私にとって、DR.BUZZARD’S ORIGINAL SAVANNAH BAND といえば今は亡き今野雄二さんにより日本に紹介され、70年代終わりに今野さんが提唱した“super snob”を体現する音楽的フェノミナンだったと言えます。
1969年にスタートしたバンドの成功は、1976年の“DR.BUZZARD’S ORIGINAL SAVANNAH BANND”と1978年の”DR.BUZZARD’S ORIGINAL SAVANNAH BAND MEETS KING PENETT”の2枚のアルバムによってもたらされます。それは正にニューヨークのSTUDIO54を頂点とするDisco Eraやアンディ・ウォーホールのInterview誌のアメリカンセレブリティ&ゴシップスの世界観の寵児だったように思います。(バンドのアルバムの広告もこの伝説のInterview誌に掲載されていた記憶があります。)
音楽的にはビッグバンドとマルチカルチュアルな要素がとても洗練されたやり方で混ざり合い(Mulato!)、そのZoot Suitsのギャングスタースタイルと相まって不思議なレトロフューチャー感を醸し出しています。
メンバーはStoney Browder,Jr. とAugust Darnell(後のKid Creole)の兄弟にAndy Hernan-dez(Coati Mundi AKA),Dan Armando Bonillo。そしてStoneyのガールフレンドであり、 Odyssyの“Native New Yorker”の実存のモデルであったCory Daye。
私は大ヒットの1枚目ももちろん大好きですが、2枚目の“Transistor Madness/Future DJあたりの外れそうで外れないCoryの節回しがとても好きだったのを覚えています。
そしてその頃のNY! Kid Creoleのコンピレーションアルバム“Going places1976-1986(STRUT034CD)のライナーノーツの中でVivien Goldmanも指摘しているようにアップタウンスパニッシュハーレムのサルサジョイントから、黎明期のブロンクスでのHipHop,そしてダウンタウンではpunky-no-waveがHurrah’s,The RoxyエリアそしてSquatTheaterやMudd Clubで盛り上がり、正にNY中が踊っていた!
Savannah Bandはそんな時代のNYにあって、単にソフィスティケイトされたDIscoにとどまることなく、後のAugust によるZEレーベルでのプロデュースや英国でのファンカラティーノに繋がり、さらにはその楽曲が多くのHipHopアーティストにサンプリングされて今でも地下水系で脈々と生き続けていることが何より喜ばしいことだと思います。
(冒頭の画像はKId Creole名義での二度目の来日に同行したCoryのサイン入りのアルバムジャケット。アルバムに収録された楽曲にちなみ“Tetsuo ,I’ll always have a smile for you”と書き足してくれた。Augustはあれは兄貴のバンドさ、といった感じであえてKid Creoleとプライドをもって書いたと思う。)
COOL! 素敵なメッセージですね。84年に体験したニューヨークは、ちょっともう踊りつかれた頃だったのかも。バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』に登場してくる,パロディというよりは先祖がえりであるはずのズートな瞬間になるともう,何もかも笑うしかなくなった21世紀的空しさに満ちていて、その意味では一見の価値があったように思いました。
「華麗なるギャツビー」といえば、ブライアン・フェリーが音楽担当で、JAZZアレンジやっていますね。あの映画の喧騒は、正にSTUDIO 54の雰囲気でした。次はブライアン・フェリーと、ロキシーミュージックについて、アップしてみるつもりです。