私たちが人生を生きていく中で、その人との出会いにより新しい世界への扉(doors)が開かれ、次元が変わるような体験やつながりがもたらされることがあるように思います。 私や私のセルクルルージュの仲間にとって,Mick Haggerty(ミック・ハガティー)との1983年、とても寒い年の瀬の東京での出会いはまさにそんな体験だったといえます。
Kid Creole&the Coconutsの東京公演の後のパーティ—が、当時The Coconutsのアルバムジャケットを手がけたつながりからその場にいたであろうMickと私たちとの初めての出会いの場だったと記憶しています。長身に光沢のあるブルーのスーツを纏い、低いトーンでクールに話す第一印象は、ダリル・ホールのようなミュージシャン的な格好の良さだったのを覚えています。
Mick Haggerty(ミック・ハガティー)はロンドン生まれのアートディレクター、デザイナー、ヴィデオアーティストでありLAに渡り、私たちが30x30のサイズのアートワークに音楽そのものと同様の意味を見出していた時代に多くの印象深いアートワークを手がけています。
Mickに何をしているのかを聞いたときに、アルバムのアートワークの話になり、その時初めにMickが口にしたのが上のPoliceのデジタルなイメージのアルバムジャケットだったと思います。Policeのシンクロニシティーではないけれど、その後,セルクルルージュの川野がジャマイカ行き経由地だったLAの古着屋で偶然遭遇したりと、私たちはMickに不思議な縁を感じセルクルルージュ(赤い輪)の中にいる尊敬する友人だと感じています。
当時は今のようにWebでいろいろなことがすぐ検索できない中、Mickの名前で行き着いたのは”Breakfast in America”で1979年のグラミー賞ベストアルバムパッケージをMick Doudとともに受賞したという記事でした。
同様に私たちが会った1983年にもグラミー賞のベストアルバムパッケージでThe Go-Go’sの”Vacations”でノミネートされています。
英国人のみたKitsch&Americana的な意味も感じられるアルバムカバーがバンドの音楽のイメージを大きく膨らませているのが理解いただけるでしょう。
そして言わずもがなのこちら
Nile Rogersとともにアメリカ制覇を狙ったようなDavid Bowieのこのアルバム。まさにメインストリームへの殴りこみといった象徴的なジャケットとなっています。
Kid Creole軍団が去った後も、東京の知人の青山の小さなスタジオを住まいにして残ったMickとは、麻布の華園で食事をしたり、バブリングダブでお酒を飲んだり、モンクベリーズに踊りにいったり、HALバーでchill outしたりと、短い時間に密度を持って会い、語り合いました。大晦日はピテカンで、正月は明治神宮や浅草でといった具合にです。
そんな彼を訪ねてNYにいった1984年の夏に、まだホカホカな状態でもらったのが冒頭の”Tonight”の試し刷り。ステンドグラスを思い起こさせる背景について宗教性の表現といった話をしたのを覚えています。
その他にも
といった私たちセルクルルージュ的にも大好きなアーティストを数多く手がけています。
(ちなみにセルクルルージュでは今春封切り予定のJimi Hendrixの伝記映画”Jimi:栄光への軌跡”を近日シネマディスカッションで取り上げる予定です。ご期待ください。)
ファミリーで南アフリカに移り住んだMickとはここ数年会ってはいませんが、毎年あの1983年にあった季節になるとお互いその時の共有した特別な時間や空気感を思い出し連絡を取り合います。
クリスマス時期に、寒い六本木の裏道を歩きながら交わしたこんな会話を私は鮮明に覚えています。「特定の神を信じているかい?」「特定な神は信じていない。だけど”宇宙意識”的(mind at large)なものは信じているよ。」
そしてハクスレーではないけれど、私たちが幼い頃から何より好きで聞いていた音楽やそのアーティストが単なる憧れでなく、Mickという扉(Doors)により、より自分たちに繋がったものなり、今の自分たちの在り方が確立される契機になったと信じています。
そして、そんなMickが近日セルクルルージュのMIXCLOUDに参戦する予定です。そちらも是非お楽しみに!
彼のアルバムジャケットの映像やそれらに関わるインタビューは、こちらのサイトを参照しました。
いくつかのアルバムジャケットの映像と、クレジットはこちらのサイトを参照しました。
フルタイムのfine-artistとしての活動も彼自身のサイトでチェックしてみてください。