩く世界』とか、ヒロインもまたタフにハードボイルドな世界を闊歩していた気もします。今回、ふたりの女性脚本家が加わったことでそんなオディアールの世界が覆されるほど変わったということはないように思う。ただとりわけ『燃ゆる女の肖像』の画家とモデル、女性同士の眼差しの交換、その官能をじわじわと掬い取ったシアマを得てトミネの原作に基づきつつもノラとアンバー・スウィートの見る見られる関係が醸すロマンスの温かな肌触りが映画にもたらされたんじゃないかなとは思います。親密さの描き方のレイヤーが増したといったらいいのかな。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★4人の主要キャラクターに関して、個々の面白さ、関係の面白さ、どんなふうに見ましたか? 必ずしもサンパなばかりではない人々とも見えますが?

A: 特にエミリーとカミーユの関係に関してその必ずしもいい人じゃない部分が面白さとしてゆっくりと効いてくるんですよね。施設にいる祖母の世話もそっちのけで自分勝手に出会い系サイトで性の”冒険″を楽しみ、実は何も満たされないままに独りでいるエミリーにしても、ちゃらんぽらんに女友達との関係を渡り歩いているような高校教師カミーユにしても、家族との時間にいつもは見えない何か、心の奥底の癒えない傷のようなものが垣間見える瞬間があって、そういう瞬間をこそ、現代のSNSやウェブサイトに撮り囲まれた人間関係の希薄さの向こうに映画は見出しみつめようとしている、そこがいいですよね。
 13区という周縁的なパリを舞台にした映画は人に関してもこれまでのオディアール映画同様、マージナルな場所に身を置く存在への慈愛を芯にしているなあと、そこにも惹かれます。

M: どの人物も決して完ぺきではなく、特に男性のカミーユには殆ど共感出来ませんでした。
しかしカミーユのいわば自己矛盾的な行動と、敦子さんの指摘する傷みたいなものは、どこかでシンクロして、それがノラやエミリーを振り回す事につながっているのではないでしょうか。
皆完ぺきではなく、精神的な欠陥も抱えながら、必死ぽくはないんだけど、必死に生きている。そんな感覚が胸に迫りますね。
共感という意味では、アンバー・スウィートに一番好感が持てました。
もっと彼女のバックボーンを知りたくなりました。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★キャスティングに関しては?
M:初見参の役者ばかりでしたが、ミュージシャンでもあるアンバー・スウィート役のジェニー・ベスはとても魅力的でした。
ノラ役のノエミ・メルランも、ちょっとアンバランスな女性としての見え方が素晴らしかったです。
人生の時計が少しずつ狂ってくる、そんな女性がノラだと思いますが、最後に自分の道が見えてきて、多分一気に時計の針もブレなくなったのではないでしょうか。
繰り広げられる男女を中心にしたやりとりは、ホン・サンス作品にも通じる部分もあると思っています。

A: 『燃ゆる女の肖像』でも寡黙さの中に我が道を往く強さを研いでいるような画家を快演したノラ役のノエミ・メルランの魅力ももちろん見逃し難いですが、彼女と愛を育むアンバー・スウィートを演じたジェニー・ベスには私も惹き込まれました。見る/見られる関係が(言葉・心を)聞く/聞かせる関係へと深化していく過程で彼女の声がひりひりと傷ついてきたノラの救いとなっていく、その感触をすんなりと納得させてくれますね。主要キャストはもちろんなんですが、不動産物件内覧の場で再会するカミーユの教え子とか、彼の父、妹、亡き母の車いすを買いに来たマダム等々、脇のキャスティングもぬかりないですね。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★モノクロで撮られている点についてはどう見ましたか?
A: パリ13区を舞台にした映画として『パリ、ジュテーム』のショワジー門、クリストファー・ドイル監督編がありましたが、中華街に迷い込んだシャンプーのセールスマンの白昼夢を描く不思議な映画の色色色の印象と対照的なこのモノクロの世界の底に、澄んだ寂寥感が漂って、映画をいっそう忘れ難くしていると思います。リアル過ぎないリアルを世界に纏わせる効果も感じられますよね。

M:モノクロである事により、性的なシーンが美しくなり、生々しさが薄まったと思います。
映像も綺麗ですが、2021年にモノクロで撮影した事の意味、それをもっと知りたくなりました。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

★おすすめのポイントをあげるとしたら?
M:これが今のパリ、コロナ下で作られた映画、パリの現在地の映画と思って見ると、感じる部分も多くなるのではないでしょうか。

A: 人と場所、時代と時空、その親密な織り上げ方!

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 – France 2 Cinéma

『パリ13区』
2021 年/フランス/仏語・中国語/105 分/モノクロ・カラー/4K 1.85 ビスタ/5.1ch/原題Les Olympiades 英題:
Paris, 13th District/日本語字幕:丸山垂穂/R18+ ©PAGE 114 – France 2 Cinéma
提供:松竹、ロングライド 配給:ロングライド

監督:ジャック・オディアール 『君と歩く世界』『ディーパンの闘い』『ゴールデン・リバー』
脚本:ジャック・オディアール、セリーヌ・シアマ『燃ゆる女の肖像』、レア・ミシウス
出演:ルーシー・チャン、マキタ・サンバ、ノエミ・メルラン『燃ゆる女の肖像』、ジェニー・ベス
原作:「アンバー・スウィート」「キリング・アンド・ダイング」「バカンスはハワイへ」エイドリアン・トミネ著(「キリング・アンド・ダイング」「サマーブロンド」収録:国書刊行会)

生誕100年で蘇る奇才パゾリーニ/Cinema Discussion−43

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第43回目は、前回のルイス・ブニュエルに続き、映画史上に輝く巨匠ピエロ・パオロ・パゾリーニの特集上映を取り上げました。
パゾリーニは1922年イタリアボローニャ生まれ。
文学者としてキャリアをスタートしましたが、1961年に初監督、以降1975年ローマで悲運の惨殺事件が起きるまでに、21本の監督作品を残した唯一無二の作風の奇才です。
今回は代表作品の『王女メディア』1969年と、『テオレマ』1968年が、生誕100年を記念してリバイバル上映されます。
今回は映画評論家川口敦子と、川野 正雄の二人の会話でお届けします。

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

★今回、生誕100年を記念して4Kスキャン版として上映されるパゾリーニ監督作『テオレマ』と2Kレストアで蘇った『王女メディア』ですが、奇しくも前回のブニュエル特集同様、刺激的なアートシネマがきちんと公開され、シネフィルばかりでもない観客に届いていた70年代を感じさせる作品ともいえそうですね。で、あえてブニュエルの時と同じ問を繰り返しますが公開当時、監督パゾリーニや彼の作品をどのように受け止めていましたか?

川野 正雄(以下M):この2本の公開時は多分まだ小学生で存在も知りませんでした。
映画に興味を持ち出した中学生時代は『デカメロン』『カンタベリー物語』が公開され、話題になっていましたが、エロティックなキワモノ作品というイメージもあり、中学生で劇場に見に行くことはありませんでした。
本人が殺害された事もあり、表現的なタブーに挑戦している姿勢が報道され、スキャンダラスでアヴァンギャルドな監督という印象でした。
ただ当時作品は見ていないのですが、ビジュアルが強烈な『アポロンの地獄』と『豚小屋』の日本版ポスターを部屋に貼っていました。
『豚小屋』は骨が写っていたり、『アポロンの地獄』は、「目眩く光の中で母を犯す〜」みたいなキャッチコピーがついていて、母親が気持ち悪がっていた事を覚えています。
結局パゾリーニ作品を見る機会は、70年代は全く無く、過激だけど評論家の評価は高い巨匠という風に捉えていました。
今回資料でフィルモグラフィー見ると、僕がこれまでに見ているのは『テオレマ』と『デカメロン』の2本だけでした。
ですので、あまり今回パゾリーニ作品全般については、語れなさそうです。

MEDEA (c) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.

川口敦子(以下A):川野さんよりは年上なんですが、私も『テオレマ』『王女メディア』それに『豚小屋』が日本で立て続けに公開された1970年にはまだ中学生で映画は好き、でも自由に何でも映画館で見られるというわけでもなかったので、スクリーンで実際に見ることができたのはしばらく後になってからでした。でも、愛読していたスクリーン誌の執筆者によるベストテンでは『アポロンの地獄』がトップに選ばれていたり、双葉十三郎さんのぼくの採点表で『テオレマ』が☆4つ「奔放にして辛辣。パゾリーニって監督スゴいなァ」と高評価を得ていたりして、どんな監督なんだ、どんな映画なんだと気になる存在ではあったんですね。で、それから数年後、私の映画史的に決定的な衝撃作だった『暗殺の森』と出会って、ベルトルッチへの興味を通してその初監督作『殺し』の原案・脚本を手掛けたのがパゾリーニで、彼の監督デビュ―作『アッカトーネ』ではベルトルッチが助監督を務めていたと、要はベルトルッチの映画界入りの導き手としてパゾリーニを改めて注目するようになったように思います。なので後年、『リトル・ブッダ』が上映されたベルリン映画祭でベルトルッチに取材した時、『ラストタンゴ・イン・パリ』をパゾリーニが痛烈に批判して以来、決裂したといわれたりもしたけれど、パゾリーニが惨殺される少し前に、『ソドムの市』を撮っていた彼と『1900年』を撮影中だったベルトルッチ、そのふたつのクルーでサッカーの試合をすることになって、自らプレーに参加したパゾリーニが誰もパスしてくれないと怒って試合終了直前にゲームを放棄してしまった、楽しいい日だった――と兄を懐かしむように語ってくれた時にはなんだか鼻の奥がつんとするような気持になりました。
そんなサッカーのエピソードを聞いていたのでアベル・フェラーラがその死までを親密な眼差しで瞑想するように撮った『PASOLINI』で、少年そのままにゲームに興じる姿をウィレム・デフォーが素敵に体現しているのを見てまたまたうるっとなりました(笑) 脱線しますがこのフェラーラ作品には母役でパゾリーニ作にも縁があり、ベルトルッチの『革命前夜』の忘れ難いヒロインでもあるアドリアーナ・アスティが出ていたり、『テオレマ』のメイド役が忘れ難く、パゾリーニと公私ともに固い絆で結ばれていたラウラ・ベッティ(マリア・デ・メデイロス演)を印象的に登場させたりと、フェラーラのパゾリーニ愛が感じられる快作です。
だらだらになりましたが、パゾリーニに関して同時代的にはきちんと作品とも生涯とも向き合わずにきてしまったなあと後ろめたいような気持が大きいですね。

『王女メディア』
MEDEA (c) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.

★改めて今、往時のパゾリーニを見てどんな感想を? 70年代当時に感じていたこととどう違いましたか? あるいはそれほど違わない印象ですか?

M:『テオレマ』は、この頃のテレンス・スタンプ作品、『コレクター』『世にも怪奇な物語』『唇からナイフ』が好きで、ビデオ化されてからかなり早く鑑賞し、これまでに2回ほど見ています。
今回『テオレマ』は、4Kスキャン版という事ですが非常に色がクリアで、映像の美しさや表現力が強く伝わってきました。
フィルム版はもっと粗いザラザラ感があり、それはそれで良かったのですが、全体がすごく沈んだトーンになっていた印象があります。
4Kスキャン版で鮮明になった画面を見る事で、パゾリーニの意図もより伝わりやすくなったと思います。
例えば服装の色です。テレンス・スタンプは常にベージュ〜茶系のシンプルな服装のコーディネートでした。終盤シルヴァーナ・マンガーノが街を彷徨う場面で、このカラーコーディネートは微妙に効いてきます。
使用人ラウラ・ベッティのグリーンも同様です。
以前見た時もグリーンは残像に残っていたのですが、より鮮明になりました。
驚いたのは、男が去った後のカオスな展開が、全く記憶に残っていなかった事でした。
今回は改めて終盤の展開のカオスさも、しっかりと受け止め、冒頭のシーンとのつながりなども理解する事が出来たのは、良かったです。
ミラノ郊外の街の空気や車、建築、風景、全てに演出が行き届いて、パゾリーニが名匠と言われる由縁もよく理解できました。

『王女メディア』は初めて見ました。以前部屋には『アポロンの地獄』と一緒にフェリーニの『サテリコン』のポスターを貼っていました。
こういったギリシア神話的というか、寓話的な世界観の映画に憧れていたのだと思います。
そういった意味で『王女目メディア』は、いきなりケンタウロスが登場するなど、神話の世界観がすごく圧倒されます。

A:『テオレマ』は私も色のきれいさ、とりわけテレンス・スタンプのブルーの瞳の青さにぶるっと鳥肌がたつみたいに惹き込まれました。二番館でだったりビデオで見たりだったので、川野さんも仰るミラノの郊外の空気の感触とか、今回、すごく新鮮に迫ってきました。実際に見てからしばらく経って、改めて見直すこともないままメディアでの紹介のされ方に毒された部分もあって(笑) 『テオレマ』というとスタンプの強烈な印象と共にストレンジャーがやってきてブルジョワ一家をかき回すって前段の部分ばかりを記憶してしまっていたんだなあとそれも今回、改めて反省した部分です。ラウラ・ベッティ演じるメイドのエミリアが田舎に戻って聖なる存在となっていく展開は、アリーチェ・ロルヴァケルの『幸福なラザロ』とも通じるような、清冽な力強さを感じさせて魅了されました。
『王女メディア』は日本の地唄を始めイランやチベット、インドの民族音楽の取り入れ方が改めて今、見るとあの時代だなあと、古びているといいたいのではないんですが、やっぱり”あの頃″感に包れてじわりとくるんですね。音楽監修を務めたという作家エルサ・モランテと夫のアルベルト・モラビアとパゾリーニは60年代の初め、インドへの旅行を共にしていて、そうしてここでも彼らの仏教への興味の先にベルトルッチのそれも浮かんでくる。興味深い関係なんですよね。

★『テオレマ』はテレンス・スタンプ、『王女メディア』はマリア・カラスの映画としてそれぞれの魅力を感じさせますね?

A:マリア・カラスはちょうどこの映画に出た頃、中学時代の一番仲のよかった友達がクラシック音楽やオペラのファンで、カラスのことは彼女を通じて聞いていたんですね。ジャッキー・ケネディとオナシスをめぐるワイドショー的情報も含めて。まあ、どちらかといえばそんな邪な興味が先行していたんですが、この映画のカラスの筋を超越した存在の並々ならぬ重み、華やかな威圧感とその先にたちのぼる悲しみの纏い方、重厚なのにはかない感じ、凄いです。

テレンス・スタンプの素敵は川野さんにおまかせして語っていただいた方がいいと思うんですが(笑) 昨年、見た『ラストナイト・イン・ソーホー』の快/怪演も相変わらず謎めきオーラで光ってましたね。というように今もスターとして健在なわけですが、極論すればやはり『テオレマ』なくして――という部分はあるんじゃないでしょうか。

M:実はマリア・カラスに関しては、名前くらいしか知識がなく、あまりコメントできないのですが、このメディア役は本人が希望したという事が頷ける存在感ですね。美しさも王女としての気品も、呪術師的な神秘性まで、完璧なキャスティングに思えます。

テレンス・スタンプは、当時の彼の十八番的な謎を秘めた若者役ですが、英国のロックミュジーシャンぽい彼の魅力がよく出ています。
テレンス・スタンプの魅力の一つは目の冷たさですが、この作品ではそれが鮮明ですね。この映画では抑えた演技に終始しますが、明らかに裏に何かある独特の雰囲気と、そこから生まれる存在感。無言の恐怖感や悪意を伝えるのが、テレンス・スタンプはうまい。
ちょと変質的な役どころもピッタリですが、『テオレマ』の彼は、何が目的だったのか、背徳的な行為と合わせて、登場人物も観客も振り回します。
フランス版のメトロサイズ大判ポスターと、アメリカ版のオリジナルポスターを持っていますが、両方ともテレンス・スタンプの顔のアップが、なんとも言えない不穏な空気でデザインされています。

「テオレマ」アメリカ版ポスター

★演技にしても音楽、衣装、美術にしてもいわゆるリアルさとは別のところで成立していますが、そのあたりをどんなふうに見ましたか?

A:『王女メディア』の衣装がピエロ・トージなら美術はその後、テリー・ギリアムの『バロン』やスコセ-ジ『エイジ・オブ・イノセンス』等々でその道の巨匠となるダンテ・フェレッティが担当しているんですね。それも彼26歳、映画のキャリアの最初期の仕事として注目したいですね。監督はもちろんですがイタリア映画界が美術、衣装、音楽(『テオレマ』はエンニオ・モリコーネ、トルナトーレが撮った彼のドキュメンタリーが日本でも公開される予定でしたが少し先になったみたいですね)と才能を輩出していた時代でもあったんですね。質問とちょっとはずれますが、でも、リアルを究める徹底ぶりがある一方で単なるリアル、本当らしさでない所でも勝負できた、才能を生かす環境があったということですよね。いい時代だったといってしまったら身も蓋もないですが・・・。

M:『王女メディア』は、セット、衣装、ヘアー含めて、クリエイティブのデザイン力が圧倒的すぎるくらいの迫力で、予算も気になってしまいますが、今の時代にCG使わずに再現しようとしたら、大変なことになるだろうなと想像してしまいました。
その辺はヴィスコンティ作品のプロダクション・デザイナーピエロ・トージの存在が大きいのだと思いますが、この時代のイタリアの巨匠たちは、作品の予算とか回収とかそういう事お構いなしに、徹底した要求をプロダクション・デザイナーにしているのだと想像します。
日本の三味線曲含めた土着的な音楽の使い方も素晴らしいですし、刺激的です。
ブルガリアン・ヴォイスのような曲もあり、このエキゾチック感はたまりませんね。
『テオレマ』も、衣装、小物、セットなど、すごく念密にプランニングされていると感じました。
もちろんそこはパゾリーニ本人の拘りを表現しているのだと思いますが、グラマラスな美術も、日常的な小物も、共通するのはセンスの良さと、独特のオリジナリティです。
これは映像の質も同様に感じています。

★2本のパゾリーニ映画の特にここを見てほしいというポイントは?

M:『王女メディア』は、やはりパゾリーニ流ギリシア神話の世界観を、存分に味わうという事でしょうか。
『テオレマ』は、突然の訪問者によって家族が崩壊していくという設定が、その後多くのフォロワーを生んだのではないかと思っています。

アカデミー賞受賞作品の韓国映画『パラサイト』には、影響を感じます。
『ユージョアル・サスペクツ』のブライアン・シンガー監督が、デビュー作『パブリック・アクセス』で来日した際に、やはり『テオレマ』の影響の質問が、取材で出ました。
ブライアン・シンガーは、しかし『テオレマ』を知りませんでした(笑)。
パゾリーニは、1975年53歳で殺されているのですが、生きていれば多分70歳の1992年位までは、監督を続けていたと想像します。
そうするときっと10本くらいは監督出来たと思うので、彼の不慮の死は、世界の映画界にとって、大変な損失だったなと、改めて感じました。

A:『テオレマ』はテレンス・スタンプもですが、能面みたいなメークでデビュー当時の健康美を脱却、独特の世界を築いていたシルヴァーナ・マンガーノ、そしてアンヌ・カリーナ以後のゴダール映画を支えたアンヌ・ヴィアゼムスキー、さらにさきほどもふれたラウラ・ベッティと昨今なかなかみつからないそれぞれの美を究めている女優たちにも注目したいですね。

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

3月4日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
配給:ザジフィルムズ 公式HP


『テオレマ 4Kスキャン版』
北イタリアの大都市、ミラノ郊外の大邸宅に暮らす裕福な一家の前に、ある日突然見知らぬ美しい青年が現れる。父親は多くの労働者を抱える大工場の持ち主。その夫に寄りそう美しい妻と無邪気な息子と娘、そして女中。何の前触れもなく同居を始めたその青年は、それぞれを魅了し、関係を持つことで、ブルジョワの穏やかな日々をかき乱していく。青年の性的魅力と、神聖な不可解さに挑発され、狂わされた家族たちは、青年が去ると同時に崩壊の道を辿っていく…。

原案 / 監督 / 脚本 : ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影 : ジュゼッペ・ルッツォリーニ
音楽 : エンニオ・モリコーネ
出演 : テレンス・スタンプ、シルヴァーナ・マンガーノ、アンヌ・ヴィアゼムスキー
1968年 / イタリア / 99分 / カラー / 1:1.85 ビスタビジョン / 日本語字幕:菊地浩司

『王女メディア』
イオルコス国王の遺児イアソンは、父の王位を奪った叔父ペリアスに王位返還を求める。叔父から未開の国コルキスにある〈金の羊皮〉を手に入れることを条件に出され旅に出たイアソンは、コルキス国王の娘メディアの心を射止めて〈金の羊皮〉の奪還に成功。しかし祖国に戻ったイアソンは王位返還の約束を反故にされ、メディアと共に隣国コリントスへ。そこで国王に見込まれたイアソンは、メディアを裏切って国王の娘と婚約してしまう。メディアは復讐を誓い…。

監督 / 脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作:フランコ・ロッセリーニ
撮影:エンニオ・グァルニエリ
衣装:ピエロ・トージ
出演:マリア・カラス、ジュゼッペ・ジェンティーレ、マッシモ・ジロッティ
1969年 / イタリア=フランス=西ドイツ / 111分 / カラー / 1:1.85 ビスタビジョン / 日本語字幕:関口英子

『テオレマ 4Kスキャン版』
(c) 1985 – Mondo TV S.p.A.

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)